2017年12月2日土曜日

20171202 兵器の射程距離の延伸がもたらすことについて

昨今の極東情勢においても多少関与することであるかもしれないが、軍事技術の進化もしくは端的に兵器の進化とは『その射程距離の延伸』と評しても不可ではないと考える。

実際にそれら兵器を扱う人間に対して『その射程距離の延伸』が如何なる効果を及ぼすのかと考えた場合、一つにそれは全ての兵器の『目的』とも云える『人を殺す』という行為に対する認識の希薄化、あるいはこれを別言すると『人を殺す』行為の際に(おそらく自然に生じる)心理的な葛藤・迷い・躊躇いなどの著しい減少ではないかと考える。

太古、我々の先祖が石製の斧あるいは槍などを持ち戦闘に参加した場合、それら兵器を用いた接近戦にて敵を殺害する際に否応なくその感覚を認識・実感しなければならない。

おそらくそれは、料理にて魚を捌いたり、肉を切る行為と明確に異なる感覚ではないかと思われる。

また、そうした感覚が太古より我々人類の精神に存在していたことから、後世に至りさまざまな宗教における基本的な道徳律にて『人を殺してはいけない』といった文言が記されたのではないかと考える。

しかしながら、こうした道徳律とは、あくまでも自身の属する共同体内において相応しい行為態度であり、敵に対する戦闘の場面においては、むしろ積極的に敵を殺害する行為態度の方が共同体(の勝利)に貢献するものとして賞賛された。

それら双方の行為態度をさまざまな場面において(心底から)適宜使い分けることが可能であるならば特に問題はないのかもしれない。

しかし一方において、我々人間の精神とは、おそらく自身が(価値のあるものとして)受容した道徳律をも含む何らかの価値観をその精神内部において普遍化する(したがる)傾向があるのではないかと考える。

そして、それ故に葛藤が精神内部において生じ、さまざまな思索が為され思想・哲学といったものが生じるのではないかと考える。

また、そのようにして進化発展を遂げた思想・哲学において培った『思考という力』が同時にさまざまな科学技術の進化発展の原動力ともなったと云える(おそらく我が国の場合、この経緯の詳細が若干西欧文化と異なるのではないかと考える)。

そして、それら共同の精神的土壌にあるものとは『実証の精神』ではないかと考える。

とはいえ、そのようにして進化発展を遂げた科学技術に随伴するものが兵器の進化でもあるのだが、その進化の方向とは『自己兵力が出来る限り損害を被らず、より多くの敵兵力に対し損害を与える』ことに(当然であるのかもしれないが)重点が置かれ、そして結果的に冒頭に述べた『人を殺す』という行為に対する認識の希薄化もまた生じたのではないかと思われる。

おそらくこれはジレンマと評しても良いのではないかと考えるが如何であろうか・・?

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに日本列島において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域のインフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。

昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。













20171201 ブログ記事作成における『継続は力なり』の解釈について

本日もまた帰宅が遅くなったことから、ブログの更新は止めておこうと考えていましたが、一旦ページを開いてしまいますと何かしら書かないことには落ち着かず、現在このように新たに記事を作成している次第です・・(苦笑)。

そういえば、これまで作成した殆どの記事とは何度も書き直しを加えたものではなく、書き始めたその場にて書き終えたものであり、日が経ち多少の加筆修正などを行うこともありますが、基本的には投稿時のままであると云えます。

そして、文章作成技術の上達とは、そのようにして書き続けることにより、おそらく直線状ではないものの、徐々に為されていくのではないかと思われます。

少なくとも、2015年の自身とは、いかなるものであれ継続的に文章を作成することは困難であったように思われます。

また、これら一連の記事を読んで頂いている方々がどのように評価されるかは分かりませんが、自身としては対話形式にはじまり独白形式に変遷し、そして現在に至るまでで、最も文章として洗練されているのは、最近のものであると思われるのです・・。

それは、単純に自身の書きたい内容がある程度スムーズに文章化されているという実感から、そのように思うところではあるのですが、しかしながら一方において、書かれた文章を読む側からしますと、あるいはまた別の視点、評価基準といったものがあるのではなかかと思われるのです。

具体的にそれは、自身としては良い出来ではないと思われた記事が、その自身のくだした評価に反し、継続的に読まれているといった現象などから認識され得ます。

そして、そこから自身の作成したその記事を改めて読み直し、そして『一体この記事のどこが良かったのであろうか?』と考えてみることは、その後に作成する記事に対して何らかの影響を与えているのではないかとも思われるのです(それ故、投稿された記事に対してあまり手を加えないのかもしれません)。

そして、そうした背景・経緯にて、ブログ記事の作成を継続することにより、文章の洗練が徐々に為されていくのではないかとも思われるのです・・。

その意味においてたしかに『継続は力なり』ではあるのですが、自分なりにブログ記事作成における、このコトバの意味合いを解釈をしますと以上のようなものとなります。

さて、つい先日これまでの総閲覧者数(PV)が270000人に到達しました。

また、昨今は概ねひと月の閲覧者数が10000人程度ですので今月、来年に入り1月、2月あたりにてどうにか300000人にまで到達することが出来るのではないかと思われます。

そしてまた、さらに正直に述べますと100000人であらうが200000人であらうが、そうした規模の方々に自身の書いた文章が読まれることは、これまでの人生において考えたことがありませんでしたので、これは自身として、やはり驚嘆すべきことであるのです(笑)。

くわえて、ここまで書き続けたにも関わらず、特に炎上などといった事態が生じなかったことは、特に賢明であるわけでもなく、また文章作成におけるバランス感覚に優れているわけでもない自身からしますと、あるいは実のところ、こちらの方が驚嘆すべきことであるのではないかとも思われるのです・・(笑)。

ともあれ、今回もここまで読んで頂きましてどうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに日本列島において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った
諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。
















2017年12月1日金曜日

20171201『Historical perspective on dental casting alloys』Published by Saunders Written by Kenneth J. Anusavice 『Phillips Science of Dental Materials』Eleventh Edition  pp.564‐565より抜粋引用

『Historical perspective on dental casting alloys』Published by Saunders
Written by Kenneth J. Anusavice
『Phillips Science of Dental Materials』

Eleventh Edition  pp.564‐565より抜粋引用
ISBN-10: 0721693873
ISBN-13: 978-0721693873


Historical perspective on dental casting alloys
The twentieth century generated substantially new changes to dental prosthetic materials. The major factors that are dividing new developments are 
(1)economy-the new material performs the same function as the old material but at a lower cost; 
(2)performance-the new material performs better than the old product in some desirable way, such as ease of processing, improved handling characteristics, or increased fracture resistance; and
(3)aesthetics-the new materials provides a more aesthetic result, such as increased translucency. A brief description of the evolution of the currently marketed alloys is appropriate to understand the rationale for the development of the wide variety of alloy formulations. A summary of the major events in the evolution of dental casting alloys is shown in Table 19-1.


1905-The Lost Wax Process
Taggart’s presentation to the New York Odontological Group in 1907 on the fabrication of cast inlay restoration developed in 1905 often has been acknowledged as the first reported application of the lost-wax technique in dentistry. The inlay technique described by Taggart was an instant success. It soon led to the casting of inlays, onlays, crowns, fixed partial dentures(FPDs), and frameworks for removable partial dentures. Because pure gold did not have the physical properties required for producing durable restorations, existing jewelry alloys were quickly adopted. These gold alloys were further strengthened with addition of copper, silver, or platinum. Gold alloys were chosen because of their biocompatibility and ease of use.


1932-Classification of Gold-Based Casting Alloys
In 1932, the dental materials group at the National Bureau of Standards surveyed the alloys being used and classified them as TypeⅠ(Soft, Vickers hardness number[HV] between 50 and 90), TypeⅡ(Medium, HV between 90 and 120), TypeⅢ(Hard, HV between 120and

150),and TypeⅣ(Extra Hard, HV≧150). This classification became the basis for American National Standards Institute /American Dental Association (ANSI/ADA) Specification No.5 and later, ISO Standards 15592. Because of the multitude of casting alloys of diverse composition and applications, it is extremely difficult to devise a universally acceptable classification system.
During this period, the results of some tarnish tests suggest that alloys with a gold content lower than 65% to75%tarnished too readily for dental use.


In the following years, several patents were issued for alloys containing palladium as substitute for platinum. By 1948, the composition of dental noble alloys for cast metal restorations had become rather diverse. With these formulations, the tarnishing tendency of the original alloys apparently had disappeared. It is now know that, in gold alloys, palladium counteracts the tarnish potential of silver, allowing alloys with a lower gold content to be used successfully.


20171130 今月(11月)最後の記事投稿:記事作成時における脳の活動部位

昨日は帰宅が遅かったことから新たなブログ記事の作成を躊躇し、また作成している段においても時折強い眠気に襲われ記事作成に多少苦労しました。

そして、本日為されるであろう記事投稿により11月が終わり、来る12月中に28記事を新たに作成投稿することにより、どうにか年内に850記事まで到達することが出来ます。

12月の31日の中で28日を記事作成に充てるというのは、この師走においては、なかなか大変であるかもしれませんので、この月に関しては休日などで複数の記事作成が可能であると思われる日は、出来るだけそのようにしてみようと思います・・。

とはいえ、あくまでも目標とするのは年内の投稿記事850への到達であり、出来るだけ無理をしないで、且つ可及的速やかに到達したいものです・・(笑)。

また、それはさて置き、昨今は歯科材料および我が国の古代史などを題材として記事を作成したことが多かったと思われますが、各々を主題として記事、文章を作成しておりますと、その用いる頭の部位が異なることが感覚的ではありますが、比較的明瞭に理解することが出来ます。

おそらく各々主題とする文章の作成時における脳の部位毎の血流量もしくはその微妙な発熱具合などを調べてみますと、それは可視化され得る(具体的な)理解に至ることが出来るのではないかとも思われます。

とはいえ、こうした傾向とは必ずしも普遍的(ある程度の傾向はあるのかもしれないが)なものではなく、人によっては私が歯科材料を主題とする文章を作成する際に最も活発なる働きをしている脳の部位が、異なった何かを主題とする文章を作成する際に活発に動いているのではないかとも思われます(このあたりがおそらく機械(の部品)などと大きく異なるところではないだろうか?)。

また、そのように考えてみますと、多少即物的であるかもしれませんが、こうした活動する脳の働きの傾向などを知ることにより、我々が日常的にある程度の具体性を持ったコトバとして用いている地域性、職業における行為態度、学問分野などにおける志向、嗜好の傾向といったものの正体を多少は理解することが出来るのではないかとも思われるのです。

あるいは、既にそうした研究とはどこかで為されているのかもしれませんが・・。

また、それと同時にここで思うことは、そうした研究によりある程度の傾向らしきものが得られた場合においても、そうした知見とは、あまり早急にそして広汎に現在為されている教育活動の改善などに用いない方が良いのではないかということです。

そしてまた、おそらくこうした部分に宗教、哲学などといった所謂、形而上学的な要素が大きく関与するのと思われるのですが、我が国の場合、面白いことに、こうした部分に対して関心を払うことは極めて少ない一方、ある事物の外観から、その鋭敏な感覚を以って、その事物の本質に迫っていこうといった(かなり強い)傾向があり、そして我が国の場合、それこそが宗教、哲学などに代わり得る視座であるのではないかと思われるのです・・。

そして、その場合PC、スマホの普及などは、さきの視座に対して少なからぬ影響を与えているのではないかとも思われるのです。

また、同時に、そこにはおそらく昨今のマンガ文化とも通底する何かがあるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もまたここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された
諸地域のインフラの復旧・回復および力強い復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。





























2017年11月30日木曜日

20171129 合金について④

以前にも触れたが、これまで歯科用合金として多く用いられているものは、そのイオン化傾向の低さ(口腔内での安定性、人体為害性の低さ)から、貴金属を主たる組成とする合金であり、とりわけ金合金はその用途により、組成が異なる数種類が存在する(タイプⅠ~Ⅳ、白金加金)。

また、窩洞部への直接金修復(金箔充填)以外に用いる金合金とは、鋳造操作により所望の形状を得る手法(歯科精密鋳造)が採られるが、この手法により作製される補綴物とは、口腔内における用途により、その材料となる合金の選択が為される。

つまり、金本来が持つイオン化傾向が低く、そして展延性に富むといった性質から、その組成比が相対的に高い金合金とは、基本的に柔らかであり、大きな荷重のない部位への修復に用いられる、一方、耐食性を保持しながらも熱処理により機械的性質の向上を図ることが出来る程度に合金化された、すなわち他の金属が有意に含まれる金合金とは、荷重のかかる部位への補綴物の作製に用いられると評し得る。

とはいえ、この合金化された金合金と云えども、金の成分は70%程度以上は含まれていることから、その価格とは決して安価とは云えず、それ故、これら金合金とは保険適応の歯科用合金として用いられることはない。

そうしたことから、開発されたものが歯科用銀・パラジウム合金であり、これは通称金パラと称されているが、この合金とは分類としては銀合金であるのだが、JISの分類において金銀パラジウム合金と正式に称されていることから、以下金パラと記す。

さて、この金パラの主たる組成とはJIS規定によると金12%、パラジウム20%以上、銀40%以上(残り組成の多くが銅)と示されている。

とはいえ、その組成は時代と共に変化しており、我が国経済が振るっていた時期においては金の成分が20%含まれていた時期があったと聞く。

ともあれ、この金パラの主たる組成である銀とは、イオン化傾向は低いものの、硫化(銀の場合黒化する・『いぶし銀』とは表面が硫化した銀のこと)の傾向があり、この性質とは口腔内環境において決して望まれるものではない。

そして、この銀の硫化傾向を抑える性質を持つ金属が、金パラに含まれる他の貴金属成分である金・パラジウムであり、またパラジウムは銀の硫化傾向を抑えると同時に、熱処理によって銀・パラジウム規則格子の形成が為され機械的性質の向上にも大きく寄与している。

しかしながら、昨今は金のみならずパラジウムの価格も高騰し、この金パラの安定的供給もまた強く懸念されている。

そうした事情から近年注目を集めている歯科材料がセラミックスであるジルコニア、あるいは医科分野における人工股関節などにて以前より人体内にて用いられてきたチタン、コバルトクロム合金などであるが、これらに関しては現在もさらなる諸性質の向上が図られている実験、研究開発の最中であると云える。

ともあれ、いずれにせよ近い将来、これら材料は歯科分野において、より多く用いられることになるのではないかと考えられている。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに日本列島にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復そして力強い復興を祈念しています。

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2017年11月29日水曜日

20171129 昔の神話・物語におけるきのこについて・・ (書籍三点よりの抜粋引用)


「アジア史概説」 宮崎市定著 中央公論社 p.206
「インド文化と日本」
「日本では古来インドを普通に天竺、中国を唐(から)とよび、日本・唐・天竺の三国が世界の文化を代表するものと考えた。いわゆる三国一は世界一を意味し、三国伝来はもっとも珍奇貴重という意味であった。インドの文明は日本では仏教文化で代表されていたが、この仏教文化はたんに宗教思想としてでなく、インド文化全体日本に紹介する通路となったものであった。「今昔物語」にはインドの寓話が数多く転載され、盂蘭盆、施餓鬼などのインド行事は、中国社会を通じて日本にも伝わり、暦術、音韻学も日本に輸入された。今日もなお日本で盛んな囲碁や将棋もその起源はインドにあると認められている。」

「今昔物語」福永武彦訳 ちくま文庫 pp.328-329
「今は昔のこと、京に住む木こりたちが連れ立って北山に行った事があった。すると道に迷って、どちらに帰ればよいのかわからなくなり、山の奥深く四五人ばかり集まって、嘆いていた。すると山奥のほうから人が来る様子。誰が来るのかと不思議に思っていると、四五人ほどの尼さんたちが、歌を歌い、手振り足振りで舞を舞いながら、姿を現した。木こりたちはこれを見て怖がり、舞を舞いながら来るとは、この尼さんたちはとても人ではあるまい、天狗かしらん、鬼神かしらん、などと顫えていると、尼さんたちは木こりを見つけてまっすぐにこちらに来た。
 とうとう尼さんたちがすぐそばまで寄ってきたので、木こりはびくびくしながら、「もうし、あなた方はどうしてそんなに踊りながら、山奥からおいでになったんです?」とたずねると、尼さんたちが答えるには、「わたくしたちがこんなに踊っているので、お主たちもきっと不思議に思っておいででしょうが、わたくしどもは某に住む尼です。花を摘んで仏さまにお供えしようと、連れ立ってこの山に登りましたが、道に迷って帰れなくなりました。そこにたまたま茸が生えているのを見つけて、ひょっとこれを食べたらあたるかもしれないとも思いましたが、空腹のあまり飢えて死ぬよりは、いっそ食べましょうと思って、焼いて食べました。たいそうおいしかったので食べて良かったと思ううちに、いつのまにか、その気でもないのに手足が動き出して、この様に舞を舞い始めました。不思議なことと思いますが、何とも止めようがありません」と言って踊っているので、木こりたちも話をきいてあきれはてた。
 しかしこれらの木こりたちも、やはりしだいに腹がへってきたので、尼さんたちが食い残してなお持っていたその茸を、死ぬよりはましだともらいうけて食べた。そうすると木こりたちも、ちっとも気がないのに同様に手足が動き出した。そこで尼さんも木こりも、お互いに舞い続けながら相手の踊るのを見て笑った。しばらく踊ったのちに、どうやら酔いがさめたような気分になって、どこをどう歩いたともわからぬうちに、おのおの自分の住まいに帰った。こののち、この茸のことを舞茸と呼んだ。思えばたいそう怪しいことである。近頃でもこの舞茸というものはあるが、それを食べても必ず舞うとは限らない。どういうわけか不思議千万だ、という話である。」(巻廿八第廿八話)


「ギリシャ神話・新版」ロバート・グレイヴス著 高杉一郎訳 紀伊国屋書店 pp.8-9 
「あるエトルリアの鏡のイクシオーンの足の下に、一つの生のきのこ(アマニタ・ムスカリア)が刻まれている。イクシオーンは神々のところで神々の食べ物(アムブロシアー)を食べたテッサリアの英雄だった。彼の子孫であるケンタロウスたちもまた、この生のきのこ(アマニタ・ムスカリア)を食べたのだとする私の説は、いくつかの神話であきらかにすることができるし、のちになってノルウェーの「狂戦士たち」(バーサークス)が戦闘にのぞんで危険をかえりみぬ力を発揮できるように生のきのこ(アマニタ・ムスカリア)を食べたことは、何人かの歴史家たちが証言している。現在の私は、神々の食べ物(アムブロシアー)と飲み物(ネクタル)というのは、麻酔力のあるきのこだったと信じている。まちがいなく生のきのこだったし、ひょっとすると、なかに小さくてほっそりした糞きのこ(パナエオロス・パピリオナケオス)も混じっていたかもしれない。糞きのこ(パナエオロス・パピリオナケオス)は無害だが、ひどく楽しい幻覚をひきおこすのである。糞きのこ(パナエオロス・パピリオナケオス)に似ていなくもないきのこが、アッティカの壺の上のケンタロウスのネッソスのひづめの間に描かれている。神話の中で、神々の食べ物(アムブロシアー)と飲み物(ネクタル)が捧げられた「神々」というのは、前古典時代の聖女王と聖王だったのだろう。タンタロス王が犯した罪というのは、彼が禁制(タブー)を破って神々の食べ物を人間の友人たちにわけあたえたことだった。
 ギリシャでは、神聖な女王権も聖王権もやがて衰えていった。すると、神々の食べ物(アムブロシアー)は、ディオニューソスとかかわりのあるエレウシース、オルペウス、その他の秘教の聖餐になったらしい。どの場合も、その参加者たちは、何を食べ、何を飲んだか、どんな忘れがたい幻影を見たかについてはかたく沈黙を守ることを誓った上で、不死の生命を約束されたのだった。オリムピックの徒競走に勝利しても、もはや聖王権があたえられるわけではなくなったのちの優勝者に与えられる「神々の食べ物」(アムブロシアー)はあきらかに代用品で、いろいろな食べ物―私が「ケンタウロスたちはなにを食べていたか」という本のなかに書いたように、その頭文字がギリシャ語で「きのこ」になるようないくつかの食べ物を混ぜ合わせたものだった。神々の飲み物(ネクタル)や、デーメーテールがエレウシースで飲んだはっか(ミント)の香りのする飲み物のつくり方を記している古典作家たちの文章を読み取るとどちらからも「生のきのこ」という文字が出てくる。
 私は、メキシコのオアハカ州のインディアンたちが遠い昔から神々の食べ物(アムブロシアー)だとしている幻覚を引き起こすきのこを自分でも食べたことがある。そのとき、女祭司がきのこの神トラロックを呼び出す声も耳にしたし、理解を超える幻覚も見た。だから私は、この古代の祭式を発見したアメリカ人R・ゴードン・ワッソンが、ヨーロッパ人の天国と地獄に関する観念は、これに似た秘教から生まれたのではないかという説に心の底から賛成である。トラロックの神は電光のなかからあらわれるが、ディオニューソスもやはりそうだった。ギリシャの民間伝承でも、メキシコのマサテクでも、きのこはすべて一般に、どちらの国のことばでも「神々の食べ物」になっている。」



ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」平凡社刊pp.32-36より抜粋

南北戦争(1861~65)において、実戦で役立つ機関銃が初めて現れ、それ以後、機関銃は急速に発達する。発展の舞台は、ほぼアメリカに限られるので、本書もこれから先はこの国を中心に論じることになる。
1860年には、アメリカはイギリスに次ぐ世界第二の工業国となっていた。なかでも、それまで熟練工がやっていた仕事を引き受ける機械の発達と、それらの機械を一つの工場に集めたという点で、他のいかなる国よりもはるかに先を行っていた。こうした工業的優位には、いくつかの理由がある。最も重要な理由は、19世紀初期のアメリカが深刻な人手不足に悩まされていたことだろう。
新しい工場が労働力を確保するためには、高賃金を支払わなければならなかった。製品の値段をあまり上げないとすれば、この高い賃金で雇った労働力の生産性自体を高めるしかない。
そこで、労働者一人当たりの生産性を高めるために、機械と合理化された集中生産設備が導入されることとなった。
二番目の理由として、初期に使われていた機械のうち、完全にアメリカ製のものはごくわずかしかなかったという事実が挙げられる。
殆どの機械はすべてヨーロッパのデザインもしくは製品を模倣したものだった。
しかし、こうした機械を初めて活用したのはアメリカ人だった。というのも、アメリカには、機械化された自分たちの伝統的な生活様式を脅かすものとみなす組織だった職人階級が存在しなかったためだ。
実をいえば、機械の能率に頼らず人間の技能を基になんらかの大量生産の試みに取り組める職人など、そもそもほとんどいなかったのである。
機械的な大量生産方式の先駆者、イーライ・ホイットニーは、こうした生産方法を取り入れた理由を簡潔に述べている。
その目的は、「長年の訓練と経験によってのみ培われる職人の技能を、正確で能率的な機械作業に置き換えることである。その種の技能は、わが国ではいまだに一定の水準に達していない。」こうして「物を作る機械を作るための新しい方式が、アメリカで生まれた。それは単純ではあったが、広範な影響を及ぼす変化であったため、伝統や制度、確立された技能に支えられたヨーロッパでは受け入れられるのがむずかしかった。」
かくして、アメリカ人は世界のどの国よりもずっと早く機械化された産業に依存するようになっていた。
さらに、こうした機械そのものを製造しなければならず、それも単なる人間の技能の限界ではなく、機械の能力という観点から考えなければならない必要性から、より高性能の機械を作り出すことに精力を傾ける専門家の集団が登場してきた。
この結果、工作機械産業の最初の重要な発展が見られ、切削、研削におけるさまざまな金属の特性が研究されるようになった。
そして、機械ならほとんど正確に、まったく同じ寸法の部品を何度でも作れるという特質に新たな関心が集まった。
19世紀アメリカでは、「人間ではなく、機械が専門家となったのである。」機械への依存は、もう一つかなり重要な側面を持っている、ごく初期から、工作機械はつねに小火器の製造ときわめて密接にかかわっていた。
どの国の軍隊でも、たえず同一の装備、たとえば武器、軍服、装具などを大量に必要としていたことを考えればおそらくこのつながりをよく理解できるだろう。
しかし、なかでもアメリカは特殊なケースだった。ヨーロッパの軍の発注、とりわけ銃の注文に対しては、昔から何人もの銃工たちが力を合わせて請け負うことになっていた。
16世紀から18世紀のあいだ、軍事技術はほとんど停滞状態にあったため、どの国の軍隊も、一度に大量注文を出さずに、長年こつこつと銃を蓄えることで、とくに問題を生じることはなかった。
しかし、アメリカでは職人の作った銃を蓄えておくという歴史もなく、さらに軍の需要を満たすだけの銃工がいなかった。
しかも19世紀はじめの軍の発注は特に急を要した。なぜなら「15年前、独立を勝ち取ったときに使っていたマスケット銃はフランスなどヨーロッパで作られたものだったからだ。
(中略)それ以来、アメリカでは軍の武器がほとんど作られていない。(中略)事実上、この国は無防備状態といえる。」この事態を解決するには新しい技術者たちに頼るほかなかった。
この分野での偉大な先駆者がホイットニーだった。1798年、アメリカは何の軍備も整わないままフランスとの戦争に突入しようとしていた。そこでホイットニーは、向こう二年四ヶ月以内に一万丁のマスケット銃を製造するという契約を政府と交わした。実際には、契約通り銃を納め終わるまでに十年の年月を必要とした。しかしここで重要なのはホイットニーが納期を守れなかったことではなく、このような早い段階ですら、アメリカでは、武器の製造と工作機械の結びつきがしっかりと確立されていたという点である。
この時代、初めて実用に耐えうる機関銃がアメリカに現れたという事実については、認められるかぎりで、主な理由が三つある。
まず第一に、19世紀初期のアメリカ社会の特殊性にために、生産能力を増強したいと思えば、機械化と効率的な生産方式に頼らざるを得なかった。
そのことが、より複雑な機械の製造に関する新たな専門知識と関心をもたらし、より耐久性のある金属と、ますます高い精度が問題にされるようになった。
第二に、こうした工作機械の発達がつねにアメリカの小火器産業の発展と密接な関連を持っていたことである。
したがって、信頼性のある機関銃を作るという難問を最初に解決したのがアメリカ人であったことは、さほど驚くにあたらない。
第三に、もっと一般的なレベルで、このような機械への依存が、機械のもつ無限の可能性という新たな信仰を、そして十分な努力を続けさえすればどんなものでも自動化できるはずだという信念を、生み出したことである。
したがって、アメリカ人が最初の機関銃を製造するための道具とノウハウを持つようになったのはごく自然なことであり、また同じように、殺人をクランクを回すかボタンを押すという次元の問題に変えてしまうことを本気で願ったのがこの国の人間だったというのも、まったく理に適ったことではないだろうか。
以上が、性能のいい自動火器がアメリカで発展するための前提条件だった。しかし、この武器が実際に日の目を見るようになるためには、もう一つ、きわめて特殊な事件がかかわっていた。それが南北戦争である。すべての専門家が口を揃えて言うように、この南北戦争こそ、まぎれもない史上最初の近代戦であり、ここで初めて新しい技術の威力が発揮されたのである。


機関銃の社会史
ISBN-10: 4582532071
ISBN-13: 978-4582532074