2016年6月10日金曜日

20160609 過去の日記から・・

本日もまた若干帰宅が遅く、今現在「はて、本日はどういったコトを書こうかな・・?」と思案中です・・。

また、丁度今頃の季節とは、何かを記すには適していないのではないか?と不図思いましたが、そこから思い返してみますと、昨年のこの時期は、以前もブログ記事にて記した通り、自分の文章が書けないことで悩んでおり色々と試み、悪戦苦闘しておりました・・。

たしかにあの時期に比べますと、現在は何かしら文章らしきものを書くことができるようにはなったのではないかと思います。しかしながら、さらに以前の文章を書くことができていた時期に比べますと、どうもイマイチのような気がしてなりません・・(苦笑)。

しかし、であるからといって、ここで変に頑張り、根を詰め過ぎますと逆効果にもなりかねませんので、こうした時期はあまり焦らずにとりあえず何かしら書き続けることが重要なのではないかと思います・・。

そして、そのようなことを考えているうちに、不図2013年に記した日記を取り出すことを思い起こし、それを読んでみますと、2013年のこの時期は、かなり精神的に病んでいたようであり、その年の6月9日とは日曜日であり、市電にて天文館まで出向き、照国神社の表参道沿いにあるドトールコーヒーにて当時の専攻研究分野の関連論文と共に村上兵衛著の「Japan:The years of Trial, 1919-52」を読んでいたようです。

また、そこ(日記)には読んだ論文、書籍箇所の感想などが記されているようですが、ノートのその箇所が雨によりインクがにじみ、判読が困難な状況となっています・・・。

また、更に頁をくだってみますと、そこから約一カ月後には学位審査があり、その数日前、別の地の大学院博士課程に進まれた先輩から「闘魂」と記された鉢巻が送られてきたこと、および数人の方々から激励のメッセージを頂いたことが記されておりました・・。

ちなみに、この鉢巻は学位審査時に懐に収めて臨み、そして現在なお保管しております・・。

こうしたことから、やはり2013年のこの時期は私にとって何かが大きく揺れ動いていたのではないかと思われます・・(笑)。

また、他の方々のそうした経験、時期のことを聞いてみますと、やはり何かしら色々と、おかしなことが心身に生じていたということです・・。

ああいうのは一体どういった原因による現象であるのか、今現在を以ってよくわかりません・・。

そして今後、自分なりにそういったことが理解できる、言語化して説明することが出来る日がくるのであろうか?とは、なかなか興味深い疑問でもあります・・・(笑)。

とはいえ、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

また、さる四月の九州・熊本での大地震によって被災された地域における生活諸インフラの早急の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。








2016年6月9日木曜日

20160608 地下鉄にて・・

A「本日は所用にて夕刻前(17:00頃)地下鉄に乗ることになりました。

この時刻は帰宅の混雑は未だはじまっておらず、空席が目立ち、その中の一つに座り、ノートにブログの下書きを書きはじめました。
それは「おそらく本日も帰宅は遅くなるであろう・・」と考えたためです。
こうして何かしら書いておけば、帰宅後、ブログ記事の作成が多少速やかに行うことが出来るのではないかと思いましたが、残念ながら、そこで書いた内容とは、現在ここで記したいと考えている内容とはなかなか結び付かず、少し難儀しております・・(苦笑)。

とはいえ、そこ(車内)で書いたことを少し取り上げてみますと、地下鉄の中で座っている方々の殆どがスマートフォンに向かい何かしてしていること、また、私のとなりに座った海外からの観光客(壮年男性)がいくつも付箋が貼ってある東京、京都の観光案内本(おそらくフランス語)を熱心に読んでいることが、なかなか面白い対照をなしているのではないかといった内容でありました。

しかし、このようなことを現在書いてみても、さきに書いた通り、あまりその先の文章を展開させてゆこうとは考えないところもまた、なかなか面白いのではないかと思います・・(笑)。

また、それと関連することとなりますが、ここ最近は特に週末に書く記事以外は、あまりノートに下書きをすることなく、即興にて作成していることが多いです。

以前は一つ一つの記事に対し、下書きをしてから作成していたので、こうした変化とは、一面においては技術の向上、あるいは他面においては省略化、省力化とも見做すことが出来るのではないかと思います・・(苦笑)。

そして実際、下書きをしてから作成した記事の方が内容的に深いものが多く、自分なりにひねっていたり、努力していることがうかがわれます・・。

しかし、そうはいうものの、以前も当ブログにて記しましたが、かつて主流を占めていた対話形式の一連の記事とは、概ね実際の対話に基づいたものであるため、多少の「努力」や「ひねり」はあるものの、創造といった要素はあまり多くないと思われます・・(苦笑)。

それ故、これまで一応300以上のブログ記事を作成してはきましたが、それでも私は小説家が書く物語のようなものが書けるなどとは到底思えません・・(苦笑)。

そして、それがおそらく今現在の私の限界ではあるのでしょうが、その一方で小説、物語などを書かない著述家、随筆家などもおりますので、こうしたことはおそらく、各々の性質に合ったところに自然とおさまってゆくものなのではないかと思います・・(笑)。

とはいえ、私はこの先、文章を書いて生活してゆくことが出来るとはあまり考えておりません(当たり前ですが)。

しかしながら、私の場合、このブログ形式でも、何かしら書き、発信し続けないと「マズい」と強く思うところがあるため、これまで何かしら書き続けているのです・・。

そして、その「強く思うところ」の原因がこれまた以前ブログにて記した「学位の持つ毒」です・・。
これを読まれている方々は「そんなもの本当にあるのだろうか?」と思われるかもしれませんが、私の実体験からしますと、それは心理、精神的な部分が殆どであると思いますが実際に存在すると思います・・・。

そしてそれは、少なくとも私のような本質的に決して、あるいは到底勤勉とはいい難い人間(笑)が300程度のブログ記事を概ね連投気味で書き続けさせる程度の重みがあるのではないかと思います・・(笑)。

また、今現在、私はその重みを十二分に支えられているとも考えておりませんので、今後もうしばらくは書き続けなければダメなのかもしれません・・・(苦笑)。

しかし、それでも私などは随分と異なった学問分野を横断してきましたので、悪い意味ではなく、こうした形式(ブログ)の発信が相応、似つかわしいのではないかとも思います・・。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
そして、さきの九州・熊本での大地震により被災された地域の諸インフラの回復、復旧そして今後の復興を祈念しております。」

2016年6月8日水曜日

20160607 気候風土と地域文化について・・

A「本日も若干帰宅がおそくなり、今現在、日をまたぐ少し前にブログ記事の作成をはじめました。

ここ最近は気温も徐々に上がってきておりますが、本日は雨模様の天気にて気温はあまり上がりませんでした。

また、この時期になりますと、何故だか九州でのことを思い出します・・。
あちらの気温は北部の福岡などの場合、首都圏とあまり変わらないことも多いのですが、それだけではない、何か地域的な風土もまた、その体感的な過ごし易さに影響を与えているのではないかと思われます・・・。

また、それは南の鹿児島においても同様ではあるのですが、鹿児島までいきますと、明らかに平均的な気温も首都圏などより高かったと記憶しております。

そして、こうした各々平均気温などに地域固有の気候風土などが加味されますと、おそらく、そこで生息することが可能な細菌の種類などにも影響を与えるのではないかと思います。

それ故、科学的なバイオ技術が進化発展する以前の時代においては、そうした地域性、風土とは、醸造、蒸留技術などに対しても強い影響力を持っていたのではないかと思われます。

そして、そうしたことから特に南九州地域において有名な「焼酎」も生み出されたのではないでしょうか?

また、先日来から当ブログ記事にて幾度か取り上げている野上彌生子著の「迷路」の設定においても主人公の実家家業が醸造業となっており、度々作中にて取り上げられるその描写には、なかなか興味深いものがあります・・。

また、この野上彌生子の例も含め、我が国においては醸造業を営んでいる家の多くが文化人、芸術家そしてまた地域文化における指導者、政治家などを生み出してきているということは、なかなか興味深いことではないかと思われますが如何でしょうか?

しかしまた、こうした現象?を唯物論的あるいは構造主義的に考えてみますと、それはそれでなかなかキレイに論理的な説明が為されないこともないのですが、その一方において「では、果たして全てが全て、そうした論理にて片付けることが出来るのであろうか?」とも考えさせられるのです・・。

こうしたことを一例として考えてみますと、ナマの現象を論理にて切り分けてゆく難しさが示されるのではないかと思います・・(笑)。

そしてまたさらに、さきに示した現象と特に近代以降の我が国において盛んに研究が為されている細菌、微生物、バイオ系の学問との間には何かしら関係性、親和性があるのではないかとも考えさせられるのです・・。

現在、我が国(特に都市部)において殺菌、滅菌といったことが盛んに取り上げられているようですが、こうした傾向が行き過ぎると、もしかすると、古来よりの我が国の風土、特性といったものをも損なう可能性もまたあるのではないかと考えさせられます・・。

しかしながら、一方において、殺菌、滅菌などを含めた公衆衛生観念の向上が様々な病気による死亡率あるいは乳幼児、高齢者の死亡率をも低下させたともいえるのですが・・。

それ故、こうした問題とは、なかなか白黒つけることが難しいものであるのかもしれません・・。

また、ハナシは変わりますが、先日来よりのブログ記事の閲覧状況を見てみますと、そこからまたよく読んでくださっている方(方々)がいらっしゃるのではないかと考えさせられます・・。

何れにしましても興味を持って読んでくださっている方々のお蔭でここまで書き続けることができております。
ここまで興味を持って読んでくださってどうもありがとうございます。

また、去る九州・熊本での大地震によって被災を受けられた地域における諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




2016年6月6日月曜日

20160606 神妙めいた独白の由来・・

本日も若干帰宅が遅く、現在もPCを前に「はて、本日は何を記事の題材にしようかな・・?」と思案中です。

このように思案をしていて、そのうちに良いアイデアが出てくれば良いのですが、毎回のように、ことはそう簡単には運んでいってはくれません・・(苦笑)。

そう考えてみますと、睡眠時間というものはなかなか重要なものではないかと思います・・。

これまでにブログ記事を作成してきましたが、概ね良い記事であると自身が感じることができるものは、ある程度睡眠時間をとっている日のものが多いのです。

しかし、決してそうとはいえない状況のもとで書かれた記事であっても、そのなかには良いと思われるものも混ざっていることがあるのではないかと信じ、今回もブログ記事を作成しはじめた次第です・・(苦笑)。

それよりも、投稿ブログ記事が300を越えた現在においても特に大きな行き詰まり感を感じず無事に記事を書き続けることが出来ていることは、なかなかありがたいことであるのではないかと思います。

その一方、何故私はこんな金銭的利益にもならないここうしたブログを記し続けていているのでしょうか?

おそらく人によっては「そんな価値のない、よくわからないくだらないことをしていないで、もう少し睡眠時間を増やす努力をしてみたらどうだろうか?」などと考えられる方々もいらっしゃるのではないかと思います・・。

また、私自身ももう少し睡眠時間が欲しいと思うことがありますが、しかしそれはブログ記事の作成とは別のことではないかと思います・・(果たして本当にそうなのであろうか?)。

あまり頑なになりすぎるのも如何なものかと思いますが、一方において、ここまで一応ブログ記事を継続的に投稿してきた背景には、多少の無理もまた存在していたのではないかとも思います。

そうした意味において、ブログ記事を継続して作成するためには、何と言いますか、一種のバランス感覚らしきものが必要なのではないかと考えさせられます・・。

また、それと同時にあまりムキにならない、先を急がないことが重要ではないかと思います・・。

そして、こうしたことは実験、研究、読書などともある程度共通するものではないでしょうか?

とはいえ、現在の投稿ブログ記事数もたかだか300ばかりですので、この段階では、あまり如上のやうな大風呂敷を広げない方が良いのではないかとも思いますが・・・(笑)。

また、その一方において「私の作成しているこのブログとは果たして如何なる方向に向かっているのだろうか?」と最近になり不図考えてみることがあります・・・(笑)。

このようなことを書きますと、何故だか書籍からの抜粋引用をしてみたくなります・・。
こういったことは、おそらく私の弱さに少なからず由来しているのではないかと思います・・(笑)。

また、こうした「神妙めいた独白」について考えてみますと、どうもシェークスピアの「マクベス」「ジュリアス・シーザー」などの登場人物達の想念の独白、あるいは我が国でしたら木下順二の「子午線の祀り」における平知盛のそれを彷彿とさせます・・(笑)。

そのように考えてみますと、こうした劇、脚本における表現の仕方とは生身の人間の想念に順った結果、生まれ出た表現方法であるのかもしれません・・。

あるいは私がそれら著作を以前に読み、半ば無意識ながらその表現方法を真似しているだけであるかもしれません・・(苦笑)。

そういえば、先ほど出ました木下順二作の「子午線の祀り」は「平家物語」をベースとした劇の脚本であり、かなり面白いと思われます。
こうした劇、脚本に興味ある方々は一度読まれてみては如何でしょうか?

しかし、それはさておき、少し前の我が国においては自国の古典に基づき、こうした劇、脚本が作られていたことに多少の驚きを禁じ得ません・・。

また、以前も当ブログ記事に記しましたが、作者である木下順二は熊本県熊本市に出自を持っております・・。
さきの九州、熊本での大地震により被害を受けた地域の今後の復旧、復興を祈念いたします。

また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。





2016年6月5日日曜日

20160605 ブログ閲覧者数の推移について・・

A「おかげさまで昨日再度ブログの閲覧者数が1000人に達しました。
そういえば、つい先日、投稿記事数が300を越えたのですが、もしかすると、そういったことが何かしら影響しているのかもしれません・・。

とはいえ、作成している記事のクオリティーなどは以前とあまり変わっていないと思いますので、一体どのようなことが作用してこうしたこと(1日の閲覧者数が1000人を越える)が生じたのか、いささか不思議に思うところでもあります・・(笑)。

まあ、記事を作成している私からすれば、それは嬉しいことではあるのですが・・。

しかし、次に閲覧者数が1000代から10000代に行くまでは相当大変であると思いますので、これはまあ「そこまで到達すればラッキーですね(笑)。」といった、どちらかというとユルい感じで今後記事を作成し続けようと考えております・・。

また、考えてみますと投稿記事数が300に到達したのもつい最近でしたので、その後あまり意識しないうちに10記事以上作成していたことになります・・(笑)。

そうしますと、次に目指すのは400記事の投稿ということになりますが、おそらくそれより前に閲覧者数が10万人に到達するのではないかと思います。

具体的には、今現在、閲覧者数が8万人以上ですので、このまま順調に行けば今後2カ月程の間に10万人に到達するのではないかという目論見です。

閲覧者数が10万人とは、随分スゴイものだと以前(丁度一年前の私)でしたら考えるところですが、現在それが現実感を持っているというのは、大した変化ではないでしょうか・・?(笑)。

とはいえ、まだこの先に気が変わることも十分にあり得ますので、まあ今後もあまり気負うことなく記事を作成、投稿し続けて行きたいと考えております・・。

これまで興味を持って一連の記事を読んでくださった皆様、今後もどうぞよろしくお願いします。

そういえば、つい先日投稿した医療職関連の記事はおかげさまで通常より閲覧者が伸び、そのことから、これは悪くない内容であったのかもしれないと不図思いましたが、それでもあまり欲を出さず、見せずに自身の興味を持った内容のみを書いてゆこうと思います・・(笑)。

また、同様に先日投稿した医療職関連の記事に関係があるのかもしれませんが、以前大学図書館にて見つけ興味を持ち、その後購入し、さらにその後、博士課程に進学する知人に進呈した中央公論社刊の日本の近代シリーズの一冊、竹内洋著の「学歴貴族の栄光と挫折」を昨土曜日に神保町の古本屋にて程度が良く安価なものを偶然見つけ、しばらく迷った挙句購入しました。
これはまた機会を見つけ、ゆっくり読んでみたいと考えております。

そういえば、今現在ゆっくり読みたい著作といえば、みすず書房より刊行されているバートランド・ラッセル著の「西洋哲学史」全三冊(出来れば原書をも含め)と英訳版の野上彌生子著の「迷路」といったところでしょうか・・。
また、さらに付け加えさせていただくならば、今後、再度そうしたことが職務にて役に立つ、生かすことのできる職に就きたいと考えております・・。
とはいえ、今後しばらくは現在の職務に励もうとは考えておりますが・・。

今回もここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
そして去る四月半ばの九州、熊本における大地震にて被災された地域の早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」





20160604 修士課程の重要性についての私見・・

昨日投稿したブログ記事においては思いがけなく、いくつかの思想について書いてしまいましたが、その内容には特に新しい要素はなく、まあこれまで一般的に指摘されてきたことではないかと思います。

とはいえ、何の拍子か、こういったことが脳裏に浮かんでくるというコト自体、後になって考えてみますと何だか面白いものです・・(笑)。

私はこれまでに哲学や思想史などを自身の専攻分野としたことはありませんので、こうしたことは修士院生時代に培ったのではないかと思います。
また、その時代以外においては、そうしたことにある程度深く接する機会もありませんでした。

当時は自身の専攻分野以外にもあれこれと参考になりそうなものを読み、また異分野の方々と議論する機会が多くありましたので、おそらくそうした経験により、どうにかそうした勘所らしきものを掴み、その後の読書などにおいても、そこで培った体系らしきものにその著作を関連付けて考えてゆくクセがついたのではないかと思います・・。

また、そうした考え方をする上において私のブログにて多く抜粋引用させていただいている加藤周一著の「日本文学史序説」とは、かなり有益且つ秀逸な著作ではないかと思います・・。

先日も電車の中でこの著作を読んでおりますと、また面白い箇所を見つけ、今後折を見つけ、このブログに抜粋引用してみようと考えております・・(笑)。

そして、ここまで書いてきて不図思ったことは、多くの方々はあまり指摘することがありませんが、実は修士課程とは理系、文系を問わず、かなり重要なのではないかということです・・。

この時期を経ることにより、ある程度自身の専門性、あるいは自身の向いている職業、学問分野といったものが自分でも分かるようになり、そしてその後のことについてもより具体的に考えることが出来るようになるのではないかと思います。

そうした意味において、ここ二十年来程度の傾向である看護師、歯科衛生士など医療職種の教育育成機関の学部、学科化(四年制大学化)そして更なる修士課程、博士課程の設置、大学院進学者の増加とは、工学部などにおける同様の現象(大学院進学率の増加・工学部においては既に修士課程進学は一般的)とその背景にある事情と(あるいは)類似しており、また、同様にその背景に、さきに述べた修士課程の重要性があるのではないかと考えさせられます・・。

ともあれ、幸運なことに私は双方(医療職種の教育育成機関、工学部)のそうした事情をある程度理解できる近さにいたことから、さきに述べた変遷、現象とは、少なくとも間違いではないと考えております。

また、同時に医療系職種のうち、歯科衛生士に関しては今後、更なる専門性の向上すなわち教育育成機関の拡充が望まれるのではないかと思います・・。

そういえば、我が国における歯科衛生士という資格はアメリカ合衆国由来のものであり、彼の国において歯科衛生士とは医療専門職として広く認知されており、映画「メアリーに首ったけ」という映画のメアリー(キャメロン・ディアス)の母親が歯科衛生士という設定であり、主人公のトイレ内での危機に的確に対応したのが彼女でした・・(笑)。

また、我が国においては森見登美彦氏の小説に出てくる羽貫さんといういささか変わった酒癖を持つ登場人物が歯科衛生士という設定であったと思われます・・。

我が国においては古来より医師の著述家は多く、また歯科医師のそれも若干いるようですが、今現在、自身の研究分野以外における著述にて有名な看護師、歯科衛生士とは、あまり聞くことがありません・・(私が知らないだけかもしれないが・・。)。

しかし、これもさきに述べた現象が進行、浸透するに伴い、事情も変わってくるのではないかと思われます・・。

そういえば、ある論文によると我が国の歯科衛生士とは、1990年代においてはその約7割が20歳代であり、その後の彼女等の努力および社会での認知の変化により、教育育成機関の四年制大学化、更なる専門性の獲得、研究のための大学院の設置へと進化発展をしているとのことです。

私はおそらく、元来が文系の人間ではあるのですが、こうした変遷(それはおそらく、進化発展であると思います。)とは、一面において文系の愛好する歴史の一種でもありますので、今後、この職種の更なる展開がいささか気になるところです・・(笑)。

とはいえ、私としてはこうした流れによって、看護、歯科衛生分野のみならず、どの分野においても活気があり才気煥発な女性研究者が増えたら、もう少し色々と社会が面白くなるのではないかと思いますが如何でしょうか・・(笑)?

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

また、さきの熊本での大地震により被害を受けた地域における諸インフラの復旧、そしてそこからの復興を祈念しております。」


There's Something About Mary



2016年6月4日土曜日

20160603 「慣れ」およびいくつかの思想について・・

本日も若干帰宅が遅くなりました。
また最近は電車通勤にも以前に比べ慣れてきたのではないかと思います・・。

これは自慢できるようなことではありませんが、それでも少し前までは「これからまた電車通勤などできるのであろうか・・?」と半ば本気で考えておりました(笑)。
慣れというのはスゴイものです・・。

また、慣れといえば、私にとっては現在継続し作成しているこのブログも一面において「慣れ」の産物です・・(笑)。

そういえば、昨年の今頃は300記事どころか100記事も書けるかどうかで四苦八苦しており、また、その文体も現在に比べ、何といいますか、頑なであり、同時に敢えて硬質な文体を以って書くことに対し、よくわからない美学あるいは憧れのようなものを持っていたようです・・(苦笑)。

また、硬質な文体といえば、理系の論文などがその一つの典型であると思われますが、この文体を用いて文章を書きますと簡潔明瞭ではあるのですが、その反面、文章を書く際に生じる創造性あるいは偶然の思い付きなどの芽を摘んでしまうような傾向もまたあるのではないかと思います・・。

それ故、たとえ硬質な文章を書く際においても、まずはじめに散文的な形式にて概ね主題に沿った内容の文章を(ダラダラと)書き、そして後にそれに対し重複箇所を削除、修正したり、精確を期するよう表現に改めてゆくといったような方法を用いることにより、それらしきものは書けるのではないかと思いますが、これは不真面目な意見であるかもしれません・・(笑)。

とはいえ、一方において散文的なものには散文的なものの良さといったものもまた存在すると思います・・。

その昔、ある著述家が「小説とは一つの哲学(観念の体系)を物語形式で述べたものである。」といった意味のことを述べておりましたが、私はこの意見は間違っていないと考えます。

もっとも聖書などはどちらとも(物語、哲学書)とらえることが出来、また、それと類似した形式にて書かれたニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」なども同様(どちらともとらえることができる)であるのではないかと思います。

そういえば、ゲーテがキリストのことを「当初キリストは政治的革命を試みたが後にそれは道徳的なものとなった。」といった箴言を述べておりましたが、そのことは少し前に製作されたキリストの後半生を描いた「最後の誘惑」という映画の内容にも共通しているのではないかと思います。

また「当初キリストは政治的革命を試みたが後にそれは道徳的なものとなった。」に関しては、孔子の儒教についても同様の傾向がある(あった)のではないかと思います。

とはいえ、双方の当時の覇権に対する挑戦といったある種の主体性の強さにおいては相異があるとは思いますが、これは東西文化の違いなのでしょうか・・?

さて、ハナシをもと(とはいえ、果たしてどこが「もと」なのだろうか(笑)?)に戻し、聖書と類似した形式にて記されたニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」に関しては、その後マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」などといった論文、学術書に精製、昇華されたのではないかとも思えます。

あるいはホセ・オルテガ・イ・ガゼットの「大衆の反逆」においても、それは同様あるいは類似した関係が「ツァラトゥストラかく語りき」との間にあるのではないかと考えられます。

さらに、それ(ニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」をはじめとする一連の思想)はバタイユの思想とも強い関連性があり、またバタイユの思想に関しては、三島由紀夫の特に後期の思想に対して強い影響を与えたのではないかといわれております・・。

また、その三島由紀夫は1960年代の我が国において「このままでは日本は日本でなくなり、その代わり無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう・・」といったことを述べておりました。
そして、必然か偶然かこれはマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の最終章において述べられている「精神のない専門人、心情のない享楽人、この無のものは・・」へとつながるのではないかと思います・・。

加えて、私がこれまでのブログにて幾度かその文章を抜粋引用させていただいた「ビルマの竪琴」にて有名な竹山道雄とは、ニーチェの著作の翻訳においても知られております。

さきの九州・熊本での大地震にて被災された地域の今後の早期の復旧そして復興を祈念しております。

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。