昨日のブログ記事にて記した「輪読会」にて想起することは、歯系院に在籍以前、文系の修士課程在籍時に受講した英語科目が経済学関連の英論文、雑誌を用いるそうした形式であったこと、また、それとは別に院生有志にて岩波文庫版のマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の輪読会を夏の暑い盛りに行ったことである。
その後、この私的な輪読会の形式が進化し、院生有志が自身の行っている研究内容を講義形式にて各々発表しあう研究発表会が行われるようになった。
そして発表の後、学食や図書館前、近隣の喫茶店などで、各発表内容に関しての議論が行われるのであるが、私個人としては、こうした全く私的な集まりにて行われた方が、より自由であり面白かったように思われる。
しかし一方、この場合、問題であったのは、議論によって生じる意見の対立の際の裁定、調停を行う存在がいないということであった。
そうした場合、議論の主題に詳しいと思われる教員の研究室にご意見を伺いに行っていた。
大概の場合、オフィスアワーでないにもかかわらず、快く対応して頂けたと思う。
そうしたことからか、後に、この集まりは教員有志のご参加により、半ば公式化し行われるようになったが、それもまた概ね自由な雰囲気にて行われ大変勉強になった。
私が文系学問、特に思想関連に関して多少なりとも分かったようなことを記すことが出来るようになったのは、この研究発表会に拠るところが大きい。
また、鹿児島在住時においてもこうした集まりに参加させて頂き、就中2012年初秋に開催されたそれに参加した際の私とはD2病の一番勢いのあった頃ではないかと思われる・・。
この時発表、報告した内容は、過去から現在に至る歯科材料の概容、およびその歴史であり、それに加え、和歌山ということもあり、銅鐸を絡めて発表・報告した。
また、その際、前置き・緒言として文系らしくトーマス・マン著の「魔の山」からの一節を抜粋引用した。
また、このことは以前ブログにて記した記憶があるが、その翌年に公開されたジブリアニメにおいて、伏線として、この著作が存在したことには多少驚かされた・・。
ともあれ、こうした自身の知性、直観を練磨することの出来る集まりとは、なかなか大事であり、おそらく創造性なるものとは総じて、こうした「場」において発生するのではないだろうか?
しかしまた、こうしたこと(創造性の由来、発生の機序)とは、大事であるにもかかわらず、科学的には、あまり解明されていないのではないだろうか・・?
あるいは、こうしたことを解明してしまうと、創造性自体が創造性のない味気のないものと認識されてしまうおそれがあるため、解明はされても発表はされにくいものであるのかもしれない・・。
ともあれ、今回もここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本における大地震、昨今の山陰東部における大地震による被災地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。
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