2015年12月21日月曜日

20151221 詩、詞および文字、音声言語について

A「先日Bさんのブログを読ませていただきましたが、パリでのテロを「KAMIKAZE」と報道されたことが書かれていました。
あれには少しヒヤヒヤしました。
しかし全体的な内容に関しては特に問題はなかったと思います。
それでもああいったことを書くのは何といいますか、バランス感覚が必要であり、また中傷、非難される方々が出てくる可能性もありますので、少なくとも求職活動されている現在は多少筆を抑えた方が良いのではないかと思います・・。」


B「アドバイスどうもありがとうございます。
あの回は私も書いた後に少し考えて、投稿を止めようかとも思いましたが、特に我が国、外国を貶める目的もありませんし、また、そのように思われる記述もないと思いましたので、投稿後、多少加筆訂正するに留めたのです。」


A「ああ、そうだったのですか。
私も何だか検閲みたいで、このことをBさんにお伝えすることを多少躊躇しましたが、そうした経緯を知ることが出来まして少し安心しました。
ともあれ、繰り返しになってしまいますが、今現在ああいったセンシティブな時事ネタをブログなどで扱うのは、できるだけ控えた方が良いのではないかというのが私の正直な感想です。」


B「ええ、今後も何かそういったアドバイスなどがありましたら、是非お教えください。
それで少し話は変るのですがAさんはポエムの詩などの良し悪しなどは分かりますか?」


A「・・いきなり唐突ですね(笑)。
ううむ、私も一応人文社会科学系の研究者ですが、正直あまりそういった分野のことは考えたことがありませんでした。
それでもたしかに詩の良し悪しを判断する要素、価値観とは一体どういったものでしょうかね?」


B「そうなのです。
私もよく分からないので今Aさんにお聞きした次第なのですが、一方で時折「いいなあ!」ですとか、何かよくわかりませんが琴線に触れるようなものに時折出くわすこともありますので「それらは一体何に因るのだろうか?」と思った次第なのです。」


A「私はポエムの詩はあまり読みませんが、音楽の歌詞などでは「良いなあ」と思うことがあります。
いや、むしろ私の場合、何かしらのメロディの中にある詩、歌詞に感動を覚えることの方が圧倒的に多いですね・・。
しかしそう考えると、ポエムの詩と歌詞の詞の違いとはメロディの有無なのでしょうね・・。
そして始原においてはポエムの詩も、何かしらの節、メロディにのせて読まれた、朗詠されたものであると思いますので、メロディの中にある歌詞の方が音声言語により親和性があり、詩の方はより文字言語に即したものではないかと思いますが・・。」


B「はあ、たしかに音声言語が言語の始原であると思いますので、その意味ではポエムの詩よりもメロディありきの歌詞の方がより古いのかもしれません。
そして現在では一般的に歌詞もポエムの詩の一種とされていると思いますので、これは音声言語から生じた、あるいはそれに対応した文字言語が後にオリジナルの音声言語を包含するに至った経緯を示しているのかもしれませんね。」


A「・・なるほど。
そうしますと私がポエムの詩よりも音楽の歌詞の方に感動を覚えるということは、私の感性、感受性がより音声言語対応になっているということなのでしょうか(笑)?」


B「ええ、そうとばかりもいえませんが、少なくとも詩心に関してはそうした傾向があるといったところではないでしょうか?
それでもたしかに昔の歌、童謡などを聞いていると、その歌詞がよりポエムの詩としても通じそうなものが多いと思います。
個人的には童謡の「椰子の実」の歌詞は感慨深いです。
この歌は以前より知っておりましたが、南紀在住時に水平線に沈む夏の夕陽を一人で見ていましたら、不図この歌詞が口から出てきたことがありました・・。
それ以来、何故だかこの歌は好きになりました(笑)。」


A「ええ、そういう経験はたしかにありますね。
しかし、そういった場合、特にメロディを伴う歌詞でなくとも良いのではないかとも思いますが・・。
しかし一方、それがメロディの中にあるものであれば、何といいますか、メロディを伴わないものに比べ、容易に想起することが出来るのかもしれません。
そうした意味において、メロディがあることにより、ポエムの詩、歌詞とは、より身体性を持つようになるのかもしれません。」


B「詩、歌詞とは、メロディの中にあることによって、より身体性を持つという御意見は大変興味深いです。
それは丁度、舞踏用の音楽あるいは軍隊の行進曲が生まれた経緯などにも通じる要素があるのかもしれませんね。
そうしますと、メロディとは音であり、それだけでは明確な言語的な意味はありませんが、それでも我々の精神の言語以前のよりプリミティブな層を活性化させる何かがあるということですね。」


A「ええ、多分そうであると思います。
こうしたたとえは少しおかしいかもしれませんが、歌詞を伴う楽曲とはラーメンのようなものであり、その中で明確な意味を示さないメロディ、音楽とはスープであり、一方、その明確な意味を示す歌詞とは歯ごたえのある麺にたとえることができるのではないかと思います。
そして同じメロディで違う歌詞を用いる楽曲の2番、3番はまあ、博多ラーメンでいうところの替玉みたいなものではないでしょうか?
また楽曲とは、ラーメンと同様、そのメロディつまりスープの良し悪しにより大きく依存していると思います。」


B「・・・なるほど、それはなかなか秀逸なたとえですね。
ちなみに、それでしたらチャーシュー、煮玉子、ネギ、キクラゲ、辛子高菜、ゴマなどはどうなるのですか(笑)?」


A「・・ううむ、それらはスープと麺つまりメロディと歌詞をつなぎ、全体の深みをより増すものであると思いますので、そうですね・・楽曲の演奏における特徴的な楽器などの使い方などに相当するのではないかと思いますが・・。」


B「はあ、なるほど、それもなかなか面白い御意見ですね。
また、そうしますと、我々の言語全体に対しても、そのように考えることが出来るのでしょうか?
つまり、言語全体がラーメンであり、その中で、よりメロディに近い音声言語はスープであり、文字言語は麺であるといった感じになるのでしょうか?」


A「うーん、それはどうであるかわかりません・・。
しかし、それでも少なくとも関東地方では、麺を主体としたもりそばは一般的に男性の好きな食べ物とされているのはなかなか興味深いですね。
つまり、少なくとも我が国においては文字言語は長く男性のものとされてきました。
そしてそれを先ほどの「文字言語は麺である。」に対応させてみますとどうでしょう・・?」


B「・・なるほど、それもまたなかなか面白く興味深い御意見です。
また、そう考えますとヨーロッパの言語で男性、女性あるいは中性名詞があるのも何となくその伝で理解できるのかもしれませんね(笑)。
合っているかどうかわかりませんが・・。」





2015年12月18日金曜日

20151218 創作と環境について

A「年も押し迫ってきましたが、その後求職活動で何か動きはありましたか?」

B「ええ、つい先日面接で**まで行ってきました。
近いうちに結果のご連絡をいただけるとのことでしたが、今現在はわかりません。」

A「そうでしたか・・結果がわかるまでは落ち着きませんが、良い結果であるといいですね。」

B「そうなのですが、同時に今現在結果待ちの応募がいくつかありますので、この先また、どの様に変転するかは自分でもよくわかりません・・。
しかし、それで先日面接で行った**においてもブログのネタを探したり、ネタ帳の記入を試みたのですが、何故だか上手い具合に言葉が出てきませんでした。
もしかしたら無意識ながら緊張していたのかもしれませんが、これはこれで不思議なものでした(笑)。」

A「ああ、環境が変ったりするとそういうこともあるらしいけれど、私などはノートPCなどは持ち歩いているので、ネットが繋がる環境であれば、メールの返信などは普通に行っていますね。」

B「たしかに多忙な先生方は、どこに行かれる場合でも大抵ノートPCを持ち歩いて、宿泊先のホテルなどでもお仕事されていますね。
しかし私の場合はまた少し違うと思います。
つまり、少なくとも今現在においては、私のブログとは職務でもないですし、また特定の誰かへの反応、リアクションというわけでもありません。
そうした何といいますか、茫漠とした意識状態からテーマを決め、それを結晶化させるということはまた少し異なった意識の働きなのではないかと思うのです・・。」

A「・・うん、まあそれはそうであるかもしれないけれど、同時に多くの方々は出先においても様々な創造的活動をされていると思いますよ・・。」

B「はい、それもまたおっしゃるとおりであると思います。
ですから今回の件は、純粋に私の経験あるいは能力不足であると思います。
とはいえ、ブログのネタなどを考え、それをノートに記していて、その作業にノッてきますと私はそこに没入していると思います。
それは自分を客観視できていない状態です。
そして逆に客観視できている状態では、あまり文章は進みません。
これはなかなか面白いことであると思いますが、それでも創造や創作といった行為とは、大体その様なものではないかと思います・・。
また、このことは以前のブログで引用した北杜夫の文章においても類似したものがあったように思います。
ですから、何故、先日の**に行った時に、この作業に没入できなかったのかとは、私自身の中では、いまだ解決されていないものであり、同時に今後解決が望まれる課題でもあることが判明したのです・・。
かなり言い訳がましくなりましたが、まあ、そのような感じです(笑)。」

A「言わんとする内容はわかりました・・。
そうするとBさんは御自分が、この場合では、どの様な状況においてもブログのネタ帳作成に没入できるスイッチのようなものを探しているということですか?」

B「ええ、今回の件でそのように思うに至りました・・。
また今後、そういったことを自身で意識できるようになれば、現在よりは多少良いブログを作成することが出来るのではないかとも思います。
まあ、何れにしましても今後また様々な試行錯誤を試みてみます。
しかしそうしますと今度は試行錯誤が目的になってきそうで、それが少しこわいところです・・(笑)。」

A「うん、まあ書くのに最適な外的環境を探し求めるよりも、今現在においては、より多くの状況において書くことが出来るような内的環境を模索することの方が適切であると思いますね。
とはいえ、今の話を聞いていて思ったのは、最適な内的環境の模索はいいけれど、それは具体的にはどういったことを指すのだろうかね?
たとえば自分自身の文体の確立なのだろうか?あるいは平静な精神状態などといったものなのであろうか?はたまた、それらを絶妙に混合したものなのだろうか?
まあ、そのように考えてみると、最終的には各々個人で納得できればいいのでしょうが、そうすると今度は、ではそれは普遍的、つまり万人にある程度共通していて定量化出来る様なものなのであろうか?そしてそうであるとすれば、それはどの様な方法で証明することが出来るのか?といった疑問が湧いてきますが、これは今現在の段階では飛躍し過ぎた問いであるのかもしれません・・(笑)。」

B「・・ええ、たしかにおっしゃることはよくわかります。
しかし、とりあえずは自身で色々と試行錯誤してみて、まあNを稼ぐ以外ないのではないかと思います・・。
あ!それで今思い出しましたが、私は修士院生時代に民俗学に近いようなことを研究していましたので、度々フィールドワークに行っていたのですが、その際、ある地域を自分なりに把握するため、地域内寺社の来歴等を調べておりますと、偶然に目的とはまったく異なってはいますが大変興味深い史実の痕跡に出くわすことが多くありました・・。
そして、そうした経験から、それら全て総合し物語れる地域の歴史を構築することが、少なくとも一面において地域を把握することなのではないかと思うに至りました・・。
また、こうした見解に至るまでの経験とは、客観的な科学的根拠は明示できないのですが、同時に他の分野で研究をされている方々に聞いてみても類似の経験をされていることを多く聞きますので、上手く表現はできませんが、何かしらそうした見解の方へ引き寄せられたような感覚があるのではないかと思います・・。」

A「・・・うん、たしかにそういった縁みたいなものは私も経験したことがありますが、かといって、そればかりに頼るとそういうのはダメみたいで、それはBさんのブログでも書かれていましたね・・。
ともあれ、ああいったことは不思議で、上手く説明がつかないけれども、何かあるのかもしれません。
キリスト教の言葉でいう「コーリング」みたいなものなのでしょうか?
とはいえ、そういったところで安住し続けていてもダメなようですので、あせらずに探求し続けることが肝要なのではないかと思います・・。」

B「ええ、そうですね・・。
そしてそれは日本語で「人事を尽くして天命を待つ」といった意味合いになるのではないかと思いますが、どうでしょうか?」

A「うん、そういった感じで間違いではないと思います。
またゲーテの箴言で「大きな必然は人間を大きくし、小さな必然は人間を小さくする。」といったのがありましたが、これも何かしら類似する意味合いを持っているのではないかと思います。」

B「・・・必然の大小を誰が判断するのかは分かりませんが、なるほどです。」

また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。
 


2015年12月17日木曜日

会田雄次著「日本人の忘れもの」角川書店刊pp.211-215より抜粋20151203

中学生活も終りのころ、私は工学部へ行こうという初志をひるがえし旧制高校の文科を志した。将来は文学部へ行って、哲学か歴史の研究者になるつもりになったのである。
今さら、どうしようもない年齢になり、大学騒動にいき当たって、なぜこんなものになって一生を台なしにしてしまったのだろうとくやむのだが、どうして、あのときこんな志望を立てたかは今考えてもはっきりしない。父に相談すると少し驚いたようである。しかし、徹底的に不干渉主義だったせいもあろうか別に反対はしなかった。ただ、こう言った。
「お前のような、自分勝手でずぼらな我がままものは、会社勤めには向かないかもしれないから、まあ、よかろう。だが、言っておくが学者とか大学の教師とかは女のくさったようなのが集まっている世界だぞ。男らしいのだっていないわけではないが、そういうのはたいてい発言力が弱かったり、中心的な人物にはなれないものだ。偽善と嫉妬だけが幅をきかす世界だということは、しっかり胸にたたきこんでおけ。そういう傾向は理科系よりも文科系に強い。半分技術者みたいな工学系より、基礎的な、純学問的なところほど強い。お前の望んでいる文学部などは、その中心だよ」

あとのほうは、動物学者だった父親の偏見かもしれない。しかし、当たっていないわけではない。全体として、この言葉は、もちろん自分自身もふくめて、今さら身にしみて思い出されることではある。このような大学教師の女性的性格は、日本だけのことだろうか。
日本文化というものは受容性が高度なせいもあってたいへん女性的特徴を持つようだ。学問も文化の一つだから、学者も女性的になるのだろうか。国文学者はとりわけ女性的な人が多い、ある博士には女性の長襦袢を身につける趣味があったといわれるが、そういう習慣を持つ人は、さすがに他部門の研究者にはいないようである。欧米では自国文学の研究者が、とくに女性的だという話は聞かないから、これは日本文化の女性的性格と関連するのであろう。ハーバード大学のリースマン教授が来朝したとき、日本の学者は幸福だ、本を読んでも女らしいなどと言われないからと冗談半分にもらした。事実アメリカでは、そういう意識がある。スポーツマンや技術者が男くさいというわけで女性にもてる。
学者、とりわけ本を読む学者はもてないのである。まあ、学者というものは、温和で乱暴者が少ない。女性的な嫉妬心が強いという点ではどこも共通ではある。ニュートンのすさまじい嫉妬と女らしい自己顕示性と競争相手にとった胸くそが悪くなるような術策は有名である。だが、それにしても、今日の日本の学者、とくに大学教授の女々しい性格は際立っている。ここで栄えたり、発言力を持ったりすることはもちろん、生き残るためにもずいぶん女らしい気をつかわなければならない。ここでは良心的ということは媚を売ることであり、誠実とはすがりつくということである。自分の好きなこと、それしかやれないことをやっているにすぎないのに、他の欲望を犠牲にして研究一本に打ち込んでいるように言いふらしたり、見せかけたりするのは、妻君が自分の才能を家庭のために犠牲にしていますということと変らない。ここでいわれる連帯とは徒党のこと、平和を守るとは地位を守ること、すべてが、言葉だけがお上品な江戸の大奥に酷似し過ぎている。こうなった原因の有力な一つには、明治、あるいは、それ以前から日本が文化の純輸入国であり、ほとんど全くといってよいほど輸出しえなかった国だったということがあると思われる。
要するに私たちの学問の世界では、どの分野にも外国が必ず先達がいるのであり、誰かが歩いた道を歩くのであり、落穂をひろうのである。前人未到の世界にふみ迷ったこともなければ、先頭を切って進んだこともない。このことが、ひいては教授のやることを真似ない弟子は憎まれるという風潮を作るに至っている。私は西洋史をやって、その世界で、あいつはドイツ語ができる、フランス語ができるというのが教授などの唯一の評価なのにびっくりした。それは大切な能力であり、不可欠な前提だけれど歴史家としては肝心要の能力ではないはずだ。東洋史で漢文が読める、日本史で古文書が読めるというのと同じことだ。歴史家にとって何がいちばん大切かということは実際の評価の際ほとんど問題にされない。歴史家が育たない根本理由である。中根千枝氏式に言えば、明治の日本の学問はウィスキーやブランデーなどの輸入商である。それを自分が作ったように勿体をつけた解説がうまかったにすぎぬ。もし明治人の持つあの国士風の風格、指導者としての責任感を欠いていたとするなら見られたものではなかったはずである。昭和のころは、それでもいろんなのをまぜ合わせカクテルは作れるようになった。マルキストはウィスキー一本やり、水わりの氷と水を加減しただけだろう。輸入したもとの酒の品質の他に、ここに上手、下手という多少の優劣が生まれた。うまいカクテもまずいのもあったがどちらにしたところで原酒を作ったことはなかったのだ。国粋主義者は、古代ものと称してあやしげなメチル入りのどぶろくを作り、これが絶対唯一のものとして強制し、国民の目をつぶしてしまった。マルクス主義経済学というのは、江戸時代の近代社会分析法を一生懸命学んで、現代にあてはめようとするものだ。現実分析がうまくゆかないし昔に帰れというはずである。人文社会系の学問だけのことではない。理科方面でも改良以外の独創的発見というのは今日に至るまで全く寥々たるものである。
会田雄次
日本人の忘れもの
商品コード 9784041329023

2015年12月14日月曜日

大西巨人著「神聖喜劇」第一巻 光文社刊pp.221-223より抜粋

私の「学生一般の精神には、「永遠の形而上的憂愁」か「世界苦」か、「シェストフ的不安」か、あるいは「時代閉塞の現状にたいする慨嘆」か、何か名状しがたいような物の鬱憤がある。」という少々気取ったような科白は、それでもたぶんたいてい事実に叶っていたであろう。
また私の「そういう鬱憤は、いつどんな小さなことでも契機にして爆発するかもしれないのですよ。」といういくらか示威的な言いぐさも、たぶん多かれ少なかれ事実に叶っていたであろう。

しかしそういう鬱憤は、何者かの「マルクス主義的策動」ないし「左翼的アジ・プロ」類による組織的・団体的・連帯的爆発への具体的可能性を概して持っていなかった。

生徒主事が言ったようにたしかに「その後(1931、2年以後)時代は大きく変換し」ていた。
そういう鬱憤が孕んでいたのは、むしろ主としてそれがたまたま個人的・孤立的・亜流ラスコーリニコフ的異常行為へ爆発することの具体的可能性であった。
如上の状況一般と、たとえば当時ある人文主義的思想家(谷川徹三)が青年学生(の教養問題)に関して「ニヒリズムの無関心」、「デカダンスの痙攣」などの語句をも用いつつ書いた一批評文章中の次ぎの部分などとは、内容上おおかたたがいに見合っていたのである。

新しい文化の可能が指示されている。新しい文化理想が掲げられている。そこから在来の個人主義的教養が蔑視せられるのである。さういふ意志と情熱とに生きる者にとっては教養は有閑的な社交的装飾的なものと考へられるのである。
それは生活の必需品ではない。食べられない人が沢山いる時そんなことは問題ではない。

フランス革命の当時、展覧会出品の絵を前に一市民が、それらの作品の「革命の偉大な原理を十分に表現していないことを遺憾とし」更に「彼らの兄弟達が祖国のために血を流しているその時に彫刻に従事しているとは一体何といふ人達であらう!」と嘆いたことをかつてプレハーノフの本で読んだがさういふ感情である。
そこからしてまた当時の一愛国者は、最もよい画家は国境に於いて自由のために戦っている市民達であることを熱心に証明しようとしたといふが、この感情が文化否定となり教養否定となるのである。
数年前われわれの国の若い人達の間にもこの感情を私は見た。

今日(1936年)も尚ほかういふ感情はどこかに何かの形で生きているのであらう。
従って若い人達に教養がないといふ場合には、彼らに教養への意志がない場合のあることを知らねばならない。
彼らは、できないのではない、しないのである。他の情熱と意志によって教養への意志を塞がれているのである。
最近あらためて教養の問題が取上げられているのはそれに対する反動であらう。
歴史的事実としてもフランス革命やロシア革命の直後に於ける文化否定的言動はやがて訂正された。
さういふ大きな情熱と意志とによって教養への意志が塞がれることさへ必ずしも正しくないとすれば、さういふ大きな情熱と意志とのない教養蔑視は一層正しくないであらう。
現代の青年達の示している虚無的な感情には、青年の理想家的情熱の凡て塞がれている鬱屈から由来したものがあるにしても、その表れ方に人々は好意を示さないのである。
それをもってわれわれの国にヒューマニズムの堅い地盤の欠如しているためと考へている者がある。
私もまたそれに賛する者であるが、この見地からすれば今日あらためて教養の意義が説かれなければならない。

20151214 想像・創造と想起および文体について・・

A「これまでに作成した対話形式のブログの大半は大体2000字以上になりますけれども、このくらいで適当なのでしょうかね?」

B「うーん、君のブログを読んでいて特に疲れるとか、面倒という程でもないので、そのくらいで良いのではないかなあ・・。」



A「はあ、そうですか。
あと、それに加えてこれまでに投稿した対話形式のブログとは、何といいますか、まだ自分自身の文体になっていない様な感じがするのですが・・?」


B「自分の文体ですか・・しかし、そもそも自分の文体とはそんなカチッとしたものがあるのでしょうかね?
私も一応これまでに色々と書いてきましたけれども、それでも果たして自分の文体とはどういったものであるかは特に意識はしていないと思います。
しかし、とはいうものの、どこかで自分の文章を見かけたら、これは自分の書いたものであると分かるとも思いますけれどね・・。」


A「はあ、そのようなものですか・・。
そういえば私の一連の対話形式のブログは、言文一致に近いものを意識して書いているのですが、この言語の層みたいな状態で色々と考え、想起してみますと、文章が比較的スムーズに湧いてくるような感じがします。
ですから、はじめに大まかにテーマを決め、そしてそこから、どの様な会話が展開されるかを想像することにより、記憶が刺激され、想起がはじまり、それに合わせて文章が作成されてゆくのではないかと思います。
そうしますと、はじめのテーマ決めの段階で、自分があまり経験したことのない事柄を選びますと、その後の想像と想起の結節により生じた流れ、勢いが弱くなってしまい、文章の作成が困難になってくるのではないでしょうか?
一方、この想像と想起の結節により生じた流れ、勢いが強ければ2000字程度は割合容易に書けるような感じもします。
また、はじめのテーマ決めの段階で、それまであまり書こうと思わなかった分野のことを考えてみると、案外良い文章の鉱脈?が見つかることもあるのではないかとも最近思うようになりました。
もっとも、こうしたことには何かしら、きっかけみたいなものが必要ではないかと思います。
それは外部の状況、あるいは自身の内部から生じるのでしょうが、それらは必然であるのか、偶然であるのかはよくわかりません。
そして、こうしたことは他のことにおいても同様であり、自分が強い影響を受けた著作の殆どは、大体立ち読みをしていて偶然手に取ったものであり、あるいは、このブログをはじめたきっかけもほぼ同時期に複数の方々から勧められたからです。
しかし、こういったことは、ただ受動的に待っているだけではどうやらダメなようでして、何かしら能動的な活動を続けることにより「バタフライ効果」あるいは「風が吹けば桶屋がもうかる」といった具合に何かが生じたり、そういったことを感知できるようになるのではないかと思います。
それ故「機が熟す」という言葉には、意外と深い意味があるのではないかと思うようにもなりました。」


B「・・・なるほどねえ。
また少しAさんの熱弁に呑まれてしまいそうになりました・・(笑)。
しかし、たしかにいわれてみるとイマジネーションの想像と想起の結節によりクリエーションの創造がはじまるという意見はなかなか面白いと思います。
これを言い換えると、イマジネーションの想像とは、知覚を与えられていないものを思い描くことであり、想起とは、知覚が得られているものを記憶から思い起こすことですよね。
そしてこの二つが合成されたところで創造がはじまるということでしょう。
そうすると、何だか弁証法の止揚(アウフヘーベン)だとか西田哲学の絶対矛盾的自己同一の概念を想起させますね・・(笑)。」


A「・・はあ、どうもありがとうございます。
ともあれ、センスの良いクリエーションの創造を行うためにはやはり、想像と想起の双方が必要なのではないかと思います。
一般的にはクリエーションの創造とはイマジネーションの想像だけで出来るのではないかと思われますが、実はそれは違うのではないかと思います。
私がこのように思うに至った主要なきっかけとは、幼い頃から好んで読んでおりました歴史小説から得られた感覚によるものなのです。
たとえば司馬遼太郎は、その著作を書く際に膨大な資料をあたるという話は割合有名です。
そしてそれら資料より得られた詳細な歴史的事実を基に物語、小説を書き進めるわけなのですが、その中での作中人物の会話などは概ねイマジネーションの想像であると思うのですが、同時にそれは歴史的事実を知覚した上で、その流れに沿う形で為されるものです。
そしてそれらはクリエーションの創造といっても良いものなのではないかと思います。
それにより、同一の歴史的出来事を扱った幾つかの著作、小説を読んだ場合、描かれる登場人物の人物像、性格あるいはそこから派生する会話などは微妙に異なりながらも、概ね同一の歴史の流れを辿って行くことが理解できます。
そして、そこで得られた解釈、感覚を統合することにより歴史への理解が深まってゆくのではないでしょうか?
一方、こういった歴史的事実を基軸とした小説とは、あくまでも、その著者の解釈した歴史像であり、本当の歴史ではないとする考えも根強くあります。
では、そうしますと歴史を理解するとは、一体どういうことなのでしょうか?
出来事、年号などを暗記することも大事であるとは思いますが、それよりも歴史の流れを活き活きと想起出来るということの方が重要なのではないかと思います・・。
そうすることにより、主体が自身の人生にて経験する様々な規模の出来事を歴史上の出来事と重ね合わせて考えることが出来るようになるのではないかと思います。
また、我々日本人はこういったことを何故だかよくわかりませんが、あまり好まない様な傾向があるのではないかと思います・・。
言い換えると、様々な出来事の歴史的な意味での普遍化を避けるような傾向があるのではないかということです。
そしてそれは、我々日本人のクリエーションの方の創造性、あるいはその知覚できる視野の範囲に対して何かしらの影響を与えているのではないかとも思います・・。」


B「ふーん、なるほどねえ・・。
歴史小説はたしかに私もよく読むけれども、それで私が想起するのはロバート・グレイヴスの「この私クラウディウス」に出てくる古代ローマ帝国の軍団兵などに関するリアルな描写ですね。
そしてそれは同じ著者の第一次世界大戦での従軍記録でもある「さらば古きものよ」と、かなり共通する基盤があるのではないかと思います・・。
あのような秀逸な描写が出来るということは、著者が実際経験した記憶に基づき、文献資料などによる知識を加味して物語を創造しているということなのだろうね・・。
そして、それが少なくとも歴史を扱ったものである場合は、やはり君のいう通りイマジネーションの想像ばかりではどうも難しいのかもしれないね・・。」


A「はあ、どうもありがとうございます・・。
そうしますと、記憶された経験に加え、それを想起する力、そしてそれを的確に表現できるということが大事なのでしょうかね?」


B「うん、それだけではないと思うけれども、まあ、とりあえずはそうだろうねえ・・。」

加藤周一著「日本人とは何か」講談社刊p.197より抜粋

『思想は体験から出発するものである。

体験が変らなければ、思想が変るということは決してない。
その意味で思想は輸入できないものだ。
たとえば「押しつけられた」民主主義思想などというものはない。
それは日本にないか、あるとすれば「押し付けられた」のではなく日本の土から生まれたのである。
本来の思想が日本の土に、生活とその体験に、超越するのも、それが日本の土に生まれたからである。
その他に思想上の節操ということの意味もないだろう。』


  

2015年12月12日土曜日

20151211 マンガ・映画と神話・古典について・・

A「どうです、最近何か面白い本や映画を見つけましたか?」


B「そうですね、書籍に関してはここ最近はずっとこれまである本を読み直すことが多いですが、先日用事があって行った神保町の書店で何か面白そうな本がないか色々と見ていましたら数学者で哲学者のラッセルの生涯を扱ったマンガがありましたが、これはかなり面白そうでした。
機会がありましたら是非購入したいなと思いましたね(笑)。
しかし、それで思い出すのは以前、そのラッセル著の「西洋哲学史」全三巻を読破できずに現在本箱の奥にあることですね・・。
あれはたしか6年前のことですが、また機会がを見つけてこれを精読、読破したいです。
また、映画に関しては、これも特にここ最近は観ていませんが、観てみたいのは「ワーテルロー」という映画ですね・・。
あの当時の大規模なロケを行った映画の迫力は現在のCGを多用したものとは大きく違うと思います・・。
こうした意見は今となっては時代遅れなのでしょうか?」


A「ラッセルの著作はたしかに面白いのが多いですからね。
しかしBさんがマンガを話題に出すのはなかなか珍しいですね、購入されたら是非読ませてください。
あと、映画に関しての御意見は私も大体同じですね。
私も本当の戦争は大嫌いですけれど、若い頃に観た面白い戦争映画はまた機会を作りゆっくりと観てみたいと思うことがあります。
私の場合はそうですね「空軍大戦略」やドイツ映画の「Uボート」などはまた観てみたいですね・・。
しかし君がさきほど云った「ワーテルロー」は、ちょっとマニアックですね(笑)。
もちろん私も以前観ましたけれど・・。
ちなみに私はあれを見るとどうもそこから40年後の世界を舞台にした「遥かなる戦場」を思い出してしまいますね。」


B「・・お言葉を返すようですが、私などはAさんに比べましたら、まだまだそういった映画等の趣味に関しては青二才であると思いますが・・(笑)。
それでも「Uボート」は私も今Aさんからお聞きして思い出しましたが、その後のハリウッド映画「U-571」の出現で少し人気が後退した様に見えましたがストーリーの重厚さなど全体的には「Uボート」の方が勝っているのではないかと思います。
また、あのストーリーはホメロスの「オデュッセイア」に通じる様なものがあるのではないかと思います・・。
ちなみに同じ監督が後年「オデュッセイア」の前の物語である「イーリアス」を映画化した作品を制作していることは何だか少し面白いですね・・。」


A「・・なるほど、それは面白い意見ですね。
私も「オデュッセイア」、「イーリアス」は以前読みましたが、確かにそういわれてみるとそうかもしれませんね・・。
ところで、ああいう物語は日本でいうところの記紀や平家物語、太平記などに相当するのですかね?」


B「ええ、多分その様な感じであると思います。
しかし背景の時代が大きく異なりますが・・。
ともあれ半分神話といってもいいそれらの舞台が、実際の遺跡として発見されたことは、発掘された当時としては画期的なことであったのではないかと思います。
その意味で、そういった古代の神話などは単なる物語やロマンではなく、何かしらの史実の痕跡を示すものが多いのではないかとも思います。
そしてこそれは我が国の記紀についても云えることであり、神武東征の際に九州を出発し瀬戸内海を通り大阪での在地の酋長勢力との戦にて受けた傷がもとで亡くなった神武天皇の兄である五瀬命が紀伊に葬られたと記されていますが、これは竈山神社として和歌山市に現存しています。
もっとも、これは記紀の記録に合わせて造営されたものであるのかもしれませんが、ともあれ同時にそうした遺跡は他にもありますので、少なくとも神武東征とは全く架空の物語でもないのではないかと私は思います。」


A「うーん、たしかに神武東征などは記紀における「オデュッセイア」に相当するものなのかもしれません・・。
また、戦前はそういった記紀の神話を題材にした絵画なども割合多く描かれたから、それらはもしかしたら欧米において多く存在する聖書物語あるいは「イーリアス」、「オデュッセイア」などの場面を題材とした絵画に触発され描かれたのかもしれないね。」


B「いわれてみますとたしかにそうですね。
そういった神話の場面を絵画として描き可視化する行為とは、その国の持つ神話文化を明晰化する意味があるのかもしれませんね・・なるほどです。
そして、そう考えますと、ある国が持つ絵画文化の発達とは、その普遍的題材となり得る神話などといった物語の存在が案外重要なのかもしれません・・。
またそれは丁度、音声言語と文字言語の様な関係であるのかもしれませんね。
その様に考えますと、現在我が国で盛んなマンガ文化とは一体どの様な系譜に立つものなのでしょうか?」


A「我が国のマンガ文化の系譜ですか・・。
その直接的な起源とは江戸時代の浮世絵なのでしょうか?
しかしそれ以前についてはどうも思いつきません・・。」