とはいえ、上述の「半ば忘れていた記事」が(何故か)閲覧されていることは、本日以外にも度々ありましたが、本日に関しては、その「半ば」が無い方がより適切と云える記事が読んで頂けていたことから、また少し新鮮に、こうした感覚を抱くのだと云えます。そして、そうした記事を具体的に示すことも検討しましたが、そうした記事を提示して、それが閲覧された理由などを考えることは、私としては多少面白いかもしれませんが、その過程をいくらかは興味を惹くようなカタチにて文章化が可能であるかと考えたところ、困難と思われたことから、これは実行せずに、その代替として先日ツイートした「こちらはまた手を加えて、新たな記事にしたいと」を実行しようと思います。
さて、国内であれ世界規模であっても、それまで慣れ親しんだ地域や場所から離れて他所に移り住み、そこでしばらく暮らしていますと、その地域や場所に住む人びとの顔貌や身体での特徴的な、ある種のパターン、もしくは傾向のようなものが認められるようになるのではないかと思われます。
そして、現在のように各種交通網が発達していなかった、つい200年ほど以前の社会においては、当然の如く、人びとの移動も現在と比較すると乏しく、そこから、より一層そうした地域にて特有の顔貌や身体的特徴のパターンや傾向を、強く認識することが出来たのではのではないかと思われます。
また、そのような認識の延長にあるものが、古語で大和朝廷側でない、いわば列島内東部での蛮族を示すコトバとしての毛人、蝦夷(えみし)といったものであると思われます。こうしたコトバは古語らしく直截的にその身体的特徴(毛が多い、エビのよう)を述べていると云えます。
そして、それら地域には、そうした身体的特徴が系譜のように、今なお続いているのではないかと思われますが、そこに、さきのパターンや傾向を関連付けることにより、ある方面からの、その地域の歴史の流れのようなものを認識することも可能であるように思われます。
しかしながら現代に至っては、人の往来も過去の時代と比較すると(概ね)活発であると云え、そこから、古来からの地域特有の身体的特徴なども認識し難い状況になっていると云えます。
自分の記憶から、あらためて、こうしたことを思い出そうとしますと、関西、九州、四国の何れであっても、それら地域の身体的特徴を真似することは困難であることから、地元の所作、コトバ使いなどをはじめとする、文化全般を真似ようと試みましたが、関東人によるそうした試みは、九州以外ではあまり歓迎されるものではなく、さらに、こちらもなかなか表面的な同化が出来ないことに苛立ち、次第に開き直り、そして、自前の人工的とも云える関東弁にて押し通すようになりました。
さらに、その結果として、それぞれ在住していた地域において、自分を「異邦人」であると強く認識するようになり、そして、それら在住する地域を殊更に客体化して見る姿勢が身に着いてしまったのではないかとも思われるのです・・。
しかし、このいわば自然に覚えてしまった習癖、あるいは視座のようなものは、出身地に戻ってからは、今度は、自分の出身地に対して向けられるようになっていましたが、私見としては、この経験が思いのほかに重要であったのではないかと、最近になっては思われるところです。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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