2017年12月1日金曜日

20171201『Historical perspective on dental casting alloys』Published by Saunders Written by Kenneth J. Anusavice 『Phillips Science of Dental Materials』Eleventh Edition  pp.564‐565より抜粋引用

『Historical perspective on dental casting alloys』Published by Saunders
Written by Kenneth J. Anusavice
『Phillips Science of Dental Materials』

Eleventh Edition  pp.564‐565より抜粋引用
ISBN-10: 0721693873
ISBN-13: 978-0721693873


Historical perspective on dental casting alloys
The twentieth century generated substantially new changes to dental prosthetic materials. The major factors that are dividing new developments are 
(1)economy-the new material performs the same function as the old material but at a lower cost; 
(2)performance-the new material performs better than the old product in some desirable way, such as ease of processing, improved handling characteristics, or increased fracture resistance; and
(3)aesthetics-the new materials provides a more aesthetic result, such as increased translucency. A brief description of the evolution of the currently marketed alloys is appropriate to understand the rationale for the development of the wide variety of alloy formulations. A summary of the major events in the evolution of dental casting alloys is shown in Table 19-1.


1905-The Lost Wax Process
Taggart’s presentation to the New York Odontological Group in 1907 on the fabrication of cast inlay restoration developed in 1905 often has been acknowledged as the first reported application of the lost-wax technique in dentistry. The inlay technique described by Taggart was an instant success. It soon led to the casting of inlays, onlays, crowns, fixed partial dentures(FPDs), and frameworks for removable partial dentures. Because pure gold did not have the physical properties required for producing durable restorations, existing jewelry alloys were quickly adopted. These gold alloys were further strengthened with addition of copper, silver, or platinum. Gold alloys were chosen because of their biocompatibility and ease of use.


1932-Classification of Gold-Based Casting Alloys
In 1932, the dental materials group at the National Bureau of Standards surveyed the alloys being used and classified them as TypeⅠ(Soft, Vickers hardness number[HV] between 50 and 90), TypeⅡ(Medium, HV between 90 and 120), TypeⅢ(Hard, HV between 120and

150),and TypeⅣ(Extra Hard, HV≧150). This classification became the basis for American National Standards Institute /American Dental Association (ANSI/ADA) Specification No.5 and later, ISO Standards 15592. Because of the multitude of casting alloys of diverse composition and applications, it is extremely difficult to devise a universally acceptable classification system.
During this period, the results of some tarnish tests suggest that alloys with a gold content lower than 65% to75%tarnished too readily for dental use.


In the following years, several patents were issued for alloys containing palladium as substitute for platinum. By 1948, the composition of dental noble alloys for cast metal restorations had become rather diverse. With these formulations, the tarnishing tendency of the original alloys apparently had disappeared. It is now know that, in gold alloys, palladium counteracts the tarnish potential of silver, allowing alloys with a lower gold content to be used successfully.


20171130 今月(11月)最後の記事投稿:記事作成時における脳の活動部位

昨日は帰宅が遅かったことから新たなブログ記事の作成を躊躇し、また作成している段においても時折強い眠気に襲われ記事作成に多少苦労しました。

そして、本日為されるであろう記事投稿により11月が終わり、来る12月中に28記事を新たに作成投稿することにより、どうにか年内に850記事まで到達することが出来ます。

12月の31日の中で28日を記事作成に充てるというのは、この師走においては、なかなか大変であるかもしれませんので、この月に関しては休日などで複数の記事作成が可能であると思われる日は、出来るだけそのようにしてみようと思います・・。

とはいえ、あくまでも目標とするのは年内の投稿記事850への到達であり、出来るだけ無理をしないで、且つ可及的速やかに到達したいものです・・(笑)。

また、それはさて置き、昨今は歯科材料および我が国の古代史などを題材として記事を作成したことが多かったと思われますが、各々を主題として記事、文章を作成しておりますと、その用いる頭の部位が異なることが感覚的ではありますが、比較的明瞭に理解することが出来ます。

おそらく各々主題とする文章の作成時における脳の部位毎の血流量もしくはその微妙な発熱具合などを調べてみますと、それは可視化され得る(具体的な)理解に至ることが出来るのではないかとも思われます。

とはいえ、こうした傾向とは必ずしも普遍的(ある程度の傾向はあるのかもしれないが)なものではなく、人によっては私が歯科材料を主題とする文章を作成する際に最も活発なる働きをしている脳の部位が、異なった何かを主題とする文章を作成する際に活発に動いているのではないかとも思われます(このあたりがおそらく機械(の部品)などと大きく異なるところではないだろうか?)。

また、そのように考えてみますと、多少即物的であるかもしれませんが、こうした活動する脳の働きの傾向などを知ることにより、我々が日常的にある程度の具体性を持ったコトバとして用いている地域性、職業における行為態度、学問分野などにおける志向、嗜好の傾向といったものの正体を多少は理解することが出来るのではないかとも思われるのです。

あるいは、既にそうした研究とはどこかで為されているのかもしれませんが・・。

また、それと同時にここで思うことは、そうした研究によりある程度の傾向らしきものが得られた場合においても、そうした知見とは、あまり早急にそして広汎に現在為されている教育活動の改善などに用いない方が良いのではないかということです。

そしてまた、おそらくこうした部分に宗教、哲学などといった所謂、形而上学的な要素が大きく関与するのと思われるのですが、我が国の場合、面白いことに、こうした部分に対して関心を払うことは極めて少ない一方、ある事物の外観から、その鋭敏な感覚を以って、その事物の本質に迫っていこうといった(かなり強い)傾向があり、そして我が国の場合、それこそが宗教、哲学などに代わり得る視座であるのではないかと思われるのです・・。

そして、その場合PC、スマホの普及などは、さきの視座に対して少なからぬ影響を与えているのではないかとも思われるのです。

また、同時に、そこにはおそらく昨今のマンガ文化とも通底する何かがあるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もまたここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された
諸地域のインフラの復旧・回復および力強い復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。





























2017年11月30日木曜日

20171129 合金について④

以前にも触れたが、これまで歯科用合金として多く用いられているものは、そのイオン化傾向の低さ(口腔内での安定性、人体為害性の低さ)から、貴金属を主たる組成とする合金であり、とりわけ金合金はその用途により、組成が異なる数種類が存在する(タイプⅠ~Ⅳ、白金加金)。

また、窩洞部への直接金修復(金箔充填)以外に用いる金合金とは、鋳造操作により所望の形状を得る手法(歯科精密鋳造)が採られるが、この手法により作製される補綴物とは、口腔内における用途により、その材料となる合金の選択が為される。

つまり、金本来が持つイオン化傾向が低く、そして展延性に富むといった性質から、その組成比が相対的に高い金合金とは、基本的に柔らかであり、大きな荷重のない部位への修復に用いられる、一方、耐食性を保持しながらも熱処理により機械的性質の向上を図ることが出来る程度に合金化された、すなわち他の金属が有意に含まれる金合金とは、荷重のかかる部位への補綴物の作製に用いられると評し得る。

とはいえ、この合金化された金合金と云えども、金の成分は70%程度以上は含まれていることから、その価格とは決して安価とは云えず、それ故、これら金合金とは保険適応の歯科用合金として用いられることはない。

そうしたことから、開発されたものが歯科用銀・パラジウム合金であり、これは通称金パラと称されているが、この合金とは分類としては銀合金であるのだが、JISの分類において金銀パラジウム合金と正式に称されていることから、以下金パラと記す。

さて、この金パラの主たる組成とはJIS規定によると金12%、パラジウム20%以上、銀40%以上(残り組成の多くが銅)と示されている。

とはいえ、その組成は時代と共に変化しており、我が国経済が振るっていた時期においては金の成分が20%含まれていた時期があったと聞く。

ともあれ、この金パラの主たる組成である銀とは、イオン化傾向は低いものの、硫化(銀の場合黒化する・『いぶし銀』とは表面が硫化した銀のこと)の傾向があり、この性質とは口腔内環境において決して望まれるものではない。

そして、この銀の硫化傾向を抑える性質を持つ金属が、金パラに含まれる他の貴金属成分である金・パラジウムであり、またパラジウムは銀の硫化傾向を抑えると同時に、熱処理によって銀・パラジウム規則格子の形成が為され機械的性質の向上にも大きく寄与している。

しかしながら、昨今は金のみならずパラジウムの価格も高騰し、この金パラの安定的供給もまた強く懸念されている。

そうした事情から近年注目を集めている歯科材料がセラミックスであるジルコニア、あるいは医科分野における人工股関節などにて以前より人体内にて用いられてきたチタン、コバルトクロム合金などであるが、これらに関しては現在もさらなる諸性質の向上が図られている実験、研究開発の最中であると云える。

ともあれ、いずれにせよ近い将来、これら材料は歯科分野において、より多く用いられることになるのではないかと考えられている。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに日本列島にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復そして力強い復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。








2017年11月29日水曜日

20171129 昔の神話・物語におけるきのこについて・・ (書籍三点よりの抜粋引用)


「アジア史概説」 宮崎市定著 中央公論社 p.206
「インド文化と日本」
「日本では古来インドを普通に天竺、中国を唐(から)とよび、日本・唐・天竺の三国が世界の文化を代表するものと考えた。いわゆる三国一は世界一を意味し、三国伝来はもっとも珍奇貴重という意味であった。インドの文明は日本では仏教文化で代表されていたが、この仏教文化はたんに宗教思想としてでなく、インド文化全体日本に紹介する通路となったものであった。「今昔物語」にはインドの寓話が数多く転載され、盂蘭盆、施餓鬼などのインド行事は、中国社会を通じて日本にも伝わり、暦術、音韻学も日本に輸入された。今日もなお日本で盛んな囲碁や将棋もその起源はインドにあると認められている。」

「今昔物語」福永武彦訳 ちくま文庫 pp.328-329
「今は昔のこと、京に住む木こりたちが連れ立って北山に行った事があった。すると道に迷って、どちらに帰ればよいのかわからなくなり、山の奥深く四五人ばかり集まって、嘆いていた。すると山奥のほうから人が来る様子。誰が来るのかと不思議に思っていると、四五人ほどの尼さんたちが、歌を歌い、手振り足振りで舞を舞いながら、姿を現した。木こりたちはこれを見て怖がり、舞を舞いながら来るとは、この尼さんたちはとても人ではあるまい、天狗かしらん、鬼神かしらん、などと顫えていると、尼さんたちは木こりを見つけてまっすぐにこちらに来た。
 とうとう尼さんたちがすぐそばまで寄ってきたので、木こりはびくびくしながら、「もうし、あなた方はどうしてそんなに踊りながら、山奥からおいでになったんです?」とたずねると、尼さんたちが答えるには、「わたくしたちがこんなに踊っているので、お主たちもきっと不思議に思っておいででしょうが、わたくしどもは某に住む尼です。花を摘んで仏さまにお供えしようと、連れ立ってこの山に登りましたが、道に迷って帰れなくなりました。そこにたまたま茸が生えているのを見つけて、ひょっとこれを食べたらあたるかもしれないとも思いましたが、空腹のあまり飢えて死ぬよりは、いっそ食べましょうと思って、焼いて食べました。たいそうおいしかったので食べて良かったと思ううちに、いつのまにか、その気でもないのに手足が動き出して、この様に舞を舞い始めました。不思議なことと思いますが、何とも止めようがありません」と言って踊っているので、木こりたちも話をきいてあきれはてた。
 しかしこれらの木こりたちも、やはりしだいに腹がへってきたので、尼さんたちが食い残してなお持っていたその茸を、死ぬよりはましだともらいうけて食べた。そうすると木こりたちも、ちっとも気がないのに同様に手足が動き出した。そこで尼さんも木こりも、お互いに舞い続けながら相手の踊るのを見て笑った。しばらく踊ったのちに、どうやら酔いがさめたような気分になって、どこをどう歩いたともわからぬうちに、おのおの自分の住まいに帰った。こののち、この茸のことを舞茸と呼んだ。思えばたいそう怪しいことである。近頃でもこの舞茸というものはあるが、それを食べても必ず舞うとは限らない。どういうわけか不思議千万だ、という話である。」(巻廿八第廿八話)


「ギリシャ神話・新版」ロバート・グレイヴス著 高杉一郎訳 紀伊国屋書店 pp.8-9 
「あるエトルリアの鏡のイクシオーンの足の下に、一つの生のきのこ(アマニタ・ムスカリア)が刻まれている。イクシオーンは神々のところで神々の食べ物(アムブロシアー)を食べたテッサリアの英雄だった。彼の子孫であるケンタロウスたちもまた、この生のきのこ(アマニタ・ムスカリア)を食べたのだとする私の説は、いくつかの神話であきらかにすることができるし、のちになってノルウェーの「狂戦士たち」(バーサークス)が戦闘にのぞんで危険をかえりみぬ力を発揮できるように生のきのこ(アマニタ・ムスカリア)を食べたことは、何人かの歴史家たちが証言している。現在の私は、神々の食べ物(アムブロシアー)と飲み物(ネクタル)というのは、麻酔力のあるきのこだったと信じている。まちがいなく生のきのこだったし、ひょっとすると、なかに小さくてほっそりした糞きのこ(パナエオロス・パピリオナケオス)も混じっていたかもしれない。糞きのこ(パナエオロス・パピリオナケオス)は無害だが、ひどく楽しい幻覚をひきおこすのである。糞きのこ(パナエオロス・パピリオナケオス)に似ていなくもないきのこが、アッティカの壺の上のケンタロウスのネッソスのひづめの間に描かれている。神話の中で、神々の食べ物(アムブロシアー)と飲み物(ネクタル)が捧げられた「神々」というのは、前古典時代の聖女王と聖王だったのだろう。タンタロス王が犯した罪というのは、彼が禁制(タブー)を破って神々の食べ物を人間の友人たちにわけあたえたことだった。
 ギリシャでは、神聖な女王権も聖王権もやがて衰えていった。すると、神々の食べ物(アムブロシアー)は、ディオニューソスとかかわりのあるエレウシース、オルペウス、その他の秘教の聖餐になったらしい。どの場合も、その参加者たちは、何を食べ、何を飲んだか、どんな忘れがたい幻影を見たかについてはかたく沈黙を守ることを誓った上で、不死の生命を約束されたのだった。オリムピックの徒競走に勝利しても、もはや聖王権があたえられるわけではなくなったのちの優勝者に与えられる「神々の食べ物」(アムブロシアー)はあきらかに代用品で、いろいろな食べ物―私が「ケンタウロスたちはなにを食べていたか」という本のなかに書いたように、その頭文字がギリシャ語で「きのこ」になるようないくつかの食べ物を混ぜ合わせたものだった。神々の飲み物(ネクタル)や、デーメーテールがエレウシースで飲んだはっか(ミント)の香りのする飲み物のつくり方を記している古典作家たちの文章を読み取るとどちらからも「生のきのこ」という文字が出てくる。
 私は、メキシコのオアハカ州のインディアンたちが遠い昔から神々の食べ物(アムブロシアー)だとしている幻覚を引き起こすきのこを自分でも食べたことがある。そのとき、女祭司がきのこの神トラロックを呼び出す声も耳にしたし、理解を超える幻覚も見た。だから私は、この古代の祭式を発見したアメリカ人R・ゴードン・ワッソンが、ヨーロッパ人の天国と地獄に関する観念は、これに似た秘教から生まれたのではないかという説に心の底から賛成である。トラロックの神は電光のなかからあらわれるが、ディオニューソスもやはりそうだった。ギリシャの民間伝承でも、メキシコのマサテクでも、きのこはすべて一般に、どちらの国のことばでも「神々の食べ物」になっている。」



ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」平凡社刊pp.32-36より抜粋

南北戦争(1861~65)において、実戦で役立つ機関銃が初めて現れ、それ以後、機関銃は急速に発達する。発展の舞台は、ほぼアメリカに限られるので、本書もこれから先はこの国を中心に論じることになる。
1860年には、アメリカはイギリスに次ぐ世界第二の工業国となっていた。なかでも、それまで熟練工がやっていた仕事を引き受ける機械の発達と、それらの機械を一つの工場に集めたという点で、他のいかなる国よりもはるかに先を行っていた。こうした工業的優位には、いくつかの理由がある。最も重要な理由は、19世紀初期のアメリカが深刻な人手不足に悩まされていたことだろう。
新しい工場が労働力を確保するためには、高賃金を支払わなければならなかった。製品の値段をあまり上げないとすれば、この高い賃金で雇った労働力の生産性自体を高めるしかない。
そこで、労働者一人当たりの生産性を高めるために、機械と合理化された集中生産設備が導入されることとなった。
二番目の理由として、初期に使われていた機械のうち、完全にアメリカ製のものはごくわずかしかなかったという事実が挙げられる。
殆どの機械はすべてヨーロッパのデザインもしくは製品を模倣したものだった。
しかし、こうした機械を初めて活用したのはアメリカ人だった。というのも、アメリカには、機械化された自分たちの伝統的な生活様式を脅かすものとみなす組織だった職人階級が存在しなかったためだ。
実をいえば、機械の能率に頼らず人間の技能を基になんらかの大量生産の試みに取り組める職人など、そもそもほとんどいなかったのである。
機械的な大量生産方式の先駆者、イーライ・ホイットニーは、こうした生産方法を取り入れた理由を簡潔に述べている。
その目的は、「長年の訓練と経験によってのみ培われる職人の技能を、正確で能率的な機械作業に置き換えることである。その種の技能は、わが国ではいまだに一定の水準に達していない。」こうして「物を作る機械を作るための新しい方式が、アメリカで生まれた。それは単純ではあったが、広範な影響を及ぼす変化であったため、伝統や制度、確立された技能に支えられたヨーロッパでは受け入れられるのがむずかしかった。」
かくして、アメリカ人は世界のどの国よりもずっと早く機械化された産業に依存するようになっていた。
さらに、こうした機械そのものを製造しなければならず、それも単なる人間の技能の限界ではなく、機械の能力という観点から考えなければならない必要性から、より高性能の機械を作り出すことに精力を傾ける専門家の集団が登場してきた。
この結果、工作機械産業の最初の重要な発展が見られ、切削、研削におけるさまざまな金属の特性が研究されるようになった。
そして、機械ならほとんど正確に、まったく同じ寸法の部品を何度でも作れるという特質に新たな関心が集まった。
19世紀アメリカでは、「人間ではなく、機械が専門家となったのである。」機械への依存は、もう一つかなり重要な側面を持っている、ごく初期から、工作機械はつねに小火器の製造ときわめて密接にかかわっていた。
どの国の軍隊でも、たえず同一の装備、たとえば武器、軍服、装具などを大量に必要としていたことを考えればおそらくこのつながりをよく理解できるだろう。
しかし、なかでもアメリカは特殊なケースだった。ヨーロッパの軍の発注、とりわけ銃の注文に対しては、昔から何人もの銃工たちが力を合わせて請け負うことになっていた。
16世紀から18世紀のあいだ、軍事技術はほとんど停滞状態にあったため、どの国の軍隊も、一度に大量注文を出さずに、長年こつこつと銃を蓄えることで、とくに問題を生じることはなかった。
しかし、アメリカでは職人の作った銃を蓄えておくという歴史もなく、さらに軍の需要を満たすだけの銃工がいなかった。
しかも19世紀はじめの軍の発注は特に急を要した。なぜなら「15年前、独立を勝ち取ったときに使っていたマスケット銃はフランスなどヨーロッパで作られたものだったからだ。
(中略)それ以来、アメリカでは軍の武器がほとんど作られていない。(中略)事実上、この国は無防備状態といえる。」この事態を解決するには新しい技術者たちに頼るほかなかった。
この分野での偉大な先駆者がホイットニーだった。1798年、アメリカは何の軍備も整わないままフランスとの戦争に突入しようとしていた。そこでホイットニーは、向こう二年四ヶ月以内に一万丁のマスケット銃を製造するという契約を政府と交わした。実際には、契約通り銃を納め終わるまでに十年の年月を必要とした。しかしここで重要なのはホイットニーが納期を守れなかったことではなく、このような早い段階ですら、アメリカでは、武器の製造と工作機械の結びつきがしっかりと確立されていたという点である。
この時代、初めて実用に耐えうる機関銃がアメリカに現れたという事実については、認められるかぎりで、主な理由が三つある。
まず第一に、19世紀初期のアメリカ社会の特殊性にために、生産能力を増強したいと思えば、機械化と効率的な生産方式に頼らざるを得なかった。
そのことが、より複雑な機械の製造に関する新たな専門知識と関心をもたらし、より耐久性のある金属と、ますます高い精度が問題にされるようになった。
第二に、こうした工作機械の発達がつねにアメリカの小火器産業の発展と密接な関連を持っていたことである。
したがって、信頼性のある機関銃を作るという難問を最初に解決したのがアメリカ人であったことは、さほど驚くにあたらない。
第三に、もっと一般的なレベルで、このような機械への依存が、機械のもつ無限の可能性という新たな信仰を、そして十分な努力を続けさえすればどんなものでも自動化できるはずだという信念を、生み出したことである。
したがって、アメリカ人が最初の機関銃を製造するための道具とノウハウを持つようになったのはごく自然なことであり、また同じように、殺人をクランクを回すかボタンを押すという次元の問題に変えてしまうことを本気で願ったのがこの国の人間だったというのも、まったく理に適ったことではないだろうか。
以上が、性能のいい自動火器がアメリカで発展するための前提条件だった。しかし、この武器が実際に日の目を見るようになるためには、もう一つ、きわめて特殊な事件がかかわっていた。それが南北戦争である。すべての専門家が口を揃えて言うように、この南北戦争こそ、まぎれもない史上最初の近代戦であり、ここで初めて新しい技術の威力が発揮されたのである。


機関銃の社会史
ISBN-10: 4582532071
ISBN-13: 978-4582532074

2017年11月28日火曜日

犠牲獣を伴う雨乞い祭祀について

水神の池や淵に牛馬の首など不浄のものを投げ込む、あるいは汚物を洗う」という雨乞い祭祀とは現代の我々から見て、その血生臭さ故に嫌悪感を覚え、自身の祖先達がその様な祭祀を行ったことを認めたくない気持ちが働くのではないかと考える。

しかし、現代の我々から見て過去に為された忌まわしいと感じるものの内部にこそ、我々が意識、無意識を問わず継承され続けている観念の重要な構成要素が存在するものと考える。

また、上記のような犠牲獣を伴う祭祀とは、田畑から収穫される作物を供物とする場合と同様、世界的に見て一般的であり、特に驚くに値しない。ただ、それが現代の我が国日常において見受けることがないという理由に因り嫌悪感を覚えるのではないだろうか?

そして逆説的ではあるが、それ故にこそ、犠牲獣を伴う雨乞い祭祀の背景観念、それが為された理由とは、その地域性を映すものとして検討・考察に値すると考える。
我が国における犠牲獣を伴う祭祀全般は、概ねその血生臭さ故に発達した血穢、道徳観念と折り合いが悪くなり、あるいは家畜の有用性に基づく観念が、神、神々に対する畏怖の観念を凌駕する様になった結果、形骸化もしくは廃された。
そしてそれに伴い原初よりその祭祀が保持していた可逆性・相補性の遂行と云う劇的な性格をも喪失したと云える。ここで、犠牲獣を伴う祭祀が本来保持していた可逆性・相補性の遂行の内容を以下の引用を以って説明する。

浄と不浄とは、可逆性・相補性を本質とする。もっとも穢れた不浄なものがときにもっとも強い神秘力(浄)を有する、と信じられている。月経または分娩のさいの血や、人肝・人肝が、不治の「業病」とされたハンセン病や疱瘡などに効くという信仰などは、日本をはじめ世界の諸民族にみいだせる。ことに、身体の内/外にまたがる分泌物としての血は汚染するものであると同時に清潔にするものであり、穢すものであると同時に浄めるものである、という両義性のよくしられたメタファーである(赤坂(2004)・p.92)。

以上引用部に示される観念とは、おそらく我が国において古来より存在し、縄文、弥生時代の人骨から多く見出される抜歯などの通過儀礼的風習なども、この観念が発露、顕現されたものであると考えられている。
苦痛、被害など人間に対し負の効果をもたらすものを不浄の要素であると考えると、逆に快楽、利益などは正の効果をもたらす浄の要素であると考えることができる。そしてこれらは分離、独立したものではなく、可逆・相補性を持つ、あるいは繋がったものであると古来より認識されていた。

そして以上の様な可逆・相補性に基づく観念に拠って犠牲獣を伴う祭祀は為されていたと考えられる。我が国におけるこの種の祭祀とは、遺跡等から縄文時代より行われていたと考えられているが、これらは主に猪、鹿等の野生動物であり、家畜でないと云う点において前述雨乞い祭祀の背景観念と異なると考えられる。

野生動物、家畜を犠牲獣として供する祭祀をそれぞれ検討した場合、野生動物とは、本来神に近い領域である自然からの恩恵として感謝を捧げ、また、その恩恵の継続を祈願する意味合いが強く、それ故、狩猟採集社会的色彩が強いと考えられる。また、一般的に野生動物を狩猟にて獲得する為には、その対象が何であれ闘争的要素を介さなければならない。
闘争を介することにより、その獲得の成功とは不可知の要素に大きく依存する。加えて、その獲得に払った犠牲等が多い程、多くの価値をそこに見出すことを可能にする。その結果、不可知の要素に感謝する意味で、神に対する感謝の念を惹起させる傾向が強くなる。

それに対し、水稲耕作を含む定住的な農耕社会における家畜としての性質が強い動物である牛を犠牲獣とする場合、神に対して感謝の念を示すと共に、その出自が神に近い自然でなく、人間に近い領域であることから、より神に対して祈願する為の人間側からの供物という意味合いが強くなり、その上で前述の可逆性・相補性の遂行と云う要素は継続、保持し続けた。

以上のことから、牛などの家畜を犠牲獣として供する祭祀とは、古来よりの可逆性・相補性の遂行という要素は継続、保持しながらも、同時に神に対する感謝よりも祈願の方により重点を置いたものであったと考えられる。

また、犠牲獣を伴う祈願とは、それが家畜である場合、単に犠牲獣を物質的に無化することではなく、そこに認識される有用性のみを破壊することであり、同時にそれは、祭祀に係る全ての人間が犠牲獣に感情移入することにより、自らを束縛する現状での有用性の絆をも一時的にではあるが断ち切り、新たな生まれ変わりを意味するものであった。

それ故、この祈願が日照り、旱魃といった現状の打破を強く望む状況において為されることはきわめて自然であり、また、これと類似した一連の作用機序(メカニズム)とは、現代社会においても多く見受けることが可能であると考える。



2017年11月27日月曜日

20171127 ニュートラル状態・マトリックスとしての散文形式文章の重要性について(820記事到達)

【本日分の投稿記事は散文形式にて作成します。】
本日分の記事投稿により、総投稿記事数が820に到達します。

これはあまり区切りが良い数字というわけではありませんが、今現在において820記事に到達することが出来れば、本年中にて無理なく850記事にまで到達することも出来る目算が立ちます。

またさらに、そのペースを保持し記事作成を継続することにより、来年2月中に900記事にまで到達することが出来る目途もまた立ちます。

しかし他方、ほぼ毎日日課のように作成しているブログ記事ではありますが、果たしてこの先どの程度まで継続しようかとは、あまり考えたことがありません・・(笑)。

案外とこうした(はじめと終わりの認識が希薄であり、現在の成り行きこそ(もしくは現代風にアレンジすると(今ここ)が重要であるといった感覚(中今の思想?))こそが本来の意味において日本的であるのかもしれません・・(笑)。

もとい、それでも1000記事程度まではどうにか続けてみたいと考えいますので、これまであまり面白くない記事が多いであろう、一連のブログ記事を読んでくださっている皆様、今後ともどうぞよろしくお願します。

そういえば昨日は休日ということもあり、歯科材料学関連の記事(書籍からの抜粋引用ですが)と古代史に関しての記事と二本立てにて作成しましたが、休日であるためか、双方共に思いのほか多くの方々に読んで頂けました(閲覧者数双方60程度)。

さらに、未だあまり多くはない歯科材料学関連の記事ではありますが、それでも多く読まれる記事と、そうでない記事といった傾向もまた認められます。

さきほど、そのことが多少気になり、それらの間にて如何なる相違があるのかと、いくつかの記事を読んではみましたが、残念ながらそれが何であるかは分かりませんでした・・(苦笑)。

ともあれ、歯科材料学関連の記事もまた今後定期的に投稿することにより、作成可能な記事数も増え、そして1000記事程度まで作成することが出来るかもしれないと考えさせられました・・。

そして
、それと多少関連するかもしれませんが、自身としては比較的重要であると思われることは歯科材料学、古代史、民俗学といった複数分野における比較的硬質な文章(記事)を作成する際、何と云いますかマトリックスのようなものとして、こうした散文形式の記事が存在することではないかということです・・。

このニュートラルあるいはマトリックスとも云える文体(散文形式)が存在するからこそ、各々どうにか書くことが出来るのではないかと思われます。

そして、このニュートラルな文体(散文形式)とは未だ自身に(完全に)定着しているものと断言することは出来ませんが、そうであっても、おそらくかつての自身が忘れていた、あるいは欠如していたのは(感覚的ではありますが)『これ』ではないかと思われるのです。

また別件ではありますが、先日来より遅々とではありますが読み進めているYuval Noah Harari著『Sapiens: A Brief History of Humankind』はようやく全体の20%程度にまで至りました。歯科材料学の洋書も大事ではありますが、こういった書籍も今後さらに読み進め、どうにか読了に至ることが出来ればと考えています・・(笑)。

今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでの日本列島において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った
諸地域のインフラの復旧・回復そして力強い復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。