pp.96‐98より抜粋
ISBN-10 : 4163680608
ISBN-13 : 978-4163680606
西暦紀元前後、アレキサンドリアがヘレニズム学芸の中心地だったころ、この地の図書館は万巻の書を集め、世界の知を結集していたとされる。しかし、7世紀にイスラーム教徒の軍勢がアレキサンドリアを征服した時には、すでに図書館は荒廃してしまっていた。
この古代図書館の理念に倣って大図書館を建設し、世界の知を集積するというプロジェクトをエジプト政府が立ち上げ、ユネスコの後援を得て資金が集まった。完成した建物の主要部分は、ちょうどオレンジを八つ切りにして横たえたような形をしている。その「切り口」がガラス張りになっていて、地中海の陽光がいっぱいに差し込んでくる。
ヘレニズム学芸の遺産の共有を通じて「西洋に開かれたエジプト文化」をあらわそうとしているのだろう。自らの文化をどう定義し、いかに世界に効果的に示せるか、という問題はテロリズムとの関連で疑念を持たれるアラブ諸国にとって死活問題である。
式典にはフランスのシラク大統領をはじめ、スペイン国王夫妻やギリシア、レバノンの大統領など、豪華な来賓が集まった。日本もユネスコを通じてこのプロジェクトに大きく貢献しているのだが、存在感は薄い。シラク大統領が自ら出向いたフランスはすっかり主役である。
シラクはその足でベイルートに赴き、18日から開かれた「フランス語圏機構」のサミットに出席した。モロッコ、レバノン、エジプトなどアラブ諸国もこの機構に加盟している。今回はイラク問題やパレスチナ問題などの議題に関心が集中し、シラクはアラブ寄りの姿勢を示して大いに点数を稼ぎつつ、言質は取られずに帰った。
フランス語・文化の影響というのはかつての植民地支配を意味するのだが、それすらもしたたかに外交の手段にしてしまう。このような「文化の政治」において、日本はいかにも発信力が弱い。
今年のエジプトではもう一つ大きな式典があった。革命の五十周年である。一九五二年七月二十三日、青年将校の一団が決起した。後に大統領となるナセルやサダトを含め、この時の指導者の多くは一九一八年に生まれている。士官学校に平民の入学がゆるされるようになった一期生である。この世代が政界を牛耳り続け、世代交代の制度を築けなかったことが、五十年後に制度疲労となって重くのしかかっている。
興味深いことに日本では田中角栄と中曽根康弘がこの一九一八年の生まれである。一歳年下になると宮沢喜一がいる。破竹の急出世を遂げた田中角栄にしても首相となるのは七二年である。すでにその二年前、ナセルは心臓発作で亡くなっていた。ナセルを継いだサダトは八一年に暗殺される。中曽根の首相就任はその翌年である。宮沢になると九一年になってやっと首相の座をつかんだが、五五年体制に幕を引くという役回りを負わされた。
若くして権力を握るには無理をしなければならず、機が熟すのを待って念願かなったころには盛りを過ぎている、という傾向が日本の政治の世界にはあるようだ。エジプトの場合は全く逆で、極めて若いうちに武力で権力を奪取し、死ぬまでその地位から立ち退かない。どちらが良いとも言えないだろう。
日本の場合は、政治力と教養を兼ね備えた政治家が早期に首相を経験し、退任後を国際機関の長のような役目を務めて過ごすというライフコースが存在しない。このことが、文化をめぐる国際政治の舞台で、存在感を示せない一因になっているのではないか。
ISBN-13 : 978-4163680606
西暦紀元前後、アレキサンドリアがヘレニズム学芸の中心地だったころ、この地の図書館は万巻の書を集め、世界の知を結集していたとされる。しかし、7世紀にイスラーム教徒の軍勢がアレキサンドリアを征服した時には、すでに図書館は荒廃してしまっていた。
この古代図書館の理念に倣って大図書館を建設し、世界の知を集積するというプロジェクトをエジプト政府が立ち上げ、ユネスコの後援を得て資金が集まった。完成した建物の主要部分は、ちょうどオレンジを八つ切りにして横たえたような形をしている。その「切り口」がガラス張りになっていて、地中海の陽光がいっぱいに差し込んでくる。
ヘレニズム学芸の遺産の共有を通じて「西洋に開かれたエジプト文化」をあらわそうとしているのだろう。自らの文化をどう定義し、いかに世界に効果的に示せるか、という問題はテロリズムとの関連で疑念を持たれるアラブ諸国にとって死活問題である。
式典にはフランスのシラク大統領をはじめ、スペイン国王夫妻やギリシア、レバノンの大統領など、豪華な来賓が集まった。日本もユネスコを通じてこのプロジェクトに大きく貢献しているのだが、存在感は薄い。シラク大統領が自ら出向いたフランスはすっかり主役である。
シラクはその足でベイルートに赴き、18日から開かれた「フランス語圏機構」のサミットに出席した。モロッコ、レバノン、エジプトなどアラブ諸国もこの機構に加盟している。今回はイラク問題やパレスチナ問題などの議題に関心が集中し、シラクはアラブ寄りの姿勢を示して大いに点数を稼ぎつつ、言質は取られずに帰った。
フランス語・文化の影響というのはかつての植民地支配を意味するのだが、それすらもしたたかに外交の手段にしてしまう。このような「文化の政治」において、日本はいかにも発信力が弱い。
今年のエジプトではもう一つ大きな式典があった。革命の五十周年である。一九五二年七月二十三日、青年将校の一団が決起した。後に大統領となるナセルやサダトを含め、この時の指導者の多くは一九一八年に生まれている。士官学校に平民の入学がゆるされるようになった一期生である。この世代が政界を牛耳り続け、世代交代の制度を築けなかったことが、五十年後に制度疲労となって重くのしかかっている。
興味深いことに日本では田中角栄と中曽根康弘がこの一九一八年の生まれである。一歳年下になると宮沢喜一がいる。破竹の急出世を遂げた田中角栄にしても首相となるのは七二年である。すでにその二年前、ナセルは心臓発作で亡くなっていた。ナセルを継いだサダトは八一年に暗殺される。中曽根の首相就任はその翌年である。宮沢になると九一年になってやっと首相の座をつかんだが、五五年体制に幕を引くという役回りを負わされた。
若くして権力を握るには無理をしなければならず、機が熟すのを待って念願かなったころには盛りを過ぎている、という傾向が日本の政治の世界にはあるようだ。エジプトの場合は全く逆で、極めて若いうちに武力で権力を奪取し、死ぬまでその地位から立ち退かない。どちらが良いとも言えないだろう。
日本の場合は、政治力と教養を兼ね備えた政治家が早期に首相を経験し、退任後を国際機関の長のような役目を務めて過ごすというライフコースが存在しない。このことが、文化をめぐる国際政治の舞台で、存在感を示せない一因になっているのではないか。
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