2015年9月22日火曜日

加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子著 「日本文化のかくれた形」 岩波現代文庫刊 pp.31-37より抜粋


超越的価値に束縛されない文化は、どこへ向うのでしょうか。
そこでは宗教戦争が起きにくい。また社会の現状を否定するためには、現状から独立した価値が必要であり、そういう価値のないところでは、「ユートピア」思想が現れないでしょう。
「ユートピア」思想を支えとする革命も起こらない。個人的な行動様式としては、それとして自覚されない便宜主義(opportunism)・大勢順応主義―しばしば「現実主義」と呼ばれる態度―が、典型的になる。
芸術的な表現についてみれば、全体の秩序よりも、部分の感覚的洗練が強調されることになるでしょう。個別的・具体的状況に美的価値も超越しない。細部から離れて全体を秩序づける原理がない。
この部分強調主義の典型的な例は、たとえば平安朝の仮名物語と、十七世紀初めの大名屋敷の平面図だろうと思います。平安朝物語の話全体の構造ははっきりしない。始めがあり、終わりがあって建築的にできているものではない。たとえば「宇津保物語」は、ほとんど、短編をたくさん積み重ねて行くうちに、おのずから全体になった、という形のものです。こういう長い小説に、一人の人間が子供の時から次第に大きくなって、多くのことを経験して遂に死ぬまで、というような整った形がないわけです。それぞれ独立性の強い章が並列されて、まとめてみると、非常に長い物語になっている。
これは明らかに、部分の方がまずあって全体に辿り着いたので、全体がまずあって部分を書き込んでいったというものではありません。
徳川初期の大名屋敷の平面図は―左右対称でないばかりか、途方もなく複雑です。これも明らかに、まず建物全体の空間の形を考え、その空間を細分して部屋を作ったのではなく、まず部屋から作り出して、作りやめたときに、初めには想像もしなかった全体の形ができあがっていた、ということに違いない。これは要するに、建て増し精神です。普通我々が建て増すのは、一度に建てるお金がなかったからですが、大名屋敷の方は、おそらく金の問題ではない。
むしろ空間の部分と全体との関係について、基本的な一種の見方、一種の哲学を反映しているのだろう、と思います。その哲学は、部分から出発して、おのずから全体に至るというものです。たくさんの部屋が続き全体になる。部屋を作るのにくたびれた時に終わる。どこで終わるか初めから計画していたわけではない。徳川初期の大名屋敷の平面図は、いくつも残っていますから、こういう特徴は一般化して考えることができる。それが部分尊重主義で、日本の芸術の一つの特徴、さらに進んで、空間に対する日本人の考え方の特徴だと思います。
この様な空間の概念と並行関係にあるのが、「現在」の並列的な継起として表象される時間の概念です。部屋から部屋へ続けていったものが屋敷で、今日・現在からもう一つの今日・現在へ続いてゆくものが、歴史的時間です。その意味での、現在主義。そこには始めがなく、終わりがない。神話の水準でいえば、創世記神話と終末論を欠くのです。反論したい方は、「古事記」に創世記があるじゃないか、とおっしゃるでしょう。しかしあれは、外国の直接の影響のもとに書かれたものです。中国・朝鮮は創世記の話を持っているんで、日本も対抗上作らなきゃいけないと考えて作ったので、日本土着の基本的な時間の見方とは、あまり深く係っていないでしょう。
日本では、いつ始まるともなく歴史が始まり、いつまでということはなく、ただどこまでも現在が続いてゆく。そういうのが、私の言うところの「現在主義」です。(中略) このような時間の概念をよく反映しているのは、またおそらく十二世紀頃から十三世紀・十四世紀にかけて、さかんに作られた絵巻物です。絵巻物は、細長いものを丸めてあって、展覧会では、一部しか見られない。絵巻物の全体を一緒に見ることはそもそも不可能です。むやみに長いから、ある部分を見ていると、別の部分は遠くなって見えません。
これは本来、自分の前に置いて、右から少しずつ展げて見てゆく。見てしまった所は、巻いてしまう。これから見るところ、まだ展げてないから、見えない。物語は時間の経過と共に進み、挿絵もその順序を追うわけで、絵巻物を見る人は、話の前後から切り離して、絶えず現在の場面だけを見るということになります。現在の状況を理解、あるいは評価するために、前の事情も、後の発展も、基本的には必要ない。そういうことは、ヨーロッパの中世の「プリミティブ」と対照的です。
そこではキリストの受難という時間的に長い経過の出来事を、一枚の絵に描いている。そういう時間経過の空間的表現は、日本にはあまりない。日本では絵巻物の方が典型的です。現在だけが、問題だということになるでしょう。その現在は、いわば予測を超えて、次々に出現する。突如として、何かが出て来る。またその次の何かが出て来る前に、あまりぐずぐずしないで速くそれに反応する必要がある。絵巻物の世界は、予測しがたい状況の変化への、速い反応の連続だ、という風に考えることができます。
状況が変化するのは、絵巻物の世界だけでなく、現実の世界でもそうです。日本では、状況は「変える」ものではなく、「変る」ものです。そこで予想することの出来ない変化に対し、つまり突然あらわれた現在の状況に対し、素早く反応する技術―心理的な技術が発達する。実はそのことが、絵巻物における時間観念に、集約的に反映していたと考えられます。また、そのことの反映は、絵巻物に限らない。たとえば、今日の日本の外交みたいなものです。
第二次大戦後の日本の外交で、非常に大きな問題の一つは、あきらかに中国との関係をどう調整するかということだった。しかし、日本政府は、米国の中国封じ込め政策に同調し、北京政府の承認を全く考えていなかった。
つまり将来の状況を予測せず、現状をそのまま認めていたのです。ところが突然一九七二年の春に、ニクソン政府の中国接近が始まると、その後、半年経つか経たぬうちに、もう田中首相が北京政府を承認していました。中国封じ込め政策の状況を変えたのは、米国で、日本ではない。日本側は他力によって変化した状況に敏捷に反応したのです。
これは、まさに座頭市外交と称ぶのにふさわしい。座頭市の目はみえないから、敵の近づくのが分からない。しかし仕込み杖の届く範囲まで相手が来たときには、非常に速く反応する座頭市と日本外務省の行動様式は、根本的に似ています。「ニクソン・ショック」の次が「石油ショック」。むやみに「ショック」が多いのは、先の見通しが全くついていないということと同じです。ただし「ショック」の後の反応は速くて、適切です。鎌倉時代の美術から、今日の外交まで、日本文化の「現在主義」は生きています。






0 件のコメント:

コメントを投稿