本日の首都圏は以前の肌寒さが戻ってきたように思われますが、それでも去る1月全般と比べますと徐徐に温暖になっている感じを受けます。
さて、昨日投稿した記事もまた思いのほか、多くの方々に閲覧して頂きました。
この記事を興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
このことから、時折は以前に投稿した記事の中で比較的反響の大きかったものを題材とするのもまた、悪くないことであると認識した次第です・・(笑)。
そういえば、以前読んだある著作の中で『明治維新以降の現代に至るまでの我が国とは、全体として精神を病んでいる』と表現したものがありましたが、この考えは夏目漱石が明治44年に行った講演、書籍化もされている『現代日本の開化』を媒介として自身としては納得できるものでした。
また、あるいはさきの著作も、その主題の基層には夏目漱石の講演があったのかもしれません・・。
ともあれ、我々とは日常において、そのようなことを考える暇もなければ、機会も十分にあるとはいえません・・。
しかしながら、やはりこのこと(夏目漱石の『現代日本の開化』を読んでみてください)とは、少なくとも近代以降の我々の社会を考える上において、最も重要な事柄(の一つ)ではないかと思われるのです・・。
我々は夏目漱石およびその著作を紙幣の図柄にもなる国民的作家そして国民的著作として称揚していながらも、日常的な話題において、それら著作の主題となっている『我々の持つさまざまな性質』および同様に『社会、文化についての言及』が取り上げられることはほぼ皆無といっても良いのではないでしょうか・・?
とはいえ、現今の我が国における近代初期の文学とは、そのような位置付けであり、また、それが一般的であるため、現今の首都圏(のマスメディア)を中心とする文化が発信する皮相的、他律的とも云える衒学性の方が余程上滑りであり、結果的に神経衰弱を招きかねないのではないかと思われます・・。
そして、ここまで書いており、また不図思ったことは『いや、近代以降の我が国とは、現代に至るまで、このような皮相的、他律的な言説を自家嚢中のものの如く、さも権威であるかの如く、ただ大声で喚き散らし、あるいは(ただ)耳聞こえの良い調子にて説いてきた勢力により牽引され続けてきたのではないか・・?』ということです・・。
そして、こうした状況をどうにか変革するためにはどうした良いかと考えてみますと、一つは教育による漸進的なものであり、次に我々が『内発的な動機』により、さまざまな著作を読み、それらの主題を考えて、議論をする風土を創り出すことではないかと思われるのですが、実はこうしたことは明治初期から云われてきたことでもあるのです・・。
そしてその象徴が港区三田の高台にある和洋折衷(なまこ壁)の特徴的な建造物です・・。
無論、自身も含めてそうですが、我々とは、その時代から多少なりとも進化しているのでしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年に熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。
2017年2月27日月曜日
2017年2月26日日曜日
20170226 本質とは何でしょうか・・?【書籍からの抜粋引用あり】
今月二月ももうじき終わり、三月となりますが、ここで今月に多く閲覧されたブログ記事を取り上げてみようと思います。
これまでは、あまりそうした試みを行うことはありませんでしたので、いわば初めての試みということになります・・(笑)。
さて、今月作成した記事の中で最も読まれていた記事は2月4日に作成投稿された「どの程度の深さからの反応であるのか・・?」でした。
この記事に関しては、その主題が我が国社会が持つある種の傾向、特性を指摘したものであり、また、その内容全般に関しては特に加筆修正の必要性はないと考えます。
とはいえ、それと同時に思うことは、この記事に書かれた内容とは、あくまでも、我が国の首都圏、東京文化に対するものであり、あるいは国内他地域、地方においては、その内容とは、必ずしも適用することが出来るものではないのかもしれないということです・・。
また、本日が2月26日であることから考えることではありますが、現代において1936年・昭和11年のこの日に起きた2・26事件のことを何やら現今流行の経営戦略的な視点で論ずるのは、それがあくまでも国内の事件であり、対外的な戦争・戦闘でないだけにより一層何ともいえない苛立たしさをおぼえるのです・・(苦笑)。
また、三島由紀夫等が1970年・昭和45年に自衛隊市ヶ谷駐屯地にて盾の会事件を決行した主要な原因の一つとして、事件当時から既に社会に存在、顕在していた、そうした浅薄とも評し得る傾向に対する抗議の意味があったのではないかと思われます・・。
あるいはさらに時代を遡り、明治維新から神風連の乱、西南戦争に至るまでの西郷隆盛をはじめ同様の過程を経た、かつての志士達にもまた、それと類似する心のメカニズムが働いていたのではないかとも推察することが出来ます。
そして、ここまで書いておりますと、つい先日読みました司馬遼太郎の対談集「日本人の顔」での
江崎玲於奈との対談を想起しました。
以下にその部分を抜粋引用し、示します。
司馬「日本人のいい面といえば、原理性から離れたところで物事を運営するのがうまいということでしょうか。
たとえば、日本航空は優秀ですな。
パリあたりの空港で途方にくれている場合、日本航空だとわれわれ乗客を低能として扱ってくれて(笑)-ずーっと至れり尽くせり誘導してくれるでしょう。スチュワーデスの制服にしても、いかにもキビキビ、マネジメントしているだろうという感じでしょう。
何だか昔の帝国海軍を見ている感じで、変な感じがするほどですね。(笑)」
江崎「日本航空は、一つの国策会社ですからね。(笑)」
司馬「運営という点で磨きあげられている感じがあって。
だけど独創的なところはないんじゃないですか。
椅子など機内の備品類でもよく磨いてありますね。
幕末に西洋から航海術を受け入れたころから、日本人は船内を清潔にせよという技術的習慣を学んだ。
だから飛行機でも、スチュワーデスは自分の担当の備品をきれいにする。
ところが非常に衛生を重んじるドイツの旅客機に乗ると、衛生はきちっとしてしているけれども、椅子など金属のところに傷がついていたり、その傷に黒っぽいアカがたまっているような感じだったり、何か汚らしい感じがしますが、日本のエアラインなら、ちょっとでも汚れるとすぐ新品ととりかえてしまう感じがありますね。
ドイツ人には、見かけは汚くても、衛生的であればいいんだという思想がありますでしょう。つまり衛生という原理さえしっかりしてればいい。」
(中略)
司馬「私が「坂の上の雲」という作品を書いていたとき、古い海軍さんに教えを請うたんです。
その海軍さんの話だと、ソ連の巡洋艦が寄港したとき、みんなで乗せてもらった。
ソ連の海軍はどんなレベルかと思って、ある人は船室の隅をほこりがついてないか指でなぜてみたというんです。
私は海軍のことは知りませんが、海軍さんはそうやって水兵をいじめていたそうですね。
これはイギリス海軍の伝統だそうで。
イギリス海軍は、船内を隅から隅まできれいにすることによって、自然に普遍的な海軍倫理をつくり上げていった。と
ころがイギリス海軍をお手本にした日本海軍は、清掃自体が至上命令のものになってしまった。
本来はそんなことはどうでもいいことですよ。
ソ連人が乗れば、汚く乗っていたっていいんで、その巡洋艦の機能さえよければいいんですが、日本人は非常に技術の末梢的なことを重要視することで精神性を見ようとしますね。」
江崎「研究所にしても、きれいとか汚いとかの観念が西洋人と日本人とではだいぶ違うんじゃないですかね。
アメリカのわれわれの研究室は、壁なんか必要以上に塗りかえるわけです。
日本では塗りかえなんかはしないでぞうきんで一生懸命にふく。清掃すること自体に重きをおく。実際にきれいになるかどうかよりもね。
司馬「本質にいたらず、末梢にかかずらわってしまう。」
さて、上掲の抜粋引用部はその前に書いた記事主題の本質と多少は関わっていたでしょうか(笑)?
今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。
これまでは、あまりそうした試みを行うことはありませんでしたので、いわば初めての試みということになります・・(笑)。
さて、今月作成した記事の中で最も読まれていた記事は2月4日に作成投稿された「どの程度の深さからの反応であるのか・・?」でした。
この記事に関しては、その主題が我が国社会が持つある種の傾向、特性を指摘したものであり、また、その内容全般に関しては特に加筆修正の必要性はないと考えます。
とはいえ、それと同時に思うことは、この記事に書かれた内容とは、あくまでも、我が国の首都圏、東京文化に対するものであり、あるいは国内他地域、地方においては、その内容とは、必ずしも適用することが出来るものではないのかもしれないということです・・。
また、本日が2月26日であることから考えることではありますが、現代において1936年・昭和11年のこの日に起きた2・26事件のことを何やら現今流行の経営戦略的な視点で論ずるのは、それがあくまでも国内の事件であり、対外的な戦争・戦闘でないだけにより一層何ともいえない苛立たしさをおぼえるのです・・(苦笑)。
また、三島由紀夫等が1970年・昭和45年に自衛隊市ヶ谷駐屯地にて盾の会事件を決行した主要な原因の一つとして、事件当時から既に社会に存在、顕在していた、そうした浅薄とも評し得る傾向に対する抗議の意味があったのではないかと思われます・・。
あるいはさらに時代を遡り、明治維新から神風連の乱、西南戦争に至るまでの西郷隆盛をはじめ同様の過程を経た、かつての志士達にもまた、それと類似する心のメカニズムが働いていたのではないかとも推察することが出来ます。
そして、ここまで書いておりますと、つい先日読みました司馬遼太郎の対談集「日本人の顔」での
江崎玲於奈との対談を想起しました。
以下にその部分を抜粋引用し、示します。
司馬「日本人のいい面といえば、原理性から離れたところで物事を運営するのがうまいということでしょうか。
たとえば、日本航空は優秀ですな。
パリあたりの空港で途方にくれている場合、日本航空だとわれわれ乗客を低能として扱ってくれて(笑)-ずーっと至れり尽くせり誘導してくれるでしょう。スチュワーデスの制服にしても、いかにもキビキビ、マネジメントしているだろうという感じでしょう。
何だか昔の帝国海軍を見ている感じで、変な感じがするほどですね。(笑)」
江崎「日本航空は、一つの国策会社ですからね。(笑)」
司馬「運営という点で磨きあげられている感じがあって。
だけど独創的なところはないんじゃないですか。
椅子など機内の備品類でもよく磨いてありますね。
幕末に西洋から航海術を受け入れたころから、日本人は船内を清潔にせよという技術的習慣を学んだ。
だから飛行機でも、スチュワーデスは自分の担当の備品をきれいにする。
ところが非常に衛生を重んじるドイツの旅客機に乗ると、衛生はきちっとしてしているけれども、椅子など金属のところに傷がついていたり、その傷に黒っぽいアカがたまっているような感じだったり、何か汚らしい感じがしますが、日本のエアラインなら、ちょっとでも汚れるとすぐ新品ととりかえてしまう感じがありますね。
ドイツ人には、見かけは汚くても、衛生的であればいいんだという思想がありますでしょう。つまり衛生という原理さえしっかりしてればいい。」
(中略)
司馬「私が「坂の上の雲」という作品を書いていたとき、古い海軍さんに教えを請うたんです。
その海軍さんの話だと、ソ連の巡洋艦が寄港したとき、みんなで乗せてもらった。
ソ連の海軍はどんなレベルかと思って、ある人は船室の隅をほこりがついてないか指でなぜてみたというんです。
私は海軍のことは知りませんが、海軍さんはそうやって水兵をいじめていたそうですね。
これはイギリス海軍の伝統だそうで。
イギリス海軍は、船内を隅から隅まできれいにすることによって、自然に普遍的な海軍倫理をつくり上げていった。と
ころがイギリス海軍をお手本にした日本海軍は、清掃自体が至上命令のものになってしまった。
本来はそんなことはどうでもいいことですよ。
ソ連人が乗れば、汚く乗っていたっていいんで、その巡洋艦の機能さえよければいいんですが、日本人は非常に技術の末梢的なことを重要視することで精神性を見ようとしますね。」
江崎「研究所にしても、きれいとか汚いとかの観念が西洋人と日本人とではだいぶ違うんじゃないですかね。
アメリカのわれわれの研究室は、壁なんか必要以上に塗りかえるわけです。
日本では塗りかえなんかはしないでぞうきんで一生懸命にふく。清掃すること自体に重きをおく。実際にきれいになるかどうかよりもね。
司馬「本質にいたらず、末梢にかかずらわってしまう。」
さて、上掲の抜粋引用部はその前に書いた記事主題の本質と多少は関わっていたでしょうか(笑)?
今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。
20170225 『計画性』『創造性』『散文』『手作業』『季節毎の仕事』について・・551記事
つい先日に総投稿記事数が550に到達することができましたので、本日も含め以降数日間、記事作成を休もうと思いましたが、以前に作成した記事を眺めておりますと、どうしたわけかまた何か書かなくては・・と思うに至り、現在このように記事作成を行っている次第です・・(苦笑)。
とはいえ、本日もまた特に記事の題材は決まっているわけではなく、漫然と『何か』が頭に思い浮かぶまで、その都度脳裏に浮かんだことを記していこうと思います・・(笑)。
「果たしてこのような感じで良いのであろうか? 文章を書くのであれば、もう少し構想を練って、ある程度のハナシの構成が出来上がってから書くべきではないか・・?」
とも思うところではありますが、しかし実際の多くの文章とは、そのような計画的なものではなく、いや、少なくとも、散文などの場合は『書いてみないと分からない・・』といった感じではないかと思われるのです・・。
そして、こうした態度を『計画性がない』として非難する傾向のある社会とは、おそらく少なからず『創造性』を犠牲にしているのではないかと思います。
一方『計画性』がないこともまた、それは問題であり、それにより社会全体が危ない方向に行ってしまうことも、さきと同程度にあるのではないかとも思われます・・。
しかし、こうしたブログなどにおいては、計画性云々よりも、とりあえず現段階においては、わずかでも創造的行為(書くこと)を継続することが重視されるべきであると考えますので、本日のような適当な着想が得られない場合であれば、このような文体で書くこともまた、それなりに有意義であるものと考えます・・(笑)。
そして、実際にそのように書くことにより、さきの『創造性と計画性』についての着想を得ることができました。
さらにここまで書いており、不図思ったことは、本日ある偶然により大変久しぶりに印象材、硬石膏の練和およびそれを採得された印象に注ぐといった作業を行うことになりました・・。
久しぶりであったわりには、特に問題なく一連の作業を行うことが出来たことは、自身としても安心するところであり、また同時にこれまでにそれなりの数を行ってきた作業、手技とは、そうすぐには身体が忘れるものではないことを実感しました・・。
加えて、それを行った場所が技工室等でなく、一般のご家庭の流し付近であったにも関わらず、その作業を滞りなくできたことに対し、わずかながら満足した次第です・・(笑)。
そして、ここまで書いて、さらに思い出されたことは、つい先日頂いた師匠(歯科理工学)からのお手紙の中に『やはり手を用いて作業をしていることは楽しい』と綴られていたことです。
そこから、今後しばらくしたら、再度そうした公募職種への応募を再度開始した方が良いのではないか?と思うところですが、さて、そうした職種とは上手いこと見つかるものでしょうか・・(笑)?
ともあれ、自身の希望する職種内容を考えてみますと、それは学部、学科は問いませんが、『季節毎』に
1):さまざまな試料作製・分析といった研究支援
2):導入部・教養課程での実習指導
3):求職活動の支援
などを担当する職種であればベストですが、これはいささか欲張りすぎであるかもしれません・・(笑)。
本日もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
とはいえ、本日もまた特に記事の題材は決まっているわけではなく、漫然と『何か』が頭に思い浮かぶまで、その都度脳裏に浮かんだことを記していこうと思います・・(笑)。
「果たしてこのような感じで良いのであろうか? 文章を書くのであれば、もう少し構想を練って、ある程度のハナシの構成が出来上がってから書くべきではないか・・?」
とも思うところではありますが、しかし実際の多くの文章とは、そのような計画的なものではなく、いや、少なくとも、散文などの場合は『書いてみないと分からない・・』といった感じではないかと思われるのです・・。
そして、こうした態度を『計画性がない』として非難する傾向のある社会とは、おそらく少なからず『創造性』を犠牲にしているのではないかと思います。
一方『計画性』がないこともまた、それは問題であり、それにより社会全体が危ない方向に行ってしまうことも、さきと同程度にあるのではないかとも思われます・・。
しかし、こうしたブログなどにおいては、計画性云々よりも、とりあえず現段階においては、わずかでも創造的行為(書くこと)を継続することが重視されるべきであると考えますので、本日のような適当な着想が得られない場合であれば、このような文体で書くこともまた、それなりに有意義であるものと考えます・・(笑)。
そして、実際にそのように書くことにより、さきの『創造性と計画性』についての着想を得ることができました。
さらにここまで書いており、不図思ったことは、本日ある偶然により大変久しぶりに印象材、硬石膏の練和およびそれを採得された印象に注ぐといった作業を行うことになりました・・。
久しぶりであったわりには、特に問題なく一連の作業を行うことが出来たことは、自身としても安心するところであり、また同時にこれまでにそれなりの数を行ってきた作業、手技とは、そうすぐには身体が忘れるものではないことを実感しました・・。
加えて、それを行った場所が技工室等でなく、一般のご家庭の流し付近であったにも関わらず、その作業を滞りなくできたことに対し、わずかながら満足した次第です・・(笑)。
そして、ここまで書いて、さらに思い出されたことは、つい先日頂いた師匠(歯科理工学)からのお手紙の中に『やはり手を用いて作業をしていることは楽しい』と綴られていたことです。
そこから、今後しばらくしたら、再度そうした公募職種への応募を再度開始した方が良いのではないか?と思うところですが、さて、そうした職種とは上手いこと見つかるものでしょうか・・(笑)?
ともあれ、自身の希望する職種内容を考えてみますと、それは学部、学科は問いませんが、『季節毎』に
1):さまざまな試料作製・分析といった研究支援
2):導入部・教養課程での実習指導
3):求職活動の支援
などを担当する職種であればベストですが、これはいささか欲張りすぎであるかもしれません・・(笑)。
本日もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
2017年2月23日木曜日
20170223 550記事到達に際し思ったこと、思い出したこと・・
A「本日の首都圏は日中気温も上昇し大変過ごし易かったです。
おそらく本日に関しては日中、暖房も必要ではなかったのではないでしょうか・・?
さて、今回の記事投稿によって総投稿記事数が550に至ります。
これにより600記事到達まで残り50記事ということになり、同時に500記事から600記事への丁度半分の地点に至ったことにもなります・・。
そして、この調子にて記事作成を継続してゆけば、おそらく4月中に600記事に到達することが出来るのではないかとも思えます。
今後も適宜休みを入れつつ、あまり無理をしないで、とりあえずの目標である600記事までの到達を目指そうと考えております。
そして、そこから先については、今現在考える必要はないと考えます・・(笑)。
それよりも残り50記事の題材とは、どうにかなるのでしょうか・・?
とはいえ、これまでも主題の重複はありながらも、ここまで継続して記事作成が出来ておりますので、残り50記事もどうにか作成することが出来るものと勝手に考えることにします・・(笑)。
また、記事題材に困った場合、書籍からの抜粋引用に加え、これまでによく読まれたブログ記事の紹介およびその解説などを行うことにより新たな記事作成が出来るかもしれません(苦笑)。
また、これに関してはこれまでに行ったことがありませんでしたので面白いかもしれません・・。
そして、ここまで書いていて不図思い出したことは、鹿児島在住時代の2011年、何故か分かりませんが、突然文系学問の書籍が読めなくなり、また同時に文系学問の当然知っているはずのことまで頭に浮かばず、それを上手く発することが出来ない状態になったことです・・。
しかし、その他に身体に悪いところがありませんでした。未だにその原因は不明です。
ともあれ、この時はさすがに焦燥に駆られ、色々と試した結果、どうにかその窮地?から脱することが出来たように思います・・。
あるいは、このことは現在継続しているブログを始めた理由とも多少類似、関連した何かがあるのかもしれません・・(苦笑)。
とはいえ、ハナシを戻し、さきほどの2011年の際は、その年の暮れ、あるいは翌2012年初頭より徐徐に回復し、元気になっていきました。
ここに如何なる要因が関与しているのかは未だ分かりません。
ただ、ここで思うことは『どのような状況、状態であれブログ記事作成のようなものであっても、何かしら創造的な行為を意識して継続することにより、時折到来するそうした精神の危機といったものを回避あるいはそこからの被害を最小限に抑えることが出来るのではないか?』ということです。
これはこれまでブログ記事をある程度継続し作成した中で思ったことですが、さて如何お考えでしょうか・・?
ともあれ、おかげさまで550記事まで到達することができました。
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部および福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
おそらく本日に関しては日中、暖房も必要ではなかったのではないでしょうか・・?
さて、今回の記事投稿によって総投稿記事数が550に至ります。
これにより600記事到達まで残り50記事ということになり、同時に500記事から600記事への丁度半分の地点に至ったことにもなります・・。
そして、この調子にて記事作成を継続してゆけば、おそらく4月中に600記事に到達することが出来るのではないかとも思えます。
今後も適宜休みを入れつつ、あまり無理をしないで、とりあえずの目標である600記事までの到達を目指そうと考えております。
そして、そこから先については、今現在考える必要はないと考えます・・(笑)。
それよりも残り50記事の題材とは、どうにかなるのでしょうか・・?
とはいえ、これまでも主題の重複はありながらも、ここまで継続して記事作成が出来ておりますので、残り50記事もどうにか作成することが出来るものと勝手に考えることにします・・(笑)。
また、記事題材に困った場合、書籍からの抜粋引用に加え、これまでによく読まれたブログ記事の紹介およびその解説などを行うことにより新たな記事作成が出来るかもしれません(苦笑)。
また、これに関してはこれまでに行ったことがありませんでしたので面白いかもしれません・・。
そして、ここまで書いていて不図思い出したことは、鹿児島在住時代の2011年、何故か分かりませんが、突然文系学問の書籍が読めなくなり、また同時に文系学問の当然知っているはずのことまで頭に浮かばず、それを上手く発することが出来ない状態になったことです・・。
しかし、その他に身体に悪いところがありませんでした。未だにその原因は不明です。
ともあれ、この時はさすがに焦燥に駆られ、色々と試した結果、どうにかその窮地?から脱することが出来たように思います・・。
あるいは、このことは現在継続しているブログを始めた理由とも多少類似、関連した何かがあるのかもしれません・・(苦笑)。
とはいえ、ハナシを戻し、さきほどの2011年の際は、その年の暮れ、あるいは翌2012年初頭より徐徐に回復し、元気になっていきました。
ここに如何なる要因が関与しているのかは未だ分かりません。
ただ、ここで思うことは『どのような状況、状態であれブログ記事作成のようなものであっても、何かしら創造的な行為を意識して継続することにより、時折到来するそうした精神の危機といったものを回避あるいはそこからの被害を最小限に抑えることが出来るのではないか?』ということです。
これはこれまでブログ記事をある程度継続し作成した中で思ったことですが、さて如何お考えでしょうか・・?
ともあれ、おかげさまで550記事まで到達することができました。
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部および福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年2月22日水曜日
20170222 自然の雰囲気と地域性
A「本日の首都圏は昨日同様あまり気温が上がりませんでしたが、風は昨日ほど強くなかったため、いくぶんかは過ごし易かったのではないかと思われます・・。
もうまもなく春の足音が聞こえてくるのではないでしょうか・・?
そういえば、これまで在住した地域とは、それぞれ春の訪れと共に大気全体が当地の自然の香りを帯び、一種何ともいえない雰囲気となっていたことが思い出されます。
とりわけ南紀の田辺、みなべあたりの国道42号線から少しだけ内陸に入った山あいの地域では、今頃が丁度梅の開花であり、その香りが満ちているのではないかと思います・・。
そして、そうした雰囲気の中を自動車などで通る時は自然、陶然とした気分になるものです・・。
私は南紀に在住する以前には、こうした『自然の雰囲気に酔う』といったことはありませんでしたので、その感覚、体験とは大変鮮烈であり、未だ現在、身体レベルにてそれを記憶していると思います・・。
そして、おそらく前述の如く季節・地域毎の自然より招来される大気、雰囲気とは、そこに住む人々の持つ性質、すなわち『地域性』に少なからぬ影響をもたらしているのではないかと考えるのです・・。
そして、さらにハナシを進めれば、古今の間に、その地域の自然(住人をも含む)に大きな変動、断層等が認められない場合においては、極端に云えば、その地域から出土する、伝承される古来よりの事物等と、現代のその地域における事物等に共通、あるいはそれらを『貫く何か』があるのではないかと思われるのです・・。
また、民俗学とは極言するならば、こうした地域、国において『貫く何か』を解明する学問であり、そしてその目的とは、柳田國男曰く『予言力の涵養』ではないでしょうか?
しかしながら、この『予言力の涵養』とは、おそらく実利、実用的な目的による視座からは得ることが難しいのではないかと思われます・・。
しかしまたその一方、『予言力の涵養』とは過去・現在・未来に通じる『運命の把握』とも概念的に極めて近似すると考えられることから、それを恐れるといった場合も少なからずあるのかもしれません・・。
そして、そのように考えてみると三島由紀夫が民俗学を次第に薄気味悪く思うに至った原因とは、あるいは、こういったところにあるとも考えられます・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、また、その後の復興を祈念しております。」
もうまもなく春の足音が聞こえてくるのではないでしょうか・・?
そういえば、これまで在住した地域とは、それぞれ春の訪れと共に大気全体が当地の自然の香りを帯び、一種何ともいえない雰囲気となっていたことが思い出されます。
とりわけ南紀の田辺、みなべあたりの国道42号線から少しだけ内陸に入った山あいの地域では、今頃が丁度梅の開花であり、その香りが満ちているのではないかと思います・・。
そして、そうした雰囲気の中を自動車などで通る時は自然、陶然とした気分になるものです・・。
私は南紀に在住する以前には、こうした『自然の雰囲気に酔う』といったことはありませんでしたので、その感覚、体験とは大変鮮烈であり、未だ現在、身体レベルにてそれを記憶していると思います・・。
そして、おそらく前述の如く季節・地域毎の自然より招来される大気、雰囲気とは、そこに住む人々の持つ性質、すなわち『地域性』に少なからぬ影響をもたらしているのではないかと考えるのです・・。
そして、さらにハナシを進めれば、古今の間に、その地域の自然(住人をも含む)に大きな変動、断層等が認められない場合においては、極端に云えば、その地域から出土する、伝承される古来よりの事物等と、現代のその地域における事物等に共通、あるいはそれらを『貫く何か』があるのではないかと思われるのです・・。
また、民俗学とは極言するならば、こうした地域、国において『貫く何か』を解明する学問であり、そしてその目的とは、柳田國男曰く『予言力の涵養』ではないでしょうか?
しかしながら、この『予言力の涵養』とは、おそらく実利、実用的な目的による視座からは得ることが難しいのではないかと思われます・・。
しかしまたその一方、『予言力の涵養』とは過去・現在・未来に通じる『運命の把握』とも概念的に極めて近似すると考えられることから、それを恐れるといった場合も少なからずあるのかもしれません・・。
そして、そのように考えてみると三島由紀夫が民俗学を次第に薄気味悪く思うに至った原因とは、あるいは、こういったところにあるとも考えられます・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、また、その後の復興を祈念しております。」
2017年2月21日火曜日
20170221 ブログ記事における新知見およびその指摘・・誰が判断するのか?
A「本日の首都圏は大変風が強く、そのためか体感気温もまた寒く感じられました・・。
さて、昨日投稿の記事に対してもまた、投稿直後に面白い反応が認められましたので、早速これを取り入れさせて頂きました・・(笑)。
ともあれ、大分前といっても良い時期に投稿した記事の内容を憶えていて、それを以て最前の投稿記事に対し即座に反応出来るという能力、才能とは、自身もここ最近は心掛けてはいることですが、なかなか難しいものです(苦笑)。
しかしまた、繰り返し昨日投稿の記事に関してですが、これは主に書籍からの抜粋引用でしたが、その割には、投稿翌日にしてはそこそこ多くの閲覧者数を得ることが出来ました・・。
どうです、この記事に述べられている指摘とは、多少は面白いものではなかったでしょうか・・(笑)。
そして、この記事に述べられている指摘の内容とは、これまでに紙面・文面にて読んだ記憶がありませんので、あるいは『初めて』であるのかもしれません・・(笑)。
如何なるものであれ、自身が関与した、こうした新知見(である可能性があるもの)とは、それなりに精神を高ぶらせる性質を持っているようであり、またそれが、偶然によって発見されるというところが大変面白いのです・・(笑)。
とはいえ、その偶然に至るためには地道に何かを継続していなければならないようです・・(苦笑)。
こうしたことを『人事を尽くして天命を待つ』というのでしょうか・・(笑)。
また、そのように考えてみますと、それはさまざまな実験などにおいても同様のことが云えるのではないかとも思われますが、さて如何でしょうか?
そしてさらに、ここまで書いており『自身が継続しているこのブログに対する寓言、アレゴリーでもあるのではないか?』と不図思い付いた次第であるのですが、もしそうであるとすればこのさき一体どのような天命が待っているというのでしょうか・・(笑)?
とはいえ、そういったことを考えはじめますと、肝心なブログ記事作成の着想が湧かなくなる傾向があると考えますので、今後気温も徐徐に上がり、ブログ記事の着想もまた、それに付随し多少は精度が上がり、面白くなることを信じ、まあ書き続けるより仕方がないのではと思います・・(笑)。
また、ここまで書いてきて再びハナシを戻して考えてみることは
『これまでに作成したブログ記事全ての中に、文章化された新しい指摘・知見【学術的にも】といったものは実際にあるのだろうか?』ということです・・。
もし、それら記事の中にそうした知見が一つでも認められる、あるいはそのタネとなりそうな指摘が一つでもあれば、ここまで継続してきた甲斐があるというものですが、しかし一体誰がそれを判断するのでしょうか・・(笑)。
ゲーテ曰く『博学はまだ判断ではない。』とは、あるいはそうした意味であるのかもしれません・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
さて、昨日投稿の記事に対してもまた、投稿直後に面白い反応が認められましたので、早速これを取り入れさせて頂きました・・(笑)。
ともあれ、大分前といっても良い時期に投稿した記事の内容を憶えていて、それを以て最前の投稿記事に対し即座に反応出来るという能力、才能とは、自身もここ最近は心掛けてはいることですが、なかなか難しいものです(苦笑)。
しかしまた、繰り返し昨日投稿の記事に関してですが、これは主に書籍からの抜粋引用でしたが、その割には、投稿翌日にしてはそこそこ多くの閲覧者数を得ることが出来ました・・。
どうです、この記事に述べられている指摘とは、多少は面白いものではなかったでしょうか・・(笑)。
そして、この記事に述べられている指摘の内容とは、これまでに紙面・文面にて読んだ記憶がありませんので、あるいは『初めて』であるのかもしれません・・(笑)。
如何なるものであれ、自身が関与した、こうした新知見(である可能性があるもの)とは、それなりに精神を高ぶらせる性質を持っているようであり、またそれが、偶然によって発見されるというところが大変面白いのです・・(笑)。
とはいえ、その偶然に至るためには地道に何かを継続していなければならないようです・・(苦笑)。
こうしたことを『人事を尽くして天命を待つ』というのでしょうか・・(笑)。
また、そのように考えてみますと、それはさまざまな実験などにおいても同様のことが云えるのではないかとも思われますが、さて如何でしょうか?
そしてさらに、ここまで書いており『自身が継続しているこのブログに対する寓言、アレゴリーでもあるのではないか?』と不図思い付いた次第であるのですが、もしそうであるとすればこのさき一体どのような天命が待っているというのでしょうか・・(笑)?
とはいえ、そういったことを考えはじめますと、肝心なブログ記事作成の着想が湧かなくなる傾向があると考えますので、今後気温も徐徐に上がり、ブログ記事の着想もまた、それに付随し多少は精度が上がり、面白くなることを信じ、まあ書き続けるより仕方がないのではと思います・・(笑)。
また、ここまで書いてきて再びハナシを戻して考えてみることは
『これまでに作成したブログ記事全ての中に、文章化された新しい指摘・知見【学術的にも】といったものは実際にあるのだろうか?』ということです・・。
もし、それら記事の中にそうした知見が一つでも認められる、あるいはそのタネとなりそうな指摘が一つでもあれば、ここまで継続してきた甲斐があるというものですが、しかし一体誰がそれを判断するのでしょうか・・(笑)。
ゲーテ曰く『博学はまだ判断ではない。』とは、あるいはそうした意味であるのかもしれません・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年2月20日月曜日
20170220 主に二著作からの抜粋引用「海底二万里」および「発掘から推理する」
本日の首都圏は特に風が強く、町中にて設置してある看板が風により転倒している光景が数例見受けられました・・。
とはいえ、こうした風の強い日が少し続き、そして徐徐に春めいてくるのではないかとも思われますので、寒い時期ももうしばらくで過ぎて行くのではないでしょうか・・?
さて、当ブログについてですが、昨日投稿記事も本日の日中も含め、思いのほか読んで頂いており、作成者としてはとても嬉しく思うところです・・(笑)。
興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
それら記事の中でわずかでも共感出来たり、考えさせられる要素が認められるのでしたら、こちらも作成した甲斐があるというものです・・(笑)。
とはいえ、本日作成のブログ記事に関しては、主に書籍(二点)からの抜粋になることを予めお伝えします。
まず、唐突ではありますが、古事記の日向を舞台とするハナシにおいて登場する豊玉毘売とは、大きなワニの化身であったと描かれております。
また、同様に、出雲神話での大国主の関連するハナシに因幡の白兎がありますが、ここにもワニが登場します。
しかしながら、いかにハナシの舞台が古代であり棲んでいる生物も現代と若干異なるとはいえ、我が国に在来生物としてワニが棲んでいたということは眉唾ものです・・。
それ故、これらの神話に登場するワニとは実はサメ、ウミヘビなどを含めた『海神を象徴するもの』というのが、どうやらそれら神話の解釈における通説のようです・・。
また、これらの神話と類似するハナシとは中国南部、東南アジアに分布しているため、おそらく何れかの経路により、それらハナシのスジが古代の我が国にもたらされたものと考えられております・・。
とはいえ、こうした風の強い日が少し続き、そして徐徐に春めいてくるのではないかとも思われますので、寒い時期ももうしばらくで過ぎて行くのではないでしょうか・・?
さて、当ブログについてですが、昨日投稿記事も本日の日中も含め、思いのほか読んで頂いており、作成者としてはとても嬉しく思うところです・・(笑)。
興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
それら記事の中でわずかでも共感出来たり、考えさせられる要素が認められるのでしたら、こちらも作成した甲斐があるというものです・・(笑)。
とはいえ、本日作成のブログ記事に関しては、主に書籍(二点)からの抜粋になることを予めお伝えします。
まず、唐突ではありますが、古事記の日向を舞台とするハナシにおいて登場する豊玉毘売とは、大きなワニの化身であったと描かれております。
また、同様に、出雲神話での大国主の関連するハナシに因幡の白兎がありますが、ここにもワニが登場します。
しかしながら、いかにハナシの舞台が古代であり棲んでいる生物も現代と若干異なるとはいえ、我が国に在来生物としてワニが棲んでいたということは眉唾ものです・・。
それ故、これらの神話に登場するワニとは実はサメ、ウミヘビなどを含めた『海神を象徴するもの』というのが、どうやらそれら神話の解釈における通説のようです・・。
また、これらの神話と類似するハナシとは中国南部、東南アジアに分布しているため、おそらく何れかの経路により、それらハナシのスジが古代の我が国にもたらされたものと考えられております・・。
そして、これらのことを前提として、以下に二編の書籍からの抜粋引用を試みます。
「一月一三日、ネモ船長はチモール海に到着し、東経一二二度に位置する同名の島を確認していた。
この島は表面積が一六二五平方里、ラジャ(インドの王、王族)に支配されていた。
それらの王族は、みずからがワニの子孫、つまり人間の起源としてもっとも気高い先祖から生まれ出たものどと自称している。
それゆえ、この島の河にはこれら鱗の生えた先祖たちが多数あり、特別な崇拝の的となっている。ワニは保護され、甘やかされ、褒めそやされ、養われている。若い娘が餌として与えられることもあるし、よそ者がこの神聖なるトカゲに手をかけようものなら、たいへんな目にあう。」
岩波書店刊 金関丈夫著 「発掘から推理する」pp.65ー66より抜粋引用
「日本でシッポのあった部族は、豊後の緒方一族が、「平家物語」以来有名になっている。
緒方は尾形で、この一族の人びとには、からだに蛇の尾の形や、鱗の形があったという。
鱗形のほうは、自族が海神すなわち竜(蛇)神の子孫だ、という伝承が強くのこっている。
緒方は大神氏の一支だが、この氏族や、伊予の河野や越智一族の家紋は鱗形だ。
鱗を家紋とするものは、平氏の一族にもあり、伊豆、相模の北条にもある。
平氏の厳島、北条の江ノ島は、九州の宗像の女神のわかれで、江ノ島の弁財天が竜女であったことは、「太平記」の時政榎島参籠のくだりで有名だ。
シッポは消失しても、宗像神をまつる部族は、家紋に蛇の鱗をのこすものが多い。
宗像は古くは胸形で、胸形とは胸に鱗形のあったことだ、と私はみている。
三角形、つまり鱗形のいれずみだったと思う。」
各々著された年代は大きく異なる(前1870・後1975)ものの、それらを統合する風習、観念が何かしら存在するのではないかと考えられるのですが、さて、如何でしょうか・・?
また、世界各地の民俗風習記録の集大成とも云える「金枝篇」は「海底二万里」刊行から20年後の1890年に刊行されました。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年、熊本、山陰東部および福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
岩波書店刊 金関丈夫著 「発掘から推理する」pp.65ー66より抜粋引用
「日本でシッポのあった部族は、豊後の緒方一族が、「平家物語」以来有名になっている。
緒方は尾形で、この一族の人びとには、からだに蛇の尾の形や、鱗の形があったという。
鱗形のほうは、自族が海神すなわち竜(蛇)神の子孫だ、という伝承が強くのこっている。
緒方は大神氏の一支だが、この氏族や、伊予の河野や越智一族の家紋は鱗形だ。
鱗を家紋とするものは、平氏の一族にもあり、伊豆、相模の北条にもある。
平氏の厳島、北条の江ノ島は、九州の宗像の女神のわかれで、江ノ島の弁財天が竜女であったことは、「太平記」の時政榎島参籠のくだりで有名だ。
シッポは消失しても、宗像神をまつる部族は、家紋に蛇の鱗をのこすものが多い。
宗像は古くは胸形で、胸形とは胸に鱗形のあったことだ、と私はみている。
三角形、つまり鱗形のいれずみだったと思う。」
各々著された年代は大きく異なる(前1870・後1975)ものの、それらを統合する風習、観念が何かしら存在するのではないかと考えられるのですが、さて、如何でしょうか・・?
また、世界各地の民俗風習記録の集大成とも云える「金枝篇」は「海底二万里」刊行から20年後の1890年に刊行されました。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年、熊本、山陰東部および福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
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