2016年5月2日月曜日

20160501 流行の「憧れとなる職業」について・・

九州、熊本にて被災された地域の方々の生活インフラ全般ができるだけ早期に復旧し、地震以前の状態まで復興することを祈念しております。

A「様々な書籍、資料を読んでおりますと、その中から、少なくとも近代以降の我が国においては、時代によって過度に憧れの対象となる職業があるように思われます。

そして、現在におけるそれは医師をはじめとする医療系の職種ではないでしょうか?

たしかに、それらの職種は、相対的に高給であり、安定しているといって良いと思います。

それに加え、景気的には低迷を続け、且つ国際情勢も不安定な我が国の現状から、より一層、医療系の職種が憧れの対象となるのではないかと思われます・・。

そして、戦前から戦中における、そうした職種とは、役人、軍人などであり、当時のそういった職種を養成する教育機関とは、現在における大学医学部、医科大学に近いような位置づけではなかったかと思われます。

そして、戦後しばらく経ち、時代も変わり、それら憧れの対象となる職種を養成する教育機関の位置づけ、および自身の学力が数値的にある程度具体的に測る(?)ことができるようになったことにより、それら教育機関への凝集とは、より強まったのではないかと思われます・・。

それに加え、そうした要素(数値的なマッチング)とは、時、人により自身の性質を内省し、その進路を決めることよりも重要視され、より上記の傾向(凝集性)が助長されていったのではないかと思われます・・。

自明といえば自明なことではあるのですが、教育機関の「教育」とは、本来個人の学力、資質を高め、それにより、地域、国の様々な面における活力を高めることが目標ではあるのですが、この場合、より重点を置かれるもの、あるいは、その主体となるものが「個人であるか」、「地域、国であるか」ということが重要であり、おそらく近代以降の我が国におけるそれは「国、地域」に、より重点が置かれていた「る」ように思われます・・。

そして、こうした傾向とは、首都圏、都市部以外の地域においてより一層強いのではないかと思いますが如何でしょうか?

また、前述の教育において、より国、地域(の権威)に重点が置かれている地方の権威筋においては、実のところ、さらに中央の権威(政府)に対し、往々にして面従腹背的な心性(それは歴史的経緯により仕方がないのではないかと考えますが・・)を持っているのではないかと思われます。

そして同時に、その中央の権威を自身が背負い、権威の源泉として地域住民に対し「戦前における官の権威」に近い権力を振りかざしていることもまた、あるのではないかと考えさせられます・・。(抑圧移譲・丸山真男)

また、こうしたことは、大岡昇平の「俘虜記」において比較的明晰に記されているのではないかと思われます・・。

とはいえ、この中央の権威(政府)なるものも、その背後には、他の、より大きな権威があるのではないかとも考えさせられます・・。


ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
お蔭さまで本記事をもちまして280記事となりました。

2016年4月30日土曜日

20160430 熊本について、およびブログの文章について★★★★

今回の九州・熊本にて生じた一連の地震により被災された皆様の様々な生活インフラが出来るかぎり早期に復旧、復興されることを心より祈念いたします。

先日、不図、熊本県熊本市に出自を持つ木下順二が何かに記していた「その昔の熊本士族とは、川(白川?)の土手に生えている草という草の類を、各々その持ち区分を定め、それを食べ尽すという伝統があった。」という内容を想起しました。

こうした伝統とは、南隣の国に在住していた私が想像する当地(熊本)の伝統、文化、風習と合致するものであり、また、森鴎外の「阿部一族」とは、この地の出来事であることもまた、私としては同様にそれらと合致するものでした。

さらに「石光真清の手記」もまた、多く当地を舞台とした大変興味深い歴史資料ではないかと思います。 

これらの書籍と併せて、ここ最近私のブログに頻出する野上彌生子著の「迷路」などを読んでみますと、熊本と大分で背景とする地域文化が異なるものの、当時の我が国社会の一側面が活き活きと脳裏に浮かんでくるのではないかと思いますが如何でしょうか?

A「これまでにある程度の期間ブログ記事の更新を継続して行ってきましたが、一般的にブログの記事とは、自明のことではありますが、その読み手を不特定多数に設定しております。


そうした事情から、ブログ記事の文章とは、ある特定の学問分野を専攻している方々を読み手として想定したような文章を書くことは望ましくないとも考えられます。


その一方において、ブログ記事を作成する場合、ある程度、その読み手、対象を想定する必要性があるともいわれます。


こうしたことには、矛盾があるのではないかとも思いつつ、記事の更新を継続して行ってきた結果、どうにか作成したブログ記事が300に近づいてきました。


これは、単純に読んでくださる方々がい続けてくださったお蔭であるといえます。
どうもありがとうございます。


まだ300記事までに20記事以上ありますが、今後も出来るだけ更新し続けようと考えておりますので、これまで興味を持って読んでくださっている皆様、今後もどうぞよろしくお願いします。


とはいえ、ここまでの記事更新により、私の書く文章、文体とは、多少なりとも向上したのでしょうか?


そして、もしもこれまでの一連のブログ記事の更新により、文章、文体の向上が認められないのであれば、それは生産的な行為と見做されず、ひいては無意味なものとされるのでしょうか?


しかし、それと同時に「人間とは様々な経験を積まねばならない。」とも広くいわれます。


このことは「人間とは本質的に経験したことしか理解、認識できない。」ということが前提にあるのではないかと考えます。


そして、その経験を通じての物事の理解、認識とは、我々の五感あるいは六感を通じてもたらされます。


その意味において、何らかの訓練、修練を必要とする学問、スポーツとは、類似、共通したものであるということができるのではないでしょうか?


また、こうしたことを具体的に考えた場合、未経験という同じ条件にて、同じ訓練、修練を積んだ場合においても、その上達の程度とは、人により随分異なってくることが多いのではないかと思われます。


では、こうした現象とは、何故生じるのでしょうか?

おそらくそれは、当人の「やる気」それに伴う「努力」などといった精神的な要素に大きく依存しているのではないかと思います。


そして、さらに具体的に、それ(精神的な要素)とは、現今において経験しつつある訓練、修練に対し結節し易い、あるいは動機付けともなる「過去において何かしら類似した経験を持つ」ということが大変重要なのではないかと考えられます・・。


このことは、自身の経験から、ある程度妥当性を持った意見ではないかと考えます。


さらに、こうしたことは、巨視的に見て、様々な文化、文明の発展の仕方などにおいても同様なことがいえることではないかと考えられますが、如何でしょうか?」

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月28日木曜日

20160427 口語と文語そしてそれらの表出について・・

九州、熊本では雨が降ると聞きます。
被災された地域の皆様がこの雨に脅かされることがないこと、そして早期の様々な生活手段、設備の復旧、復興を祈念いたします。

A「ブログ記事の更新を続けて、あと一月少しで一年経ちます。
ここまで継続して自発的に文章を書き続けてきたのは、今この時点においても最長記録であると思います。

このブログが今後どこまで続くかわかりませんが、そうしたことはあまり考えず、とりあえず記事を書き、更新し続けようと考えております。

さて、文章を書くことに関しては、現在継続しているこのブログが自身最長ではあります。

一方、何かしら学問的な知識に基づき、複数の人々に対し、ある程度一方的に話すような経験とは、今思い返してみますと、それは大学院修士課程において初めて経験したのではないかと思います・・。

この時は、空いている講義室を用いて、数人が代わる代わるで自身の研究、専攻内容を講義形式で発表しあいました。
同じ大学院研究科であっても、各々専攻内容が異なると、その研究内容はなかなか分かるものではなく、それはまさにタコツボ状態であるといっても良いと思われます。

そうした状態において、互いの研究内容を講義形式で発表しあい、その後、研究内容が異なることから生じる様々な疑問をぶつけ合い議論することは、今考えてみますと、かなりためになったのではないかと思います。

そして、その議論により得られた耳学問、見識をさらに深めるため、また図書館、書店などに入り浸るようになり、そこで得られた知識、学識を確認し、さらに深めるために、また議論をすることにより自身の研究内容および周辺分野に対する見識、学識もまた深まっていったのではないかと思われます・・。

またおそらく、その当時の上記の一連の活動とは、書かれた文章に対しても、少なからず影響を与えたのではないかと思います。
そして、その結果が、現在継続し記している一連のブログ記事、文章であると考えることができますが、そのように考えた場合、それは果たして適切、適当ともいえる上記の経験からの所産であるのでしょうか?

そうしたことは、イマイチ自身ではよくわかりませんが、おそらく適切、適当と認識するより若干劣る程度であると考えた方が適切、適当であると思います・・(苦笑)。
そして、それと同時に、このブログ記事が現在の私の話し言葉と書き言葉、口語と文語が交わる場所であるとも考えることができます。

そして、それは前述の経験から大きな影響を受けているということになりますが、同時にそればかりではなく、その後の博士課程における経験からもまた、大きな影響を受けているのではないかと思います・・。

ここで最も大きな影響を受けたと考えられることは、ある程度外国語(英語)の論文等の文章を読解そして自身もまた書かざるを得なかった、発表せざるを得なかったということではないかと思われます・・。

そして、その副産物とは、その当時から、英語の小説、また当時の専攻分野とは異なる分野の英語で書かれた論文等を、ある程度読むことができるようになったことではないかと思います・・。

とはいえ、工学部などをはじめとする理系学問分野の大学院修士課程においては、英語で書かれた論文を多く読み、あるいは報告、発表するような環境であるため、上記の私の一連の経験とは、あたりまえではありますが、一般化されうるようなものではないとも考えております・・(苦笑)。

となりの芝生は青いなどとよくいわれますが、私としては、理系分野の工学系、特に基礎物理などの分野に強く、そして漠としたあこがれを抱いてしまいます・・(苦笑)。」

ここまで興味を持ってブログ記事を読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月27日水曜日

20160426 概論と各論・演繹と帰納そしてそれらの調和

A「先日必要に迫られ、かつて専攻した分野の用語辞典を引っ張り出しました。

そして、不図脳裏に浮かんだ、以前学んだものの、現在は意味が分からない、ある用語の意味を調べたところ、不思議なことに辞書引きの最中、その用語の意味が段々と思い出され、辞書引きを終えた時には、その項目を読む前にその大体の意味が思い出されておりました・・。

こうしたことは、不思議であるかもしれませんが、多くの方々もまた似たような経験をされているのではないでしょうか?

また、そこで大事であると思われることは「既にその用語をどこかで学んでいた」ということではないかと思います。

それがなければ、おそらく、その意味を辞書引きのさなかに想起することはなかったのではないかと思います。
また、同時に、かつて学んだことがなければ、それはたしかに「より」不思議、神秘的な出来事であったと思われます。
ただし、それは「思い出す」「想起する」とは、異質なものであるともいえます。

ともあれ、そのようなことから、一面において「学ぶ、研究する」とは、そういったもの、つまり、意識したことを無意識化することではないかと思いますが如何でしょうか?

そして、こうしたことは何も学問、勉強に止まらず、日常生活の様々なことがらについても同様にいえるのではないかと思います・・。

また、それに加え、昨今、その重要性が増していると思われる「専門知識」とは、そのような過程を経て学び、研究することにより得られた「知識の体系」であるのではないかと思われます。

その意味において、特に人体という人類において普遍性を有する分野を扱う医学分野における知識および知識体系とは、その典型であるのかもしれません・・。

また、一方において、歴史などといった古くからの文系学問における知識、知識体系とは、人体、医学などにおけるような普遍性を持つ要素が相対的に少ないため、典型的な専門知識として認識され難いのかもしれません・・(それが現今我が国における文系学問分野軽視の原因ともなっているのではないかと思われます)。

また、同時に、それらの学問(医学に代表されるような理系学問と古くからの文系学問)を教授、学ぶ上での方法論においても、そうした違いがあるようにも思われます。

つまり、理系学問分野における序論、概論よりはじまり各論に至り、適宜その反復を行うことにことにより、その学識を深めてゆくというような、いわば演繹的な方法・・。

その一方、文系学問分野において多く見られる各論ともいえる個別的な事柄の探求を通じ、その研究分野における概論、全体像を把握しようとするような、帰納的な方法といった違いに、何かしら関連性があるのではないかと思われます。

それらは、無論、双方共に重要ではあるのですが、それらの基本的な方法論の相違とは、ひいては、様々な事柄に対し得られる認識の相違そしてさらに、相互の無理解などにも至ることが多々あるのではないかと思いますが如何でしょうか?

そしてここまで書いていてウンベルト・エーコの「薔薇の名前」の作中人物のコトバ「全体性の中に個別性があり、また個別性の中に全体性があることこそ、世界の調和が示されるのである。」といったことを想起しましたが、これもまた、何かしら上記のことに関連があるのではないかと思いましたが、如何でしょうか?」

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、熊本の地震で被災された地域の皆様の暮らしが早期に復旧、復興されることを祈念しております。

2016年4月25日月曜日

20160425 最近小説、物語などについて思ったコト

このたびの熊本、九州の地震にて被災された地域の方々が早期に平穏な暮らしに戻られることを祈念しております。

A「現在読み進めている野上弥栄子著「迷路」とは、昨年12月1日に投稿した私のブログ記事において、はじめてその名前が出ました。

その後、実際この著作を購入し、読み始めるまで4カ月程度の時間差がありましたが、大変面白いことに、閲覧されたブログ記事を見ておりますと、それに気が付いておられる方(方々)もいらっしゃったようです・・・。

このような発見をしますと「よく読んでいただいていて光栄です。」と思うと同時に「ウカツなことを書けないな・・。」といった多少コワいような感じをも受けます・・(苦笑)。

とはいえ、それが誰であるかはわかりませんが、そうした反応により私はブログ記事の作成を継続していることができております。
どうもありがとうございます。
お蔭さまです。

また、昨今の記事投稿により300記事に手が届きそうな状況にもなってきました。

最近は帰宅が若干遅くなることも間々あるため、ブログ記事の作成、投稿をかなり面倒に思うこともあり、そして本日もまたそうした状況であったのですが、上記の発見をしたことにより、また何かしら記事を書くことに決め、ここに書いている次第です・・。

現在読んでいる上記著作下巻は100頁近くまで読み進みましたが、繰り返すようではありますが、大変面白く、また現在の我が国の状況において読んでみると、さらにその面白さが増すように思います。

その一方、現今様々な小説が多く新刊、刊行されております。

そしてまた、私の知らない著作もかなり多くあると思いますので、断言することは出来かねますが、おそらく小説、物語に関しては過去、昔に記されたものの方が端的、単純に面白いのが多いのではないかと思います。

それに加え、少なくともひと昔前までの著述家とは、自身の作品に対し、あまり「これこそ自身の最高傑作だ!」ということは、あまり書かない、言わなかったのではないかと思います・・。

そして、著者にそこまで言わしめた原因とは一体何であるかと考えてみるのもまた、現在の我が国あるいは世界規模での何かしらの傾向、特徴なりを考える上において少しは参考になるのではないかとも思います・・。

さらに、その「最高傑作」とされる小説と対比される海外の小説としてジョージ・オーウェルの「動物農場」、「1984」が挙げられていることに対し、私は「それはいくらなんでも違うのではなかろうか?」と考えさせられます。

そして、その主要な原因とは、まさしく、その著者が「これこそ自身の最高傑作である!」と様々な意味においていえるということに象徴されるのではないかと思います。

おそらくジョージ・オーウェルの「動物農場」、「1984」を記す際のスタンスとは、どちらかといえば「止むに止まれず」といったものではなかったのではないかと考えさせられます(少なくとも自身の最高傑作であるというような陽性なスタンスは取れないのでは・・)。

また、たしか太平洋戦争中の日本軍戦闘機をめぐり意見の対立が見られた相手側である日本アニメの雄がジョージ・オーウェルの「動物農場」を過去にアニメ化していることもまた何だか面白く思われます・・。

とはいえ、少なくとも、一口に警世的な含みを持つ著作とはいっても、その「警世」なるものというのも、様々な種類、ニュアンスがあるということはいえるのかもしれません・・。

また、どのような小説、物語が、どのように受容されるかにおいてもまた、一国あるいは地域の情報リテラシー、文化水準、民度などとはある程度理解されるのではないかとも思われますが如何でしょうか?」

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月24日日曜日

20160424 薩摩武士について

先日神保町で比較的程度の良い野上弥栄子著「迷路」下巻を見つけましたので、購入しました。

これは今現在あまり読んでいませんが(50頁程度)それでも今後の展開が楽しみです・・。

また、それに加え同日、以前専攻していた分野の書籍、ノート等を探していた際に橋川文三著の「西郷隆盛紀行」を見つけました・・。

書籍の整理などをしている際によくあることですが、そこでしばらく読んでしまいました・・(笑)。

この書籍においては著者と島尾敏雄との対談が大変面白く、ここでも著作内文章を抜粋引用したい誘惑にかられましたが、止めておきました・・。

もし、西郷隆盛に興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、この著作には示唆するものが少なからずあるのではないかと思います。

また、それに加え、この時、鹿児島出身の作家である海音寺潮五郎の著作「田原坂」(短編集)を大分前に読んだことを思い出しました。

これは西南戦争を実際の父祖の体験したコトとしている同著者が記したものであることから、当時の鹿児島(薩摩)の風土が強く伝わってくるように思います。

そうした風土の一つとして、当時19世紀後半における薩摩の武士社会とは、おそらく、たとえば東海、関東などにおけるそれとは、随分異なっていたのではないかと考えさせられます・・。

また、そのようなことから、現在においては同じ武士、侍などといった名称が様々な宣伝文句などにて用いられておりますが、その実態とは、地域あるいは当時の藩などによって、随分異なっていたのではないかと思います・・。
以上のような見地に立つ場合、もう少し厳密な定義が必要ではないかと思うことがあります・・(笑)。

つまり、ほぼ絶滅してしまった過去のもの(アメリカ合衆国におけるネィティブ・アメリカンのように・・・そういえば、入植者である白人が、滅ぼしたネィティブ・アメリカンの文化を自家嚢中のものの様に扱うことは、なかなか興味深い現象です・・。)ではありますが、その対象たる「武士、侍」とは、日本国内諸地域において、その認識される内容に、かなりのバラツキがあった(ある)のではないかと思います・・。

私見とはなりますが16世紀の九州内での争乱、関ケ原の合戦から幕末、西南戦争において勇猛さを誇った薩摩武士とは、かなり大雑把にいいますと、辺境であったがゆえに、鎌倉期に流入した関東武士、鎌倉御家人的な要素が強く残存し、それに加え、古来より勇猛で名高い在来の隼人文化が混交したものであり、同時にそれぞれ(鎌倉御家人、隼人)のオリジナルに近い姿を留めたものではないかと考えさせられます・・。

そして、それは我が国の江戸期に代表されるような武士(文治的な施政者)とは大きく異なるものの、同時にそれは始原に近い武士の姿をより多く留めたものであったのではないかと考えさせられます・・。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月23日土曜日

20160423 和歌山の中華そばから考えたコト

今回の熊本、大分の地震で被災された地域における様々なインフラの早期の復旧を望み、また同時に被災された皆様に対し、十分な医療が為されることを願っております。

A「先日久しぶりに夢を見ました。
見た夢の内容とは、在和歌山時代によく通っていた「中華そば」のお店で数人と食事をしている夢でした・・(笑)。

この時期に何故、こうような内容の夢を見たということの解釈はなかなか難しいですが、それでも私にとって和歌山の「中華そば」とは、夢にまで出てくる程の価値を持っているということは事実であると認めます・・。

在和歌山時代は週末の夕刻、夜半などによく、連れ立って「中華そば」を食べにいっていた記憶があります。

多くの和歌山の「中華そば」のお店には、さばの「早すし」がテーブル上に積まれており、それと一緒に「中華そば」を食べるというのが、当地の慣習であり、私個人としては、この慣習とは、一つの優れた「地域における食文化」であると、疑いの余地なく信じております。

しかし、それを首都圏などで「これはいい!」と思い、同じことをしようとすると、それは「どうも違うのでは・・?」と思ってしまいます。

それは、その土地に根差した「中華そば」であるからこそ、この食文化(中華そばと早すしを一緒に食べること)が優れたものとして認識されるのではないかと私は思うのです・・。

また、それと同時に、局地的、地域性が強いものがあまり良いものでなく、全国的、普遍的な価値を持つものばかりが良いものであるという認識、見解もまた「どうも違うのでは・・?」と思ってしまいます。

現在、様々な理由から、自身が生まれ育った都道府県、地域から出たがらないような傾向が社会において強くなってきたように思われます。

首都圏、東京のものが何でも最先端(日本の中で)であり、それに伴い、殆ど無意識ながらも地方由来の文物を軽く見る傾向とは、何だか我が国が古来より諸外国と応対する時の基本的な姿勢とよく似ているのではないかと思うことがあります・・(苦笑)。

その昔、大和朝廷において、国内辺縁地域の出身力士による相撲を神事として行っており、また、周辺諸国からの定期的な贈り物に対し、鷹揚に構えているように見え(せ)ながらも、それらに対し相当の興味、好奇心を持っていたものと思われます。

こうしたことは、後の江戸時代の南方辺縁に位置する藩においても類似、同様のことがいえ、その藩からさらに南方に位置する島々を実質的に服属させ、その文化、習俗をことさらに自藩に属する異国、異文化由来(風)のものとして、当時のヘゲモンである幕閣に示しておりました。

そして、そういったこととは、現在の我が国におけるハーフ、外国人タレントに対する認識、扱いなどと、その基層部において何かしら類似、共通する要素があるのではないかと思われます・・。

とはいえ、こうした文化と同時に、国粋的な傾向を持つ文化も併存しており、それらが時代毎の権力者達の持つ背景文化に対し、何かしら少なからぬ影響を与えていた(る)のではないかと思いますが、如何でしょうか?

そして、そうした傾向の淵源とは一体どのようなものなのでしょうか?

また、それは我が国においてのみ特有なものなのでしょうか?」

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。