2018年5月7日月曜日

20180507 自意識の強さから生じる想像力による危なっかしさについて・・

本日の首都圏は朝から曇り気味の天候であり、そして夕刻より雨が降りはじめ、短時間ではありましたが、最近では珍しいほどに強く降ったのではないかと思われます。

また、昨日投稿分のブログ記事はGW中程ではありませんでしたが、比較的多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。そして、その中で取り上げていたコンラッド著『ロード・ジム』に関しては、現在若い方々こそ、興味深く読むことが出来るのではないかと思われました。

この著作から看取される、ある程度普遍的であると思われることは『自意識の強さと想像力はある程度随伴するのではないか?』ということであり、それは相対的に若い頃の方が強く、年齢をある程度重ね、さまざまな経験を経ることにより、角張った自意識の角が磨滅し、丸みを帯び、それに伴い想像力もまた徐々に減衰し、何と云いますか若い頃特有の『危なっかしさ』のようなものがなくなっていくのではないかと思われます・・。

その意味で、この『ロード・ジム』がまさに描いていることは『若い想像力がもたらす危なっかしさによる出来事とその帰結』であり、女性は分かりかねますが、多くの男性にとっては、何かしらのそうした時期・出来事(黒歴史というのだろうか?)があるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

しかしながら、であるからといって、こうしたいわば危険な時期・出来事は経験しない方が良いというわけでもなく、むしろ若い多感な時期にこそ、そうした経験を出来るだけ多く積んだ方(場数を踏む)が良いのではないかと思われるのです・・。

また、我が国を含む、ある程度西洋化された社会において、各種情報機器が進化発展し、さらに近視眼的とも云える合理主義あるいは科学偏重主義に拍車が掛かることにより、さきに述べた自意識による想像力がもたらす『危なっかしさ』そのものを避けるようになり、そして、その先にあるかも知れない相転移的な成長の可能性を一律に潰してしまうようにも思われます・・。

年齢層が高い施政者側からすれば、従順で扱いやすい若者世代の方が良いのかもしれませんが、しかし、そのようにして世代を重ねることにより、徐々に、その国民・民族自体の創造性・知的活力が損なわれていってしまうのではないかとも思われるのです・・。

そして、ここまで書いて想起されたことは、多少ニュアンスは異なるのかもしれませんが、概括においては、三島由紀夫、司馬遼太郎が最後まで危惧していたことではないかとも思われましたが、さて如何でしょうか?
(あるいは、さらに大きな視点で考えてみますとニーチェやオルテガなどの思想にも近い何かがあるのかもしれません・・)

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年以来、現在までに日本列島各地において発生した、現在も継続する、さまざまな大規模自然災害によって被害を被った、被っている地域での諸インフラの回復および復興を祈念します。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5












2018年5月6日日曜日

20180506 自身の行為に対し演繹・帰納両法にて考えてみると・・才能か根気か?

本日の首都圏は日中は比較的良い陽気でしたが、夕刻より風が強くなり、天気も曇ってきました。また、天気予報によると明日は雨時々曇りとのことであり、今後、天気は下り坂になって行くとのことです。

それはさておき、昨日作成の記事もまた、おかげさまで投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。くわえて、本日の記事作成・投稿により総投稿記事数が980に到達します。とはいえ、以前より引き続き、これに対しての感興や達成感といったものも、ほぼ皆無であり、またそれは、おそらく今後1000記事に到達することが出来たとしても同様ではあるまいかと思われます・・(苦笑)。

しかし他方、記事作成による感興・達成感を感じられなくとも、どうにかほぼ毎日の記事作成を継続出来ていることは、数年前の自身では明らかに為し得なかったことであると云えますので、あるいは感興・達成感といったものが記事・文章作成のための創造性・エネルギーに昇華・転化されるメカニズムらしきものが出来てきたようにも思われます。

そのように考えてみますと、何であれ安定した創造のためには、感興や達成感を感じる感受性およびそれをもたらす想像力よりも、何かしら作成することを継続することの方が重要であり、そして、その過程でさまざまな進化発展もしくは成熟が為されるのではないかと思えてきます・・(出鱈目は出たら芽になる?)。

さらに、そのように考えてみますと想起されるのはコンラッド著『ロード・ジム』という著作であり、この著作は、多感な若いうちに読むことにより何かしら得るものがあり、また、その後何処かで思い起こすこともあるように思われます・・。それ故、興味を持たれた方は御一読をおススメします。

概観してみますと、自身は感興・達成感に対して鈍感になること、そして読んでくださる方々がいらっしゃることにより、どうにか現在まで記事作成を継続することが出来ており、また同時に、時にはかなり面倒に思うこともありますが、それでも、どちらかと云えば自然に出来ていることから、おそらく自身には文章作成に関しては、決して天賦の才能があるわけではないですが、ただ、ある程度の期間、文章の作成を継続することが出来るといった根気らしきものは、あったのではないかと思われてきます。

また、それに対して他の表現を試みますと、三年近くの期間ほぼ毎日継続出来る程度には、文章作成に対して興味を持ち得るということであり、また『少なくとも嫌いではない』ということは云えるのかもしれません・・。

しかし、面白いことにこうした自身の性質についての言明らしきことを行っていますと『その主張は分かったとしても、その淵源はどこにあり、どのような経緯を辿り、その言明に至っているのか?』と考えるに至り、そうしますと、なかなかそれらしい考えといったものが不思議と出てこないものなのです・・(苦笑)。

おそらく、そうした構造・性質に演繹・帰納両法の違いの本質があるようにも思われますが、さて如何でしょう?

今回も、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年より現在までに日本列島において生じた、現在も継続して生じている、さまざまな大規模自然災害により、被害を被った地域の諸インフラの復旧および復興を祈念します。

~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
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ISBN978-4-263-46420-5
















  

2018年5月5日土曜日

20180505 比較的多くの方々に記事を読んで頂いて思うこと・・継続か技術の向上か?

おかげさまで、昨日投稿分の記事もまた、一昨日ほどではありませんでしたが多くの方々に読んで頂けました。また、その後に当記事内容に関連する他のいくつかの記事が読まれていたことから、関心を持ちつつ読んで頂いていることが伝わってきます。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

さて、ここ数日も『思想・観念』を題材とした記事を作成してきましたが二年程前を思い返してみますと、こうした題材にて記事を作成、投稿してみても、あまり多くの方々に読んで頂けることはなく、また、たしかに当時作成した記事を現在読んでみますと、そこには何かしら面白いことが述べられていることもあるのですが、多くの場合、昨今作成されたものと比べ、いさかさか内容が散漫であり、また文章自体も読み難いように思われるのです。

しかし、であるからといって『昨今作成した記事の方が以前のそれに比べ面白いのか?』と考えてみますと、その判断は難しく、さらにまた、ブログをも含めた継続的な文章の作成の場合、その最先端とも云えるより現在に近い文章の方が、作成している本人からすれば読み易いのは当然であり、それは厳密には、もしくは客観的には、文章作成技術の向上とは云えないように思われます。

とはいえ、他方、さきに述べた閲覧者数の増加が現象として認識されますと『自信の作成する文章が向上したことにより多くの方々に読んで頂けるようになったのではないか?』とも考えられるところですが、ここをもう少し考えてみますと、それは文章作成技術の向上よりも、それ以前にある継続的な文章の作成により多く帰するのではないかと思われてくるのです・・。

また、それは実名にて作成し、さらに公表を前提とすることから生じる緊張感らしきものにより、何らかの効果も生じているのではないかとも考えられます。

つまり、継続的な文章作成であっても、それが個人的な日記のように公表を前提としないものであれば、こうした変化とは感知・認識することが困難であり、それ故、以前に述べた『ある程度の期間、自身を何かに投じること』とは、こうしたこと(実名による継続的なブログ記事の作成)もまた含まれるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、本日もまた、どちらかと云えば抽象的なことがらを題材としてきましたが、ここ数日は先日購入した我が国古代史に関する(ある程度)専門的な概説書を読んでおり、この著作は1984年の島根県出雲市の荒神谷遺跡の発見および1996年の同県雲南町での加茂岩倉遺跡の発見以前に執筆・刊行されたことから、古代の西日本における勢力図の様相の記述において、現在所与のものとされる歴史像とは多少異なるところがあるのですが、それでも、その全体としての記述には、現在においても十分に通じる価値があるように思われるのです。

そして、その要因について考えてみますと、その文章を読み、当時所与とされた知見を以て真摯に歴史像を述べていると認識されるからであると考えます。また、こうしたことは何も歴史像の記述のみならず、他のさまざまな文章においても同様の構造・事情といったものがあるように思われるます・・。また、我々の遠い祖先もこうした構造・事情を認識しており、そこに言霊なるコトバを充てていたようにも思われるのです・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。近年から現在までに列島各地にて生じた、現在も継続しているさまざまな大規模自然災害により被害を被った、被っている地域での諸インフラの回復および復興を祈念します。


~書籍のご案内~
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20180504 自分の文章にて書き続ける意味について・・(昨日投稿分記事から思ったこと)

昨日投稿しました書籍からの抜粋引用部は、おかげさまで投稿翌日にしては、かなり多くの方々に読んで頂けました。また、その閲覧者数は過去最高とはいきませんでしたが、これまでの全投稿記事のなかでも五本の指に入ると思われますので、あるいは『バズッた』と評しても良いかもしれません・・。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。


とはいえ、この多くの方々に読んで頂けた記事が、書籍からの抜粋引用であることは、その引用部選択のセンスにいくらかの自信を持って良いのか、あるいは、自身の文章でないことを悔しがるべきであるのか分かりませんが、何れにせよ、時には、こうした先哲が遺した興味深いと思われる文章をキーボード上にて書き写す作業も、全くの無意味であるとも云えませんので、今後も機会を見つけ、こうした記事を随時追加していきたいと考えています。

また、面白いことに書籍からの抜粋引用を用いた記事が多くの方々に読んで頂けますと、その反応としてか、他のそれに関連すると思しき書籍の記述が想起されるようであり、本日に関しても昨日と同様、書籍からの抜粋引用を以て記事にしようと考えましたが、それが癖となり、スムーズに自身の文章を作成出来なくなるおそれもあることから、本日は斯様に自身の文章にて記事を作成しています・・(苦笑)。

そしてまた、多少牽強付会の気味がありますが、こうしたことは創造性に関与する教育においても同様であり、たとえどんなに優れた手本となり得る既存の存在があったとしても、その『完コピ・複製』の作業を続けるばかりであっては、さまざまな進化発展の機会・契機は損なわれてしまい、また、そうした傾向を持つ社会においては次第に活気も創造性も失われていくのではないかと思われるのです・・。その意味において、現在も進化発展を続けているさまざまな情報機器は、まさに諸刃の剣であり、我々はそうした機器を全く拒絶するのでもなく、またそれに呑み込まれるのでもなく、それをあくまでも道具として用い、精神を駆動させ、能動的な活動を行うことにより、活気そして創造性をも保持することが出来るのではないかと思われるのです・・。

さらに、社会レベルにおいて、全く異論の余地がない権威・手本といったものが存在することも、ある程度長い期間(数十年くらい)にて考えてみますと決して望ましいものではないようであり、またこれは昨日投稿分の抜粋引用部ともいくらか関与することであるように思われます・・。

そして、ここまで書いて不図思い起こしたのは、ニーチェによる『ツァラトゥストラかく語りき』に登場するツァラトゥストラの口真似をする『ツァラトゥストラの猿』のことであり、それはもちろん自身に対しての警句であり、また次いでコスプレやカラオケといった『完コピ・複製』文化全般についてあまり警戒をしない、特に昨今の我々の社会傾向・文化に向けられても、それは必ずしも不当な批判ではないようにも思われるのですが、さて如何でしょうか・・?

そして最後に短いですが、書籍からの抜粋引用にて本日投稿分の記事を終えようと思います。

『でき上ったものが硬化しないように、
作りかえるために、
永遠の生きた活動が働いている。
・・・・・・・・・・
それは活動し、創造的に行動し、
先ず形をなし、ついで形を変える。
瞬間とどまることはあってもそれは外見だけである。
永遠なものは一切のもののうちに活動し続ける。
万物は存在に執着するならば、
崩壊して無に帰するほかはないのだから。』

ゲーテ 『神と世界』1821年10月作詩

『芽ばえつつある才能にとっては、シェイクスピアを読むことは危険である。シェイクスピアは否応なしに彼らをして自分を模作させる。それで彼らは自分の創作をしたつもりでいる。』

ゲーテ 『格言と反省』から 1809年

今回も、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。近年より現在までに日本列島にて生じた、現在も継続して生じているさまざまな大規模自然災害によって被害を被った地域の諸インフラの復旧および復興を祈念します。

~書籍のご案内~
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ISBN978-4-263-46420-5








2018年5月3日木曜日

20180503 岩波書店刊 バートランド・ラッセル著 安藤 貞雄訳 『ラッセル教育論』pp.50‐52より抜粋引用

岩波書店刊 バートランド・ラッセル著 安藤 貞雄訳
『ラッセル教育論』pp.50‐52より抜粋引用
ISBN-10: 4003364929
ISBN-13: 978-4003364925

『近代の日本は、あらゆる大国に顕著に見受けられる一つの傾向を最も明瞭に示しているーつまり、国家を偉大にすることを教育の至上目的とする傾向である。日本の教育の目的は、感情の訓練を通じて国家を熱愛し、身につけた知識を通じて国家に役立つ市民を作り出すことにある。この二重の目的を追求する際に示された見事な腕前は、いくら称賛しても足りないくらいである。

ペリー提督の小艦隊が到来して以来、日本人は、自己保存が非常に困難な状況に置かれてきた。自己保存そのものがけしからぬと考えるのでないかぎり、彼らがそれに成功した以上、その教育方法も正しかったということになる。

しかし、彼らの教育方法は、絶望的な状況にあったからこそ正しかったのであって、どんな国民であれ、差し迫った危機にさらされていない場合はけしからぬものであっただろう。
神道は、大学の教授さえも疑問をさしはさむことを許されないもので、そこには『創世記』と同じくらい疑わしい歴史が含まれている。日本の神学上の圧政に比べれば、デイトン裁判も顔色を失って、些末なものになってしまう。これに劣らぬ道徳上の圧政もある。

たとえば、国家主義、親孝行、天皇崇拝などは疑いをさしはさんではならないものであり、したがって、さまざまな進歩がおよそ不可能になる。この種のがんじがらめの制度は、唯一の進歩の方法として革命を誘発しかねないという大きな危険をはらんでいる。この危険は、いますぐというわけではないが、現実のものであり、主として教育制度に起因しているのである。

 このように、近代の日本には、古代の中国の欠点とは正反対の欠点が見いだされるのである。中国の知識階級があまりにも懐疑主義的で怠惰であったのに対して、日本の教育が生み出した人間は、あまりにも独断的で精力的になるおそれがある。

懐疑に黙従することも、独断に黙従することも、教育の生み出すべきものではない。

教育が生み出すべきものは、たとい困難ではあっても、知識はある程度獲得できるのであり、どの時代においても、知識として通用しているものは多少とも誤っている見込みがある。その誤りは注意と勤勉さによって正すことができる。という信念である。

信念に基づいて行動するにあたっては、ささいな誤りが災害を招くおそれのある場合には、きわめて慎重でなければならない。にもかかわらず、私たちは、まさに信念に基づいて行動しなければならないのである。

こういう心的態度は、かなりむずかしいものである。なぜなら感情を委縮さえることなく、高度の知的教養を持つことを要請されるからだ。しかしむずかしいとしても、不可能ではない。それは、まさに、科学的な気質というものである。知識は、他のよきものと同様、身につけるのは困難ではあっても、不可能ではない。独断論者はそのむずかしさを忘れ、懐疑論者はその可能性を否定する。両者は、ともに誤っている。そして、その誤りが世にはびこれば、社会的な災害が引き起こされる。』

20180502 人文社会科学系学問は社会動向の判断・補正装置のようなものであるのか?

本日の首都圏は朝から曇り、そして夕刻前あたりから雨が降り始め、夜半の現在においては一先ず止んでいます。しかし、この天気の崩れは明後日まで続くとのことです。自身としては、本日内にもう少し動けるだけ動いておいた方が良かったとも思われましたが、よくよく考えてみますと、現在行っていることも特に急ぐ必要はなく、一つずつ片付けていくのが良いと思います。

さて、ハナシは変わり、昨日投稿分の記事もまた、ここ一連の『思想・観念』を題材とした記事につながるものであり、また、比較的多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

ともあれ、そこで述べた概要は、多くの学問的な知識・知見と同様、『思想・観念』においても『完コピ・複製』では『持続可能性』が乏しく、それを(出来るだけ能動的に)理解・咀嚼し、さらに自身のコトバにて表出可能な自己嚢中のものとすることにより、更なる新たな創造・進化発展につながり、また、その経緯が自然なカタチにて為されるためには、予め、そうした『思想・観念』を、ある程度日常的なものとする経験が重要であり、そして、そうした経験を知覚・認識するために、さまざまなモノガタリ・小説が、その核・マトリックスとなるのではないかということです。

とはいえ、それは有形無形を問わずオカミからの既成価値基準の押し付けであってはならないということが、特に(昨今の?)我が国においては難しいことであり、またそれが『思想・観念』などを扱う人文社会科学系学問全般において重要且つ難しい問題ではないかと思われるのです・・。

また、それ故にこうした問題に関しても、ある程度日常的なものとする経験、およびそれを知覚・認識するための文化コンテンツは、本来はこうした目的に沿うためのものではありませんが、重要であり、その意味において昨今流行している、さまざまな文化コンテンツ(マンガ・アニメ・ゲーム)などは、おそらく適度(どの程度か分かりませんが)に楽しむ分においては何かしら良いものもあるのかもしれませんが、ある程度の期間にて考えてみますと、それらはあまりもに世界観が規定されており、閉じた系であることから、新たな創造には寄与することが乏しいように思われるのですが、さて如何でしょうか?

とはいえ、こうしたことも社会における何かしらの空気といったものがあるにせよ、言論の自由が存在するからこそ、述べることが出来るわけであり、こうしたことを考えてみますと、時間はかかるのでしょうが、我が国における高等教育にて何らかの変革が為された方が良いのではないかと思われてきます・・。

そういえば、昨日のウィトゲンシュタイン著『論理哲学論考』の著者による序文と似たようなことをショーペンハウエル著『読書について』で述べていたことが思い出されましたが、たしかに方法論的に『思想・観念』を『完コピ・複製』した勢いのある世代が跋扈するようになりますと、我が国では、そうした勢力を自然に抑制出来るような仕組み・装置が乏しいのではないかと思われるのです。しかしながら、本来、人文社会科学系学問の重要さは、そうしたところにあるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年より
現在までに列島各地において発生した、あるいは現在も継続して発生しているさまざまな大規模自然災害によって被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念します。


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2018年5月2日水曜日

20180501 蒸留された『思想・哲学』のもとにあるものの重要性について・・

本日の首都圏は春というよりも初夏に近い陽気であり、すでに春もののコートは収納しても大丈夫ではないかと思われましたが、明後日は天気が崩れるとのことであり、今しばらく収納は控えることにします・・。

さて、昨日投稿分の記事は、その二日前(4月28日)から引き続き『思想・観念』を題材にしましたが、これもまた思いのほか多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

そして、そこで述べたところは概ね『思想・観念』においては、完全なる複製よりも、当初は先ず理解するためにその『思想・観念』と一体化・人間化(インカーネーション)を試みるのですが、それだけであると『更にそこから考える』ことが困難になることから、次にその『一体化・人間化』された『思想・観念』を色眼鏡として用い、世界を捉え・解釈することになるのですが、その際にまた新たな視点・見解が発見され、それにより当初『一体化・人間化』された『思想・観念』がより自分なりに適正化・補正され、より『一体化・人間化』の深化が為され、あるいはそれ(『思想・観念』)が自家嚢中のものとなっていくのではないかと考えます。

つまり、ある『思想・観念』を理解・解釈するためには、その『思想・観念』を一度分解し、次いで自身の使い慣れたコトバにて再構成するといった思考の過程が必須であり、この過程がなくては、その次の新たな視点・見解の発見に至ることは困難であると云えます。また、そうした事情から、おそらく他の多くの学問も同様であると思われますが『思想・観念』を扱う学問分野とは特に、事前にある程度その『思想・観念』と類似した考えを内発的なものとして持つ経験がなければ、その『思想・観念』を理解そして一体化・人間化することは困難であると思われるのです。

また、ここまで書いており不図想起したのはウィトゲンシュタイン著『論理哲学論考』の著者による序文冒頭部にて、それと類似したことを述べていたことであり、その意味において『思想・哲学』の長年読み継がれる著作とは、多くの人々の半ば無意識による思考の蓄積が明瞭化・文章化・顕在化されたものとも評し得るのかもしれません・・。

また、そのように考えてみますと実際の経験を『思想・哲学』の色眼鏡で解釈することが出来るようになるためにも、ある程度、形而上的な思考の経験は必要であると思われるのですが、その際に大変有効且つ重要であると思われるものが、これまでにも何度か述べたことではありますが『思想・哲学』として蒸留される以前の、より直接的な経験に近いことを述べたものと云える、さまざまなモノガタリ・小説ではないかと思われるのです。

そして、それはおそらく現今流している、いささか下腹部を刺激する絵柄のマンガや代替としてのさまざまな経験を与えてくれるゲームによって肩代わりすることが出来るもので
はないように思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年から現在に至るまでに列島各地にて発生した、あるいは現在も継続して発生しているさまざまな
大規模自然災害によって被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念します。


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