2016年7月14日木曜日

20160713 「読む」から「書く」に至るまで・・

先日来より数年振りで再び岩波書店より刊行されているバートランド・ラッセル著の「幸福論」を読んでおりますが、この著作は様々な面において混迷の中にある現在の我が国に生きる我々であるからこそ、興味深く読むことができるのではないかと思います・・。

以前読んだ際(2007)もなかなか感銘を受けつつ読んだ痕跡があり、頁が折ってあったり、時折、何やらよくわからないコメントが記されております・・(苦笑)。

また、現在読む際において、当時折った頁での興味の所在に関しては大体理解、納得することが出来ます・・。
これは当時より進歩していないということになるのでしょうか(苦笑)?

また、以前も当ブログにて記しましたが、同じくラッセル著の「西洋哲学史」全三巻(みすず書房刊)は今後どうにか精読してみたいと考えております・・。

また、この著作のように以前から精読することを望んでいた著作として宮崎市定著の一連のアジア史関連の著作、そして既に読み現在尚、折を見て部分的に読んでいる加藤周一著の「日本文学史序説」などが挙げられます・・。

後者の「日本文学史序説」は鹿児島在住時(2009)に購入し、長らく積読、斜め読み状態であったものを学位取得、帰郷後に一念発起して本格的に読み始め、ある程度の期間をかけ読了に至りました。

また、この他にも日本文学史に関しての著作は多く刊行されているようですので、今後それらも折を見て読んでみたいと考えております・・。
とはいえ、何故2009年当時の私はこの著作に興味を抱いたのでしょうか?

おそらく、立ち読みにて他の同著者の著作を知り、そこから同著作に興味を持つようになったのではないかと思われます・・。

また、この著作をはじめて知った時は「ずいぶんと長い著作であり、最後まで読むことが出来るだろうか?」と感じたことを覚えておりますが、その後、さきに述べたようにどうにか読了に至り、その後、同著の英訳本に手を出すに至りました・・(これは未だ読了に至っておりませんが・・(苦笑))。

以上のような経緯から、今後「西洋哲学史」全三巻を精読することが出来るか不明ではありますが、とりあえず、そうしたことを能動的に為さしめる知的好奇心は保持し続けたいと考えております・・。

また、それと同時にこれまでブログ記事を継続して作成してきたことは、一面において、そうした能動性を保持するための自分なりの苦肉の策であるともいえます・・。

これを読まれている皆様は既にご存知であると思いますが、何かしら読み、考え続けるということは、何かを書き続けるということに強い関連性があるのではないでしょうか・・?

これは一般的に何れがタマゴ、ニワトリであるか判然としませんが、ただ、私に関していえば、おそらく読むことが書くことの先にあったのではないかと思われます・・。
そして、そこから書くに至るまでがなかなか困難な道程であったように思われます。

しかし一方、それ(読むから書くに至るまで)が困難であったからこそ、どうにか昨年6月から現在に至るまでブログ記事を書き続けることが出来たのではないかとも思います。

それ故、こうしたことはなかなか、それぞれの時期に対する評価(有益あるいは無益か)が難しいのかもしれません・・(苦笑)。

また、ここまで記して不図想起したのは、岩波新書刊の加藤周一著「羊の歌」はなかなか面白く、24・5歳あたりに読んでみると、その著作の述べるところと読者の感性がうまい具合に合致、精読に至ることが出来るのではないかと思いました。

九州にて再度大雨が降るとの天気予報を聞きました。
これによる災害が出来るだけ軽微であり、また同時にさる四月に被災された熊本を中心とする地域での被害が少なく、これまでの復旧、復興作業に支障がないことを祈念しております。

そして、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。」

2016年7月13日水曜日

2016712 主に昨日の続き 服装、恰好と想像性、創造性について・・

本日は若干帰宅が遅くなり、もうすぐ日をまたごうとする今(23:40過ぎ)から本日分のブログ記事の作成を開始します・・。

今回の記事投稿をもって、これまで投稿した記事数が355となりますが、そうします残り10記事程度の投稿により、1年分の区切りとして適当な365記事に至るわけではありますが、よくよく考えてみますと、今年2016年とは「うるう年」であり、厳密に1年分として考えた場合、366記事作成しなければならないのかもしれません・・(笑)。

今後、そのようなことをも若干加味し1年分の記事を作成し続けてゆこうと考えております・・。

これら投稿した記事の中には、少なからず退屈であると思われる記事もあるかと思われますが、一方において、如何に面白い著作であっても、その中に退屈な部分も少なからずありますので、私のブログもその伝に倣い、退屈さをあまり気にせず、キリの良いところまで書き続けてゆこうと考えております・・(笑)。
そして、もしよろしければ、そういった記事をも含め楽しんで読んで頂けましたら幸いです・・。


そういえば、昨日のブログ記事においては、夏季における靴および靴下について書きはじめた次第ではありますが、かつて在住した鹿児島、和歌山、南紀などにおいては、こうした状況とは、より切実であり、私の場合、特に地熱により地面の温度が高いと思われる鹿児島の夏季においては靴、靴下をはくことは少なく、多くの場合、つま先が隠れる形状のサンダルをはいていた記憶があります・・。

そして、このようにして(主に西南日本にて)培われた感覚とは現在、首都圏在住時においても生きており、時折「なぜこんなに暑いのに足だけは靴下と靴にて包まれなければならないのだろうか?」といった漠然とした違和感らしきものに襲われることがあります・・(笑)。

また、この足をも含めた服飾、服装一般に関しては、おそらく女性よりも男性の方が柔軟性、融通性が少なく、特に男性が社会にて何らかの経済活動、職務等を行う場合、社会的に一般常識とされるモデルに順わなければならないといった暗黙の掟、空気らしきものが存在するのではないかと思われます・・。

そして、こうした暗黙の掟、空気(同調圧力?)といったものが相対的に小さく、希薄であると思われる場所が、理系、文系を問わず学問、研究を行う大学、大学院であったように思われます。

また、もしかすると、学問、研究を行う際に必須である創造性とは、裸足に近い状態にて為された方がその力を発揮するのかもしれません・・(笑)。 
(我が国におけるノーベル賞受賞者とは、比較的温暖湿潤な西日本の出身者が圧倒的に多い・・。)

そういえば、私が西南日本在住時において出会った方々の多くは、この点において比較的自由、進歩的な考えを持っていることを示唆する服装を夏季においてなさっていたように思います・・(笑)。

しかし、そうした服装、恰好とは、都市部(主に首都圏)での(ある程度真剣な)経済活動に従事する場合においては不適切なものと扱われるのが通例であると思われます・・(笑)。

あるいは、こうした価値観とは、時代によっても変化するのかもしれません。

そして、そうした服装、恰好に対する評価、価値観が時代によって異なるのであれば、その背景において変化する我々の通念、価値観の基層を成すものとは如何なるものであり、そしてまた、如何なる種類の刺激により、変化の過程を経てゆくのでしょうか・・?

こうしたこともまた、なかなか興味深いことであると思われますが、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。


また現在、九州地方を中心にまた、大雨となっていると聞き及びます。

どうぞ、御無事で、そしてさる四月の熊本を中心とする大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後に続く復興を祈念しております。






2016年7月11日月曜日

20160711 夏期の靴下と革靴・・(日本にて)

A「本日も首都圏は気温が上昇し、若干蒸し暑く感じました。

そして、この時期になりますと、靴下をはき、靴をはいていることに「どうもおかしいのではないか?」と思うことがあります。

身体の他の部分はさておき、この季節の足に靴下と靴とは、本質的に我が国の風土に適していないのではないでしょうか・・(笑)?

しかし、この一方において、常識といったものもまた世間には厳然と存在するようです・・・(笑)。

そして電車の中にいる殆どのサラリーマン達(無論、自身も含め)は、この常識を概ね所与、当然のものとしているのではないでしょうか?

このようなことは、一見些細なことのようですが、この現代における常識?の淵源とは、これもまた明治維新、文明開化による大幅な文化の変化、変動にあるのではないかと思われます・・。

そして同時に、こうしたこと(文明開化による変化、変動)は、少なくとも我が国においては、都市部を中心として周辺地域に波及してゆくような性質が強かったのではないでしょうか・・?

司馬遼太郎がこの現象をどこかで「(西洋)文明の配電盤としての東京」と記しておりましたが、こうした現象が生じるメカニズムとは、明治以降現代に至るまで、あまり変化することなく、また、我々日本人は様々なレベルにおいて、そうした状況を場面、場面に応じ器用に工夫、改変し、やりすごしてきたように思います・・。

また、そうしたことの積重ね、時代の経過に伴い、外から訪れる条件、状況に対し的確に対応、処理することを各々個人が(第二の)天性とすることを望まれるような社会が形成されていったのではないでしょうか?

しかし同時に、こうした意見とは、既に陳腐化するほど様々な場面で主張されてきたことではあるのですが・・(苦笑)。
(夏目漱石著「現代日本の開化」)

ともあれ、以上のことから、我が国社会における様々な文化の大きな変化、変動の原因とは、結局のところ、外部からの強い刺激によって「のみ」惹起され得るものなのでしょうか?

多分、我が国とは、それが微細なものであれ、何かしら実在する対象が存在する場合、その扱い、操作を通じ徐々に習熟し、国際的に遜色ない研究等が為される一方、その対象が自身の文化に属さない(精神を持つ)個人、集団そして文化である場合、その扱いを含め認識が(極めて)拙劣なものとなってしまう傾向があるようにも思えます・・。

その上で現在為されつつある理系立国的な諸施策とは、その根源において、我が国の長所を伸ばすことを企図したものであり、大変素晴らしいとは思いますが、その一方において、様々なレベルでの他者の歴史、文化などを能動的に学ぼうとする精神的姿勢の獲得もまた重要であるのではないかと思いますが如何でしょうか・・?

そして、そうしたことは我々の場合、なかなか難しいことなのでしょうか・・(苦笑)?

とはいえ、上に述べたことも、これまで自身について考えたことを拡大、相変化させた部分も多く、その意味では、能動性を保持するための精神的均衡、バランスらしきものもまた、大変重要であり、同時にそれが、如何なるものであれ、文章を書く際において極めて重要なものであるのかもしれません・・。

異言すると、知識、主題、着想など「だけ」でも多分、(内容、中身のある)文章とは、なかなか書き難いものではないかということになるのでしょうか・・?
とはいえ、こうしたことはなかなか「普遍的に現実に適合している」という見解が出難く、そういった意味において面倒ではあるのですが、さきに述べた内容につながり、なかなか重要な事柄ではないかと思われます・・。
さて、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

そしてここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の九州、熊本での大震災により被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」



2016年7月10日日曜日

20160710 閲覧者の傾向および「文体」について思ったこと・・

おかげさまで昨日のブログ閲覧者数も1000人に到達しました。どうもありがとうございます。

また、最近は1日の閲覧者数が1000人に到達することが時折ありますので、閲覧者増加の傾向はいくらか強くなってきているのかもしれません・・。

それに加え、最近面白いと思ったことは、以前、ブログを閲覧されている方々のマック・ユーザー率が高いことを記しましたが、ここ最近は、それに加え特にLinuxユーザーの割合が急激に増加してきたということです。

一体、この現象とは、どのような理由、原因により惹起されたのでしょうか・・?
実際のところよくわかりません・・(苦笑)。

ともあれ、これらの方々に引き続き読んでいただけるような記事を今後も作成し続けようと考えております・・。

・・しかしながら、マック・ユーザーも含め、私はこれらOSをPCに備えている方々の特徴、傾向といったものを想像することが出来ませんので、結局のところ、これまでに作成してきた感じのブログ記事を作成することになるのではないかと思います・・(苦笑)。
また、一面において、こういったものは気負い過ぎても良くないともいいますので・・。
気が向いたら是非読んでくださいといったところでしょうか・・。

さて、ブログ記事作成も気付いてみましたら350を超え、あと残り10数記事で、とりあえず区切りが良いと思われる365記事に到達しますが、そのあとは単純に目標400記事ということになるのでしょうか・・。

出来るならば、その前にしばらく休んでみたいと考えており、また、しばらく記事作成を休息した後には、(さらに)より良い記事が書けるようになっているのかということを実地にて検証してみたいと考えております・・(笑)。

これはこれでなかなか面白い実験ではないでしょうか?
また、以前ブログ記事にて記しましたが、煮物などの具に出汁の味が浸透、染込むのは、火を止めた後であるとも云われますので・・(笑)。

ともあれ、おそらく、これまでにある程度継続的にブログ記事を作成してきたことにより、以前(大体1年前)に比べれば(多少はマシな)文章、散文らしきものを(意のままに)書くことが出来るようになったのではないかと思います・・。

また、それと同時に自身の文体らしきものもわずかではあれ獲得されたのではないかとも思います・・。

これを読んで頂いている皆様の参考になるか分かりませんが、少なくとも私の場合、この「自身の文体の獲得」とは、思うほど簡単ではなく、また同時にそれは、外部からもたらされる様な口語、文語といった刺激によっても少なからず左右されるものであり、そして、そういったものが積層し、さらにその内部での混淆、反応などにより徐々に形成されてゆくのではないでしょうか?

そして、その積層などの状態(各積層部の厚み、使用材料、焼成条件等)を外面から光で透かし観察し概ね理解、認識できるというのは歯科陶材材料の場合です。

ではその一方、文体においては、どのような行為が理解、認識のためのそれ(光で透かして観察)に該当するのであろうかとはイマイチよくわかりません・・(笑)。
しかし同時に、そうしたことが全くできないとも思いませんが・・。

ただ、それが万人に対し共通して有効な手法であるのかということも、また別問題でしょう・・・。

あるいはこういったことはもっと抽象的な語り口の方が良いのでしょうか・・。

しかし、何れにせよ、これまた感覚的なことではありますが、個人毎の文体というものはたしかに存在し、それは、何となく理解でき、存在するものであるとは思います・・。
これを読んで頂いている皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

ともあれ、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の九州、熊本での大震災により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」





20160709 お師匠について・・

本日も昼過ぎ神保町に出向き、いくつかの書店を徘徊しておりました・・(笑)。そしてまた面白そうな書籍をいくつか見つけましたが、これも今後の課題とさせていただきたく思います・・(笑)。また、現在読書中の著作もありますので・・。

さて、それとは別件になりますが、本日の東京中心市街地では、明日の参議院議員選挙投票の最後のシメであったのか、様々な立候補者の選挙カーを見ることができました・・。

明日の選挙投票により、我が国の社会が(自身が考える)良い方向へ変化するのかどうかわかりませんが、とりあえず地元にて投票に行こうと考えております・・。

とはいえ、実際のところ、私はある出来事により、こうした(様々なレベルの)政治などに結び付く選挙などを、あまり信用しておりません・・。

そして、こうしたことを書いておりますと、否応なく、かつて師事したお師匠(歯科理工学)のことを思い起こします・・。

自慢するほどのことではありませんし、また、それ以前に、そうしたことを比較することは困難であるのでしょうが、私は他のことはさておき、少なくとも師匠運だけに関しては、かなり良いのではないかと思っております・・(笑)。

また、不図、現在思ったことであり、これは偶然でしょうが、さきほどの想起したお師匠の誕生日とは、丁度今この頃です(笑)。

この記事を読まれているかどうか不明ではありますが「お誕生日おめでとうございます!」。

このお師匠は様々な学問分野から世間での話題、噂話に至るまで大変博学であり、私がどうにか英語論文等の文献を読解することが出来るようになったのも、国内外での学会発表(実験、準備をも含む)が出来るようになったのも、様々な分析機器を操作することが出来るようになったのも、そして学位を頂くことが出来たのも、このお師匠のお蔭であるといえます・・。

そして、それらの多くは、間違いなく、それ以前の私では出来ない、出来るとは思っていなかったことです。
それ故、私は、このお師匠から多大な恩を受けているといえます・・。

その意味において、現在の私とは「果たして、その恩に十分報いているであろうか?」と考えてみますと、残念ながら報いていないといえます・・。

そのことから、一つにこの一連のブログ記事を書いている次第とも云えます・・。

また、同様に、このブログに関しては、その他の(大変)お世話になったお師匠の皆様からの恩に報いるため、続けている次第であるともいえます。

とはいえ、これまで一連のブログ記事が果たして多少なりとも、その恩に報いているのかどうかは、私自身では判断することが出来ませんが・・(苦笑)。

しかし、その一方において、ついさきほど閲覧されたブログ記事の記録、動向を見ますと、この師匠に関する記事の閲覧が多く、こうした面白い現象が見出されることが、ブログ記事を作成していて大変面白いと感じるところの一つです・・。

上記のような現象を見出すことが出来ず、ブログ記事を作成し続けることは大変困難いや、不可能であった(ある)のではないかと思います・・。

その意味において、この記事を含め、これまでの一連の投稿された記事を興味を持って読んで頂いている皆様、あなた方がどなたであるか分かりませんが、どうもありがとうございます。

今後、とりあえず365記事までは書いてみたいと考えており、また、その後も出来るだけ現在と同様のペースにてブログ記事を作成してゆきたいと考えておりますので、今後とも、どうぞよろしくお願いします。

最後に何故であるか分かりませんが、私はこのお師匠を思い起こしますと、ロバート・グレーヴス著の「この私クラウディウス」の以前に抜粋したカエサルについての記述が連想されるのです・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月、熊本にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の普及そしてそれに続く復興を祈念しております。

また、先日来の和歌山、紀南地域における大雨での被害、被災が少ないことを祈念しております。」



2016年7月9日土曜日

20160708 発信と着想のセンスについて・・☆☆☆

ようやくといいますか、遂にといいますか、とりあえずこれまでに投稿した記事が350に到達することが出来ました・・。そして、とりあえず次の目標は1年分、365記事までブログ記事を書いてみようと思います。

これまで一連のブログ記事を読んで頂いている皆様、今後ともどうぞよろしくお願いします。

さて、本日の首都圏は日中気温が上昇し、若干蒸し暑く感じました。

また、それとは別であると思われますが、昨今の東京とは参議院議員選挙のためか、何となく一種騒然とした雰囲気があるように思われます。

そうした意味において、やはり東京とは、現在なお、我が国における様々な流行、潮流が(最も)顕著に表れる場所、つまり時代の先端といっても良いのかもしれません・・。

また、もう一つ面白いことは、そうした流行の現象、具体的状況が動画サイトなどでほぼ同時に見ることが可能であるということです。

そして、こうした現象を動画サイトなどにより国内外各地にてほぼ実況として見ることが出来るようになりますと、さきに述べた「東京が流行、潮流が(最も)顕著に表れる(あるいは各地に先がけて生じる)場所、つまり流行の先端」ということにも多少変化が生じてくるのかもしれません・・。

このことを少し進めて書きますと、情報技術の進化発展により国内地域間に存在する様々な発信力の相違がならされ、平坦化してゆくということになるのではないかと思われます・・。

そして、こうした技術の進化発展により「既存の地域間の力関係」の平坦化が為され、一種リセットされたような状況になりますと、その次の段階において、一体どのような要素(あるいは複数のそれ)により、新たな力関係が決まり、そして、どのような経緯を経て安定に向かってゆくのでしょうか?

それは可視化出来そうなものに例えますと、高温の炉内にて焼成されつつある陶材内部でミクロレベルにて生じていること、あるいは日本列島を俯瞰した状態で1467~1615の大名、領主の支配領域の変化、変遷を高速度にて見ているようなものであるのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、このような流れ、動き(動態というのだろうか?)とは、古今様々な社会の歴史においてよく見られることであると思います。

しかし、そうした流れ、動きのモデル内のどの部分が、我が国の現状にピッタリと適合するものであるかは分かりません・・。
(これは本当に難しいことではないかと思います・・。)
しかし、同時に現在とは、少なくとも10年程前(2006あたり)に比べますと社会全体として、より多くの熱を帯び、不安定な状況であるということは云えるのではないかと思います・・。

おそらく、それは決して嬉しいハナシではないと思いますが・・(苦笑)。

しかしながら、考えようによれば、こうした熱を帯び、不安定な時代にブログ記事を通じて何かしら発信することが出来ているということは、決して悪いことばかりでもないのかもしれません。少なくとも自身にとっては・・。

そして、ここまで書いていて不図思うことは「こうした状況のなか、ブログ記事の作成は継続したまま、それを書く場所、地域が変化したら、一体どのような変化が生じるのであろうか?」ということですが、これに関しては、今後すぐに変わることはないと思います・・。

また、それと若干関連するかもしれませんが、昨年この時期に記したブログ記事「八幡宮、喜捨、放生会について」を読んでみますと、その文体は現在に比べ硬く、また着想は現在のそれよりも多少深く、鋭いのかもしれません・・(苦笑)。

こうした着想とは、現在になり思い返してみますと、異なる地域に住むことにより、少しずつ生じ、蓄積してきたのではないかと思われます・・。

また、その意味において、現在の私(の精神)とは、良く云えば当時とは異なる言語の層におり、悪く云えば若干、着想の源泉が枯渇しているのかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、同時に最近作成した記事の中にも「悪くない出来かもしれない・・。」と思われるものもいくつかありますので、まあ、さきに記した程には深刻なものではないのかもしれません・・(笑)。

しかし本当に「継続は力なり」なのでしょうか・・(笑)?
これは今現在イマイチよく分かりません・・。

とはいえ、ここまで興味を持って読んで頂いていた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の大地震により被災された熊本地域の今後の速やかな復旧そして、それに続く復興を祈念しております。











2016年7月7日木曜日

20160707 350記事 夏の(様な)日差しから・・・

A「昨日はあまり睡眠をとっておらず、現在も若干モウロウとしておりますが、とりあえず本日もまた何かしら書いてみようと思います・・。

本日昼間の首都圏は気温が上がり、既にして夏季の陽気ではなかったかと思われます・・。

とはいえ、こうした蒸し暑い街におりますと、不図「いや、この暑さは九州ほどではないな・・」と思いました。

以前のブログ記事においても記しましたが、夏場の九州、特に鹿児島の暑さ、その日差しの強さとは、彼の地に赴き、はじめて体験するものでした・・。

それ以前に在住していた南紀における日差しも強かったと思いますが、おそらく鹿児島市でのそれは、なお一層強かったのではないかと思います。

おそらく鹿児島市は環境的に都市、ある程度の大きさの市街地であるため、日差しによる暑さが内部に蓄積され易いのかもしれません・・(都市、街全体の熱伝導能が低い)。

しかし、そうであっても鹿児島市在住時の私とは、季節を問わず週末になると市街地に市電で出かけ、金生町、いづろ通、天文館通あたりで下車し、徒歩にて高見馬場、中央駅、工学部前、郡元、南鹿児島等を経て宇宿、脇田まで帰着するのが習慣となっておりました・・。

そして、この夏期における週末の散歩?とは、歩き始めてからわずか数分で汗が噴き出し、シャツ、その上に着たジャケットにまでそれが浸透しました・・。

それ故、おそらく当時の私とは、このような調子で盛んに発汗しており、さらにその後、夕刻過ぎには市内にある温泉に浸かっておりましたので、現在に比べ、あるいは年齢、年代の割には代謝が良かったのではないかと思います・・(笑)。

こうした習慣、生活サイクルから突然移動、変化し、首都圏の雑踏に呑み込まれるような生活を送るようになりますと、やはり何かしら心身に変化が生じていたのではないかと思います・・。

もちろん個人差、年代差、性差などにより、こうした変化の度合いとは大きく異なってくるのではないかとも思いますが・・。

ともあれ、現在は、かつてほどそうした変化、具体的には心身の不調といったものは感じられません。

また、かつて、この地、首都圏にて育ち、それ以外の国内地域を知らなかった頃の私と比べますと、どうしても、現在の首都圏での生活において
「これが普通なのだろうか?」
「これのどこが良いのだろうか?」
これが洗練されているということなのだろうか?」などと思うことが多々あります・・。

こうした疑問あるいは日常に生じる小さな悩みのようなものは、それを知らないでいた方が比較の対象を認識していないという意味において幸せであるのかもしれません。

しかし同時にそうした(一種純粋な)精神とは、持続可能性、発展持続性らしきものが経年に伴い、徐々に減衰してくるのではないかと思われますが、これを読まれた皆様は如何お考えになるでしょうか?

あるいは、そうした疑問、日常に生じる小さな悩みとは単に無駄なものなのでしょうか・・・?

さる四月に熊本にて生じた大地震による被害の復旧が速やかに為され、そしてその後の復興もまた同様に為されることを祈念しております。

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。」