一週間ほど記事作成を休んでおりましたが、特に大きな変化は生じなかったように思えます。
ただ、少し睡眠時間が増えたことからか、心持ち身体が楽になったようにも感じました。
とはいえ、その一方、やはり2年近く記事作成を継続していますと、習慣化するようであり、記事作成をしない日々とは、多少何かが抜け落ちたようにも感じられるのです・・(苦笑)。
それ故、本来はもう少し長く休息期間を設けるつもりではありましたが、昨日より再び記事作成を始めた次第です・・(苦笑)。
さて、そういえば、先日不図思ったことですが、我が国においては社会が混乱の時期に差し掛かると女性が男装、また男性が女装するような傾向が強くなるのではないでしょうか・・?
また、同時に、我が国は、他国より物真似が巧みであるとの評価を受けることが多いようですが、あるいはその基層にあるものとは、こうした傾向ではないかとも思われます・・。
つまり、我が国において、他国の物真似をしなければならない時期とは、どちらかというと混乱している時期が多いと思われますので、それが、さきに述べた女性の男装、男性の女装が為される時期とも同調し易いのかもしれません・・。
しかし、私見となりますが、それらさまざまな真似の中で、性倒錯を基調とした文化とは、後世の日常文化、社会に影響を与えることは少なく、ただ非日常ともいえる演劇文化などの中で生きながらえ、後世に伝えられているのではないでしょうか・・?
また、こうしたことは、おそらく既に研究されてはいるのでしょうが、我が国の特徴の一側面を知る上において、なかなか面白く、興味深い視点であると考えます・・。
具体的なそれらとは、弥生時代の戦の先頭に立つ巫女、素戔嗚の八岐大蛇退治、日本武尊の熊襲征伐、とりかへばや物語、白拍子、女歌舞伎、歌舞伎、ええじゃないか、宝塚歌劇団、リボンの騎士、ベルサイユのばら、などが挙げられます。
そして、感覚的ではありますが、おそらく、我が国における、性倒錯を基調とした文化全般とは、どちらかというと、東北アジアに起源があるものではなく、東南アジアなどの南方に起源があるのではないかと思われます。
その理由を象徴的あるいは物理的に表現しますと、アジア北方地域においては、その気候風土の寒冷さが性差を溶解、混淆に至らしめることを許さなかったのではないかとなりますが、このことに関しても更なる精査が必要であり、我が国における性倒錯を基調とした文化の流行とは、あるいは地球規模での平均気温の変化などとも関連があるのかもしれません・・(笑)。
とはいえ、たとえそうであっても、その流行の背後に、一体如何なる集団心理、集合的無意識が作用しているのかとは、なかなか面白いのことではないかと思われるのですが・・如何でしょうか?
今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
昨2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
2017年5月15日月曜日
20170514 青銅の使用と都市国家の成立年代の結節点【車軸受け?】
以前投稿したブログ記事において青銅の使用と都市国家の成立とは、その関連性はよく分からないものの、概ね同じ時代であると書きました。
そのことで、さきほど不図思い出したことは、それらの具体的な結節点とは、戦闘用馬車(Chariot)の発明、進化であると、どこかに書かれていたということです。
つまり、金属の精錬、冶金技術の進化発展により、戦闘用馬車の『車軸受け』に金属である青銅を用いることが可能となることにより、その活動範囲ひいては支配可能領域が拡大し、それまでの小規模であった村邑国家的なものから、より大規模な都市国家が成立し得るということですが、これには一理あるように思われます・・。
ともあれ、こうした技術の進化発展に伴う社会構造の変化とは、この他にも古代から現在に至るまで、多く見受けられますので、特段珍しいことではないと云えます・・。
しかし、ここで面白いと思われることは、青銅の道具としての使用の『方向性』の仮説です。
そして、そのことを敢えて他の方向性にて考えてみますと、はじめに青銅を用いた『武器』を広く装備する国家が成立すれば、他のそうでない周辺国家を屈服することが容易となり、そのことから、より大規模な都市国家が成立し得るとも考えられるのかもしれませんが、この仮説においては人間の活動可能範囲に対する言及がないのです・・。
たとえ、手に持つ武器がいくら優れていたとしても、それを用いるのはあくまでも生身の人間であり、そのことによって活動可能範囲がより広くなると考えることは困難です。
むしろ、武器を持つ人間の活動可能範囲がより広くなる戦闘用馬車あるいは戦闘と直接には関与しない物資、交易品などを運ぶ馬車の『車軸受け』への青銅の使用こそが、都市国家成立の年代との関係性を説明するうえにおいては、より効果的【史実を的確に表現している】であるものと考えられるのです・・。
また、こうした遺跡、遺物から推論される、当時のさまざまな社会における状況を統合し、説明する際のセンスというものが、こういったところに表れ、また、一面において歴史を学ぶ、知る面白さとは、こうしたところにも存するのではないかとも思われるのです・・(笑)。
とはいえ、さきの仮説とは、あくまでも古代ユーラシア大陸でのハナシであり、我が国においては青銅、鉄ともに、あまり時間差なく齎されたと考えられていることから、さきの『車軸受け』の仮説を応用し、社会構造の変化を説明することが困難であるとされているようです・・。
そもそも我が国古代社会においては戦闘用馬車の存在すら、かなり珍しかった(ほぼ皆無に近い)のではないかと考えられておりますので・・。
それは国土の平地が概して狭小であり、山あいの地形であるからかもしれませんが、しかしまた今度は、そうした地域において見受けられる金属使用の方向性、そして社会構造変化の特性といったものもまた、存在するのではないかと思われるのです・・。
そして、その意味においても、以前投稿のブログ記事に書いた中国南部および東南アジアにおける銅鼓と西日本各地に多く出土する銅鐸の関係性、さらにはそれら地域を包括する生活文化としての水稲耕作、そして照葉樹林文化といった文化概念が見直されるのではないかと思われるのですが・・。
今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
そのことで、さきほど不図思い出したことは、それらの具体的な結節点とは、戦闘用馬車(Chariot)の発明、進化であると、どこかに書かれていたということです。
つまり、金属の精錬、冶金技術の進化発展により、戦闘用馬車の『車軸受け』に金属である青銅を用いることが可能となることにより、その活動範囲ひいては支配可能領域が拡大し、それまでの小規模であった村邑国家的なものから、より大規模な都市国家が成立し得るということですが、これには一理あるように思われます・・。
ともあれ、こうした技術の進化発展に伴う社会構造の変化とは、この他にも古代から現在に至るまで、多く見受けられますので、特段珍しいことではないと云えます・・。
しかし、ここで面白いと思われることは、青銅の道具としての使用の『方向性』の仮説です。
そして、そのことを敢えて他の方向性にて考えてみますと、はじめに青銅を用いた『武器』を広く装備する国家が成立すれば、他のそうでない周辺国家を屈服することが容易となり、そのことから、より大規模な都市国家が成立し得るとも考えられるのかもしれませんが、この仮説においては人間の活動可能範囲に対する言及がないのです・・。
たとえ、手に持つ武器がいくら優れていたとしても、それを用いるのはあくまでも生身の人間であり、そのことによって活動可能範囲がより広くなると考えることは困難です。
むしろ、武器を持つ人間の活動可能範囲がより広くなる戦闘用馬車あるいは戦闘と直接には関与しない物資、交易品などを運ぶ馬車の『車軸受け』への青銅の使用こそが、都市国家成立の年代との関係性を説明するうえにおいては、より効果的【史実を的確に表現している】であるものと考えられるのです・・。
また、こうした遺跡、遺物から推論される、当時のさまざまな社会における状況を統合し、説明する際のセンスというものが、こういったところに表れ、また、一面において歴史を学ぶ、知る面白さとは、こうしたところにも存するのではないかとも思われるのです・・(笑)。
とはいえ、さきの仮説とは、あくまでも古代ユーラシア大陸でのハナシであり、我が国においては青銅、鉄ともに、あまり時間差なく齎されたと考えられていることから、さきの『車軸受け』の仮説を応用し、社会構造の変化を説明することが困難であるとされているようです・・。
そもそも我が国古代社会においては戦闘用馬車の存在すら、かなり珍しかった(ほぼ皆無に近い)のではないかと考えられておりますので・・。
それは国土の平地が概して狭小であり、山あいの地形であるからかもしれませんが、しかしまた今度は、そうした地域において見受けられる金属使用の方向性、そして社会構造変化の特性といったものもまた、存在するのではないかと思われるのです・・。
そして、その意味においても、以前投稿のブログ記事に書いた中国南部および東南アジアにおける銅鼓と西日本各地に多く出土する銅鐸の関係性、さらにはそれら地域を包括する生活文化としての水稲耕作、そして照葉樹林文化といった文化概念が見直されるのではないかと思われるのですが・・。
今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
2017年5月9日火曜日
20170509 620記事到達に際し、意識的な休息期間【書籍からの抜粋引用あり】
昨日の記事投稿によって総投稿記事数が620に到達しました。
つい先日600記事に到達したばかりであったと記憶しておりますので、今回の620記事到達は意外に早かったものと思われます・・。
また、記事作成についても、特段困るということもなく、現在のところ進行しておりますが、その一方で、この辺りで一度、意識的にブログ記事作成を休んでみるというのも悪くないのではないかと考えはじめました・・。
これは感覚的なハナシではありますが、おそらく、今の段階にて、しばらく休息を入れても、再度記事作成を開始するにあたり、特に問題はないと思われるのです・・。
さらに、一度意識的に休息期間を設けることによって、新たに書き始める際において、また新たな着想も(より多く)湧くのではないかとも思われるのです・・。
そして、こうしたことは実際に行ってみないと分かりませんので、過日600記事に到達した後、特に問題なく記事作成を継続出来ることを自身にて見届けた現今、行ってみるのは悪くないものと考えます・・。
また、記事作成をしばらく休息するのであれば、特に予告なしに行えば良いのではないかとも思われましたが、一応このように書いておけば、これまで読んで頂いている方々も特に不審に思うことなく、それを納得することが出来ると思われますので、本日このように記事として書いている次第です・・。
加えて、こうした伝達事項をも一記事とすることにより、一つでも記事数を増やそうとする、いわば下心もまたあるのです・・(笑)。
さて、本日の主題に関しては、先日より書いてきた古の物についてのことに加え、これまで作成してきたブログ記事に共通して関連すると思われる書籍からの抜粋引用を充てようと思います・・。
中央公論社刊 中公クラシックス ベルクソン著『哲学的直観ほか』 pp.11-13
『単なる分析によるのではなくて、内部から直観によってわれわれのすべてがとらえられる実在が少なくとも一つは存在する。それは時間のうちを流れているわれわれ自身の人格であり、持続しているわれわれの自我である。
われわれは他の何ものとも知的に、あるいはむしろ精神的に共感しえないとしても、われわれ自身の自我とはたしかに共感する。
私自身の自我(しばらくこれを活動しないものと想像して)へ内省の目を向けた場合、まず認められるものは、表面に固まった殻さながらの、物質界から入ってくるいっさいの知覚である。
それらの知覚は明晰、判明で、並置されているが、あるいは並置できるものであり、それらは集まって物objectsになろうとする傾きをもっている。
ついで認められるものは、多少ともそれらの知覚に粘着して知覚を解釈するのに役立っている記憶である。
そうした記憶はいわば私自身の底から剥離され、それらと類似した知覚のため表面へ引き寄せられたものであり、絶対的な意味で私の自我であるのではなくて、自我の表面に憩うているものである。
最後に、それらの知覚や記憶と何ほどか固く結ばれている、いろいろな傾向や運動習慣のうごめきー潜在的行動の群れが感じ取れる。
明確な輪郭をもったそれらすべての要素は、互いに離れていて区別が分明なほど、はっきり私の自我から区別されたものとして見える。
それらの要素は内部から外部へ向かって放射し、集まって一つの球体の表面を形づくり、そして次第に大きさを増していくその球体は、ついに外部の世界のうちへ没していく、しかし周辺から内部の中心へ向かって引きこもっていき、私の存在の深みのうちでもっとも均一的、もっとも定常的、もっとも恒存的に私自身の自我であるものを探すならば、私はもあったく異なった面目をそこに見出すのである。
そこには明確に切り取られた結晶とその凝固した表皮の下に、かつて私が見たどういう流動とも比較の出来ない、一つの連続した流動がある。
それは状態と状態との継起であって、各状態は続く状態の先触れとなり先だつ状態を含んでいる。
本当を言えば、それらが多数の状態を形づくっているということは、それらを通過し終わってふたたびその通過した跡を眺めようとして私が立ち戻ったときに言えることなのである。
それらの状態を経験しつつある間は、それらは互いに緊密に有機的につながっており、一貫した深い共通の生命によって生かされているために、どこである状態が終わったのか、どこである状態が始まったのかを言うことはできなかったであろう。
真実を言えば、どの状態も、始まったのでも終わったのでもなく、あらゆる状態が互いのうちへ延び入りとけ込んでいるのである。
この内的な生は、巻糸が解けるのになぞらえても良いかもしれない。
なぜなら、およそ生物であってその役割が次第に終点に達しようとしていることを感じさせないものはないからである。
かくして、生きるということは老いゆくことである。
しかしそれはまた、間断なく糸巻へ糸が巻き付けられていくことにたとえられてもよいである。
なぜならわれわれの過去は、われわれの跡をつけてきて、その途上、現在を拾い上げてはたえず大きくなっていくからである。
それゆえ、意識とは記憶を意味している。』
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。明日よりしばらくの間記事作成を意識的に休みます。
再開の後はまた、どうぞよろしくお願いします。
昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺を襲った地震によって被害を被られた地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
つい先日600記事に到達したばかりであったと記憶しておりますので、今回の620記事到達は意外に早かったものと思われます・・。
また、記事作成についても、特段困るということもなく、現在のところ進行しておりますが、その一方で、この辺りで一度、意識的にブログ記事作成を休んでみるというのも悪くないのではないかと考えはじめました・・。
これは感覚的なハナシではありますが、おそらく、今の段階にて、しばらく休息を入れても、再度記事作成を開始するにあたり、特に問題はないと思われるのです・・。
さらに、一度意識的に休息期間を設けることによって、新たに書き始める際において、また新たな着想も(より多く)湧くのではないかとも思われるのです・・。
そして、こうしたことは実際に行ってみないと分かりませんので、過日600記事に到達した後、特に問題なく記事作成を継続出来ることを自身にて見届けた現今、行ってみるのは悪くないものと考えます・・。
また、記事作成をしばらく休息するのであれば、特に予告なしに行えば良いのではないかとも思われましたが、一応このように書いておけば、これまで読んで頂いている方々も特に不審に思うことなく、それを納得することが出来ると思われますので、本日このように記事として書いている次第です・・。
加えて、こうした伝達事項をも一記事とすることにより、一つでも記事数を増やそうとする、いわば下心もまたあるのです・・(笑)。
さて、本日の主題に関しては、先日より書いてきた古の物についてのことに加え、これまで作成してきたブログ記事に共通して関連すると思われる書籍からの抜粋引用を充てようと思います・・。
中央公論社刊 中公クラシックス ベルクソン著『哲学的直観ほか』 pp.11-13
ISBN-10: 4121600355
ISBN-13: 978-4121600356
『単なる分析によるのではなくて、内部から直観によってわれわれのすべてがとらえられる実在が少なくとも一つは存在する。それは時間のうちを流れているわれわれ自身の人格であり、持続しているわれわれの自我である。
われわれは他の何ものとも知的に、あるいはむしろ精神的に共感しえないとしても、われわれ自身の自我とはたしかに共感する。
私自身の自我(しばらくこれを活動しないものと想像して)へ内省の目を向けた場合、まず認められるものは、表面に固まった殻さながらの、物質界から入ってくるいっさいの知覚である。
それらの知覚は明晰、判明で、並置されているが、あるいは並置できるものであり、それらは集まって物objectsになろうとする傾きをもっている。
ついで認められるものは、多少ともそれらの知覚に粘着して知覚を解釈するのに役立っている記憶である。
そうした記憶はいわば私自身の底から剥離され、それらと類似した知覚のため表面へ引き寄せられたものであり、絶対的な意味で私の自我であるのではなくて、自我の表面に憩うているものである。
最後に、それらの知覚や記憶と何ほどか固く結ばれている、いろいろな傾向や運動習慣のうごめきー潜在的行動の群れが感じ取れる。
明確な輪郭をもったそれらすべての要素は、互いに離れていて区別が分明なほど、はっきり私の自我から区別されたものとして見える。
それらの要素は内部から外部へ向かって放射し、集まって一つの球体の表面を形づくり、そして次第に大きさを増していくその球体は、ついに外部の世界のうちへ没していく、しかし周辺から内部の中心へ向かって引きこもっていき、私の存在の深みのうちでもっとも均一的、もっとも定常的、もっとも恒存的に私自身の自我であるものを探すならば、私はもあったく異なった面目をそこに見出すのである。
そこには明確に切り取られた結晶とその凝固した表皮の下に、かつて私が見たどういう流動とも比較の出来ない、一つの連続した流動がある。
それは状態と状態との継起であって、各状態は続く状態の先触れとなり先だつ状態を含んでいる。
本当を言えば、それらが多数の状態を形づくっているということは、それらを通過し終わってふたたびその通過した跡を眺めようとして私が立ち戻ったときに言えることなのである。
それらの状態を経験しつつある間は、それらは互いに緊密に有機的につながっており、一貫した深い共通の生命によって生かされているために、どこである状態が終わったのか、どこである状態が始まったのかを言うことはできなかったであろう。
真実を言えば、どの状態も、始まったのでも終わったのでもなく、あらゆる状態が互いのうちへ延び入りとけ込んでいるのである。
この内的な生は、巻糸が解けるのになぞらえても良いかもしれない。
なぜなら、およそ生物であってその役割が次第に終点に達しようとしていることを感じさせないものはないからである。
かくして、生きるということは老いゆくことである。
しかしそれはまた、間断なく糸巻へ糸が巻き付けられていくことにたとえられてもよいである。
なぜならわれわれの過去は、われわれの跡をつけてきて、その途上、現在を拾い上げてはたえず大きくなっていくからである。
それゆえ、意識とは記憶を意味している。』
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。明日よりしばらくの間記事作成を意識的に休みます。
再開の後はまた、どうぞよろしくお願いします。
昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺を襲った地震によって被害を被られた地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年5月8日月曜日
20170508 先日の靫と矢屏風の関連性から思ったこと・・銅鐸と銅鼓など
A「先日端午の節句にちなんで書いた記事は、その後思いのほか多くの方々に読んで頂けました。
こうしたことは日常生活においては、なかなか考える機会はありませんが、一度文章として書き、改めてそれを読んでみますと『あるいは、こうした考え、説を述べたのは私が初めてであるかもしれない・・?』といった、いささか誇大妄想と評しても良い思いが湧いてきます・・(苦笑)。
とはいえ、こうした日常生活においてあまり意識しないことを、それまでに得た何らかの知見と符合、対応させ、ある程度まとめ、考えとして述べることは、多少は面白いことであり、また、本来の研究であれば、この先、さらに関連文献等を読み込み論証、精査しなければならないところですが、残念ながら現在の私はそうした職に就いていないため、とりあえず、この『考えとして述べる』に留めておく次第です・・(苦笑)。
さて、ここまで書いており新たに想起したことは、さきの記事にて書いた古墳時代における靫(ゆぎ)の呪術的な意味合いと、その後の時代に見られる矢屏風およびその意味合いとの関連性と多少類似するのではないかと思われる、我が国弥生時代後期~末期(紀元前2世紀~紀元2、3世紀頃)の青銅器である銅鐸と中国南部、東南アジア(主に非漢民族居住地域)にて紀元前5世紀から近年に至るまで祭器として用いられてきた青銅器の銅鼓との関連、類似性です。
さまざまな説がありますが、それらの中で一つの有力な説として、銅鐸とは通常、地中に埋納、保管され、それが祭りなどの際に掘り出され、供えられるといったものがありますが、これはまさしくさきの中国南部、東南アジアにおける銅鼓と同様の扱い方であり、地域こそ異なりますが、それら祭祀背景の思想には、何かしらの類似性があるのではないかと考えられております。
さらに、これら地域に共通する他の要素として水稲耕作文化あるいは、もう少し、その文化を広く見て中尾佐助、佐々木高明等が提唱した照葉樹林文化などが挙げられるのではないかと考えます。
つまり『地域は異なるものの、ある程度共通する生活文化にて用いられる青銅祭器とは、自然、その背景思想および扱いも類似してくるのではないか?』といったことになるのです・・。
また、こうした類似性の背後には、生活文化の共通性以上に、(当時の)人種的な意味での共通性があったのではないかという説があります。
これは、神話、年中行事などの類似性から、あるいは北方内陸からの漢民族の侵出に圧迫された在来の非漢民族が押し出され、南方へ、あるいは山東半島から海路朝鮮半島へ、さらにはその先の日本列島西部に到達し、弥生文化の主要な担い手となったということから説明されておりますが、これは我が国への水稲耕作文化伝播の経路ともほぼ重なることから、特に無理な説明ではないと考えます・・。
とはいえ、その後、古墳時代になりますと、徐徐に独自の文化を歩み始め、我が国それは東、東南アジアなどにおいて特徴的な傾向を持つに至ったということが出来るのではないかと考えます。
ともあれ、面白いと思うことは時代、地域が異なるとはいえ、類似した背景思想を持つと思しき文化が見られることであり、また、これにより単純に『歴史は繰り返す』などとは云えませんが、それ以上に面白い、奥深い何かがあるのではないかと考えさせられるのです・・(笑)。
今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
こうしたことは日常生活においては、なかなか考える機会はありませんが、一度文章として書き、改めてそれを読んでみますと『あるいは、こうした考え、説を述べたのは私が初めてであるかもしれない・・?』といった、いささか誇大妄想と評しても良い思いが湧いてきます・・(苦笑)。
とはいえ、こうした日常生活においてあまり意識しないことを、それまでに得た何らかの知見と符合、対応させ、ある程度まとめ、考えとして述べることは、多少は面白いことであり、また、本来の研究であれば、この先、さらに関連文献等を読み込み論証、精査しなければならないところですが、残念ながら現在の私はそうした職に就いていないため、とりあえず、この『考えとして述べる』に留めておく次第です・・(苦笑)。
さて、ここまで書いており新たに想起したことは、さきの記事にて書いた古墳時代における靫(ゆぎ)の呪術的な意味合いと、その後の時代に見られる矢屏風およびその意味合いとの関連性と多少類似するのではないかと思われる、我が国弥生時代後期~末期(紀元前2世紀~紀元2、3世紀頃)の青銅器である銅鐸と中国南部、東南アジア(主に非漢民族居住地域)にて紀元前5世紀から近年に至るまで祭器として用いられてきた青銅器の銅鼓との関連、類似性です。
さまざまな説がありますが、それらの中で一つの有力な説として、銅鐸とは通常、地中に埋納、保管され、それが祭りなどの際に掘り出され、供えられるといったものがありますが、これはまさしくさきの中国南部、東南アジアにおける銅鼓と同様の扱い方であり、地域こそ異なりますが、それら祭祀背景の思想には、何かしらの類似性があるのではないかと考えられております。
さらに、これら地域に共通する他の要素として水稲耕作文化あるいは、もう少し、その文化を広く見て中尾佐助、佐々木高明等が提唱した照葉樹林文化などが挙げられるのではないかと考えます。
つまり『地域は異なるものの、ある程度共通する生活文化にて用いられる青銅祭器とは、自然、その背景思想および扱いも類似してくるのではないか?』といったことになるのです・・。
また、こうした類似性の背後には、生活文化の共通性以上に、(当時の)人種的な意味での共通性があったのではないかという説があります。
これは、神話、年中行事などの類似性から、あるいは北方内陸からの漢民族の侵出に圧迫された在来の非漢民族が押し出され、南方へ、あるいは山東半島から海路朝鮮半島へ、さらにはその先の日本列島西部に到達し、弥生文化の主要な担い手となったということから説明されておりますが、これは我が国への水稲耕作文化伝播の経路ともほぼ重なることから、特に無理な説明ではないと考えます・・。
とはいえ、その後、古墳時代になりますと、徐徐に独自の文化を歩み始め、我が国それは東、東南アジアなどにおいて特徴的な傾向を持つに至ったということが出来るのではないかと考えます。
ともあれ、面白いと思うことは時代、地域が異なるとはいえ、類似した背景思想を持つと思しき文化が見られることであり、また、これにより単純に『歴史は繰り返す』などとは云えませんが、それ以上に面白い、奥深い何かがあるのではないかと考えさせられるのです・・(笑)。
今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
20170507 2年前のこの時期を思い出して・・
A「昨日の投稿記事はあまり多くの方々に読まれることはないと予想しておりましたが、この予想に反し、投稿翌日にしてはそこそこ読まれておりました・・(笑)。
また、この記事は転居後第一号の記事となりますが、それ以前と比べ、記事内容の面白さ、文体などには多少は変化は認められるのでしょうか・・(笑)?
あるいは、そういった変化とは今後、徐徐に生じていくものなのでしょうか・・?
ともあれ、現在は、とりあえず記事を更新していくことが目標ですので、そうしたことは、またしばらく経過した後に改めて、それぞれを読み直して考えていこうと思います・・。
さて、本日の首都圏もまた日中気温が上がり、暑いといっても良い陽気でした。
また、こうした陽気になりますと2年前2015年の6月初旬にブログ記事の作成を開始した当初を思い出します・・。
・・そうしますと今後1ヶ月程度記事作成を継続すれば2年間ブログ記事の作成を継続したことになりますが、果たして2年間の継続は達成されるのでしょうか・・(笑)?
とはいいましても、そのようなことは(ほぼ毎日)習慣的に記事を作成しておりますと、あまり考えないことであり、どちらかというと『今日も書いた・・』程度の感興です。
それ故、今後何らかの事由により記事作成を止める状況となっても、少なくとも、しばらくの間はあまり大きな心境の変化などは生じないのではないかと考えております・・。
しかしながら、やはり、こうして継続的に記事作成を行っておりますと、現在関与している何らかの事象と関連することがらの想起、そして、それを文章として著すといったことは、ある程度洗練されてくるようであり、日によって多少のブレ、偏差もありますが、概ね記事作成を開始しますと、どうにかこうにか現在このような感じのも含め、なんとか出来るようにはなるようです・・(笑)。
そして、たしかにこれはブログ記事作成を開始した当初においては、まさにやりたいと願いながら出来なかったことですので、我が事ではありますが、やはり、その間には何等かの進歩発展があったと評しても良いのではないかと思われます・・(笑)。
また、それと同時に、この先にも多少は進歩発展の余地があるとも考えておりますが・・(笑)。
そして、そこまで書いており不図、2年前のこの時期に読み、苛立ちと共に興味をおぼえた書籍のある部分を想起しましたので、その箇所を下に示します。
岩波書店刊 バートランド・ラッセル著 安藤貞雄訳『幸福論』 P.47
『文学者のグループは、社会生活と生き生きとした接触を保っていない。
もしも、人間の感情に、悲劇と真の幸福の双方が営まれる際の真剣さと深みを待たせたいのであれば、そうした接触は不可欠である。
世界には自分のすることなど何もない、という思いをいだいてぶらぶらしているあらゆる才能ある若者たちに、私は言いたい。
「ものを書こうとするのをやめて、それよりも、書かないように努めてみたまえ。
世の中へ出ていき、海賊なり、ボルネオの王様なり、ソビエト・ロシアの労働者なりになってみることだ。
基本的な身体の要求を満足させることで君のエネルギーの全部が費やされるといった、そういう生活に飛び込んでみることだ。」私は、なにもすべての人にこの行動指針をお勧めするのではない、ただ、クルーチ氏の診断する病気にかかっている人たちにだけお勧めするのである。
私の信じるところでは、このような生活を何年か送れば、元インテリ青年は、いくら書くまいとしても、もはや、ものを書かずにはいられなくなっているのに気づくだろう。
そして、この時が来たとき、彼の書き物は彼にとって空しいものとは思えないだろう。』
改めて、上に示した箇所を読んでみますと、2015年5月当時の自身とは『書きたくとも書けない状態』であり、それは、さらに以前の『書けると思い込んでいた時期』と比べ、明らかに認識出来ることから、より一層苦しむこととなりました・・。
また、それは、おそらく自身(主体)のみしか感じることが出来ない種類の苦しみであり、同様の経験がある他者もまた、その苦しみに関して、観念的には理解することは出来るかもしれませんが、その苦しみを共有することは(たとえ望んでも)不可能です・・。
それ故、さきの引用部と自身の事情とは若干ニュアンスが異なりますが、しかし、この『書きたくとも書けない状態』に苦しんでいたからこそ『より深く書くことを望み』そして、どうにか現在に至っているのではないかとも思われるのです・・。
また、追記しますと、偶然ながら丁度この時期に複数の知人からブログ作成への背中を押してもらったことも功を奏しました・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
また、この記事は転居後第一号の記事となりますが、それ以前と比べ、記事内容の面白さ、文体などには多少は変化は認められるのでしょうか・・(笑)?
あるいは、そういった変化とは今後、徐徐に生じていくものなのでしょうか・・?
ともあれ、現在は、とりあえず記事を更新していくことが目標ですので、そうしたことは、またしばらく経過した後に改めて、それぞれを読み直して考えていこうと思います・・。
さて、本日の首都圏もまた日中気温が上がり、暑いといっても良い陽気でした。
また、こうした陽気になりますと2年前2015年の6月初旬にブログ記事の作成を開始した当初を思い出します・・。
・・そうしますと今後1ヶ月程度記事作成を継続すれば2年間ブログ記事の作成を継続したことになりますが、果たして2年間の継続は達成されるのでしょうか・・(笑)?
とはいいましても、そのようなことは(ほぼ毎日)習慣的に記事を作成しておりますと、あまり考えないことであり、どちらかというと『今日も書いた・・』程度の感興です。
それ故、今後何らかの事由により記事作成を止める状況となっても、少なくとも、しばらくの間はあまり大きな心境の変化などは生じないのではないかと考えております・・。
しかしながら、やはり、こうして継続的に記事作成を行っておりますと、現在関与している何らかの事象と関連することがらの想起、そして、それを文章として著すといったことは、ある程度洗練されてくるようであり、日によって多少のブレ、偏差もありますが、概ね記事作成を開始しますと、どうにかこうにか現在このような感じのも含め、なんとか出来るようにはなるようです・・(笑)。
そして、たしかにこれはブログ記事作成を開始した当初においては、まさにやりたいと願いながら出来なかったことですので、我が事ではありますが、やはり、その間には何等かの進歩発展があったと評しても良いのではないかと思われます・・(笑)。
また、それと同時に、この先にも多少は進歩発展の余地があるとも考えておりますが・・(笑)。
そして、そこまで書いており不図、2年前のこの時期に読み、苛立ちと共に興味をおぼえた書籍のある部分を想起しましたので、その箇所を下に示します。
岩波書店刊 バートランド・ラッセル著 安藤貞雄訳『幸福論』 P.47
ISBN-10: 4003364937
ISBN-13: 978-4003364932
『文学者のグループは、社会生活と生き生きとした接触を保っていない。
もしも、人間の感情に、悲劇と真の幸福の双方が営まれる際の真剣さと深みを待たせたいのであれば、そうした接触は不可欠である。
世界には自分のすることなど何もない、という思いをいだいてぶらぶらしているあらゆる才能ある若者たちに、私は言いたい。
「ものを書こうとするのをやめて、それよりも、書かないように努めてみたまえ。
世の中へ出ていき、海賊なり、ボルネオの王様なり、ソビエト・ロシアの労働者なりになってみることだ。
基本的な身体の要求を満足させることで君のエネルギーの全部が費やされるといった、そういう生活に飛び込んでみることだ。」私は、なにもすべての人にこの行動指針をお勧めするのではない、ただ、クルーチ氏の診断する病気にかかっている人たちにだけお勧めするのである。
私の信じるところでは、このような生活を何年か送れば、元インテリ青年は、いくら書くまいとしても、もはや、ものを書かずにはいられなくなっているのに気づくだろう。
そして、この時が来たとき、彼の書き物は彼にとって空しいものとは思えないだろう。』
改めて、上に示した箇所を読んでみますと、2015年5月当時の自身とは『書きたくとも書けない状態』であり、それは、さらに以前の『書けると思い込んでいた時期』と比べ、明らかに認識出来ることから、より一層苦しむこととなりました・・。
また、それは、おそらく自身(主体)のみしか感じることが出来ない種類の苦しみであり、同様の経験がある他者もまた、その苦しみに関して、観念的には理解することは出来るかもしれませんが、その苦しみを共有することは(たとえ望んでも)不可能です・・。
それ故、さきの引用部と自身の事情とは若干ニュアンスが異なりますが、しかし、この『書きたくとも書けない状態』に苦しんでいたからこそ『より深く書くことを望み』そして、どうにか現在に至っているのではないかとも思われるのです・・。
また、追記しますと、偶然ながら丁度この時期に複数の知人からブログ作成への背中を押してもらったことも功を奏しました・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年5月7日日曜日
20170506 昨日の端午の節句にて思ったこと・・靫・矢屏風から
昨日投稿の記事は投稿翌日にしてはかなり多くの方々に読んで頂けました・・。
とはいえ、昨日の記事も含め、それらがどのように読まれているかの方がより重要であると思われますので、この記事の場合、特に書籍からの抜粋引用部に関しては、全面的な肯定などはもとより望んでおらず、また自身も、その引用部においてさえ全ては肯定しておりませんので、ただ『なるほど、それも一理あるのかもしれない・・。』といった感じにて心の片隅に留めて頂ければ上出来であると考えます・・(笑)。
さて、本日の首都圏は日中気温がかなり上昇し、ほぼ夏日といっても良い一日であったのではないかと思われます。
また、昨日は端午の節句、子供の日でもあることから不図思ったことですが、古墳時代を通じ、古墳に供えられる埴輪の題材、あるいは古墳時代後期からの横穴式石室、横穴墓などの石室における壁画、線刻画の題材として、矢の入った靫(ゆぎ・武具の一種、携帯用の矢のケース)といったものがあります。
勿論、他の武具もまた、埴輪の題材となり、石室に描かれ、刻まれたりもしますが、その中でもとりわけ、この靫とは、おそらく当時、何らかの呪術的な意味合いを付与されていたようであり、他の武具に比べ、割合多くの出土、発見例があります。
そうしますと、当然「では当時、靫の持つ呪術的な意味とは、どのようなものであったのか?」といった疑問が生じます。
そして、その呪術的な意味のさまざまな書籍からの概ね統一された見解では、破邪、墓域侵入者への威嚇、神聖な領域を設定する標識であると認識されています。
つまり、本来矢が持っていた武器的性格から、他を威圧するといった要素を抽象、呪術化し、そして再度物質化したものが、これら埴輪、壁画、線刻画であるといって良いと思われます・・。
では、そこでハナシは端午の節句に戻り、五月人形の背後に置かれる屏風の一種で矢屏風というものがあります。
これは、かつて実際の日常生活に用いられた道具の一つであり、矢羽根を上にして矢を木製の架のようなものに並べ屏風状にしたものであり、五月人形以外では、時代劇、映画などで時折見受けられます(たしか黒澤明監督の蜘蛛巣城にて見受けられました。)。
この矢屏風のたしかな起源については分かりませんが、臨戦態勢の武士の日常生活から生み出された他者への威圧を兼ねた道具であったのかもしれません・・。
あるいはまた、日常の家屋内にて何らかの境界を示す標識的な意味合いを持った道具であったのかもしれません・・。
はたまた、それらが折衷したものであるのかもしれません・・。
ともあれ、ここで面白いと思うことは、そうした考え、観念(矢を立て並べたものが境界を示す標識となる)が古墳時代から現代に至るまで継続し、あるいは継続はしていなくとも、隔世的に呪具、道具として顕れることです・・。
このことはあるいは、もう少し考えてみますと、深くなるかもしれませんが、とりあえず思ったこととして書いた次第です。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った諸地域の出来るだけ早期のインフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
とはいえ、昨日の記事も含め、それらがどのように読まれているかの方がより重要であると思われますので、この記事の場合、特に書籍からの抜粋引用部に関しては、全面的な肯定などはもとより望んでおらず、また自身も、その引用部においてさえ全ては肯定しておりませんので、ただ『なるほど、それも一理あるのかもしれない・・。』といった感じにて心の片隅に留めて頂ければ上出来であると考えます・・(笑)。
さて、本日の首都圏は日中気温がかなり上昇し、ほぼ夏日といっても良い一日であったのではないかと思われます。
また、昨日は端午の節句、子供の日でもあることから不図思ったことですが、古墳時代を通じ、古墳に供えられる埴輪の題材、あるいは古墳時代後期からの横穴式石室、横穴墓などの石室における壁画、線刻画の題材として、矢の入った靫(ゆぎ・武具の一種、携帯用の矢のケース)といったものがあります。
勿論、他の武具もまた、埴輪の題材となり、石室に描かれ、刻まれたりもしますが、その中でもとりわけ、この靫とは、おそらく当時、何らかの呪術的な意味合いを付与されていたようであり、他の武具に比べ、割合多くの出土、発見例があります。
そうしますと、当然「では当時、靫の持つ呪術的な意味とは、どのようなものであったのか?」といった疑問が生じます。
そして、その呪術的な意味のさまざまな書籍からの概ね統一された見解では、破邪、墓域侵入者への威嚇、神聖な領域を設定する標識であると認識されています。
つまり、本来矢が持っていた武器的性格から、他を威圧するといった要素を抽象、呪術化し、そして再度物質化したものが、これら埴輪、壁画、線刻画であるといって良いと思われます・・。
では、そこでハナシは端午の節句に戻り、五月人形の背後に置かれる屏風の一種で矢屏風というものがあります。
これは、かつて実際の日常生活に用いられた道具の一つであり、矢羽根を上にして矢を木製の架のようなものに並べ屏風状にしたものであり、五月人形以外では、時代劇、映画などで時折見受けられます(たしか黒澤明監督の蜘蛛巣城にて見受けられました。)。
この矢屏風のたしかな起源については分かりませんが、臨戦態勢の武士の日常生活から生み出された他者への威圧を兼ねた道具であったのかもしれません・・。
あるいはまた、日常の家屋内にて何らかの境界を示す標識的な意味合いを持った道具であったのかもしれません・・。
はたまた、それらが折衷したものであるのかもしれません・・。
ともあれ、ここで面白いと思うことは、そうした考え、観念(矢を立て並べたものが境界を示す標識となる)が古墳時代から現代に至るまで継続し、あるいは継続はしていなくとも、隔世的に呪具、道具として顕れることです・・。
このことはあるいは、もう少し考えてみますと、深くなるかもしれませんが、とりあえず思ったこととして書いた次第です。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った諸地域の出来るだけ早期のインフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
2017年5月5日金曜日
20170505 再び荷物の整理をしていて思ったこと【書籍からの抜粋引用あり】
本日の首都圏は気温も上がり、日中は暑いといってもいい程の陽気でした。そのような中、本日もまた、ほぼ一日を通し荷物の整理をしておりました・・(苦笑)。
いや、今現在もさまざまな荷物に囲まれ、本日投稿分の記事を作成しています・・。
つい先日投稿したブログ記事にても書きましたが、引越しなどの際の荷物の選別などは、以前の方が素早く出来ていたと記憶しております。これは年齢のために動きが鈍くなったからでしょうか?あるいは以前よりも思慮深くなったからでしょうか・・(笑)?
ともあれ、こうしたことを考えておりますと、また時間のみが経過してしまい、目下必要とされる荷物の整理、片付けが遅れてしまう次第ですが、しかし、今現在はブログ記事作成の時間としましたので、あまりそういったことは考えないことにします・・(苦笑)。
とはいえ、こうしたことは少なくともブログ記事の題材にはなりますので、もう少しこのことについて書いてみようと思います・・。
さて、只今行っている荷物の整理、片付けにおいて、現在日常的に使用しているものは、最後の方にまとめておき、主にこれまでに使い、所蔵してあるものについての整理、片付けについてですが、それらの中で最も分量的に多いのが書籍であり、それらも、これまでの整理によって、大分減り、まとめられましたが、それでも今現在ブログ記事を作成している自身の周囲にいくつかの島を成して積まれているものは書籍であり、また、それらの題名を一巡し眺めると、さまざまな想念やら、読んでみたいといった欲求が湧いてくるのですが、あくまでも現在はブログ記事作成の時間と決めたことから、そうした思いを封印し、先を続けます・・(笑)。
そして、次に多いのが生活道具、衣類などですが、これらに関しても整理、片付けを行っていますと、一つ一つの品々に何かしらの思い出、思い入れといったものが想起され、そう簡単にはコトは運んでくれません・・(苦笑)。
しかし、ここで立ち止まってしまっても、整理、片付けは進みませんので、とりあえず『現在の自身に必要かそうでないか』を基準とすれば、こうした作業とは、より一層スムーズに進むのかもしれませんが・・(苦笑)。
また、書籍に関してですが、大分前に購入して途中まで読み、置いておき、ここ最近、不図思い浮かぶ書籍が、現在のこうした機会にてフイッと現れることは、なかなか嬉しいものであり、こうした書籍は転居先(すぐ近くですが)にてすぐ読めるように、別に置き、そして、そうしたジャンルに分類した一群の書籍が、さきに述べた自身の周囲にある、いくつかの(平積みにされた)書籍の島の一つとなっております・・(苦笑)。
加えて、大変面白いことに、今現在においても自身が明日から転居するといった実感がまったくなく、そして、明日もまた記事作成を行うのであろうか?とも考えておりませんでした・・(笑)。
果たして、こうした自身の心的傾向とは良いものなのであろうか・・(苦笑)?
とはいえ、もしも明日、ブログ記事の更新が為されなければ、転居先での作業、あるいは何らかの事情により、作成することが出来なかったものとしてください・・(笑)。
さて、さきほど述べた転居後に読みたい書籍として分類された一冊として岩波文庫刊J.S.ミルの「大学教育について」があります。
この著作は、大変読み易く、それ以上に面白いことが書かれていると思いますので、興味のある方々は是非読んでみてください。
また、それは特に医療をはじめとするいわゆる理系学問分野の方々にとって、なかなか興味深いことがらが述べられているのではないかと思われます・・。
そして、ここまで書きましたので、いささか前言を翻すようではありますが、せっかくですので、以下に少し同著冒頭部から抜粋引用を試みます。
岩波書店刊 J.S.ミル著 竹内一誠訳 『大学教育について』pp.12-14より抜粋引用
ISBN-10: 4003910117
『大学が国民教育のなかで果たすべき役割については、十分に説明されていると思われます。
少なくとも大学がこうあってはならないということについては、ほとんどの人々の間で意見の一致がみられます。
大学は職業教育の場ではありません。
大学は、生計を得るためのある特定の手段に人々を適応させるのに必要な知識を教えることを目的とはしていないのです。
大学の目的は、熟練した法律家、医師、または技術者を養成することではなく、有能で教養ある人間を育成することにあります。
専門職の養成のための公的機関があるのは至極当然であり、したがって、法律学校、医学校があるのは結構なことです。
そしてさらに、工科学校や産業技術を学ぶ学校があれば、なおさら結構なことでしょう。
このような学校制度を持つ国々は、その制度をもつことによって一層発展することでしょう。
しかも、これら学校をいわゆる本来の意味での教育のために設立された施設としての大学と同一の場所に、そして同一の監督下に置くことには多少の利点もあるにはあるでしょう。
しかし、技術を伝えるということは、各世代が次の世代に手渡すべき義務を担っているもの、つまり各世代の文明の価値を支えているもののなかには入りません。 (ここが少し疑問です。)
そのような技術は、自らの努力でそれを獲得したいという強い個人的動機を持つ比較的少数の人々にのみ必要とされるものであり、そしてその少数の人々ですら、正規の教育課程が修了するまでは、その技術を有効には使用できないのです。
専門技術をもとうとする人々が、その技術を知識の一分野として学ぶか、単なる商売の一手段として学ぶか、あるいはまた、技術を習得した後に、その技術を賢明かつ良心的に使用するか、悪用するかは、彼らがその専門技術を教えられた方法によって決まるのではなく、むしろ、彼らがどんな種類の精神をその技術のなかに吹き込むかによって、つまり教育制度がいかなる種類の知性と良心を彼らの心に植えつけたかによって決定されるのです。
人間は、弁護士、医師、商人、製造業者である以前に、何よりも人間なのです。
有能で賢明な人間に育てれば、後は自分自身の力で有能で賢明な弁護士や医師になることでしょう。
専門職に就こうとする人々が大学から学び取るべきものは専門的知識そのものではなく、その正しい利用法を指示し、専門分野の技術的知識に光を当てて正しい方向に導く一般教養(general culture)の光明をもたらす類のものです。
確かに、人間は一般教養教育を受けなくても有能な弁護士となることはできますが、しかし、哲学的な弁護士、つまり、単に詳細な知識を頭に詰め込んで暗記するのではなく、ものごとの原理を追求し把握しようとする哲学的な弁護士となるためには、一般教養教育が必要となります。
このことは、機械工学を含むほかの有用な専門分野すべてについても言えることです。
靴づくりを職業としている人について言えば、その人を知性溢れた靴職人にするのは教育であって、靴の製造法の伝達ではないのです。
言い換えますと、教育によって与えられる知的訓練と、それによって刻み込まれた思考習慣とによってであります。』
ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
昨2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った諸地域の出来るだけ早期のインフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
いや、今現在もさまざまな荷物に囲まれ、本日投稿分の記事を作成しています・・。
つい先日投稿したブログ記事にても書きましたが、引越しなどの際の荷物の選別などは、以前の方が素早く出来ていたと記憶しております。これは年齢のために動きが鈍くなったからでしょうか?あるいは以前よりも思慮深くなったからでしょうか・・(笑)?
ともあれ、こうしたことを考えておりますと、また時間のみが経過してしまい、目下必要とされる荷物の整理、片付けが遅れてしまう次第ですが、しかし、今現在はブログ記事作成の時間としましたので、あまりそういったことは考えないことにします・・(苦笑)。
とはいえ、こうしたことは少なくともブログ記事の題材にはなりますので、もう少しこのことについて書いてみようと思います・・。
さて、只今行っている荷物の整理、片付けにおいて、現在日常的に使用しているものは、最後の方にまとめておき、主にこれまでに使い、所蔵してあるものについての整理、片付けについてですが、それらの中で最も分量的に多いのが書籍であり、それらも、これまでの整理によって、大分減り、まとめられましたが、それでも今現在ブログ記事を作成している自身の周囲にいくつかの島を成して積まれているものは書籍であり、また、それらの題名を一巡し眺めると、さまざまな想念やら、読んでみたいといった欲求が湧いてくるのですが、あくまでも現在はブログ記事作成の時間と決めたことから、そうした思いを封印し、先を続けます・・(笑)。
そして、次に多いのが生活道具、衣類などですが、これらに関しても整理、片付けを行っていますと、一つ一つの品々に何かしらの思い出、思い入れといったものが想起され、そう簡単にはコトは運んでくれません・・(苦笑)。
しかし、ここで立ち止まってしまっても、整理、片付けは進みませんので、とりあえず『現在の自身に必要かそうでないか』を基準とすれば、こうした作業とは、より一層スムーズに進むのかもしれませんが・・(苦笑)。
また、書籍に関してですが、大分前に購入して途中まで読み、置いておき、ここ最近、不図思い浮かぶ書籍が、現在のこうした機会にてフイッと現れることは、なかなか嬉しいものであり、こうした書籍は転居先(すぐ近くですが)にてすぐ読めるように、別に置き、そして、そうしたジャンルに分類した一群の書籍が、さきに述べた自身の周囲にある、いくつかの(平積みにされた)書籍の島の一つとなっております・・(苦笑)。
加えて、大変面白いことに、今現在においても自身が明日から転居するといった実感がまったくなく、そして、明日もまた記事作成を行うのであろうか?とも考えておりませんでした・・(笑)。
果たして、こうした自身の心的傾向とは良いものなのであろうか・・(苦笑)?
とはいえ、もしも明日、ブログ記事の更新が為されなければ、転居先での作業、あるいは何らかの事情により、作成することが出来なかったものとしてください・・(笑)。
さて、さきほど述べた転居後に読みたい書籍として分類された一冊として岩波文庫刊J.S.ミルの「大学教育について」があります。
この著作は、大変読み易く、それ以上に面白いことが書かれていると思いますので、興味のある方々は是非読んでみてください。
また、それは特に医療をはじめとするいわゆる理系学問分野の方々にとって、なかなか興味深いことがらが述べられているのではないかと思われます・・。
そして、ここまで書きましたので、いささか前言を翻すようではありますが、せっかくですので、以下に少し同著冒頭部から抜粋引用を試みます。
岩波書店刊 J.S.ミル著 竹内一誠訳 『大学教育について』pp.12-14より抜粋引用
ISBN-10: 4003910117
ISBN-13: 978-4003910115
『大学が国民教育のなかで果たすべき役割については、十分に説明されていると思われます。
少なくとも大学がこうあってはならないということについては、ほとんどの人々の間で意見の一致がみられます。
大学は職業教育の場ではありません。
大学は、生計を得るためのある特定の手段に人々を適応させるのに必要な知識を教えることを目的とはしていないのです。
大学の目的は、熟練した法律家、医師、または技術者を養成することではなく、有能で教養ある人間を育成することにあります。
専門職の養成のための公的機関があるのは至極当然であり、したがって、法律学校、医学校があるのは結構なことです。
そしてさらに、工科学校や産業技術を学ぶ学校があれば、なおさら結構なことでしょう。
このような学校制度を持つ国々は、その制度をもつことによって一層発展することでしょう。
しかも、これら学校をいわゆる本来の意味での教育のために設立された施設としての大学と同一の場所に、そして同一の監督下に置くことには多少の利点もあるにはあるでしょう。
しかし、技術を伝えるということは、各世代が次の世代に手渡すべき義務を担っているもの、つまり各世代の文明の価値を支えているもののなかには入りません。 (ここが少し疑問です。)
そのような技術は、自らの努力でそれを獲得したいという強い個人的動機を持つ比較的少数の人々にのみ必要とされるものであり、そしてその少数の人々ですら、正規の教育課程が修了するまでは、その技術を有効には使用できないのです。
専門技術をもとうとする人々が、その技術を知識の一分野として学ぶか、単なる商売の一手段として学ぶか、あるいはまた、技術を習得した後に、その技術を賢明かつ良心的に使用するか、悪用するかは、彼らがその専門技術を教えられた方法によって決まるのではなく、むしろ、彼らがどんな種類の精神をその技術のなかに吹き込むかによって、つまり教育制度がいかなる種類の知性と良心を彼らの心に植えつけたかによって決定されるのです。
人間は、弁護士、医師、商人、製造業者である以前に、何よりも人間なのです。
有能で賢明な人間に育てれば、後は自分自身の力で有能で賢明な弁護士や医師になることでしょう。
専門職に就こうとする人々が大学から学び取るべきものは専門的知識そのものではなく、その正しい利用法を指示し、専門分野の技術的知識に光を当てて正しい方向に導く一般教養(general culture)の光明をもたらす類のものです。
確かに、人間は一般教養教育を受けなくても有能な弁護士となることはできますが、しかし、哲学的な弁護士、つまり、単に詳細な知識を頭に詰め込んで暗記するのではなく、ものごとの原理を追求し把握しようとする哲学的な弁護士となるためには、一般教養教育が必要となります。
このことは、機械工学を含むほかの有用な専門分野すべてについても言えることです。
靴づくりを職業としている人について言えば、その人を知性溢れた靴職人にするのは教育であって、靴の製造法の伝達ではないのです。
言い換えますと、教育によって与えられる知的訓練と、それによって刻み込まれた思考習慣とによってであります。』
ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
昨2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った諸地域の出来るだけ早期のインフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
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