A「どうしたわけか、昨日の投稿記事は1日でかなり多くの方々に読んで頂けました・・。
時折こうしたことが生じるのですが、それらの理由とは、今もってよく分かりません・・(苦笑)。
さて、ここ最近の朝の通勤時は、必要により、ある種の文献を読むことにしているのですが、やはり朝の時間にて読んでいる方が多少はアタマに入り易いようであり、とりわけ、自身がこれまでに取り組んだことのない分野での概論的な文献の読み込みとは、この時間【朝】が最も有効ではないかと思われます・・。
それに対し、夜の時間の読書とは、これまでに読んだ書籍の再読あるいは、それに関連するものを追加的に読むのに適しているようであり、その効果とは現時点においてはよく分かりかねるところではありますが、同時にそれはほぼルーチンと云っても良いのではないかと思われます・・。
そして、そのような読書スタイルにて得た知見とは、何かの機会でボーッとしている時に突如として脳裏に想起され、次いで、それに関連すると思われる、普段は意識されない他の既存の知見と結び付き、思わぬ繋がりを発見することになるのですが、この時点で多少、意識は明瞭化されるものの、それでも「ああ、この繋がりは面白いな・・憶えておいて、いつかブログ記事のネタにしよう・・」といった感じに収束し、再度ボーッとした状態に戻るといった感じが多いです・・(笑)。
これに関しては本日帰宅時の電車内にて生じたことから比較的明瞭に記憶しており、現在このように文章として著している次第です・・。
では、そこから書いている内容の相を変え「具体的にどのような知見における関連性を見出したのか?」について書いてみようと思います。
それには先ずはじめに、昨日投稿記事の主題であった「地域性より影響を受けた会話の仕方、文体」が挙げられます。
そして、その具体的なものとして、つい先日ブログ記事にて書いた「矢屏風と古墳時代に呪術的要素の抽出により、さまざまな造形のモデルとなった靫との継続的もしくは隔世的な背景観念の類似性」が挙げられます。
さらに、それに関連するものとして挙げられるのは、大分以前に投稿した「古代の寺社における武器庫的側面の存在」に加え「鹿児島市の地名である鴨池、騎射場と近隣の神社である荒田八幡宮における放生会、喜捨そして流鏑馬を基軸とした【矛盾をも含む】結合あるいは包括」です。
これらは、さきほど電車内のボーッとした状態においては、何かしら関連し合う要素があるように強く思われましたが、現在こうしてそれを文章にて書き著しておりますと、不思議なことにさきほどは強く思った関連性が大分薄れてしまうように思えます・・(苦笑)。
おそらく、これは私の文章表現力が拙いことに由来しているものと考えます・・(苦笑)。
そして、その代替のように、不図想起されたことは、さきに書いた「ボーッとした状態における、いくつかの記事主題の関連性の明瞭とはいえない認識」と、以前ブログ記事に書いた「ユング心理学におけるコンステレーションについて」との関連性です・・。
・・こうしたことを、もう少し抽象度を変え、明晰に書き著すことが出来るようになりたいものです・・(苦笑)。
とはいえ、最後にこれら全てを包括するコトバが「持続する重低音・バッソ・オスティナート」であるのではないかと考えましたが、さて如何でしょうか・・?
今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺を襲った地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
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