2016年11月5日土曜日

20161104 インカーネーション(血肉化)について・・

本日もまた若干帰宅が遅くなり、おそらく明日(土)が休日でなければ、ブログの更新を断念していたのではないかと思われます。さて、先日より読みはじめました「楡家の人びと」はついさきほど第一部を読了しました。

次いで早速第二部を読みはじめようと思います。

この著作は三島由紀夫が激賞したとのことですが、たしかに舞台となった時代の文化、世相などを上手に描き、さらに、登場人物たちの人間関係および、その心理等の描写においても優れているのではないかと思われます。

これは野上彌生子著の「迷路」と比較すると、全体的に淡泊、あっさりしているのではないかと思われますが、私個人としては「楡家の人びと」の方が幾分か読み易いように思われます。

そして、この著作に関しても、今後機会を見つけ、その面白いと思った部分を抜粋引用してみたいと考えております。

また、比較的若い方々で、日本人作家の面白い長編小説を読んでみたいと考えている方々に対し、この著作とは恰好の対象となるのではないかと思われます・・。興味がありましたら、是非、読んでみてください。

そして、その中から現代との類似、相違点を見出し、その理由について考えてみるのもまたなかなか面白いのではないでしょうか・・?

あるいは、単に一つの長編小説として読んでみても、そこに描かれている内容とは、様々な意味において勉強になり、また楽しむことができるのではないかと思います・・。

以前もブログ記事にて記しましたが、おそらく本来の歴史(特に近現代史の場合)の勉強とは、一方において研究、学術書そして他方において、こうした物語、小説を読むことにより、なんといいますか、その時代の理性的な知識のみでない全体像らしきものが自身に血肉化(インカーネーション)されるのではないかと考えます。

そして、それが一つの時代、地域に対して為されたならば、その伝にて他の時代、地域に対してもまた同様に行うことが出来、さらに、それらを続けることにより、より大きな、そして精緻とも粗雑とも評し得る「柔軟な歴史全体に対する感性」といったものを得ることが出来るのではないかと考えます。

さらにまた、一度何かの分野において、そうした感性の知覚、認識に到達することが出来たならば、それは他の学問分野におけるそれ(感性)の知覚、認識をも多少容易にするのではないかとも考えます。

とはいえ、こうしたことは、もしかすると若い感性が柔軟な時期においてのみ適用、適応することが出来る性質のものであり、年齢を経るごとに、徐徐にこうしたことを為し得る(感性の)柔軟さが損なわれていくのかもしれません・・。

そしてまた、そうした認識を如何なる形であれ文字、コトバとして記すことは、記述の内容、方法によっては多少の危険を伴う一方、感性の柔軟さを保持するという意味において、多少寄与するところがあるのではないかとも、最近考えるようになりました・・。

また、ゲーテ曰く
「歴史についても、自然や一切の深いものについてと同様である。
過ぎ去ったものであろうと、現在のものであろうと、未来のものであろうと。
真剣に深くはいりこんで行けば行くほど、ますます困難な問題が生じてくる。
それを恐れず、勇敢に突進する者は、研究が進捗するにつれ、だんだん高く教養され、らくになるのを感ずる。」

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる4月の熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして復興を祈念しております。

2016年11月3日木曜日

20161103 北杜夫著「楡家の人びと」を読み始めました。

先日より次に読んでみたい著作として挙げていました北杜夫著「楡家の人びと」上巻を購入し読んでおりましたが、大変面白く既に200頁過ぎまで進みました。

この長編小説は以前読みました野上彌生子著「迷路」に比べ、その文体が割合軽く、あまり疲れず自然に読むことが出来ていると思われます。

また、時代背景としては「迷路」とほぼ同じではありますが、その書き出しは多少「楡家の人びと」の方が古いといえます。

加えて、共通する要素としては、双方著作の主要人物として地方を地盤にする代議士が登場することであり、そこを基軸として描かれている部分、章とは、戦前の政界の実態を知る上でなかなか参考になるのではないかと思われますが、同時に、果たして戦後の政界も、その当時(戦前)と基本的にはあまり大きく変化していないのではないだろうか・・?とも、こうしたことに関しては門外漢ながらも考えさせられます。

そしてまた、これら著作の時代背景と同時代に幼少期を過ごしたともいえる加藤周一の著作「羊の歌」もまた「楡家の人びと」を読んでおりますと、何故か思い起こされます。

これに関しては、主要な舞台となる地域が近いということもまたあるのかもしれません・・。

とはいえ、こうした著作とは、我が国の近現代史を知る上において実に有益であると同時に文学作品として優れている(考えさせられることが多い)のではないかと思われます。

もし興味を持たれた方々は是非読んでみてください。

しかし一方、何故であるかその理由はよくわかりませんが、特に現今の我が国において、良いものとして取り上げられる著作、映画化される著作、作品とは、こうした歴史の流れを故意に省いた、あるいは曲解に近い解釈が為されたものであることが多いように思われるのです・・(私は歴史の日本近現代史の専門家ではないが、それに関しての著作などは人並みには読んでいると考えます。)。

それ故、時折「今後、こうした実際の歴史の流れを(上手く)描いた著作が我が国において生み出されることはあるのだろうか?」と考えてしまうことがあります。

また、そうした著作が今後現れるのは、近い将来、これまでの何といいますか、ウソにまみれた、インチキくさいパラダイム、時代精神が終焉を迎えた後ではないだろうかと思われるのです・・。

一言にて述べますと、おそらく現代とは、これまで情報産業(新聞、出版、映画会社等)が様々な手練手管を以て、押さえつけていた国民の好奇心、創造性がインターネットといった新たな情報入手手段により、既存のそれら(情報産業)が発していたものが、決して時代精神を精確に反映しておらず、むしろ、その「ねつ造」により(自己および協力、出資者の)利益の誘導を行っていたことが広く理解されつつあることにより、不信感を高め、そのどうしようもなさに嫌気がさしつつあるといったところではないかと思われるのです・・。

しかし、そうであるからといって、その次に訪れるパラダイム、時代精神が現今のそれよりも上等なものであるとは決して言い切れず、あるいはむしろその劣化をも招き得るのかもしれませんが・・(苦笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


さる4月の熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。

20161102 医療系専門職の方々の院への進学について思ったこと・・

A「おかげさまで先月10月のブログ記事閲覧者数はこれまでで最高の22000人以上となりました。

これは1日に換算しますと大体700人以上の方々に閲覧して頂いているということになります。

また、新記事の投稿直後は、その内容に関連があると思われる記事の閲覧が多く、ここからもまた、さらに新しい記事の作成意欲を頂いております。

さて、本日はいくつかの歯科大学、歯科衛生士学校(短大、専門学校)等に所用のため行ってきました。

そこでお話しを伺い面白いと思ったことは歯科大学、歯学部とは6年制であることにより、その大学院となると4年制大学卒業後の大学院修士課程(主に2年制)といったものが存在しない、あるいは少ないということです。

そこで以前にもブログ記事にて記しましたが、4年制大学化しつつある歯科衛生士養成の学校をかつての専門学校あるいは短大であった時代に卒業され、その後、臨床経験を積まれ、向学心のある歯科衛生士の方々が、研究の為、大学院への進学を志した場合、前述の数の少ない修士課程にするか、あるいは修士課程を飛ばし歯科大学の博士課程に進学するのかとは、さきに述べた制度上により、その基準が意外と分かり難いのではないかということです・・。

あるいはこうした場合とは、既に修士課程が充実している同じ医療系の看護学科などの大学院に進学する方が適当であるのでしょうか・・?

こうした事情とは、実際にそれらを扱う部局に行き、お話しを聞かなければ、なかなかわからないものであるようです・・。

その一方において昨今、様々な医療分野において、今後、よりその重要度が増すと思われる分野がいくつも存在します。

そして、それらの分野において、これまで牽引的な役割を果たされてきた医療専門職の方々が、今後のキャリアアップなどを図り大学院への進学を希望した場合、その方々が、かつての学制下(専門学校、短大)での卒業生であったことにより、修士(主に2年制)あるいは博士(主に4年制)課程への進学を躊躇されるのであるとすれば「果たしてそれは仕方がないことなのであろうか?」と他人事ではあるのですが、どうも考えてしまうのです・・。

こうしたことを述べるのは、畢竟「いらぬお節介」であるのかもしれませんが、それでもやはり実際問題として、長い臨床経験のある歯科衛生士をはじめとする医療専門職の方々に対する大学院の出願資格等の内容の明確化、あるいはその内容の周知を何らかの方法にて図ることにより、その結果として平均健康寿命の延長あるいはバイオ系の研究での進展に寄与するところもあるのではないかとも思われますが、さて、こうしたことはもう既に考えられ、そして推し進められているのでしょうか?

とはいえ、私の場合、こうしたことに対する興味、関心とは、主に一つの歴史の進行に関与しているのではないかといった、かねてよりの狂言回し的存在への願望に因るものが大きいと考えております(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる4月の熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震での被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。今後ますます寒くなっていきますので。」

2016年11月2日水曜日

20161101 創造的な仮説の構築、手作業による認識、明瞭化

A「11月に入り、気温も徐徐に下がりつつあることが実感され、特に朝、起床時におけるこれからの季節とはなかなか辛いものがあります・・(苦笑)。

また、それと別件にはなりますが、本日は若干帰宅が遅かったこともあり、ブログ記事更新は無理をせずに止めておこうかと考えましたが「とりあえず」といった感じにて記しはじめましたところ、この程度まではスムーズに記すことが出来ましたので「さて、この後、どの程度まで行くことが出来るだろうか・・?」といった感じにて現在記しております・・(笑)。

そういえば、昨日投稿しました記事もまた、思いのほか、多くの方々に閲覧して頂きました。

そして、昨日のようなことを文章の主題としますと、特に近代以降においては、一つの時代、国における映像文化(主に映画、テレビ)と文字文化(小説、その他文章等)とは大きく関連し、おそらく双方文化において共通し、主流となる傾向そして流行の推移、変化の仕方などは、その時代精神を示しているものであるといえます。

こうしたことの認識とは、どうしても主観的なものに陥りがちではありますが、一方において、数値によるデータに基づく資料の検討、考察などから当初入りますと、またさきの「主観的」とは違った意味での変な方向に進んでしまうことが往々にしてあるため、これら創造的ともいえる仮説の構築と数値データの作成そしてそれに基づく検討、考察とは、ある程度関連させながら、あるいは双方の間を揺れ動きながら、進めていくのが単純に面白く、自然であり、それに加え柔軟性、持続可能性がある方法ではないかと思われるのです・・。

そして私の場合、こうしたことは試料の作製、実験、そしてそこからのデータの抽出といった手作業の一方、類似した先行研究の論文等を読むことにより、何といいますか、自身の行っている一連の実験作業の置かれた位置らしきものが認識され、それに伴い、今後の課題そして行うべき次の作業、実験といったことが浮かび上がってくるように思われます。

そして、主に理系の実験を扱う研究とは、概ね、こうした手法を通じ、ある一つの疑問、課題に対し、光を当て徐徐にピントを絞り、その像を明瞭化してしてゆく一連の作業ではないかと思われます・・。

また、こういした方法とは、よくよく考えてみますと、通常、手作業を用いることのない、文系においてもまた、同様の過程らしきものを経て、一つの認識およびその明瞭化に至るのではないかとも思われます。

とはいえ、この手作業を用いるか用いないかということが、おそらく特に若い、発展途上の感性に対して大きな相違といったものを生じさせるのではないかと自身の経験に基づき考えております・・。

そして、その一方において理系分野における文系的な創造的な仮説の構築に至るまでの綿密な関連文献の捕集といったこともまた重要な意味を意味を持つのではないかとも考えております。

また、ここまで記していて、何故だか不図、以前ある国際学会での発表の直前、次演者にて座っている際、上下の歯が当たり、カチカチと鳴るほど緊張していたことを思い起こしました・・(苦笑)。

しかし、このようなことを記している自身とは、実際のところ、当時より成長しているのでしょうか?
こうしたことは、イマイチよく分からないものです・・(笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本での地震、昨今の山陰東部での大地震における被災された地域の今後出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして復興を祈念しております。」





2016年10月31日月曜日

20161031 小説、物語とその映像化作品について・・

A「昨日は不図「ブログ記事の作成を止めておこう・・。」と考え、どちらかというと意図的に記事作成を止めました。

その理由とは、昨日は休日ということもあり、また目標とする500記事まで年内に到達することが可能であるならば、多少の小休止もまた合理的な判断ではないかと考えたためです。

加えて1日意識的に休むことにより、如何なる影響が自身の記すブログ記事に生ずるのかを確認することもまたできます・・。

とはいえ、こうしたことをこの程度長々と記しますと「それはただのサボりの言い訳ではないのか?」と思われる方々もいらっしゃるかもしれませんが、たしかにそれは穿った見方として間違いではないと思われますし、意識しなくとも、あるいは、文字に記さなくとも、おそらくそうした心情とは、正直なところないとは言い切れません・・(苦笑)。

とはいえ、一方において、これまで多少の断続はありながらも、どうにか継続的と云える程度にはブログ記事を作成してきましたので、その見地にて考えて頂ければ、たとえサボりの部分が多少あったとしても、それは今後のブログ記事作成を円滑に行う為の小休止であったと認識、見做して頂くこともまた出来るのではないでしょうか・・?

そして、それすらもまた「言い訳ではないのか?」と追及されるのであれば、そこから先は私も何もその点に関しては記すコトバがありません・・(苦笑)。

さて、この点はこのくらいにしまして、先日、これまで投稿しましたブログ記事において度々取り上げた作家北杜夫の小説が映画化されていることを知りました。

この小説につきましては、これまでに読んだことがありませんが、とりあえずは、以前ブログ記事に記しました、かねてよりの企図にしたがい同著の「楡家の人びと」を読んでみようと思います。

また、長編小説といえば、今春~夏にかけて読みました野上彌生子著「迷路」の次となりますが、この「楡家の人びと」もまた、さきの「迷路」と時代背景が重なるため、なかなか面白く読むことが出来るのではないかと考えております・・(笑)。

しかし、そう考えてみますと、どうも最近の私は、この時代(戦間期~戦中、戦後)を舞台にした長編小説を好んで読んでいるようです・・。

さらに加えて、それ以前(2007~2008)に読んだ大西巨人著「神聖喜劇」もまた、主に戦中を舞台(この著作は主人公の作中での回想あるいはかつて読んだ著作からの想起により、描かれる時代が実に多岐に渡る。)としていることから、あるいはこの時代(戦間期~戦中、戦後)とは、おそらく我が国の近代文学がある程度成熟した、それに加え、認識し得る我が国の歴史の中で最も波瀾に富んだ時代(の一つ)であることから小説、物語などに対し格好の時代背景を提供するのではないかと思われます・・。

とはいえ、そうしたかつての我が国社会の一面を「活写」したと思われる著作とは、これまでに映像化されたということは(少)ないようです・・。

これはなかなか面白いことであると思うと同時に、おそらく現今の我々の社会においては技術的云々よりも、それを演じる方々のそれら小説、物語の登場人物への同期化した行動、言動つまり演技が困難であるのではないかと思われます・・(時代精神との同期化が困難・・?)。

その点においてやはり、かつて製作されたこの時代(戦間期~戦中、戦後)を舞台にした映像とは、舞台となった時代と製作された時代が比較的近い(当事者が存命)ことから、何といいますか、無理なく、その舞台となった時代として製作された映像を観ることが出来るのではないかと思われます・・。

あるいは、こうした現象とは、我が国の映像作品にのみ当てはまるものなのでしょうか・・?

とはいえ、こうしたことからもまた、おそらく国民性の一端らしきものは看取、認識することが出来るのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」




2016年10月30日日曜日

20161029 月間総閲覧者数20000到達 各地の名水 および書籍からの抜粋(養老孟司著「カミとヒトの解剖学」より

おかげさまで、昨日投稿したブログ記事は思いのほか、多くの方々に閲覧して頂いたようです。

また、今月も残すところ僅かではありますが、昨日の時点にて月の閲覧者総数が20000人に到達しました。

また、これまで7月より月間総閲覧者数が20000人に到達しておりましたが、今月はそのペースが若干早いようであり、このままのペースで行きますと31日には2万数千人にまで到達するのではないかと思われます。

しかしながら、以前もブログ記事にて記しましたように、ここから月間総閲覧者数が30000人に到達するまでが一苦労を要するのではないかと思われます・・。

とはいえ、現今の状態まで、どうにかこうにかブログ記事の作成を継続することが出来た主な要因とは、閲覧してくださっている皆様に因っております。

また、昨今は「はてなブログ」においても、こちらで作成した記事をコピペして投稿しておりますが、もしかすると、これもまた、何かしらの影響があるのではないかと思われます。

しかし、何れにせよ、ここまで飽きずに興味を持ち閲覧してくださっている皆様、どうもありがとうございます。

今後もとりあえずキリのいい500記事までは継続的に記事を作成するつもりですので、どうぞよろしくお願いします。
また、閲覧して頂いて、興味深い、面白いと思われましたら「★」・「いいね」などを押して頂きますと、大きな励みになりますので、こちらもどうぞよろしくお願いします(笑)。

さて、先日仕事にて都内某所に行きますと(この地域に出向いたことはこれまでになかった。)商店街の中に鹿児島の物産を扱うお店があり、入ってみました。

比較的新しいそのお店に置いてある商品とは、やはり焼酎がメインであり、次いでお茶、さつま揚げといった感じでした。
また鹿児島ではよく見受けられたペットボトルの「高牧の森の水」が置かれており、これは迷わずに購入しました・・(笑)。

そういえば、現在、コンビニにて購入するペットボトルの水とは、大抵の場合ファミリーマートの「霧島の水」であり、これを飲むとおそらく偽薬効果のようなものであると思われますが、何となく元気になるような感じがします(笑)。

また、都内には各道府県の物産店が多く存在しますが、私はこうしたお店に入り、その物産、商品を見ることが好きであり、また、そこでは大抵、その土地の名水をペットボトルに詰めたもの(大抵のお店にはあります。)を購入します。

そして、それらを飲み、自身とその土地の相性らしきものを感じてみるのですが、これはおそらく首都圏であるからこそ気軽に出来る自身を用いた面白い実験?ではないかと思われます・・(笑)。

さて、ここまで記していて、不図思い起こした著作、養老孟司著「カミとヒトの解剖学」からの一節(pp.225ー228)を抜粋引用し、下に示そうと思います。

あるいはこの抜粋引用部もまた、さきに述べた内容と多少関連があるのかもしれません・・。


「山本七平氏は、歴史について言う。
歴史的に見るといいましても、例えば「方丈記」を見ますと、歴史を「流れ」という自然現象のように見ているわけで、どこから来て、どっかへ流れていってしまう。

ここには「創造・終末」という発想がないわけです。

さらに興味深いのはこのときの鴨長明の見方で、彼は岸辺に立ってその流れを見ているという見方をしているわけです。

いわばこの「流れ」と自分とは関係ない位置にいるわけで、歴史を荷っている自分の生涯は、その‘‘流れ”-というと語弊がありますが―の一部分だという見方はしていないわけです。

そして彼自身は、それを横目で見つつ、出生から死亡までこの世を通過するという形で、自分自身を把握しているわけです。

そして人間が流れと共に流れているなら、それは相対的な意味での動きではなくなりますから、共に流れている人間にとっては動いていないのと同じことで、そして時間の経過とともに生まれかつ世を去るという形で個々の人や事象が把握されれば、結局は、動かない中を通過しているのと同じ意識です。

山本七平氏もそうだし、丸山眞男もそうだが、日本人には「歴史」という観点がないという指摘がなされる。

キリスト教もマルクシズムも同根であるから、そこに「流れる」歴史観と、我々の歴史観は異なって当然である。

山本氏は、日本人は「まだ足りない」でやって来たと書かれる。
民主主義がまだ足りない、福祉がまだ足りない。
歴史観がないのも事実だし、「まだ足りない」も本当であろう。

しかし、山本氏の言われる「歴史観がない」も「まだ足りない」の一種かもしれないのである。

文化というものの中に閉じこもるかぎり、あっちの文化に飛んだり、こっちの文化に飛ぶことは可能だが、どちらにも共通し、どちらをも基礎づける、「普遍」を構築することはできない。しかし歴史とは、もともと普遍を構築しようとする努力ではないのか?

人間という存在が「生まれつき、自然に」持っている道具、つまり人体と、その中に位置する脳とは、どこの土地でも、どの時代でも、ほとんど変わりはしない。

それ以外に、人間の物差はあるか。

歴史観が「ない」文化と、「ある」文化とに共通する基盤とはなにか。

「ない文化」が「ある文化」に喧嘩を仕掛けても、「ある」文化が「ない」文化を尻に敷いても、答えにはならない。
文化の興亡があるばかり。

しかも、どちらもたかだか一・五キロの脳が考えることに過ぎないではないか。

この普遍という物差を、わが国では「人」と表現するのであろう。人間とはどういうものか。

「不知、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」と、長明は無責任なことを言う。

しかし、この先を追求しなかった方が悪い。

鴨長明の責任ではない。長明自身は、「不知」と、問題を提起しているのである。

「方丈記」にこう書かれているのを見れば、長明が人間の歴史について、無関心だったはずがないとわかる。

この文章を、一言にして尽くす歴史の定義ととることすら、不可能ではない。

問題は歴史が「あるか、否か」ではない。
歴史とはなにか、である。
あるいは、歴史の前提はなにか、である。

それはそれぞれの社会の、政治的、文化的な存在基礎と、密接に関わっている。

天皇制は歴史ではないのか。
これは生物学で言えば、「生きた化石」であろう。

丸山氏の言うように、「永遠としての現在」がこの国の歴史観であるなら、歴史観が「ない」のではなく、それが歴史観なのである。

そこでは、視覚の関与する時が、瞬間と永遠に分別される。
そして、その間をすべてが「流れる」。

山本氏の書かれるように、鴨長明が傍観者のように見えるとすれば、そこでは、視覚の特徴が明瞭に出ているからである。

「観」とは目、すなわち視覚系の機能であって、ここでは視覚が表面に出ているが、じつは長明の前提は「流れ」あるいは「運動」である。

長明の文章は、私には、むしろ流れと視覚の関係を述べようとしたと読めるのである。

「人間が流れとともに流れているなら」、確かに、ともに流れている人間どうしは相対的には動かない。それなら、流れない意識は、長明のどこにあるのか。なにかが止まっていなければ、「流れ」はない。

答えを言えば、それが長明の視覚であろう。「方丈記」の書き出しは、まさにそれを言っているのである。

ここでは、運動と水という質量、それが絶えず動いてとどまらないことを言うとともに、それが示す「形」が動かないことを、一言にして提示する。

形の背後には、視覚系がある。

長明の文章は、われわれの脳の機能に対するみごとな説明であり、時を内在する聴覚ー運動系と、時を瞬間と永遠とに分別し、時を内在することのない視覚との、「差分」によって、われわれの時の観念が脳内に成立することを明示する。

これが、ひいては歴史観の基礎を表現しているのではないか。

人はあるいはこれを、深読みだと言うかもしれない。

しかし西行や長明の時代に、哲学や理学があるわけではない。「方丈記」に存在するのは、感覚的な表現だけに見えるかもしれぬ。
しかし、本当にそうか。
人間の脳は、西行の頃も、いまも、まったく変わりはしない。
当時存在したのは、具象的な表現法のみであり、その表現法にだまされて、思考の内容まで、具象的と即断しているだけではないのか。
それは歴史における進歩主義ではないか。
後の時代ほど、人間がものがわかっているとは限らない。
哲学的には、他人の思考内容を対象とする議論は、客観的証明を欠く点で悪名が高い。
しかしそれは、表現の具象性が、内容に抽象性がないことの証拠にもまたならないことを、同時に意味しているのである。」

今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震、そして昨今の山陰東部にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そして復興を祈念しております。」

「カミとヒトの解剖学」


ISBN:4-480-08674-9
JANコード:9784480086747




2016年10月29日土曜日

20161028 夜間の山道の走行など・・

5年間のサラリーマン生活の後に大学院修士課程に入学しましたが、その当初は色々と慣れないこともあり、色々と苦労をしたように思います(院生研究室の席など)。

また、知人、友人が一人もいないところに飛び込んだわけですから、やはり、入学当初の時期とは自然、一人でいることが多かったです・・。

しかしながら、(文系)大学院というところは面白いところであり、院生研究室に持ち込み、置いてある書籍について(当時としては)かなり込み入った、難解な質問をしてくる人が普通にいました・・(笑)。

これはやはりボケとツッコミが根付いている近畿、関西地方であるからかもしれません・・(笑)。

ともあれ、そうした環境であったが故に、自然発生的にさまざまなことについて議論を交わすようになったのではないかと思います。

さらに面白いことは、そうした議論を研究室前、図書館前などで行っていると時折、教員が参加されてきたことです・・。

こうした状況になりますと、多少は恐縮して議論の白熱度が下がるのが一般的であるのかもしれませんが、さきに述べたような環境に既に慣れている方々(決して多数派ではありませんが)は、話しコトバこそ多少丁寧にはなりますが、その白熱の度合いに関しては、特に下がるということもなかったように思います・・。

また当初、こうした現象を不思議なものと思いましたが、私の方もそれに慣れるにしたがい、あまりそうしたことを考えなくなっていきました・・(笑)。

加えて、教員の方々もまた、院生に反論をされたからといって憮然としたり、不機嫌になるということもなく、どちらかというと、鷹揚な調子で且つ真剣に議論を楽しんでおられるようでした。

また、こうした議論は長いものになると、数時間も続き、夏から秋にかけての時季などは、数人で各々持っているクリアファイル、バインダーなどで扇ぎながら、蚊を払いながら、さきに述べた場所にて議論を続けていたことを憶えています。

現在考えてみますと、これはなかなか贅沢なものであったのかもしれません・・(笑)。

そしてまた同時に、この議論の経験があったからこそ、これまでに1年以上、ブログ記事作成を継続することが出来、また、一連の対話形式を用いた記事を記すことが出来たのではないかと思われるのです・・。

しかし、それと同時に思い起こすことは、この時期、自分なりに数多くの書籍を読んだことです。

おそらく、この時期とは、それまでの人生の中で最も濃密に多くの書籍を読んだ時期であったのではないかと思われます・・。

さらに、この時期に以前投稿した「もう一人の師匠についてP51 兵器開発事情 武器貸与法」の師匠が関西にて開催された学会の日程を利用し、こちらに訪れて頂いたことが幾度かありました。

これらの折は、自動車にて紀伊半島の様々な旧所、遺跡等を巡り、私が述べるそれらの解説や見解を興味深く聞かれ、また、時においては異なる見解、欧米での類似した事例などを述べられましたが、それらもまた大変興味深く、面白いものでした。

また、別の機会では、新たな弟子(当時大学1年生)と思しき学生さんを連れて来られたこともありましたが、これもこれで大変面白く、また、この時に印象的であったことは、深夜の山道を走行の折、如何なる理由に因るものか、鹿に遭遇することが大変多かったことです・・。

当時、夜間の山道を走行することは特段珍しいことではなかったのですが、これほど鹿に遭遇したことは後にも先にもありませんでした・・。

また、夜間の山道の走行といえば、さきに述べたよく議論を行っていた方々(連中)と9月の後半に山奥のダム湖へ釣行した帰路の折、車内にてワーグナーの「ワルキューレの騎行」、シベリウスの「フィンランディア」等のノリのクラシック音楽を大音量で流し、同じく夜間(深夜)の山道を走行したことです・・。

これは現在思い返してみますと、多少恥ずかしく思わなくもないです・・(苦笑)。

また、この時「フィンランディア」を聴いて一人が「ダイ・ハードや!ダイ・ハードや!」と叫んだことが大変印象的であり、憶えております・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧およびその後の復興を祈念しております。」