A「本日もまた若干帰宅が遅くなりました。
さて、本日作成分のブログ記事の主題に関しても、現在特に決めておりません・・(苦笑)。
そういえば、昨日作成したブログ記事は、投稿翌日にしては、その閲覧者数が伸びました。
そのことから、やはり当ブログ記事の文体とは、こうした多少口語体に近いものの方が良いのかもしれないと思うに至りました。
また、実際、現在このように文章を記していても、こちらの文体の方がスムーズに文章が湧いてくる感じがします。
そうしますと「あるいはこれが私の「文体」であるのかもしれない。」と考えるのですが、また他のこれまでのブログをある程度読んで頂いている知人に対し、この「文体」について聞いてみますと、自身では明瞭に認識することが出来ないのですが、やはり「私の文体」というものは存在するとのことでした・・。
こうしたことは自身に強く根差してい過ぎるために、客観的なものとして認識することが困難であるのかもしれません・・(苦笑)。
しかしその一方、たとえば私が師匠(歯科理工学)の論文、文章などを読んだ場合「ああ、これは師匠の文章、文体である・・」と割合強く認識することが出来るのではないかと思われます・・。
また、これはあくまでも私見ではありますが、理系学問分野の文体とは、一種独特であると同時に、その大きな傾向らしきものとは、ある程度類似、共通しているのではないかと思われるのです。
このことは自身が歯系院に行った当初、その独特の文体、言い回し等に慣れることが出来なく、いささか苦労した記憶を思い起こさせます。
それはつまり、歯系をも含む理系的な文体、言い回しにて文章、原稿(文語、口語)などを記すといった「表現」あるいは「創造」が出来ないということです・・。
こうしたまさしくモヤモヤとした心境とは、体験された方々も少なからずいらっしゃるかと思われますが、なかなか苦しいものです・・(笑)。
そして、そうした出口の見えない暗いトンネルのような状況(モヤモヤとした心境)から脱出する為の確実ともいえる手段が、とにかく、その分野における著作、書籍を読むということに尽きるのではないかと思います・・。
また、面白いことに、そうした時期を知らないうちに過ぎます(過ぎると慣れる)と、今度は何となく、自身の思考、指向、嗜好までもが変化してしまったのではないかと思われるようになるのです・・(笑)。
さらに後になるとそうした変化が存在したこと自体をも忘れてしまうのかもしれません・・。
こうした忘却とは、あまり良いものであるとは思えません。
そして、多くの方々は記しませんが、こうしたことを実際に感じていた、認識されていたのではないかと思われるのですが、如何でしょうか・・?
ともあれ、こうした変化が人間の精神における相変態、相変化とも云えるようなものではないかと思われるのです。
一体こうした変化とは、どの程度の年代に至るまで生じ得る性質のものであるのでしょうか・・?
あるいは、こうした変化において、何かしら人類、人種、民族などにおいて各々普遍的な傾向といったものは存在するのでしょうか?
そして、そうしたものがもしも存在するのであれば、何に対し注視し検討、考察を行うことにより、その見解らしきもの(人類、人種、民族などにおける各々普遍的な傾向)を得ることが出来るのでしょうか?
そのように考えてみますと、歴史とは一面においてロマンであっても良いのですが、それと同時に「本来」は、普遍性を重んじる科学の対象の一つとして認識され得るものではないかと思われるのです。
そしてまた、そうした考えに基づき、はじめて「時代精神」「歴史感覚」といったコトバの「意味」を理解することが出来るのではないでしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」
2016年10月27日木曜日
2016年10月26日水曜日
20161026 文体および記事更新の頻度に関して思ったこと・・
A「先日来より記してきた記事にて用いた硬質な文体とは、記した後の疲労感が、そうでない文体にて記した場合と比べ、多少大きいと思われることから、一旦この文体にて記すことを止め、以前からの文体にて記してみようと思います。
また、それと同時に、自身の記す文体とは、その同時期に読んでいる書籍の文体からの影響をも少なからず受けるのではないかと思われます。
それ故、英語の書籍を読んでおりますと、その時に記す日本語の文体とは、英文和訳のような、いささかぎこちないともいえる文体となるのではないかと思われます・・(笑)。
そのように考えてみますと、直近まで用いてきました硬質な文体とは、現在の私にとって、その出だしにおいては調子が良いのかもしれませんが、どうもその継続が困難であり、且つ、この文体においては、文章の記述方法(内容ではない)における創造、あるいは良い意味での脱線が生じにくくなるのではないかと思われます。
それ故、私見ではありますが、おそらく論文などで多く見られる硬質な文体とは、このブログ記事のような即興的な散文に適したものではなく、時間をかけ、推敲に推敲を重ね、内容に矛盾、論旨に破綻が生じないように作成するカチッとした論文にこそ相応しいのではないかと思われます。
また、読み手側としても、硬質な文体にて記されたものは、そうでないものと比べた場合、若干読む際の疲労の具合が異なるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
さて、ブログ記事の文体については、このあたりにします。
今回投稿する記事により総投稿記事数が460となります。
先日の450記事到達から考えますと、これは早いのか、遅いのかよく分かりませんが、何れにせよ、お蔭様でまた一つの里程標を目にすることが出来ました。どうもありがとうございます。
また、そうしますと、残り40記事にて500記事に到達する次第ですが、今年が残りあと70日未満ですので、現在のペース(1日1記事)にて記事を作成し続けることにより、特に無理なく、年内に500記事に至ることが出来ると思われます。
そして、この500記事に至りましたら、ブログ記事の作成を一旦、意識的に止めてみようと思います。
そして、そうすることにより、自身の内外に何かしら多少の変化が生じ、それを感じ取ることが出来るのでしょうか・・?
これは正直なところ自身のことではありますが、苦労して作製した試料を試験機にかけ、さらにそれ(試験機にかけた試料)を電子顕微鏡にて観察する時のような好奇心が惹起することが認められます・・(笑)。
また、ここまで記しており不図思い起こしたことは、かつての鹿児島在住時、ミクシィというSNSにて、こうした文章、記事らしきものを作成していたのですが、その際は記事も現在投稿しているブログ記事よりも全般的に短く、また週1回程度の更新であったことです。
その時から比べますと、現在のブログ記事更新の頻度とは、劇的に増加しており、またそれが私が鹿児島在住の期間において進化発展した能力の一端ではないかと考えられます・・(笑)。
また、こうしたことは、当然ではあるかもしれませんが、おそらく外観からの認識、判別が困難ではないかと思われます。
とはいえ、作成者自身からしますと、この間には明らかに何かしらの内面での少なからぬ変化が生じたのではないかとも思われるのです・・。
こうした変化を的確(しかも、この場合の的確とは何か?)に言語化、文章化することは果たして可能なのでしょうか・・(笑)。
そしてまた不図思ったことは、おそらくこうしたことは、これまでいくつか過去の出来事をブログ記事として言語化、文章化することにより、はじめて思い起こし、考えのようなものとして、述べる、記すことが出来るようになったのではないかということです・・。
そうしますと今度はゲーテの
「歴史を書くのは過去を脱却する一つの方法である。」
あるいは同じく
「人間の最大の値打ちは、人間が外界の事情にできるだけ左右されず、できるだけこれを左右するところにある。世界の一切は、建築家の前にある大きな石切場と同じように、われわれの前に横たわっている。建築家の本領は、この偶然自然の石塊から、できるだけ経済的に、目的にかなうように、しっかりと、自分の心の中に生じた原型を作り上げるところにある。われわれの外部にある一切のものは要素に過ぎない。否、われわれにくっついている一切のものも要素に過ぎないと言ってよいだろう。しかし、われわれの奥深くには、あるべきものを創りだすことのできる創造力がある。その力は、われわれが、あるべきものを、われわれの外部に、あるいはわれわれの身辺に、何らかの方法で現すまでは、われわれを安らかにさせない。」
といったコトバを思い起こさせます。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震における被災地の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
また、それと同時に、自身の記す文体とは、その同時期に読んでいる書籍の文体からの影響をも少なからず受けるのではないかと思われます。
それ故、英語の書籍を読んでおりますと、その時に記す日本語の文体とは、英文和訳のような、いささかぎこちないともいえる文体となるのではないかと思われます・・(笑)。
そのように考えてみますと、直近まで用いてきました硬質な文体とは、現在の私にとって、その出だしにおいては調子が良いのかもしれませんが、どうもその継続が困難であり、且つ、この文体においては、文章の記述方法(内容ではない)における創造、あるいは良い意味での脱線が生じにくくなるのではないかと思われます。
それ故、私見ではありますが、おそらく論文などで多く見られる硬質な文体とは、このブログ記事のような即興的な散文に適したものではなく、時間をかけ、推敲に推敲を重ね、内容に矛盾、論旨に破綻が生じないように作成するカチッとした論文にこそ相応しいのではないかと思われます。
また、読み手側としても、硬質な文体にて記されたものは、そうでないものと比べた場合、若干読む際の疲労の具合が異なるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
さて、ブログ記事の文体については、このあたりにします。
今回投稿する記事により総投稿記事数が460となります。
先日の450記事到達から考えますと、これは早いのか、遅いのかよく分かりませんが、何れにせよ、お蔭様でまた一つの里程標を目にすることが出来ました。どうもありがとうございます。
また、そうしますと、残り40記事にて500記事に到達する次第ですが、今年が残りあと70日未満ですので、現在のペース(1日1記事)にて記事を作成し続けることにより、特に無理なく、年内に500記事に至ることが出来ると思われます。
そして、この500記事に至りましたら、ブログ記事の作成を一旦、意識的に止めてみようと思います。
そして、そうすることにより、自身の内外に何かしら多少の変化が生じ、それを感じ取ることが出来るのでしょうか・・?
これは正直なところ自身のことではありますが、苦労して作製した試料を試験機にかけ、さらにそれ(試験機にかけた試料)を電子顕微鏡にて観察する時のような好奇心が惹起することが認められます・・(笑)。
また、ここまで記しており不図思い起こしたことは、かつての鹿児島在住時、ミクシィというSNSにて、こうした文章、記事らしきものを作成していたのですが、その際は記事も現在投稿しているブログ記事よりも全般的に短く、また週1回程度の更新であったことです。
その時から比べますと、現在のブログ記事更新の頻度とは、劇的に増加しており、またそれが私が鹿児島在住の期間において進化発展した能力の一端ではないかと考えられます・・(笑)。
また、こうしたことは、当然ではあるかもしれませんが、おそらく外観からの認識、判別が困難ではないかと思われます。
とはいえ、作成者自身からしますと、この間には明らかに何かしらの内面での少なからぬ変化が生じたのではないかとも思われるのです・・。
こうした変化を的確(しかも、この場合の的確とは何か?)に言語化、文章化することは果たして可能なのでしょうか・・(笑)。
そしてまた不図思ったことは、おそらくこうしたことは、これまでいくつか過去の出来事をブログ記事として言語化、文章化することにより、はじめて思い起こし、考えのようなものとして、述べる、記すことが出来るようになったのではないかということです・・。
そうしますと今度はゲーテの
「歴史を書くのは過去を脱却する一つの方法である。」
あるいは同じく
「人間の最大の値打ちは、人間が外界の事情にできるだけ左右されず、できるだけこれを左右するところにある。世界の一切は、建築家の前にある大きな石切場と同じように、われわれの前に横たわっている。建築家の本領は、この偶然自然の石塊から、できるだけ経済的に、目的にかなうように、しっかりと、自分の心の中に生じた原型を作り上げるところにある。われわれの外部にある一切のものは要素に過ぎない。否、われわれにくっついている一切のものも要素に過ぎないと言ってよいだろう。しかし、われわれの奥深くには、あるべきものを創りだすことのできる創造力がある。その力は、われわれが、あるべきものを、われわれの外部に、あるいはわれわれの身辺に、何らかの方法で現すまでは、われわれを安らかにさせない。」
といったコトバを思い起こさせます。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震における被災地の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年10月25日火曜日
20161025 ブラックコーヒーを飲むようになった理由
A「先日来より、過去の出来事を記しております。
面白いことに、こうした過去の出来事を題材として記しておりますと、それまでの主要な形式である、現在思ったこと、考えたことと過去の出来事を多少関連させた題材を記したものに比べ、疲労の度合いが異なるということです。
これはおそらく記事を記す際における用いる頭の部位、機能が異なるからではないかと思われます。
しかし、この過去の出来事を題材として記す形式にも慣れてきますと、さきに記した疲労の仕方もまた変化するのではないかと思われます。
あるいはまた、そこで不図思ったことは、記す文体において過去の出来事を扱う際に用いている硬質な文体とすることに因り、現在認識される、こうした疲労の仕方(硬質な文体にて記すことによりより多くの疲労が認められる)に結び付くのかもしれません・・。
そこに、どのような関連性があるのかは分かりませんが・・。
とはいえ、今回の記事も以降、先日来の硬質な文体にて過去の出来事を記してみようと思います。
それでは、続けます。
修士課程における私の師匠とは、私と同様関東、千葉県の御出身であった。
とはいえ、この師匠は、就職以来長く和歌山に在住されていたためか、その話し言葉のイントネーションとは、関東のそれであるよりも、和歌山のそれに近いものであった。
また、この師匠は、長い和歌山での在住経験により、県内地域の様々な産物、伝説、言い伝えについて博識であり、それらに対し、時折私が幾分見当違いな見解を述べると、落ち着いた口調にて「そうかなあ・・それに関しては、もう少し調べてみてはどうかな・・?」といった感じで柔らかく再考を促すといったところがあった。
また、この師匠から(勝手に)教わったもう一つのことはコーヒーであった。
それまでに私は缶コーヒーを好んで飲んでいたが、この師匠と様々な機会において会話を交わしていくうちに徐徐に私の方も缶コーヒーよりインスタントであってもブラックコーヒーを好むようになっていったのである。
こうした好み、嗜好の伝播もまたなかなか面白いものである。
しかし、こうした些細なことをも含む、好み、嗜好の伝播とは、おそらくその大半が無意識であり、そして我々が認識、意識するよりも多く生じているのではないかと思われる。
それはまた、我々の社会の各規模において見受けられる、こうした現象、傾向(生み出された流行)が、同時に我が国社会において比較的多く見受けられる「同調圧力」の基軸となっているのではないかとも思われる。
しかしながら、そうしたことを記していると、不図、これまでに記した一連のブログ記事もまた、何処からの好み、嗜好の伝播であったり、同調圧力によって継続することが出来ているのではないかとも考えるに至るのである・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして復興を祈念しております。」
面白いことに、こうした過去の出来事を題材として記しておりますと、それまでの主要な形式である、現在思ったこと、考えたことと過去の出来事を多少関連させた題材を記したものに比べ、疲労の度合いが異なるということです。
これはおそらく記事を記す際における用いる頭の部位、機能が異なるからではないかと思われます。
しかし、この過去の出来事を題材として記す形式にも慣れてきますと、さきに記した疲労の仕方もまた変化するのではないかと思われます。
あるいはまた、そこで不図思ったことは、記す文体において過去の出来事を扱う際に用いている硬質な文体とすることに因り、現在認識される、こうした疲労の仕方(硬質な文体にて記すことによりより多くの疲労が認められる)に結び付くのかもしれません・・。
そこに、どのような関連性があるのかは分かりませんが・・。
とはいえ、今回の記事も以降、先日来の硬質な文体にて過去の出来事を記してみようと思います。
それでは、続けます。
修士課程における私の師匠とは、私と同様関東、千葉県の御出身であった。
とはいえ、この師匠は、就職以来長く和歌山に在住されていたためか、その話し言葉のイントネーションとは、関東のそれであるよりも、和歌山のそれに近いものであった。
また、この師匠は、長い和歌山での在住経験により、県内地域の様々な産物、伝説、言い伝えについて博識であり、それらに対し、時折私が幾分見当違いな見解を述べると、落ち着いた口調にて「そうかなあ・・それに関しては、もう少し調べてみてはどうかな・・?」といった感じで柔らかく再考を促すといったところがあった。
また、この師匠から(勝手に)教わったもう一つのことはコーヒーであった。
それまでに私は缶コーヒーを好んで飲んでいたが、この師匠と様々な機会において会話を交わしていくうちに徐徐に私の方も缶コーヒーよりインスタントであってもブラックコーヒーを好むようになっていったのである。
こうした好み、嗜好の伝播もまたなかなか面白いものである。
しかし、こうした些細なことをも含む、好み、嗜好の伝播とは、おそらくその大半が無意識であり、そして我々が認識、意識するよりも多く生じているのではないかと思われる。
それはまた、我々の社会の各規模において見受けられる、こうした現象、傾向(生み出された流行)が、同時に我が国社会において比較的多く見受けられる「同調圧力」の基軸となっているのではないかとも思われる。
しかしながら、そうしたことを記していると、不図、これまでに記した一連のブログ記事もまた、何処からの好み、嗜好の伝播であったり、同調圧力によって継続することが出来ているのではないかとも考えるに至るのである・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして復興を祈念しております。」
2016年10月24日月曜日
20161024 北海道からの転勤、南紀での勤務、さらなる転勤・・
A「本日は少し帰宅が遅くなりました。
さて、昨日のブログ記事の続きとなります。
私の就職後初めての赴任地とは北海道の札幌市の近郊であった。
無論、これは私にとって初めての北海道での在住経験であったが、北海道とは、冬が寒く、日射量が少なかった。
そして、この時に日光の精神に与える影響の重要性および自身が北海道を含む寒冷地に対し体質的に向いていないことを強く認識した。
とはいえ、ここで2年間在住した。
この2年間の在住期間を通じ、特に価値観が大きく変化することはなく、ただ漠然と東京を含む首都圏に戻ることを望んでいた。
そして、その次の転勤先とは和歌山、南紀であった。
東京、首都圏を通り越し、はるか遠く、和歌山、南紀が転勤先であったことは、当時の自身にとって決して嬉しいものではなく、むしろ強く落ち込む要因となった。
とはいえ、この地に赴任し、最初に感じたことは、日射量が多いということである。
また、それによりいくらか萎縮気味であった自身の精神が膨らみ、そしてほぐれていくというような感覚をおぼえた。
しかしながらこうした、しばらくの期間、日射量の少ない寒冷地に在住した後、日射量の多い温暖な地域に転居した場合、こうした現象が生じるのは特に珍しいことではないものと考える。
さらに、この南紀での在住期間を通じ、山奥のダム湖でのバス釣りをおぼえ、夏の暑い盛りに一人釣行し、ボートの上から釣糸を垂らしているのは、なかなか風情があり、また、魚が掛かった時の興奮とは、それまでに味わったことのないものであった。
私はこの南国的ともいえる南紀の横溢とした自然風土が徐徐に好きになっていった。
また、それと同時にここではサイクリングもよく行い、南紀白浜から中紀の御坊市まで日帰りで行ったことも何度かあった。
そしてまた、近隣地域を無闇に走り、迷ってしまうことも度々あった。
そうした折、目にする珍しい地名をいくつも憶えたが、これらは不思議なことに、後に当地の雨乞いに関しての研究を行った際、よく出てきたように思われる。
また、その地名のいくつかとは銅鐸の出土地でもあり、それら(珍しい地名、銅鐸の出土)の関連性とは、未だ判然としていない。
とはいえ、やはり何かしらの関連性があるのではないかと今でも考えている。
以上のような経験、経緯により、当地の歴史、文化に対し漠然とした興味を抱き、それらに関する書籍を能動的に読みはじめた頃、東京の事業所への転勤の辞令を受けた。
当初望んでいた東京への転勤がこの時期に為されることはなかなか皮肉なことであった。
そして、東京転勤の後も、この思いは終息することはなく、また当時実家近くにいたこともあり、以前より相談に乗って頂いていた方々に会い、そうした思いを述べ、相談し、やはり、かねてよりの望みに従い大学院に進学した方が良いのではないかと考えるに至った。
この時、相談に乗って頂いた方々は、特に賛成、反対することもなく、ただ、その方法に対して具体的な質問をするのみであった。
ただ、この時兄が、それまでの経緯を知ってくれていたことから、賛成してくれた。
その後、会社を退職し、必要であると思われる勉強を行い、いくつかの大学願書を入手し、必要書類を作成、入手し院試に望んだ。
また、この時期は幸いなことに、丁度、会社勤務時代に貯めていたものの価格が急騰をはじめた時期でもあり、これによりおおいに助かった。
受験した大学院は全て関西、近畿圏に立地するものであり、それぞれの先生方に事前に連絡を取っていたが、その感触とは、よく分からないものであった。
そして、結果的に二つの大学院に通り、このうちの自身が研究を望む地域により近い大学の方が良かろうと考え、そちらに進学することにした。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、そして昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
さて、昨日のブログ記事の続きとなります。
私の就職後初めての赴任地とは北海道の札幌市の近郊であった。
無論、これは私にとって初めての北海道での在住経験であったが、北海道とは、冬が寒く、日射量が少なかった。
そして、この時に日光の精神に与える影響の重要性および自身が北海道を含む寒冷地に対し体質的に向いていないことを強く認識した。
とはいえ、ここで2年間在住した。
この2年間の在住期間を通じ、特に価値観が大きく変化することはなく、ただ漠然と東京を含む首都圏に戻ることを望んでいた。
そして、その次の転勤先とは和歌山、南紀であった。
東京、首都圏を通り越し、はるか遠く、和歌山、南紀が転勤先であったことは、当時の自身にとって決して嬉しいものではなく、むしろ強く落ち込む要因となった。
とはいえ、この地に赴任し、最初に感じたことは、日射量が多いということである。
また、それによりいくらか萎縮気味であった自身の精神が膨らみ、そしてほぐれていくというような感覚をおぼえた。
しかしながらこうした、しばらくの期間、日射量の少ない寒冷地に在住した後、日射量の多い温暖な地域に転居した場合、こうした現象が生じるのは特に珍しいことではないものと考える。
さらに、この南紀での在住期間を通じ、山奥のダム湖でのバス釣りをおぼえ、夏の暑い盛りに一人釣行し、ボートの上から釣糸を垂らしているのは、なかなか風情があり、また、魚が掛かった時の興奮とは、それまでに味わったことのないものであった。
私はこの南国的ともいえる南紀の横溢とした自然風土が徐徐に好きになっていった。
また、それと同時にここではサイクリングもよく行い、南紀白浜から中紀の御坊市まで日帰りで行ったことも何度かあった。
そしてまた、近隣地域を無闇に走り、迷ってしまうことも度々あった。
そうした折、目にする珍しい地名をいくつも憶えたが、これらは不思議なことに、後に当地の雨乞いに関しての研究を行った際、よく出てきたように思われる。
また、その地名のいくつかとは銅鐸の出土地でもあり、それら(珍しい地名、銅鐸の出土)の関連性とは、未だ判然としていない。
とはいえ、やはり何かしらの関連性があるのではないかと今でも考えている。
以上のような経験、経緯により、当地の歴史、文化に対し漠然とした興味を抱き、それらに関する書籍を能動的に読みはじめた頃、東京の事業所への転勤の辞令を受けた。
当初望んでいた東京への転勤がこの時期に為されることはなかなか皮肉なことであった。
そして、東京転勤の後も、この思いは終息することはなく、また当時実家近くにいたこともあり、以前より相談に乗って頂いていた方々に会い、そうした思いを述べ、相談し、やはり、かねてよりの望みに従い大学院に進学した方が良いのではないかと考えるに至った。
この時、相談に乗って頂いた方々は、特に賛成、反対することもなく、ただ、その方法に対して具体的な質問をするのみであった。
ただ、この時兄が、それまでの経緯を知ってくれていたことから、賛成してくれた。
その後、会社を退職し、必要であると思われる勉強を行い、いくつかの大学願書を入手し、必要書類を作成、入手し院試に望んだ。
また、この時期は幸いなことに、丁度、会社勤務時代に貯めていたものの価格が急騰をはじめた時期でもあり、これによりおおいに助かった。
受験した大学院は全て関西、近畿圏に立地するものであり、それぞれの先生方に事前に連絡を取っていたが、その感触とは、よく分からないものであった。
そして、結果的に二つの大学院に通り、このうちの自身が研究を望む地域により近い大学の方が良かろうと考え、そちらに進学することにした。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、そして昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年10月23日日曜日
20161023 もう一人の師匠について P51 兵器開発 武器貸与法
昨日投稿の「輪読会」についての記事は投稿翌日のわりには多くの方々に閲覧して頂いた。これを興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さて、本日はそれとはまた別にお世話になった師匠について記そうと思います。
この師匠との出会いは大学3年生の頃であり、その頃の私は体育会運動部に属しながら、一方において様々な書籍を無軌道に読んでいた。
こうしたことは部活内ではあまり知られず、評価もされず(当たり前ではあるが)そうした行動を知っている部員の方々は殆どいなかった。
それ故、当時の私の無軌道な読書を知っていた感づいていたのは、主に部活動以外での知人であった。
そうした知人の一人に誘われ、新しく着任してきたという教員(師匠)の研究室に行ってみようということになった。
この教員(師匠)は、それまで海外の大学に長く留学されていたということであり、今回の着任がはじめての就職ということであった。
知人に連れられ、研究室に入ると文系大学教員研究室の類例にもれず大量の和洋の書籍が書棚、机上を問わず置かれており、また、それと同時に、これまた大量の軍艦、戦車、飛行機などのプラモデル、クラシック音楽のCDがいくらか整然と室内各所に置かれていた。
これまでにそうした教員にお目に掛かったことはなかったため、興味を示し置かれてあった一つのプラモデルの飛行機を興味深げに眺めていると、おもむろにこの教員(師匠)が
「君、**君といったっけ、君が見ているその飛行機の名前を知っているかね・・?」と尋ねてきた。
その話口調はいくらか甲高く、明瞭ではあるが多少早口気味であった。
それ故、再度その飛行機のプラモデルをよく見ると、その塗装は典型的な第二次世界大戦欧州戦線におけるイギリス空軍のそれであったことによりホーカー・ハリケーンあるいはスーパーマリン・スピット・ファイアではないかと思われた。
しかし、その主翼の形状、胴体下部の特徴的な丸みを帯びた張り出しから、それは同時代のアメリカ軍の機体P51ムスタングであることが分かった。
それ故、この旨を質問の主(師匠)に返答すると、満足気に頷き、この珍しい塗装が為された機体の来歴を第二次世界大戦開戦当時の兵器開発事情、国際情勢から説明され、結びのコトバとして「こうした一つの兵器からもまた、当時の国際情勢あるいは近現代史の一幕を理解することが出来るのです。」といったことを述べられた。
そのハナシは大変興味深く、また私としては、この教員(師匠)が一応満足して頂く程度の返答をすることが出来たことに大変満足し、そのためか、その後、折を見てはこの教員の研究室に足を運ぶようになった。
また、時代が良かったのか、当時はこうしたことも大目に見られていたようであり、師匠が講義に出ている間、私が研究室で読書をしているということも度々あった・・。
そして、部活も引退する時期になると、この傾向は一段と強くなり、ついには大学院に進学し、さらに欧米の文化、歴史について勉強、研究してみようと考えるに至った。
また、幸運なことに、当ブログにて何度か取り上げているように、ごく親しい親戚の一人(これもまた師匠)が文系学問分野にて大学教員の職に就いていたことから、この願望を打ち明けたところ「それはいい考えであると思うけれども、とりあえず何年か社会に出て働いてみて、それでも大学院に行きたければ、その時に行けば良いと思うよ。」と云われ「なるほど、そういうものか。」と納得し就職活動を行い企業に就職した次第である。
しかしながら、この影響とは、その後も尾を引き生き続けたようであり結果として5年間企業にて働いた後、大学院に進学することとなった・・。
とはいえ、この間に生じた大きな変化とは、専攻研究分野に関してである。
そのことについては、以前ブログ記事にて記したが、次の機会に改めて記そうと思う。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念いたします。
さて、本日はそれとはまた別にお世話になった師匠について記そうと思います。
この師匠との出会いは大学3年生の頃であり、その頃の私は体育会運動部に属しながら、一方において様々な書籍を無軌道に読んでいた。
こうしたことは部活内ではあまり知られず、評価もされず(当たり前ではあるが)そうした行動を知っている部員の方々は殆どいなかった。
それ故、当時の私の無軌道な読書を知っていた感づいていたのは、主に部活動以外での知人であった。
そうした知人の一人に誘われ、新しく着任してきたという教員(師匠)の研究室に行ってみようということになった。
この教員(師匠)は、それまで海外の大学に長く留学されていたということであり、今回の着任がはじめての就職ということであった。
知人に連れられ、研究室に入ると文系大学教員研究室の類例にもれず大量の和洋の書籍が書棚、机上を問わず置かれており、また、それと同時に、これまた大量の軍艦、戦車、飛行機などのプラモデル、クラシック音楽のCDがいくらか整然と室内各所に置かれていた。
これまでにそうした教員にお目に掛かったことはなかったため、興味を示し置かれてあった一つのプラモデルの飛行機を興味深げに眺めていると、おもむろにこの教員(師匠)が
「君、**君といったっけ、君が見ているその飛行機の名前を知っているかね・・?」と尋ねてきた。
その話口調はいくらか甲高く、明瞭ではあるが多少早口気味であった。
それ故、再度その飛行機のプラモデルをよく見ると、その塗装は典型的な第二次世界大戦欧州戦線におけるイギリス空軍のそれであったことによりホーカー・ハリケーンあるいはスーパーマリン・スピット・ファイアではないかと思われた。
しかし、その主翼の形状、胴体下部の特徴的な丸みを帯びた張り出しから、それは同時代のアメリカ軍の機体P51ムスタングであることが分かった。
それ故、この旨を質問の主(師匠)に返答すると、満足気に頷き、この珍しい塗装が為された機体の来歴を第二次世界大戦開戦当時の兵器開発事情、国際情勢から説明され、結びのコトバとして「こうした一つの兵器からもまた、当時の国際情勢あるいは近現代史の一幕を理解することが出来るのです。」といったことを述べられた。
そのハナシは大変興味深く、また私としては、この教員(師匠)が一応満足して頂く程度の返答をすることが出来たことに大変満足し、そのためか、その後、折を見てはこの教員の研究室に足を運ぶようになった。
また、時代が良かったのか、当時はこうしたことも大目に見られていたようであり、師匠が講義に出ている間、私が研究室で読書をしているということも度々あった・・。
そして、部活も引退する時期になると、この傾向は一段と強くなり、ついには大学院に進学し、さらに欧米の文化、歴史について勉強、研究してみようと考えるに至った。
また、幸運なことに、当ブログにて何度か取り上げているように、ごく親しい親戚の一人(これもまた師匠)が文系学問分野にて大学教員の職に就いていたことから、この願望を打ち明けたところ「それはいい考えであると思うけれども、とりあえず何年か社会に出て働いてみて、それでも大学院に行きたければ、その時に行けば良いと思うよ。」と云われ「なるほど、そういうものか。」と納得し就職活動を行い企業に就職した次第である。
しかしながら、この影響とは、その後も尾を引き生き続けたようであり結果として5年間企業にて働いた後、大学院に進学することとなった・・。
とはいえ、この間に生じた大きな変化とは、専攻研究分野に関してである。
そのことについては、以前ブログ記事にて記したが、次の機会に改めて記そうと思う。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念いたします。
2016年10月22日土曜日
20161022 輪読会について・・
昨日のブログ記事にて記した「輪読会」にて想起することは、歯系院に在籍以前、文系の修士課程在籍時に受講した英語科目が経済学関連の英論文、雑誌を用いるそうした形式であったこと、また、それとは別に院生有志にて岩波文庫版のマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の輪読会を夏の暑い盛りに行ったことである。
その後、この私的な輪読会の形式が進化し、院生有志が自身の行っている研究内容を講義形式にて各々発表しあう研究発表会が行われるようになった。
そして発表の後、学食や図書館前、近隣の喫茶店などで、各発表内容に関しての議論が行われるのであるが、私個人としては、こうした全く私的な集まりにて行われた方が、より自由であり面白かったように思われる。
しかし一方、この場合、問題であったのは、議論によって生じる意見の対立の際の裁定、調停を行う存在がいないということであった。
そうした場合、議論の主題に詳しいと思われる教員の研究室にご意見を伺いに行っていた。
大概の場合、オフィスアワーでないにもかかわらず、快く対応して頂けたと思う。
そうしたことからか、後に、この集まりは教員有志のご参加により、半ば公式化し行われるようになったが、それもまた概ね自由な雰囲気にて行われ大変勉強になった。
私が文系学問、特に思想関連に関して多少なりとも分かったようなことを記すことが出来るようになったのは、この研究発表会に拠るところが大きい。
また、鹿児島在住時においてもこうした集まりに参加させて頂き、就中2012年初秋に開催されたそれに参加した際の私とはD2病の一番勢いのあった頃ではないかと思われる・・。
この時発表、報告した内容は、過去から現在に至る歯科材料の概容、およびその歴史であり、それに加え、和歌山ということもあり、銅鐸を絡めて発表・報告した。
また、その際、前置き・緒言として文系らしくトーマス・マン著の「魔の山」からの一節を抜粋引用した。
また、このことは以前ブログにて記した記憶があるが、その翌年に公開されたジブリアニメにおいて、伏線として、この著作が存在したことには多少驚かされた・・。
ともあれ、こうした自身の知性、直観を練磨することの出来る集まりとは、なかなか大事であり、おそらく創造性なるものとは総じて、こうした「場」において発生するのではないだろうか?
しかしまた、こうしたこと(創造性の由来、発生の機序)とは、大事であるにもかかわらず、科学的には、あまり解明されていないのではないだろうか・・?
あるいは、こうしたことを解明してしまうと、創造性自体が創造性のない味気のないものと認識されてしまうおそれがあるため、解明はされても発表はされにくいものであるのかもしれない・・。
ともあれ、今回もここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本における大地震、昨今の山陰東部における大地震による被災地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。
その後、この私的な輪読会の形式が進化し、院生有志が自身の行っている研究内容を講義形式にて各々発表しあう研究発表会が行われるようになった。
そして発表の後、学食や図書館前、近隣の喫茶店などで、各発表内容に関しての議論が行われるのであるが、私個人としては、こうした全く私的な集まりにて行われた方が、より自由であり面白かったように思われる。
しかし一方、この場合、問題であったのは、議論によって生じる意見の対立の際の裁定、調停を行う存在がいないということであった。
そうした場合、議論の主題に詳しいと思われる教員の研究室にご意見を伺いに行っていた。
大概の場合、オフィスアワーでないにもかかわらず、快く対応して頂けたと思う。
そうしたことからか、後に、この集まりは教員有志のご参加により、半ば公式化し行われるようになったが、それもまた概ね自由な雰囲気にて行われ大変勉強になった。
私が文系学問、特に思想関連に関して多少なりとも分かったようなことを記すことが出来るようになったのは、この研究発表会に拠るところが大きい。
また、鹿児島在住時においてもこうした集まりに参加させて頂き、就中2012年初秋に開催されたそれに参加した際の私とはD2病の一番勢いのあった頃ではないかと思われる・・。
この時発表、報告した内容は、過去から現在に至る歯科材料の概容、およびその歴史であり、それに加え、和歌山ということもあり、銅鐸を絡めて発表・報告した。
また、その際、前置き・緒言として文系らしくトーマス・マン著の「魔の山」からの一節を抜粋引用した。
また、このことは以前ブログにて記した記憶があるが、その翌年に公開されたジブリアニメにおいて、伏線として、この著作が存在したことには多少驚かされた・・。
ともあれ、こうした自身の知性、直観を練磨することの出来る集まりとは、なかなか大事であり、おそらく創造性なるものとは総じて、こうした「場」において発生するのではないだろうか?
しかしまた、こうしたこと(創造性の由来、発生の機序)とは、大事であるにもかかわらず、科学的には、あまり解明されていないのではないだろうか・・?
あるいは、こうしたことを解明してしまうと、創造性自体が創造性のない味気のないものと認識されてしまうおそれがあるため、解明はされても発表はされにくいものであるのかもしれない・・。
ともあれ、今回もここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本における大地震、昨今の山陰東部における大地震による被災地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。
20161021 2009年4月初め頃の記憶から・・
A「2009年4月初旬、はじめて指導教員となる先生(師匠)の研究室を訪ねた。
それまでに師匠の執筆された論文、レビューなどはいくつか読んでいたが、それらの文体とは、いずれも典型的な理系論文のそれであり、そのことから随分とカタい人柄を勝手に想像し、若干緊張していたが、実際にお目に掛かり、そのおハナシを伺うと、若干甲高いともいえる、特徴的な関西弁を話される、気さくな御人柄であり、その書かれた文章、文体とのギャップに当初いささか驚いた。
しかしながら、現在になり考えてみると、こうしたことは特に研究者などでは珍しくないと思われる。
また、その研究室、講座周辺とは、多くの理系研究室がそうであるように、一面の壁に学会発表にて用いたポスターおよび得た賞状のコピーなどが掲示されていた。
さらに、それらの多くが英語にて記されていることに対し驚きと共に強い不安を感じたことを覚えている・・。
そして講座の教職員、在籍、修了院生の方々を紹介され、講座内に机、椅子およびPCを貸与支給して頂いた。
また、同時に師匠より「毎週水曜日、朝8:00より英語論文の輪読会を行っているので出席するように」との指示を受けた。
現在輪読中の論文は、以前より出席されている修了院生の方から速やかに頂き、また現在読んでいる箇所も教えて頂いた。
この時は正直なところ、大変緊張したが、少し間を置き冷静に考えてみると「何も理系の論文であるから読めないこともないはずではなかろうか・・」と考えるに至った・・。
その理由とは、一応私も文系のそれであれば、修士課程在籍時、この輪読会の形式と類似した講義をいくつか受講しており、特にそこで困ったという記憶もなかった。
さらに、その時期において、参考文献として英書を幾つか(自己流に)読んでおり、また、留学生との会話、コミュニケーションにおいて特に困ったという記憶もなかった。
といったところである。
しかし、そうはいうものの、やはり、この緊張は全く無くなるものでもなく、院の講義や講座内の様々なことを覚え知るのと並行し、自分なりに念入りに予習を行った(つもりであった)。
そして訪れた次の輪読会にて順繰りに周囲の出席者が読み、それを和訳していき、師匠が註釈を加え、ついに私の番となった時はやはり大変緊張していた・・。
とはいえ、意識して、これまでに行ってきたそれとほぼ同様の調子にて音読、和訳を行ったところ、特に場の雰囲気も急変せず、概ね「・・まあ、いいだろう」といった感じであった。
その後、実験室にて実験、作業などを行う際、その合間にて輪読中の論文そして辞書を持ち込み、その読解を行うことが徐徐に習慣となっていった。
とはいえ、こういしたことは全く珍しいことでもなく、多くの研究室の院生達が同様のことをしているものと考える。
そして、これがおそらく、文系学問の研究を行う院生達と大きく違うところではないかと思われる。
つまり、この違いとは、手作業の合間にて論文読解を行う理系、それに対し概ね研究室、図書館といった環境にて読解等の研究を行う文系といったところではないかと思われる。
また、後になり考えてみると、自身の場合、前者のそれであったことが本当に良かったと思われる・・。
さらに後になると、学会発表前の一人予演をも実験室での作業、実験の合間にて堂々と行うようになっており、これを異言すると、立派なD2病となっていたということである・・(苦笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本の大地震そして昨日の山陰東部にて発生した地震による被害、そしてその後の種々復旧活動が速やかに為され、復興されますことを祈念しております。」
それまでに師匠の執筆された論文、レビューなどはいくつか読んでいたが、それらの文体とは、いずれも典型的な理系論文のそれであり、そのことから随分とカタい人柄を勝手に想像し、若干緊張していたが、実際にお目に掛かり、そのおハナシを伺うと、若干甲高いともいえる、特徴的な関西弁を話される、気さくな御人柄であり、その書かれた文章、文体とのギャップに当初いささか驚いた。
しかしながら、現在になり考えてみると、こうしたことは特に研究者などでは珍しくないと思われる。
また、その研究室、講座周辺とは、多くの理系研究室がそうであるように、一面の壁に学会発表にて用いたポスターおよび得た賞状のコピーなどが掲示されていた。
さらに、それらの多くが英語にて記されていることに対し驚きと共に強い不安を感じたことを覚えている・・。
そして講座の教職員、在籍、修了院生の方々を紹介され、講座内に机、椅子およびPCを貸与支給して頂いた。
また、同時に師匠より「毎週水曜日、朝8:00より英語論文の輪読会を行っているので出席するように」との指示を受けた。
現在輪読中の論文は、以前より出席されている修了院生の方から速やかに頂き、また現在読んでいる箇所も教えて頂いた。
この時は正直なところ、大変緊張したが、少し間を置き冷静に考えてみると「何も理系の論文であるから読めないこともないはずではなかろうか・・」と考えるに至った・・。
その理由とは、一応私も文系のそれであれば、修士課程在籍時、この輪読会の形式と類似した講義をいくつか受講しており、特にそこで困ったという記憶もなかった。
さらに、その時期において、参考文献として英書を幾つか(自己流に)読んでおり、また、留学生との会話、コミュニケーションにおいて特に困ったという記憶もなかった。
といったところである。
しかし、そうはいうものの、やはり、この緊張は全く無くなるものでもなく、院の講義や講座内の様々なことを覚え知るのと並行し、自分なりに念入りに予習を行った(つもりであった)。
そして訪れた次の輪読会にて順繰りに周囲の出席者が読み、それを和訳していき、師匠が註釈を加え、ついに私の番となった時はやはり大変緊張していた・・。
とはいえ、意識して、これまでに行ってきたそれとほぼ同様の調子にて音読、和訳を行ったところ、特に場の雰囲気も急変せず、概ね「・・まあ、いいだろう」といった感じであった。
その後、実験室にて実験、作業などを行う際、その合間にて輪読中の論文そして辞書を持ち込み、その読解を行うことが徐徐に習慣となっていった。
とはいえ、こういしたことは全く珍しいことでもなく、多くの研究室の院生達が同様のことをしているものと考える。
そして、これがおそらく、文系学問の研究を行う院生達と大きく違うところではないかと思われる。
つまり、この違いとは、手作業の合間にて論文読解を行う理系、それに対し概ね研究室、図書館といった環境にて読解等の研究を行う文系といったところではないかと思われる。
また、後になり考えてみると、自身の場合、前者のそれであったことが本当に良かったと思われる・・。
さらに後になると、学会発表前の一人予演をも実験室での作業、実験の合間にて堂々と行うようになっており、これを異言すると、立派なD2病となっていたということである・・(苦笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本の大地震そして昨日の山陰東部にて発生した地震による被害、そしてその後の種々復旧活動が速やかに為され、復興されますことを祈念しております。」
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