2015年8月30日日曜日

谷川健一著「沖縄」講談社刊pp.54-57より抜粋

復帰20年経った沖縄の都市は本土と寸分ちがわない街に変貌している。それでいて、どこか微妙な空気のようなものが本土の都市と違うのを私は感じる。

それはバスを待つ人たちの立居振舞とか、混みあう市場でのざわめきだとか、なだらかな丘陵の起伏にかたまる家々とか、さりげないものでありながら、しかし明確に肌に感じられるものである。

この雰囲気は、本土では味わうことの少ない解放感と安らぎを私にもたらす。


その解放感は、民族の過去の追体験するときの感情に似ている。

おそらく私は本土よりも沖縄で、民族の始原の感情に触れることができるのである。

そこで私は、自分が飽きもせず、ここ20数年沖縄通いを続けているのは、民族の始原にある「母」の存在を求めて、であることを知る。

日本本土と沖縄ははるかな昔から、言語と民俗を共有していた。いわば「母」にあたる基層文化が同根であった。その「母」の存在は、本土よりも沖縄で確かな手応えをもって感受される。


とおい時代、日本を蔽っていた島国のやさしさの記憶が、沖縄の社会にはまだ残っている。私が沖縄で解放感と安らぎをおぼえるのは、本土の地方の隅々まで刻印されている権力の影が、沖縄には落ちていないせいでもある。

沖縄は昔も今も日本の権力の中心からもっとも遠い社会である。


私は沖縄の友人の一人から、奈良、京都の見物で寺院や仏閣に接すると、強い違和感をおぼえると打ち明けられて、虚を突かれる思いをしたことがある。

飛鳥や奈良を訪れて、日本人の心のふるさとにめぐりあったような感動を、ヤマトンチュ(本土の日本人)とウチナンチュ(沖縄の人々)は頒けあうことができない。

私はあらためて日本本土と沖縄が異なった歴史を歩んできたことを痛感した。


沖縄の歴史を通してみれば、仏教の導入はいたって希薄であり、今でもウチナンチュの日常生活に仏教の影響はほとんど浸透していない。威圧するような大伽藍の姿、それは国家権力と固く結びついた歴史の光景でもあるが、その歴史を体験していない沖縄を、私どもは日本本土と一律に考えることはできない。


歴史をかりに「父」と呼ぶとすれば、ヤマトンチュとウチナンチュは、「母」は同じでも「父」はちがうのである。沖縄が日本国家に完全に含まれた明治12年の琉球処分以来のことで、せいぜい一世紀をわずかに越える程度の短い期間にすぎない。


私が沖縄通いを始めたのは復帰数年前のことで、返還をめぐって沖縄の世論が沸騰した時期でもあり、「沖縄の心」という言葉がよく使われた。祖国復帰に寄せるウチナンチュの切実な思いを、ヤマトンチュは汲み取って欲しいという願いから、しばしばマスコミに登場し、日常の会話の中でも発せられた言葉であった。

しかし、ウチナンチュの強い期待を裏切り、膨大な米軍基地を残したまま、沖縄返還がなされたことで、この言葉はふっつりと使われなくなった。私はそのことにウチナンチュの失望の深さを知る。


それから十数年経った1985年、当時の西銘沖縄県知事が「沖縄の心は」と聞かれて、「ヤマトンチュになりたくて、なり切れないこころ」と答えた。

沖縄の保守政治家のこの心情告白は、まことに意味深長である。これを見ても、復帰後本土化の一途を辿りながら、なおウチナンチュの心が奥底で本土と一体化していないことは明らかである。


ヤマトンチュとウチナンチュの心が奥底で本土と一体化していないことは明らかである。


ヤマトンチュとウチナンチュとは母(言語・民俗)を同じくし、父(歴史)を異にする兄弟である。母が同じであるために、沖縄はヤマト(本土)との同一化を求めてやまない。


しかし父を異にするために、接近すれば違和感をおぼえずにはすまない。ウチナンチュの心はヤマトへの牽引と反撥という両極に引き裂かれ、その間をたえずに揺れ動く。

こうした心情の振り子作用を克服するにはどうしたらよいか、ということを考えてみたい。


亜熱帯に属する奄美・沖縄は温帯の日本本土と比較すると、気候も自然景観も生物相もかなり違っており、むしろ台湾や東南アジアなどと共通する面が多い。

暮らしぶりもそうである。歴史的に見ても、朝鮮半島を経由して中国文明を存分に取り入れてきた本土とは違う。

これらを踏まえてみると、日本国に属しながらも、独自の自然と歴史を持つ奄美・沖縄に「南島自治文化圏」のごときものを設定することは可能である。

従来のような本土への従属関係を脱し、真の兄弟としての連帯にふさわしい自治の道を、南島は模索しなければならない。


それは、日本本土と南島を分離させる結果を生むだろうか。
そんなことはない。
今は世界の各地で国家に含まれた民族が独自の旗印を掲げて烈しく動いている。
うした動向は各民族を独善的で閉鎖した殻に閉じ込めることではまったくない。
むしろ単色の国家の枠を抜け出し、多様性を求めて動き始めたものにちがいない。
日本本土と南島を一色に塗りつぶすよりも、南島が独自の色を鮮明にするほうが、はるかに日本を豊かに多様化し活性化するに役立つだろう。

ここで私は空想する。
沖縄から偉大な政治家が生まれ、南島を一括する政治文化圏の構想が実現する日のことを。
この遠大にして、もっとも合理的な構想を目指すならば、復帰20年にして、沖縄問題は終わったのではなく、始まったばかりであると言えるのではないか。

沖縄-その危機と神々



  • ISBN-10: 4061592238
  • ISBN-13: 978-4061592230

  • 谷川健一

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