昨日記したブログ記事を現在読んでみますと、その着想とは、なかなか面白いものの、その記述形式においては疲労のためか、稚拙な部分が多く見受けられたように思います。
とはいえ、それを記した私としては、その着想は理解できることから、ここで不図「こうした文章といったものは、その着想と記述形式何れが重要であるのか?」と考えるに至りました。
「文章を記す際に日常的に生じる、こうした疑問とは、案外奥が深いのかもしれません・・。」
また、こうした疑問とは、記された文章に対する認識の仕方により生じることが多いのではないでしょうか?
記された文章に対する認識の際、その着想あるいは論理形式、論拠の実証性に「より」重点を置いた代表的なものとして論文などが挙げられます。
それに対し、論理形式、論拠の実証性などよりも、押韻あるいは音声として読んだ際の読み易さ、音の美しさなどに「より」重点を置いたものとして詩あるいは音読を前提とした「ものがたり」などが挙げられるのではないかと思います。
こうした要素(実証性、論理性と押韻、音の美しさ)とは、時代、時代において、それぞれ特徴、あるいは特有の関係性があるようであり、また、同時に文章を記す際の主体のスタンスなどによっても変化するようです。
また、以前の研究分野にいた際、ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」に興味を持ち、能動的に読んでいたのは、おそらく当時必要に迫られ、日常的に読んでいた文献、研究分野の論文による影響が大きかったのではないかと思います・・。
こうした文献をある程度読んでおりますと、記されたコトバ、言語を交通標識の如く、何かの意味を象徴する記号のようなものとして認識、思考してゆく傾向があるのではないかと思います・・。
その意味において、特に、ある程度自身の専攻分野における論文等を読んでいると認識される方々は、さきに挙げたヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を読まれてみると面白いのではないかと思います・・。
私の場合、この著作の読後、何だかよく分からない重苦しい感覚におそわれたことを思い出します・・(苦笑)。
おそらくそれは著者に対し「確かに仰る通りなのですが、コトバ、言語とは決して「それだけではない」と思うのでですが・・?」といった反対意見を述べたくなるような、あるいは、何といいますか「論理の牢獄に投げ込まれたような重苦しさ」ではないかと思います・・・(苦笑)。
しかし、その一方、不明瞭であり、主要な論点、論拠が見えない詩的なものの良さとは、未だに理解できませんので、その結果、お茶を濁すように「論理的、詩的双方の文章においても、それらがつながる結節点といったものがあるのではないだろうか・・?そして、私は私なりの泥縄的な方法によって、その結節点を見出してゆきたいです・・。」
といったことを述べるに至るのではないかと思います・・(苦笑)。
そして、ここまで記していて、不図、以前抜粋したロバート・グレーヴス著「この私、クラウディウス」の部分を想起しましたが、もしかするとこうした疑問とは、ある程度普遍的なものであるのかもしれません・・(笑)。
ここまで興味を持って、読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、さる四月の熊本での大地震によって被災された地域の生活諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。
2016年7月5日火曜日
2016年7月4日月曜日
20160704 営利組織・ゲゼルシャフト(Gesellschaft)と共同体組織・ゲマインシャフト(Gemeinschaft)と海外文化と古墳について 閲覧者数100000人到達
A「冒頭から余談となりますが、つい先日より「はてなブログ」においてもブログ記事の公開をはじめました。
ここでの閲覧者数は未だ二ケタ代ですが、以前作成したブログ記事のなかで閲覧者の多いもの、個人的に気に入っているものをここにコピペすることにしました・・(笑)。
気が向きましたら、こちらもどうぞ読んでください。
また、今後機会、余裕が出てきましたら、それら内容の加筆修正を行ってゆこうと考えておりますが、さて、何時のことになるでしょうか・・(苦笑)?
また、ハナシは変わりますが、かつて我が国の社会科学分野の文献において
「日本の会社組織とは、会社という本来、営利の追求を目的とする、ドイツ語でいうところのゲゼルシャフト(Gesellschaft)であるはずのものが、特に我が国においては、それがゲマインシャフト(Gemeinschaft)・共同体組織、地縁、血縁社会)化する傾向がある。」
といったことが記されているものが多く見られたのではないかと思います・・。
また、山本七平のいくつかの著書などからも、そのようなニュアンスを看取することができるのではないかと思います。
ちなみに山本七平のこうした論点とは丸山眞男と被る部分が多く、そして、それを結節するものが小室直樹およびその思想であるのかもしれません・・。
ともあれ、私としては現場からの発想が根源に存在することが多い山本七平の著書に古くから親しんできました・・。
(これにはお師匠からの影響もあります・・。)
しかし一方、それら一つ一つの定点的な分析、論述および、そこからの歴史的背景への(センスの良い)飛躍そして、さらに、その分析、論述とは、丸山眞男の方が優れているのではないかと思うこともまた少なからずあります・・。
これを読んでくださっている方々はどのようにお考えになるでしょうか・・?
さて、それはさておき、さきに述べた我が国における様々な営利組織であるゲゼルシャフト(Gesellschaft)の共同体組織、ゲマインシャフト(Gemeinschaft)への変化の現象とは、特に現在においては、その「逆流」が生じているような漠然とした感じを受けます・・。
おそらく、これは現在様々なところにて報じられている格差の拡大、格差社会化などとも少なからぬ関連性があるように思います。
あるいは結句、こうしたものは、同様の現象に対する異なる視点であるのかもしれません・・。
また、こうした社会的な潮流とは、少なくとも我が国においては、国外の圧倒的な力、を持つ文明、何らかの国際的な強い傾向と対峙せざるを得なかった時に特に顕著に見受けられるのではないかと思いました・・。
また、先日読んだ我が国の古墳に関する書籍において
「古来より大陸(文化)の玄関口であった北部九州地域における古墳とは、その全般的な傾向として、副葬品の豪華さに比して、墳墓自体は小さく簡素であることから、この地域においては、古墳の埋葬者である地域の首長とは、あくまでも現世における指導者であり、特に近畿、関西において見られる巨大な墳墓が造営される神性を付与されたような宗教指導者的存在ではなかったのではないか?」
といったことが述べられていましたが、この分析から、もしかすると古代首長の埋葬様式における傾向の根底にも、さきに述べた営利組織、ゲゼルシャフト(Gesellschaft)と共同体組織、ゲマインシャフト(Gemeinschaft)的な要素の地域における濃淡、つまり一種の地域性などが看取されるのではないかと思いましたが、如何でしょうか?
とはいえ、ここまで興味を持って読んで頂いて、どうもありがとうございます。
また、さる四月の熊本における大地震によって被災された地域の諸インフラの早急な復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
ここでの閲覧者数は未だ二ケタ代ですが、以前作成したブログ記事のなかで閲覧者の多いもの、個人的に気に入っているものをここにコピペすることにしました・・(笑)。
気が向きましたら、こちらもどうぞ読んでください。
また、今後機会、余裕が出てきましたら、それら内容の加筆修正を行ってゆこうと考えておりますが、さて、何時のことになるでしょうか・・(苦笑)?
また、ハナシは変わりますが、かつて我が国の社会科学分野の文献において
「日本の会社組織とは、会社という本来、営利の追求を目的とする、ドイツ語でいうところのゲゼルシャフト(Gesellschaft)であるはずのものが、特に我が国においては、それがゲマインシャフト(Gemeinschaft)・共同体組織、地縁、血縁社会)化する傾向がある。」
といったことが記されているものが多く見られたのではないかと思います・・。
また、山本七平のいくつかの著書などからも、そのようなニュアンスを看取することができるのではないかと思います。
ちなみに山本七平のこうした論点とは丸山眞男と被る部分が多く、そして、それを結節するものが小室直樹およびその思想であるのかもしれません・・。
ともあれ、私としては現場からの発想が根源に存在することが多い山本七平の著書に古くから親しんできました・・。
(これにはお師匠からの影響もあります・・。)
しかし一方、それら一つ一つの定点的な分析、論述および、そこからの歴史的背景への(センスの良い)飛躍そして、さらに、その分析、論述とは、丸山眞男の方が優れているのではないかと思うこともまた少なからずあります・・。
これを読んでくださっている方々はどのようにお考えになるでしょうか・・?
さて、それはさておき、さきに述べた我が国における様々な営利組織であるゲゼルシャフト(Gesellschaft)の共同体組織、ゲマインシャフト(Gemeinschaft)への変化の現象とは、特に現在においては、その「逆流」が生じているような漠然とした感じを受けます・・。
おそらく、これは現在様々なところにて報じられている格差の拡大、格差社会化などとも少なからぬ関連性があるように思います。
あるいは結句、こうしたものは、同様の現象に対する異なる視点であるのかもしれません・・。
また、こうした社会的な潮流とは、少なくとも我が国においては、国外の圧倒的な力、を持つ文明、何らかの国際的な強い傾向と対峙せざるを得なかった時に特に顕著に見受けられるのではないかと思いました・・。
また、先日読んだ我が国の古墳に関する書籍において
「古来より大陸(文化)の玄関口であった北部九州地域における古墳とは、その全般的な傾向として、副葬品の豪華さに比して、墳墓自体は小さく簡素であることから、この地域においては、古墳の埋葬者である地域の首長とは、あくまでも現世における指導者であり、特に近畿、関西において見られる巨大な墳墓が造営される神性を付与されたような宗教指導者的存在ではなかったのではないか?」
といったことが述べられていましたが、この分析から、もしかすると古代首長の埋葬様式における傾向の根底にも、さきに述べた営利組織、ゲゼルシャフト(Gesellschaft)と共同体組織、ゲマインシャフト(Gemeinschaft)的な要素の地域における濃淡、つまり一種の地域性などが看取されるのではないかと思いましたが、如何でしょうか?
とはいえ、ここまで興味を持って読んで頂いて、どうもありがとうございます。
また、さる四月の熊本における大地震によって被災された地域の諸インフラの早急な復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年7月3日日曜日
20160703 知恵の?柱・・
A「おかげさまで昨日の土曜日も閲覧者数が1000人に到達しました。
どうもありがとうございます。
正直なところ、ここまで継続してブログ記事の作成が出来るとは考えていませんでした(笑)。
しかし、世間には、さらに長い期間、継続してブログ記事を作成している方々も大勢いらっしゃるようですので、まあ、そんなに大したことではないのかもしれません・・(苦笑)。
さて、本日も特に主題を決めないで書きはじめた次第ですが、実際のところ、私の書く記事の内容とは、いくつかのパターン、分野に分類することが出来るのではないかと思います。
それは文学、思想、考古学、文化人類学、近現代史などといったものであり、パターンとしては、書籍からの抜粋引用、対話形式、独白形式といったところであると思われます・・。
では「それ以外には何をどの程度知っているのか?」と問われた場合「一応、世間的には歯科生体材料学で学位は頂いておりますが、現在のところ、その分野から離れていますし、また今後、アカデミアにて、そうした職に就かない限りにおいて、この分野のことは「店ざらし」になるのではないかと思います・・。」と答えるのではないかと思います・・。
また、言い訳、負け惜しみと聞こえるかもしれませんが、私の場合、基層にあるものが上述した分野でのいくらかの知識、学識であると思いますので、たとえ(世間的)表層にあるものが店ざらしによって風化あるいは吸収してしまっても、その下の基層にある部分とは、かねてより培ってきたその(学問の)日常性により、刺激を与え続け、能動性を持ち続け、その部分での知的好奇心、知性とは保持あるいはもしかすると進化、発展することが出来るのではないかと思います・・(笑)。
とはいえ、こうしたことは自他に対し「断言」はできませんし、また、そうしたことを述べるに際し、どうもその発露の仕方が(どうしても)観念的、抽象的になってしまう傾向があるのではないかと思います・・。
あるいはもっと端的にいいますと「そのように主張する際の根拠となる科学的なデータを示せ」と求められても、それが出来ない歯がゆさといったところかもしれません・・。
・・その根拠となるデータとは、しいて云えば、これまで継続して作成してきたブログ記事、あるいはそれ以前に作成した諸々の文章、取得した学位などといったことになるのかもしれません・・。
そして、たしかに、それら全てがなければ、揃わなければ、これまでブログ記事を作成することが出来なかったと思いますし、また、それは基層となっている文系学問分野における知識、学識「のみ」でも為すことが出来なかったのではないかと思います・・。
その意味において、いかなる経路を辿ってきたにせよ、私がここまで継続してブログ記事を記すことが出来た要因とは、これら全てが並存したことではないかと思います・・。
また、ここまで書いていて「知恵の七柱」という書籍の題名の意味とは、そんなところにあるのではなかろうか・・?などと勝手に思いつきました(笑)。
また、この「知恵の七柱」の著者とは20年近く年長の同国人である、バートランド・ラッセルの著書を最近再び読んでおりますが、大変面白く、様々な(科学的)根拠に基づく情報が飛び交う現在であるからこそ、精読に値するのではないかと思いました。
とはいえ、先日、ブログ上にて、この著書を読んでいることを題名を示さずにほのめかした「だけ」にも関わらず、この著書について多少触れた以前の記事を提示されていたことには内心ビックリしました(笑)。
それがどなたによるものであるか分かりませんが、こうした刺激によってもまた、これまで継続してブログ記事の作成をすることが出来ていることを忘れてはいません・・。
そしてまた、今回も、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さきの熊本での大地震によって被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念します。」
どうもありがとうございます。
正直なところ、ここまで継続してブログ記事の作成が出来るとは考えていませんでした(笑)。
しかし、世間には、さらに長い期間、継続してブログ記事を作成している方々も大勢いらっしゃるようですので、まあ、そんなに大したことではないのかもしれません・・(苦笑)。
さて、本日も特に主題を決めないで書きはじめた次第ですが、実際のところ、私の書く記事の内容とは、いくつかのパターン、分野に分類することが出来るのではないかと思います。
それは文学、思想、考古学、文化人類学、近現代史などといったものであり、パターンとしては、書籍からの抜粋引用、対話形式、独白形式といったところであると思われます・・。
では「それ以外には何をどの程度知っているのか?」と問われた場合「一応、世間的には歯科生体材料学で学位は頂いておりますが、現在のところ、その分野から離れていますし、また今後、アカデミアにて、そうした職に就かない限りにおいて、この分野のことは「店ざらし」になるのではないかと思います・・。」と答えるのではないかと思います・・。
また、言い訳、負け惜しみと聞こえるかもしれませんが、私の場合、基層にあるものが上述した分野でのいくらかの知識、学識であると思いますので、たとえ(世間的)表層にあるものが店ざらしによって風化あるいは吸収してしまっても、その下の基層にある部分とは、かねてより培ってきたその(学問の)日常性により、刺激を与え続け、能動性を持ち続け、その部分での知的好奇心、知性とは保持あるいはもしかすると進化、発展することが出来るのではないかと思います・・(笑)。
とはいえ、こうしたことは自他に対し「断言」はできませんし、また、そうしたことを述べるに際し、どうもその発露の仕方が(どうしても)観念的、抽象的になってしまう傾向があるのではないかと思います・・。
あるいはもっと端的にいいますと「そのように主張する際の根拠となる科学的なデータを示せ」と求められても、それが出来ない歯がゆさといったところかもしれません・・。
・・その根拠となるデータとは、しいて云えば、これまで継続して作成してきたブログ記事、あるいはそれ以前に作成した諸々の文章、取得した学位などといったことになるのかもしれません・・。
そして、たしかに、それら全てがなければ、揃わなければ、これまでブログ記事を作成することが出来なかったと思いますし、また、それは基層となっている文系学問分野における知識、学識「のみ」でも為すことが出来なかったのではないかと思います・・。
その意味において、いかなる経路を辿ってきたにせよ、私がここまで継続してブログ記事を記すことが出来た要因とは、これら全てが並存したことではないかと思います・・。
また、ここまで書いていて「知恵の七柱」という書籍の題名の意味とは、そんなところにあるのではなかろうか・・?などと勝手に思いつきました(笑)。
また、この「知恵の七柱」の著者とは20年近く年長の同国人である、バートランド・ラッセルの著書を最近再び読んでおりますが、大変面白く、様々な(科学的)根拠に基づく情報が飛び交う現在であるからこそ、精読に値するのではないかと思いました。
とはいえ、先日、ブログ上にて、この著書を読んでいることを題名を示さずにほのめかした「だけ」にも関わらず、この著書について多少触れた以前の記事を提示されていたことには内心ビックリしました(笑)。
それがどなたによるものであるか分かりませんが、こうした刺激によってもまた、これまで継続してブログ記事の作成をすることが出来ていることを忘れてはいません・・。
そしてまた、今回も、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さきの熊本での大地震によって被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念します。」
2016年7月2日土曜日
20160702 創造と想起
これまで1年間ブログ記事作成を継続してきましたが、これといった変化、進化などは見受けられません・・。
おかげさまで閲覧してくださる方々は増えましたが・・。
また、一連のブログ記事作成のため、多少の無理はしたようにも思いますが、それでも心身に多大な負担をかけ、これまで一連の記事を作成してきたというわけでもありませんので、その過程の中に現在の私では認識しがたいものの、わずかながらの(良い)変化が継続、蓄積して生じていた(る)のかもしれません・・。
そうであればウレシイのですが・・(笑)。
とはいえ、そうした変化などが現在の私に対し、どのような効果、作用をおよぼしてきたのかとは主観的には認識しがたいものです。
ただ、昨年この時期の私とは、自身の文章を作成することを望みながら、それが出来ない状態であり、(おそらく)それが主要な原因で心身に苦痛を覚え、その状況を打開するため当時周囲にいた方々の勧めにしたがいブログ記事作成をはじめた次第でした。このことは以前も何度かブログ記事にて記したことがありますが・・。
そうした状況から、ここまで1年間、ブログ記事作成を継続することが出来たことは、特に称賛に値するわけではなく、もし、そうであるのならば、それ以前の私とは、日常的に細かい試料作製、機器分析をしたり、研究分野での論文などを読んでおりましたので、そちらの方がおそらく苦労したのではないかとも思います・・(苦笑)。
しかし、その一方において、自身のコトバによる文章を作成し続けたのは、まさにこの1年間でした・・。
・・公表を前提とする文章を継続的に作成するということは、もしかすると、案外とむつかしいものであり、それは創造的行為と見做しても良いのかもしれません・・(であるからといって、私の記したブログ記事全てが創造的な中身があるとは限りませんが・・(苦笑)
・・しかし他方で、全ての記事にそれがないとも思えませんが・・(笑))。
しかし、何れにせよ、私のブログ記事(特に初期~中期)に多く見られる過去に為された対話などを文章形式にて記す場合は、主に創造というよりも想起といった行為であり、そこにはあまり創造といった要素は必要としないのかもしれません・・(苦笑)。
とはいえ、では「創造」行為がどのようなものであるかと考えた場合、創造においても、その原点においては「想起」される比較的明瞭な存在が(複数)精神の中に浮きつ沈みつ存在するのではないでしょうか?
そして、そういった存在の精神内部における混淆、反応などにより、創造が為され、それに形状、文字、旋律などが付与され、様々なカタチで表出に至るのではないでしょうか?
そして、そうした存在の精神内部における実在性の強さ、認識の深さがもしかすると、創造と想像を別つものであるのかもしれません・・(ここには個人の知性、悟性?が大きく関与するのではないかと思います・・。)。
また、そのように考えた場合、前衛的なものを創造することを欲している場合においても、それが時代、地域を通じ持続的に強い印象をヒトに与えるために創造者は、その精神の内部に「想起」される比較的明瞭な存在を(複数)有している方が良いのではないかと思います・・。
また、別言すると、それが教養なるものの一側面ではないでしょうか?これを読んで頂いた方々はどのようにお考えになるでしょうか?
ともあれ、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本における大地震、その後の同地域を含む九州での大雨による被災が軽微であり、大震災からの復旧、復興作業が支障がなく、速やかに為されることを祈念します。
おかげさまで閲覧してくださる方々は増えましたが・・。
また、一連のブログ記事作成のため、多少の無理はしたようにも思いますが、それでも心身に多大な負担をかけ、これまで一連の記事を作成してきたというわけでもありませんので、その過程の中に現在の私では認識しがたいものの、わずかながらの(良い)変化が継続、蓄積して生じていた(る)のかもしれません・・。
そうであればウレシイのですが・・(笑)。
とはいえ、そうした変化などが現在の私に対し、どのような効果、作用をおよぼしてきたのかとは主観的には認識しがたいものです。
ただ、昨年この時期の私とは、自身の文章を作成することを望みながら、それが出来ない状態であり、(おそらく)それが主要な原因で心身に苦痛を覚え、その状況を打開するため当時周囲にいた方々の勧めにしたがいブログ記事作成をはじめた次第でした。このことは以前も何度かブログ記事にて記したことがありますが・・。
そうした状況から、ここまで1年間、ブログ記事作成を継続することが出来たことは、特に称賛に値するわけではなく、もし、そうであるのならば、それ以前の私とは、日常的に細かい試料作製、機器分析をしたり、研究分野での論文などを読んでおりましたので、そちらの方がおそらく苦労したのではないかとも思います・・(苦笑)。
しかし、その一方において、自身のコトバによる文章を作成し続けたのは、まさにこの1年間でした・・。
・・公表を前提とする文章を継続的に作成するということは、もしかすると、案外とむつかしいものであり、それは創造的行為と見做しても良いのかもしれません・・(であるからといって、私の記したブログ記事全てが創造的な中身があるとは限りませんが・・(苦笑)
・・しかし他方で、全ての記事にそれがないとも思えませんが・・(笑))。
しかし、何れにせよ、私のブログ記事(特に初期~中期)に多く見られる過去に為された対話などを文章形式にて記す場合は、主に創造というよりも想起といった行為であり、そこにはあまり創造といった要素は必要としないのかもしれません・・(苦笑)。
とはいえ、では「創造」行為がどのようなものであるかと考えた場合、創造においても、その原点においては「想起」される比較的明瞭な存在が(複数)精神の中に浮きつ沈みつ存在するのではないでしょうか?
そして、そういった存在の精神内部における混淆、反応などにより、創造が為され、それに形状、文字、旋律などが付与され、様々なカタチで表出に至るのではないでしょうか?
そして、そうした存在の精神内部における実在性の強さ、認識の深さがもしかすると、創造と想像を別つものであるのかもしれません・・(ここには個人の知性、悟性?が大きく関与するのではないかと思います・・。)。
また、そのように考えた場合、前衛的なものを創造することを欲している場合においても、それが時代、地域を通じ持続的に強い印象をヒトに与えるために創造者は、その精神の内部に「想起」される比較的明瞭な存在を(複数)有している方が良いのではないかと思います・・。
また、別言すると、それが教養なるものの一側面ではないでしょうか?これを読んで頂いた方々はどのようにお考えになるでしょうか?
ともあれ、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本における大地震、その後の同地域を含む九州での大雨による被災が軽微であり、大震災からの復旧、復興作業が支障がなく、速やかに為されることを祈念します。
20160701 ある思想、文学などが一般化される際に多く見られる危惧について・・エピゴーネン?
昨日記したブログ記事を読み返してみましたら、不図、以前抜粋引用したエルンスト・ユンガー著「労働者・支配と形態」(pp.149‐151)以下の一説を想起しました。
「しかしながら、人間が技術と直接的でなく間接的に結び付けられていることを認識するならば、ひとは、これと全く異なる判断に到達する。
つまり技術とは、労働者の形態が世界を動員する方法なのである。
人間が決定的に技術との関係を取り結ぶ程度、人間が技術によって破壊されるのではなく支援される程度は、労働空間において通用する言語に熟達することにほかならない。
この言語は、文法のみならず形而上学をも有するがゆえに、他のどんな言語よりも重要で深遠である。
この関連において、機械は、人間同様、二次的な役割を演じる。機械は、この言語が語られる発声器官の一つにすぎないのである。」
この抜粋引用部を現在読んでみますと、多少観念的、抽象的であると思われるフシもありますが、それでもなかなか興味深く、また、現在の我が国において参考になる部分もあるのではないかと思いますが如何でしょうか?
ちなみにエルンスト・ユンガーは、その思想の一面からナチズムの先駆者であると見做されることもあるようですが、それは多少仔細に見てみますと「大きく異なるのではないか。」と思うに至ります・・。
また、そうしたことは、ニーチェの思想(の一側面、一部分)がナチス政権ドイツに利用されたことと多少事情が異なると思われますが、それらに共通する現象とは『本来、これらの闘争的な要素を賛美する「部分」が見受けられる思想とは、それが一たび政府、権威筋により正当性を持つものであるとされ、取り上げられると、まさに『そのこと』により、本来それらの思想が有していた「良いもの」が、すり抜けていってしまうのではないか』ということではないでしょうか?
また、大抵の思想には、何かしら、そのような(危険な)傾向があるのではないかと思いますが如何でしょうか・・?
そして、もしかすると、現在、世界各地にて見られる好戦的、排他的とも見られる様々な傾向、風潮とは、その背後には、何かしらこういったメカニズムが存在、駆動しているのではないかと考えさせられます。
また、ここまで記していて不図、加藤周一著「日本文学史序説」補講(pp.63‐65)での記述を想起しましたので、下に示します。
「「万葉集を全部読むと、たしかに「防人」の歌はちょっとあるけれども、恋愛また恋愛です。最も大きなテーマは自然でさえなくて、恋愛です。その意味では、根本的には「古今集」とそう違わない。「古今集」はもっと純粋化してほかの要素を全部捨てちゃった。「万葉集」にはほかの要素もたくさん入っています。しかしいちばん大きなテーマはあきらかに恋愛、相聞です。大伴家持は「万葉集」の編纂者らしいのですが、彼の歌に戦争と天皇への忠誠などをうたっているのはどこにもない。圧倒的に恋の歌で、ごく例外的に「防人」の歌がある。「防人」の歌は全体のごく小部分です。「防人」は二つの部分から成っていて、一つは、九州を中心としたところの沿岸防備の兵隊のことで、徴兵された人たちです。その範囲は関東まで入っています。各地から徴兵でとって、兵隊として訓練して九州各地に配備した。関東から九州までは遠い。旅は大変だった、故郷を何年も離れることは、郵便制度はないですし、家族や恋人と引き裂かれるものですから、病気で死ななくても大変だった。病で死ぬことも大いにあった。
もう一つは、徴兵をする側の下士官みたいな役割の人たち。しかし「防人」の歌の大部分は徴兵される人の歌です。そういう大部分の人たちがいったいどういう歌を作っていたこというと、ああ悲しい、兵隊にとられてたまったものではない。家族や恋人と別れなければならない、一日も早く帰りたい、何でこんなひどい目に遭うのだろう、の一点張りです、ほとんど全部。天皇のために死のうなんてただの一首もない。それは調べればわかることです。ところが下士官というものは政府の下っ端役人でしょう、いやがる兵隊を捕まえて九州に連れて行く側です。はっぱをかけるために、みんなで一緒に天皇のためにたたかいましょうとかなんとかいうわけです。そういう「防人」の歌の一部分は、下士官のつくった歌なんだからそれは戦闘的です。政府の政策みたいなものです。
米国は戦争のとき、志願しなさいというので、アンクル・サムが出てきて指をさしてAmerica Needs You.なんてポスターがあった、あの要素が「万葉集」の歌なるものがそれです。
日本文学の伝統? ふざけるなといいたい。「万葉集」の伝統でさえない。デタラメも休み休み言えですよ。国民をだますにもへたなだましかたです。「万葉集」を読めばすぐわかる。どこにいくつありますか。「万葉集」全四五〇〇首のうち、一〇か、せいぜい多くて二〇首あるかもしれないという程度のことでしょう。それがナショナリズムに使われた「万葉集」です。間違えて、「万葉集」のなかに入った歌を拾ってきて、日本文学の伝統だといった。文学を研究している以上、私はそのことを一度いっておく必要があると思った。戦争中に日本文学を使って煽ったナショナリズムはその程度の話です。「ますらをぶり」といい出したけれど、賀茂真淵は偉い人です。陸軍とは違う(笑)。だけど、彼にも少し責任はある。」
さて、如何でしょう、何かしら関連性があるように思われましたでしょうか?
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本での大震災、その後の大雨などによる熊本をはじめとする九州での被害が軽微であること、そしてその復旧、復興作業が速やかに為されることを祈念します。
「しかしながら、人間が技術と直接的でなく間接的に結び付けられていることを認識するならば、ひとは、これと全く異なる判断に到達する。
つまり技術とは、労働者の形態が世界を動員する方法なのである。
人間が決定的に技術との関係を取り結ぶ程度、人間が技術によって破壊されるのではなく支援される程度は、労働空間において通用する言語に熟達することにほかならない。
この言語は、文法のみならず形而上学をも有するがゆえに、他のどんな言語よりも重要で深遠である。
この関連において、機械は、人間同様、二次的な役割を演じる。機械は、この言語が語られる発声器官の一つにすぎないのである。」
この抜粋引用部を現在読んでみますと、多少観念的、抽象的であると思われるフシもありますが、それでもなかなか興味深く、また、現在の我が国において参考になる部分もあるのではないかと思いますが如何でしょうか?
ちなみにエルンスト・ユンガーは、その思想の一面からナチズムの先駆者であると見做されることもあるようですが、それは多少仔細に見てみますと「大きく異なるのではないか。」と思うに至ります・・。
また、そうしたことは、ニーチェの思想(の一側面、一部分)がナチス政権ドイツに利用されたことと多少事情が異なると思われますが、それらに共通する現象とは『本来、これらの闘争的な要素を賛美する「部分」が見受けられる思想とは、それが一たび政府、権威筋により正当性を持つものであるとされ、取り上げられると、まさに『そのこと』により、本来それらの思想が有していた「良いもの」が、すり抜けていってしまうのではないか』ということではないでしょうか?
また、大抵の思想には、何かしら、そのような(危険な)傾向があるのではないかと思いますが如何でしょうか・・?
そして、もしかすると、現在、世界各地にて見られる好戦的、排他的とも見られる様々な傾向、風潮とは、その背後には、何かしらこういったメカニズムが存在、駆動しているのではないかと考えさせられます。
また、ここまで記していて不図、加藤周一著「日本文学史序説」補講(pp.63‐65)での記述を想起しましたので、下に示します。
「「万葉集を全部読むと、たしかに「防人」の歌はちょっとあるけれども、恋愛また恋愛です。最も大きなテーマは自然でさえなくて、恋愛です。その意味では、根本的には「古今集」とそう違わない。「古今集」はもっと純粋化してほかの要素を全部捨てちゃった。「万葉集」にはほかの要素もたくさん入っています。しかしいちばん大きなテーマはあきらかに恋愛、相聞です。大伴家持は「万葉集」の編纂者らしいのですが、彼の歌に戦争と天皇への忠誠などをうたっているのはどこにもない。圧倒的に恋の歌で、ごく例外的に「防人」の歌がある。「防人」の歌は全体のごく小部分です。「防人」は二つの部分から成っていて、一つは、九州を中心としたところの沿岸防備の兵隊のことで、徴兵された人たちです。その範囲は関東まで入っています。各地から徴兵でとって、兵隊として訓練して九州各地に配備した。関東から九州までは遠い。旅は大変だった、故郷を何年も離れることは、郵便制度はないですし、家族や恋人と引き裂かれるものですから、病気で死ななくても大変だった。病で死ぬことも大いにあった。
もう一つは、徴兵をする側の下士官みたいな役割の人たち。しかし「防人」の歌の大部分は徴兵される人の歌です。そういう大部分の人たちがいったいどういう歌を作っていたこというと、ああ悲しい、兵隊にとられてたまったものではない。家族や恋人と別れなければならない、一日も早く帰りたい、何でこんなひどい目に遭うのだろう、の一点張りです、ほとんど全部。天皇のために死のうなんてただの一首もない。それは調べればわかることです。ところが下士官というものは政府の下っ端役人でしょう、いやがる兵隊を捕まえて九州に連れて行く側です。はっぱをかけるために、みんなで一緒に天皇のためにたたかいましょうとかなんとかいうわけです。そういう「防人」の歌の一部分は、下士官のつくった歌なんだからそれは戦闘的です。政府の政策みたいなものです。
米国は戦争のとき、志願しなさいというので、アンクル・サムが出てきて指をさしてAmerica Needs You.なんてポスターがあった、あの要素が「万葉集」の歌なるものがそれです。
日本文学の伝統? ふざけるなといいたい。「万葉集」の伝統でさえない。デタラメも休み休み言えですよ。国民をだますにもへたなだましかたです。「万葉集」を読めばすぐわかる。どこにいくつありますか。「万葉集」全四五〇〇首のうち、一〇か、せいぜい多くて二〇首あるかもしれないという程度のことでしょう。それがナショナリズムに使われた「万葉集」です。間違えて、「万葉集」のなかに入った歌を拾ってきて、日本文学の伝統だといった。文学を研究している以上、私はそのことを一度いっておく必要があると思った。戦争中に日本文学を使って煽ったナショナリズムはその程度の話です。「ますらをぶり」といい出したけれど、賀茂真淵は偉い人です。陸軍とは違う(笑)。だけど、彼にも少し責任はある。」
さて、如何でしょう、何かしら関連性があるように思われましたでしょうか?
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本での大震災、その後の大雨などによる熊本をはじめとする九州での被害が軽微であること、そしてその復旧、復興作業が速やかに為されることを祈念します。
2016年7月1日金曜日
20160630 言語の層・相?について・・
A「最近お目にかかった複数の年長の知人から「何かしら書き続けることは良いことですよ・・。」といった意味のことをいわれました。
以前、これらの方々に対しブログ記事を作成していることをお伝えしたことはありませんので「これはもしかしたら・・」と思い、不図「現在ブログを書き続けているのですが・・。」と、聞いてみようかと思いましたが、何故だか止めておきました・・(笑)。
これらの方々が一連のブログ記事をご存じであるかどうか分かりませんが、とりあえず、ありがたいご意見として、今後のブログ記事作成の糧にさせていただきます・・。
さて、つい先日ブログにて提示しました「ウスキ」などにまつわる書籍からの抜粋とは、なかなか興味深いものではなかったでしょうか・・?
また、その背景には、たしかに何かしら歴史的事実が認められる可能性が少なからずあるのではないかと思いますが、読んでいただいた方々は如何お考えになるでしょうか?
さて、ハナシは変わりますが、本日はある機会により、以前の専攻分野にて用いた専門用語を多く交えたハナシを聴くことが出来ました・・。
不思議なもので、こうしたハナシを聴きますと、そうした専門用語の体系および観念が脳裏に想起されます・・。
こうしたことは、おそらく、いくつかの学問研究分野においても同様の現象が生じるのではなかと思います・・。
これを読まれている皆様にもおそらくそういった経験があるのではないかと思いますが如何でしょうか・・?
こうしたことは、何といいますか、各々学問研究分野特有の言語の層らしきものがあり、それが、何らかのきっかけにより、自身の精神?がその中に参入してゆくのではないかと思います・・。
精神は、そうした言語の層の中において、それら言語の操作、改変、再配列などを行い、それが思考と呼ばれるものの一側面ではないかと思われます・・。
同時に、こうしたことはブログ記事作成時の早さ、質などにも影響を与えるのではないかと思います。
とはいえ、そうであるからといって、その層の中に精神がドップリ浸漬している状態が必ずしも良いというわけでもないらしく、少なくとも私の場合、それら言語の層の境界、界面付近に精神が在るときが最も滑らかに文章が出てきているのではないかと思われます・・・。
かなり抽象的且つ感覚的なハナシにはなってしまいますが・・(苦笑)。
このように書いておりますと「では現在の私とは、何と何の言語の層の境界、界面にいるのだ?」と自問するハメになるのですが、そうしますと「哲学?と歯科理工学ではないかな・・?」
などと思った次第ですが、これを読まれている皆様は如何お思いでしょうか・・(笑)?
加えて、そのように考えてみますと、以前の私とは、こうしたハナシの仕方を現在に比べ割合多くしていたように思います・・。
これはいくつかの研究分野を横断してきた私のクセ、特徴であるのかもしれません・・(苦笑)。
これは美点あるいは欠点であるか分かりませんし、おそらくそれは、周囲の環境などによっても大きく異なってくるのではないかと思います・・。
とはいえ、ここまで記していて不図、学位取得直後、ある年長の知人に「本来修士をいくつ持っていても博士にはならないのだけれど、君の場合はまたちょっと特殊かもしれないね・・(笑)。」といった意味のことをいわれたことを想起しました・・(苦笑)。
そうした評価の意味とは、どのようなものであれ構いませんが、願わくは、将来的に、そうした「特殊性」を活かすことの出来る職に就きたいと考えております・・(笑)。
とはいえ、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、先日来より九州南部にて大雨が降っていると聞き及びますが、この大雨による被害が無く、あるいは軽微であること、そしてさる四月に大震災のあった熊本における支援、復旧、復興作業に支障がないことを祈念します。」
以前、これらの方々に対しブログ記事を作成していることをお伝えしたことはありませんので「これはもしかしたら・・」と思い、不図「現在ブログを書き続けているのですが・・。」と、聞いてみようかと思いましたが、何故だか止めておきました・・(笑)。
これらの方々が一連のブログ記事をご存じであるかどうか分かりませんが、とりあえず、ありがたいご意見として、今後のブログ記事作成の糧にさせていただきます・・。
さて、つい先日ブログにて提示しました「ウスキ」などにまつわる書籍からの抜粋とは、なかなか興味深いものではなかったでしょうか・・?
また、その背景には、たしかに何かしら歴史的事実が認められる可能性が少なからずあるのではないかと思いますが、読んでいただいた方々は如何お考えになるでしょうか?
さて、ハナシは変わりますが、本日はある機会により、以前の専攻分野にて用いた専門用語を多く交えたハナシを聴くことが出来ました・・。
不思議なもので、こうしたハナシを聴きますと、そうした専門用語の体系および観念が脳裏に想起されます・・。
こうしたことは、おそらく、いくつかの学問研究分野においても同様の現象が生じるのではなかと思います・・。
これを読まれている皆様にもおそらくそういった経験があるのではないかと思いますが如何でしょうか・・?
こうしたことは、何といいますか、各々学問研究分野特有の言語の層らしきものがあり、それが、何らかのきっかけにより、自身の精神?がその中に参入してゆくのではないかと思います・・。
精神は、そうした言語の層の中において、それら言語の操作、改変、再配列などを行い、それが思考と呼ばれるものの一側面ではないかと思われます・・。
同時に、こうしたことはブログ記事作成時の早さ、質などにも影響を与えるのではないかと思います。
とはいえ、そうであるからといって、その層の中に精神がドップリ浸漬している状態が必ずしも良いというわけでもないらしく、少なくとも私の場合、それら言語の層の境界、界面付近に精神が在るときが最も滑らかに文章が出てきているのではないかと思われます・・・。
かなり抽象的且つ感覚的なハナシにはなってしまいますが・・(苦笑)。
このように書いておりますと「では現在の私とは、何と何の言語の層の境界、界面にいるのだ?」と自問するハメになるのですが、そうしますと「哲学?と歯科理工学ではないかな・・?」
などと思った次第ですが、これを読まれている皆様は如何お思いでしょうか・・(笑)?
加えて、そのように考えてみますと、以前の私とは、こうしたハナシの仕方を現在に比べ割合多くしていたように思います・・。
これはいくつかの研究分野を横断してきた私のクセ、特徴であるのかもしれません・・(苦笑)。
これは美点あるいは欠点であるか分かりませんし、おそらくそれは、周囲の環境などによっても大きく異なってくるのではないかと思います・・。
とはいえ、ここまで記していて不図、学位取得直後、ある年長の知人に「本来修士をいくつ持っていても博士にはならないのだけれど、君の場合はまたちょっと特殊かもしれないね・・(笑)。」といった意味のことをいわれたことを想起しました・・(苦笑)。
そうした評価の意味とは、どのようなものであれ構いませんが、願わくは、将来的に、そうした「特殊性」を活かすことの出来る職に就きたいと考えております・・(笑)。
とはいえ、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、先日来より九州南部にて大雨が降っていると聞き及びますが、この大雨による被害が無く、あるいは軽微であること、そしてさる四月に大震災のあった熊本における支援、復旧、復興作業に支障がないことを祈念します。」
2016年6月29日水曜日
谷川健一編「地名の話」平凡社刊pp.195‐198より抜粋 20160629
A「先日来より理由はわかりませんが、西欧の方々の閲覧者が増加しております・・。
もしかしたら「英国のEU離脱の報が影響しているのでは・・?」などとも考えてみましたが、ともかくその関連性がイマイチよくわかりません・・。
とはいえ、興味を持ち閲覧してくださる方々が増えることは、記事を作成している私にとっては大変ありがたいことですので、あまり奇をてらわずに何かしら書き続けてゆこうと思います。
また、おかげさまで全体の閲覧者数は95000人を超え、このままのペースで行けば、もうじき100000人に到達するのではないかと思われます・・。
ブログをはじめてから1年1カ月あまりで100000人に到達するのは決して早い方ではないようですが、それでもこれは、どうにか継続して記事を作成してきたおかげであると思っています。
そういえば、先日のブログにて記した地名「ウスキ」について記された面白い記述を見つけましたので以下に抜粋引用します。」
「谷川 中野さんは「八幡信仰史の研究」のなかで、宇佐氏とか大神氏とか辛島氏など宇佐八幡の神職の家のことを書いておられますね。その中の大神という名前は大和三輪山の祭祀氏族である大神氏から出たといわれていますが、宇佐八幡の「託宣集」を見ますと、まず辛国の宇豆高島に降臨した八幡神が、次に大和国の膽吹嶺に移ったと書かれています。この膽吹嶺は大和にみつからないのですが、「和名抄」にある大和宇陀郡の伊福郷のことだろうと先生はお考えのようですね。
中野 私は宇陀郡をつぶさに歩いてまいりました。
谷川 私は前から伊福という地名に関心をもっているのですが、「和名抄」にのっている六ケ所の伊福という地名のうち、四カ所が銅鐸出土地なんです。そこで、古代の伊福部という氏族はおそらく鋳銅に関係をもったのじゃないか、と推測をたてましてね。伊福の福は真金吹くとか銅を吹くとかの吹くに相当して、金属を精錬する時に使用するふいごに関係のある語だと思うのです。
それで大和国の膽吹嶺を宇陀郡の伊福郷(現在の大宇陀町)に比定され、またそのとなりの菟田野町の大神という部落を、宇佐に関係のある大神氏の出身地と考えられる中野先生の御説にたいそう関心をもったわけです。じつは大神部落と目と鼻のところにある大沢とか松井という部落には水銀鉱山があり、戦後も採掘していたのですね。現在は採集をやめているようですが、そこで宇佐の八幡神がいったん大和の膽吹嶺に飛んで、また最後は宇佐に帰っていったという伝承も意味深長で、銅とか水銀とかに関係のある技術集団を、大神氏が伴って宇佐にやってきたのか、あるいは大神氏自身がそうした技術をもっていたのか、いろいろと想像してみたくなるのですね。
ところで「託宣集」にもどりますが、いったん大和の膽吹嶺に移った神は、こんどは紀伊国の名草浜に移る、とあります。紀の川下流一体が名草ですね。日前宮のある付近。
中野 そうです。紀伊国と国東・宇佐との往復は極めてはげしかったようです。
谷川 ところで私は昨年国東半島を一周してふしぎに思ったのは、キという言葉のつく地名の多いことです。ざっと見ても堅来・櫛木・岐部・富来・来浦・安岐・杵築など。
中野 ここは古い豪族の育った所で、その姓は紀伊国の紀氏が非常に多いのです。
谷川 それはどういうわけでしょう。
中野 まだはっきりわかりませんが、石清水八幡宮別当紀氏の関係かと考えましたが、もっと前からだと思われる点もあります。とにかく紀氏は紀伊国がもっとも多く、大和・和泉・河内を主とし、山城・美濃などに広がり、紀部になると中国・四国に広がっている。こういうようにみると、海上交通の関係から宇佐・国東にも入ったと思われます。
谷川 「神功紀」に紀直の祖豊耳というのも出てまいりますね。紀氏とトヨが出てくるものでへんな感じがしたことがあります。
中野 国東の古い豪族はほとんど紀氏で、後の八幡宮に所属しているのが多いのです。
谷川 その紀氏は紀州に起源をもっている?
中野 分布からみてもそうだと思います。
谷川 数年前に徳島県南部の海岸を高知県境までたどってみたことがありますが、あそこもキのつく部落が多い。牟岐・木岐・志和岐・由岐というふうに点在しています。今の阿南市の富岡もまえは牛岐といったそうです。この岐の字のつく地名は、海士のばあいも海女のばあいもありますが、例外なく海人部落なんですね。高知県に入りましても、佐喜浜という海女部落だったところがあります。ところで阿波徳島の吉野川の南は昔は長の国と呼ばれて、瀬戸内海における安曇の海人の根拠地だったところですので、この岐の字のつく海人部落も安曇氏と関係があるかな、と考えたことがあるのです。そこで最初おっしゃった豊前・豊後の安曇氏と海部の関係のことが気になるのですが・・・。」
もしかしたら「英国のEU離脱の報が影響しているのでは・・?」などとも考えてみましたが、ともかくその関連性がイマイチよくわかりません・・。
とはいえ、興味を持ち閲覧してくださる方々が増えることは、記事を作成している私にとっては大変ありがたいことですので、あまり奇をてらわずに何かしら書き続けてゆこうと思います。
また、おかげさまで全体の閲覧者数は95000人を超え、このままのペースで行けば、もうじき100000人に到達するのではないかと思われます・・。
ブログをはじめてから1年1カ月あまりで100000人に到達するのは決して早い方ではないようですが、それでもこれは、どうにか継続して記事を作成してきたおかげであると思っています。
そういえば、先日のブログにて記した地名「ウスキ」について記された面白い記述を見つけましたので以下に抜粋引用します。」
「谷川 中野さんは「八幡信仰史の研究」のなかで、宇佐氏とか大神氏とか辛島氏など宇佐八幡の神職の家のことを書いておられますね。その中の大神という名前は大和三輪山の祭祀氏族である大神氏から出たといわれていますが、宇佐八幡の「託宣集」を見ますと、まず辛国の宇豆高島に降臨した八幡神が、次に大和国の膽吹嶺に移ったと書かれています。この膽吹嶺は大和にみつからないのですが、「和名抄」にある大和宇陀郡の伊福郷のことだろうと先生はお考えのようですね。
中野 私は宇陀郡をつぶさに歩いてまいりました。
谷川 私は前から伊福という地名に関心をもっているのですが、「和名抄」にのっている六ケ所の伊福という地名のうち、四カ所が銅鐸出土地なんです。そこで、古代の伊福部という氏族はおそらく鋳銅に関係をもったのじゃないか、と推測をたてましてね。伊福の福は真金吹くとか銅を吹くとかの吹くに相当して、金属を精錬する時に使用するふいごに関係のある語だと思うのです。
それで大和国の膽吹嶺を宇陀郡の伊福郷(現在の大宇陀町)に比定され、またそのとなりの菟田野町の大神という部落を、宇佐に関係のある大神氏の出身地と考えられる中野先生の御説にたいそう関心をもったわけです。じつは大神部落と目と鼻のところにある大沢とか松井という部落には水銀鉱山があり、戦後も採掘していたのですね。現在は採集をやめているようですが、そこで宇佐の八幡神がいったん大和の膽吹嶺に飛んで、また最後は宇佐に帰っていったという伝承も意味深長で、銅とか水銀とかに関係のある技術集団を、大神氏が伴って宇佐にやってきたのか、あるいは大神氏自身がそうした技術をもっていたのか、いろいろと想像してみたくなるのですね。
ところで「託宣集」にもどりますが、いったん大和の膽吹嶺に移った神は、こんどは紀伊国の名草浜に移る、とあります。紀の川下流一体が名草ですね。日前宮のある付近。
中野 そうです。紀伊国と国東・宇佐との往復は極めてはげしかったようです。
谷川 ところで私は昨年国東半島を一周してふしぎに思ったのは、キという言葉のつく地名の多いことです。ざっと見ても堅来・櫛木・岐部・富来・来浦・安岐・杵築など。
中野 ここは古い豪族の育った所で、その姓は紀伊国の紀氏が非常に多いのです。
谷川 それはどういうわけでしょう。
中野 まだはっきりわかりませんが、石清水八幡宮別当紀氏の関係かと考えましたが、もっと前からだと思われる点もあります。とにかく紀氏は紀伊国がもっとも多く、大和・和泉・河内を主とし、山城・美濃などに広がり、紀部になると中国・四国に広がっている。こういうようにみると、海上交通の関係から宇佐・国東にも入ったと思われます。
谷川 「神功紀」に紀直の祖豊耳というのも出てまいりますね。紀氏とトヨが出てくるものでへんな感じがしたことがあります。
中野 国東の古い豪族はほとんど紀氏で、後の八幡宮に所属しているのが多いのです。
谷川 その紀氏は紀州に起源をもっている?
中野 分布からみてもそうだと思います。
谷川 数年前に徳島県南部の海岸を高知県境までたどってみたことがありますが、あそこもキのつく部落が多い。牟岐・木岐・志和岐・由岐というふうに点在しています。今の阿南市の富岡もまえは牛岐といったそうです。この岐の字のつく地名は、海士のばあいも海女のばあいもありますが、例外なく海人部落なんですね。高知県に入りましても、佐喜浜という海女部落だったところがあります。ところで阿波徳島の吉野川の南は昔は長の国と呼ばれて、瀬戸内海における安曇の海人の根拠地だったところですので、この岐の字のつく海人部落も安曇氏と関係があるかな、と考えたことがあるのです。そこで最初おっしゃった豊前・豊後の安曇氏と海部の関係のことが気になるのですが・・・。」
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