2016年7月7日木曜日

20160707 350記事 夏の(様な)日差しから・・・

A「昨日はあまり睡眠をとっておらず、現在も若干モウロウとしておりますが、とりあえず本日もまた何かしら書いてみようと思います・・。

本日昼間の首都圏は気温が上がり、既にして夏季の陽気ではなかったかと思われます・・。

とはいえ、こうした蒸し暑い街におりますと、不図「いや、この暑さは九州ほどではないな・・」と思いました。

以前のブログ記事においても記しましたが、夏場の九州、特に鹿児島の暑さ、その日差しの強さとは、彼の地に赴き、はじめて体験するものでした・・。

それ以前に在住していた南紀における日差しも強かったと思いますが、おそらく鹿児島市でのそれは、なお一層強かったのではないかと思います。

おそらく鹿児島市は環境的に都市、ある程度の大きさの市街地であるため、日差しによる暑さが内部に蓄積され易いのかもしれません・・(都市、街全体の熱伝導能が低い)。

しかし、そうであっても鹿児島市在住時の私とは、季節を問わず週末になると市街地に市電で出かけ、金生町、いづろ通、天文館通あたりで下車し、徒歩にて高見馬場、中央駅、工学部前、郡元、南鹿児島等を経て宇宿、脇田まで帰着するのが習慣となっておりました・・。

そして、この夏期における週末の散歩?とは、歩き始めてからわずか数分で汗が噴き出し、シャツ、その上に着たジャケットにまでそれが浸透しました・・。

それ故、おそらく当時の私とは、このような調子で盛んに発汗しており、さらにその後、夕刻過ぎには市内にある温泉に浸かっておりましたので、現在に比べ、あるいは年齢、年代の割には代謝が良かったのではないかと思います・・(笑)。

こうした習慣、生活サイクルから突然移動、変化し、首都圏の雑踏に呑み込まれるような生活を送るようになりますと、やはり何かしら心身に変化が生じていたのではないかと思います・・。

もちろん個人差、年代差、性差などにより、こうした変化の度合いとは大きく異なってくるのではないかとも思いますが・・。

ともあれ、現在は、かつてほどそうした変化、具体的には心身の不調といったものは感じられません。

また、かつて、この地、首都圏にて育ち、それ以外の国内地域を知らなかった頃の私と比べますと、どうしても、現在の首都圏での生活において
「これが普通なのだろうか?」
「これのどこが良いのだろうか?」
これが洗練されているということなのだろうか?」などと思うことが多々あります・・。

こうした疑問あるいは日常に生じる小さな悩みのようなものは、それを知らないでいた方が比較の対象を認識していないという意味において幸せであるのかもしれません。

しかし同時にそうした(一種純粋な)精神とは、持続可能性、発展持続性らしきものが経年に伴い、徐々に減衰してくるのではないかと思われますが、これを読まれた皆様は如何お考えになるでしょうか?

あるいは、そうした疑問、日常に生じる小さな悩みとは単に無駄なものなのでしょうか・・・?

さる四月に熊本にて生じた大地震による被害の復旧が速やかに為され、そしてその後の復興もまた同様に為されることを祈念しております。

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。」

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