本日の首都圏は元日にしては気温も上昇し、日中に関しては比較的過ごし易かったのではないかと思います・・。
また、このブログ記事に関しても本日の投稿は止めておこうと考えましたが、さきほどブログ閲覧者数を見たところ、思いの他多くの閲覧者を得ていたことから、書くことに決めました。
昨日のブログ記事においては西郷南洲翁(隆盛)のことを題材として取り上げました。
しかし、よくよく考えてみますと西郷隆盛に限らず、多くの歴史上の人物の個性・性格とは、関連するいくつかの書籍、資料などを読んでみますと(最近のテレビドラマのような)安易な解釈が出来なくなるように思われます。
このことを異言しますと、その人物の行った業績と個性、性格との間に矛盾が見られ、つじつまが合わないことが多いのではないかということです・・。
また、そうした個性、性格を持つ人物が比較的多く見出され且つ、現代に一番近い時代が、幕末維新ではないかと思います。
おそらく、この維新回天期とは、江戸時代、封建制の枠組みに抑えつけられていたさまざまな個性、性格が、枠組み(封建制度)の劣化、弱体化により、そのエネルギーがあふれ出てきた時代であったのではないでしょうか?
そうした時代では(封建)制度内においては有効であった個性、性格よりも、より総合的な現代でいうところの「人間力」を持っている人物の方が活躍する可能性が高いのではないかと思います。
そして、西郷隆盛をはじめ、日清、日露戦争(明治維新~太平洋戦争敗戦の前半部)あたりまでに活躍した我が国各界首脳部の多くとは、主にこの「人間力」がその後の時代の我が国各界首脳部に比べ高かったのではないかと思います。
「ヒトが制度を作り、そしてその後は制度がヒトを作る」と云いますが、近代以降の我が国とは、ヒトが制度を作っていた時期(明治維新~太平洋戦争敗戦の前半部)においては、比較的上手く国を運営することが出来ていましたが、その後、制度がヒトを作る時期(同後半部)に入りますと、何といいますか、つじつまは合っているが小さくまとまっている人物たちが各界首脳部におさまるようになり、彼等が国政を主導した結果として、数々の失策に続き、太平洋戦争の敗戦に至ったのではないかということが出来るのではないでしょうか?
そして、そのように考えてみますと、焦点を当てるべきは「ヒトを作る制度」ということになると思われますが、それをより具体的にいうと「教育制度」ではないかと思います。
しかしながら、昨今はいざ知らず、少なくとも近代以降の我が国の教育制度とは、概ね高い水準を維持してきたと国際的な見地からも認識されている(た)といって良いと思います・・。
そうしますと、その「教育制度」の中の如何なる要素が個々の「人間力」の増進に寄与しない、あるいは劣化させたのかと考えてみますと、それは初等、中等そして高等教育と段階分けされる教育制度全般のなかで特に高等教育において、そうした傾向が強いのではないかと思われます・・。
とはいえ、こうしたことは同じく昨今、さまざまなところで主張されていることではありますので、ここで特に強調しておきたいことは、そうした我が国高等教育の変革の必要性が認識されるにしても、その具体的な変革が反知性的な方向に舵を切らないようにした方が良い、あるいは卒業、修了後の社会において必要とされる技能、知識の獲得により重点を置くことは、むしろ歓迎すべきことではあるのですが、同時にそれが教養といった『ある種の学問への能動性』の活性化に寄与せず、逆に、その芽を摘み取ってしまうことにならないよう細心の注意をもって推し進めて頂きたいということです。
そして、これが現今の我が国高等教育およびその変革において重要なことではないかと思います。
また、追記すると、近代以降の我が国とは、そうした(一見些細な)ことを蔑ろにした結果、毎度、変な方向に行ってしまっているのではないかと思われることがあります・・。
とはいえ、これもまた煎じ詰めますと、我が国の極度に此岸性を重視する性質(国民性としての執拗低音、バッソ・オスティナート)の結果であるのかもしれませんが・・。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
2017年1月1日日曜日
20170101 新年あけましておめでとうございます。
新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
さて、来年(2018)の大河ドラマは西郷南洲翁(隆盛)を主人公にしたものになると聞きました。
ここ数年私は大河ドラマを視聴しておりませんので、あまり関係ありませんが、西郷隆盛とは、我が国の近代史において、その評価が難しい人物の一人であるといえます。
そして、その評価を難しくしている原因を端的に述べると、西郷隆盛の人格形成とは、前近代の封建時代たる江戸時代末期に為され、維新回天期に大いに活躍し、そしてその結果誕生した明治政府に対し、その同じ人格がさまざまな矛盾(自身の思想・理想からの)を感じ、下野そして、周囲の強い要望もあり明治政府に対し反旗をひるがえし、近代日本史上最大の内乱といえる西南戦争に至ったことにあるといえます。
つまり彼は近代日本(明治政府)の立役者の最重要人物の一人であり、同時にその設立された明治政府に対し近代日本史上最大の叛乱を起こした人物でもあるのです・・。
そのように書きますと、たしかに、そこには一人の人格の中に何かしら矛盾した要素の存在が看取され、それらを包括した一人格としての評価を困難にし、また、その人生をうまく描くことをも難しくさせるのではないかと思われます。
とはいうものの、これまでに西郷隆盛の人生を描いたさまざまな作品がありました。
私はそれら全てに目を通したわけではありませんが、鹿児島に在住した経験に基づいてかつて目を通したそれら作品を考えてみますと、それらの多くには何か大事な視点が描き切れていないのではないかと思われるのです・・。
そして、その大事な視点とは、西郷隆盛の人格形成が如何なる環境で為されたかということです。
このことは、他の多くの薩摩藩に出自を持つ明治政府の元勲、高位高官、西南戦争で西郷軍側で立った方々に関しての記録、書籍などを読んでみると、ある程度最大公約数的に分かるのではないかと思います。
さらに、実際その土地にある程度の期間住むことにより、その環境といったものを知性のみならず、感覚的にも実感にもとづき、ある程度理解することができるのではないかとも思います。
その意味において、私見とはなりますが、鹿児島とは、今なお西南戦争の記憶が強く生きている地域であるといえます。
あるいはそれは古代以来、南九州勢力の中央政権、覇権勢力に対する反乱の一つとしての記憶であるのかもしれませんが・・。そして、そうした反乱のなかで首尾よく成功してしまったのが明治維新であったのかもしれません・・。
さて、維新回天期(戊辰戦争)において東北諸藩、ことに会津藩が受けた苦痛、被害は甚大なものであったことはさまざまな史料が伝えるところではあります。
そして、その主要な敵役の一つであった薩摩もまた、そこからおよそ十年程度後に同様、あるいはそれ以上の苦痛、被害(西南戦争)を受けることになったことには、何かしら意図せぬ歴史の詭計以上の運命的なものを感じさせます。
このことは、特に鹿児島、薩摩について考える際に大変重要な視点であると考えるのですが、同時に理知的な文章による説明はどうも困難さをおぼえてしまうのです・・。
とはいえ、先を続けて書きますと鹿児島、薩摩とは、何かの策を相手に為すにあたり、先ず自らが相手と同化して、そこから相手を徐徐に自分のペースに持っていき策にはめるといったところがあるのではないかと思われるのです・・。
そしてその見方によれば戊辰戦争と西南戦争の間には、そういった関係があるのではないかと思われるのです。
また、それは狸と狐の人のばかし方の狸に近いのではないかと思うことがあります・・。
ともあれ、こうしたある種の(醸成された)地域性により、その地域の歴史は展開していき、さらにその集合体である国の性質から、その歴史は外部作用との種々反応により展開していくのではないかと思います。
さて、そこでハナシを戻し、鹿児島・薩摩地域を代表するといっても良い西郷隆盛を大河ドラマの主人公として扱うのは、かつて司馬遼太郎原作の「翔ぶが如く」がありましたが、特に現在においてはなかなか難しいのではないかと思うのです・・。
そうした、何といいますか激動の時代を生きた人間像を扱いたいのであれば、むしろ西南戦争以降、不平士族のエネルギーが向かった自由民権運動、国粋運動などを、ある地域、団体などを基軸として扱い群像劇的なドラマとした方が現在の我が国では面白いのではないかと思います・・。
いずれにせよ、諸文化の先端をいく洗練された首都圏、東京のメディアが原作は何であれ、都市(東京)と地方の(主に経済的)格差が広がりつつある現代において西郷隆盛をテレビドラマの主人公として描くことに私は漠然とした危惧をおぼえます。
たとえそれにより鹿児島に観光客が増え、多少経済的な効果があるとしても・・・。
特に西郷隆盛とは(現在の)テレビドラマ化というある種の安易な普遍化により消毒あるいは人畜無害化されてはいけない人物であると思うのです。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。
中江兆民著「三酔人経綸問答」
白洲正子著「白洲正子自伝」
野上彌生子著「迷路」上下巻
竹山護夫
今年もどうぞよろしくお願いします。
さて、来年(2018)の大河ドラマは西郷南洲翁(隆盛)を主人公にしたものになると聞きました。
ここ数年私は大河ドラマを視聴しておりませんので、あまり関係ありませんが、西郷隆盛とは、我が国の近代史において、その評価が難しい人物の一人であるといえます。
そして、その評価を難しくしている原因を端的に述べると、西郷隆盛の人格形成とは、前近代の封建時代たる江戸時代末期に為され、維新回天期に大いに活躍し、そしてその結果誕生した明治政府に対し、その同じ人格がさまざまな矛盾(自身の思想・理想からの)を感じ、下野そして、周囲の強い要望もあり明治政府に対し反旗をひるがえし、近代日本史上最大の内乱といえる西南戦争に至ったことにあるといえます。
つまり彼は近代日本(明治政府)の立役者の最重要人物の一人であり、同時にその設立された明治政府に対し近代日本史上最大の叛乱を起こした人物でもあるのです・・。
そのように書きますと、たしかに、そこには一人の人格の中に何かしら矛盾した要素の存在が看取され、それらを包括した一人格としての評価を困難にし、また、その人生をうまく描くことをも難しくさせるのではないかと思われます。
とはいうものの、これまでに西郷隆盛の人生を描いたさまざまな作品がありました。
私はそれら全てに目を通したわけではありませんが、鹿児島に在住した経験に基づいてかつて目を通したそれら作品を考えてみますと、それらの多くには何か大事な視点が描き切れていないのではないかと思われるのです・・。
そして、その大事な視点とは、西郷隆盛の人格形成が如何なる環境で為されたかということです。
このことは、他の多くの薩摩藩に出自を持つ明治政府の元勲、高位高官、西南戦争で西郷軍側で立った方々に関しての記録、書籍などを読んでみると、ある程度最大公約数的に分かるのではないかと思います。
さらに、実際その土地にある程度の期間住むことにより、その環境といったものを知性のみならず、感覚的にも実感にもとづき、ある程度理解することができるのではないかとも思います。
その意味において、私見とはなりますが、鹿児島とは、今なお西南戦争の記憶が強く生きている地域であるといえます。
あるいはそれは古代以来、南九州勢力の中央政権、覇権勢力に対する反乱の一つとしての記憶であるのかもしれませんが・・。そして、そうした反乱のなかで首尾よく成功してしまったのが明治維新であったのかもしれません・・。
さて、維新回天期(戊辰戦争)において東北諸藩、ことに会津藩が受けた苦痛、被害は甚大なものであったことはさまざまな史料が伝えるところではあります。
そして、その主要な敵役の一つであった薩摩もまた、そこからおよそ十年程度後に同様、あるいはそれ以上の苦痛、被害(西南戦争)を受けることになったことには、何かしら意図せぬ歴史の詭計以上の運命的なものを感じさせます。
このことは、特に鹿児島、薩摩について考える際に大変重要な視点であると考えるのですが、同時に理知的な文章による説明はどうも困難さをおぼえてしまうのです・・。
とはいえ、先を続けて書きますと鹿児島、薩摩とは、何かの策を相手に為すにあたり、先ず自らが相手と同化して、そこから相手を徐徐に自分のペースに持っていき策にはめるといったところがあるのではないかと思われるのです・・。
そしてその見方によれば戊辰戦争と西南戦争の間には、そういった関係があるのではないかと思われるのです。
また、それは狸と狐の人のばかし方の狸に近いのではないかと思うことがあります・・。
ともあれ、こうしたある種の(醸成された)地域性により、その地域の歴史は展開していき、さらにその集合体である国の性質から、その歴史は外部作用との種々反応により展開していくのではないかと思います。
さて、そこでハナシを戻し、鹿児島・薩摩地域を代表するといっても良い西郷隆盛を大河ドラマの主人公として扱うのは、かつて司馬遼太郎原作の「翔ぶが如く」がありましたが、特に現在においてはなかなか難しいのではないかと思うのです・・。
そうした、何といいますか激動の時代を生きた人間像を扱いたいのであれば、むしろ西南戦争以降、不平士族のエネルギーが向かった自由民権運動、国粋運動などを、ある地域、団体などを基軸として扱い群像劇的なドラマとした方が現在の我が国では面白いのではないかと思います・・。
いずれにせよ、諸文化の先端をいく洗練された首都圏、東京のメディアが原作は何であれ、都市(東京)と地方の(主に経済的)格差が広がりつつある現代において西郷隆盛をテレビドラマの主人公として描くことに私は漠然とした危惧をおぼえます。
たとえそれにより鹿児島に観光客が増え、多少経済的な効果があるとしても・・・。
特に西郷隆盛とは(現在の)テレビドラマ化というある種の安易な普遍化により消毒あるいは人畜無害化されてはいけない人物であると思うのです。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。
中江兆民著「三酔人経綸問答」
白洲正子著「白洲正子自伝」
野上彌生子著「迷路」上下巻
竹山護夫
2016年12月26日月曜日
20161226 いくつかのストーリーに共通すると思われることについて・・
本日の首都圏もなかなか寒い一日でした・・。
そして、昨日もブログ記事の更新を行ったため、本日に関しては「特に無理をして書く必要もないのではなかろうか・・?」と思った次第ですが、書きはじめた手前、やはり何かしら続けて書く方が精神衛生的にも良いのではなかろうか・・?と続けて思った次第です・・(苦笑)。
そういえば、12月はじめに投稿記事数が500に到達してから、ほぼ20日近く断筆を試みた(笑)わけですが、その後、現在再度書きはじめるのは、特に苦痛ではありません。
ただ、問題となるのが、ブログ記事のネタであり、これはその場その場の想念に尾鰭を付けて書けば良いのでは?と考えた時期もありましたが、どうもそればかりでは、記事の内容が深化し辛いようです・・。
その意味において、比較的初期のブログ記事の方が内容としては深いものが多かったのではないかと考えます。
とはいえ、現在もまた、それなりにさまざまな著作は読んでおりますので、やり方、考え方次第では、今後更なる文体の洗練、内容の深化を図ることができるのではないかといった期待もまたあります・・(笑)。
そして、そのためには、やはりまた、ある程度文章を書き続けなければならないのかもしれません・・。
このようなことを記しておりますと、以前読んだアルベール・カミュ著「シューシュポスの神話」を思い出します・・。
また、シューシュポスで思い出すのは、これも以前読んだロバート・グレイヴス著の「ギリシャ神話」にてトロイア戦争終盤で木馬の詭計を考案したアカイア勢の将オデッセウスは、このシューシュポスの息子であると記されていたことです。
たしかに、人も神々も怖れぬその豪胆、大胆さ、詭計の巧みさとは、二人に共通する性質であるといえますので、この記述に妙に納得した記憶があります。
そしてまた、二人ともその豪胆、大胆さによって苦難に身を投じることになるのです・・。
そして、そのように記しておりますと、今度はつい先日に共有した動画「アギーレ/神の怒り」(1972年西ドイツ映画)を思い起こさせます・・。
そして、私はそこに関連するものとしてジョセフ・コンラッド著「闇の奥」冒頭からの抜粋引用を示しましたが、これらの断片的なストーリーには共通する何かがあるのではないかと思われるのです・・。
無論それらに共通する性質を自身が保持しているということではありません。
しかしながら『明瞭ではありませんが、共通して認識することができる抽象的な観念』といったものが存在するのではないかと思われるのです・・。
とはいえ、こうした観念といったものは明瞭に言語化することはネット上での保身とは異なる意味・次元で危ないことではないかと最近不図思いました・・(笑)。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
そして、昨日もブログ記事の更新を行ったため、本日に関しては「特に無理をして書く必要もないのではなかろうか・・?」と思った次第ですが、書きはじめた手前、やはり何かしら続けて書く方が精神衛生的にも良いのではなかろうか・・?と続けて思った次第です・・(苦笑)。
そういえば、12月はじめに投稿記事数が500に到達してから、ほぼ20日近く断筆を試みた(笑)わけですが、その後、現在再度書きはじめるのは、特に苦痛ではありません。
ただ、問題となるのが、ブログ記事のネタであり、これはその場その場の想念に尾鰭を付けて書けば良いのでは?と考えた時期もありましたが、どうもそればかりでは、記事の内容が深化し辛いようです・・。
その意味において、比較的初期のブログ記事の方が内容としては深いものが多かったのではないかと考えます。
とはいえ、現在もまた、それなりにさまざまな著作は読んでおりますので、やり方、考え方次第では、今後更なる文体の洗練、内容の深化を図ることができるのではないかといった期待もまたあります・・(笑)。
そして、そのためには、やはりまた、ある程度文章を書き続けなければならないのかもしれません・・。
このようなことを記しておりますと、以前読んだアルベール・カミュ著「シューシュポスの神話」を思い出します・・。
また、シューシュポスで思い出すのは、これも以前読んだロバート・グレイヴス著の「ギリシャ神話」にてトロイア戦争終盤で木馬の詭計を考案したアカイア勢の将オデッセウスは、このシューシュポスの息子であると記されていたことです。
たしかに、人も神々も怖れぬその豪胆、大胆さ、詭計の巧みさとは、二人に共通する性質であるといえますので、この記述に妙に納得した記憶があります。
そしてまた、二人ともその豪胆、大胆さによって苦難に身を投じることになるのです・・。
そして、そのように記しておりますと、今度はつい先日に共有した動画「アギーレ/神の怒り」(1972年西ドイツ映画)を思い起こさせます・・。
そして、私はそこに関連するものとしてジョセフ・コンラッド著「闇の奥」冒頭からの抜粋引用を示しましたが、これらの断片的なストーリーには共通する何かがあるのではないかと思われるのです・・。
無論それらに共通する性質を自身が保持しているということではありません。
しかしながら『明瞭ではありませんが、共通して認識することができる抽象的な観念』といったものが存在するのではないかと思われるのです・・。
とはいえ、こうした観念といったものは明瞭に言語化することはネット上での保身とは異なる意味・次元で危ないことではないかと最近不図思いました・・(笑)。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
2016年12月25日日曜日
20161225 興味の循環らしきものについて・・
以前、かなり興味を持っていたが現在ではかつてほどの興味を感じないものといったものがあります。
最近何故か、そのことを考えてみたところ、おそらく古墳についての興味とは、かつてほど持っていないかもしれないと思うに至りました。
しかし、そうした時期(ある事物に対し興味が減衰する)とは、過去に他の興味においても類似した現象がありましたので、一概にその時期・状態が永続・継続するものばかりでもないと思われます。
つまり、ある程度の期間で見れば、潮の満ち引きから生じる潮位の高低差のようなものではないかとも思われるのです・・。
そして、これを前提としてハナシを進めます。
かつて西日本在住時は書籍などで特徴的な古墳、遺跡の存在を知ると、機会を設け実際の見分に出向いたものでした。
大抵の場合、その見分とは、かなり精神的に高揚するものであり、なかんずく、それがあまり整備されておらず、周囲に草木が生い茂っているような状態であればあるほどに、その高揚の感覚とは(かなり)大きいものであったといえます・・。
そして、その高揚感を再び得るために更に書籍文献をあたり、そして他の古墳、遺跡の見分に出向いたものでした・・(笑)。
そのように想起してみますと、上記のような行動の連鎖により、古墳、遺跡そして古代に対する興味とは継続することが出来ていたのではないかと思われるのです。
無論、現在なお古代に関する書籍を読むことはありますが、その読む際のスタンスとは、かつてそうした見分を定期的に行っていた際のものと異なり、実際に存在する古墳・遺跡の案内書としてよりも、古代史の文献資料として読んでいるような感覚が強いように感じられます・・(苦笑)。
つまり、それら古墳・遺跡を身近なものとして感じることが出来なくなっているのかもしれません・・。
では『現在は何かに対して、かつての古墳・遺跡に対するような興味を持っているのか?』と問われた場合『よく分からない・・。』と返答するのではないかと思います・・。
これはもう少し考えてみる必要があるようです・・。
さて、先日、当ブログにても示した映画「大魔神」を何気なく観ておりますと山中の大魔神の遥拝所(主人公たちの潜伏先)に描かれている壁画が福岡県在の竹原古墳のそれにそっくりであることに気が付きました(あの時代の映画の美術班とはなかなかスゴイものであったのかもしれません・・)。
竹原古墳の壁画とは、かつて金関丈夫、谷川健一が、それぞれ大変興味深い論考を記しておりましたが、史実としては金関丈夫の記した内容がより適当であるように思われます。
しかし、それよりもあらためて、かつての解剖学者(金関丈夫)には、とんでもない博識の方がいたことを思い知らされます・・。
また、そのことから興味が促され宮崎市定著の「アジア史論」を読んでおりますと、ここでもまた竹原古墳を生んだ古代九州について考える際の大変興味深い考えが記されておりました・・。
しかし、さきにも述べたように歴史とは、こうした文献を通して学ぶのと同時、やはり実地見分を行わないでいると、多少味気ないものになってしまうのではないだろうか・・?
このことは以前読んだ森浩一の著作にも記されておりましたが、実際にその通りであると現在痛感しております・・(苦笑)。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
最近何故か、そのことを考えてみたところ、おそらく古墳についての興味とは、かつてほど持っていないかもしれないと思うに至りました。
しかし、そうした時期(ある事物に対し興味が減衰する)とは、過去に他の興味においても類似した現象がありましたので、一概にその時期・状態が永続・継続するものばかりでもないと思われます。
つまり、ある程度の期間で見れば、潮の満ち引きから生じる潮位の高低差のようなものではないかとも思われるのです・・。
そして、これを前提としてハナシを進めます。
かつて西日本在住時は書籍などで特徴的な古墳、遺跡の存在を知ると、機会を設け実際の見分に出向いたものでした。
大抵の場合、その見分とは、かなり精神的に高揚するものであり、なかんずく、それがあまり整備されておらず、周囲に草木が生い茂っているような状態であればあるほどに、その高揚の感覚とは(かなり)大きいものであったといえます・・。
そして、その高揚感を再び得るために更に書籍文献をあたり、そして他の古墳、遺跡の見分に出向いたものでした・・(笑)。
そのように想起してみますと、上記のような行動の連鎖により、古墳、遺跡そして古代に対する興味とは継続することが出来ていたのではないかと思われるのです。
無論、現在なお古代に関する書籍を読むことはありますが、その読む際のスタンスとは、かつてそうした見分を定期的に行っていた際のものと異なり、実際に存在する古墳・遺跡の案内書としてよりも、古代史の文献資料として読んでいるような感覚が強いように感じられます・・(苦笑)。
つまり、それら古墳・遺跡を身近なものとして感じることが出来なくなっているのかもしれません・・。
では『現在は何かに対して、かつての古墳・遺跡に対するような興味を持っているのか?』と問われた場合『よく分からない・・。』と返答するのではないかと思います・・。
これはもう少し考えてみる必要があるようです・・。
さて、先日、当ブログにても示した映画「大魔神」を何気なく観ておりますと山中の大魔神の遥拝所(主人公たちの潜伏先)に描かれている壁画が福岡県在の竹原古墳のそれにそっくりであることに気が付きました(あの時代の映画の美術班とはなかなかスゴイものであったのかもしれません・・)。
竹原古墳の壁画とは、かつて金関丈夫、谷川健一が、それぞれ大変興味深い論考を記しておりましたが、史実としては金関丈夫の記した内容がより適当であるように思われます。
しかし、それよりもあらためて、かつての解剖学者(金関丈夫)には、とんでもない博識の方がいたことを思い知らされます・・。
また、そのことから興味が促され宮崎市定著の「アジア史論」を読んでおりますと、ここでもまた竹原古墳を生んだ古代九州について考える際の大変興味深い考えが記されておりました・・。
しかし、さきにも述べたように歴史とは、こうした文献を通して学ぶのと同時、やはり実地見分を行わないでいると、多少味気ないものになってしまうのではないだろうか・・?
このことは以前読んだ森浩一の著作にも記されておりましたが、実際にその通りであると現在痛感しております・・(苦笑)。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年12月24日土曜日
20161223 501回目の投稿 創造性を生む文化的土壌としての議論の重要性
直近の500回目の記事投稿からしばらく経ちました。
そして、本日新たに記事を作成することにしました。
さて、500回の記事投稿の後「何か大きなことが起きるか?」と多少思いましたが、残念ながら、明らかにそれが原因であると断定できる出来事は生じませんでした・・。
生じたといえば500回目投稿直後の晩はなかなか寝付けなかったことぐらいです(これは何故であろうか?)。
また、その後の毎日においても自身の考えなどに大きな変化が生じることもなく、どちらかというと平穏に過ぎていったのではないかと思います。
また「猛烈に何かを書きたい!」といった心境が生じることは特にありませんでした・・。
ただ、ほぼ毎日ブログ記事を投稿していた時期に比べ、500記事到達後は書籍を深く読むことが出来るようになったのではないかと思われます・・。
それは、この時期(500記事到達後)、直近に読了した長編小説「楡家の人びと」を再読、また再読しましたが、以前に比べ、純粋に楽しんで読むことが出来たという自覚から判断した次第です。
また、他のこの時期に読んだ書籍においても同様の自覚、感想を持ち得ました。
そうした自覚、感想から、今後のブログ記事作成は、書籍を読むことを楽しむことの出来る程度の頻度にて作成していくのが良いのではないかと思いました・・(笑)。
また、その頻度を高める何かしら具体的な方策を得ることが出来ましたら、ブログ記事の文体、内容において漸進的な変化が生じてくるのではないかとも思われます・・。
しかし、であるからといって、以前のほぼ毎日ブログ記事を更新していた行為が、無駄ということではなく、むしろ、そうした経験、時期、段階とは必要であったのではないかとも、さきに述べた自覚、感想と同程度、あるいはそれ以上に持ち得ました。
しかしまた、それ(必要性云々)は、特に「何のため」というものではなく、ただ「自身の文章をより明瞭に記す」という、いうなれば、自己満足の充足を目指す類いのものであるということが出来ます(苦笑)。
そうしますと、上に記した一連の内的現象とは、一面において、まさしく「自縄自縛」と評することが出来ると思います・・(苦笑)。
とはいえ、そうした能動者の自己満足の充足行為全般に対する他者による判断、評価基準の「選択」こそが、かなり難しいものであり、そこには形而上的な思考つまり哲学といったものが要求されるのではないでしょうか・・?
そして、その意味において、現代とは「普遍的な知識の普及、定着」では、おそらく過去のどの時代に比べても、より高い水準に達しているといえるのかもしれませんが、さきに述べた形而上的思考、哲学に関しては、それ(「普遍的な知識の普及、定着」)と反比例とまではいきませんが、おそらく過去のどこかの時代の方が、より高水準であったのではないかと考えさせられるのです・・。
また、ここまで記していて不図思うことは、さきに述べた能動者の自己満足の充足行為に対する他者による判断、評価基準の選択」に形而上的な思想・哲学が介在されなくなると、ある種の相互作用の結果、能動者・評価者共に虚無的あるいは野狐禅に堕し「後の世」に対し誇れる、評価され「得る』ような文化を創造することが徐徐に『面倒』になってくるのではないでしょうか・・?
しかし、であるからといって、強烈な何かしらの(父権的な)権威の強化および必要性を希求するのではなく、ただカタチだけではない対話・議論を行うことが出来る文化的土壌(それは歴史が培うものではあるのですが)が社会一般において存在すれば、どうにかなるのではないかと思います・・。
いうなれば、血の通った対話、議論が可能な文化的土壌とは、さまざまな創造的な行為を行う際の弾性、靭性を付与するものではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧および、その後の復旧を祈念しております。
そして、本日新たに記事を作成することにしました。
さて、500回の記事投稿の後「何か大きなことが起きるか?」と多少思いましたが、残念ながら、明らかにそれが原因であると断定できる出来事は生じませんでした・・。
生じたといえば500回目投稿直後の晩はなかなか寝付けなかったことぐらいです(これは何故であろうか?)。
また、その後の毎日においても自身の考えなどに大きな変化が生じることもなく、どちらかというと平穏に過ぎていったのではないかと思います。
また「猛烈に何かを書きたい!」といった心境が生じることは特にありませんでした・・。
ただ、ほぼ毎日ブログ記事を投稿していた時期に比べ、500記事到達後は書籍を深く読むことが出来るようになったのではないかと思われます・・。
それは、この時期(500記事到達後)、直近に読了した長編小説「楡家の人びと」を再読、また再読しましたが、以前に比べ、純粋に楽しんで読むことが出来たという自覚から判断した次第です。
また、他のこの時期に読んだ書籍においても同様の自覚、感想を持ち得ました。
そうした自覚、感想から、今後のブログ記事作成は、書籍を読むことを楽しむことの出来る程度の頻度にて作成していくのが良いのではないかと思いました・・(笑)。
また、その頻度を高める何かしら具体的な方策を得ることが出来ましたら、ブログ記事の文体、内容において漸進的な変化が生じてくるのではないかとも思われます・・。
しかし、であるからといって、以前のほぼ毎日ブログ記事を更新していた行為が、無駄ということではなく、むしろ、そうした経験、時期、段階とは必要であったのではないかとも、さきに述べた自覚、感想と同程度、あるいはそれ以上に持ち得ました。
しかしまた、それ(必要性云々)は、特に「何のため」というものではなく、ただ「自身の文章をより明瞭に記す」という、いうなれば、自己満足の充足を目指す類いのものであるということが出来ます(苦笑)。
そうしますと、上に記した一連の内的現象とは、一面において、まさしく「自縄自縛」と評することが出来ると思います・・(苦笑)。
とはいえ、そうした能動者の自己満足の充足行為全般に対する他者による判断、評価基準の「選択」こそが、かなり難しいものであり、そこには形而上的な思考つまり哲学といったものが要求されるのではないでしょうか・・?
そして、その意味において、現代とは「普遍的な知識の普及、定着」では、おそらく過去のどの時代に比べても、より高い水準に達しているといえるのかもしれませんが、さきに述べた形而上的思考、哲学に関しては、それ(「普遍的な知識の普及、定着」)と反比例とまではいきませんが、おそらく過去のどこかの時代の方が、より高水準であったのではないかと考えさせられるのです・・。
また、ここまで記していて不図思うことは、さきに述べた能動者の自己満足の充足行為に対する他者による判断、評価基準の選択」に形而上的な思想・哲学が介在されなくなると、ある種の相互作用の結果、能動者・評価者共に虚無的あるいは野狐禅に堕し「後の世」に対し誇れる、評価され「得る』ような文化を創造することが徐徐に『面倒』になってくるのではないでしょうか・・?
しかし、であるからといって、強烈な何かしらの(父権的な)権威の強化および必要性を希求するのではなく、ただカタチだけではない対話・議論を行うことが出来る文化的土壌(それは歴史が培うものではあるのですが)が社会一般において存在すれば、どうにかなるのではないかと思います・・。
いうなれば、血の通った対話、議論が可能な文化的土壌とは、さまざまな創造的な行為を行う際の弾性、靭性を付与するものではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧および、その後の復旧を祈念しております。
2016年12月5日月曜日
20161205 500記事到達(達成感はあまりないです・・(苦笑)。)
今回の記事投稿によって総投稿記事数が500に到達します・・。
このブログを始めたのが昨年6月であったので、ほぼ1年半つまり540日程度で500記事ということになりますので、10日のうち9日は記事を投稿し続けてきたということになります・・。
これは到達までの期間が早かったとは云えませんが、とりあえずキリの良いろころまでは達したというような幾分アイマイな達成感らしきものはあります・・。
とはいえ、この達成感とは、明瞭なものではありません・・。
明瞭な達成感とは、登山にて山頂に至った時、あるいは学会発表を終えた時、一つの実習を終えた時などの方が余程、明瞭且つ強いそれを感じることが出来ていたように思います。
その理由とは、この500記事という目標自体が自らで定めたものである為であるのかもしれませんが、ともかく「よく分からないまま、ここに至った」と評しても良いと思われます・・(苦笑)。
それ故「果たしてこの程度で良いのであろうか?」と思う反面もありますが、一応ここまで至ったということで、かねてよりの企図に従い、今後一週間程度は意識的な断筆を試みるつもりです。
そして、その断筆の期間に、あるいはその達成感といったものが内面より涌出してくるのかもしれません・・(そうであれば良いのですが、そうしたことはあまり期待しないでおきます(笑))。
また、昨日久しぶりにお目に掛かった師匠とハナシをさせて頂いておりますと、何といいますか鹿児島在住時での(良い)記憶が甦ってくるようです・・(笑)。
それで思い出されるのは、さまざな研究、実験指導と共に、登山の記憶です。
鹿児島での登山は師匠のお供で始めたことであり、それは面白いことに和歌山におけるフィールド・ワークの記憶とも結節するのです・・(笑)。
その意味において、それら在住期間を通じ、いつの間にか私は西日本の自然環境に対し、親近感を抱くようになっていたと云って良いと思います。
いや、あるいはそれは「(勝手に)魅入られた」と表した方がより適当であるのかもしれません・・(笑)。
これは、以前のブログ記事にて記しましたがErdgeist・地霊といった存在に因るのではないかと考えております・・。
また、こうした考えを「非科学的」、「現実的でない」とするならば、何故我々は各地の寺社を参拝するのでしょうか?
おそらく我々の祖先とは、おそらく現代の我々よりも多く自然に接し、また、その不思議なチカラを目にしてきたものと考えます。
その結果として、何かしらの事物から神聖さを感じ取り、それに対し境界を設け、社殿を建立してきたのではないかと思います・・。
もし私も含め現代の我々が、一般的に、そうしたことを感じ取れないのは、その神聖さを「感知する能力」が減衰してきたことに大きく因るのではないかと思いますが、如何でしょうか・・?
また、それを別言すると、そうした神聖とされる事物の存在を、自身よりも神聖な存在と認めることが困難な社会になってきたからではないかとも云えるのではないでしょうか?
そして、首都圏とは、その意味において先端であるといって良いと思います・・。
さて、そこで思うことは「人間の創造性に対するこうした存在の影響」です。
その具体的なメカニズム・作用機序は分かりませんが、私見としては、少なくとも我が国の場合、そうした神聖とされる存在が地域に「生きたものとして」残存している方が様々な創造性に対しては良い影響をもたらすのではないかと考えます。
これは我が国におけるノーベル賞受賞者の出身地域から類推してみますと納得することが出来るのではないでしょうか・・?
それ故、地域における自然とは、その意味(人間の創造性)においても大きな価値があるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?
【煎じ詰めると、当たり前かもしれませんが、それ(神聖さ)は社殿の壮麗さ、祭りの盛大さなどといった所謂カタチとは異なる次元に内在するものではないかと思われるのです・・。しかし、首都圏におけるそれは、それを(いまだに)見誤っているのではないかと思われることが度々あります・・。】
さて、読んで頂いている皆様のお蔭でここまで到達することが出来ましたどうもありがとうございます!
500記事に相応しい名文とはなりませんでしたが、今後もまた(しばらく期間を置いて)何かしら書き続ける所存ですので、どうぞよろしくお願いします!!
さる熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被害を受けた地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
このブログを始めたのが昨年6月であったので、ほぼ1年半つまり540日程度で500記事ということになりますので、10日のうち9日は記事を投稿し続けてきたということになります・・。
これは到達までの期間が早かったとは云えませんが、とりあえずキリの良いろころまでは達したというような幾分アイマイな達成感らしきものはあります・・。
とはいえ、この達成感とは、明瞭なものではありません・・。
明瞭な達成感とは、登山にて山頂に至った時、あるいは学会発表を終えた時、一つの実習を終えた時などの方が余程、明瞭且つ強いそれを感じることが出来ていたように思います。
その理由とは、この500記事という目標自体が自らで定めたものである為であるのかもしれませんが、ともかく「よく分からないまま、ここに至った」と評しても良いと思われます・・(苦笑)。
それ故「果たしてこの程度で良いのであろうか?」と思う反面もありますが、一応ここまで至ったということで、かねてよりの企図に従い、今後一週間程度は意識的な断筆を試みるつもりです。
そして、その断筆の期間に、あるいはその達成感といったものが内面より涌出してくるのかもしれません・・(そうであれば良いのですが、そうしたことはあまり期待しないでおきます(笑))。
また、昨日久しぶりにお目に掛かった師匠とハナシをさせて頂いておりますと、何といいますか鹿児島在住時での(良い)記憶が甦ってくるようです・・(笑)。
それで思い出されるのは、さまざな研究、実験指導と共に、登山の記憶です。
鹿児島での登山は師匠のお供で始めたことであり、それは面白いことに和歌山におけるフィールド・ワークの記憶とも結節するのです・・(笑)。
その意味において、それら在住期間を通じ、いつの間にか私は西日本の自然環境に対し、親近感を抱くようになっていたと云って良いと思います。
いや、あるいはそれは「(勝手に)魅入られた」と表した方がより適当であるのかもしれません・・(笑)。
これは、以前のブログ記事にて記しましたがErdgeist・地霊といった存在に因るのではないかと考えております・・。
また、こうした考えを「非科学的」、「現実的でない」とするならば、何故我々は各地の寺社を参拝するのでしょうか?
おそらく我々の祖先とは、おそらく現代の我々よりも多く自然に接し、また、その不思議なチカラを目にしてきたものと考えます。
その結果として、何かしらの事物から神聖さを感じ取り、それに対し境界を設け、社殿を建立してきたのではないかと思います・・。
もし私も含め現代の我々が、一般的に、そうしたことを感じ取れないのは、その神聖さを「感知する能力」が減衰してきたことに大きく因るのではないかと思いますが、如何でしょうか・・?
また、それを別言すると、そうした神聖とされる事物の存在を、自身よりも神聖な存在と認めることが困難な社会になってきたからではないかとも云えるのではないでしょうか?
そして、首都圏とは、その意味において先端であるといって良いと思います・・。
さて、そこで思うことは「人間の創造性に対するこうした存在の影響」です。
その具体的なメカニズム・作用機序は分かりませんが、私見としては、少なくとも我が国の場合、そうした神聖とされる存在が地域に「生きたものとして」残存している方が様々な創造性に対しては良い影響をもたらすのではないかと考えます。
これは我が国におけるノーベル賞受賞者の出身地域から類推してみますと納得することが出来るのではないでしょうか・・?
それ故、地域における自然とは、その意味(人間の創造性)においても大きな価値があるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?
【煎じ詰めると、当たり前かもしれませんが、それ(神聖さ)は社殿の壮麗さ、祭りの盛大さなどといった所謂カタチとは異なる次元に内在するものではないかと思われるのです・・。しかし、首都圏におけるそれは、それを(いまだに)見誤っているのではないかと思われることが度々あります・・。】
さて、読んで頂いている皆様のお蔭でここまで到達することが出来ましたどうもありがとうございます!
500記事に相応しい名文とはなりませんでしたが、今後もまた(しばらく期間を置いて)何かしら書き続ける所存ですので、どうぞよろしくお願いします!!
さる熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被害を受けた地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
2016年12月4日日曜日
20161204 自身の性質・性状からの積極的な発露について・・
A「本日久しぶりに焼酎(黒霧島)を飲みました・・。
その酒精あるいは他の何かの影響によるものか、また何かしら記してみようと思い立ち現在こうして記事作成をはじめた次第です・・。
時間も時間ですが、明日(既に本日(20161204)ですが)は休日であるため、大丈夫であると思います。
さて、かねてよりブログ記事にて記したとおり、私はやはり文系の人間であると思います。
それは理系の方々が話す内容をどうにか自身の理解している「歴史の流れ・モデル」に置き換えて理解しようとするところに示されるのではないかと思います・・。
そして、そうである場合、手持ちの運用可能な「歴史の流れ・モデル」が多ければ多いほど理解可能な事象は増加してくるものと考えます。
これに関して私はおそらく、ある程度持っているのではないかと考えますが無論、未だ手持ちのカードが「多い」とは云えません・・(苦笑)。
とはいえ、一応やってきたことはやってきたという自覚もまたありますので、それが私のほんのわずかな自信あるいは自覚の根源であるのでしょうが、これは自身の継続してきた読書、対話の量からすれば、自然と身に着く程度のものであると云えます・・。
そうしますと、そこで大事なことは「それを継続する意志を持ち続けてきたか?」ということになるのではないかと思います・・。
しかし、それも私の場合「それ以外に自身の持つ積極性を活かす術を知らなかった」ということになると思われます・・(苦笑)。
あるいは「それ以外の身の処し様が出来ない」と、ある程度深刻に悩んだことによるものと考えます・・。
おそらく、この自身の積極性(読書、対話そして、それらを統合した研究)の継続が為されていなければ、生きることもツマラナイと思っていたでしょう・・。
それ故、自身の場合(あくまでも)ネガティブ・ケイパビリティー優位の我が国社会において自信を持つことの困難さをおぼえ、また、その価値観からどうにか逃避し、且つあまり他者から非難されない道を選んできたものと考えます・・。
そして、現在継続して作成しているブログ記事もまた、大きく見れば、そうした自身の性質・性状からの発露であると見做すことが出来ます・・。
それ故、この一連のブログ記事においては、たとえ今後500記事に到達した場合といえども、その根源が「発露したい」という積極性によるものである為、繰り返し、このネガティブ・ケイパビリティー優位の我が国社会においては自讃・称揚に値するものではないとも思われるのです・・(苦笑)。
しかしながら、一方において、こうした「変な人間」が、もう少し大学、アカデミアにいれば、それはそれで「創造性」に関しては」面白い効果もまたあるのではなかろうかとも、いささか手前味噌ながら思うのですが、さて如何なものでしょうか・・?
そして、今回もまた興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
その酒精あるいは他の何かの影響によるものか、また何かしら記してみようと思い立ち現在こうして記事作成をはじめた次第です・・。
時間も時間ですが、明日(既に本日(20161204)ですが)は休日であるため、大丈夫であると思います。
さて、かねてよりブログ記事にて記したとおり、私はやはり文系の人間であると思います。
それは理系の方々が話す内容をどうにか自身の理解している「歴史の流れ・モデル」に置き換えて理解しようとするところに示されるのではないかと思います・・。
そして、そうである場合、手持ちの運用可能な「歴史の流れ・モデル」が多ければ多いほど理解可能な事象は増加してくるものと考えます。
これに関して私はおそらく、ある程度持っているのではないかと考えますが無論、未だ手持ちのカードが「多い」とは云えません・・(苦笑)。
とはいえ、一応やってきたことはやってきたという自覚もまたありますので、それが私のほんのわずかな自信あるいは自覚の根源であるのでしょうが、これは自身の継続してきた読書、対話の量からすれば、自然と身に着く程度のものであると云えます・・。
そうしますと、そこで大事なことは「それを継続する意志を持ち続けてきたか?」ということになるのではないかと思います・・。
しかし、それも私の場合「それ以外に自身の持つ積極性を活かす術を知らなかった」ということになると思われます・・(苦笑)。
あるいは「それ以外の身の処し様が出来ない」と、ある程度深刻に悩んだことによるものと考えます・・。
おそらく、この自身の積極性(読書、対話そして、それらを統合した研究)の継続が為されていなければ、生きることもツマラナイと思っていたでしょう・・。
それ故、自身の場合(あくまでも)ネガティブ・ケイパビリティー優位の我が国社会において自信を持つことの困難さをおぼえ、また、その価値観からどうにか逃避し、且つあまり他者から非難されない道を選んできたものと考えます・・。
そして、現在継続して作成しているブログ記事もまた、大きく見れば、そうした自身の性質・性状からの発露であると見做すことが出来ます・・。
それ故、この一連のブログ記事においては、たとえ今後500記事に到達した場合といえども、その根源が「発露したい」という積極性によるものである為、繰り返し、このネガティブ・ケイパビリティー優位の我が国社会においては自讃・称揚に値するものではないとも思われるのです・・(苦笑)。
しかしながら、一方において、こうした「変な人間」が、もう少し大学、アカデミアにいれば、それはそれで「創造性」に関しては」面白い効果もまたあるのではなかろうかとも、いささか手前味噌ながら思うのですが、さて如何なものでしょうか・・?
そして、今回もまた興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
登録:
投稿 (Atom)