2016年2月8日月曜日

20160208 如月、湯治について

A「最近は若干陽が長くなってきたように感じますが、それでもやはりまだまだ寒いですね・・。」

B「ええ、暦ではもう立春ですが、二月の古名は如月(きさらぎ)であり、これは着更着つまり、寒いために着ている上に更に着るという意味の語源もありますので、まあ、もうしばらくの辛抱ではないでしょうか・・。」

A「いや、まったく早いところ暖かくなって欲しいところですね・・。
さて、それはそうとBさんは今年の冬は湯治、温泉などには行きましたか?」

B「ええ、今年に入って早々に二日ぐらいですが伊豆の方に行って何度か温泉にも入りました。
やはりあちらは首都圏に比べ気候が温暖であり、幾分過ごし易いように感じました。
また、自然も空気も良かったので気分転換ができたと思います。」

A「そうですか・・私は年末に大分県別府温泉に行ってきましたが、やはり九州はこちらに比べると暖かく、また幾つもの泉質の温泉があり、色々と楽しむことができました。
しかし、向こうに着いた当日に温泉に入ると、何だかグッタリとしてしまいまして「湯疲れ、湯あたりかな?」などと思っているうちに寝入ってしまいました・・それでも翌日は調子も戻り、また温泉を楽しむことが出来ましたが・・。」

B「別府温泉は私も以前行ったことがありますが、あそこはたしかにいくつも温泉がありましたね。
また、私もAさんが仰った「湯疲れ、湯あたり」のような経験があります。
これは普段シャワーだけでお風呂に入らない人が突然長時間湯舟に入ると変に疲れるということを聞いたことがありますので、もしかしたら、それと何かしら関係があるのかもしれません・・。」

A「・・ああ、たしかに私は普段あまり湯舟に入らずにシャワーだけで済ませていることが多いですね。
そうすると、それが先程のような「湯疲れ、湯あたり」のような原因であったのかもしれないですね・・。
しかし、本当の湯あたりなどは時には命にも係るということですので、それとはまた別モノであるような気がします。」

B「ええ、ですから人によって温泉の泉質が合わないということも聞きますが、これを今のAさんのお話に加味して考えてみますと、ある程度継続して入浴してみないと、実際の泉質と体質の相性とは分からないのかもしれません。
また、普段入浴する習慣がない方が突然温泉に入っても、いきなり良い効果を得ることは難しいのかもしれません。
むしろ、突然の入浴により体内に蓄積された様々なひずみのようなものが取れてゆく過程とは、さきほどのような「湯疲れ、湯あたり」のような感じを受けるのではないかとも思います。
そして、その後も入浴し続けることにより、徐々に体内のひずみが除去されて、まあリセットされたような状態になるのではないでしょうか?
また、それ故、昔のいわゆる湯治とは、一般的に現在のそれに比べ、かなり長期間にわたるものであったのではないでしょうか?
そしてそういった風習とは、昔の日本人が自身等の経験、体験に基づく実際的な知恵によりそのようになっていたのではないかと思います。
そうしますと、私の先程いいました湯治などは、本当の意味での湯治ではなく、単なる気休め程度のものであったのかもしれません・・(苦笑)
ともあれ、こうした湯治という言葉と、それに本質的に符合しない内実をもって同じ言葉、名称などを付与することは、この他でも案外多く見られることなのではないでしょうか・・(苦笑)。」

A「・・ええ、たしかに昔の湯治は現在に比べ、かなり長期間でしたね・・。
そうすると、本来の意味での湯治の効果を感じるためには、ある程度、継続して入浴し続けないといけないのかもしれませんね・・(苦笑)
しかし、そういったことは現在の我々から見れば甚だ羨ましいかぎりですが、それでもかつての湯治とは、特に富裕な方々あるいは特権階級だけのものではなかったようですので、経済が低迷し、それに対応してヒステリー的に何やらコトバばかりが空回りして躍っている現在の我が国であるからこそ、それこそ即物的にこういった古来からの健康を回復、維持するための習慣の本質を見直してみるのも良いのかもしれません。」

B「・・湯治とそれに対応する内容に関してもそうですが、やはり言語とそれが示す事物の対応、そして、それらを基礎として形成される様々な会話、思考とは、我々の文化において最も根源的な部分ではないかと思います。
つまり、ある同一言語に対して対話者双方の解釈、認識が異なっていると、外見上、対話は為されているように見えますが、その内実に関しては、意味を為さない空疎なものとなってしまうのではないかと思います。
また、こうした彼我の意味解釈におけるギャップに関しては、以前私のブログにおいて述べましたが、国内外の様々な位相において見られるのではないかとも思います。
そして、こうしたギャップとは、これまでのインターネットをはじめとする情報技術の進化発展によりいくらか改善されるのではないかと思われましたが、どうもそうではなく、さきほどAさんが仰ったようにコトバだけが躍り、変に空回りしているような感があります・・。
この感想が単なる杞憂、間違いであれば良いのですが・・。」

A「最近書店に行って特集されている書籍の帯に書かれている宣伝文などを見てみると、どうもゲンナリするようなものがありますね・・。
何といいますか「短文で簡潔に」といったことを狙っているのでしょうが、それがどうもサギまがいの文句にしか見えないことが多々ありますね(苦笑)
とはいえ、こうした指摘とはBさんのブログにおいても時折見られますが、それによって何かイヤガラセらしきことを受けることなどはありますか?」

B「いえ、特にそういったことはないと思います・・。
それに私のブログはそこに至るまで大きな影響力はないと思いますし・・(苦笑)
ともあれ、毎日100~200人くらいの読者の方々がいらっしゃいますので、まあこの先どこまで影響力を持つかわかりませんが、これまでブログ作成を続けることができたのではないかと思います・・。」

A「うーん、そう考えますと、閲覧者数が増えるのも良し悪しですね(苦笑)
ともあれBさんの求職活動が今後首尾良く落ち着くといいですね()。」

B「ええ、私もそのように願っています()
また、つい先日何故だかわかりませんが一日の閲覧者数がケタまでは増えませんが、かなり伸びました・・。」

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。」

2016年2月7日日曜日

20160207 真田丸、赤備えについて

A「先日本屋に行きましたら、特集雑誌のコーナーに今年の大河ドラマ「真田丸」関連の書籍が多く並んでいました。
そして何故だか、そのコーナーは赤を基調とした色で飾られていました。
この「真田丸」の主人公、真田幸村(信繁)とは、一連の大阪の陣での活躍で有名ですが、元々は信州の豪族であり、同時に武田家の重臣として武田二十四将の中にその父祖が数えられています。
また、武田の軍勢とは「赤備え」と呼ばれており、具足などをチーム・カラーのように、ある程度赤色で統一していたようで、これが周辺敵対大名等から大変おそれられていたようです・・。
そして、この武田の赤備えの影響からか、この特集雑誌コーナーは赤色を基調としていたのかもしれません・・。」

B「ああ「武田の赤備え」は私も知っていますよ。
また、それと関連して徳川四天王の一人で、後の徳川幕閣における多くの重臣を輩出した井伊直政の軍勢も「井伊の赤備え」として有名でしたが、これも武田家滅亡後、その多くの遺臣を配下に加えたことに由来していています。」

A「はあ、なるほど、では「武田の赤備え」とはその後も様々なところで命脈を保っていたのですね・・。
とはいえ、何故戦闘などの際にわざわざ目立つ色である赤色をそのチーム・カラーのようなものに制定?したのでしょうかね?」

B「うーん、それはスペインの闘牛士ではないけれども、赤色はヒトを含めた動物を興奮させる要素があり、それをもって仲間内の士気を高めようと試みたのではないでしょうか?
あるいは中国の古典あたりにそういったものがあるのかもしれません・・。」

A「戦の際に赤い色で敵を興奮させると逆にやりにくくなりそうですが、まあ何れにせよ、赤色は目立ちますので、少なくとも臆病風に吹かれそうな時に自身を鼓舞するためには有効であったのかもしれません・・。
それと赤色で思い出すのは有名なロボットアニメ主人公ライバルが自身の乗機を赤く塗装していたことですが、これも何か関係あるのかもしれません。」

B「ああ、あのアニメに出てくる赤い彗星のキャラクターのモデルは多分、第一次世界大戦時のドイツ帝国の撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェンではないかと思います。
彼はその乗機を赤色に塗装していることで有名でした。
またその後、兵器として飛行機が広く用いられるようになり、多くの撃墜王が各国に生まれましたが、それでも、このリヒトホーフェンには、それらの中に埋没しない、何といいますか突出した時代をこえたカリスマ性らしきものがあったのではないかと思います。
そして、そのカリスマ性の根源となるものとは、撃墜王でありながらも、プロイセンユンカーを出自に持つことからくる騎士道に基づくような行為態度ではないかと思われます。
また、そのためか彼は敵である連合国側からも畏敬の念を持ってレッド・バロン(赤い男爵)と呼ばれていたそうです。
最後は1918年に連合軍機により撃墜、戦死を遂げてしまいましたが・・。
その後、彼をモデルとした映画等が多く制作されました。
それ故、さきほどの赤い彗星のキャラクターのモデルとは、ここにあるのではないかと私は思っています。」

A「・・なるほど、たしかにいわれてみると、そうであるかもしれません。
また、実用性に基づいて考えれば、飛行機などには迷彩塗装を施す方が良いのでしょうが、そこを敢えて目立つ赤色にて塗装を施すことには、単なる目立とうとする心情よりも、敢えて敵の前で目立つことを辞さないような古代以来、様々な戦士達が共通して持っていた率直且つ原始的な心的傾向のあらわれではないかとも思えますね。」

B「ええ、そうですね、しかし、そうした古代以来の戦士達の伝統的な心的傾向とは、近代戦の中においてはむしろ積極的に必要のないものとなり、そういった悲劇を一つの題材として描いているのが映画監督の方のルノワールが第一次世界大戦の頃を舞台にして制作した「大いなる幻影」ではないでしょうか? 
この映画においても、そうしたキャラクターを演じているのは偶然でしょうかドイツ貴族を出自に持つ撃墜され負傷したパイロットでした・・。」

A「なるほど、そうしますと、第一次世界大戦のような国を挙げての総力戦になりますと、それ以前に見られた個人の向こう見ずな勇気、武勇などを重んじる古来からの戦士的な要素が不必要なものとなり、それよりもむしろ何といいますか勤め人的な勤勉さの方が重要視されるようになるのでしょうか・・?」

B「ええ、全体的な傾向として見ると、あの時代の周辺にはそのような変化があったのではないかと思います。
また、それは近代直後の我が国において見られた一連の不平士族の叛乱の原因においても同様のことがいえるのかもしれません。
さらに加えて、そうした様々な職業上における、良い、相応しいとされる心的傾向、行為態度の変化とは、少しずつであるかもしれませんが、現在においてもまた見られるのではないかと思います。」

A「なるほど、たしかにそうであるかもしれません。
それで、さきほどの真田幸村に話を戻しますと、あの時代も戦国時代末期から安定に向かおうとする丁度変化の時期でしたので、その中で彼等のような赤い色で統一された一群とは、やはり注目され、勝敗に係らず歴史に名を残すことになったのかもしれませんね・・。
とはいえ、それは幕末期における新撰組と同じような、ある種、悲劇的なものであるようにも思えます。」

B「ええ、そうですね・・。
そして私の場合、そこからチャーチルの書いた文章の一節を想起します。」

また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。



2016年2月6日土曜日

20160206 ブログの閲覧者数およびその変化について

A「先日200回目の記事を投稿しましたら、少し気が抜けてしまったようで、どうも上手いことネタ、文章が思い浮かばなくなってしまったようです・・(苦笑)。」


B「・・そういうのは大体気のせいではないですか?
それでもこれまでのAさんのブログを読んでみますと、文章を書くこと自体が好きなのではないかと思われますけれどね・・()
まあ、それでもスランプみたいなものは同時にあるとも思いますので、あまり深刻にそういった状況をとらえずに、落ち着いて何かしら思ったことを書き続ければそれでいいのではないでしょうか?
とはいえ、最近のブログの閲覧者数の推移などはどのような感じですか?」


A「どうもありがとうございます。
たしかに気のせいといえばそうであるかもしれませんね。
お陰様で少し気が楽になりました・・。
それで、閲覧者数は相変わらず毎日100~200人の間で推移しています。
まあ、ここから閲覧者数のケタが増えるようなことも当面はあまりなさそうですので、とりあえず現状維持を目標にしようと思っています・・。」


B「・・そうですか、しかしAさんのブログで一日100人程度閲覧者いること自体に私は少し驚きますね(笑)。
また、それらブログを読んでいる方々は一体どのようなスタンスで読んでいるのでしょうか?
私はAさんが作成した対話形式の記事と書籍からの抜粋記事の関連などを時折不図考えたりしますが、そういった傾向などは閲覧者の動向などを見ていて何かわかりますか?」


A「ええ、そこがなかなか面白く、またブログを簡単に止められない主な原因なのです・・()。
とはいえ、両者(自身の作成記事、書籍からの抜粋記事)の関連とは私自身よりもむしろ、この閲覧者の動向によって気付かされることの方が多いのです(苦笑)。
ですから、変な話であるかもしれませんが、記事を書いている私の方が、閲覧者によって教えられているような感じが始終つきまとっているのです()
そして、このことを言い換えると、私の投稿する記事をそれだけ興味を持って読んでくださっている方々が存在するということになると思います。
それ故、ブログ記事の作成を止めることがどうも困難になるのです・・(苦笑)。
また、このようなことをBさんにいうのは多少恥ずかしいのですが、ブログの記事作成をかなり面倒に思う日も少なからずあります・・。
しかし、それでも何かしら書くか抜粋しないと、挑戦してくるように様々な記事の関連を指摘してくる読者の方々に対して負けたような感じがしますので、どうも何かしら書かざるを得なくなるのです・・。
とはいえ、時折、そういった反応とは、単なる私の思い込みであり、実はそのような読者など存在しないのではないかと思うこともあるのですが、しかし、そうした時に限って、面白く無視できないような関連を指摘してくるのです・・(苦笑)
そのように考える私とは心を病んでいるのでしょうか・・()。」


B「・・まあ「自縄自縛」という言葉もありますが、それでもこうして話している限りではAさんが病んでいるという感じは特に受けませんが・・。
しかし、そうした記事の関連性を指摘してくる存在とは実在して、さらに意識して行っているのでしょうか?」


A「ええ、多分意識しているのではないかと思います。
ただ、これが一人によるものであるのか、あるいは複数によるものであるのかは色々考えてみてもイマイチよくわかりません・・。
とはいえ、こうした関連を指摘出来る能力とは、かなり学問を積んだ人間であり、まあ、間違いなく私などよりもはるかに頭脳明晰、優秀な人間であると思います・・。
それで、これまでに何度か知人の中で、こうしたことが出来そうな方々を考えてみたのですが、どうもピントが合う存在が思い浮かばないのです・・。
ただ「能ある鷹は爪隠す」ともいいますので、こうして考えた中に誰かしらは該当するのではないかとも思います。
そして、それが女性であればさしずめシャーロック・ホームズの「ボヘミアの醜聞」に出てくるアイリーン・アドラーのような存在ではないかと思います()。」


B「・・ははあ、それがもしも男でしたらモリアーティ教授ということになるのでしょうか()
しかし、何れにしても、そうした連想が出来るということは、ある程度、事態を客観視しているということになりますので、まあ、少なくとも病んではいないのではないでしょうか? 断言はできませんが・・(笑)。
とはいえアイリーン・アドラーとは面白いたとえですね。
またAさんの見知っている方々の中で、そうした一連の指摘が出来そうな女性はいるのですか?」


A「・・これはBさんも同意していただけると思いますが、女性のそうした才能とは、男性一般よりも優れていると思いますので、そうした可能性とは、たとえ私に女性の知人が少ないことを差し引いても充分にあり得ると考えております・・。
また、これを「希望的観測ではないか?」とお考えでしたら、たしかにその可能性も否定できませんが、一方、こうした何といいますか、高度に形而上的な状況の操作とは、私の経験によりますと、女性に多くみられる才能であると推察しますので、これは女性の仕業である可能性が案外高いのではないかと思います。」


B「・・どうも上手く返事をしにくい展開ですが、いわんとする内容はわからなくもないです・・(笑)。
では、これら全ては実は私が行ったことであると白状しますとAさんはどう思いますか?」


A「多分Bさんでしたら、私の一連のブログに対して鋭い指摘をすることはそこまで難しくないと思います・・。
しかし一方、それだからこそ、継続的にパンチ力のある指摘をしてくることはないのではないかと思います。
つまりBさんでしたら客観視に基づくブログ記事の再配列の可能性を示唆するのに対し、私が感知する指摘とは、そうした性質に基づくものではないのです。
あるいはもしかすると外国の方であるかもしれませんが、そうであるとすれば、海外在住の長い日本人であるか、相当日本の歴史、文化といった内情に通じている外国の方ではないかと思います・・。」


B「ううむ、どうでしょうか・・?
とはいえ、今後もブログを書き続けてゆくと、そういったことが多少はわかってくるのではないでしょうか?
そして、一つにそうした可能性を希望として抱きつつ記事を作成し続ければ良いのではないでしょうか?」

A「ええ、ですから次回投稿するブログの記事は、この一連の会話から個人特定の要素を除いてネタにしようと思います。」


B「ええ、それでいいのではないでしょうか。
しかし、そうしますと、そこでの私は狂言回しのような存在になりそうですね()。」


A「いえ、さきにお話しした事情を鑑みると、実は私自身が一連のブログでの狂言回しではないかと最近よく思います・・()。」


B「・・はあ、そうしますとAさんのブログ作成における能
動性の由来とは、案外単純なものではないようですね・・。
とはいえ、あらゆる創造的活動において能動性が欠かせないとも思いますので、これはなかなか奥深く、そして面白い問題であるかもしれません・・。
つまり、多くの内外文化において文化、創造の神とは女性神ですからね・・。
ですから、さきほどのAさんの推理が錯覚、間違いであったとしても、実はそちらの方が創造、つまりブログ記事の作成においては好ましいのかもしれません・・()。」


A「・・・そうした客観的な発言をされるBさんであるからこそ、ボディ・ブローのように後でジワジワ効いてくるような指摘はしないのではないかと思うのです・・とはいえ、このことで議論を続けますと水掛け論になりそうな予感がしますね・・()。」

B「ええ、そうですね()。」

2016年2月5日金曜日

竹山道雄著「昭和の精神史」講談社刊pp.275-279より抜粋20160205

罪ある日本人の一人として、面に唾されながら、私はひそかに呟く。-「いかにも自分には罪がある。しかし、ほかならぬ同胞からこれほどまでに嘲られるおぼえはない」
戦争とそれが生んださまざまな痴愚悲惨は、すべてわれわれが呪うべき国民性をもった日本人であるという不幸な烙印をおされているためである、-こういう断定をきくごとに私はいいがたいいらだたしさを感じる。
そして、誰か専門家が私の疑念に答えて、私のいいたくていえないでいることを事実をあげ歴史をたどって解明してくれるといいが、と思うのである。
しかし、専門家ほど右のような断定をする。
しかたがないから、私は自分がひとりで呟く言葉を記そうと思う。
われわれは真に恥ずべき思い出を持っている。
それはじつに奇怪なものだった。ある群棲動物はときどき不明の原因から集団ヒステリーにおちいり、その天賦の賢さをことごとく失ってしまって、野を馳けり海に泳ぎ入って、ついには大量自殺におわる。ということである。ことによったら人間の社会にもこういうことがおこるのだろうか。
すくなくとも、われわれは体験したが、社会の集団的妄想は一たびうごきだすと、あとはもう力を増すばかりで、とどめることができなくなってしまう。それは、伝染力のあるヒステリーのごときものとなる。
戦局がおしつまってから小磯内閣が成立したが、首相のラジオ放送はこんなものだった。
「・・・天皇陛下は宇宙絶対の神に在しますことはいまさら申すまでもなく・・この信念に立脚して億兆一心総力を発揮するとき、その結果は宇宙を貫く絶対力となってあらわれ・・ここに人類最高の道義は確立せられ、戦勝に必要なる物量も天佑神助とあいまっておのずから獲得せられ・・」
いまこの悪夢からさめて、日本人の霊感は自己否定である。悔恨ということには自己の維持と尊重があるが、それをする気にもならない。むしろ、否定し、疎隔し、嘲り罵って、一種の快を味わうにしくはない。
それは自己嫌悪よりもむしろ他人嫌悪にちかい。ほとんどすべての主張の根拠となっているものに日本人劣等説があり、これが一切に解決をあたえている。
会話の際にも口ぐせのように、「どうもこの日本人という奴は-」といっている人がたくさんある。新聞雑誌の時評欄はみなこの霊感によっている。
そこには一つの定型がある。
世の中にはいつもそのときそのときの思考の公式があるらしく、それらは形がちがっても共通して倨傲だが、いまのそれは次のようなものである。
われわれのもっているたくさんの欠点の一つをとらえて、それに外国の姿を対比させる。
外国はアメリカでもあり、ヨーロッパでもあり、ロシアでもあるが、いずれも道徳的に完成された自覚ある近代人の理想社会といったようなものである。
これに比して、われらの人間性は何と恥ずべくいやしむべきものであろう-、というのである。そして、それは社会の後進性に由来する。
たとえばこんなふうである。
-婦人専用車にのるのをいやがる女がたくさんいる。
女ばかりの中にはいると、四方から嫉妬敵意の目がそそがれるからである。
自分は某国の某広場で式典に参加したが、あつまった人々は新興社会の同志愛に燃えて、他人の服装なんか気にしていなかった。日本の女がひさしきにわたった隷属的地位のためにもつようになった、あのいまわしい性癖などは、誰ももってはいなかった。
この日本人蔑視は、それを説く日本人の自己顕揚をともなっている。
説者はしらずしらずのうちにある抽象的な超国籍的な高い境地に入り、しばらくのあいだ日本人たるの屈辱的境地を脱れでて、一種の人間的昂揚を味わうことができる。
そこにはおおむね、ロマンチックな人を見下す姿勢がある。それで、いまの日本人のインフェリオリティ・コンプレックスは、じつはかくれたシュペリオリティ・コンプレックスなのではないか、と思うことがよくある。
こういう人は高い境地に入って、その一員となって、こころよい夢にふける。
彼が属するその世界では、人間性自体のもつ欠陥というものはもはやない。
人間性の欠陥はことごとく日本人であるが故の制約である。およそ、すべての国には長所もあり、それぞれの国民はそれぞれの欠陥にくるしんでいる。
しかもその多くのものが共通のくるしみである、ということは容認されない。
そういうリアリスティックな考え方は神聖な幻を冒涜するものであり、この幻がなくなったら説者の誇らしい精神の支柱はなくなる。
この性癖も、ある人間的に普遍的な傾向になっているものと思われる。多くの国民にある程度まではおなじことがある。ヴントの「諸国民とその哲学」につぎのようなことが書いてある。-このドイツ的性格の欠点と弱点は、二重の意味で国民的悪徳である。それは第一に他の民族よりもドイツ人に独特であり、第二に国民それ自体を害う。この欠点とは、外国人の盲目的な模倣であり、みずからに独自なるものの否認である。・・単に異国的なるが故に盲目的に模倣し、単に模範に似ていないというので絶対的に排撃する奴隷根性は、品位をきずつける。・・しかも、他国に移住するドイツ人が他の文化民族よりもはるかにはやく自己の国民性を喪失するという、あの大きな禍・・。云々。(この最後のことは、日本人の場合にはないことで、海外の日本人はむしろ頑固に個性をまもるというが。)
日本文化をどれほど遡っても外国崇拝のあとのない時期はない、ということである。
その主な原因の一つは、地理的にあるような気がする。
一日汽車にのればいくつもの国境をすぎるあの狭いヨーロッパですら、一般の人々は他国のことを知らず、むかしからの伝統的な幻のごときものを持って対している。
それはおどろくほどである。
日本人は外国人と切実な接触をしたことはなく、つたえられたものは外国のいいものばかりだった。しかも、人間はつねに現実に対しては不満であり、現在以外の過去か未来に黄金時代を設定したがる。日本人がたしかに偉大な未知の外国を理想化考えるのも、むりではない。
そしてまた、外国を見てきた人は、おおむね彼が外国に行く前にいだいていた観念をそのままもってかえれるのだし、リアルな世界を見てきたといったのでは自慢にはならず、自分がより立派な世界の一員であったとするほど彼自身の経歴もたかまる。しかも、大抵の日本人は彼地にいたあいだは日本にいるあいだの生活苦からは解放されて、かれらの生涯の最良の年を送ったのである。

昭和の精神史
ISBN-10: 4061586963
ISBN-13: 978-4061586963
竹山道雄


2016年2月4日木曜日

20160204 祝200記事達成

A「お陰様で、次に作成する記事により自身の文章および書籍の抜粋のみで200記事となります。また、偶然でしょうが本日(2/3)で私のブログの表示回数が10万に到達しました。
昨年の6月にこのブログをはじめて8ヶ月あまりで、この表示回数とは、多いのか、少ないのかわかりませんが、何れにしましても一つの良い区切りになります。そして、本日記す予定のブログを含め全200記事のうち、自身の作成記事は80以上であり全体の40%以上となりました。今後もできるだけ自身の作成記事の割合を増やしてゆきたいところですが、一方において、書籍の抜粋記事を作成することにより、様々な発想も思い浮かぶようですので、これもまた同様に続けてゆきたいです。ともあれ、次の具体的な目標は、自身の作成記事数を100にすることですね・・。」

B「はあ、次に作成する記事でAさんがキーボードに打ち込んだ投稿記事数が200になるわけですか・・。あと、自分で作成された記事数が80以上とのことですが、これも結構な分量になったのではないですか?私も仕事柄、色々と書きますが、Aさんの作成記事のようなものは書いたことがありません。書いてみたら案外面白いのかもしれません・・(笑)。」

A「ええ、しかしBさんでしたら背景、引き出しが私よりも豊富であると思いますので、もっと面白いものを書くことができるのではないでしょうか?また、こうした試みはこれまでに為されたことがあるかわかりませんが、たとえば、私の作成ブログのような対話形式文章内での発言に対し、さらにツッコミ、注釈を別の人物(複数でも可)が加えてゆくなどというのはどうでしょうか?つまり対談に基づいた別次元での対談とは、あまり聞いたことがありませんので、案外面白いのができるのではないかもしれません・・(笑)。」

B「うーん、どうでしょう・・。それは面白いかもしれませんが、しかし、そうしたことは江戸期の儒学者においても多く見られたことではないでしょうかね?当時彼等が読んでいた中国の思想的な古典とは、多く問答、対話形式であり、その言動の間にある思想を考察、推理するのが彼等の主なアプローチの仕方でした。ですから、彼等の持つ書籍の多くの頁には多く付箋が貼られ、同様に注釈が書き込まれていたそうです。また「古事記」の読解で有名な本居宣長も「古事記」に対して、そのようなアプローチを用いて読解、解釈していったのでしょう・・。ですから後に儒教的な思想を「漢心」(からごころ)として排斥していた本居宣長ではありましたが、日本最古とされる古典「古事記」に対して彼が用いたアプローチの仕方とは、実は「漢心」にかなり由来するものであったのではないかと思います・・。そして、こうした事情から否応無く生じるジレンマとは、おそらく古くから現代に至るまで続いているのではないでしょうか・・?」

A「はあ、なるほど、そういわれますとたしかにそうかもしれませんね・・。また、そうしますと、我が国における何といいますか国粋派、開明派間の対立の背景、原因といったところに関心が向いてゆきますね・・。現代では様々な解釈があるようですが、たとえば6世紀後半における物部氏、蘇我氏の対立、抗争の背景にもそういった要素があるといわれております。また、近代においては19世紀後半、幕末期の攘夷派、開国派間の抗争などもそうであり、明治維新後の神風連の乱、西南戦争などにおいてもそういった背景が少なからずあるのではないかと思います・・。さらに、丁度現在の我が国社会においてもそうした対立はあるのではないでしょうか・・?」

B「・・ははあ、なるほど、それは丁度200回目のブログ記事のネタとして、なかなかふさわしいかもしれませんね・・(笑)。」

A「ええ、ですから、また個人特定の要素を除いて、この会話をブログのネタにさせていただきます(笑)。ともあれ、我が国における国粋派、開明派間の争いとは、他の国々においてはどのような背景によって争われているのでしょうかね?」

B「・・分かり易い例として、戦間期におけるドイツの国民社会主義政党、つまりナチスの勃興、台頭の社会背景みたいなものが挙げられるのではないでしょうか・・?」

A「・・はああ、なるほど、そうしますと、それまでの平穏な社会が、何かしらの外来の要素によって乱されたと社会に広く認識されると、それに反応して、強い凝集性を持つ国粋主義的な傾向を持つ勢力が台頭してくるといったところでしょうか?」

B「ええ、まあ、そうですね、そして偶然であるかもしれませんが、今の発言にあった「凝集性」とは、多くの国粋主義的な勢力が持つ特徴であるとされています。

また、それは戦前の我が国の社会においても同様の傾向があったのではないかと思います。この場合の凝集性とは、御存知であると思いますが、明治維新後に恣意的な政策により、そのような傾向を持つようになったのか、あるいはそれ以前からそうした傾向が社会全般にあったのかわかりません。ともあれ、そうしたことを考える際にヒントとなりそうなものとして、現在も西日本に幾つか残る旧国造家が、その地域社会において、歴史を通じどのような存在として認識されてきたかを考えてみますと、何となく理解に近づくことが出来るのではないかと思います・・。」

A「・・なるほど、そうしますと、元来我が国の社会とは、そこまで凝集性が強くはなかったけれども、一方において恣意的な政策、操作により、そうした傾向らしきものを社会全般に惹起し易い側面も持っているといったところになるのでしょうか・・?」

B「うーん、そこまでは、言い切れませんが、そのような側面も持っているのかもしれません・・。とはいえ、私はそうした凝集性自体は特に悪いものではないと思います・・。
むしろ良い側面も多くあるのではないかと思います。しかしながら、厄介なことは、覇権を狙うある勢力が、そうした傾向を自身の利己的な目的を遂げるために利用しようとすることではないでしょうか・・。」

A「ええ、それはよくわかりますね・・。しかし、そうした考えとは、現在までのところ、あくまでも理想論でしかないところがなかなか残念なところですね・・(苦笑)。」




2016年2月3日水曜日

20160203 過去、未来および異文化理解などについて

A「先日たまたまテレビを観ていて思ったのですが、何故我が国の政治家、アイドル、著名人達はことさらに「前だけを見て進んでゆきたいと思います。」といったニュアンスの発言をされるのでしょうか?
それは「未来を見据えて着実に前進してゆきたい。」というポジティブな発想によるものなのでしょうが、一方、そういった発言を何度も聞いていると、どうも「この人は本心でそう思っているのだろうか?」と考えてしまうのです。
というのは、前つまり時間軸でいう未来とは、未だ実在していないものですから、それを認識することは困難であると思うのです。
一寸先は闇」などという言葉もあるくらいですから・・。
そういった一面があるにも係らず、さきほどのような発言ばかり目立つというのは何か過去を忘れたいような心情があるのではないか、あるいは、その未来に見込まれる現世利益に対してのみ注視しているのではないかと考えさせられるのです。
もちろん、現世利益は極めて大事であると思いますが、一方で、そこには、忘却を指向しているような心情があるのではないかとも思います。
無論、あくまでもそれらは外部に対するスタンスではあると思うのですが、しかしそこでも、発言者の本音とは、傍目八目的に見出されてしまうのではないかと思いますが・・。」


B「ううむ、またよくわからない主張をされていますが、まあ、それでも我々日本人が過去の歴史、出来事あるいは文化に対して持つ一種敬虔な態度とは、大抵の場合、一種のゼスチャーではないかと思うことが時折ありますね・・()
また、そういったことは昨今の情報技術の進化発展により、徐々にそして一層諸外国にも認識されるようになってきたのではないでしょうか?
かつて「日本人はわかりにくい。」などといわれていましたが、それが良くも悪くも崩れつつあるのではないでしょうかね・・?」


A「たしか小噺で「日本人は何でも小型化するか隠したがる。」というのを読んだり、聞いたりしたことがありましたが、そうした傾向が情報技術の進化発展により見え易くなってきたということなのでしょうか・・?
そして、その結果、我々日本人の持っていた性質、傾向が、かつてより知れ渡るようになったのではないかと思います。
また、その知れ渡った性質、傾向とは、欧米を主とする、まあキリスト教文化圏から見ますと、どうも反りが合わないものが多いのではないかとも思います・・。
しかし一方において、その性質、傾向とは、我が国の歴史文化、つまり精神的風土に根差しているものであるのです。
それは伊豆半島イルカ漁紀伊半島捕鯨文化のように・・。
また、そういった文化をさらに深くまで考察してゆくと、イルカ、クジラといった動物を対象とするものだけでなく、人間を対象とした対人文化においてもほとんど無意識であるかもしれませんが、大きな影響を及ぼしているのではないかと思います・・。」


B「ええ、そうした動物などに対する狩猟文化とは、古代より維持発展してきた、まさしく文化の中心に位置するものであり、また、その国、地域の自然の流れに沿い生成してきたものなのだろうね・・。
加えて、異文化の人間がそれを見た時に即物的であるがゆえに最もショックを受ける部類の一つでもあるかもしれません。
しかし、そう考えると、近代以降は別として一般論では日本人は奈良、平安時代あたりからあまり獣肉を食べることが少なくなり、現在の我々は、直接的にその後の非肉食文化の系譜に立つのではないかな・・?
ともあれ、その非肉食文化が大きく変化したのが明治維新あたりからなのですが、この食文化の変化も当時はなかなか大きいものであったのでしょうね。
まあ、そうしますと古来より継続して肉食文化を保持してきた国々の方が、我が国のイルカ漁、捕鯨文化を糾弾し禁止させようとするのも何だか面白いですね・・(苦笑)
また我々も我々で「現在我々は既に貴方がたの肉食文化を学び、完全に吸収しましたので、もうイルカ漁や捕鯨は必要ありません。」などとは決していいませんからね()
しかし、クジラのヒゲは文楽、人形浄瑠璃の操り糸として必要であるということですが・・。
ともあれ、我々日本人とは、直接身体的な要素に関して、かなり繊細、鋭敏な感覚を持ち、また、その快の追求において貪欲なのではないかと思います・・。
その意味で欧米の文化とは、そうした感覚の繊細、鋭敏さよりも合理性の追求の方をより上位に置いているようにも見えますね・・。
また、それと関連があるかわかりませんが、資本主義が典型的な発展を遂げたといわれる西欧の島国、新教の禁欲的な精神により商業活動が活発に為された国、地域などでは、料理、食文化はあまり高度に発展しなかったといわれますが、彼等はそれでも別に構わない文化を保持していたのではないかと思います。
こうしたことは、我々から見ますと、多少奇異に見えるかもしれませんが、実はこういったことは国内外を問わず、様々な文化の間でも同じようなことがいえるのではないでしょうか?
それ故、私は異文化に対して理性、理屈レベルで批判する気はありませんが、しかし、そこで問題になるのが、さきにAさんが仰っていた対人文化も各々の文化体系に含まれるということであり、実は、その文化体系こそ、様々なレベルでの対外的な摩擦を引き起こしているのですが、だからといって、その摩擦を引き起こしている部分、要素だけを他に取り換えることが出来ないのが文化一般というものではないかと思うのです。
そうしますと、太平洋戦争とは、明治維新以来の外来文化に対する無意識レベルでの拒否反応であったとも見ることが出来るかもしれません・・。
とはいえ、一方においてオレンジ計画などの存在もあるとは思いますが・・。
そして戦後日本社会は、自国の組織内において、その手法を真似するようになったのかもしれません。
また、人は他者から為されたことを無意識レベル(ここが大事であるかもしれない。) また別の他者に対して行ってしまうのではないでしょうか?
しかし、この無意識を意識して明晰化するということは一体どういうことなのでしょうか?
あるいは前を見て進んでゆくということはどういうことなのでしょうか?」


A「はあ、最後のは何だかコンラッドの「闇の奥」を彷彿とさせますね・・。」