2016年3月5日土曜日

20160305 主に古墳についての雑談

A「最近はまた、思想系の書籍に代わり日本古代史、考古学関連の書籍が面白くなってきました。
そして、考えてみますと、この考古学、日本古代史に対する興味とは、関東在住時には無く、南紀在住時の休日に周囲を散策するようになってから、自然と生じていったものです。
また、こうした興味と同時に「私は自分の国の古代に関して何も知らない・・。」ということに気が付き、その関連資料、書籍等を読むようになりました。
それでもなかなかこうしたことは、そう簡単に分かるようになるものではなく、また同時に、多少分かるようになったからといって、何か得をするというわけでもありません・・。
しかし、自分が住むことになった地域、場所において自然に生じた知的好奇心とは、やはり何かしら意味があるのではないかと思います。
そして、何となく現在までどうにか継続してきた次第です・・。」

B「・・はあ、なるほど、そうですか。
それで結局、Aさんはまた和歌山に戻ることになったのですか?」


A「ええ、そうです。
そして、そのことを今考えてみますと、それが私の人生における一つの大きな分水嶺であったのではないかと思います・・。
とはいえ、以前にもブログにて記しましたが、私はかねてより文系の院に行くことを望んでおりましたので、ここで大きな意味を持つことは、それまでの自身のアイデンティティーがある首都圏の大学院、そしてヨーロッパ文化専攻に進まずに関西、西日本の大学院、そして地域学という分野に進んだことであると考えます。
また、そこでの様々な経験による自身の内部に生じた変化とは不可逆的なものであり、その後に進んだ歯科技工学校から鹿児島の院に進んだことも、いってみれば、そうした変化に沿う自然なものあったのではないかと思います・・。」


B「うーんAさんはこれまでに北は北海道から南は鹿児島まで色々な場所に住んできましたが、次は一体どこに行くつもりなのでしょうか・・(笑)?」


A「・・ええ、それが分かれば本当に苦労はありません・・(苦笑)。
しかし、何処であれ、また古墳などの遺跡が多い地域、場所がいいですね・・。
南紀、和歌山の場合、住んでいた場所から徒歩五分程度で古墳がありましたので、また、そうした環境が考古学、古代史の面白さを私に教えてくれたと思いますので、次に住む場所も願わくは、そういった場所がいいですね・・(笑)。」


B「そういえば、Aさんが和歌山在住時に私が訪ねた際、そうした場所に案内していただきましたね(笑)。」


A「ええ、先程の近場の古墳に関しては近すぎて御案内しておりませんが、県内の代表的なものや、興味深いと思った古墳、遺跡には御案内したと思います。
また、南紀の興味深い古墳といえば、私のgoogle+のページの下段に西牟婁郡すさみ町にある「上ミ山古墳」で撮影した写真が掲載されていますが、ここはBさんを御案内したと思います。
この「上ミ山古墳」とは、和歌山県内に現存する古墳の最南端であり、同時に本州最南端に位置する古墳でもあります。
また、その立地は、海に突き出た半島状にあり、こうした古墳立地の類例は西牟婁郡白浜町の「火雨塚古墳」、日高郡みなべ町の「小目津古墳」あるいは御坊市の尾ノ崎遺跡も前に挙げた古墳の始祖的な存在であるのかもしれません・・。
また、この「上ミ山古墳」の興味深いところは、南紀に立地しながらも、その古墳造営様式が遠く九州の福岡南部、熊本北部において多く見られるそれに類似していることなのです。
そして、その類似している点とは、古墳玄室の天井がドーム状になっていることに加え、玄室の遺体を葬る区域を仕切る板石(石障)があることです。
さらに何かしら玄室内に装飾が為されていれば、決定的であるのですが、それは見られなかったようです・・。
とはいえ、この「上ミ山古墳」の造営様式とは、同時期に県北部の紀ノ川下流部南岸に盛んに造営された「岩橋千塚」に多く見られる特徴的な造営様式とは明らかに異なり、そのことから両地域における葬送文化を含む背景文化全般が大きく異なっていたのではないかと考えさせられます・・。
また、前に出ました白浜町の「火雨塚古墳」には玄室内に組み合わせ式の石棺が設置されているのですが、この石棺の蓋部裏に文字(たしか大粒部)が刻まれているということなのですが、こうしたことは県内外を含めて類例が少なく、大変興味深いと思うのですが、あまり知られていないと思います・・。
ちなみに、この古墳も同じ機会に御案内したと思いますが、白浜の白良浜近くの半島いわゆる権現崎にある熊野三所権現神社の境内に立地しています。
また現存はしないのですが、北隣の田辺市にある平家物語にも登場する闘鶏神社のごく近くにも数基の古墳があったということなのですが、これもその立地などを考えてみますと、熊野三所権現神社の「火雨塚古墳」と類似しているのではないかと思います・・。
そして、こうしたことの背景には何かしら共通する葬送観念、生活文化が存在するのではないかと考えることがあります・・。」


A「・・はああ、なるほど、南紀の方には海に突き出た半島に古墳を造営するような傾向があるのですね・・。
もしかしたら、それらの古墳に葬られた方々は、在地、土着の海に関係する部族を統率する方々であったのかもしれませんね・・。」


B「・・ええ、たしかにそうである可能性は高いと思います。
しかしそれとほぼ同時代に、それらとは別の造営様式の墳墓が海岸部に築かれているのです(磯間岩陰遺跡)。
そして、そうした墳墓に葬られた方々も海に関係する部族の統率者であると考えられているのです・・。
それ故、もしかすると一言で海に関連する部族といっても色々とあったのかもしれません・・。
こうしたことも今後考えてゆくと、また面白いかもしれません・・。」

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皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。

2016年3月4日金曜日

20160304 幕末についての雑談

A「最近少し暖かくなってきましたが、色々と調子はどうですか?」


B「ええ、こちらは相変わらず色々と動いておりますが、まだこれといったお知らせできるようなことはありません。
また、何かありましたらお知らせします。
それはそうと昨日は桃の節句でした。
私は御存知の通り男三人兄弟の真中ですので、これまで桃の節句にはとんと縁がなかったのですが、つい最近、姪が生まれましたので、このことに関しては多少状況が変わったようです・・(笑)。
また、それと同時に桃の節句の3月3日といえば、どうも似つかわしくないかもしれませんが「桜田門外の変」の日でもありますね。


A「・・はあ、Bさんに姪ができたのですか、それはおめでたいですね。
また「桜田門外の変」に関しては、昨今の状況から色々と評価が分かれるのではないかと思います。
また、この事件は数年前にもたしか映画化されていませんでしたか?
あとは司馬遼太郎の「幕末」という題名の短編集にて唯一の薩摩藩出身の事件参加者である有村治佐衛門のことを扱った作品があったと思います。
加えて、手塚治虫の長編マンガ「陽だまりの樹」にも、この有村治佐衛門が出ていたと思います・・。」


B「ああ、それらに関しては私も大体知っていると思います。
たしか司馬遼太郎著の短編集「幕末」は、主に幕末期に行われた様々な暗殺を題材にしていたと思います。
そして「桜田門外の変」以外においては、土佐藩参政であった吉田東洋の暗殺を描いた「土佐の夜雨」また、出羽出身の浪士で当時のフィクサーともいえる存在であり、剣の使い手でもあった清河八郎の暗殺を描いた「奇妙なり八郎」なども収録されていたのではないかと思います。
ちなみにこの「奇妙なり八郎」の暗殺場面は、萩原健一が見廻組隊士(与頭)佐々木只三郎を演じた映画「竜馬を斬った男」の冒頭近くにありましたが、あれはなかなか真に迫っていて怖かったです・・。
とはいえ、この「竜馬を斬った男」に代表されるような当時(20世紀末)の時代ものの映画とは、現在のそれに比べてどうも隔世の感があります・・(笑)。
私個人としては、かつての時代ものの映画の方が何もかもが重厚な感じがするのですが、一体何が違うのでしょうかね・・?」


A「うーん、たしかに昔の時代ものの映画の方が、映し出されている風景、光景などが、その舞台となった時代に入り込み易いような感じはありますね・・。
また、さきほどの吉田東洋暗殺に関してはアニメ化されたマンガ「おーい竜馬」においても描かれていたと思いますが、あのマンガでは多少脚色が加えられていたと思います・・。
そして、史実の方はおそらく「土佐の夜雨」に描かれているのに近いのではないでしょうか?
また、そのことは田中顕助(光顕)の「維新風雲回顧録」にも書かれていたと思いますが・・。
その中で吉田東洋暗殺を行ったのは、さきほどの田中光顕(顕助)の叔父である那須信吾に加え、安岡嘉助、大石団蔵の三人の土佐郷士と書かれていますが、このうち那須信吾、安岡嘉助は後に土佐勤皇党の盟友である吉村寅太郎等と1863年(文久三年)に天誅組の変を起こし、代官所、高取藩の城などを攻めましたが、幕府側により鎮圧され、その折に戦死、あるいはその後に獄死しました・・。」


B「ええ、田中光顕の「維新風雲回顧録」はたしか巻頭言を司馬遼太郎が書いていたのではないかと思います。
また、私もこの著作は以前読みました。
そして、そこでは書かれていなかったと思うのですが、この那須信吾、安岡嘉助以外の大石団蔵は後に薩摩藩士となり、イギリス留学をして維新後まで生き長らえました。
薩摩藩士となった大石団蔵は、名前を高見弥一と改め、その名前により現在鹿児島中央駅前広場の市電乗り場近くにある「若き薩摩の群像」という幕末期の薩摩藩からイギリスへの留学生達をモデルとした銅像の傍らにその写真が掲示されております。
どうやら薩摩藩出身ではないことから高見弥一こと大石団蔵は銅像のモデルにはならなかったようです・・。
また、この中の一人は最近テレビドラマで有名になりました五代友厚もいます。
加えて、この薩摩藩からの留学生達は映画「長州ファイブ」の中においても出てきておりますので、その中の一人が高見弥一こと大石団蔵であることは、何だか面白いですね・・。」


A「はあ、それは知りませんでした・・。
吉田東洋暗殺の三人のうちの一人は随分と数奇な人生を歩んだのですね・・。
「事実は小説よりも奇なり」を地で行くようなハナシですね。
また維新後の彼は一体どのような人生を歩んだのかは多少興味がありますが、
もしかしたら西南戦争では西郷側で戦ったのではないですか?」


B「いえ、そこまではわかりませんが、ただ彼は維新後にかつて属していた土佐勤皇党の同志、盟友達とは連絡を取り、会わなかったのでしょうか・・?
こういったことは、もしかすると誰かが既に研究されているかもしれませんが、ともあれ、何かしらむつかしい事情もまたあったのではないかとも思います・・。」


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2016年3月3日木曜日

20160303 一芸に達するものは六芸に通じる・・?

A「どうも先日の風邪の影響からか、ここ最近思想系の書籍を読むのが億劫になってきました・・。
これはもしかしたら季節の変化などと関係あるのかもしれません(笑)。
また、そのように考えてみますと、これまでにもそうしたことは何度も起きていたのかもしれません・・。
そして、その結果として、あるいはそのようにして、私は様々な時代、地域の歴史等そして歯科系の学問をしてきたのかもしれません・・(苦笑)。
また、そこから考えてみますと、ある一つの学問分野をある程度勉強して何かしら体系らしきものを理解、体得すると、それは他の学問分野においても応用を利かすことが出来るようになるのではないかと思います。
その意味において、私などはおそらくまだまだ未熟であると思いますが、それでも興味を持ち続けることが出来る学問分野がいくつかあるということは、まあ、あながち悪いことではないのと思います。
それに加えて、人間とは自然なかたちで学問を続けておりますと、大体そのような感じになるのではないでしょうか・・?」

B「・・まあ、私も自身の表看板の専門分野とは別にそういったものがありますので、今のAさんの意見はよくわかります・・。
また、たしか昔の中国の諺で「一芸に達するものは六芸に通じる」などともいいますので、とりあえず何か自身の専門といえる分野について、その体系を理解、把握すると、それは他のことにも応用できるようになるのではないかと思います。」

A「はあ、そんな諺があるのですね・・。
しかし現在の我々の社会とは、どちらかというと、そうした個人の技能、社会的役割を一つに集約したがっているのではないかと思うことがあります・・。
また、その六芸に通じた人物として、私はレオナルド・ダ・ヴィンチ、平賀源内、南方熊楠、金関丈夫などを想起します。
そのなかで、特に南方熊楠に関しては南紀、和歌山在住時に何度か田辺市内にある菩提寺に墓参したことがあります・・。
ちなみに、この同じ寺のすぐ近くの場所に、合気道の創始者である植芝盛平のお墓があることには少し驚きました。
加えて、この寺の境内から縄文時代早期(紀元前6000年頃)の貝塚が見つかり、そこで出土した土器の形式(尖頭、楕円文様、厚手)がこの時代のメルクマール、標識土器となっています。
そのように、和歌山県でも市内でなく、南紀に属する田辺市というあまり有名とはいえない場所にこうした不思議といえば不思議な偶然が重なっていることがどうも面白いのです(笑)。
また、ここまで話しておりますと、はじめてこのお寺に行った時のことを思い出しました・・。
あれはたしか初夏であり、セミの鳴き声が聞こえておりましたが、周囲の木々、緑のお陰で境内は少し涼しく感じました・・。
そして、そのことが周囲の自然環境、土壌を含めた植生の薫りをより強く感じさせました。
しかしながら、こうしたことは南紀、和歌山在住時は常にそうした環境の中におりましたので、知らず知らずのうちに、何かしら脳内いや精神に変化が生じたのではないかと思います・・。
それが良いものであるのか、そうでないのかは別として。
それでも私は今でも南紀、和歌山のあの濃厚な自然環境の薫りはキライではないです・・(笑)。」

B「・・なるほど、それもまたAさんらしくコンラッドの「闇の奥」を彷彿とさせるような話ですね(笑)。
しかし、それよりも南方熊楠と植芝盛平の墓所が同じお寺にあることは少し驚きましたね・・。
・・ああ、それでもたしかこの二人が一緒に出て来る小説がありましたね。
津本陽の「黄金の天馬」でしたか?
この小説はたしかAさんが和歌山在住時に私が大阪に行く所用と休日が重なったため、和歌山に足を延ばした頃に読んだのではないかと思います・・。」

A「ええ、その小説でしたら私も和歌山在住時に読みました。
また、丁度その頃に読んだのでしたら、私にいってくだされば、菩提寺を御案内したのですが・・。
また、あちらの神社仏閣の多くは普通に存在しているようでありながら、なかなか深い歴史的背景を持っているのです・・。
こうした感覚とは多分関東、特に首都圏のそれらと大きな断層があるのではないかと思います・・。
そして、それに関連すると思うのですが、以前私のブログにおいて抜粋しました道成寺境内にて出土した近畿式の大型銅鐸についての記述、みなべ町の須賀神社のかつての社叢域内から同様形式の銅鐸が出土していることは、地域の歴史を考える上において何かしら深い意味があるのではないかと思います・・。
また、こうしたことはおそらく何も和歌山県に限ったことではないと思います。
しかし、こうした偶然らしきものを何度か自身が再発見、認識するようになりますと、少なくともその地域における歴史を貫通する何かがあるのではないかと考えるようになるのです・・。
そして私の場合、そうした時期にこれも偶然にコンラッドの「闇の奥」に出会ったこともまたどうも不思議に思うのです(笑)。」

B「・・なるほどねえ・・。
帰納法による様々な事柄の積み重ね、統合によって見えるものはやはり不思議なものなのだろうね・・。
しかし、そうした一般的に考えれば面倒な方法とは、現在どうも廃れつつあるようですね・・。
私はそれでは、どうもいけないような気がするのですが・・(苦笑)。」

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
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20160302 歴史力・予言力と合理性?・・

A「相変わらずブログを続けているようですね。
あと、最近閲覧者数も増えたようで良かったですね(笑)。」


B「・・どうもありがとうございます。
お陰さまで、最近閲覧者が増えましたが、しかし、これはこれでプレッシャーらしきものもありますよ・・(苦笑)。また、求職活動でも相変わらず動いておりまして、昨日も夜半に応募書類を作成し、一番近い24時間空いている郵便局まで行き、発送してきました・・。そういえば、ここ最近数ヶ月は応募書類を発送する際に心の中で「頼むよ神様、こんな人生だったんだ、どうか幸せな夢を見させてください・・」と心のなかでつぶやくようになりました(苦笑)。ともあれ、今後また何か動き、変化がありましたらお知らせいたします。」

A「・・・そうですか、わかりました。
そういえば、これまでBさんが作成した対話形式のブログ記事での登場人物で「これは私のことかな?」と思える人物が出てきますが、あれは何人かそのモデルの方々がいるのですか?」

B「ええ、そうです。私のブログ記事での登場人物は概ねA、Bですが、このうちの片方は私自身がモデルであり、他方には、そのモデルの方が何人かおります。とはいえ、この登場人物キャラクターとは、そのモデル一人一人から抽出したものではなく、毎回それらを適宜複合、合成したものとなっています。まあ、それでも、さきほどのAさんと同様、モデルとなっている方々は読んでいらっしゃれば「これは多分、私のことかもしれない・・。」となっているのではないかと思いますが・・。」

A「はあ、なるほどねえ・・。何だかそうしたキャラクターの表現、書き方とは「記紀」に描かれているスサノオ、オオクニヌシ、ヤマトタケルのようですね・・。それは編纂者から見て類似したような複数の人格を一人の人格にまとめ上げて物語の登場人物とすることです。しかしまあ、こうしたことは、おそらく世界各国の神話、伝承などにおいて類例が少なからずあるのではないかと思いますが・・。」

B「・・なるほど、それはこれまでに気が付きませんでした・・。また、たしかにそういわれてみますと、ほぼ無意識ではあったと思いますが、そうした要素はあるかもしれません。そうしますと、私はそれを知らずに「記紀」あるいは、その他の神話、伝承のような表現方法、書き方を採っていたということになるのですね・・(笑)。それに加えて、こうした経緯の可能性を示唆されると「そのようなことは、ある程度合理的に考えれば、大体共通した方法を採るであろうから、まあ当然といえるのではないか。」と考えるか、あるいは「そうした時間・空間を越えた共通、類似性の間には何らかの原因、あるいは関連性があるのだろうか?」と考えるかにより、その後の考えとは、ずいぶん変わってくるのではないかと思います。そして、一般的な意味における合理性に基づいて考えると、おそらく前者の考えに近いものに落ち着くことが多いのではないでしょうか?」


A「・・うん、まあ多分そうでしょうね(苦笑)。さきほど私も自分の思ったことをいったわけですが、それに対してBさんからそのような反応がくるとは思っていませんでした(笑)。
しかし、多分、おっしゃる通りこうしたことは案外重要ではないかと思います・・。
たしか柳田國男がそうした能力のことをどこかで「予言力」と書いていたように思います・・。「予言」といいますと非科学的であり「怪しい」と思われそうですが、それは過去の歴史に対する様々な深い理解、知識に基づいた、これから起こる出来事への理解および対応の仕方ともいえるのではないかと思います・・。我々日本人のこうしたことに対する認識、理解の仕方については、かねてより多くの研究者、著述家が記しておりますが、全体的な傾向としては、たしかにBさんの仰る通り、まあ、前者つまり合理性に基づいてなされているのではないかと思います・・。とはいえ、この「予言力」とは、前者的な考え方も重要でしょうが、おそらく後者的な考えを思考の熱により煮詰めることによって精製、生成されるのではないでしょうか?」

B「・・はあ柳田國男が「予言力」と記していたのですか・・。また、そうした考えとは、今現在の様々な情報が錯綜して存在している我が国であるからこそ特に重要であるのかもしれません。加えて、さきほどAさんが私のブログ登場人物キャラクターに関して指摘されたことは、一種の「抽象化」であると思います。そして「様々な歴史的出来事に対する抽象化の仕方の傾向」などにおいても国あるいは地域毎に特徴があるのかもしれません・・。」

A「・・ええ、そういったことは、たしかにあるかもしれませんね。また同じ国、地域などにおいても、時代が変わるとそうした傾向はまた変わってくるのではないかとも思います・・。これはブログの文章を書く際においても同様であるかもしれませんが、どういった深度あるいは高度から事象を眺めるかによって、眺望が異なり、それにより書く文章も変化してくると思いますので、時代、国、地域における「抽象化の仕方の傾向」の相違とは、そうしたことに因っているのではないかと思います。そして、そうした「眺望」が何故、その時代、その場所において成立したかということを考えてみるのもなかなか面白いのではないでしょうか(笑)?」

一連の私のブログ記事を読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。


20160301 「Deus Ex Machina」機械仕掛けの神

A「おかげさまで昨日(20160229)で全期間のブログ閲覧者数が40000人を越えました。
以前20160209で30000人を越えたばかりでしたので、この閲覧者数の増加はなかなか早いのではないかと思います。」

B「・・ええと、たしかAさんは昨年の6月にブログははじめたと聞いていましたので、それは大体8ヶ月程度で30000人そして9ヶ月あたりで40000人ということになりますから、直近10000人の増加とは、たしかにこれまでに比べると早いですね・・。」

A「先日来の風邪もあり、また、その他色々とありまして、ここ最近はブログの更新が多少辛かったです・・(苦笑)。とはいえ、記事を更新しないのもどうも気持ちが悪いので、とりあえず書いておりました・・。そして、これまでに何度か思ったことなのですが、文章の作成とは、当初においては質より量であるとよく聞きますが、私の文章、つまりブログの記事とはこれでいいのかと時折、不図思うことがあります・・。」
B「・・うーん、これまでにAさんのブログが炎上したりしないで、一応順調に閲覧者数が増加しているのですから、そのままの調子で続けて特に問題ないのではないかと思いますけれども・・。私としては、むしろAさんのブログに1日数百人の閲覧者がいること自体が未だに不思議なのですが・・(笑)。それでも時折は面白いと思う記事もありますけれども・・。それ故、閲覧者数といった周囲の状況が多少変わっても、そうしたことをあまり気にしないで、記事を書き続ければいいのではないでしょうか?」
A「・・まあ、それはたしかにそうなのですが、また、このようなことをBさんにいうのは「釈迦に説法」であるとは重々承知しておりますが、それでも自分の書いた文章が1日数百人の方々に読んでいただいているというのは、なかなか緊張するものです・・。あまりウカツなことも書けませんし・・。その点、書籍の抜粋とは、ある程度楽なのですが、そればかりを続けていると今度は自分の文章が書けなくなるのです・・(苦笑)。
ともあれ、そのようなことから時折「もしかしたら私は泳がされているのかもしれない・・」などといった漠然とした不安を覚えることもあります(笑)。
無論、こうした考えとは、自意識過剰の所産ではあるのですが、そのあたりもある意味、原始的な感情と理性との葛藤であるのかもしれませんね・・(笑)。それでも古代ギリシャの劇に出てくる機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)あるいは水戸黄門一行のようなものがこの先突然登場し、一気に状況が変わるといったこともないと思いますので、まあ、とりあえず今現在は記事を書き続けることが大事ではないかと思います・・(苦笑)。」

B「・・まあ、そうでしょうね。しかし、それよりも、今のハナシでギリシャ悲喜劇の機械仕掛けの神と水戸黄門を類似したものとして示したのは、なかなか面白いですね(笑)。
しかしながら、私が思うに、この両者とは、たしかに類似している要素もあるのですが、また同時に相違もあると思います。つまり、ギリシャ悲喜劇における機械仕掛けの神とは大体が劇終盤に突然登場し、大団円の方向に持ってゆくようなものであるのに対して、水戸黄門に象徴されるような我が国の時代劇におけるヒーローの多くとは、物語のはじめから登場しており、それが物語の事態悪化を好転させるということなのですが、これは、さきほどの機械仕掛けの神というよりもむしろ、トリック・スター的な要素の方が強いのではないかと思います。また、我が国のそうした民話、伝承的なヒーローとしてのトリック・スターとは、スサノオそしてヤマトタケルのあたりから連綿と続いているのではないかとも思いますね・・。とはいえ、こうしたトリック・スター的なキャラクターとは海外の神話、物語でも多く見られるとも思いますが・・。」

A「・・なるほど突然登場して事態を展開に至らしめる機械仕掛けの神に対して、当初から登場はしているが事態の要求により、突然別の側面を露わにして物語を展開に至らしめるトリック・スターということですか・・。たしかにそうであるかもしれませんね・・。
そして、そうしますと、どうも夏目漱石の「夢十夜」の第三夜を思い出しますね。
これはトリック・スターとはいえませんが、主題的には概ね、さきほどの筋に沿っているのではないかと思います・・。そうしますと、我々日本人とは、既知でありながらも、ほぼ無意識化されていたものが、何かの契機により突然姿を現し、物語を展開させる、あるいは何か重要なことを気付かせるといった主題が、それこそ無意識的ではあるのかもしれませんが、嗜好するような傾向があるのかもしれませんね・・まあ、あくまでも思いつきですが(笑)。」
B「・・ううむ、それはなかなか面白いかもしれませんね・・。あるいはそうしたことは、我が国の様々な文化、事象などにおいて、何か深い意味があるのかもしれません・・。
また、そうしますと日本人が歴史などの記憶を忘却の彼方に追いやるといったよく聞く傾向に対してもまた、異なった視点で見ることが出来るかもしれませんね・・。」

A「・・ええ、我が国の公的な近代以降の歴史の叙述とは、結局のところ欧米的な方法論によるものであると思います。無論、それはそれで大変重要、大事であるとは思います。
しかし、一方において、そうでない在来の方法論にて述べられた歴史もまたあるのではないかと思います。そして、それを理解しようと試みると、また異なった我が国あるいは他の国の歴史、文化に対する視座が出来て、それはそれで面白いのではないでしょうか(笑)?」

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2016年2月29日月曜日

20160229 メガネはファッションか道具か両方か・・

A「一時期メガネにあこがれた時期がありましたが、最近はどうも黒縁のゴツめのメガネが流行しているようですね・・。
私もああいうのをかけると多少はカッコ良く見えるのでしょうか?」

B・・いや、それはないと思いますよ(苦笑)。
私などは必要に迫られてメガネを用いていますが、それでも何というかファッション・アイテムとしては選んでいないと思いますから、そういったことはあまり気にしなくてもいいのではないですか?
それに加えて我々日本人とは何でも自然本来の持ち味を大事にするという美質を持っていると思いますので、特に必要でなければそういったものは用いる必要はないと思いますが・・。」

A「・・はあ、そうですか・・。
しかしBさんのメガネもこうして見ますと、なかなか様になっていますね・・。
またメガネといえば、どちらかといえば理系っぽいイメージがあります。
そして理系の方々のメガネとは、たしかにファッション・アイテムというよりも、道具としての意味合いが強いように思えます。
そして、それが私にとってカッコ良いものと映るのかもしれません・・(笑)。」

B「ずいぶん大人気ない意見にも聞こえますね・・(笑)。
ともあれ、私は理系ではないですが、それでも出来ればメガネなどあまり使わない方が便利であると思いますので、Aさんのさきほどの意見は「隣の芝生は青い」に類するものではないでしょうか?
ですから、理系のメガネを用いている方々の多くも、私に近い意見を持っているのではないかとも思いますが・・。
その一方で、たしかに私も理系といえば、メガネに白衣といった印象があることもまた事実ですね(笑)。」

A「・・白衣ですか・・それは分野によるのではないかと思います。
たとえば同じ理系学問分野であっても工学部などは白衣よりも作業ジャンパーの様なものがユニフォームとなっています。
教授から学生さんまで、そうした姿が多く見られる工学部近くの学食などはそれはそれでスゴイと思います。
その点、文系とは、そうしたユニフォームらしきものがありませんが、まあ、それは学問分野の性質上、自然、当然であるのかもしれません・・。」

B「ええ、それはたしかにそうかもしれませんが、文系も文系でよく見てみますと、何かしらそういった洋服の着方などにおいて特徴があるのではないかと思うこともありますね・・。」

A「・・ああ、たしかに洋服の着方などに関しては、大学あるいは学部、学科毎でそうした流行などを含めた何かしらの傾向はあるかもしれませんね。
それで私が不図思ったのは文系、理系を問わずですが、大学教員、研究者の方々は年齢層にあまり関係なく、ジーンズにシャツ、セーターといった格好を好まれるような感じを受けます・・。
これは一般的に見ると、あまり年相応でないのかもしれませんが、彼等が着ているのを見ると、どうもカッコ良く見えてしまうようなところがあるのです・・。
しかし、そうした洋服などの着方のカッコ良さ、センスとは、究極のところ、そういったところに真髄があるのではないかと思うのです・・(笑)。
そして、その究極を何も身に着けない実在としての肉体と見做すか、あるいは何か観念的、精神的なものと見做すかで、また考えが変わってくると思います。
私のこれまでの経験から、その究極とは多分、後者に本質があるのではないかと考えています。
しかし、同時に私自身がその本質を全て精確に判断できているとは思いませんが・・(苦笑)。
とはいえ、やはりBさんも含めて大学教員、研究者の方々の多くは、うまく言葉ではいえませんが、緊張感のようなものがあり、それはさきほどのような格好をされていても、何かしら伝わってくるものがあるのではないかと思います。」

B「・・ううむ、それは単なるAさんの思い込みではないでしょうか?
私も一応そういった方々を多少見知っていると思いますが、そうした緊張感はあまり感じたことはありませせん・・。
・・あ!それでも確かに、昔お世話になった先生方には独特の雰囲気というか風格らしきものがある方が割合多くいたようにも思います・・。」

A「・・それでしたら、私も年齢の近い教員、研究者に対しては、さきほどのような感覚を覚えることはあまりありません・・。
それ故、多分こうした感覚とは、一般的に自身よりも年長の異なる世代文化に属する方に対して持つようなものではないでしょうか?」

B「・・はあ、なるほど・・。
しかし、そうした感覚を年少の方々に対して感じることが出来るようになりましたら、それはそれで面白くなるかもしれませんね・・(笑)。」

A「・・ええ、それはあまり多くありませんが、私も時折感じることがあります。
しかし、私などはそうしたことは、もっと多く感じるはずなのですが(苦笑)。
とはいえ、そう感じた原因、つまり何をスゴイと感じたのかは、さきほどの年長者に対するものと同様に未だによくわかりません・・。
また、そうではあるのですが、そうした感覚とは結構明瞭なものでして、今後その感覚を明瞭に言語化してみたいとは思いますが・・。」

B「ええ、メガネなどの小道具に頼るよりも、そうした感覚を磨いた方が色々と面白いと思いますよ(笑)。」

A「メガネ型の「戦力測定装置」のようなものがあれば、それはそれで面白いかもしれませんが、とりあえずは自身の感覚について考えてみます(笑)。」


「本日(2/29)全期間のページ・ビュー(PV)が40000を越えました。
一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。」

2016年2月28日日曜日

20160228 山登りとD2病・・

A「精確に数えたわけではありませんが、前回投稿した記事で自身の作成した記事のみで100記事となります。最近は風邪をひいたこともあり、あまりそうしたことを考えずに記事作成をしてきましたが、まあ、これはこれで一つの良い区切りとなりました・・。」

B「ほお、自作の記事のみで100を越えましたか・・。
たしかAさんの1記事の文字数は文量から大体2000字程度であると思いますから、これで概ね200000字程度書いたことになるのですか・・。それは中々の量になりましたね(笑)。
また、それはそうと閲覧者数は、その後どうなっていますか?」

A「ええ、そちらは特に大きな変動もなく、今現在1日大体300~500人程度で落ち着いております。とはいえ、これもわずか1ヵ月前と比べますと2倍以上に増えました。
国内外を問わず、どのような方々が私のブログを読んでくださっているのかわかりませんが、何れにせよ私としては大変ありがたいです・・。
そうした方々の存在がなければ、おそらく私は現在の求職活動のどこかで心が折れ、挫けていたのではないかと思います・・。また、つい先日も2件の不採用通知が相次いで届き、それなりにショックを受け、落ち込みましたが、ブログの記事を作成することによって、落ち込みはある程度軽減され、どうにか正気を保つことが出来ているのだと思います・・。
また、思い返してみますと、これは鹿児島在住時の週末の日課であった散歩においても同様のことがいえたのではないかと思います・・。この散歩は以前もブログにて記しましたが四季を通じ続けていましたが、そのはじまりを考えてみますと、当時のお師匠が山登りが趣味であり、よく弟子共数人でお供をして山に登っていたことではないかと思います・・。そして山に登った後は近場の温泉に行くのがお決まりのコースでしたが、この行動パターンは多少の変形はありましたが私の鹿児島在住時を通じ継続され、当時の私に根付いていたのではないかと思います。」

B「・・ああ、そういえばAさんが鹿児島在住時の帰郷の際に東急東横線の**駅近くのレストランにて会った時に見せてもらった山々の風景写真とは、そうした時に撮影したものだったのですね・・。その中で特に私が憶えているのは、たしか真中にすすきが生えていて左手に大隅半島の海岸線、右手に薩摩半島の海岸線そしてその奥の方にうっすらと開聞岳が見えているものでしたが、あれは桜島が入っていないことから、大隅半島でも鹿屋よりの場所から撮影したものでしょうね・・。」

A「・・ええ、よく憶えておいでですね・・。あの写真は仰る通り大隅半島でも鹿屋に近い山の中腹から撮影したものです。また、たしか学会発表のはじめにその写真を用いましたので、自分でもなかなか気に入っていて、それでBさんにもお見せしたのではないかと思います(笑)。」

B「うん、私もそうした地理の説明をAさんから聞かなければ、その写真の地理的な構成はわかりませんから、多分その時に説明を聞いたのだと思います。」

A「・・たしかに地元の人でなければ、そうした地理的な構成を予め示しておかないと、それがどこの景色であるかは分かりにくいと思いますので、やはりその時にBさんに御説明したのではないかと思います。とはいえ、あの当時の私はそうした写真を嬉々としてBさんに示していたのですか・・(苦笑)。そうしますと、やはり現在と比べますと、多少勢いがあったといいますか、まあD2病であったのだと思います・・(苦笑)。」

B「嬉々として説明していたかは憶えていませんが、あの当時の方が現在に比べて元気があったと思いますよ・・。また、そのD2病というのは何ですか・・?」

A「ああ・・D2病といいますのは、私も人から聞いたものですが、まあ巷でいわれている中2病の博士課程版でして、いうなれば一種の自意識過剰ですね・・。ちなみにM2病という修士課程版もありまして、症状は類似したものであるということです・・(笑)。」

B「・・ははあ、たしかにそういったのはあるかもしれないですね(笑)。
それで現在AさんはそのD2病は完治、寛解したのですか?」

A「・・いえ、それはよくわかりません・・。また、よくわかりませんので現在ブログ記事を書いているのかもしれません・・。あるいはブログを書いていると、何かしらわかるのではないかと思い、書き続けているのではないかとも思います・・(笑)。何れにしても、何かしら書き続けるということは、現今求職活動中の私にとって様々な意味において重要なのではないかと思います・・。」

B「ええ、さきほども、そう仰っていましたので、とにかく心が折れないように何かしら記事を書き続けてください。そして、今後Aさんに合った良い職を得られるといいですね・・。」

A「そうであることを願うばかりですが、こうしたことはまったく予想がつかないので何ともいえません・・。まあ、何かしら書き続けようと思いますので、今回のこの会話も個人特定の要素を除いてブログの記事にしてもいいですか?」
B「・・それはかまいませんが、まだ若干寒い日が続きますし、またAさんは病み上がりでもありますので、あまり無理をしないで続けてください。」

A「ええ、どうもありがとうございます。」

当ブログ記事を興味を持って読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。