「それがし、伊藤一刀斎十八世の子孫でござる。」と、その人物は頭を下げた。眼光はケイケイとして、頬の肉はこけている。
「君は一体医学を学んだのでしょうね」と医局長が云った。「願書が揃ってないが」
「左様」と一刀斎は答えた。「すべてこれ独学でござる」
「しかし、それでは医師免許がおりないのでね」
「いや、それがし、すでに一刀流免許を授けられた者でござる」
「まあいいでしょう」と誰かが云った。「ところで君は、なんで神経科を志望するのです?」
「さればでござる」と一刀斎はキッと膝をのりだした。「武芸の道はこれ涯のないものと存ずる。それがしの父は、野球なるすぽおつを通じ、また女色の奥義を探りて、何物かを得んと努め申した。しかしこれは肉体のことでござる。それ人には肉体と霊がござる。それがし、ぜひとも人間の精神を究め、もって一刀流のかてごりいを広めんと発心せしは、今をさる5年前のことでござった」
「さようでござるか」と思わず医局長は云ってあかくなり、一座を見まわした。
「では訊くがね、君は一応精神医学を勉強されたのでしょうな」と助教授クラスが助け舟を出した。助教授は6名もいるし、講師に至ってはやたらゴロゴロしているのである。
「恥ずかしながら」と一刀斎は答えた。「くれぺりん教授、えい教授とか申さるる御仁の書物なども読み申した。しかし、それがしはむしろ独自なる分類体系を立てる者でござる」
一同、顔を見合わせた。
「では一刀斎君、分裂病というのを知ってるだろうね」
「なんと、ブンレツとおおせられるか?」
「そう、シゾフレニイです」
「なんと、シゾ・・・と申さるるか?」
「そう、つまりだね、昔は早発性痴呆なんて言葉もあったがね」
「ははあ、それはタバケ病のことでござる」
「タバケ病?」
「それがしの分類体系では、その病いはタバケ病と記し申した」
「そう勝手に記されては困るがね。どういう病気です?」
「さればでござる。これは一種神秘的な病いと申されようか。なにぶん頭が狂うのでござる」
「それはそうだが、もっと具体的に」
「しからば冒頭から述べ申そうか。タバケ病とは或る種のびいるすによって惹起さるる疾患と存ずる」
一同は顔を見合わせてざわついた。これではどうしようもないと考えたのである。
「では君、一刀斎君、これでいいですと医局長が気をきかして云った。「これから心理室にまわってテストを受けて下さい。結果はあとで知らせます。」
一刀斎が落ち着き払って退出すると、一同は更めて顔を見合わせた。
「これはちとムリですね」「いくら何でもね」などという意見と、「いや面白い」「少しは変り者を入れてもよかろう」「うっかり落第さして刀でも振りまわされたら」などという意見がしばらくザワザワと私語された。
「これは仕方ないから、雑学部にまわすんだね」と、ついにM総カントク教授が申された。「そう雑学部のサイトウ君にでも面接させて、なにか特技でもあって医局の役に立つものなら入局させてもよかろう」で、伊藤一刀斎合格か否かの件は、後に持ちこされることになった。
医局長は医局の長い廊下を歩いて行った。エレベーターで12階まで行き、また豪壮な廊下を歩き、とあるドアの前に立止まった。そこには「雑学部研究室」とあり、「主任、ソウキチ名誉助手」と札がかけられてあった。
ノックして室内に入ると、安楽椅子の上にソウキチ名誉助手が長々と寝そべっていた。彼は年齢から云えば当然講師くらいになっていなければならぬのだが、いかんせん、未だ嘗て何一つ論文を書いたことはなし、学会に顔を出したこともないので、致し方なしに医局では名誉助手という称号をあてがってゴロゴロさせておいたのである。
彼はあたかも「鉄腕アトム」というマンガ本を熟読しているところらしかった。
「何か用ですかね。医学以外のことなら何でも訊いていいですよ」
「実は今度マツ先生が火星のフォボス病院に行かれます。火星行きについて何か注意がありましたらと思いまして」
「あ、そう」とソウキチ名誉助手は天ちゃん(注・これは愛称であって、私は父から昭和天皇がいかにお優しい人柄であられたかを聞いて心の底から敬愛していた)のごとく言った。「僕が若い頃宇宙精神医学研究室というのを創ったが、みんなバカにしておった。創始者というものはすべて初めは理解されぬものだ」
「ははあ」と医局長は云った。「どんなことを研究されたので?」
「いやなに、ただ看板を出しただけだよ。誰か心理の女の子がこれをヒッパがして捨ててしまったから、それで終わりだ。フラチな女子じゃった」
「それはそれは」と医局長は云って頭を撫でた。「それからですね、今日の入局試験に奇怪なる人物が現れまして、どうしたものか御意見を聞きたいので」彼は一刀斎のことをこれこれしかじかと説明したのち、
「何しろシゾはヴィールスだと云うんですからねえ」
「なになに」とソウキチ名誉助手は身体を起こした。「そいつはまるで俺みたいなことを云うじゃないか」
「そうですか」
「そうですかじゃない。いいかね、マニーなんてものもヴィールスから起こる。まだ発表してないがね」
こいつは上手だわいと思ったので、医局長は沈黙した。ソウキチ名誉助手は委細かまわず、「今NA講師と俺とで研究している。マニーのヴィールスは葡萄の種子の中にいるのだ。そもそも山梨県にマニーが多いのはなぜか。シゾにしてもミッシュ・プシコーゼ(混合精神病)みたいなのが多いんだ。これは彼らが葡萄をタネごと食べるからだ。今葡萄のタネをすりつぶして分離中だ。君、なんでも着想が大切だよ、着想がね。何でも判ってみりゃカンタンなものだよ。ニッスル氏小体でもなんでもね」と彼は云ったが、その実ニッスル氏小体なぞというものは皆目御存知なかったのである。
「では一刀斎は入局させたほうが宜しいですか」
「むろん、むろんだとも。それにそんな面妖な人物は必ず何かの役に立つ。たとえば火星でマッつぁんが火星人にでもとっつかまったら、彼を送ればいいじゃないか。」
中央公論社刊 北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」
ISBN-10 : 4122056586ISBN-13 : 978-4122056589
2020年9月3日木曜日
2020年9月2日水曜日
20200902 現在読み進めている著作「民衆暴力」から
本日の首都圏はぐずついた天気ではありましたが、気温は高く、蒸し暑さを感じる1日でした。また、現在読み進めている中央公論社刊 藤野裕子著「民衆暴力」(一揆・暴動・虐殺の日本近代)は、期せずしてタイムリーとも云える第4章「関東大震災時の朝鮮人虐殺」に至り、その記述に眉を顰めることが度々ありましたが、それらは概ね史実であると云えます。そしてまた、(残念ながら)それら記述から、昨今のコロナ禍下の我が国において生じた、報じられた、いくつもの出来事とも、自然な連続性を見出すことが出来ると云えます・・。
関東大震災直後での出来事と、現今の我が国におけるコロナ禍下の出来事の連続性を結節する主たるものは、先日読了した講談社刊 鴻上尚史・佐藤直樹著「同調圧力」(日本社会はなぜ息苦しいのか)に描かれている「世間」において空気のように存在している「同調圧力」であると考えます。
「同調圧力」は、多くの場合、明言されることはないものの「世間」内部での互いの目配せによって醸成されるような、一種、忖度の前提となるようなものであり、これが空気のように「世間」内部に蔓延すると、各々の自由な発言、行動が著しく困難になり、知らぬ間に、ある特定の方向に(世間内部の)発言や行動が向かっていくといった性質があるように思われます。
そしてこれは筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」下巻に記されている「小さな所属集団内部での情意伝達に慣れた人々が、長い間「以心伝心」を理想としてきたということもあろう。言葉による伝達には限界があり、大切なことはすべて言葉によらずに伝達されるという考え方は、日本文化のなかに浸透していた。」によって説明できるのではないかと考えます。
さらにまたそれは、明治初期に福沢諭吉が、自身の興した慶應義塾内に「演説館」を建設した理由(必要性の認識)にも近しい関係があるのではないかとも思われます。
つまり、端的に我が国では、伝統的に、言語によって構成・構築された言説によって彼我が互いに議論を交わす(戦わす)といった文化が社会そして世間に根付いておらず、あったとしても、表層的とも云える語義上での揚げ足取りといった様相になることが多いように見受けられます。
そして、こうしたことから敷衍しますと、国産の思想・哲学といったものが生まれ難いといった状況にも、浅からぬ関連性があるのではないかと思われるのです。
また、そのように考えてみますと、その基層には、古くから国民全般に広く浸透した宗教上の正典といったものが存在しないことが、少なからず影響を及ぼしているのではないかと思われます。
ともあれ、そうした事情は、昨今のインターネットの普及により、社会全般にて参照可能となった情報が著しく増加したことにより、さらに拍車がかかり、現在においては、以前よりもさらに、さまざまな「世間」を結び付け「社会」とすることが可能となる、共有化し得る「言説」を構築あるいは見出し難い状況と云えるのかもしれません。
しかしまた同時に「ある程度の世間の範囲」(たとえば地域社会)にて古くから共有化されている「言説」の核となるものは、以前と比較すると、見出し易くなってきているのかもしれません・・。その意味でも、やはり国であれ地域であれ、その辿って来た「歴史」とは、軽視されるべきものではなく、それは冒頭にて述べた「関東大震災時の朝鮮人虐殺」においてもまた同様であるように思われるのですが、さて如何でしょうか?
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
~勉強会の御案内~
関東大震災直後での出来事と、現今の我が国におけるコロナ禍下の出来事の連続性を結節する主たるものは、先日読了した講談社刊 鴻上尚史・佐藤直樹著「同調圧力」(日本社会はなぜ息苦しいのか)に描かれている「世間」において空気のように存在している「同調圧力」であると考えます。
「同調圧力」は、多くの場合、明言されることはないものの「世間」内部での互いの目配せによって醸成されるような、一種、忖度の前提となるようなものであり、これが空気のように「世間」内部に蔓延すると、各々の自由な発言、行動が著しく困難になり、知らぬ間に、ある特定の方向に(世間内部の)発言や行動が向かっていくといった性質があるように思われます。
そしてこれは筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」下巻に記されている「小さな所属集団内部での情意伝達に慣れた人々が、長い間「以心伝心」を理想としてきたということもあろう。言葉による伝達には限界があり、大切なことはすべて言葉によらずに伝達されるという考え方は、日本文化のなかに浸透していた。」によって説明できるのではないかと考えます。
さらにまたそれは、明治初期に福沢諭吉が、自身の興した慶應義塾内に「演説館」を建設した理由(必要性の認識)にも近しい関係があるのではないかとも思われます。
つまり、端的に我が国では、伝統的に、言語によって構成・構築された言説によって彼我が互いに議論を交わす(戦わす)といった文化が社会そして世間に根付いておらず、あったとしても、表層的とも云える語義上での揚げ足取りといった様相になることが多いように見受けられます。
そして、こうしたことから敷衍しますと、国産の思想・哲学といったものが生まれ難いといった状況にも、浅からぬ関連性があるのではないかと思われるのです。
また、そのように考えてみますと、その基層には、古くから国民全般に広く浸透した宗教上の正典といったものが存在しないことが、少なからず影響を及ぼしているのではないかと思われます。
ともあれ、そうした事情は、昨今のインターネットの普及により、社会全般にて参照可能となった情報が著しく増加したことにより、さらに拍車がかかり、現在においては、以前よりもさらに、さまざまな「世間」を結び付け「社会」とすることが可能となる、共有化し得る「言説」を構築あるいは見出し難い状況と云えるのかもしれません。
しかしまた同時に「ある程度の世間の範囲」(たとえば地域社会)にて古くから共有化されている「言説」の核となるものは、以前と比較すると、見出し易くなってきているのかもしれません・・。その意味でも、やはり国であれ地域であれ、その辿って来た「歴史」とは、軽視されるべきものではなく、それは冒頭にて述べた「関東大震災時の朝鮮人虐殺」においてもまた同様であるように思われるのですが、さて如何でしょうか?
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~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
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conrad19762013@gmail.com
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どうぞよろしくお願いいたします!
2020年8月31日月曜日
20200831 「内部衝迫」と「創造性」
昨日は、多少疲れていたのか、割合早い時間に就寝し、気が付いてみたら既に朝方になっていました。本来であれば、昨日は記事投稿の日と決めていましたので、本日はそれを取り返すべく新たな記事作成を行うこととします。
さて、本日、昨日の閲覧者数、インプレッション数を確認してみますと、どうしたわけか、通常よりも2倍程度となっており、軽くバスったといっても良い状況であり、驚きました。とはいえ、それはある特定のいくつかの投稿記事、動画が他に比べて多く読まれていたという状況ではなく、どちらかと云うと、投稿した記事、共有した動画等の全体の閲覧者数、インプレッション数が増加していたものと云えます。こうした状況が何に因るものであるか、未だ分かりませんが、ともあれ、これらを観て頂いた、あるいは読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
そしてまた、今後も多くの方々に読んで頂けるような記事を作成し、面白そうな動画の共有を続けていこうと思いますが、しかしまた、それはそれで自身にとっては重荷になるといった半面もあるため、今後もこれまで通り、出来るだけ肩の力を抜いて、面白い記事と、そうでない記事の双方が入り混じった投稿を続けていければと思います。
スポーツであれ、こうしたものであれ「自然体」とは、なかなか重要であり、肩の力が入ったような状態では、なかなか良いものは出来ません・・。しかし「意識する」ということは、往々にして、この状態をもたらすものであり、そこから生じる「葛藤」の中から、新たなものが生まれ、そして、時にはその中から、何かしら「新たなもの」が見つかるのではないでしょうか?
あるいは異言しますと、意識して行った行動の中で「無意識に」に吸収されるものがあり、それが、次の新たな活動の際に発揮され、そして、その繰り返しにより、徐々に全体像も変わって行き、新たなものとなっていくのではないでしょうか?
つまり、こうした漸進的な「変化」にこそ、何かしら自身の本質に根差した「進化」といったものがあるのではないでしょうか?そして、そのためには、やはり、その活動をある程度継続する必要があると云えます。
その意味で、当ブログは自身にとってある程度「意味」を持っていると云えますが、それは現在の新規ブログ記事の作成時においては、あまり感じることが出来なく、現時点では「今此処」の意識の方が圧倒的に強いと云えます・・(笑)。
こうした、活動の種類による意識様相の変容は、なかなか面白いものであり、ある意味、平常時でのそれは、分裂した状態にあると云えます。他方で、こうしたブログ記事の作成などを行っている時は、それらが統一された状態に近いと云えます。文章作成を含めた、ある種の「発散」を行っている際は、その射出口が、ある程度狭くなっている方が、比較的「楽」であると云え、また異言しますと、そのもとにある「内部衝迫」があまり強いものでなくとも、文章の作成が比較的容易に出来ると云えます。
また、人は心が満たされた状態にあると(能動的な)文章作成の必要性を認めない傾向があると云われますが、それがさきの「内部衝迫」に何らかの関連があるのではないかと思われるのです・・。
そうしますと、こうして、ブログ記事の作成をある程度継続出来ているということは、自身の心が満たされていないからであるとも云えます・・。それは自覚として納得出来ます。おそらく、この程度の期間、続けることが出来た背景には、自身の「ある程度強い」満たされない心、つまり「内部衝迫」があるのだと思われます・・。そしてまた、この「内部衝迫」は、この継続期間に自身に生じた変化にも抗う程度には強かったのだとも云えます。
あるいは書籍をまったく読まなくなれば、この「内部衝迫」は徐々に消えて行くものなのでしょうか?
そして、最後にこれはセンスの良し悪しはさておき一般に云う「創造性」にも何らかの関連があるのでしょうか・・?
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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さて、本日、昨日の閲覧者数、インプレッション数を確認してみますと、どうしたわけか、通常よりも2倍程度となっており、軽くバスったといっても良い状況であり、驚きました。とはいえ、それはある特定のいくつかの投稿記事、動画が他に比べて多く読まれていたという状況ではなく、どちらかと云うと、投稿した記事、共有した動画等の全体の閲覧者数、インプレッション数が増加していたものと云えます。こうした状況が何に因るものであるか、未だ分かりませんが、ともあれ、これらを観て頂いた、あるいは読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
そしてまた、今後も多くの方々に読んで頂けるような記事を作成し、面白そうな動画の共有を続けていこうと思いますが、しかしまた、それはそれで自身にとっては重荷になるといった半面もあるため、今後もこれまで通り、出来るだけ肩の力を抜いて、面白い記事と、そうでない記事の双方が入り混じった投稿を続けていければと思います。
スポーツであれ、こうしたものであれ「自然体」とは、なかなか重要であり、肩の力が入ったような状態では、なかなか良いものは出来ません・・。しかし「意識する」ということは、往々にして、この状態をもたらすものであり、そこから生じる「葛藤」の中から、新たなものが生まれ、そして、時にはその中から、何かしら「新たなもの」が見つかるのではないでしょうか?
あるいは異言しますと、意識して行った行動の中で「無意識に」に吸収されるものがあり、それが、次の新たな活動の際に発揮され、そして、その繰り返しにより、徐々に全体像も変わって行き、新たなものとなっていくのではないでしょうか?
つまり、こうした漸進的な「変化」にこそ、何かしら自身の本質に根差した「進化」といったものがあるのではないでしょうか?そして、そのためには、やはり、その活動をある程度継続する必要があると云えます。
その意味で、当ブログは自身にとってある程度「意味」を持っていると云えますが、それは現在の新規ブログ記事の作成時においては、あまり感じることが出来なく、現時点では「今此処」の意識の方が圧倒的に強いと云えます・・(笑)。
こうした、活動の種類による意識様相の変容は、なかなか面白いものであり、ある意味、平常時でのそれは、分裂した状態にあると云えます。他方で、こうしたブログ記事の作成などを行っている時は、それらが統一された状態に近いと云えます。文章作成を含めた、ある種の「発散」を行っている際は、その射出口が、ある程度狭くなっている方が、比較的「楽」であると云え、また異言しますと、そのもとにある「内部衝迫」があまり強いものでなくとも、文章の作成が比較的容易に出来ると云えます。
また、人は心が満たされた状態にあると(能動的な)文章作成の必要性を認めない傾向があると云われますが、それがさきの「内部衝迫」に何らかの関連があるのではないかと思われるのです・・。
そうしますと、こうして、ブログ記事の作成をある程度継続出来ているということは、自身の心が満たされていないからであるとも云えます・・。それは自覚として納得出来ます。おそらく、この程度の期間、続けることが出来た背景には、自身の「ある程度強い」満たされない心、つまり「内部衝迫」があるのだと思われます・・。そしてまた、この「内部衝迫」は、この継続期間に自身に生じた変化にも抗う程度には強かったのだとも云えます。
あるいは書籍をまったく読まなくなれば、この「内部衝迫」は徐々に消えて行くものなのでしょうか?
そして、最後にこれはセンスの良し悪しはさておき一般に云う「創造性」にも何らかの関連があるのでしょうか・・?
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2020年8月28日金曜日
20200828 埴輪の写真集を眺めていて思ったこと「埴輪と大魔神から」
1年前と比べて、世界規模で不安定な情勢になりつつある昨今ですが、おかげさまで当ブログは前回の記事投稿によって、総投稿記事数が1370に到達しました。今後、2日に1回程度にて更新を続けますと9カ月ほどで1500記事にまで到達することが出来る目算が立ちますが、希望としては、来年(2021年)6月の当ブログ開始から丸6周年を迎えるあたりまでに、それ(1500記事)を達成したいと考えています。
ともあれ、そのためには今後130の新規投稿を要するわけですが、そのように考えてみますと「先は長いな・・」と暗澹たる気持ちになってきますが、同時に、これまでの経緯から考えてみますと「これまでの継続に要した努力の約10分の1程度にて、それが達成出来る」と考えてみますと「それではやってみようか・・」といった比較的前向きな心持ちになってきます。「何でも気の持ちよう」とは申しますが、これについては、たしかに納得出来ます・・(笑)。
さて、先日来からブロガー、ツイッターでの閲覧者数、インプレッションが増加しましたが、それに加えて最近の「夏バテ」気味の状況から、新規での記事作成が思うように捗らず、徒に机上の書籍を読んだり、動画にて解説番組などを観ていても、なかなか着想は訪れず「ええい、ままよ!」とばかりに、先刻より何かしら書き始めたわけですが、そのわりには、意外と文章は進み、さらに何を書こうか、ここに来て徐々に定まってきました・・(笑)。
本日の首都圏もやはり夏日で暑かったですが、さきほど帰宅し、偶々手に取った埴輪など古代の土製副葬品の写真集(「日本の原始美術6 埴輪」)を眺めていますと、大映によって1960年代に制作された一連の「大魔神」作品が思い出されました。映画「大魔神」シリーズは、人里離れた辺鄙な場所にあり、周辺の人々から「魔人・荒神さま」として畏れ、祀られてる古代甲冑姿の埴輪様(よう)の石像が、領土の侵略などによって地域が争乱状態に至ると、突如として憤怒の表情にて動き出し、平和を乱した側の勢力を完膚なきまでに叩き壊し、その後、武神像は生命が抜け、砂のように崩れ去るといった結末が概ね共通したストーリーと云えますが、この「大魔神」は、同じ時代に制作された特撮怪獣ものと比べますと、人気や知名度がイマイチと云え、また、ゴジラのように現在に至るまでシリーズ作品が(海外なども含め)制作されることもなく、無名ではないものの、多少マイナーな作品であると云えます・・。その理由は、やはり石像という設定ではあれ「埴輪」という実際の歴史上の遺物様(よう)のものが生命を持ち動き出し、憤怒の表情で破壊の限りを尽くすというモノガタリは聊か「重い」からであるように思われます・・・
この「武神像」こと「大魔神」のモデルになったものは1936年制作のチェコスロバキア・フランス合作映画「巨人ゴーレム」とされており、この作品は現在、動画サイトにて視聴可能です。とはいえ、その物語を16世紀頃の我が国を背景として、埴輪様(よう)の石像に置き換えたことは秀逸であると云え「あるいは当時(16世紀頃)何らかの機会に出土、発見された古代の遺物に対し、当時の人々はどのような思いを抱いていたのだろうか?」と考えさせられます・・。(「扶桑略記」に記された銅鐸(宝鐸)出土の様子が思い起こされます。)
そしてまた、現今の世界規模で不安定な情勢のなか、あらためて「大魔神」が映画化されたら面白いように思われます。ストーリーとしては、近年のグローバル化を背景として、国内某所に大規模遊興施設が建設されることになり、整地を行っていると、未だ知られていない大型の古墳と共に巨大な武人像埴輪(舞台が九州か山陰であれば石像でも良いかもしれません。)が発見されるが、工事を急ぐ建設業者および、その国内外での利害関係者が、それらをないものとしようとはかるが、地元メディアあるいは同大学研究者がそれに気付き、それらの文化財としての保護を求めて追及するが、業者、利害関係者はそれに応じず、かえって口封じのために脅され、生命の危機すら感じさせる状況に追い込まれてしまう。そうした中、メディア、研究者側の家族の誰かが、早急な建設進行のため、破壊を待つ古墳および武人像埴輪像のもとに行き、あやまり、そして家族の安寧を願うと、突如として武人像は動き出し、建設業者や利害関係者のもとに出現して破壊の限りを尽くして恐怖のどん底に突き落とし、消えてゆき、その結果として、不自然なカタチで大規模遊興施設の建設は中止となる。
といったハナシの筋であり、内容的にはベタであると思われ、また大手町の将門塚にまつわるハナシとも類似するかもしれませんが、昨今の不安定な情勢の折に、そうした作品を制作するのは、あながち悪くないように思われるのですが、さて、いかがでしょうか・・。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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ともあれ、そのためには今後130の新規投稿を要するわけですが、そのように考えてみますと「先は長いな・・」と暗澹たる気持ちになってきますが、同時に、これまでの経緯から考えてみますと「これまでの継続に要した努力の約10分の1程度にて、それが達成出来る」と考えてみますと「それではやってみようか・・」といった比較的前向きな心持ちになってきます。「何でも気の持ちよう」とは申しますが、これについては、たしかに納得出来ます・・(笑)。
さて、先日来からブロガー、ツイッターでの閲覧者数、インプレッションが増加しましたが、それに加えて最近の「夏バテ」気味の状況から、新規での記事作成が思うように捗らず、徒に机上の書籍を読んだり、動画にて解説番組などを観ていても、なかなか着想は訪れず「ええい、ままよ!」とばかりに、先刻より何かしら書き始めたわけですが、そのわりには、意外と文章は進み、さらに何を書こうか、ここに来て徐々に定まってきました・・(笑)。
本日の首都圏もやはり夏日で暑かったですが、さきほど帰宅し、偶々手に取った埴輪など古代の土製副葬品の写真集(「日本の原始美術6 埴輪」)を眺めていますと、大映によって1960年代に制作された一連の「大魔神」作品が思い出されました。映画「大魔神」シリーズは、人里離れた辺鄙な場所にあり、周辺の人々から「魔人・荒神さま」として畏れ、祀られてる古代甲冑姿の埴輪様(よう)の石像が、領土の侵略などによって地域が争乱状態に至ると、突如として憤怒の表情にて動き出し、平和を乱した側の勢力を完膚なきまでに叩き壊し、その後、武神像は生命が抜け、砂のように崩れ去るといった結末が概ね共通したストーリーと云えますが、この「大魔神」は、同じ時代に制作された特撮怪獣ものと比べますと、人気や知名度がイマイチと云え、また、ゴジラのように現在に至るまでシリーズ作品が(海外なども含め)制作されることもなく、無名ではないものの、多少マイナーな作品であると云えます・・。その理由は、やはり石像という設定ではあれ「埴輪」という実際の歴史上の遺物様(よう)のものが生命を持ち動き出し、憤怒の表情で破壊の限りを尽くすというモノガタリは聊か「重い」からであるように思われます・・・
この「武神像」こと「大魔神」のモデルになったものは1936年制作のチェコスロバキア・フランス合作映画「巨人ゴーレム」とされており、この作品は現在、動画サイトにて視聴可能です。とはいえ、その物語を16世紀頃の我が国を背景として、埴輪様(よう)の石像に置き換えたことは秀逸であると云え「あるいは当時(16世紀頃)何らかの機会に出土、発見された古代の遺物に対し、当時の人々はどのような思いを抱いていたのだろうか?」と考えさせられます・・。(「扶桑略記」に記された銅鐸(宝鐸)出土の様子が思い起こされます。)
そしてまた、現今の世界規模で不安定な情勢のなか、あらためて「大魔神」が映画化されたら面白いように思われます。ストーリーとしては、近年のグローバル化を背景として、国内某所に大規模遊興施設が建設されることになり、整地を行っていると、未だ知られていない大型の古墳と共に巨大な武人像埴輪(舞台が九州か山陰であれば石像でも良いかもしれません。)が発見されるが、工事を急ぐ建設業者および、その国内外での利害関係者が、それらをないものとしようとはかるが、地元メディアあるいは同大学研究者がそれに気付き、それらの文化財としての保護を求めて追及するが、業者、利害関係者はそれに応じず、かえって口封じのために脅され、生命の危機すら感じさせる状況に追い込まれてしまう。そうした中、メディア、研究者側の家族の誰かが、早急な建設進行のため、破壊を待つ古墳および武人像埴輪像のもとに行き、あやまり、そして家族の安寧を願うと、突如として武人像は動き出し、建設業者や利害関係者のもとに出現して破壊の限りを尽くして恐怖のどん底に突き落とし、消えてゆき、その結果として、不自然なカタチで大規模遊興施設の建設は中止となる。
といったハナシの筋であり、内容的にはベタであると思われ、また大手町の将門塚にまつわるハナシとも類似するかもしれませんが、昨今の不安定な情勢の折に、そうした作品を制作するのは、あながち悪くないように思われるのですが、さて、いかがでしょうか・・。
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2020年8月26日水曜日
20200826 1370記事の到達 記事作成の継続で思ったこと
今回の記事投稿により、総投稿記事数が1370に到達します。そうしますと、年内での1400記事到達もそこまで困難とは云えなくなり、また、一つの大きな目標としている1500記事の投稿も、思いのほか早く達成が出来るのではないかと思われてきます。
他方、喜ばしいことである半面において、当ブログの閲覧者数、インプレッションが増加し、何と云いますか一種のプレッシャーのようなものを感じてしまい、記事作成を躊躇してしまうと云った状況があります・・。
こうした事情は、煎じ詰めれば「自分に対する甘え」ではあるのでしょうが、しかしまた、以前にもこうした状況は経験したことがあり、そして、それは必ずしも乗り越えられないものではないと思われることから、今回もまた、あまり焦ることなく、安定して記事が作成出来るようになるまで、特に焦ることなく、ただ、書けることを書き続けて行きたいと考えています。
また、異言しますと、おそらく、ある程度の期間、ブログ記事の作成などを行っていますと、段階的に「ガクン」と閲覧者数が増加するような事態は往々にして生じるもので、今回もまた、その一つではないかと考えていますが、この経験に基づく「考え」と、自身の「心情」と云ったものの折り合いがついていないのが現状であるといったことになります。
とはいえ、そこ(閲覧者数が増加した時期)で何も書かないでいるという状況は、実際の経験はありませんが「雪山での眠気」のように危険なことであり、そこから、そのままブログの断筆に至ってしまう方も少なからずいらっしゃるのではないかと思われます。
その意味で、選択肢としての書籍からの抜粋引用、対話形式での記事は大変に有用であり、ブログ開始当初の一年は、この二つの手法に拠ってどうにか乗り切った、やり過ごしたといっても過言ではありません・・(笑)。
そこからさらに、そうしたことを続けていきますと、安定したプラトーな状態から、また「ガクン」と閲覧者数が増えたり、あるいは減少するということが生じることがあります。そして、そうした事態において、さきに述べたような手法と、経験に基づくあまり動揺しない心で、さらに記事作成を続けて行きますと、また、閲覧者数の変動が生じるということになります・・。
こうした閲覧者数の変動も、仔細に検討してみますと面白いのかもしれませんが、自身としては、とりあえず「続けること」の方が重要であると考えますので、行ったことはありません。
ともあれ、これまで1370記事まで継続することができましたのは、読んで頂いている皆さまのおかげであり、今後も1500記事までは続けて行きたいと思いますので、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
~勉強会の御案内~
他方、喜ばしいことである半面において、当ブログの閲覧者数、インプレッションが増加し、何と云いますか一種のプレッシャーのようなものを感じてしまい、記事作成を躊躇してしまうと云った状況があります・・。
こうした事情は、煎じ詰めれば「自分に対する甘え」ではあるのでしょうが、しかしまた、以前にもこうした状況は経験したことがあり、そして、それは必ずしも乗り越えられないものではないと思われることから、今回もまた、あまり焦ることなく、安定して記事が作成出来るようになるまで、特に焦ることなく、ただ、書けることを書き続けて行きたいと考えています。
また、異言しますと、おそらく、ある程度の期間、ブログ記事の作成などを行っていますと、段階的に「ガクン」と閲覧者数が増加するような事態は往々にして生じるもので、今回もまた、その一つではないかと考えていますが、この経験に基づく「考え」と、自身の「心情」と云ったものの折り合いがついていないのが現状であるといったことになります。
とはいえ、そこ(閲覧者数が増加した時期)で何も書かないでいるという状況は、実際の経験はありませんが「雪山での眠気」のように危険なことであり、そこから、そのままブログの断筆に至ってしまう方も少なからずいらっしゃるのではないかと思われます。
その意味で、選択肢としての書籍からの抜粋引用、対話形式での記事は大変に有用であり、ブログ開始当初の一年は、この二つの手法に拠ってどうにか乗り切った、やり過ごしたといっても過言ではありません・・(笑)。
そこからさらに、そうしたことを続けていきますと、安定したプラトーな状態から、また「ガクン」と閲覧者数が増えたり、あるいは減少するということが生じることがあります。そして、そうした事態において、さきに述べたような手法と、経験に基づくあまり動揺しない心で、さらに記事作成を続けて行きますと、また、閲覧者数の変動が生じるということになります・・。
こうした閲覧者数の変動も、仔細に検討してみますと面白いのかもしれませんが、自身としては、とりあえず「続けること」の方が重要であると考えますので、行ったことはありません。
ともあれ、これまで1370記事まで継続することができましたのは、読んで頂いている皆さまのおかげであり、今後も1500記事までは続けて行きたいと思いますので、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
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どうぞよろしくお願いいたします!
2020年8月24日月曜日
20200824 夏バテ気味の中で思ったこと・・「モテ期を相殺あるいは、その序章であるのか?」
ここ最近の暑さのためか、多少夏バテ気味であり、また、書籍を読むというインプットのためにも、少し新規の記事作成投稿を控えようと考えるようになりました。とはいえ、現在の新規投稿ペースを落としたとしても、今月中に1370記事への到達は充分に可能であると思われますので、今後は、より無理をしない程度にて新規投稿を行いたいと思います。
くわえて、今年度に入ってから本格的にツイッターにて、当ブロガーの記事共有をはじめましたが、どうしたわけか、これまた最近、ツイッターからの閲覧者数が有意に増加し、直近28日でのインプレッション数は、以前にも述べましたが、自身としては、気圧されするような数値となっています・・(苦笑)。
しかしまた、それについての何らかな明確な反応といったものは極めて少ない近いことから「本当にそれだけの方々が閲覧されているのだろうか?」と疑わしく思うところであり、実際のところは未だ不明と云えます。また、不明であるからこそ「気圧されする」程度で済んでいるのかもしれませんが・・(笑)。
ハナシをいくらか具体的にしてみますと、ブロガーでの閲覧者数が昨日、480000を超え、残り20000程度にて、以前目標としていた500000に到達することになります。5年間継続しての、この数値は1年に均すと10万弱ということになり、さらに1日に均すと260程度となり、そこまで多いとは云えません・・。
他方で、ツイッターでのインプレッションは、直近28日にて、ブロガーでの閲覧者数の1年分以上となり、自身としては、やはりそれは驚くべき数値であると云えます・・。
以上のことから、今後しばらくは、現今の「夏バテ」の回復はかりつつ、当ブログを継続して行こうと思うに至り、また、既に投稿した記事をツイッターにて共有することは、これまで通り続けていこうと考えていますので、かねてより読んでくださっている皆さまにおかれましては、引続き、どうぞよろしくお願いいたします。
また、そうしたことに関連があるのか、あるいはそうでないのか分かりませんが、これまで自身は、人生に三度はあるという「モテ期」を経験したという自覚がなく、中高大を通じて、そうした「気配」すらなかったと云えます・・(苦笑)。そして、ここ最近における閲覧者数、インプレッションの傾向は、それ(モテ期がないこと)を相殺するものではなく、むしろ、その序章であるものと考えたい(願いたい)ところです・・(笑)。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
~勉強会の御案内~
くわえて、今年度に入ってから本格的にツイッターにて、当ブロガーの記事共有をはじめましたが、どうしたわけか、これまた最近、ツイッターからの閲覧者数が有意に増加し、直近28日でのインプレッション数は、以前にも述べましたが、自身としては、気圧されするような数値となっています・・(苦笑)。
しかしまた、それについての何らかな明確な反応といったものは極めて少ない近いことから「本当にそれだけの方々が閲覧されているのだろうか?」と疑わしく思うところであり、実際のところは未だ不明と云えます。また、不明であるからこそ「気圧されする」程度で済んでいるのかもしれませんが・・(笑)。
ハナシをいくらか具体的にしてみますと、ブロガーでの閲覧者数が昨日、480000を超え、残り20000程度にて、以前目標としていた500000に到達することになります。5年間継続しての、この数値は1年に均すと10万弱ということになり、さらに1日に均すと260程度となり、そこまで多いとは云えません・・。
他方で、ツイッターでのインプレッションは、直近28日にて、ブロガーでの閲覧者数の1年分以上となり、自身としては、やはりそれは驚くべき数値であると云えます・・。
以上のことから、今後しばらくは、現今の「夏バテ」の回復はかりつつ、当ブログを継続して行こうと思うに至り、また、既に投稿した記事をツイッターにて共有することは、これまで通り続けていこうと考えていますので、かねてより読んでくださっている皆さまにおかれましては、引続き、どうぞよろしくお願いいたします。
また、そうしたことに関連があるのか、あるいはそうでないのか分かりませんが、これまで自身は、人生に三度はあるという「モテ期」を経験したという自覚がなく、中高大を通じて、そうした「気配」すらなかったと云えます・・(苦笑)。そして、ここ最近における閲覧者数、インプレッションの傾向は、それ(モテ期がないこと)を相殺するものではなく、むしろ、その序章であるものと考えたい(願いたい)ところです・・(笑)。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
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2020年8月22日土曜日
20200822 読んでいた書籍から思ったこと・・これも地域の風土なのであろうか?
どうしたわけか、昨日のツイッターでのインプレッション数が、これまでで最高になりました。これには自身も多少驚き、そしていくらか気圧されましたが、その後も特に有意な変化といったものは生じていないことから、また、しばらく最前の調子にて進めて行こうと思います。ともあれ、昨日、当ブロガーであれツイッターであれ閲覧、読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また今後も、出来るだけさまざまなことを発信していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、昨日はさきに述べたことから、ここ最近では珍しく読書が捗りました。読んだ著作は新書や文庫や古典とも云える学術書などであり、それは半ば手当たり次第に読んでいたと云えます・・。とはいえ、同時にそこには、後知恵であっても、何らかの理由はあるのだと思われますが・・。ともあれ、そうした中、主に我が国の古代について扱った金関丈夫著・大林太良編による「木馬と石牛」を読んでいますと、著者の古今東西の古典、歴史、民俗などについての該博な知識量には圧倒され、また、そうしたことから、著者である金関丈夫氏は大学の考古学研究者であろうと思われるところですが、そうではなく、その専門分野は解剖学であり、氏は、いくつかの大学医学部や旧制医学専門学校にて教鞭を執ってこられた方です。
また、自身が大変興味深いと思われたことは、そのご出身が香川県であるということです。香川県あるいはかつての讃岐国は、古くは空海から、江戸期においては平賀源内に至るまで「多芸的な天才」が生まれるような何らかの「風土」といったものがあるのかもしれません・・(笑)。
さて、先日読み進めていた、さきの「木馬と石牛」内の「杵築とは何か」にて、当時の我が国での青銅製祭器出土状況と記紀の記述から、推論的に出雲の重要性を述べていましたが、それが執筆されたのは1953年(昭和28年)であり、それは、我が国考古学・古代史の画期的な発見と云える1983年(昭和58年)の神庭荒神谷遺跡、そして1996年(平成8年)の加茂岩倉遺跡の発見によって、古代の出雲が大きな力を持ち、また記紀での出雲神話の記述が、少なくとも荒唐無稽ではないことが明らかになる30年程前のことです。
そうした時代に、こうした推論を創造出来るということは、やはり「天才的」と評しても良いのではないかと思われます。また、翻って、昨今の我が国にて、それに近いと思しき研究者がいるのかと考えてみますと、自身の不勉強、情報不足故か、イマイチよく分かりません・・。
そして、そのように考えてみますと、昨今の情報技術の進化発展は、果たして良いモノであるのかも、またよく分からなくなってきます・・(苦笑)。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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さて、昨日はさきに述べたことから、ここ最近では珍しく読書が捗りました。読んだ著作は新書や文庫や古典とも云える学術書などであり、それは半ば手当たり次第に読んでいたと云えます・・。とはいえ、同時にそこには、後知恵であっても、何らかの理由はあるのだと思われますが・・。ともあれ、そうした中、主に我が国の古代について扱った金関丈夫著・大林太良編による「木馬と石牛」を読んでいますと、著者の古今東西の古典、歴史、民俗などについての該博な知識量には圧倒され、また、そうしたことから、著者である金関丈夫氏は大学の考古学研究者であろうと思われるところですが、そうではなく、その専門分野は解剖学であり、氏は、いくつかの大学医学部や旧制医学専門学校にて教鞭を執ってこられた方です。
また、自身が大変興味深いと思われたことは、そのご出身が香川県であるということです。香川県あるいはかつての讃岐国は、古くは空海から、江戸期においては平賀源内に至るまで「多芸的な天才」が生まれるような何らかの「風土」といったものがあるのかもしれません・・(笑)。
さて、先日読み進めていた、さきの「木馬と石牛」内の「杵築とは何か」にて、当時の我が国での青銅製祭器出土状況と記紀の記述から、推論的に出雲の重要性を述べていましたが、それが執筆されたのは1953年(昭和28年)であり、それは、我が国考古学・古代史の画期的な発見と云える1983年(昭和58年)の神庭荒神谷遺跡、そして1996年(平成8年)の加茂岩倉遺跡の発見によって、古代の出雲が大きな力を持ち、また記紀での出雲神話の記述が、少なくとも荒唐無稽ではないことが明らかになる30年程前のことです。
そうした時代に、こうした推論を創造出来るということは、やはり「天才的」と評しても良いのではないかと思われます。また、翻って、昨今の我が国にて、それに近いと思しき研究者がいるのかと考えてみますと、自身の不勉強、情報不足故か、イマイチよく分かりません・・。
そして、そのように考えてみますと、昨今の情報技術の進化発展は、果たして良いモノであるのかも、またよく分からなくなってきます・・(苦笑)。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
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歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
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