2017年5月18日木曜日

20170518 さまざまな関連性について思い付く時とそれを書き著す時・・

A「どうしたわけか、昨日の投稿記事は1日でかなり多くの方々に読んで頂けました・・。

時折こうしたことが生じるのですが、それらの理由とは、今もってよく分かりません・・(苦笑)。

さて、ここ最近の朝の通勤時は、必要により、ある種の文献を読むことにしているのですが、やはり朝の時間にて読んでいる方が多少はアタマに入り易いようであり、とりわけ、自身がこれまでに取り組んだことのない分野での概論的な文献の読み込みとは、この時間【朝】が最も有効ではないかと思われます・・。

それに対し、夜の時間の読書とは、これまでに読んだ書籍の再読あるいは、それに関連するものを追加的に読むのに適しているようであり、その効果とは現時点においてはよく分かりかねるところではありますが、同時にそれはほぼルーチンと云っても良いのではないかと思われます・・。

そして、そのような読書スタイルにて得た知見とは、何かの機会でボーッとしている時に突如として脳裏に想起され、次いで、それに関連すると思われる、普段は意識されない他の既存の知見と結び付き、思わぬ繋がりを発見することになるのですが、この時点で多少、意識は明瞭化されるものの、それでも「ああ、この繋がりは面白いな・・憶えておいて、いつかブログ記事のネタにしよう・・」といった感じに収束し、再度ボーッとした状態に戻るといった感じが多いです・・(笑)。

これに関しては本日帰宅時の電車内にて生じたことから比較的明瞭に記憶しており、現在このように文章として著している次第です・・。

では、そこから書いている内容の相を変え「具体的にどのような知見における関連性を見出したのか?」について書いてみようと思います。

それには先ずはじめに、昨日投稿記事の主題であった「地域性より影響を受けた会話の仕方、文体」が挙げられます。

そして、その具体的なものとして、つい先日ブログ記事にて書いた「矢屏風と古墳時代に呪術的要素の抽出により、さまざまな造形のモデルとなった靫との継続的もしくは隔世的な背景観念の類似性」が挙げられます。

さらに、それに関連するものとして挙げられるのは、大分以前に投稿した「古代の寺社における武器庫的側面の存在」に加え「鹿児島市の地名である鴨池、騎射場と近隣の神社である荒田八幡宮における放生会、喜捨そして流鏑馬を基軸とした【矛盾をも含む】結合あるいは包括」です。

これらは、さきほど電車内のボーッとした状態においては、何かしら関連し合う要素があるように強く思われましたが、現在こうしてそれを文章にて書き著しておりますと、不思議なことにさきほどは強く思った関連性が大分薄れてしまうように思えます・・(苦笑)。

おそらく、これは私の文章表現力が拙いことに由来しているものと考えます・・(苦笑)。

そして、その代替のように、不図想起されたことは、さきに書いた「ボーッとした状態における、いくつかの記事主題の関連性の明瞭とはいえない認識」と、以前ブログ記事に書いた「ユング心理学におけるコンステレーションについて」との関連性です・・。

・・こうしたことを、もう少し抽象度を変え、明晰に書き著すことが出来るようになりたいものです・・(苦笑)。

とはいえ、最後にこれら全てを包括するコトバが「持続する重低音・バッソ・オスティナート」であるのではないかと考えましたが、さて如何でしょうか・・?

今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺を襲った地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」






2017年5月17日水曜日

20170517 会話の仕方、文体と地域性について・・

A「今回の記事投稿によって総投稿記事数が625となります。
これにより600記事から700記事への路程の四分の一に到達したことになりますが、毎度のことながら、そうした実感は皆無です・・(苦笑)。

その実感を感じることが出来れば、もう少しは新たな記事作成への意欲が湧くのかもしれませんが、こうしたものは無理をしても湧く性質のものではないようです・・(苦笑)。

とはいえ、一応記事作成は継続出来ておりますので、むしろ、このままの調子にて書き続け、実際に何かしらの変化が生じた際に、それを記事として書いた方が、後になり多少は面白くなるのではないかと思われます・・(笑)。
(果たしてこの一連のブログ記事とは何時まで保存するのであろうか・・(笑)?)

さて、現在新たに応募書類などを作成しておりますが、それら書類にて用いる文体と、当ブログ記事における文体とは、やはり多少異なるようであり、そのことから、気のせいであるのかもしれませんが、ここ最近、ブログ記事を滑らかに書くことが困難であるようにも思われるのです・・(苦笑)。

しかし、であるからといって記事作成を躊躇するのも、如何なものかと思われますので、とりあえず、あまりそうしたことを意識しないで書こうと思いつつ、現在、こうして記事作成を行っている次第です・・(案外こうした思い込みは有効であるのかもしれない・・)。

また、ここで書かずにいると、今後、さらに環境が大きく変化した場合においては、尚更、文章を書くことが困難になると思われますので・・(笑)。

そういえば、鹿児島在住時においては、概ね週に一回程度、ミクシィにて、こうした文章を作成していたと、以前ブログ記事にて書きましたが、その当時に作成された文章と比べ、現在作成している一連のブログ記事の文章とは、多少は読み易く、あるいは洗練されたものとなっているのでしょうか・・?

これに関しては、残念ながら、当時作成した文章が残っておりませんので、比較が困難ではあるのですが、さらに以前の和歌山在住時に作成した研究のネタ帳に書かれている内容と比べますと、ある程度の進化は認められるようですので、さきの鹿児島在住時のものと比較しても、現在【ここ最近】の文章とは、幾分かは読めるものになっているのではないかと考える次第です・・(笑)。

ただ、それと同時に現在思うことは、鹿児島在住当時に作成された文章の方が、全体的に即物的、簡潔であり、端的には理系的な文章としての傾向が強かったということです・・。

これは在籍していた研究分野の影響であるのか、あるいは地域性によるものであるのか判然とは分かりませんが、多少そうしたことをよく知る方々に聞きますと、概して九州とは、少なくとも文章においては即物的、簡潔なもの云いを好む地域特性があるとのことであり、これに関しては自身も肯定します・・。

また、そうした地域特性と関連してか、九州全体とは、医学を含めた理系学問分野の方が圧倒的に強い地域、社会であり、それは大学での学部、学科の編成などを見ても概ね理解出来るのではないかとのことでしたが、これも自身は肯定出来ます・・。

さらに、そこから彼の地における自身の会話の仕方もまた、さきに述べた文体と同様、現在とは明らかに違ったのではないかとも思われるのです・・(笑)。

とはいえ同時に、現在でのそれもまた、彼の地での会話の仕方から多大な影響を受けたものであり、その点において、現在の自身の会話の仕方とは『典型的な首都圏特有のそれ』といったものではなく、また、そこから首都圏における対話者が密かに違和感を感じることも少なからずあり得るのではないかと考えております・・(苦笑)。

しかし、そうであるからといって、たとえ都会的ではあっても、地域における会話の仕方(のみ)に通じていれば良いというわけでもなく、そうしたもの(会話の仕方、文体)を、ある程度、複眼的に保持している方が、こうした文章の作成、あるいは、さまざまな表現を用いる抽象的な議論を試みる上においては幾分かは好都合であるのではないかと思われますが、さて、如何でしょうか・・?

とはいえ、今回もまた明確な結論といったものがない文章を書いてしまいました・・(苦笑)。

今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」







2017年5月16日火曜日

20170516 言語文化の背景にある社会文化そしてそこにある【圧力】

A「本日は久しぶりにホンモノの理系、技術方面のハナシを伺うことが出来ました・・。

そうしたハナシはやはり聞いていて大変面白く、また勉強になります。

また、同時に、そうしたハナシには【我々が日常的に接する】ウソや変に婉曲的な言い回しがなく、概して率直であり、聞いていて大変気持ちが良いものです・・。

こうした率直なモノの云い方『のみ』にて世の中を渡ることができれば、さぞかし気持ちが良いだろうとは思うところではありますが、おそらく、我が国の言語文化いや、その背景にある社会文化には、そうした言語の使用を封じ込める圧力のようなものがあるのではないかと思われます・・(苦笑)。

とはいえ、そうした要素もまた、我が国古来からの文化、伝統であり、またそれが我が国特有とされる『繊細な感性』とも密接に関与しているとも思われますので、そう簡単には、非難あるいは除去できるようなものではないのかもしれませんが・・。

しかし、そうであったとしても、そうした社会文化に存在すると思しき圧力に呑み込まれ、【知らずに】屈服し、自身の言語を失う、放棄してしまうことは、出来る限り避けた方が良いのではないかと考えます・・。

また、山本七平が、その著作内にて軍隊教育に関して、類似したことを述べていたと記憶しておりますが、著作では、日々生活にて用いる言語の統制、強制、徹底化により、徐々に話し方、考え方なども固定され、パターン化されてしまい、さらに、さきに述べたような古くからの社会文化による圧力も加わり、独特の社会、雰囲気(内務班)が形成されるといったことが述べられていましたが、ここまで書いておりますと、自然、大西巨人著の「神聖喜劇」が思い起こされてきます・・(笑)。

この著作は、これまでに何度か当ブログにて扱いましたが、現在、この記事を書いており、ある程度判然としたことは、山本七平著の旧日本軍(帝国陸軍)を扱った諸著作とは「神聖喜劇」を読む際の良い参考資料となることであり、また、その関係性とは、可逆的なものであるとも云えるということです・・。

そして、ここまで書いていて、次に思い起こされる欧米の著作とは、察しの良い方はお分かりになっていたかもしれませんがジョージ・オーウェル著「1984」です・・。

この著作においては意図的な言語の改変、集約化(言語の削減)の様子が書かれておりましたが、ここでも、その結果として、話し方、考え方などが固定、パターン化され、ある意味『理想的な』全体主義社会が成立するとのことですが、このことは現在の東アジア情勢を考える上において、未だなお解決されず、示唆するものが多分にあるのではないでしょうか・・?

加えて、我が国の社会もまた、決してそれを『嗤う』ことは出来るものではないとも考えますが・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺を襲った地震によって被害を被られた地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」


2017年5月15日月曜日

20170515 女性の男装、男性の女装から思ったこと・・

一週間ほど記事作成を休んでおりましたが、特に大きな変化は生じなかったように思えます。

ただ、少し睡眠時間が増えたことからか、心持ち身体が楽になったようにも感じました。

とはいえ、その一方、やはり2年近く記事作成を継続していますと、習慣化するようであり、記事作成をしない日々とは、多少何かが抜け落ちたようにも感じられるのです・・(苦笑)。

それ故、本来はもう少し長く休息期間を設けるつもりではありましたが、昨日より再び記事作成を始めた次第です・・(苦笑)。

さて、そういえば、先日不図思ったことですが、我が国においては社会が混乱の時期に差し掛かると女性が男装、また男性が女装するような傾向が強くなるのではないでしょうか・・?

また、同時に、我が国は、他国より物真似が巧みであるとの評価を受けることが多いようですが、あるいはその基層にあるものとは、こうした傾向ではないかとも思われます・・。

つまり、我が国において、他国の物真似をしなければならない時期とは、どちらかというと混乱している時期が多いと思われますので、それが、さきに述べた女性の男装、男性の女装が為される時期とも同調し易いのかもしれません・・。

しかし、私見となりますが、それらさまざまな真似の中で、性倒錯を基調とした文化とは、後世の日常文化、社会に影響を与えることは少なく、ただ非日常ともいえる演劇文化などの中で生きながらえ、後世に伝えられているのではないでしょうか・・?

また、こうしたことは、おそらく既に研究されてはいるのでしょうが、我が国の特徴の一側面を知る上において、なかなか面白く、興味深い視点であると考えます・・。

具体的なそれらとは、弥生時代の戦の先頭に立つ巫女、素戔嗚の八岐大蛇退治、日本武尊の熊襲征伐、とりかへばや物語、白拍子、女歌舞伎、歌舞伎、ええじゃないか、宝塚歌劇団、リボンの騎士、ベルサイユのばら、などが挙げられます。

そして、感覚的ではありますが、おそらく、我が国における、性倒錯を基調とした文化全般とは、どちらかというと、東北アジアに起源があるものではなく、東南アジアなどの南方に起源があるのではないかと思われます。

その理由を象徴的あるいは物理的に表現しますと、アジア北方地域においては、その気候風土の寒冷さが性差を溶解、混淆に至らしめることを許さなかったのではないかとなりますが、このことに関しても更なる精査が必要であり、我が国における性倒錯を基調とした文化の流行とは、あるいは地球規模での平均気温の変化などとも関連があるのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、たとえそうであっても、その流行の背後に、一体如何なる集団心理、集合的無意識が作用しているのかとは、なかなか面白いのことではないかと思われるのですが・・如何でしょうか?

今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。









20170514 青銅の使用と都市国家の成立年代の結節点【車軸受け?】

以前投稿したブログ記事において青銅の使用と都市国家の成立とは、その関連性はよく分からないものの、概ね同じ時代であると書きました。

そのことで、さきほど不図思い出したことは、それらの具体的な結節点とは、戦闘用馬車(Chariot)の発明、進化であると、どこかに書かれていたということです。

つまり、金属の精錬、冶金技術の進化発展により、戦闘用馬車の『車軸受け』に金属である青銅を用いることが可能となることにより、その活動範囲ひいては支配可能領域が拡大し、それまでの小規模であった村邑国家的なものから、より大規模な都市国家が成立し得るということですが、これには一理あるように思われます・・。

ともあれ、こうした技術の進化発展に伴う社会構造の変化とは、この他にも古代から現在に至るまで、多く見受けられますので、特段珍しいことではないと云えます・・。

しかし、ここで面白いと思われることは、青銅の道具としての使用の『方向性』の仮説です。

そして、そのことを敢えて他の方向性にて考えてみますと、はじめに青銅を用いた『武器』を広く装備する国家が成立すれば、他のそうでない周辺国家を屈服することが容易となり、そのことから、より大規模な都市国家が成立し得るとも考えられるのかもしれませんが、この仮説においては人間の活動可能範囲に対する言及がないのです・・。

たとえ、手に持つ武器がいくら優れていたとしても、それを用いるのはあくまでも生身の人間であり、そのことによって活動可能範囲がより広くなると考えることは困難です。

むしろ、武器を持つ人間の活動可能範囲がより広くなる戦闘用馬車あるいは戦闘と直接には関与しない物資、交易品などを運ぶ馬車の『車軸受け』への青銅の使用こそが、都市国家成立の年代との関係性を説明するうえにおいては、より効果的【史実を的確に表現している】であるものと考えられるのです・・。

また、こうした遺跡、遺物から推論される、当時のさまざまな社会における状況を統合し、説明する際のセンスというものが、こういったところに表れ、また、一面において歴史を学ぶ、知る面白さとは、こうしたところにも存するのではないかとも思われるのです・・(笑)。

とはいえ、さきの仮説とは、あくまでも古代ユーラシア大陸でのハナシであり、我が国においては青銅、鉄ともに、あまり時間差なく齎されたと考えられていることから、さきの『車軸受け』の仮説を応用し、社会構造の変化を説明することが困難であるとされているようです・・。

そもそも我が国古代社会においては戦闘用馬車の存在すら、かなり珍しかった(ほぼ皆無に近い)のではないかと考えられておりますので・・。

それは国土の平地が概して狭小であり、山あいの地形であるからかもしれませんが、しかしまた今度は、そうした地域において見受けられる金属使用の方向性、そして社会構造変化の特性といったものもまた、存在するのではないかと思われるのです・・。

そして、その意味においても、以前投稿のブログ記事に書いた中国南部および東南アジアにおける銅鼓と西日本各地に多く出土する銅鐸の関係性、さらにはそれら地域を包括する生活文化としての水稲耕作、そして照葉樹林文化といった文化概念が見直されるのではないかと思われるのですが・・。

今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。







2017年5月9日火曜日

20170509 620記事到達に際し、意識的な休息期間【書籍からの抜粋引用あり】

昨日の記事投稿によって総投稿記事数が620に到達しました。

つい先日600記事に到達したばかりであったと記憶しておりますので、今回の620記事到達は意外に早かったものと思われます・・。

また、記事作成についても、特段困るということもなく、現在のところ進行しておりますが、その一方で、この辺りで一度、意識的にブログ記事作成を休んでみるというのも悪くないのではないかと考えはじめました・・。

これは感覚的なハナシではありますが、おそらく、今の段階にて、しばらく休息を入れても、再度記事作成を開始するにあたり、特に問題はないと思われるのです・・。

さらに、一度意識的に休息期間を設けることによって、新たに書き始める際において、また新たな着想も(より多く)湧くのではないかとも思われるのです・・。

そして、こうしたことは実際に行ってみないと分かりませんので、過日600記事に到達した後、特に問題なく記事作成を継続出来ることを自身にて見届けた現今、行ってみるのは悪くないものと考えます・・。

また、記事作成をしばらく休息するのであれば、特に予告なしに行えば良いのではないかとも思われましたが、一応このように書いておけば、これまで読んで頂いている方々も特に不審に思うことなく、それを納得することが出来ると思われますので、本日このように記事として書いている次第です・・。

加えて、こうした伝達事項をも一記事とすることにより、一つでも記事数を増やそうとする、いわば下心もまたあるのです・・(笑)。

さて、本日の主題に関しては、先日より書いてきた古の物についてのことに加え、これまで作成してきたブログ記事に共通して関連すると思われる書籍からの抜粋引用を充てようと思います・・。

中央公論社刊 中公クラシックス ベルクソン著『哲学的直観ほか』 pp.11-13

ISBN-10: 4121600355

ISBN-13: 978-4121600356

『単なる分析によるのではなくて、内部から直観によってわれわれのすべてがとらえられる実在が少なくとも一つは存在する。それは時間のうちを流れているわれわれ自身の人格であり、持続しているわれわれの自我である。

われわれは他の何ものとも知的に、あるいはむしろ精神的に共感しえないとしても、われわれ自身の自我とはたしかに共感する。

私自身の自我(しばらくこれを活動しないものと想像して)へ内省の目を向けた場合、まず認められるものは、表面に固まった殻さながらの、物質界から入ってくるいっさいの知覚である。

それらの知覚は明晰、判明で、並置されているが、あるいは並置できるものであり、それらは集まって物objectsになろうとする傾きをもっている。

ついで認められるものは、多少ともそれらの知覚に粘着して知覚を解釈するのに役立っている記憶である。

そうした記憶はいわば私自身の底から剥離され、それらと類似した知覚のため表面へ引き寄せられたものであり、絶対的な意味で私の自我であるのではなくて、自我の表面に憩うているものである。

最後に、それらの知覚や記憶と何ほどか固く結ばれている、いろいろな傾向や運動習慣のうごめきー潜在的行動の群れが感じ取れる。

明確な輪郭をもったそれらすべての要素は、互いに離れていて区別が分明なほど、はっきり私の自我から区別されたものとして見える。

それらの要素は内部から外部へ向かって放射し、集まって一つの球体の表面を形づくり、そして次第に大きさを増していくその球体は、ついに外部の世界のうちへ没していく、しかし周辺から内部の中心へ向かって引きこもっていき、私の存在の深みのうちでもっとも均一的、もっとも定常的、もっとも恒存的に私自身の自我であるものを探すならば、私はもあったく異なった面目をそこに見出すのである。

そこには明確に切り取られた結晶とその凝固した表皮の下に、かつて私が見たどういう流動とも比較の出来ない、一つの連続した流動がある。

それは状態と状態との継起であって、各状態は続く状態の先触れとなり先だつ状態を含んでいる。

本当を言えば、それらが多数の状態を形づくっているということは、それらを通過し終わってふたたびその通過した跡を眺めようとして私が立ち戻ったときに言えることなのである。

それらの状態を経験しつつある間は、それらは互いに緊密に有機的につながっており、一貫した深い共通の生命によって生かされているために、どこである状態が終わったのか、どこである状態が始まったのかを言うことはできなかったであろう。

真実を言えば、どの状態も、始まったのでも終わったのでもなく、あらゆる状態が互いのうちへ延び入りとけ込んでいるのである。

この内的な生は、巻糸が解けるのになぞらえても良いかもしれない。

なぜなら、およそ生物であってその役割が次第に終点に達しようとしていることを感じさせないものはないからである。

かくして、生きるということは老いゆくことである。

しかしそれはまた、間断なく糸巻へ糸が巻き付けられていくことにたとえられてもよいである。

なぜならわれわれの過去は、われわれの跡をつけてきて、その途上、現在を拾い上げてはたえず大きくなっていくからである。
それゆえ、意識とは記憶を意味している。』

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。明日よりしばらくの間記事作成を意識的に休みます。

再開の後はまた、どうぞよろしくお願いします。

昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺を襲った地震によって被害を被られた地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」



2017年5月8日月曜日

20170508 先日の靫と矢屏風の関連性から思ったこと・・銅鐸と銅鼓など

A「先日端午の節句にちなんで書いた記事は、その後思いのほか多くの方々に読んで頂けました。

こうしたことは日常生活においては、なかなか考える機会はありませんが、一度文章として書き、改めてそれを読んでみますと『あるいは、こうした考え、説を述べたのは私が初めてであるかもしれない・・?』といった、いささか誇大妄想と評しても良い思いが湧いてきます・・(苦笑)。

とはいえ、こうした日常生活においてあまり意識しないことを、それまでに得た何らかの知見と符合、対応させ、ある程度まとめ、考えとして述べることは、多少は面白いことであり、また、本来の研究であれば、この先、さらに関連文献等を読み込み論証、精査しなければならないところですが、残念ながら現在の私はそうした職に就いていないため、とりあえず、この『考えとして述べる』に留めておく次第です・・(苦笑)。

さて、ここまで書いており新たに想起したことは、さきの記事にて書いた古墳時代における靫(ゆぎ)の呪術的な意味合いと、その後の時代に見られる矢屏風およびその意味合いとの関連性と多少類似するのではないかと思われる、我が国弥生時代後期~末期(紀元前2世紀~紀元2、3世紀頃)の青銅器である銅鐸と中国南部、東南アジア(主に非漢民族居住地域)にて紀元前5世紀から近年に至るまで祭器として用いられてきた青銅器の銅鼓との関連、類似性です。

さまざまな説がありますが、それらの中で一つの有力な説として、銅鐸とは通常、地中に埋納、保管され、それが祭りなどの際に掘り出され、供えられるといったものがありますが、これはまさしくさきの中国南部、東南アジアにおける銅鼓と同様の扱い方であり、地域こそ異なりますが、それら祭祀背景の思想には、何かしらの類似性があるのではないかと考えられております。

さらに、これら地域に共通する他の要素として水稲耕作文化あるいは、もう少し、その文化を広く見て中尾佐助、佐々木高明等が提唱した照葉樹林文化などが挙げられるのではないかと考えます。

つまり『地域は異なるものの、ある程度共通する生活文化にて用いられる青銅祭器とは、自然、その背景思想および扱いも類似してくるのではないか?』といったことになるのです・・。

また、こうした類似性の背後には、生活文化の共通性以上に、(当時の)人種的な意味での共通性があったのではないかという説があります。

これは、神話、年中行事などの類似性から、あるいは北方内陸からの漢民族の侵出に圧迫された在来の非漢民族が押し出され、南方へ、あるいは山東半島から海路朝鮮半島へ、さらにはその先の日本列島西部に到達し、弥生文化の主要な担い手となったということから説明されておりますが、これは我が国への水稲耕作文化伝播の経路ともほぼ重なることから、特に無理な説明ではないと考えます・・。

とはいえ、その後、古墳時代になりますと、徐徐に独自の文化を歩み始め、我が国それは東、東南アジアなどにおいて特徴的な傾向を持つに至ったということが出来るのではないかと考えます。

ともあれ、面白いと思うことは時代、地域が異なるとはいえ、類似した背景思想を持つと思しき文化が見られることであり、また、これにより単純に『歴史は繰り返す』などとは云えませんが、それ以上に面白い、奥深い何かがあるのではないかと考えさせられるのです・・(笑)。

今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」