A「2009年4月初旬、はじめて指導教員となる先生(師匠)の研究室を訪ねた。
それまでに師匠の執筆された論文、レビューなどはいくつか読んでいたが、それらの文体とは、いずれも典型的な理系論文のそれであり、そのことから随分とカタい人柄を勝手に想像し、若干緊張していたが、実際にお目に掛かり、そのおハナシを伺うと、若干甲高いともいえる、特徴的な関西弁を話される、気さくな御人柄であり、その書かれた文章、文体とのギャップに当初いささか驚いた。
しかしながら、現在になり考えてみると、こうしたことは特に研究者などでは珍しくないと思われる。
また、その研究室、講座周辺とは、多くの理系研究室がそうであるように、一面の壁に学会発表にて用いたポスターおよび得た賞状のコピーなどが掲示されていた。
さらに、それらの多くが英語にて記されていることに対し驚きと共に強い不安を感じたことを覚えている・・。
そして講座の教職員、在籍、修了院生の方々を紹介され、講座内に机、椅子およびPCを貸与支給して頂いた。
また、同時に師匠より「毎週水曜日、朝8:00より英語論文の輪読会を行っているので出席するように」との指示を受けた。
現在輪読中の論文は、以前より出席されている修了院生の方から速やかに頂き、また現在読んでいる箇所も教えて頂いた。
この時は正直なところ、大変緊張したが、少し間を置き冷静に考えてみると「何も理系の論文であるから読めないこともないはずではなかろうか・・」と考えるに至った・・。
その理由とは、一応私も文系のそれであれば、修士課程在籍時、この輪読会の形式と類似した講義をいくつか受講しており、特にそこで困ったという記憶もなかった。
さらに、その時期において、参考文献として英書を幾つか(自己流に)読んでおり、また、留学生との会話、コミュニケーションにおいて特に困ったという記憶もなかった。
といったところである。
しかし、そうはいうものの、やはり、この緊張は全く無くなるものでもなく、院の講義や講座内の様々なことを覚え知るのと並行し、自分なりに念入りに予習を行った(つもりであった)。
そして訪れた次の輪読会にて順繰りに周囲の出席者が読み、それを和訳していき、師匠が註釈を加え、ついに私の番となった時はやはり大変緊張していた・・。
とはいえ、意識して、これまでに行ってきたそれとほぼ同様の調子にて音読、和訳を行ったところ、特に場の雰囲気も急変せず、概ね「・・まあ、いいだろう」といった感じであった。
その後、実験室にて実験、作業などを行う際、その合間にて輪読中の論文そして辞書を持ち込み、その読解を行うことが徐徐に習慣となっていった。
とはいえ、こういしたことは全く珍しいことでもなく、多くの研究室の院生達が同様のことをしているものと考える。
そして、これがおそらく、文系学問の研究を行う院生達と大きく違うところではないかと思われる。
つまり、この違いとは、手作業の合間にて論文読解を行う理系、それに対し概ね研究室、図書館といった環境にて読解等の研究を行う文系といったところではないかと思われる。
また、後になり考えてみると、自身の場合、前者のそれであったことが本当に良かったと思われる・・。
さらに後になると、学会発表前の一人予演をも実験室での作業、実験の合間にて堂々と行うようになっており、これを異言すると、立派なD2病となっていたということである・・(苦笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本の大地震そして昨日の山陰東部にて発生した地震による被害、そしてその後の種々復旧活動が速やかに為され、復興されますことを祈念しております。」
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