2015年8月30日日曜日

橋川文三著 中島岳志[編] 「橋川文三セレクション」 岩波書店刊pp.344-346より抜粋

敗戦に伴う衝撃は、従来の日本人の思想と生活を支えていた天皇の問題をめぐってまず集中した。それが進歩と革新をめざす勢力と、保守ないし反動勢力との間の争点となり、タッチストーンとなったのは当然であった。
この問題もまた戦後思想史上の大きなテーマにほかならないが、ここではその経過をたどることが目的ではない。問題は敗戦直後、「天皇こそ最大の戦争犯罪人」とされ、「諸君が天皇制打倒に賛成しえないというならば、自ら民主主義革命に参加することを拒絶し、反動的勢力として天皇の側につくことを意味する」(「赤旗」第二号)という主張がうずまいた革命的激動の中で、純正な保守の立場というものがありえたとすれば、それはどのようにこの問題に対処したかということである。
そうした状況の中でもっとも早い時期に皇室の存在を擁護する論文―「建国の事情と万世一系の思想」を公表したのが津田左右吉であった。この論文はあたかも敗戦後最初の総選挙の直前に発表されたが(「世界」昭和二十一年四月号)、ちょうどそれは選挙の争点が天皇論議に絞られ、保守勢力が天皇制擁護にキャンペーンを集中していた時期であったために、革新勢力にとってきわめて不利な効果をもつことになった。
もともと、津田は当時進歩派の歴史家と一般に思われていたこともあって、その論文の反響を懸念した「世界」編集部が異例の「あとがき」を付けたというエピソードもその時のことであるが(このことについては「戦後日本思想体系」第一巻の日高六郎による「解説」を参照されたい)、ここではその問題にも立入らない。
ここではかつて自ら日本古代研究に関するその著作の発禁処分をうけたことのある津田が、その経験にもかかわらず、天皇と皇室について「二千年の歴史を国民と共にされた皇室を、・・それを美しくし、それを安泰にし、そうしてその永久性を確実にするのは、国民自らの愛の力である」と述べたその思想と心情が問題である。
当時、こうした皇室への敬愛感は、事実上保守主義者か、右翼者によってしか公然とは述べられず、ただ国民の多数の中に、漠然とそれと同じ感情が認められたにとどまる。
この場合、一般に明治時代にその教養と思想を形成した人々と、大正期以降に成長した世代との間には、天皇と皇室に対する感受性にかなりの差異があったことはやはり注目される。後者は、あたかも革命運動の挫折とその後における戦争によって直接に被害を受けたという、意識を抱いており、それらの惨禍の理由を天皇制に結び付けて理解する傾向が強かった。戦後の天皇制論議において、必ずしもコミュニストでない三十代知識人が、なんらかの意味で天皇制批判の中核を形成したのは主としてそのためであろう。
それに対し、前者はなお「君臣水魚の交」を伝えられる明治天皇制への郷愁を抱いており、本来の天皇制は戦争末期のようなものではないという実感を持っていた。これは主としてオールド・リベラリストと呼ばれた人々の心情であり、その差異が自ら天皇制に対するそれぞれの態度にも反映したと考えられる。
ISBN-10: 4006002572
ISBN-13: 978-4006002572

橋川文三セレクション
橋川文三セレクション (岩波現代文庫)
橋川文三

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