2017年6月26日月曜日

20170626 今月最も多く読まれた記事から思ったこと・・

A「昨日はかなり久しぶり【数カ月ぶり】に1日のPV数が1000を越えました。

読んで頂いたみなさま、どうもありがとうございます。

さて、今月も終わりに近づきつつありますので、本日投稿記事の主題は『今月最も多く読まれた記事』についてにしてみます。

今月投稿された中で最も多く読まれた記事は2日投稿分の『ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで・・M2病の妄想?』であり、この閲覧者数(137)は当月にてダントツと云って良く、次点の1日投稿分の『640記事 昨日の偶然の読書から思ったこと【書籍からの抜粋引用あり】』(79)と60近い差がありました・・。

こうした状況をあらためて見ますと、投稿後ある程度時間が経過しても読まれている記事とは、やはり相対的によく書けているのかもしれないと感じさせられます・・。

とはいうものの、そうした比較的よく書かれた【とされる】記事をブログ記事作成のベースあるいは模範形式として用いることは、ブログ記事をも含めた散文を作成する上において本質的に『何か違うのではないか?』と考えさせられるのです・・(笑)。

私見として、継続性を重視するブログ記事作成において大事なことは、その時、その時に感じたこと、考えたことをあまり飾り立てず簡潔に表明していくことではないかと考えます。

そうした場合、自身の想念、考えのカタチをあまり形式に依らずに、むしろ泥縄式・対症療法的にその場、その場で書いていく方が、結果としては自身を鍛え、また文体の確立、獲得に近づくことが出来るのではないかと思われるのです・・(笑)。

しかし一方、ある時期においては起承転結あるいは緒言、材料・方法、結果、考察といった形式に【意識的に】則り文章を作成することもまた重要であるとも考えるのですが、この移行の仕方、時期とは、おそらく『各々の局面における必要性』によって変わってくると思われますので、その理想モデルなどは示しようがありませんし、またそれ以前に無意味ではないかとも思われます・・。【発展段階説?】

ただ思うことは、意識的に形式に則り文章を作成する時期と形式など考えずに、ただ自身の想念、考えを書いていく時期の双方を持つことが重要ではないかということです。

また弓も弦を張ったままにしておくと切れやすくなると云いますので、意識的であれ、必要に迫られてであれ、双方の時期を【幾度か繰り返し】経験することが思いのほか重要なのではないかと考えます・・。

しかし、そのようなことを書いておきながら、今月最も多く読まれた記事が小説のある部分の形式に則ったものであることは多少皮肉な結果であるのかもしれません・・(苦笑)。

今回もここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。

去る2016年
、熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の速やかな復興を祈念しています。」



2017年6月25日日曜日

20170625 667記事到達・過去に作成した文章を読んで思ったこと、文章の認識的要素・情緒的要素

A「昨日分の記事投稿によって総投稿記事数が666記事となりました。

また、本日分の記事投稿により、それが667記事となります。

この数値とは1000記事を全体、目標とした場合、その三分の二以上に到達したことを意味します。

そして同時に1000記事まで残り333記事ということになりますが、これはこれまで通り、ほぼ毎日の記事投稿を継続することにより、一年程度にて到達可能ということになりますが、そのように考えてみますと、それは果たして長いのか、短いのかよく分かりません・・(笑)。


とはいえ、その一方で、ブログ記事作成当初から現在に至り丁度2年以上継続したことになります。

また1年365日として考え2年としますと730日もしくは731日であり、その間に666の記事投稿としますと大体10日のうち9日は記事投稿を行ってきたことになります。

これに対し、自身としては『まあ、やったな・・』といった感じであり、また、未だ途中と考えることから達成感、感興らしきものはあまり生じませんが、それでも曲がりなりにもこれだけの期間、文章、記事を継続して作成、投稿したことは過去においてありませんでしたので『まあ、折角だから、もう少し継続してみようかな・・』といった感じにはなります・・(笑)。

さて、この先果たして1000記事までどうにか記事作成を継続することになるのでしょうか・・(笑)?

そういえば昨日分の投稿記事もまた、投稿後24時間も経っていないわりには多くの方々に閲覧して頂けたようです・・。

現在、ほぼ10年前に自身が作成した文章、草稿を読んでみますと、後になり割愛した部分などにも、それなりに面白いと思われることも書かれており、おそらく発想力、創造力のトルクといったものに関しては、当時の方が強かったのではないかと感じられます・・。

加えて、さきの文章・草稿を読んでみますと、何といいますか勢い・スピード感らしきものが感じられるのです・・。

おそらく過去のものではあれ、自身の作成した文章であることから、そのような感覚が生じるのかもしれませんが、その点(文章の勢い、スピード感)において、果たして現在の私とは進化しているのでしょうか・・(笑)。

こうしたことは、おそらく自身ではよく分からないことではありますが、しかし、当時作成した文章とは、自分なりに時間をかけ、推敲を重ね、熟考したものであるのに対し、現在作成している一連のブログ記事とは、ほぼ即興といって良いものであり、その点、つまり即興にて、そしてほぼ毎日、ある程度の長さの文章を作成することに関しては多少は進化しているのではないかとも思われます・・(笑)。

また、その内容に関しても、凡そ文章なるものに含まれる要素に認識的なものと情緒的なものがあるとすれば、過去の即興にて作成した文章とは、概ね情緒的要素の割合が高く、それが現在に近くなるにしたがい、認識的要素の割合が高くなっていくといった傾向があるのではないかと考えます。

そして一連の投稿記事においても、記事毎に両要素の割合のブレが認められるものの、より大きな視点にて過去と比較した場合の現在とは、認識的要素が大きくなり、あるいは両要素のバランスが取れている、融合されたような文章を書くことが出来るようになってきているのではないかと思われるのですが如何でしょうか・・?

そしておそらく文体の獲得とは、こうしたことに大きく関係しているのではないかと思われます。

ともあれ、おかげさまで1000記事を目標、全体とした場合の三分の二まで到達することが出来ました。

そして、今回もまたここまで興味を持って読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島周辺において発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後のすみやかな復興を祈念しています。」








20170624 かつて書いた修士論文草稿を偶然見つけて思ったこと・・『牟婁』について

2001年より数年在住した南紀において私は自転車、自動車を用い在住地域をそれなりに散策をした。

こうした折に自転車にて富田川支流のとある上流地域に迷い込んだことある。

ここでの雰囲気がコトバでは未だ上手く書くことが出来ないものの、とにかく何やら神聖?異様?なものであったことが強く印象に残り、後年、当地の大学院にて地域の歴史、文化に関する書籍、文献をやみくもに読んでいると、かつてその地域において、ある特異とも云える雨乞い祭祀が行われていたことを知った。

そこで「これには何かあるのではないか?」と自身の感覚を頼り、さらに研究を進めていると、これと類似した、あるいは同一の起源を持つを考えられる雨乞い祭祀が数少ないものの西日本~東海を中心に数例見出すことが出来た。

また、当雨乞い祭祀の歴史について調べてみると、面白いことに『続日本紀』そして『日本霊異記』から当雨乞い祭祀と強い関連性があると思われる記述、説話をいくつか見出すことが出来た。

そのことから、当雨乞い祭祀は奈良、平安時代以前より行われていたと考え得るのであるが、その起源については、分からず、なおも書籍、文献をあたっていると、戦前の朝鮮総督府が刊行した現地にて行われている雨乞い祭祀を含む祭祀全般について書かれた書籍を偶然、大学図書館にて見つけた。

この書籍によると当時、朝鮮半島においては古来より犠牲獣を用いる諸祭祀が我が国と比べ一般的ではあったものの、さきに述べた特異な雨乞い祭祀形態と同一起源であると判断可能な要素は多くは見出すことは出来なかった。

とはいえ、当書籍によると、傾向としては朝鮮半島南西部の全羅南道にある程度それらが集中していたと云い得る。

この全羅南道とは、我が国特有の古墳形状であるとされる前方後円墳(当地では5~6世紀築造とのこと)が集中して発見されている地域であることから、それらの間には何かしら共通する歴史的背景があるのではないかと考えられる。

ちなみにこの全羅南道とは、古代において百済、新羅と異なり、当時の倭国との関係がより深かったとされる任那に属する地域であったことから、むしろ、こうした関係性の指摘とは当然であるのかもしれないが・・。

また、さらに想像をたくましくすると継体朝の6世紀初頭において、当任那地域の西側が北隣の百済に割譲されるという事態があったことを日本書記が伝えているが、この時に割譲された(任那・全羅南道)地域の一つの地名に『牟婁』というものがあった。

この『牟婁』と同じ字を用いる地名は、日本書記あるいは、さきとは別の『日本霊異記』説話からも理解される通り、現在の和歌山県の紀伊田辺あたりから南紀一帯(田辺市、西・東牟婁郡あるいは南・北牟婁郡も含むか)を指すものであった。

そして、その地域の中でも、おそらく紀伊田辺周辺とは、古来より地域における中核的存在であったことが、その遺跡、遺物等の数量などから理解することが出来る。

この和歌山県の牟婁とさきの任那、全羅南道での古地名である牟婁とは、何かしら関係があるのではないかと考えることが出来るが、一つの仮説として、さきに書いた6世紀初頭の百済による任那割譲の際、百済よりも倭国にアイデンティティーを持つ集団が、その地を離れ、何らかの縁を辿り、対馬海峡を渡り、この地、南紀一帯に住むことになり、その地名を故地にちなんで牟婁にしたのではないかと考えられる。

そして、彼らが頼った縁とは、古代倭国の外交、外地(朝鮮半島)での軍事活動に多く携わったとされる紀伊国の豪族紀氏が関係しているのかもしれない・・。

以上はあくまでも想像ではありますが、同時にそこまで無理なハナシでもないように思われますが如何でしょうか・・?

今回もまた興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。


昨2016
年、熊本、山陰東部、福島周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しています。」


2017年6月24日土曜日

20170623 其2 岩波書店刊 トーマス・マン著『魔の山』上巻pp.268-270より抜粋引用

岩波書店刊 トーマス・マン著『魔の山』上巻pp.268-270より抜粋引用
ISBN-10: 4003243366
ISBN-13: 978-4003243367
『ハンス・カストルプはそのときあいにく頭がぼんやりとしていたし、「ベルクホーフ」の六品の昼食で有機体がてんやわんやであったが、セテムブリーニが法の一般原理を「自由と進歩の源泉」と呼んだ意味を理解しようとつとめた。

ハンス・カストルプはそれまで進歩を十九世紀における起重装置の進歩というようなものに理解してきた。

それにまた、彼はセテムブリーニ氏がそういうものを軽蔑しないこと、祖父のセテムブリーニもまた軽蔑しなかったことを感じた。
イタリア人は二人の祖国であるドイツにたいして、封建制度の甲冑をがらくたに一変させた火薬、そして印刷術がその国で発明されたという理由から、ふかい尊敬を表明した。印刷術は思想の民主的普及、いいかえると、民主的思想の普及を可能にしたからであった。

そういう点で、そして過去の問題にするかぎり、イタリア人はドイツをたたえたが、しかし、ほかの民族が迷信と奴隷状態に沈淪しているときに、まっさきに啓蒙、教養、自由の旗をひるがえした彼の祖国イタリアに、栄冠が当然あたえられるべきであるとした。

従兄弟が彼と山腹のベンチのそばで初めて出会ったときにわかったとおり、彼はハンス・カストルプの専門である工学と交運を重要視していたが、それは工学と交運そのものを重要視していたというよりも、この二つが人間の倫理的完成にたいして持つ意義を重要視していたのであった。

―彼は二つにそういう意義をみとめることをためらわないと言明した。

彼によると、工学は自然をつぎつぎと征服し、連絡をつけ、道路網と電信網を完成し、それによって風土的差別を克服し、諸民族を相互に接近させ相互の親睦を促進させ、相互の人間的協調の道をひらき、諸民族の偏見を打破し、最後には人類全体の融合統一を実現させる上に、もっとも信頼できる手段であった、人類は暗黒、恐怖、憎悪から出発して、光輝ある道を前進し向上して、融和、内面的光明、親善、幸福という最後の目標に向かうのであって、この途上で工学はもっとも有効な推進力であるそうであった。

セテムブリーニ氏はそう話しながら、ハンス・カストルプがこれまではなれあっているものとのみ考えていた二つのカテゴリーを一息に一括して、工学と倫理性!といった。

それから彼はほんとうにキリスト教の救世主についてしゃべりはじめ、キリストが最初に平等と融合の原理を啓示し、つづいて印刷術がその原理の普及をいちじるしく押し進め、ついにフランス革命がそれを法律へ高めたのだといった。

セテムブリーニはそれをたいへん明快なぴちぴちした言葉で話したが、ハンス・カストルプは漠然とした理由からではあったが、その話をひどく混乱した話のように感じた。』

20170623 日常生活(環境・ハナシ言葉)が文章の好みに対して与える影響・・?

A「一昨日投稿の記事はどうしたわけか、その後も閲覧者数が伸び続けております。

以前も書きましたが、ほぼ毎日、習慣として作成している一連のブログ記事において、こうした現象が生じることは、作成者としてはなかなか面白いことであると云えます・・(笑)。

そして、その理由を出来るだけ客観的に考えてみまと、その書かれている文章に、ある程度共感らしきものを惹起させる要素、あるいは、過去の事実を活写したと云い得る要素が見受けられるからではないかと考えます・・。

こうしたことは、おそらく書いた本人ではよく分からないものの、読む側に立った場合において感知し得る何かがあるのかもしれません・・。

一方、そのように考えるものの、自身もまたどちらかと云えば文章を読み慣れている方であり、それ故、おそらくほぼ無意識ながら、文章に対する好みといったものがあるとも考えます。

そして、そのように考えますと、おそらく、これもまたほぼ無意識に行っていることではあるのかもしれませんが、それ(自身の文章に対する好み、志向)が『現在の自身の文体』を成立せしめているのではないかと思われます。

無論、そうしたものは、経時的に変化するものではあるのですが、それと同時に、そのさらに深いところにもまた、経時的にも変化し難い核となるような文章に対する志向といったものがあるのではないかと考えさせられます・・。

そして比較的変化し易い、いわば表層にある志向といったものは、ある程度明瞭に、その時々に読んでいる書籍、文献等の影響を受けていることが自覚され得ます。

一方、表層ではない、内層もしくは深層にある文章に対する志向といったものは『一体どのような過程にて形成され、そして、どのような契機、原因にて変化していくのか?』とは、なかなか明瞭には理解、認識し難いことではないかと思われます・・。

おそらくそれは、表層における志向とも関連はしているのでしょうが、その関連の仕方とは、単にそれが記憶として蓄積され、風化し、その過程において残ったものが、更なる表層の蓄積により、内層もしくは深層を形成するものとなり、また、表層に対して変化を与え得るものとなるといった割合単純な動態だけではないように思われるのです・・。

そして、その際に大きく抜け落ちている要素とは『日常生活からの影響』ではないかと思われます・・。

さて、これまで言及してきた『文章に対する志向』とは、それが表層であれ内層、深層によるものであれ、あくまでも文章つまり『文字言語』に対しての志向であると云えます。

そして、さきほどの『抜け落ちている』とした日常生活からの影響とは、音声言語・ハナシ言葉によるものが大きいのではないかと思われるのです・・。

おそらくこのことも割合スンナリと納得することが出来るのではないかと思われますが、しかし、この文字言語と音声言語の関係とは、あるにはあるのでしょうが、単純にどちらかもしくは双方が活性化することによって何か変化が生じるといったものだけではなく、さらに大きく、先ずその置かれた環境によって、大きく何かが変化し、次いでその環境における音声言語(地方色のある言語文化)から影響を受け、その反応として、おそらく音声言語に変化が生じ、次いで文字言語においてもまた変化が生じるといった感じではないかと思われます・・。

そしてまた、こうしたことは人の精神さらにはその肉体に対してもまた何らかの変化を与えるのではないかと考えますが如何でしょうか・・?

今回もまた興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。

去る2016
年、熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しています。」









2017年6月22日木曜日

20170622 【ブログ開始2周年!】自分を制御するものとは・・「記憶」・「力」?

昨日投稿の記事は投稿翌日ではあるものの多くの方々に読んで頂けました。さて、この記事にて面白く読んで頂けたのは前半部・後半部の何れでしょうか・・?

そして、その要因が主に後半部にあるとしてハナシを先に進めます・・。

さて、昨日の投稿記事にて鉢巻が出てきましたが、この鉢巻とは、それ以前に別の文系院時代の知人が所持したものであり私を含め計3名が学位審査の際に所持していたことになります。

また、この先もそれが上手い具合に誰かの手に渡れば良いとは考えておりますが、さて、それは果たして何時のことになるのでしょうか・・(苦笑)?

加えて、このことを書いておりますと、今後しばらく経ちましたら、こうした経験を経た時期(2012~2013年)のことを、おそらくブログ記事であるとは思われますが、何らかのカタチで書いてみたいとも考えるようになります・・(笑)。

とはいえ、どの時期においてもそうなのですが、世間というものの中で関与する方々とは、全てが全て、文章作成者にとって良い人間ばかりであるとは限らないことから、こうしたものはどうも書き難く感じてしまうのです・・(苦笑)。

その一方で、こうしたことを『筆誅だ!』とばかりに勢い込んで書くのもあまり思慮深い行為であるとは思えませんので、まあ落ち着いた、抑えた筆致で自然に書くことが出来るようになるまで、さきに書いたように、もうしばらく待つのが良いと思われます・・。

しかし、思い返してみますと2012・13年の時期とは、本当に周囲の方々の助けがなければ、どうなっていたか分かりませんし、またそれはとても怖くて想像することも出来ません・・。

あるいはまた2012年のよく分からない多忙さがなければ、さきの想像も出来ない方向に転んでいたのではないかとも思えます・・。

そして、その意味で、やはり私は一つ一つの組織などは別としても、当時在住していた鹿児島の地域社会あるいは大学自体に対しては(大いに)感謝すべきと考えるのです・・。

また、そこで頂いた・埋め込まれた自身でも未だよく分からない『力』により、今現在ブログ記事の作成を継続出来ていたり、仕事になるか分からないことに対してあれこれ動いたり、また決して容易とは云えない大学職種への公募へも応募し続けることが出来ているのではないかと思われるのです・・。

あるいはそれは、一つの地域内にて過ごし、そして、それと同時に(表層的な)合理性にくわえ、他地域およびその文化に対しての優越感を育んでこられた方々には本質的にあまり理解して頂ける心情ではないものと思われます・・。

しかし、であるからといって、非合理的な心情および他地域に対しての意味不明の屈辱感らしきものを感じている方が優れているわけでもないのでしょうが、それでも、たかだかそれだけのこと(そうした地域に住んでいること、その文化を我が物としていると信じていること)で他地域に対しての優越感を覚えている文化全般の浅薄さとは、正直なところ、どうしても感じざるを得ないことがあります・・(苦笑)。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、
熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によえい被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。














20170621 ブログ記事作成の環境について、先輩からの葉書にて思ったこと・・

本日もまた昨日分の作成記事同様、帰宅後すぐには記事作成を行うことなく、一度休み、深夜過ぎになり記事作成を開始しました。こちらの時間帯の方が比較的静かになっており、記事作成に適していると云えるかもしれません・・。

また、こうしたことは人によっても異なるのかもしれませんが、私の場合、ブログ記事作成の際は割合静かな環境の方を好みます。

時折、喫茶店などでノートパソコンにて何やら書類等を作成されている方々を見かけることがありますが、私の場合、概ね、そうしたことは不得手であると思われます・・。

しかし一方、大変面白いことに、以前、当ブログ記事の下書きをノートに書いて作成していた時期がありましたが、この場合は、喫茶店、図書館といった環境の方が文章の作成は捗るようであり、少なくとも、さきに書いたような静かな環境を好むといったことはありません・・。

このように考えてみますと、そうした『ブログ記事を作成するという同一の行為』において、何故そのような差異が生じたのかとは、なかなか興味深いものがあると云えます。

何故ならば、そのような微妙な点*PCへの直接入力*ノートへの下書きの作成により、それぞれの記事作成に適していると感じる環境が異なるということは、あるいはさらに何か他の要素を加味することにより、また更なる変化が生じるという可能性が示唆されるからです・・。

これは今後さらに考える価値があるものと云えます・・。

そして、今後、何かしらの変化もしくは成果が生じた場合、またそれをブログ記事にしてみようと思います・・(笑)。

さて、つい先日文系院時代の先輩からお葉書が届きました。

文面によると、さらに以前、私が送付したあるものが起因のようですが、その一方で、つい先日頂いた別の文系院時代の知人からの電話との関連性もまた聊か気になるところです・・(笑)。

この葉書を書かれた方は、私の周囲で初めて、あるいは先陣を切って博士課程に進まれた方であり、また、さらに思い返してみますと、以前、当ブログにも書きましたが、2013年7月の私の学位審査直前に、御自身が同じ局面において所持されていた『闘魂』と書かれた鉢巻を手紙と共に送付して頂いた方でもあります・・。

これらが封入された封筒を開け、中を確認した時は、さすがに多少目が潤みました・・。

とはいえ、現状において博士課程、就中、文系に進学する場合、その先にかなりの困難(本当にこればかりは『困難とコトバで書くのは簡単だが・・』と思います。)が予想されると考えられますので『周囲にそうした方が出て欲しい』と望む気持ちとは、なかなか複雑なものであるとも云えます・・。

また一方で、自身の場合、専攻研究分野こそ異なりますが、同じ局面に至るまで、さまざまな事情があったと云えますので、現状をも含め、その『困難』とは、ある程度は理解出来るのではないかと思われます・・。

加えて、それと多少関連することであり、またこれは自身の現在の職務ともまた関連することではあるのですが、今後、歯科衛生士にて大学院(修士・博士)に進学された方々が就職先として臨床を行う個人経営の歯科医院あるいは中小医療機関に向かう傾向が増大することにより、歯科医療ひいては社会全般が多少変化するのではないかと思われます・・。

そして実際、そのように感じさせる兆しのようなものが時折感じられるのです・・。

しかしながら、これに関しては、もう少しの観察期間を要することではありますが・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。