2016年7月15日金曜日

20160714 パリ祭の日に思ったこと・・理系諸学問と歴史・文化・伝統

A「本日は不図フランスの革命記念日であることを思い出しました。

私は日本人であるため、フランスの革命記念日に対し、特に大きな感動、思い入れ等はありません。

しかし、それでも近代を特徴づける、民主主義なる政体が、この革命を契機として生じ、定着し、そして全世界に広まっていったということは、やはり世界史的な視点から見て意味があることなのではないかと思います・・。

しかし、そうであるからといって、我が国の皇室が18世紀末のブルボン王朝のようになることは決して望みませんが・・。

それ以前に、我が国においては、そのようなことはないと思いますが・・。

何れにせよ、それぞれの国には各々独自の歴史的発展の型、特徴、モデル、クセのようなものがあり、また、その基層にはその国特有の文化、伝統といった、より日常的な存在があり、それらは、敢えて(世界的に見て)普遍的とされる原理、原則なるものを当て嵌め、全て対応、考察できるものではないと考えます。

さらに進んで云うと、こうしたこと(一国の長く続いた文化、伝統)を、理系学問分野の背景、基層にある普遍的とされる科学的諸概念、法則などを用い考察そして何らかの決断を為すことは、大変危険なことではないかと思われます・・。

また、その意味において社会主義、共産主義そしてその背景にある社会科学的な思想もまた、有益な要素を含むと同時に危険なそれもまた少なからずあるのであるのかもしれません・・。

とはいえ、現在の我が国の社会に関しては、全世界的に見受けられる、よくわからない方向に行ってしまった感のある資本主義、個人主義、功利主義的な思想よりも、さきのような人文社会科学思想の方が「社会を良くする」という意味においては有効な部分が多いかもしれないと思うことも度々ありますが・・(苦笑)。

とはいえ、こうしたことは、ハラを決めても断言することが困難であり、理系学問での実験結果にように(ある程度条件を限定すれば)歯切れの良い物言いが出来るというわけでもありません・・

しかし、であるからといって、手持ちの歯切れの良い理系的、科学的な発想、論理に則り、社会変革を(どこまでも)行ってゆこうとすると、さきに述べたように危険な社会状態を惹起させることが多いのではないでしょうか?

その意味において、昨今特に首都圏、都市を中心において見受けられる理系学問分野の圧倒的優位とは「果たしてこれでいいのであろうか・・?」と考えさせられます。

そして、理系諸学問の対極にあるものが、国、地域に固有なものとして存在する(ホンモノの)文化、伝統といったものではないでしょうか?

我々の国、地域固有の文化、伝統とは、西洋流にアレンジしたり、横文字で飾ったりしなければ、カッコが悪く、あるいは不味くて飲み下せないものばかりなのでしょうか・・?
そして、もし、そうであるとすれば、そこには一体どのような理由があるのでしょうか?

九州方面にて大雨が降ると聞きました。

この大雨による被害が少なく、そして四月に被災した熊本を主とする地域での復旧、復興作業に支障がないことを祈念します。

また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」





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