おかげさまで昨日も1日の閲覧者数が1000人に到達しました。
これまで興味を持って読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。
また、昨日記した記事は、これまでに記した記事のなかでも1日の閲覧者数が多い方でした。
昨日の記事はどちらかというと題材がマニアックであったとも思われますので、この現象には多少驚かされました(笑)。
とはいえ、こうした古代の墳墓をも含む古の建造物、製作物などは、それが当時の人々のどのような思い、思想を具現化したものであるかと考えてみると、なかなか面白く、またそれが当時の(ホンモノの)歴史を知る自然な第一歩目にもなることも(少なからず)あるのではないでしょうか?
そうしたものの中で、未だにある程度統一された見解が得られていない謎が多いものとして、弥生時代の青銅製祭器である銅鐸が挙げられます・・。
かつて修士課程在籍時、紀伊国、和歌山の地域性を考えるうえで、一つの題材、切り口として銅鐸は適当であると考え、ある程度、銅鐸について書かれた著作を読み、県内でそれが出土した場所(複数)を実地に訪ねてみました。
結果として、いくつかの傾向、特徴らしきものは見えましたが、それがその後の時代、つまり3世紀以降の古墳時代にどのように結節しているかが分からず、とりあえず、大雑把には、室町時代と江戸時代の間に戦国時代があるように、弥生時代と古墳時代の間には倭国大乱(三国志の魏志倭人伝・後漢書東夷伝、倭人の条)の時代があり、その間に、あるいはその結果、銅鐸を用いて祭祀を行っていた主に西日本在の諸集団は、敵対する集団に屈服し、その祭祀およびその象徴であった祭器(銅鐸)を遺棄あるいは自然(土)に埋納したのであろう。といった認識に至りました・・。
また、以上の経緯を示す神話が出雲の大国主による(天孫族に対する)「国譲り」であると思われます。
その意味において出雲(現・島根県雲南町・加茂岩倉遺跡)から国内最多(39口)の銅鐸が出土していることは、大変興味深いことではないでしょうか?
また、この時期に銅鐸のことを記しておりますと、昨年丁度この時期に亡くなった一人の師匠を想起します・・。
この師匠とは、師匠であると同時にごくごく近い親戚でもあり、以前当ブログにて数度記したことのある松山在住の方がそれです。
鹿児島在住時に何度か松山に行き、そして当ブログにて度々登場した大分県臼杵市に立ち寄ることになりましたのも、考えてみますと、この師匠を訪ねたことが原因でした・・。
この方は、私のそうした(一見しょうもない)歴史ネタに対して、とても関心を示してくださり、また、私の主張に対して、さまざまな疑問をぶつけてくださったことにより、その一連の会話とは、私にとってかなり有益なものになりました。
また、追記しますと、一連のブログ記事での、少なからぬ対話形式のものは、この方との対話をモデルとして作成しております・・。
さらに、私が昨年6月よりブログ記事作成をはじめた(大きな)理由の一つとして、この方に勧められたからということが挙げられます・・。
一連のブログ記事とは、この師匠にあまり顔向けできるような面白い、良い記事ばかりではないと思われますが、とりあえずは(多少は苦しみ、そして楽しんで)継続しておりますので、まあ許容範囲内であるのではないかと思います・・(苦笑)。
(はたして本当にそうなのだろうか・・?)
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、さる4月の熊本を中心とする大地震による被災地の復旧、そしてそれに続く復興が速やかに為されることを祈念しております。
2016年7月17日日曜日
20160716 金峰町、金峯山・支石墓、甕棺墓から・・
唐突ですが、首都圏にて再度暮らしてから一年以上が経ってしまいました・・。
私は首都圏の生まれ、育ちではあるのですが、大きな人生の転機といったものは大概、地方在住の時にあった、受けてきたように思います・・・。
現在であるからこそ、率直に書けますが、当初、地方での生活とは刺激が少なく、かなり退屈に感じておりました・・。
しかし、そこでの生活に慣れるにしたがい、他の面での刺激を感じ取ることが出来るようになり、同時に何かに打ち込むには、地方での生活の方が都合が良いのではないかと考えるに至りました。
それ故、私の場合、特に和歌山と鹿児島の自然、風土そしてその延長ともいえる地域社会に対して、もう少し感謝、敬意の念を持つべきであるのかもしれません・・。
しかしながら、どうしたわけか再度首都圏に住むこととなり、また、それに慣れつつある私がおりますが、これは自身としては基本的に不本意なものであり、今後再び機会を見つけ、再度さきの二つの地方を含む西南日本の何処かに赴き、住むべきではないかと考えております・・。
それが何時になるか分かりませんが・・。
また、そうした自身のある程度具体的な望みとは、区切りの良い366記事目に書いてみようと思います。
こうしたことは「軽々しく書くのは如何なものであろうか?」とも思いますので・・。
さて、本日は所用があり、その帰りに神田神保町に行き、保育社刊のシリーズ「日本の古代遺跡」鹿児島編を見つけ、立ち読みしておりましたら、そこに主に北部九州、特に博多湾沿岸地域に多く見られる大陸(中国東北部)、半島由来の弥生時代の墓制である、支石墓(~前期)、甕棺墓(~末期)が鹿児島県西部、薩摩半島の中部から南部にかけての金峰町(現・南さつま市)にて発見されていることが記されており、かなりビックリしました・・(笑)。
鹿児島在住時、この付近の金峯山には何度か登ったことがあり、たしか山頂に金峰神社が祀られていると同時に、何故か羽をたたんだ鶴の銅像があったことが思い出されます・・。
私は苗字が苗字であるので、何となく面白く感じ、覚えていた次第です・・・。
しかし、そのように思い起こしますと、彼の地、鹿児島には「鶴」とつく地名、苗字などが他府県に比べ、多かったのではないかと思われます・・。
そして、それも地域性の一つであるかもしれません。
また、その理由とは、はっきりとは、わかりませんが・・。
しかし、何かしら面白いことであるとは思います。
さて、さきの金峰町にて発見された支石墓、甕棺墓のことを敷衍して考えてみますと「古事記」の天孫降臨のくだりにて登場する「この地は韓国(からくに)に向かいて、笠沙岬(かささのみさき)を真来通りて・・」の笠沙が、この近辺に存在することは、なかなか興味深いことではないかと思われました。
しかし、この現在の地名(笠沙)が当時も同地に存在していたかどうかは今もって不明なところではありますが・・。
しかし、いずれにせよ、弥生時代の大陸、半島由来の墓制(支石墓、甕棺墓)が九州西岸を下り、ここ南九州西岸付近にも浸透していたこと、そして、そこからもう少し南下した種子島の広田遺跡からの出土物が示す、ほぼ同時代の中国南部からの(道教?)文化が東シナ海を渡り、この地にもたらされていたことは、当時のこの地域一帯における多彩な文化の併存(国際色が豊か)を示すものであり、そのことから「当時のこの地の文化とは、一体どのようになっていたのだろうか?」と考えてみますと、なかなか面白いのではないでしょうか・・(笑)?
さる四月の熊本を中心とする大地震により被災された地域の速やかな諸インフラの復旧そして、それに続く復興を祈念しております。
また、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
私は首都圏の生まれ、育ちではあるのですが、大きな人生の転機といったものは大概、地方在住の時にあった、受けてきたように思います・・・。
現在であるからこそ、率直に書けますが、当初、地方での生活とは刺激が少なく、かなり退屈に感じておりました・・。
しかし、そこでの生活に慣れるにしたがい、他の面での刺激を感じ取ることが出来るようになり、同時に何かに打ち込むには、地方での生活の方が都合が良いのではないかと考えるに至りました。
それ故、私の場合、特に和歌山と鹿児島の自然、風土そしてその延長ともいえる地域社会に対して、もう少し感謝、敬意の念を持つべきであるのかもしれません・・。
しかしながら、どうしたわけか再度首都圏に住むこととなり、また、それに慣れつつある私がおりますが、これは自身としては基本的に不本意なものであり、今後再び機会を見つけ、再度さきの二つの地方を含む西南日本の何処かに赴き、住むべきではないかと考えております・・。
それが何時になるか分かりませんが・・。
また、そうした自身のある程度具体的な望みとは、区切りの良い366記事目に書いてみようと思います。
こうしたことは「軽々しく書くのは如何なものであろうか?」とも思いますので・・。
さて、本日は所用があり、その帰りに神田神保町に行き、保育社刊のシリーズ「日本の古代遺跡」鹿児島編を見つけ、立ち読みしておりましたら、そこに主に北部九州、特に博多湾沿岸地域に多く見られる大陸(中国東北部)、半島由来の弥生時代の墓制である、支石墓(~前期)、甕棺墓(~末期)が鹿児島県西部、薩摩半島の中部から南部にかけての金峰町(現・南さつま市)にて発見されていることが記されており、かなりビックリしました・・(笑)。
鹿児島在住時、この付近の金峯山には何度か登ったことがあり、たしか山頂に金峰神社が祀られていると同時に、何故か羽をたたんだ鶴の銅像があったことが思い出されます・・。
私は苗字が苗字であるので、何となく面白く感じ、覚えていた次第です・・・。
しかし、そのように思い起こしますと、彼の地、鹿児島には「鶴」とつく地名、苗字などが他府県に比べ、多かったのではないかと思われます・・。
そして、それも地域性の一つであるかもしれません。
また、その理由とは、はっきりとは、わかりませんが・・。
しかし、何かしら面白いことであるとは思います。
さて、さきの金峰町にて発見された支石墓、甕棺墓のことを敷衍して考えてみますと「古事記」の天孫降臨のくだりにて登場する「この地は韓国(からくに)に向かいて、笠沙岬(かささのみさき)を真来通りて・・」の笠沙が、この近辺に存在することは、なかなか興味深いことではないかと思われました。
しかし、この現在の地名(笠沙)が当時も同地に存在していたかどうかは今もって不明なところではありますが・・。
しかし、いずれにせよ、弥生時代の大陸、半島由来の墓制(支石墓、甕棺墓)が九州西岸を下り、ここ南九州西岸付近にも浸透していたこと、そして、そこからもう少し南下した種子島の広田遺跡からの出土物が示す、ほぼ同時代の中国南部からの(道教?)文化が東シナ海を渡り、この地にもたらされていたことは、当時のこの地域一帯における多彩な文化の併存(国際色が豊か)を示すものであり、そのことから「当時のこの地の文化とは、一体どのようになっていたのだろうか?」と考えてみますと、なかなか面白いのではないでしょうか・・(笑)?
さる四月の熊本を中心とする大地震により被災された地域の速やかな諸インフラの復旧そして、それに続く復興を祈念しております。
また、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
2016年7月15日金曜日
20160715 はじめての原稿 芸の肥やし・・?
本日は朝から頭が痛く、往生しました・・。
薬を服用し大分楽にはなりましたが、現在なお多少痛みが残っております。
とはいえ、これまで継続してきたブログ記事作成を中断することもまた、自身にとっては痛いことであるため記事の作成をはじめました・・(苦笑)。
さて、昨日のブログ閲覧者の傾向を見てみますと、大変面白いことに、既に私が寝入った後での閲覧が多く、結果的に通常の平日よりも大分多い閲覧者数(800~1000)となりました。
また、ここでの閲覧者の多くとは、時間帯も時間帯であるため、時差のある海外(特にアメリカ合衆国)の方々が多く、読んで頂いたことに対し感謝すると同時に「一体私の書いたブログ記事がどのように読まれているのだろうか?」といった疑問もまた生じてきました・・。
とはいえ、一連のブログ記事において、特にアメリカ合衆国を(感情的に)論難、非難したことはないと考え、また個人として特に同国に対し悪感情を持っているわけでもありませんので、引き続き興味を持って読んでくださることを願うばかりです。
読んでくださっている国内外の皆様、どうぞよろしくお願いします。
さて、私がはじめて何かしらの記事を書くということになったのは在和歌山時代からのことであり、以前ブログの記事にも記した「紀州鉈について」という記事、文章が自分の書いた文章で何かしらの報酬を頂いた、はじめての経験であったことが思い起こされました。
また、その時の報酬でJR和歌山駅前にある近鉄百貨店にて(私としては)多少高価なハンカチを購入し、実家の母親に誕生日プレゼントとして贈りました。
その後も在和歌山、鹿児島時代を通じ、必要に応じ、さまざまな文章を作成しましたが、現在継続しているブログ記事の作成ほど長期間にわたり、文章、記事を作成したことはありませんでした・・。
「芸は身を助く」などといわれますが、イマイチよくわからないのは、現在記しているこのブログ記事とは、何かしら「芸の肥やし」になっているのだろうか?ということです・・(苦笑)。
(それ以前に私の芸とは一体何であろうか・・(笑)。)
しかし一方、そのように何かしら能動的な(多少は有益と思われる)行為といったものを継続していないと、何も良いことは生じないとも思われます。
卑近な具体例として、これまでブログ記事を継続して作成したことにより、私としては望外に多くの閲覧者数を得ることができました。また同時に、それがこれまで記事を書き続けることが出来た主な理由であるともいえます。
この場合、どちらがニワトリ、タマゴであるか考えた場合、はじめにあったのは能動的なブログ記事の作成・投稿であると思われます・・。
それ故、「はじめにコトバありき」からはじまる新約聖書のヨハネによる福音書の一章一説とは、なかなか深い意味があるのかもしれません・・。
さて、先日電話にて知人と話し、その中で「もちろんAさん特有の文体はありますよ・・多少古めかしい感じがしますけれど・・。」といわれました。
私見として、自身の文体というものは、なかなかその特徴を言語化して表現することが難しいのですが、不思議なことに、他者のそれに対しては、比較的容易に表現、評価することが出来るように思われます・・。
こういった我々の持つ性質といったものもなかなか興味深いと思われますが如何でしょうか?
また、以前ブログ記事にて記したことではありますが「自身の文体を獲得する経緯、契機とは、比較的明瞭に認識することが出来る。」と、たしか中井久夫がその著作内にて述べておりましたが、これは本当なのでしょうか?
こうしたことが未だによくわかないままにてブログ記事を作成しておりますが、そのうち、案外近い将来、分かってくるのではないかと思います・・。
また、不思議なことに、ここまで記していると、さきほどよりも多少頭痛がおさまってきたように思われます・・。
そして、これを興味を持って読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。
また、先日の九州での大雨における被害が少なく、さる四月における大地震からの復旧、復興作業に支障がないことを祈念しております。」
薬を服用し大分楽にはなりましたが、現在なお多少痛みが残っております。
とはいえ、これまで継続してきたブログ記事作成を中断することもまた、自身にとっては痛いことであるため記事の作成をはじめました・・(苦笑)。
さて、昨日のブログ閲覧者の傾向を見てみますと、大変面白いことに、既に私が寝入った後での閲覧が多く、結果的に通常の平日よりも大分多い閲覧者数(800~1000)となりました。
また、ここでの閲覧者の多くとは、時間帯も時間帯であるため、時差のある海外(特にアメリカ合衆国)の方々が多く、読んで頂いたことに対し感謝すると同時に「一体私の書いたブログ記事がどのように読まれているのだろうか?」といった疑問もまた生じてきました・・。
とはいえ、一連のブログ記事において、特にアメリカ合衆国を(感情的に)論難、非難したことはないと考え、また個人として特に同国に対し悪感情を持っているわけでもありませんので、引き続き興味を持って読んでくださることを願うばかりです。
読んでくださっている国内外の皆様、どうぞよろしくお願いします。
さて、私がはじめて何かしらの記事を書くということになったのは在和歌山時代からのことであり、以前ブログの記事にも記した「紀州鉈について」という記事、文章が自分の書いた文章で何かしらの報酬を頂いた、はじめての経験であったことが思い起こされました。
また、その時の報酬でJR和歌山駅前にある近鉄百貨店にて(私としては)多少高価なハンカチを購入し、実家の母親に誕生日プレゼントとして贈りました。
その後も在和歌山、鹿児島時代を通じ、必要に応じ、さまざまな文章を作成しましたが、現在継続しているブログ記事の作成ほど長期間にわたり、文章、記事を作成したことはありませんでした・・。
「芸は身を助く」などといわれますが、イマイチよくわからないのは、現在記しているこのブログ記事とは、何かしら「芸の肥やし」になっているのだろうか?ということです・・(苦笑)。
(それ以前に私の芸とは一体何であろうか・・(笑)。)
しかし一方、そのように何かしら能動的な(多少は有益と思われる)行為といったものを継続していないと、何も良いことは生じないとも思われます。
卑近な具体例として、これまでブログ記事を継続して作成したことにより、私としては望外に多くの閲覧者数を得ることができました。また同時に、それがこれまで記事を書き続けることが出来た主な理由であるともいえます。
この場合、どちらがニワトリ、タマゴであるか考えた場合、はじめにあったのは能動的なブログ記事の作成・投稿であると思われます・・。
それ故、「はじめにコトバありき」からはじまる新約聖書のヨハネによる福音書の一章一説とは、なかなか深い意味があるのかもしれません・・。
さて、先日電話にて知人と話し、その中で「もちろんAさん特有の文体はありますよ・・多少古めかしい感じがしますけれど・・。」といわれました。
私見として、自身の文体というものは、なかなかその特徴を言語化して表現することが難しいのですが、不思議なことに、他者のそれに対しては、比較的容易に表現、評価することが出来るように思われます・・。
こういった我々の持つ性質といったものもなかなか興味深いと思われますが如何でしょうか?
また、以前ブログ記事にて記したことではありますが「自身の文体を獲得する経緯、契機とは、比較的明瞭に認識することが出来る。」と、たしか中井久夫がその著作内にて述べておりましたが、これは本当なのでしょうか?
こうしたことが未だによくわかないままにてブログ記事を作成しておりますが、そのうち、案外近い将来、分かってくるのではないかと思います・・。
また、不思議なことに、ここまで記していると、さきほどよりも多少頭痛がおさまってきたように思われます・・。
そして、これを興味を持って読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。
また、先日の九州での大雨における被害が少なく、さる四月における大地震からの復旧、復興作業に支障がないことを祈念しております。」
20160714 パリ祭の日に思ったこと・・理系諸学問と歴史・文化・伝統
A「本日は不図フランスの革命記念日であることを思い出しました。
私は日本人であるため、フランスの革命記念日に対し、特に大きな感動、思い入れ等はありません。
しかし、それでも近代を特徴づける、民主主義なる政体が、この革命を契機として生じ、定着し、そして全世界に広まっていったということは、やはり世界史的な視点から見て意味があることなのではないかと思います・・。
しかし、そうであるからといって、我が国の皇室が18世紀末のブルボン王朝のようになることは決して望みませんが・・。
それ以前に、我が国においては、そのようなことはないと思いますが・・。
何れにせよ、それぞれの国には各々独自の歴史的発展の型、特徴、モデル、クセのようなものがあり、また、その基層にはその国特有の文化、伝統といった、より日常的な存在があり、それらは、敢えて(世界的に見て)普遍的とされる原理、原則なるものを当て嵌め、全て対応、考察できるものではないと考えます。
さらに進んで云うと、こうしたこと(一国の長く続いた文化、伝統)を、理系学問分野の背景、基層にある普遍的とされる科学的諸概念、法則などを用い考察そして何らかの決断を為すことは、大変危険なことではないかと思われます・・。
また、その意味において社会主義、共産主義そしてその背景にある社会科学的な思想もまた、有益な要素を含むと同時に危険なそれもまた少なからずあるのであるのかもしれません・・。
とはいえ、現在の我が国の社会に関しては、全世界的に見受けられる、よくわからない方向に行ってしまった感のある資本主義、個人主義、功利主義的な思想よりも、さきのような人文社会科学思想の方が「社会を良くする」という意味においては有効な部分が多いかもしれないと思うことも度々ありますが・・(苦笑)。
とはいえ、こうしたことは、ハラを決めても断言することが困難であり、理系学問での実験結果にように(ある程度条件を限定すれば)歯切れの良い物言いが出来るというわけでもありません・・。
しかし、であるからといって、手持ちの歯切れの良い理系的、科学的な発想、論理に則り、社会変革を(どこまでも)行ってゆこうとすると、さきに述べたように危険な社会状態を惹起させることが多いのではないでしょうか?
その意味において、昨今特に首都圏、都市を中心において見受けられる理系学問分野の圧倒的優位とは「果たしてこれでいいのであろうか・・?」と考えさせられます。
そして、理系諸学問の対極にあるものが、国、地域に固有なものとして存在する(ホンモノの)文化、伝統といったものではないでしょうか?
我々の国、地域固有の文化、伝統とは、西洋流にアレンジしたり、横文字で飾ったりしなければ、カッコが悪く、あるいは不味くて飲み下せないものばかりなのでしょうか・・?
そして、もし、そうであるとすれば、そこには一体どのような理由があるのでしょうか?
九州方面にて大雨が降ると聞きました。
この大雨による被害が少なく、そして四月に被災した熊本を主とする地域での復旧、復興作業に支障がないことを祈念します。
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」
私は日本人であるため、フランスの革命記念日に対し、特に大きな感動、思い入れ等はありません。
しかし、それでも近代を特徴づける、民主主義なる政体が、この革命を契機として生じ、定着し、そして全世界に広まっていったということは、やはり世界史的な視点から見て意味があることなのではないかと思います・・。
しかし、そうであるからといって、我が国の皇室が18世紀末のブルボン王朝のようになることは決して望みませんが・・。
それ以前に、我が国においては、そのようなことはないと思いますが・・。
何れにせよ、それぞれの国には各々独自の歴史的発展の型、特徴、モデル、クセのようなものがあり、また、その基層にはその国特有の文化、伝統といった、より日常的な存在があり、それらは、敢えて(世界的に見て)普遍的とされる原理、原則なるものを当て嵌め、全て対応、考察できるものではないと考えます。
さらに進んで云うと、こうしたこと(一国の長く続いた文化、伝統)を、理系学問分野の背景、基層にある普遍的とされる科学的諸概念、法則などを用い考察そして何らかの決断を為すことは、大変危険なことではないかと思われます・・。
また、その意味において社会主義、共産主義そしてその背景にある社会科学的な思想もまた、有益な要素を含むと同時に危険なそれもまた少なからずあるのであるのかもしれません・・。
とはいえ、現在の我が国の社会に関しては、全世界的に見受けられる、よくわからない方向に行ってしまった感のある資本主義、個人主義、功利主義的な思想よりも、さきのような人文社会科学思想の方が「社会を良くする」という意味においては有効な部分が多いかもしれないと思うことも度々ありますが・・(苦笑)。
とはいえ、こうしたことは、ハラを決めても断言することが困難であり、理系学問での実験結果にように(ある程度条件を限定すれば)歯切れの良い物言いが出来るというわけでもありません・・。
しかし、であるからといって、手持ちの歯切れの良い理系的、科学的な発想、論理に則り、社会変革を(どこまでも)行ってゆこうとすると、さきに述べたように危険な社会状態を惹起させることが多いのではないでしょうか?
その意味において、昨今特に首都圏、都市を中心において見受けられる理系学問分野の圧倒的優位とは「果たしてこれでいいのであろうか・・?」と考えさせられます。
そして、理系諸学問の対極にあるものが、国、地域に固有なものとして存在する(ホンモノの)文化、伝統といったものではないでしょうか?
我々の国、地域固有の文化、伝統とは、西洋流にアレンジしたり、横文字で飾ったりしなければ、カッコが悪く、あるいは不味くて飲み下せないものばかりなのでしょうか・・?
そして、もし、そうであるとすれば、そこには一体どのような理由があるのでしょうか?
九州方面にて大雨が降ると聞きました。
この大雨による被害が少なく、そして四月に被災した熊本を主とする地域での復旧、復興作業に支障がないことを祈念します。
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」
2016年7月14日木曜日
20160713 「読む」から「書く」に至るまで・・
先日来より数年振りで再び岩波書店より刊行されているバートランド・ラッセル著の「幸福論」を読んでおりますが、この著作は様々な面において混迷の中にある現在の我が国に生きる我々であるからこそ、興味深く読むことができるのではないかと思います・・。
以前読んだ際(2007)もなかなか感銘を受けつつ読んだ痕跡があり、頁が折ってあったり、時折、何やらよくわからないコメントが記されております・・(苦笑)。
また、現在読む際において、当時折った頁での興味の所在に関しては大体理解、納得することが出来ます・・。
これは当時より進歩していないということになるのでしょうか(苦笑)?
また、以前も当ブログにて記しましたが、同じくラッセル著の「西洋哲学史」全三巻(みすず書房刊)は今後どうにか精読してみたいと考えております・・。
また、この著作のように以前から精読することを望んでいた著作として宮崎市定著の一連のアジア史関連の著作、そして既に読み現在尚、折を見て部分的に読んでいる加藤周一著の「日本文学史序説」などが挙げられます・・。
後者の「日本文学史序説」は鹿児島在住時(2009)に購入し、長らく積読、斜め読み状態であったものを学位取得、帰郷後に一念発起して本格的に読み始め、ある程度の期間をかけ読了に至りました。
また、この他にも日本文学史に関しての著作は多く刊行されているようですので、今後それらも折を見て読んでみたいと考えております・・。
とはいえ、何故2009年当時の私はこの著作に興味を抱いたのでしょうか?
おそらく、立ち読みにて他の同著者の著作を知り、そこから同著作に興味を持つようになったのではないかと思われます・・。
また、この著作をはじめて知った時は「ずいぶんと長い著作であり、最後まで読むことが出来るだろうか?」と感じたことを覚えておりますが、その後、さきに述べたようにどうにか読了に至り、その後、同著の英訳本に手を出すに至りました・・(これは未だ読了に至っておりませんが・・(苦笑))。
以上のような経緯から、今後「西洋哲学史」全三巻を精読することが出来るか不明ではありますが、とりあえず、そうしたことを能動的に為さしめる知的好奇心は保持し続けたいと考えております・・。
また、それと同時にこれまでブログ記事を継続して作成してきたことは、一面において、そうした能動性を保持するための自分なりの苦肉の策であるともいえます・・。
これを読まれている皆様は既にご存知であると思いますが、何かしら読み、考え続けるということは、何かを書き続けるということに強い関連性があるのではないでしょうか・・?
これは一般的に何れがタマゴ、ニワトリであるか判然としませんが、ただ、私に関していえば、おそらく読むことが書くことの先にあったのではないかと思われます・・。
そして、そこから書くに至るまでがなかなか困難な道程であったように思われます。
しかし一方、それ(読むから書くに至るまで)が困難であったからこそ、どうにか昨年6月から現在に至るまでブログ記事を書き続けることが出来たのではないかとも思います。
それ故、こうしたことはなかなか、それぞれの時期に対する評価(有益あるいは無益か)が難しいのかもしれません・・(苦笑)。
また、ここまで記して不図想起したのは、岩波新書刊の加藤周一著「羊の歌」はなかなか面白く、24・5歳あたりに読んでみると、その著作の述べるところと読者の感性がうまい具合に合致、精読に至ることが出来るのではないかと思いました。
九州にて再度大雨が降るとの天気予報を聞きました。
これによる災害が出来るだけ軽微であり、また同時にさる四月に被災された熊本を中心とする地域での被害が少なく、これまでの復旧、復興作業に支障がないことを祈念しております。
そして、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。」
以前読んだ際(2007)もなかなか感銘を受けつつ読んだ痕跡があり、頁が折ってあったり、時折、何やらよくわからないコメントが記されております・・(苦笑)。
また、現在読む際において、当時折った頁での興味の所在に関しては大体理解、納得することが出来ます・・。
これは当時より進歩していないということになるのでしょうか(苦笑)?
また、以前も当ブログにて記しましたが、同じくラッセル著の「西洋哲学史」全三巻(みすず書房刊)は今後どうにか精読してみたいと考えております・・。
また、この著作のように以前から精読することを望んでいた著作として宮崎市定著の一連のアジア史関連の著作、そして既に読み現在尚、折を見て部分的に読んでいる加藤周一著の「日本文学史序説」などが挙げられます・・。
後者の「日本文学史序説」は鹿児島在住時(2009)に購入し、長らく積読、斜め読み状態であったものを学位取得、帰郷後に一念発起して本格的に読み始め、ある程度の期間をかけ読了に至りました。
また、この他にも日本文学史に関しての著作は多く刊行されているようですので、今後それらも折を見て読んでみたいと考えております・・。
とはいえ、何故2009年当時の私はこの著作に興味を抱いたのでしょうか?
おそらく、立ち読みにて他の同著者の著作を知り、そこから同著作に興味を持つようになったのではないかと思われます・・。
また、この著作をはじめて知った時は「ずいぶんと長い著作であり、最後まで読むことが出来るだろうか?」と感じたことを覚えておりますが、その後、さきに述べたようにどうにか読了に至り、その後、同著の英訳本に手を出すに至りました・・(これは未だ読了に至っておりませんが・・(苦笑))。
以上のような経緯から、今後「西洋哲学史」全三巻を精読することが出来るか不明ではありますが、とりあえず、そうしたことを能動的に為さしめる知的好奇心は保持し続けたいと考えております・・。
また、それと同時にこれまでブログ記事を継続して作成してきたことは、一面において、そうした能動性を保持するための自分なりの苦肉の策であるともいえます・・。
これを読まれている皆様は既にご存知であると思いますが、何かしら読み、考え続けるということは、何かを書き続けるということに強い関連性があるのではないでしょうか・・?
これは一般的に何れがタマゴ、ニワトリであるか判然としませんが、ただ、私に関していえば、おそらく読むことが書くことの先にあったのではないかと思われます・・。
そして、そこから書くに至るまでがなかなか困難な道程であったように思われます。
しかし一方、それ(読むから書くに至るまで)が困難であったからこそ、どうにか昨年6月から現在に至るまでブログ記事を書き続けることが出来たのではないかとも思います。
それ故、こうしたことはなかなか、それぞれの時期に対する評価(有益あるいは無益か)が難しいのかもしれません・・(苦笑)。
また、ここまで記して不図想起したのは、岩波新書刊の加藤周一著「羊の歌」はなかなか面白く、24・5歳あたりに読んでみると、その著作の述べるところと読者の感性がうまい具合に合致、精読に至ることが出来るのではないかと思いました。
九州にて再度大雨が降るとの天気予報を聞きました。
これによる災害が出来るだけ軽微であり、また同時にさる四月に被災された熊本を中心とする地域での被害が少なく、これまでの復旧、復興作業に支障がないことを祈念しております。
そして、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。」
2016年7月13日水曜日
2016712 主に昨日の続き 服装、恰好と想像性、創造性について・・
本日は若干帰宅が遅くなり、もうすぐ日をまたごうとする今(23:40過ぎ)から本日分のブログ記事の作成を開始します・・。
今回の記事投稿をもって、これまで投稿した記事数が355となりますが、そうします残り10記事程度の投稿により、1年分の区切りとして適当な365記事に至るわけではありますが、よくよく考えてみますと、今年2016年とは「うるう年」であり、厳密に1年分として考えた場合、366記事作成しなければならないのかもしれません・・(笑)。
今後、そのようなことをも若干加味し1年分の記事を作成し続けてゆこうと考えております・・。
これら投稿した記事の中には、少なからず退屈であると思われる記事もあるかと思われますが、一方において、如何に面白い著作であっても、その中に退屈な部分も少なからずありますので、私のブログもその伝に倣い、退屈さをあまり気にせず、キリの良いところまで書き続けてゆこうと考えております・・(笑)。
そして、もしよろしければ、そういった記事をも含め楽しんで読んで頂けましたら幸いです・・。
そういえば、昨日のブログ記事においては、夏季における靴および靴下について書きはじめた次第ではありますが、かつて在住した鹿児島、和歌山、南紀などにおいては、こうした状況とは、より切実であり、私の場合、特に地熱により地面の温度が高いと思われる鹿児島の夏季においては靴、靴下をはくことは少なく、多くの場合、つま先が隠れる形状のサンダルをはいていた記憶があります・・。
そして、このようにして(主に西南日本にて)培われた感覚とは現在、首都圏在住時においても生きており、時折「なぜこんなに暑いのに足だけは靴下と靴にて包まれなければならないのだろうか?」といった漠然とした違和感らしきものに襲われることがあります・・(笑)。
また、この足をも含めた服飾、服装一般に関しては、おそらく女性よりも男性の方が柔軟性、融通性が少なく、特に男性が社会にて何らかの経済活動、職務等を行う場合、社会的に一般常識とされるモデルに順わなければならないといった暗黙の掟、空気らしきものが存在するのではないかと思われます・・。
そして、こうした暗黙の掟、空気(同調圧力?)といったものが相対的に小さく、希薄であると思われる場所が、理系、文系を問わず学問、研究を行う大学、大学院であったように思われます。
また、もしかすると、学問、研究を行う際に必須である創造性とは、裸足に近い状態にて為された方がその力を発揮するのかもしれません・・(笑)。
(我が国におけるノーベル賞受賞者とは、比較的温暖湿潤な西日本の出身者が圧倒的に多い・・。)
そういえば、私が西南日本在住時において出会った方々の多くは、この点において比較的自由、進歩的な考えを持っていることを示唆する服装を夏季においてなさっていたように思います・・(笑)。
しかし、そうした服装、恰好とは、都市部(主に首都圏)での(ある程度真剣な)経済活動に従事する場合においては不適切なものと扱われるのが通例であると思われます・・(笑)。
あるいは、こうした価値観とは、時代によっても変化するのかもしれません。
そして、そうした服装、恰好に対する評価、価値観が時代によって異なるのであれば、その背景において変化する我々の通念、価値観の基層を成すものとは如何なるものであり、そしてまた、如何なる種類の刺激により、変化の過程を経てゆくのでしょうか・・?
こうしたこともまた、なかなか興味深いことであると思われますが、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?
ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
また現在、九州地方を中心にまた、大雨となっていると聞き及びます。
どうぞ、御無事で、そしてさる四月の熊本を中心とする大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後に続く復興を祈念しております。
今回の記事投稿をもって、これまで投稿した記事数が355となりますが、そうします残り10記事程度の投稿により、1年分の区切りとして適当な365記事に至るわけではありますが、よくよく考えてみますと、今年2016年とは「うるう年」であり、厳密に1年分として考えた場合、366記事作成しなければならないのかもしれません・・(笑)。
今後、そのようなことをも若干加味し1年分の記事を作成し続けてゆこうと考えております・・。
これら投稿した記事の中には、少なからず退屈であると思われる記事もあるかと思われますが、一方において、如何に面白い著作であっても、その中に退屈な部分も少なからずありますので、私のブログもその伝に倣い、退屈さをあまり気にせず、キリの良いところまで書き続けてゆこうと考えております・・(笑)。
そして、もしよろしければ、そういった記事をも含め楽しんで読んで頂けましたら幸いです・・。
そういえば、昨日のブログ記事においては、夏季における靴および靴下について書きはじめた次第ではありますが、かつて在住した鹿児島、和歌山、南紀などにおいては、こうした状況とは、より切実であり、私の場合、特に地熱により地面の温度が高いと思われる鹿児島の夏季においては靴、靴下をはくことは少なく、多くの場合、つま先が隠れる形状のサンダルをはいていた記憶があります・・。
そして、このようにして(主に西南日本にて)培われた感覚とは現在、首都圏在住時においても生きており、時折「なぜこんなに暑いのに足だけは靴下と靴にて包まれなければならないのだろうか?」といった漠然とした違和感らしきものに襲われることがあります・・(笑)。
また、この足をも含めた服飾、服装一般に関しては、おそらく女性よりも男性の方が柔軟性、融通性が少なく、特に男性が社会にて何らかの経済活動、職務等を行う場合、社会的に一般常識とされるモデルに順わなければならないといった暗黙の掟、空気らしきものが存在するのではないかと思われます・・。
そして、こうした暗黙の掟、空気(同調圧力?)といったものが相対的に小さく、希薄であると思われる場所が、理系、文系を問わず学問、研究を行う大学、大学院であったように思われます。
また、もしかすると、学問、研究を行う際に必須である創造性とは、裸足に近い状態にて為された方がその力を発揮するのかもしれません・・(笑)。
(我が国におけるノーベル賞受賞者とは、比較的温暖湿潤な西日本の出身者が圧倒的に多い・・。)
そういえば、私が西南日本在住時において出会った方々の多くは、この点において比較的自由、進歩的な考えを持っていることを示唆する服装を夏季においてなさっていたように思います・・(笑)。
しかし、そうした服装、恰好とは、都市部(主に首都圏)での(ある程度真剣な)経済活動に従事する場合においては不適切なものと扱われるのが通例であると思われます・・(笑)。
あるいは、こうした価値観とは、時代によっても変化するのかもしれません。
そして、そうした服装、恰好に対する評価、価値観が時代によって異なるのであれば、その背景において変化する我々の通念、価値観の基層を成すものとは如何なるものであり、そしてまた、如何なる種類の刺激により、変化の過程を経てゆくのでしょうか・・?
こうしたこともまた、なかなか興味深いことであると思われますが、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?
ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
また現在、九州地方を中心にまた、大雨となっていると聞き及びます。
どうぞ、御無事で、そしてさる四月の熊本を中心とする大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後に続く復興を祈念しております。
2016年7月11日月曜日
20160711 夏期の靴下と革靴・・(日本にて)
A「本日も首都圏は気温が上昇し、若干蒸し暑く感じました。
そして、この時期になりますと、靴下をはき、靴をはいていることに「どうもおかしいのではないか?」と思うことがあります。
身体の他の部分はさておき、この季節の足に靴下と靴とは、本質的に我が国の風土に適していないのではないでしょうか・・(笑)?
しかし、この一方において、常識といったものもまた世間には厳然と存在するようです・・・(笑)。
そして電車の中にいる殆どのサラリーマン達(無論、自身も含め)は、この常識を概ね所与、当然のものとしているのではないでしょうか?
このようなことは、一見些細なことのようですが、この現代における常識?の淵源とは、これもまた明治維新、文明開化による大幅な文化の変化、変動にあるのではないかと思われます・・。
そして同時に、こうしたこと(文明開化による変化、変動)は、少なくとも我が国においては、都市部を中心として周辺地域に波及してゆくような性質が強かったのではないでしょうか・・?
司馬遼太郎がこの現象をどこかで「(西洋)文明の配電盤としての東京」と記しておりましたが、こうした現象が生じるメカニズムとは、明治以降現代に至るまで、あまり変化することなく、また、我々日本人は様々なレベルにおいて、そうした状況を場面、場面に応じ器用に工夫、改変し、やりすごしてきたように思います・・。
また、そうしたことの積重ね、時代の経過に伴い、外から訪れる条件、状況に対し的確に対応、処理することを各々個人が(第二の)天性とすることを望まれるような社会が形成されていったのではないでしょうか?
しかし同時に、こうした意見とは、既に陳腐化するほど様々な場面で主張されてきたことではあるのですが・・(苦笑)。
(夏目漱石著「現代日本の開化」)
ともあれ、以上のことから、我が国社会における様々な文化の大きな変化、変動の原因とは、結局のところ、外部からの強い刺激によって「のみ」惹起され得るものなのでしょうか?
多分、我が国とは、それが微細なものであれ、何かしら実在する対象が存在する場合、その扱い、操作を通じ徐々に習熟し、国際的に遜色ない研究等が為される一方、その対象が自身の文化に属さない(精神を持つ)個人、集団そして文化である場合、その扱いを含め認識が(極めて)拙劣なものとなってしまう傾向があるようにも思えます・・。
その上で現在為されつつある理系立国的な諸施策とは、その根源において、我が国の長所を伸ばすことを企図したものであり、大変素晴らしいとは思いますが、その一方において、様々なレベルでの他者の歴史、文化などを能動的に学ぼうとする精神的姿勢の獲得もまた重要であるのではないかと思いますが如何でしょうか・・?
そして、そうしたことは我々の場合、なかなか難しいことなのでしょうか・・(苦笑)?
とはいえ、上に述べたことも、これまで自身について考えたことを拡大、相変化させた部分も多く、その意味では、能動性を保持するための精神的均衡、バランスらしきものもまた、大変重要であり、同時にそれが、如何なるものであれ、文章を書く際において極めて重要なものであるのかもしれません・・。
異言すると、知識、主題、着想など「だけ」でも多分、(内容、中身のある)文章とは、なかなか書き難いものではないかということになるのでしょうか・・?
とはいえ、こうしたことはなかなか「普遍的に現実に適合している」という見解が出難く、そういった意味において面倒ではあるのですが、さきに述べた内容につながり、なかなか重要な事柄ではないかと思われます・・。
さて、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?
そしてここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の九州、熊本での大震災により被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
そして、この時期になりますと、靴下をはき、靴をはいていることに「どうもおかしいのではないか?」と思うことがあります。
身体の他の部分はさておき、この季節の足に靴下と靴とは、本質的に我が国の風土に適していないのではないでしょうか・・(笑)?
しかし、この一方において、常識といったものもまた世間には厳然と存在するようです・・・(笑)。
そして電車の中にいる殆どのサラリーマン達(無論、自身も含め)は、この常識を概ね所与、当然のものとしているのではないでしょうか?
このようなことは、一見些細なことのようですが、この現代における常識?の淵源とは、これもまた明治維新、文明開化による大幅な文化の変化、変動にあるのではないかと思われます・・。
そして同時に、こうしたこと(文明開化による変化、変動)は、少なくとも我が国においては、都市部を中心として周辺地域に波及してゆくような性質が強かったのではないでしょうか・・?
司馬遼太郎がこの現象をどこかで「(西洋)文明の配電盤としての東京」と記しておりましたが、こうした現象が生じるメカニズムとは、明治以降現代に至るまで、あまり変化することなく、また、我々日本人は様々なレベルにおいて、そうした状況を場面、場面に応じ器用に工夫、改変し、やりすごしてきたように思います・・。
また、そうしたことの積重ね、時代の経過に伴い、外から訪れる条件、状況に対し的確に対応、処理することを各々個人が(第二の)天性とすることを望まれるような社会が形成されていったのではないでしょうか?
しかし同時に、こうした意見とは、既に陳腐化するほど様々な場面で主張されてきたことではあるのですが・・(苦笑)。
(夏目漱石著「現代日本の開化」)
ともあれ、以上のことから、我が国社会における様々な文化の大きな変化、変動の原因とは、結局のところ、外部からの強い刺激によって「のみ」惹起され得るものなのでしょうか?
多分、我が国とは、それが微細なものであれ、何かしら実在する対象が存在する場合、その扱い、操作を通じ徐々に習熟し、国際的に遜色ない研究等が為される一方、その対象が自身の文化に属さない(精神を持つ)個人、集団そして文化である場合、その扱いを含め認識が(極めて)拙劣なものとなってしまう傾向があるようにも思えます・・。
その上で現在為されつつある理系立国的な諸施策とは、その根源において、我が国の長所を伸ばすことを企図したものであり、大変素晴らしいとは思いますが、その一方において、様々なレベルでの他者の歴史、文化などを能動的に学ぼうとする精神的姿勢の獲得もまた重要であるのではないかと思いますが如何でしょうか・・?
そして、そうしたことは我々の場合、なかなか難しいことなのでしょうか・・(苦笑)?
とはいえ、上に述べたことも、これまで自身について考えたことを拡大、相変化させた部分も多く、その意味では、能動性を保持するための精神的均衡、バランスらしきものもまた、大変重要であり、同時にそれが、如何なるものであれ、文章を書く際において極めて重要なものであるのかもしれません・・。
異言すると、知識、主題、着想など「だけ」でも多分、(内容、中身のある)文章とは、なかなか書き難いものではないかということになるのでしょうか・・?
とはいえ、こうしたことはなかなか「普遍的に現実に適合している」という見解が出難く、そういった意味において面倒ではあるのですが、さきに述べた内容につながり、なかなか重要な事柄ではないかと思われます・・。
さて、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?
そしてここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の九州、熊本での大震災により被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
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