2021年12月1日水曜日

20211130 1660記事の到達、昂揚を伴わない精神の励起から【架空の話】の背景にあるものについて・・

本日もまた、若干帰宅が遅くなったことから「無理に記事作成をしなくても良いのでは・・」と考えていましたが、他方、どうしたわけか、ここ最近数日間で「ブログたまに読んでいるよ。」と云われることが何回かありました。これまでに、そうしたことを云われることは極めて少なかったことから、その背景には何かがあるのではないかと思われ、また、そのことを題材とすれば、一記事作成出来るようにも思われて、冒頭の考えをあらため、本日もまた作成することにしました・・。

そういえば、本日の記事投稿により総投稿記事数が1660に達します。それは現在目標としている1700記事まで、あと40記事の投稿を要するということになりますが、現在の投稿頻度にて進めますと、来年の1月中には、どうにか達成出来るのではないかと思われます。

1700記事の到達とは云っても、私が勝手に行っていることであるから、決して褒められることではありませんが、それでも、現在に至るまで6年以上にわたり、ブログ記事の作成を続け、どうにか、ある程度の区切りとなる記事数まで到達出来ることは、ここに至ってはおそらく、あまり大きな感興とはならないものの、やはり「嬉しい」ことであることには違いありません。

いや、あるいは、その「嬉しさ」は、感覚的な昂揚などには結びつくことはないものの、それ以外の内的な要素を励起させるといった作用があるのかもしれません・・。そして、それがあるからこそ、時にはイヤイヤではありながらも、どうにか継続することが出来ているのではないかとも思われます・・。

そこから、これも以前に述べたことがありますが「こうしたブログは記事作成を続けることによって継続することで出来ている」のではないかとも思われるのです・・。

そしてまた記事作成・投稿の頻度を更に上げることにより、一層、精神が励起されるのであれば、また以前のように(ほぼ)毎日1記事の投稿頻度に戻すことにも意味があるようにも思われます。

ともあれ、こうしたブログをある程度まで継続されている方々には何らかの共通する要素といったものはあるのか?また、その中でも、さきに述べた精神が励起されるメカニズムの有無や強弱といったものは、どのようになっているのかが気になるところです。

また、ここまで書いていて不図思ったことですが、以前、我が国では平成17年(2005)に四年制大学での歯科技工士の養成が始まったと述べましたが、そこから順調に進むと2009年に四年制学部卒の歯科技工士が誕生したことになり、その後、さらに修士、博士へと進んだ場合、修士は2011年、そして博士は2014あるいは2015年に、それぞれの課程を修了するのが最短となりますが、ここを私の場合、人文系にて修士課程までを経ていたことから、2013年に博士課程を修了することが出来ました。

そこから思ったのですが、あるいは私は日本で課程博士を修了した最初の歯科技工士であるのかもしれません・・。

とはいえ、これは、たとえ実際にそうであったとしても、たいしたことではないと思われますが、しかし、私自身は半ば無意識ながらも、そのことに拘っていることから、当ブログにて、しばらくの期間投稿した一連の【架空の話】では、その主人公の背景が人文系の修士を修了した歯科技工学科(口腔保健工学)の学生という設定になっているのだと思われます。

また、主人公が、その後、さらに博士課程に進学することも自身の経験と被るのですが、【架空の話】での、その期間の物語の運びについては未だ考えておらず、今後もモザイクのピース状に点々と【架空の話】の作成を続けていこうと考えています。

そして、そこで思い出されたことは、こちらに登場する【架空の】高等教育機関である、国内各地域にそれぞれ複数設置された公設民営の医療専門職大学についての記述がある【架空の話】などでの閲覧者数が、何故か、伸びていたことであり、あるいは「こうした高等教育機関が今後、もっとあっても良いのではないか。」と考えている方々が多いのではないかと希望的観測ながら思われたのですが、さて、実際のところはどうなのでしょうか・・?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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2021年11月30日火曜日

20211129 一昨日の引用記事を巡り思い出されたこと

本日は帰宅が若干遅かったことから、記事作成を止め、早めに休もうと考えていましたが、 一昨日投稿のロバート・グレーヴスによる 「さらば古きものよ」からの引用記事が、思いのほかに多くの方々に読んで頂いていたことから、時刻が多少押しているものの、たとえ多少短いものであっても記事作成をした方が良いと考えをあらため、つい先ほど記事作成を始めました。

この「さらば古きものよ」は、以前にも何度か当ブログにて挙げた前出ロバート・グレーヴスによる作品ですが、これをはじめて読んだのは同著者による「この私クラウディウス」を読み終え、しばらく経った2004年であったと記憶しています。丁度当時は、南紀白浜から東京へ転勤となり、本格的に大学院への進学のための活動を始めた頃であり、出席させて頂いた大学院進学説明会にも持参して移動時に読んでいた記憶があります。移動時とは云っても、電車内のみならず、当時は活字に飢えていたこともあってか、現在の歩きスマホ、あるいは二宮金次郎のように、駅構内での徒歩移動の際にも読んでいました。

また、当著作を読了後またしばらく経ち、再度、和歌山県の今度は和歌山市に住むことになりましたが、この在住時には「この私クラウディウス」そしてロバート・グレーヴスを知るきっかけを与えてくださった文系師匠が何度かこちらまで足を運んでこられました。そして、その滞在中の会話で「さらば古きものよ」も出てきましたが、どうしたわけか師匠はこの作品は名前は知っているものの読んだことはないとのことであり、この時の会話にて当著作に大変興味を持たれたようでした。

それからまたしばらく経ち、私が鹿児島にて(どうにか)学位を取得し、実家に戻り警備員のアルバイトをしながら求職活動を行い、あるいは当ブログを始める少し前の頃、師匠にお目に掛かった折に師匠の方から「さらば古きものよ」についての話題が出ました。その内容は当時刊行されたエヴェレスト初登頂を目指す英国登山隊を題材とした翻訳作品に師匠が関与され、そして、その作品の背景や文脈を理解するためにロバート・グレーヴスの「さらば古きものよ」は大変役に立ち「これは以前、君がこの作品を教えてくれたからだ。」といったものでした。

しかしながら、私は同著者による「この私クラウディウス」は師匠が送ってくださった冊子や書籍から知るに至り、そこから同著者による他作品にも興味を持ち「さらば古きものよ」を手にして読んだと云えますので、その源流を辿りますと、師匠に返るとも云えそうです・・。

しかし、それでも5年前の投稿記事「もう一人の師匠について P51 兵器開発 武器貸与法」にて書かれている前世紀末頃の私と比べますと、あるいは多少進歩したとは云えるのかもしれません・・(笑)。

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2021年11月28日日曜日

20211127 株式会社岩波書店刊 ロバート・グレーヴス著 工藤 政司訳 「さらば古きものよ」上巻 pp.15-17より抜粋

株式会社岩波書店刊 ロバート・グレーヴス著 工藤 政司訳
「さらば古きものよ」上巻 pp.15-17より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003228618
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003228616

 パスポートの国籍欄には「イギリス国民」と書かれている。ここで私は、「黄金の書」の冒頭にローマ皇帝にふさわしい美徳を授かった先祖や親戚の名前を挙げたマルクス・アウレリウス王にならい、私がローマ皇帝はおろか、ときどきを除いてイギリス紳士でさえない理由を説明したいと思う。母の父方は苗字をフォン・ランケといい、代々ザクセン地方の牧師で、家柄の旧い貴族ではない。貴族を示す「フォン」がつくようになったのは最初の現代史家だった大伯父、レオポルド・フォン・ランケからで、私はある程度彼のおかげを被っている。彼は、「私はキリスト教徒であるまえに歴史家である。要するに私の目的はものごとが実際どのようにして起こったかを発見することに尽きる」と述べて同時代の歴史家の顰蹙を買った。彼らを怒らせたのはそれだけではない。フランスの歴史家ミシュレを論じたさいに、「彼は真実が語れない文体で歴史を書いた」と言ったこともそれに油を注いだ。トーマス・カーライルが彼を「無味乾燥」だと非難したのは決して不名誉なことではなかった。不体裁なまでに大柄な私の体、我慢強さ、エネルギー、生真面目さ、それにふさふさした髪、などは祖父のハインリッヒ・フォン・ランケ譲りである。彼は若い時分には反抗的で、無神論者でさえあった。プロイセンの大学で医学生であった彼は、大逆罪に問われたカール・マルクスを支持して学生デモが行われた1848年には反政府活動に参加した。マルクス同様、彼らは国外退去を余儀なくされた。祖父はロンドンに逃れ、そこで医学の修行を終えた。1854年、彼はイギリス陸軍の連隊所属軍医としてクリミア戦争に従軍した。祖父に関するこうした知識は、子供のころにたまたま彼が言った言葉に端を発していれる。彼はそのとき、「大男が丈夫だとはかぎらないものだよ。セバストポールの塹壕では、小さな工兵が平気な顔をしているのに雲を衝くような体をしたイギリス軍の近衛師団兵がやられて死んでいく、こういうのを何十人も見たもんじゃ」と言った。しかし、堂々として押し出しのいい祖父は長生きした。

 彼はロンドンで祖母と結婚した。祖母はシュレスヴィヒ生まれのデンマーク人でグリニッジ天文台の天文学者だったティアルクスの娘で、信心深く、おどおどした小柄な女だった。彼女の父親が天文学を専攻するまえには、ティアルクス一族はデンマークの田舎の習慣に従って父親と息子が交互に別の職業に就いた。偶数の世代は板金職になり、奇数世代は牧師になったわけだが、これはあながち悪い習慣ではない。穏やかな私の性格は祖母から受け継いだものだ。彼女には十人の子供がいたが、一番上の母はロンドンで生まれている。祖父の無神論と急進主義は年を経るにつれ穏健なものになった。彼は結局ドイツに帰ってミュンヘンで有名な小児科医になったが、子供の患者に新鮮な牛乳を飲ませるべきだと主張したヨーロッパで最初の医師はおそらく彼である。通常の手段では新鮮な牛乳を病院に確保することはできない、とみた祖父は模範的な酪農場を自ら開いた。彼の不可知論はルターの敬虔な信奉者だった祖母を悲しませた。彼女は祖父のために祈ることを決してやめなかった。けれども、彼女の祈りはとりわけ子供たちの魂の救済に注がれた。祖父は考え方をまったく改めずにこの世を去ったのではなかった。

2021年11月25日木曜日

20211124 昨日投稿記事の続き『「文学」の持つ意味や価値』について・・

昨日投稿記事の最後にて「「文学」の持つ意味あいや価値」と述べましたが、私のこれまでの経験からは、認識の仕方、つまり、それまでの考え方を変えるような作品は、いくつかありました。

その一つがポーランドを出自とする英国の作家ジョゼフ・コンラッドによる「闇の奥」であり、そのハナシの筋は、全体的に暗く、また、その作中人物に託された筆者の思想や含蓄、あるいは当時の世界情勢、西欧社会一般での人々の考え方なども描かれていることから、現在であるからこそ、読み直すと面白い作品であるとも云えます。

ともあれ、私が当作品に惹かれたのは、主にその「書きぶり」であり、過日投稿のブログ記事にて、いくつか、その書きぶりを真似て作成したこともあります。

では、その「書きぶり」の「何に」惹かれたのかと考えてみますと、それは、著者の視座が、さまざまな時代や地域を行き来しながらハナシを進める「書きぶり」であり、具体的な箇所を挙げますと、当ブログでの引用記事にもある「僕は大昔のこと、1900年前、ローマ人が初めてここにやってきた頃のことを考えていたんだ―ついこの間のことのようにね。」からの記述です。

こうした、作中にて語り手がいる場所から、二千年近く遡った、大昔とも云える時代にて、あり得たであろう様相を、想像と史実とを織り交ぜて語り、そこから、本題とも云える語り手自身の経験・記憶に結び付け、さきに述べた時代や地域を行き来語りつつハナシを進めるといった、その「書きぶり」に、何かしらの「深み」を感じたと云えます。

そして、その「書きぶり」に「深み」を感じるように背景には、南紀での在住経験があると思われます。つまり、その在住期間に日常的であった場所に、古墳など大昔の遺構がありますと、次第に、そして自然と、それ(遺構)に付随する「深み」や、その背景についても興味を持つようになり、さらに、その次には、その興味に基づいて知った背景などを絡めて、その地域のことを語りたくなっていくのではないかと思われるのです。

これは、私の場合はそうであったと云えますが、こうした何と云いますか、自身の経験と、作中に描かれている様相が「あれ、この状況は**に似ているのでは・・?」と何らかのきっかけで不図、思い付くようなことが、意外と重要であると思われるのです。

また、南紀での在住経験からハナシを進めてきたことから追記しますと、こうした、いわば「自分の境遇との何らかの類似性」を認識することによって感情移入が可能となり、それは歌の歌詞などに対しても同様であり、それを契機として、その歌に対して「自然な感動」をおぼえることが出来るようになるのではないかと思われるのです・・。

これは南紀白浜在住時、退勤後、一人、夜の白良浜に出てみますと聞こえてくるのは波音ばかりであり、あとは海と星空と月と円月島が視界に入るといった状況にて、不図、童謡の「椰子の実」が思い出されて、そのメロディーを口笛でしばし吹いてみますと、その歌詞も思い出され「ああ、これは現在の私のことかもしれないな・・。」と思い、そして、ある種の感傷に浸るといったことがありましたが、おそらく、それ以前には、自分の境遇との類似性から、ある特定の歌に共感をおぼえるといったことはなかったと思われますので、現在考えてみますと、あれはあれでエポック・メイキングであったように思われるのです・・。

また、そうした視座は、歌詞と同様、小説、あるいは論文などに対しても有効であると思われ、あるいは、こうしたいわば情緒的とも云える要素とは、論理的に記述された文章を読み解く際においても重要であるのではないかと思われ、そして、それが昨日の投稿記事、および当記事冒頭にて述べました「「文学」の持つ意味あいや価値」の一面であるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2021年11月24日水曜日

20211123 経験を文章化することにより、それを対自的なものとする意味・・

一昨日の投稿記事にて「ブログ記事作成時の緊張感の減衰」と述べましたが、それでも現在に至るまでの6.5年程度、1週間程度の空白期間をも、あまり設けずに継続し、また、これまで10日のうち7日程度は、新規にブログ記事を投稿してきましたので、ここに至り多少意欲が減衰しても、いずれまた、意気軒昂とまでは行かなくとも、復旧することは出来るのではないかと、これまでの自身の経験は語ります。そこから、大事であるのは、何であれ「ともかく続けること」であるように思われます。

「続ける」と云いますと、あまり難しいことではないようにも思われ、実際、日中に仕事であれ、何らかの活動をしていますと、そのさ中に、ブログ記事の題材となりそうなことが、あたかも泡のように湧いてくることが度々あるのですが、それが、いざ記事作成に取り掛かる段になりますと、あたかも「逃げ水」のように消えてなくなっていることが多いのです・・(苦笑)。

これに関しては、以前にも言及し、またその後、どうにか、日中に着想を得た題材でのブログ記事作成をおぼえ、さらに、それを習慣化することも出来ましたが、それが2016年後半から2018年にかけてでした。この時期に作成した記事を読み返してみますと、その多くは、前述のとおり、日中での出来事を「題材のもと」としていることが思い出されますが、現在となっては、この記事作成に関する自分の機能、能力が退化してしまったようにも感じられます。

それ故、以前にメモランダムを持ち歩くことなども検討していましたが、しかし、それは習慣化し、定着したとは云えないのが現状と云えます・・。

他方で、人はその置かれた環境に満足してしまうと、ブログ記事の作成なども含む表現や発信の行為をしなくなる傾向があると聞き及びますので、このあたりにつきましては、より倍率を低く観察し、大雑把に、記事作成の継続をどこかで心掛けていれば、好調・不調はあるものの、まさに「自然に」どうにか継続することが出来るのではないかと思われるのです・・。

もとより、私は当ブログ記事の作成により、金銭などの報酬を受けておらず、ただ、自分の能動性に基づいて作成していますので、このあたりは「自然に」で良いのではないかと思われます・・。また、その割には、相対的に続いている方ではないかと思われます。

しかしまた、こうしたことにも満足を示し始めるようになりますと、さきの伝の如く、記事作成をしなくなり、まさに、元も子もなくなりますので、日常のなかで、記事作成の肥やしとなる読書などを含めた、さまざまな新たな経験を積み重ねてゆく「意味」があるように思われるのです・・。

また、ここまで書いていて思い出されたのは、2015年の当ブログを開始する以前の「読むこと」のみに重点を置き、自らで公表を前提とする文章を作成せずにいた頃のことであり、この時期は何故であるか、とても辛かったです・・。

それは、30代の終わり頃であり、あるいは私にとっては、インプットばかりをすることが出来た最後の時期であったのかもしれません・・。またおそらく、あのまま、何らかの表現や発信行為を初めていなかったならば、現在よりもかなり酷いことになっていたものと思われます。

そこからも、その時期の私にブログ記事の作成を勧めてくださった方々のある種の慧眼には未だ驚きを禁じ得ないと共に感謝もしていますが・・。とはいえ、そうした経緯にて始めた当ブログが、6年以上継続することに関してまでは、予測されていなかったのではないかとも思われます・・(笑)。

また、これまでどうにか続けることが出来た背景には、これまでの読書と同様、あるいはそれ以上に「いくつかの地域にて居住してきた経験」があると云えます、いや、より精確には地域在住の経験に読書の経験が化合したものこそが、当ブログの継続の根底にあると云えます。

私見としては、このことは重要であり、また、それぞれの在住当初の頃を想起してみますと、そこでの経験を文章化することにより「対自的」なものとすることは稀であり、そうした意味から、文章を読む読書と云う行為により、実際の経験を文字によって文章のように解釈し、そこからさらに、文章にて再構成するという習慣の基礎のようなものが醸成されたのではないかと思われるのですが、あるいは、そういったところに「文学」の持つ意味あいや価値のようなものがあるのではないかとも思われるのです。

そして、これもまた、私の経験に即しているのですが、その具体的な内容につきましては、また別の機会にブログ記事として作成しようと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2021年11月22日月曜日

20211121 今後の当ブログの方向性について・・【記事作成時の緊張感の減衰から】

今回の記事投稿により、総投稿記事数が1655に達します。そうしますと、あと45記事を新たに投稿することにより、1700記事へ到達しますが、これは年内では難しく、おそらく早くとも、来年の1月中になるものと思われます。

ともあれ、この程度までどうにか続けてみますと、1700記事への到達もまた、多少、現実味を帯びてきますが、それと同時に、これまでに蓄積した疲れからくるものであるのか、ある種の「ダルさ」のようなものも少なからず感じられてきます・・。

もとより、これらは私の感覚に基づくものではあるのですが、この「ダルさ」は、当ブログ開始当初には感じられなかったものであり、また、同様に1000記事への到達以前にもなかったと思われることから、やはり、この「ダルさ」は、当ブログが、ある程度の期間継続したことによって生じ、感じられるようになったものであるように思われます。

しかしまた、以前のことを思い出してみますと、当ブログ開始から1~2年程度の頃は、自分なりに生活の中で、効率的に記事作成が出来るようにと努力もしていました。つまり、記事作成が可能になる時間配分を、ほぼ毎日考えていたということになります。

たとえば、遅く帰宅した日は、早めに床に就いて、そして深夜、もしくは早朝に起床し、記事作成に取り組んだりしていましたが、こうした自己に対する配慮の努力は、どうしたわけか、現在ではあまり為されず、ただ「出来るだけブログ記事の作成をしよう・・」といった、まあ漠然としたものになったと云えます。

つまり、以前にあったブログ記事作成に対する「緊張感」のようなものは、皆無とは云えないものの、かなり少なくなったと云えますが、それはおそらく、当初、目標としていた1000記事、そして次の1500記事へと、どうにか到達し、また、以前ほどの記事作成への配慮をしなくとも、どうにか記事作成が出来るようになったという実感を得たことから、「緊張感」が緩み、そのようになったと云えるのでしょうが、あるいは、こうした状態は、たとえ現在でなくとも、いずれ引き締め直す必要があるのかもしれません・・。しかし、以前より投稿ペースは下がっているものの、それでも記事作成自体は(どうにか)継続していることから、現時点では特に考慮する必要はないように思われます。

また、つい先日読了した「ウンベルト・エーコの世界文明講義」は、おそらく、専門家向けの著作ではないと思われますが、そうした中では、ここ最近、私が読んだ書籍の中では出色の出来であるように思われます。そこからまた、当著作からの抜粋引用のブログ記事も作成したいと考えていますが、あるいは、現在のブログ記事作成への緊張が緩んでいる状態においては、こうした書籍からの引用記事を量産するのも悪くないと思われるところです。そして、これについては、かなり以前から検討しているものの、未だ継続的な実行にうつせず、行うのであれば、1700記事に到達することが出来た後に、たとえば、引用記事5:自作記事1程度の割合にて、実験的意味合いも兼ね、とりあえず数カ月程度続けてみるというのは、悪くない試みであるように思われます・・。

そして、ここでの最後に、書籍からの引用を充てようと思います・・。


「私は未来の自分の運命を考えることはやめよう。
あてのない問いをくりかえすことはやめよう。
結果を考えることはやめよう。
すべての今の刹那をみたしめよ。
今日を今日として迎え送り、明日のための今日とすることを断念せよ。
もちろん将来をめざして積み重ねてゆく現在ではあるけれども、その積みあげてゆくこと自体をもって結果としよう。
これまで私は社会からはとおく、いわゆる先物を買ったり便乗したりしたことはなかったが、これからも、あらゆる意味で先物を買うことはしまい。未来の自分の効果のために設計したり賭けたりすることはしまい。
「どうせ自分に何ができよう」「これこれのすることの意義が分かったらする。それまではやる気がしない」-こうした、私のこれまでの抜きがたかった性癖、それが私に行動を阻止し意力を麻痺させていたものを、できるだけ棄てるようにしよう。
このために私は過去に蒔いたものがすくなかったから、いまわが生の途のなかばに収穫するものとてもすくないが、すくないからとてとりいれずにおくことをやめよう。」

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2021年11月18日木曜日

20211117 ある文章や文体から感知される「陽なるもの」について・・

先日来からの「ウンベルト・エーコの世界文明講義」は順調に読み進めば、おそらく、明日・明後日には読了に至るものと思われます。当著作には、より多くの方々にご理解頂けるであろう、普遍的とも思われる見解が少なからずあると思われますので、ご興味を持たれた方々、是非、書店にて手に取り頁を開いてみて頂ければと思います。私もまた、そのようにして当著作を知りました。くわえて、以前に読んだ同著者による「プラハの墓地」もまた、同様の出会いであったことが丁度、これを書いていて思い出されました。


もう少し詳説しますと「プラハの墓地」を見つけたのは、徳島のそごうデパート内の紀伊国屋書店であり、当時「何か面白い小説はないだろうか・・」と書店内にて文庫やハードカバーの小説が並んだ書棚を徘徊していましたが、そうした中で、何故かウンベルト・エーコの著作が並んでいるところに目が行き「ああ、大分前に読んだ「薔薇の名前」以外でウンベルト・エーコによる物語、小説は読んだことがないな・・」と思い、代わる代わる、その著作を手に取って立読みをしてみますと、この「プラハの墓地」がとても興味深く感じられて、これを購入した次第です。

また、当著作(「プラハの墓地」)を読み進めていた時も、そのことを題材としてブログ記事を作成していましたが、そこから、私個人の見解としては、どうもウンベルト・エーコの文章・文体には、読み手に対して文章作成を促す「何か」があるように思われるのです・・。

その「何か」とは、上手く言語化することに困難を覚えますが、それでも言語化してみますと、和訳文ではあっても、その文章・文体には、単に感情の表出、あるいは抒情的とは云えない、厖大な知識・見識に裏付けされた、背景文脈への深い理解があり、そして、それに基づいた作中の会話などは、たとえ文章であっても、読んでいて臨場感のようなものがあり、それは、ある種の「陽なるもの」であると云えます。

そして、それは「薔薇の名前」「プラハの墓地」においても同様であり、こうした書きぶり、つまり、著者自身が直接知っている時代とは遠く離れた時代の様子を、その当時の人々の会話といった倍率が高いと云える情景での「陽なる」書きぶりに何か強い説得力があるように思われるのです・・。

あるいは、それは端的に「時代考証」とも云えるのかもしれませんが、映画などの映像作品と異なり、文章における「時代考証」とは、特にそれが作中での会話などになりますと、たとえ、架空のものであっても、かなり難しいのではないかと思われるのです・・。

そして、それは時代を遡り、残存する資料が少なくなってきますと、さらに拍車が掛かると思われます。たとえば、平家物語をベースとした木下順二による戯曲に「子午線の祀り」という作品がありますが、こちらは作中がほぼ会話にて構成されており、そこでの日本語は現代の我々が読んでも理解出来るものであると同時に、源平時代当時の言い回しやコトバ使いなどについて考慮されており、また、そうしたことを含めて優れた興味深い作品であると思われるのですが、その他に、たとえば小説家ですと司馬遼太郎による短編にて「八咫烏」という題名のものがあり、これは神武東征の頃を時代背景としていますが、ここでも比較的多く作中に会話がありましたが、何故であるか、主人公の八咫烏が「ええですとも」と、よく云っていたことが思い出され、そこから「神武東征のあたり、つまり3世紀頃の日本では、そうしたコトバを使っていたのだろうか?」と疑問を持ったまま読了していたことが思い出されました・・。

ともあれ、そうしたこともあり、我が国では臨場感のある古代や中世を時代背景とした小説作品が少ないのではないかとも思われますが、また他方で、同じく司馬遼太郎による奈良時代末、平安時代初期(8~9世紀)の人物である弘法大師こと空海を描いた「空海の風景」は、大変面白く読んだ記憶がありますが、当著作での書きぶりは、概ね、主人公である空海になりきってハナシを進めるというよりも、著者が解説しつつ話を進めて行くといったスタンスであると云え、またそれは「空海の風景」という作品の題名にもあらわれているのかもしれません。

しかし、それはさておいて、さきに述べたウンベルト・エーコの著作にて、作中時代の人物になりきって話を進める、その文章・文体から感じられる「陽なるもの」とは、著者の作中背景時代に対する理解から生じているのではないかと思われ、また、そのように考えてみますと、それは、これまた過日の投稿記事にて挙げたロバート・グレーヴスによる「この私クラウディウス」が想起されます。

この作品もまた(読んだのは)和訳文ではあるのですが、全体を通じて、主人公になりきりハナシを進めるスタンスであり、また、その背景時代への深い理解がある文章・文体から、私は「陽なるもの」を感じさせられます。また、おそらく、それは当作品を初めて読んだ20年ほど前にも感じていたことであると思われるのですが、当時は、そうしたことをわざわざ文章化しようとは考えていなかったようですが、現在、こうして、偶然を起点としてブログ記事を作成してみますと、この「陽なるもの」は、なかなか重要であるように思われてきましたが、さて如何でしょうか・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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