2016年7月13日水曜日

2016712 主に昨日の続き 服装、恰好と想像性、創造性について・・

本日は若干帰宅が遅くなり、もうすぐ日をまたごうとする今(23:40過ぎ)から本日分のブログ記事の作成を開始します・・。

今回の記事投稿をもって、これまで投稿した記事数が355となりますが、そうします残り10記事程度の投稿により、1年分の区切りとして適当な365記事に至るわけではありますが、よくよく考えてみますと、今年2016年とは「うるう年」であり、厳密に1年分として考えた場合、366記事作成しなければならないのかもしれません・・(笑)。

今後、そのようなことをも若干加味し1年分の記事を作成し続けてゆこうと考えております・・。

これら投稿した記事の中には、少なからず退屈であると思われる記事もあるかと思われますが、一方において、如何に面白い著作であっても、その中に退屈な部分も少なからずありますので、私のブログもその伝に倣い、退屈さをあまり気にせず、キリの良いところまで書き続けてゆこうと考えております・・(笑)。
そして、もしよろしければ、そういった記事をも含め楽しんで読んで頂けましたら幸いです・・。


そういえば、昨日のブログ記事においては、夏季における靴および靴下について書きはじめた次第ではありますが、かつて在住した鹿児島、和歌山、南紀などにおいては、こうした状況とは、より切実であり、私の場合、特に地熱により地面の温度が高いと思われる鹿児島の夏季においては靴、靴下をはくことは少なく、多くの場合、つま先が隠れる形状のサンダルをはいていた記憶があります・・。

そして、このようにして(主に西南日本にて)培われた感覚とは現在、首都圏在住時においても生きており、時折「なぜこんなに暑いのに足だけは靴下と靴にて包まれなければならないのだろうか?」といった漠然とした違和感らしきものに襲われることがあります・・(笑)。

また、この足をも含めた服飾、服装一般に関しては、おそらく女性よりも男性の方が柔軟性、融通性が少なく、特に男性が社会にて何らかの経済活動、職務等を行う場合、社会的に一般常識とされるモデルに順わなければならないといった暗黙の掟、空気らしきものが存在するのではないかと思われます・・。

そして、こうした暗黙の掟、空気(同調圧力?)といったものが相対的に小さく、希薄であると思われる場所が、理系、文系を問わず学問、研究を行う大学、大学院であったように思われます。

また、もしかすると、学問、研究を行う際に必須である創造性とは、裸足に近い状態にて為された方がその力を発揮するのかもしれません・・(笑)。 
(我が国におけるノーベル賞受賞者とは、比較的温暖湿潤な西日本の出身者が圧倒的に多い・・。)

そういえば、私が西南日本在住時において出会った方々の多くは、この点において比較的自由、進歩的な考えを持っていることを示唆する服装を夏季においてなさっていたように思います・・(笑)。

しかし、そうした服装、恰好とは、都市部(主に首都圏)での(ある程度真剣な)経済活動に従事する場合においては不適切なものと扱われるのが通例であると思われます・・(笑)。

あるいは、こうした価値観とは、時代によっても変化するのかもしれません。

そして、そうした服装、恰好に対する評価、価値観が時代によって異なるのであれば、その背景において変化する我々の通念、価値観の基層を成すものとは如何なるものであり、そしてまた、如何なる種類の刺激により、変化の過程を経てゆくのでしょうか・・?

こうしたこともまた、なかなか興味深いことであると思われますが、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。


また現在、九州地方を中心にまた、大雨となっていると聞き及びます。

どうぞ、御無事で、そしてさる四月の熊本を中心とする大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後に続く復興を祈念しております。






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