本日は帰宅が若干遅くなり、日をまたいだ7/20に昨日にあたる7/19の記事作成を開始しました・・(苦笑)。
7/19といえば、3年前2013年のこの日、学位審査が行われました・・。
この時のことは、現在になり思い起こしてみても、何とも落ち着かない気分になってきます・・。
しかし、当時の私とは、もっと落ち着かず、自分なりに必死にそれ(落ちつきのなさ)を抑えていたような記憶がウッスラとあります・・(苦笑)。
また同時に、そこに至るまでには、さまざまなことがあり、それは嘆いてもはじまらないことではあるのですが、一方、当時の私は、それら全てを消化、納得できていなかったのではないかと思います・・。
いや、そのように考えてみますと、それは現在においても未だ、全ては昇華、納得されていないのではないかとも思います・・(苦笑)。それ故、このことを思い起こすと、さきほど記したような落ち着かない気分になってくるのかもしれません・・。
また、一般的に、このような現象をトラウマ(心的外傷)ともいえるのかもしれません・・。
しかし、そうした過去の出来事にばかり注視することも現実的ではありませんので、実際の生活において、こうしたことは、何かそれを想起する契機を受けた時、瞬間的に、そうした(大量の)記憶の波(?)に呑み込まれるといった感じになるのではないかと思います・・(フラッシュバック?)。
このように書いておりますと、こうした過去の記憶の波が押し寄せる現象のメカニズム、作用機序とは、何も心的外傷およびそのフラッシュバックのみならず、少なくとも私の場合、いくつかの学問分野における知識、言語の相が、日常生活における何らかの契機により、突如押し寄せるといったことにも類似しているのではないかと考えさせられました。
こうしたことは、これまで読んだ書籍等に記されていた記憶がありませんが、これを読まれた皆様の中に、この現象を理解していただける方が少なからずいるのではないかと思われますが、実際のところ如何でしょうか・・(笑)?
ともあれ、人間の心とはなかなか面白いものです・・(笑)。
そして、ここまで記し不図思い出したことは3年前の7/19の前後(特に後)、どうしたわけかジブリアニメの「千と千尋の神隠し」および「紅の豚」を好んで何度も観ていたということです・・(苦笑)。
また、それぞれの主題歌「いつも何度でも」「時には昔の話を」はそれ以来、とても好きになりました。
こうしたことから、楽曲の好みなどは、当たり前のことですが年齢に係らず、経験により進化発展してゆくものなのでしょう・・。
さて、それはさておき、この時にお世話になった皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に発生した九州、熊本の大地震によって被災された地域における復旧活動が速やかに進み、そしてその後の復興が為されることを祈念しております。
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
2016年7月20日水曜日
2016年7月18日月曜日
20160718 揺れる心と呪術、科学について・・
A「書き忘れておりましたが、昨日の投稿した記事で投稿総数が360に到達しました。
これまでに1年1カ月程度ブログ記事を作成してきましたが、その間に何か大きな変化はあったのでしょうか?
記したブログ記事に関しては、特に大きな変化は見受けられないのではないでしょうか?
いや、むしろ、初期に記した記事の方が内容的には(相対的に)深い洞察に基づいているものが多いのではないでしょうか・・(苦笑)?
それ故、今後無事に366記事に到達しましたら、ある程度日数の間隔を置き(実験的に)ブログ記事を書いてみようと思います(笑)。
そちらの方が良い記事が書けるという保証はどこにもありませんが・・。
しかしその一方において「366記事に到達し、一度休んでしまうと「怠け癖」のようなものが生じ、ブログ記事の作成自体を面倒に感じるようになってしまうのではないだろうか?」といった危惧もまた心の何処かに存在しています・・(苦笑)。
そして、始終緊張している方々とは、案外こうした考えにとらわれていることも少なからずあるのではないでしょうか(笑)?
とはいえ、こうした考えを心底から笑うことができないのもまた事実です・・。
さて、このようなことを記しておりますと、不図シェイクスピアの「マクベス」「ジュリアス・シーザー」そして「ヘンリー五世」内のこうした「揺れる心」を表現したセリフを思い起こさせます(笑)。
それ故、シェイクスピアの劇の面白さの一つとは、こうした「揺れる心」に(世界規模で)普遍性が存在するからではないかとも思われますが如何でしょう?
そして、こうした心とは、通常の場合、その後に好ましい展開を望む傾向があり、それが、フレーザー著の「金枝篇」に描かれている古今東西様々な呪術、風習などとして古来より縷々発露しているのではないでしょうか・・?
その意味において、果たして現代の我々とは、この「金枝篇」に描かれている様々な呪術、風習が存在していた時代を超克しているのでしょうか?
私見として、それは超克されていないと考えます。
ただ、その呪術、風習を為さしめていた、背骨となっていた宗教など諸観念が科学に取って代わられただけではないかと思います・・。
しかしながら、こうした意見もかなり以前から言い古され、陳腐化したものではあるのですが・・(苦笑)。
とはいえ、この科学とは、ある程度データに基づき、かつての宗教に比べ、より多くの人間に適応可能であるとされることから、より広範囲に拡散、定着することが出来たといえるのかもしれません。
その意味において、我が国において本格的な西洋的近代化(科学技術面を主とする西洋化)がはじまった直後、九州を中心として勃発した「神風連の乱」、「西南戦争」などは興味深い出来事であるのではないかと思います・・。
また、それと同時に複数の史家、戦史研究家が指摘する太平洋戦争末期の南方戦線での帝国陸軍の(悲惨な)動向と西南戦争時、薩軍の九州内での敗走の動向が酷似することとは、何かしら現代を生きる我々にも示唆する要素があるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
あるいは、このようなことこそ「歴史からの呪詛」ではないでしょうか?
それ故、歴史を表層で祭り上げ、深層においてはその逆を態度をとるといった、いわゆる「如才ない」態度をとることは、かなり危険なことではないでしょうか?
そして、進化とは一体何でしょうか?
さる四月に発生した熊本を中心とする大地震により被災を受けた地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」
これまでに1年1カ月程度ブログ記事を作成してきましたが、その間に何か大きな変化はあったのでしょうか?
記したブログ記事に関しては、特に大きな変化は見受けられないのではないでしょうか?
いや、むしろ、初期に記した記事の方が内容的には(相対的に)深い洞察に基づいているものが多いのではないでしょうか・・(苦笑)?
それ故、今後無事に366記事に到達しましたら、ある程度日数の間隔を置き(実験的に)ブログ記事を書いてみようと思います(笑)。
そちらの方が良い記事が書けるという保証はどこにもありませんが・・。
しかしその一方において「366記事に到達し、一度休んでしまうと「怠け癖」のようなものが生じ、ブログ記事の作成自体を面倒に感じるようになってしまうのではないだろうか?」といった危惧もまた心の何処かに存在しています・・(苦笑)。
そして、始終緊張している方々とは、案外こうした考えにとらわれていることも少なからずあるのではないでしょうか(笑)?
とはいえ、こうした考えを心底から笑うことができないのもまた事実です・・。
さて、このようなことを記しておりますと、不図シェイクスピアの「マクベス」「ジュリアス・シーザー」そして「ヘンリー五世」内のこうした「揺れる心」を表現したセリフを思い起こさせます(笑)。
それ故、シェイクスピアの劇の面白さの一つとは、こうした「揺れる心」に(世界規模で)普遍性が存在するからではないかとも思われますが如何でしょう?
そして、こうした心とは、通常の場合、その後に好ましい展開を望む傾向があり、それが、フレーザー著の「金枝篇」に描かれている古今東西様々な呪術、風習などとして古来より縷々発露しているのではないでしょうか・・?
その意味において、果たして現代の我々とは、この「金枝篇」に描かれている様々な呪術、風習が存在していた時代を超克しているのでしょうか?
私見として、それは超克されていないと考えます。
ただ、その呪術、風習を為さしめていた、背骨となっていた宗教など諸観念が科学に取って代わられただけではないかと思います・・。
しかしながら、こうした意見もかなり以前から言い古され、陳腐化したものではあるのですが・・(苦笑)。
とはいえ、この科学とは、ある程度データに基づき、かつての宗教に比べ、より多くの人間に適応可能であるとされることから、より広範囲に拡散、定着することが出来たといえるのかもしれません。
その意味において、我が国において本格的な西洋的近代化(科学技術面を主とする西洋化)がはじまった直後、九州を中心として勃発した「神風連の乱」、「西南戦争」などは興味深い出来事であるのではないかと思います・・。
また、それと同時に複数の史家、戦史研究家が指摘する太平洋戦争末期の南方戦線での帝国陸軍の(悲惨な)動向と西南戦争時、薩軍の九州内での敗走の動向が酷似することとは、何かしら現代を生きる我々にも示唆する要素があるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
あるいは、このようなことこそ「歴史からの呪詛」ではないでしょうか?
それ故、歴史を表層で祭り上げ、深層においてはその逆を態度をとるといった、いわゆる「如才ない」態度をとることは、かなり危険なことではないでしょうか?
そして、進化とは一体何でしょうか?
さる四月に発生した熊本を中心とする大地震により被災を受けた地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」
2016年7月17日日曜日
20160717 銅鐸および師匠について・・
おかげさまで昨日も1日の閲覧者数が1000人に到達しました。
これまで興味を持って読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。
また、昨日記した記事は、これまでに記した記事のなかでも1日の閲覧者数が多い方でした。
昨日の記事はどちらかというと題材がマニアックであったとも思われますので、この現象には多少驚かされました(笑)。
とはいえ、こうした古代の墳墓をも含む古の建造物、製作物などは、それが当時の人々のどのような思い、思想を具現化したものであるかと考えてみると、なかなか面白く、またそれが当時の(ホンモノの)歴史を知る自然な第一歩目にもなることも(少なからず)あるのではないでしょうか?
そうしたものの中で、未だにある程度統一された見解が得られていない謎が多いものとして、弥生時代の青銅製祭器である銅鐸が挙げられます・・。
かつて修士課程在籍時、紀伊国、和歌山の地域性を考えるうえで、一つの題材、切り口として銅鐸は適当であると考え、ある程度、銅鐸について書かれた著作を読み、県内でそれが出土した場所(複数)を実地に訪ねてみました。
結果として、いくつかの傾向、特徴らしきものは見えましたが、それがその後の時代、つまり3世紀以降の古墳時代にどのように結節しているかが分からず、とりあえず、大雑把には、室町時代と江戸時代の間に戦国時代があるように、弥生時代と古墳時代の間には倭国大乱(三国志の魏志倭人伝・後漢書東夷伝、倭人の条)の時代があり、その間に、あるいはその結果、銅鐸を用いて祭祀を行っていた主に西日本在の諸集団は、敵対する集団に屈服し、その祭祀およびその象徴であった祭器(銅鐸)を遺棄あるいは自然(土)に埋納したのであろう。といった認識に至りました・・。
また、以上の経緯を示す神話が出雲の大国主による(天孫族に対する)「国譲り」であると思われます。
その意味において出雲(現・島根県雲南町・加茂岩倉遺跡)から国内最多(39口)の銅鐸が出土していることは、大変興味深いことではないでしょうか?
また、この時期に銅鐸のことを記しておりますと、昨年丁度この時期に亡くなった一人の師匠を想起します・・。
この師匠とは、師匠であると同時にごくごく近い親戚でもあり、以前当ブログにて数度記したことのある松山在住の方がそれです。
鹿児島在住時に何度か松山に行き、そして当ブログにて度々登場した大分県臼杵市に立ち寄ることになりましたのも、考えてみますと、この師匠を訪ねたことが原因でした・・。
この方は、私のそうした(一見しょうもない)歴史ネタに対して、とても関心を示してくださり、また、私の主張に対して、さまざまな疑問をぶつけてくださったことにより、その一連の会話とは、私にとってかなり有益なものになりました。
また、追記しますと、一連のブログ記事での、少なからぬ対話形式のものは、この方との対話をモデルとして作成しております・・。
さらに、私が昨年6月よりブログ記事作成をはじめた(大きな)理由の一つとして、この方に勧められたからということが挙げられます・・。
一連のブログ記事とは、この師匠にあまり顔向けできるような面白い、良い記事ばかりではないと思われますが、とりあえずは(多少は苦しみ、そして楽しんで)継続しておりますので、まあ許容範囲内であるのではないかと思います・・(苦笑)。
(はたして本当にそうなのだろうか・・?)
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、さる4月の熊本を中心とする大地震による被災地の復旧、そしてそれに続く復興が速やかに為されることを祈念しております。
これまで興味を持って読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。
また、昨日記した記事は、これまでに記した記事のなかでも1日の閲覧者数が多い方でした。
昨日の記事はどちらかというと題材がマニアックであったとも思われますので、この現象には多少驚かされました(笑)。
とはいえ、こうした古代の墳墓をも含む古の建造物、製作物などは、それが当時の人々のどのような思い、思想を具現化したものであるかと考えてみると、なかなか面白く、またそれが当時の(ホンモノの)歴史を知る自然な第一歩目にもなることも(少なからず)あるのではないでしょうか?
そうしたものの中で、未だにある程度統一された見解が得られていない謎が多いものとして、弥生時代の青銅製祭器である銅鐸が挙げられます・・。
かつて修士課程在籍時、紀伊国、和歌山の地域性を考えるうえで、一つの題材、切り口として銅鐸は適当であると考え、ある程度、銅鐸について書かれた著作を読み、県内でそれが出土した場所(複数)を実地に訪ねてみました。
結果として、いくつかの傾向、特徴らしきものは見えましたが、それがその後の時代、つまり3世紀以降の古墳時代にどのように結節しているかが分からず、とりあえず、大雑把には、室町時代と江戸時代の間に戦国時代があるように、弥生時代と古墳時代の間には倭国大乱(三国志の魏志倭人伝・後漢書東夷伝、倭人の条)の時代があり、その間に、あるいはその結果、銅鐸を用いて祭祀を行っていた主に西日本在の諸集団は、敵対する集団に屈服し、その祭祀およびその象徴であった祭器(銅鐸)を遺棄あるいは自然(土)に埋納したのであろう。といった認識に至りました・・。
また、以上の経緯を示す神話が出雲の大国主による(天孫族に対する)「国譲り」であると思われます。
その意味において出雲(現・島根県雲南町・加茂岩倉遺跡)から国内最多(39口)の銅鐸が出土していることは、大変興味深いことではないでしょうか?
また、この時期に銅鐸のことを記しておりますと、昨年丁度この時期に亡くなった一人の師匠を想起します・・。
この師匠とは、師匠であると同時にごくごく近い親戚でもあり、以前当ブログにて数度記したことのある松山在住の方がそれです。
鹿児島在住時に何度か松山に行き、そして当ブログにて度々登場した大分県臼杵市に立ち寄ることになりましたのも、考えてみますと、この師匠を訪ねたことが原因でした・・。
この方は、私のそうした(一見しょうもない)歴史ネタに対して、とても関心を示してくださり、また、私の主張に対して、さまざまな疑問をぶつけてくださったことにより、その一連の会話とは、私にとってかなり有益なものになりました。
また、追記しますと、一連のブログ記事での、少なからぬ対話形式のものは、この方との対話をモデルとして作成しております・・。
さらに、私が昨年6月よりブログ記事作成をはじめた(大きな)理由の一つとして、この方に勧められたからということが挙げられます・・。
一連のブログ記事とは、この師匠にあまり顔向けできるような面白い、良い記事ばかりではないと思われますが、とりあえずは(多少は苦しみ、そして楽しんで)継続しておりますので、まあ許容範囲内であるのではないかと思います・・(苦笑)。
(はたして本当にそうなのだろうか・・?)
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、さる4月の熊本を中心とする大地震による被災地の復旧、そしてそれに続く復興が速やかに為されることを祈念しております。
20160716 金峰町、金峯山・支石墓、甕棺墓から・・
唐突ですが、首都圏にて再度暮らしてから一年以上が経ってしまいました・・。
私は首都圏の生まれ、育ちではあるのですが、大きな人生の転機といったものは大概、地方在住の時にあった、受けてきたように思います・・・。
現在であるからこそ、率直に書けますが、当初、地方での生活とは刺激が少なく、かなり退屈に感じておりました・・。
しかし、そこでの生活に慣れるにしたがい、他の面での刺激を感じ取ることが出来るようになり、同時に何かに打ち込むには、地方での生活の方が都合が良いのではないかと考えるに至りました。
それ故、私の場合、特に和歌山と鹿児島の自然、風土そしてその延長ともいえる地域社会に対して、もう少し感謝、敬意の念を持つべきであるのかもしれません・・。
しかしながら、どうしたわけか再度首都圏に住むこととなり、また、それに慣れつつある私がおりますが、これは自身としては基本的に不本意なものであり、今後再び機会を見つけ、再度さきの二つの地方を含む西南日本の何処かに赴き、住むべきではないかと考えております・・。
それが何時になるか分かりませんが・・。
また、そうした自身のある程度具体的な望みとは、区切りの良い366記事目に書いてみようと思います。
こうしたことは「軽々しく書くのは如何なものであろうか?」とも思いますので・・。
さて、本日は所用があり、その帰りに神田神保町に行き、保育社刊のシリーズ「日本の古代遺跡」鹿児島編を見つけ、立ち読みしておりましたら、そこに主に北部九州、特に博多湾沿岸地域に多く見られる大陸(中国東北部)、半島由来の弥生時代の墓制である、支石墓(~前期)、甕棺墓(~末期)が鹿児島県西部、薩摩半島の中部から南部にかけての金峰町(現・南さつま市)にて発見されていることが記されており、かなりビックリしました・・(笑)。
鹿児島在住時、この付近の金峯山には何度か登ったことがあり、たしか山頂に金峰神社が祀られていると同時に、何故か羽をたたんだ鶴の銅像があったことが思い出されます・・。
私は苗字が苗字であるので、何となく面白く感じ、覚えていた次第です・・・。
しかし、そのように思い起こしますと、彼の地、鹿児島には「鶴」とつく地名、苗字などが他府県に比べ、多かったのではないかと思われます・・。
そして、それも地域性の一つであるかもしれません。
また、その理由とは、はっきりとは、わかりませんが・・。
しかし、何かしら面白いことであるとは思います。
さて、さきの金峰町にて発見された支石墓、甕棺墓のことを敷衍して考えてみますと「古事記」の天孫降臨のくだりにて登場する「この地は韓国(からくに)に向かいて、笠沙岬(かささのみさき)を真来通りて・・」の笠沙が、この近辺に存在することは、なかなか興味深いことではないかと思われました。
しかし、この現在の地名(笠沙)が当時も同地に存在していたかどうかは今もって不明なところではありますが・・。
しかし、いずれにせよ、弥生時代の大陸、半島由来の墓制(支石墓、甕棺墓)が九州西岸を下り、ここ南九州西岸付近にも浸透していたこと、そして、そこからもう少し南下した種子島の広田遺跡からの出土物が示す、ほぼ同時代の中国南部からの(道教?)文化が東シナ海を渡り、この地にもたらされていたことは、当時のこの地域一帯における多彩な文化の併存(国際色が豊か)を示すものであり、そのことから「当時のこの地の文化とは、一体どのようになっていたのだろうか?」と考えてみますと、なかなか面白いのではないでしょうか・・(笑)?
さる四月の熊本を中心とする大地震により被災された地域の速やかな諸インフラの復旧そして、それに続く復興を祈念しております。
また、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
私は首都圏の生まれ、育ちではあるのですが、大きな人生の転機といったものは大概、地方在住の時にあった、受けてきたように思います・・・。
現在であるからこそ、率直に書けますが、当初、地方での生活とは刺激が少なく、かなり退屈に感じておりました・・。
しかし、そこでの生活に慣れるにしたがい、他の面での刺激を感じ取ることが出来るようになり、同時に何かに打ち込むには、地方での生活の方が都合が良いのではないかと考えるに至りました。
それ故、私の場合、特に和歌山と鹿児島の自然、風土そしてその延長ともいえる地域社会に対して、もう少し感謝、敬意の念を持つべきであるのかもしれません・・。
しかしながら、どうしたわけか再度首都圏に住むこととなり、また、それに慣れつつある私がおりますが、これは自身としては基本的に不本意なものであり、今後再び機会を見つけ、再度さきの二つの地方を含む西南日本の何処かに赴き、住むべきではないかと考えております・・。
それが何時になるか分かりませんが・・。
また、そうした自身のある程度具体的な望みとは、区切りの良い366記事目に書いてみようと思います。
こうしたことは「軽々しく書くのは如何なものであろうか?」とも思いますので・・。
さて、本日は所用があり、その帰りに神田神保町に行き、保育社刊のシリーズ「日本の古代遺跡」鹿児島編を見つけ、立ち読みしておりましたら、そこに主に北部九州、特に博多湾沿岸地域に多く見られる大陸(中国東北部)、半島由来の弥生時代の墓制である、支石墓(~前期)、甕棺墓(~末期)が鹿児島県西部、薩摩半島の中部から南部にかけての金峰町(現・南さつま市)にて発見されていることが記されており、かなりビックリしました・・(笑)。
鹿児島在住時、この付近の金峯山には何度か登ったことがあり、たしか山頂に金峰神社が祀られていると同時に、何故か羽をたたんだ鶴の銅像があったことが思い出されます・・。
私は苗字が苗字であるので、何となく面白く感じ、覚えていた次第です・・・。
しかし、そのように思い起こしますと、彼の地、鹿児島には「鶴」とつく地名、苗字などが他府県に比べ、多かったのではないかと思われます・・。
そして、それも地域性の一つであるかもしれません。
また、その理由とは、はっきりとは、わかりませんが・・。
しかし、何かしら面白いことであるとは思います。
さて、さきの金峰町にて発見された支石墓、甕棺墓のことを敷衍して考えてみますと「古事記」の天孫降臨のくだりにて登場する「この地は韓国(からくに)に向かいて、笠沙岬(かささのみさき)を真来通りて・・」の笠沙が、この近辺に存在することは、なかなか興味深いことではないかと思われました。
しかし、この現在の地名(笠沙)が当時も同地に存在していたかどうかは今もって不明なところではありますが・・。
しかし、いずれにせよ、弥生時代の大陸、半島由来の墓制(支石墓、甕棺墓)が九州西岸を下り、ここ南九州西岸付近にも浸透していたこと、そして、そこからもう少し南下した種子島の広田遺跡からの出土物が示す、ほぼ同時代の中国南部からの(道教?)文化が東シナ海を渡り、この地にもたらされていたことは、当時のこの地域一帯における多彩な文化の併存(国際色が豊か)を示すものであり、そのことから「当時のこの地の文化とは、一体どのようになっていたのだろうか?」と考えてみますと、なかなか面白いのではないでしょうか・・(笑)?
さる四月の熊本を中心とする大地震により被災された地域の速やかな諸インフラの復旧そして、それに続く復興を祈念しております。
また、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
2016年7月15日金曜日
20160715 はじめての原稿 芸の肥やし・・?
本日は朝から頭が痛く、往生しました・・。
薬を服用し大分楽にはなりましたが、現在なお多少痛みが残っております。
とはいえ、これまで継続してきたブログ記事作成を中断することもまた、自身にとっては痛いことであるため記事の作成をはじめました・・(苦笑)。
さて、昨日のブログ閲覧者の傾向を見てみますと、大変面白いことに、既に私が寝入った後での閲覧が多く、結果的に通常の平日よりも大分多い閲覧者数(800~1000)となりました。
また、ここでの閲覧者の多くとは、時間帯も時間帯であるため、時差のある海外(特にアメリカ合衆国)の方々が多く、読んで頂いたことに対し感謝すると同時に「一体私の書いたブログ記事がどのように読まれているのだろうか?」といった疑問もまた生じてきました・・。
とはいえ、一連のブログ記事において、特にアメリカ合衆国を(感情的に)論難、非難したことはないと考え、また個人として特に同国に対し悪感情を持っているわけでもありませんので、引き続き興味を持って読んでくださることを願うばかりです。
読んでくださっている国内外の皆様、どうぞよろしくお願いします。
さて、私がはじめて何かしらの記事を書くということになったのは在和歌山時代からのことであり、以前ブログの記事にも記した「紀州鉈について」という記事、文章が自分の書いた文章で何かしらの報酬を頂いた、はじめての経験であったことが思い起こされました。
また、その時の報酬でJR和歌山駅前にある近鉄百貨店にて(私としては)多少高価なハンカチを購入し、実家の母親に誕生日プレゼントとして贈りました。
その後も在和歌山、鹿児島時代を通じ、必要に応じ、さまざまな文章を作成しましたが、現在継続しているブログ記事の作成ほど長期間にわたり、文章、記事を作成したことはありませんでした・・。
「芸は身を助く」などといわれますが、イマイチよくわからないのは、現在記しているこのブログ記事とは、何かしら「芸の肥やし」になっているのだろうか?ということです・・(苦笑)。
(それ以前に私の芸とは一体何であろうか・・(笑)。)
しかし一方、そのように何かしら能動的な(多少は有益と思われる)行為といったものを継続していないと、何も良いことは生じないとも思われます。
卑近な具体例として、これまでブログ記事を継続して作成したことにより、私としては望外に多くの閲覧者数を得ることができました。また同時に、それがこれまで記事を書き続けることが出来た主な理由であるともいえます。
この場合、どちらがニワトリ、タマゴであるか考えた場合、はじめにあったのは能動的なブログ記事の作成・投稿であると思われます・・。
それ故、「はじめにコトバありき」からはじまる新約聖書のヨハネによる福音書の一章一説とは、なかなか深い意味があるのかもしれません・・。
さて、先日電話にて知人と話し、その中で「もちろんAさん特有の文体はありますよ・・多少古めかしい感じがしますけれど・・。」といわれました。
私見として、自身の文体というものは、なかなかその特徴を言語化して表現することが難しいのですが、不思議なことに、他者のそれに対しては、比較的容易に表現、評価することが出来るように思われます・・。
こういった我々の持つ性質といったものもなかなか興味深いと思われますが如何でしょうか?
また、以前ブログ記事にて記したことではありますが「自身の文体を獲得する経緯、契機とは、比較的明瞭に認識することが出来る。」と、たしか中井久夫がその著作内にて述べておりましたが、これは本当なのでしょうか?
こうしたことが未だによくわかないままにてブログ記事を作成しておりますが、そのうち、案外近い将来、分かってくるのではないかと思います・・。
また、不思議なことに、ここまで記していると、さきほどよりも多少頭痛がおさまってきたように思われます・・。
そして、これを興味を持って読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。
また、先日の九州での大雨における被害が少なく、さる四月における大地震からの復旧、復興作業に支障がないことを祈念しております。」
薬を服用し大分楽にはなりましたが、現在なお多少痛みが残っております。
とはいえ、これまで継続してきたブログ記事作成を中断することもまた、自身にとっては痛いことであるため記事の作成をはじめました・・(苦笑)。
さて、昨日のブログ閲覧者の傾向を見てみますと、大変面白いことに、既に私が寝入った後での閲覧が多く、結果的に通常の平日よりも大分多い閲覧者数(800~1000)となりました。
また、ここでの閲覧者の多くとは、時間帯も時間帯であるため、時差のある海外(特にアメリカ合衆国)の方々が多く、読んで頂いたことに対し感謝すると同時に「一体私の書いたブログ記事がどのように読まれているのだろうか?」といった疑問もまた生じてきました・・。
とはいえ、一連のブログ記事において、特にアメリカ合衆国を(感情的に)論難、非難したことはないと考え、また個人として特に同国に対し悪感情を持っているわけでもありませんので、引き続き興味を持って読んでくださることを願うばかりです。
読んでくださっている国内外の皆様、どうぞよろしくお願いします。
さて、私がはじめて何かしらの記事を書くということになったのは在和歌山時代からのことであり、以前ブログの記事にも記した「紀州鉈について」という記事、文章が自分の書いた文章で何かしらの報酬を頂いた、はじめての経験であったことが思い起こされました。
また、その時の報酬でJR和歌山駅前にある近鉄百貨店にて(私としては)多少高価なハンカチを購入し、実家の母親に誕生日プレゼントとして贈りました。
その後も在和歌山、鹿児島時代を通じ、必要に応じ、さまざまな文章を作成しましたが、現在継続しているブログ記事の作成ほど長期間にわたり、文章、記事を作成したことはありませんでした・・。
「芸は身を助く」などといわれますが、イマイチよくわからないのは、現在記しているこのブログ記事とは、何かしら「芸の肥やし」になっているのだろうか?ということです・・(苦笑)。
(それ以前に私の芸とは一体何であろうか・・(笑)。)
しかし一方、そのように何かしら能動的な(多少は有益と思われる)行為といったものを継続していないと、何も良いことは生じないとも思われます。
卑近な具体例として、これまでブログ記事を継続して作成したことにより、私としては望外に多くの閲覧者数を得ることができました。また同時に、それがこれまで記事を書き続けることが出来た主な理由であるともいえます。
この場合、どちらがニワトリ、タマゴであるか考えた場合、はじめにあったのは能動的なブログ記事の作成・投稿であると思われます・・。
それ故、「はじめにコトバありき」からはじまる新約聖書のヨハネによる福音書の一章一説とは、なかなか深い意味があるのかもしれません・・。
さて、先日電話にて知人と話し、その中で「もちろんAさん特有の文体はありますよ・・多少古めかしい感じがしますけれど・・。」といわれました。
私見として、自身の文体というものは、なかなかその特徴を言語化して表現することが難しいのですが、不思議なことに、他者のそれに対しては、比較的容易に表現、評価することが出来るように思われます・・。
こういった我々の持つ性質といったものもなかなか興味深いと思われますが如何でしょうか?
また、以前ブログ記事にて記したことではありますが「自身の文体を獲得する経緯、契機とは、比較的明瞭に認識することが出来る。」と、たしか中井久夫がその著作内にて述べておりましたが、これは本当なのでしょうか?
こうしたことが未だによくわかないままにてブログ記事を作成しておりますが、そのうち、案外近い将来、分かってくるのではないかと思います・・。
また、不思議なことに、ここまで記していると、さきほどよりも多少頭痛がおさまってきたように思われます・・。
そして、これを興味を持って読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。
また、先日の九州での大雨における被害が少なく、さる四月における大地震からの復旧、復興作業に支障がないことを祈念しております。」
20160714 パリ祭の日に思ったこと・・理系諸学問と歴史・文化・伝統
A「本日は不図フランスの革命記念日であることを思い出しました。
私は日本人であるため、フランスの革命記念日に対し、特に大きな感動、思い入れ等はありません。
しかし、それでも近代を特徴づける、民主主義なる政体が、この革命を契機として生じ、定着し、そして全世界に広まっていったということは、やはり世界史的な視点から見て意味があることなのではないかと思います・・。
しかし、そうであるからといって、我が国の皇室が18世紀末のブルボン王朝のようになることは決して望みませんが・・。
それ以前に、我が国においては、そのようなことはないと思いますが・・。
何れにせよ、それぞれの国には各々独自の歴史的発展の型、特徴、モデル、クセのようなものがあり、また、その基層にはその国特有の文化、伝統といった、より日常的な存在があり、それらは、敢えて(世界的に見て)普遍的とされる原理、原則なるものを当て嵌め、全て対応、考察できるものではないと考えます。
さらに進んで云うと、こうしたこと(一国の長く続いた文化、伝統)を、理系学問分野の背景、基層にある普遍的とされる科学的諸概念、法則などを用い考察そして何らかの決断を為すことは、大変危険なことではないかと思われます・・。
また、その意味において社会主義、共産主義そしてその背景にある社会科学的な思想もまた、有益な要素を含むと同時に危険なそれもまた少なからずあるのであるのかもしれません・・。
とはいえ、現在の我が国の社会に関しては、全世界的に見受けられる、よくわからない方向に行ってしまった感のある資本主義、個人主義、功利主義的な思想よりも、さきのような人文社会科学思想の方が「社会を良くする」という意味においては有効な部分が多いかもしれないと思うことも度々ありますが・・(苦笑)。
とはいえ、こうしたことは、ハラを決めても断言することが困難であり、理系学問での実験結果にように(ある程度条件を限定すれば)歯切れの良い物言いが出来るというわけでもありません・・。
しかし、であるからといって、手持ちの歯切れの良い理系的、科学的な発想、論理に則り、社会変革を(どこまでも)行ってゆこうとすると、さきに述べたように危険な社会状態を惹起させることが多いのではないでしょうか?
その意味において、昨今特に首都圏、都市を中心において見受けられる理系学問分野の圧倒的優位とは「果たしてこれでいいのであろうか・・?」と考えさせられます。
そして、理系諸学問の対極にあるものが、国、地域に固有なものとして存在する(ホンモノの)文化、伝統といったものではないでしょうか?
我々の国、地域固有の文化、伝統とは、西洋流にアレンジしたり、横文字で飾ったりしなければ、カッコが悪く、あるいは不味くて飲み下せないものばかりなのでしょうか・・?
そして、もし、そうであるとすれば、そこには一体どのような理由があるのでしょうか?
九州方面にて大雨が降ると聞きました。
この大雨による被害が少なく、そして四月に被災した熊本を主とする地域での復旧、復興作業に支障がないことを祈念します。
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」
私は日本人であるため、フランスの革命記念日に対し、特に大きな感動、思い入れ等はありません。
しかし、それでも近代を特徴づける、民主主義なる政体が、この革命を契機として生じ、定着し、そして全世界に広まっていったということは、やはり世界史的な視点から見て意味があることなのではないかと思います・・。
しかし、そうであるからといって、我が国の皇室が18世紀末のブルボン王朝のようになることは決して望みませんが・・。
それ以前に、我が国においては、そのようなことはないと思いますが・・。
何れにせよ、それぞれの国には各々独自の歴史的発展の型、特徴、モデル、クセのようなものがあり、また、その基層にはその国特有の文化、伝統といった、より日常的な存在があり、それらは、敢えて(世界的に見て)普遍的とされる原理、原則なるものを当て嵌め、全て対応、考察できるものではないと考えます。
さらに進んで云うと、こうしたこと(一国の長く続いた文化、伝統)を、理系学問分野の背景、基層にある普遍的とされる科学的諸概念、法則などを用い考察そして何らかの決断を為すことは、大変危険なことではないかと思われます・・。
また、その意味において社会主義、共産主義そしてその背景にある社会科学的な思想もまた、有益な要素を含むと同時に危険なそれもまた少なからずあるのであるのかもしれません・・。
とはいえ、現在の我が国の社会に関しては、全世界的に見受けられる、よくわからない方向に行ってしまった感のある資本主義、個人主義、功利主義的な思想よりも、さきのような人文社会科学思想の方が「社会を良くする」という意味においては有効な部分が多いかもしれないと思うことも度々ありますが・・(苦笑)。
とはいえ、こうしたことは、ハラを決めても断言することが困難であり、理系学問での実験結果にように(ある程度条件を限定すれば)歯切れの良い物言いが出来るというわけでもありません・・。
しかし、であるからといって、手持ちの歯切れの良い理系的、科学的な発想、論理に則り、社会変革を(どこまでも)行ってゆこうとすると、さきに述べたように危険な社会状態を惹起させることが多いのではないでしょうか?
その意味において、昨今特に首都圏、都市を中心において見受けられる理系学問分野の圧倒的優位とは「果たしてこれでいいのであろうか・・?」と考えさせられます。
そして、理系諸学問の対極にあるものが、国、地域に固有なものとして存在する(ホンモノの)文化、伝統といったものではないでしょうか?
我々の国、地域固有の文化、伝統とは、西洋流にアレンジしたり、横文字で飾ったりしなければ、カッコが悪く、あるいは不味くて飲み下せないものばかりなのでしょうか・・?
そして、もし、そうであるとすれば、そこには一体どのような理由があるのでしょうか?
九州方面にて大雨が降ると聞きました。
この大雨による被害が少なく、そして四月に被災した熊本を主とする地域での復旧、復興作業に支障がないことを祈念します。
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」
2016年7月14日木曜日
20160713 「読む」から「書く」に至るまで・・
先日来より数年振りで再び岩波書店より刊行されているバートランド・ラッセル著の「幸福論」を読んでおりますが、この著作は様々な面において混迷の中にある現在の我が国に生きる我々であるからこそ、興味深く読むことができるのではないかと思います・・。
以前読んだ際(2007)もなかなか感銘を受けつつ読んだ痕跡があり、頁が折ってあったり、時折、何やらよくわからないコメントが記されております・・(苦笑)。
また、現在読む際において、当時折った頁での興味の所在に関しては大体理解、納得することが出来ます・・。
これは当時より進歩していないということになるのでしょうか(苦笑)?
また、以前も当ブログにて記しましたが、同じくラッセル著の「西洋哲学史」全三巻(みすず書房刊)は今後どうにか精読してみたいと考えております・・。
また、この著作のように以前から精読することを望んでいた著作として宮崎市定著の一連のアジア史関連の著作、そして既に読み現在尚、折を見て部分的に読んでいる加藤周一著の「日本文学史序説」などが挙げられます・・。
後者の「日本文学史序説」は鹿児島在住時(2009)に購入し、長らく積読、斜め読み状態であったものを学位取得、帰郷後に一念発起して本格的に読み始め、ある程度の期間をかけ読了に至りました。
また、この他にも日本文学史に関しての著作は多く刊行されているようですので、今後それらも折を見て読んでみたいと考えております・・。
とはいえ、何故2009年当時の私はこの著作に興味を抱いたのでしょうか?
おそらく、立ち読みにて他の同著者の著作を知り、そこから同著作に興味を持つようになったのではないかと思われます・・。
また、この著作をはじめて知った時は「ずいぶんと長い著作であり、最後まで読むことが出来るだろうか?」と感じたことを覚えておりますが、その後、さきに述べたようにどうにか読了に至り、その後、同著の英訳本に手を出すに至りました・・(これは未だ読了に至っておりませんが・・(苦笑))。
以上のような経緯から、今後「西洋哲学史」全三巻を精読することが出来るか不明ではありますが、とりあえず、そうしたことを能動的に為さしめる知的好奇心は保持し続けたいと考えております・・。
また、それと同時にこれまでブログ記事を継続して作成してきたことは、一面において、そうした能動性を保持するための自分なりの苦肉の策であるともいえます・・。
これを読まれている皆様は既にご存知であると思いますが、何かしら読み、考え続けるということは、何かを書き続けるということに強い関連性があるのではないでしょうか・・?
これは一般的に何れがタマゴ、ニワトリであるか判然としませんが、ただ、私に関していえば、おそらく読むことが書くことの先にあったのではないかと思われます・・。
そして、そこから書くに至るまでがなかなか困難な道程であったように思われます。
しかし一方、それ(読むから書くに至るまで)が困難であったからこそ、どうにか昨年6月から現在に至るまでブログ記事を書き続けることが出来たのではないかとも思います。
それ故、こうしたことはなかなか、それぞれの時期に対する評価(有益あるいは無益か)が難しいのかもしれません・・(苦笑)。
また、ここまで記して不図想起したのは、岩波新書刊の加藤周一著「羊の歌」はなかなか面白く、24・5歳あたりに読んでみると、その著作の述べるところと読者の感性がうまい具合に合致、精読に至ることが出来るのではないかと思いました。
九州にて再度大雨が降るとの天気予報を聞きました。
これによる災害が出来るだけ軽微であり、また同時にさる四月に被災された熊本を中心とする地域での被害が少なく、これまでの復旧、復興作業に支障がないことを祈念しております。
そして、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。」
以前読んだ際(2007)もなかなか感銘を受けつつ読んだ痕跡があり、頁が折ってあったり、時折、何やらよくわからないコメントが記されております・・(苦笑)。
また、現在読む際において、当時折った頁での興味の所在に関しては大体理解、納得することが出来ます・・。
これは当時より進歩していないということになるのでしょうか(苦笑)?
また、以前も当ブログにて記しましたが、同じくラッセル著の「西洋哲学史」全三巻(みすず書房刊)は今後どうにか精読してみたいと考えております・・。
また、この著作のように以前から精読することを望んでいた著作として宮崎市定著の一連のアジア史関連の著作、そして既に読み現在尚、折を見て部分的に読んでいる加藤周一著の「日本文学史序説」などが挙げられます・・。
後者の「日本文学史序説」は鹿児島在住時(2009)に購入し、長らく積読、斜め読み状態であったものを学位取得、帰郷後に一念発起して本格的に読み始め、ある程度の期間をかけ読了に至りました。
また、この他にも日本文学史に関しての著作は多く刊行されているようですので、今後それらも折を見て読んでみたいと考えております・・。
とはいえ、何故2009年当時の私はこの著作に興味を抱いたのでしょうか?
おそらく、立ち読みにて他の同著者の著作を知り、そこから同著作に興味を持つようになったのではないかと思われます・・。
また、この著作をはじめて知った時は「ずいぶんと長い著作であり、最後まで読むことが出来るだろうか?」と感じたことを覚えておりますが、その後、さきに述べたようにどうにか読了に至り、その後、同著の英訳本に手を出すに至りました・・(これは未だ読了に至っておりませんが・・(苦笑))。
以上のような経緯から、今後「西洋哲学史」全三巻を精読することが出来るか不明ではありますが、とりあえず、そうしたことを能動的に為さしめる知的好奇心は保持し続けたいと考えております・・。
また、それと同時にこれまでブログ記事を継続して作成してきたことは、一面において、そうした能動性を保持するための自分なりの苦肉の策であるともいえます・・。
これを読まれている皆様は既にご存知であると思いますが、何かしら読み、考え続けるということは、何かを書き続けるということに強い関連性があるのではないでしょうか・・?
これは一般的に何れがタマゴ、ニワトリであるか判然としませんが、ただ、私に関していえば、おそらく読むことが書くことの先にあったのではないかと思われます・・。
そして、そこから書くに至るまでがなかなか困難な道程であったように思われます。
しかし一方、それ(読むから書くに至るまで)が困難であったからこそ、どうにか昨年6月から現在に至るまでブログ記事を書き続けることが出来たのではないかとも思います。
それ故、こうしたことはなかなか、それぞれの時期に対する評価(有益あるいは無益か)が難しいのかもしれません・・(苦笑)。
また、ここまで記して不図想起したのは、岩波新書刊の加藤周一著「羊の歌」はなかなか面白く、24・5歳あたりに読んでみると、その著作の述べるところと読者の感性がうまい具合に合致、精読に至ることが出来るのではないかと思いました。
九州にて再度大雨が降るとの天気予報を聞きました。
これによる災害が出来るだけ軽微であり、また同時にさる四月に被災された熊本を中心とする地域での被害が少なく、これまでの復旧、復興作業に支障がないことを祈念しております。
そして、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。」
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