2018年5月13日日曜日

20180512 一昨日・昨日からの続き、専門職大学に期待すること・・

昨日投稿分記事もまた投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、当記事の作成後に思ったことですが、来年度の専門職大学の開設が順調に為されることにより、これまで地方自治体あるいは地域医師会・歯科医師会などが運営母体であった各種医療系専門学校が単独あるいは複数合併し、新たな専門職大学が設立されることもあるのではないかと思われました。

そして、そうした流れが生じることにより、既存の人文社会科学系学問を志望する学生さんは今後さらに減少していくことが見込まれます。しかし、実際のところ、人文社会科学系を本気で志す方々は、減少した後の人数程度が適正であり、これまで我々が所与のものとしていた大学学部・学科における人数の配分とは、あくまでも、戦後社会に適応させるための便宜的なものであると云えます。

また、それによりマスプロ教育を行うようになった(余儀なくされた?)大学側に対して学生の不満が爆発したものが、1960年代末の学生運動であるとも云えます。

こうした背景・文脈から考えてみますと、新設される専門職大学は、実業各界との連携を強めた職業ベースの教育が為されるとのことであり、それは教育が本質的に人間対人間といった、ある種プリミティブな要素により為されることを加味しますと、少なくとも、さきに述べた1960年代における状況と比べれば、かなり改善されているのではないかと思われるのです(『数十年前と比較するな!』と思われるかもしれませんが、この時に定着してしまったマスプロ教育が現在に至っても大きく変わっていない大学・学部・学科は決して珍しくないと思われます。)。

さらに、その包括する学部・学科には医療・介護系といった技術を要するものが多いことから、実業各界との連携を強めた職業ベースの教育が為されることは、時宜に適っていると思われます。それに加え、今後は実業各界における組織に対するいわゆるIR活動が適正に為されることが職業ベースであれ『大学教育』を行う上で重要であると考えます。

ともあれ、こうした状況を鑑み、そして今後来るべき時代の潮流を読み、特に文系学部を主体とする比較的小規模な大学は、近隣の医療・介護系大学および専門学校との連携もしくは合併などを模索・検討されるのが良いのではないかと思われます・・。

また、専門職大学の一般化により人文社会科学系学問を志す学生が減少することは、さきにも述べたように、そこまで憂慮すべきことではなく、むしろ『それでも、その学問をやりたい!』といったコアな学生さんの率が増加することにより、そのアウトプットもより優れたものになることが期待されます。

これに関連して、自身のことは未だ断定は出来ませんが、おそらく文系ベースの人間であり、また、そうであることから、こうしたブログ記事作成の継続などが出来ているのではないかと思われるのですが、それも本質的には自分でもよく分かりません・・。しかし同時に書き続けていることにより、以前よりかは多少分かるようにはなっているようにも思われるのです・・(笑)。


ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

数年前より現在に至るまで日本列島各地にて発生し、現在も継続して発生している、さまざまな大規模自然災害によって被害を被った地域の諸インフラの復旧および復興を祈念します。
~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5





















2018年5月12日土曜日

20180511 新たな種類の高等教育機関の出現により・・昨日の続き

おかげさまで昨日投稿分記事もまた、多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。専門職大学につきましては、今後、少なくとも、これまで以上には一般化すると思われますので、既存の諸大学と如何なるカタチにて併存していくのかが興味を持たれるところです。

あるいは既存のある程度伝統・知名度を有する大学が、これまでの学部・学科編成に加えて専門職大学をも擁するといった事態が生じる可能性もまた、あるのではないかとも思われます。

くわえて、現在のところ来年度新設予定の専門職大学の運営母体は私立のみですが、今後、こうした流れに国公立大学も何らかのカタチにて参入してくるといった事態が生じるのではないかとも思われます。

思うに『少子化が進行しているこのご時勢において、何故、新たな種類の高等教育機関が設立されるのか?』と考えてみますと、それは産業・実業界側からの要請もあるとは思われますが、それと同時に、これまであまり競争に曝されてこなかった、ある程度の伝統・知名度を有する大学に対しての強力な競争相手として、この新たな高等教育機関の創設が企図されたようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

おそらく、この新たなタイプの大学の出現により、少なからずの大学は、その学部・学科編成から運営方針に至るまで、変革を余儀なくされることになると思われますが、それは旧弊墨守とも云える状態から抜け出し、新たな段階への発展のために有意義且つ不可欠な経験にもなるとも考えられます(これも既成事実への屈服ではありますが、否定ばかりもしていらません・・)。

しかし一方で、専門職大学の出現により、就職後に焦点を当てた教育を施す一方で、保持した方が良いと思うことは、各学生が能動的に興味を持ち学び続けることが出来るような教養系学問を大事にすることであると考えます。

このことは(本当に)一見無駄であるように思われますが、この時に掴むことが出来た能動的な駆動力は10年、20年後になって効いてくると思われるのです・・。おそらく我が国の徹底した此岸性への志向は、このことをどうしても軽んじてしまうのかもしれません・・。また、これまた以前に述べたことではありますが、それは、近代以降の我が国政体の耐用年数がおよそ70~80年程度であることとも何かしらの関連性があるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年間、現在までに日本列島において発生した、現在も継続して発生している、さまざまな大規模自然災害によって被害を被った、あるいは今現在も被害を被っている地域の諸インフラの回復そしてその後の復興を祈念します。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5









2018年5月11日金曜日

20180510 新たに創設される専門職大学について思ったこと

来年、平成31年度より国内各地にて専門職大学という新たな種類の高等教育機関が創設されるとのことです。
それら専門職大学のHPを見ますと、圧倒的に医療・福祉関連領域のものが多いことから、既存の同領域大学・学部・学科と比べて何処が異なるのかと思い、文科省のHPを見てみますと、以下のことが記されていました。

『従来の大学は、専門教育と教養教育や学術研究を併せて行うという機関の性格から、比較的、学問的色彩の強い教育が行われる傾向にあります。 専門職大学は、特定職種における業務遂行能力の育成に加え、特に、企業での長期実習や関連の職業分野に関する教育等を通じ、高度な「実践力」や豊かな「創造性」を培う教育に重点を置く点で特色があります。また、長期の企業内実習などを含め、教育課程の開発等を産業界と連携して行う、より実践的な教育を行う仕組みとなっています。』

つまり、専門職大学は、既存の大学におけるような、どちらかと云えば閉鎖的な学究ベースの教育とは異なり、より実業各界との連携を強めた実践的な職業ベースの教育を行う高等教育機関であると云えます。とはいえ、特に医療・福祉分野においては、これまでも概ね後者(
職業ベースの教育)に近い教育が行われていると思われ、それは多くの大学病院と医学部・歯学部・看護学部などの立地を見ても理解することが出来るのではないでしょうか?

また、こうしたことを考えてみますと、新たに創設される専門職大学が主に医療・福祉関連領域であることが自然に理解され、さらに今後、他分野の専門職大学が創設される場合、医療・福祉分野のそれがモデルとされることが予測されます(すべての分野で上手くいくとは思われませんが、いくつかの分野ではそれなりに成功するのではないかと思われます(特に自然科学系))。

さらに、ここまで書いて想起したのは、先日読了した吉見俊哉著『大学とは何か』pp.13‐14の以下の記述です。


『19世紀以降、大学は国民国家の、そして帝国の知的資源の主要な供給源に位置付けられ、人材育成と研究開発の両面で国家の支援を受けながら総合的な高等教育研究機関として華々しい再生を遂げるのである。その嚆矢がフンボルト理念に基づくプロイセンのベルリン大学であったことは余りにも有名だが、ベルリン大学誕生は、フンボルト一人の天才によるのではなく、カント、シラー、フィヒテ、シェリングといった18世紀末から19世紀初頭にかけての疾風怒濤の時代のドイツ啓蒙主義者たちの知的潮流と不可分の関係をなしていた。
この近代の大学再生の原点に位置するカントは、大学を成り立たせる主要学部のうち、神学部、法学部、医学部の三つを『上級学部』、哲学部を『下級学部』と名付け、下級学部が理性と真理だけに従い、『みずからの教説に関して政府の命令から独立であり、命令を出す自由はもたないが、すべての命令を判定する自由を持つ』ことを擁護した。カントによれば、神学や法学、医学などは大学が国家にとって有用なものであるために必要であり、哲学は理性のために、つまり真理そのもののために必要である。大学が大学であるためには、両者の間に緊張感ある対抗関係が存在しなくてはならず、どちらか一方があればいいというものではない。』


我が国は実質的に無宗教であり、欧米諸大学におけるほどの神学部の重要性は認められないと思われますが、他の上級二学部(法学部・医学部)に関しては、たしかに、その扱う領域が、半ば国家とは独立していると云えます。とりわけ医学は、それが実社会での実践・探求によって洗練され、より大きな重要性を持つに至った領域であると云えることから、(各種情報・知識の入手が容易になった)現在、この領域での実践的な職業ベースの教育を行う新たな高等教育機関が創設されることは、時宜に叶っていると思われます。

しかし一方で、抜粋引用文中にて述べられていた哲学部の役割(すべての命令を判定する自由を持つ)を我が国既存の人文社会科学系大学・学部・学科が今後も担い続けることが出来るのであろうかとは、いささか疑問に思われるところです・・。

そしてまた、そうしたことを書いていますと、これまた以前に抜粋引用した司馬遼太郎と江崎玲於奈による以下の対談が想起されます。

『江崎 試験の話に戻りますと、日本の試験制度はたしかに創造的にものを考える人間には不向きだと思います。しかし、それは日本が創造性を必要としない社会だからでしょう。考えようによっては、これで日本人がクリエイティビティをもったらとんでもないことになるし、あんまり繁栄し過ぎるんじゃないですか。(笑)

司馬 国立がみな同じ入試形態でやっているのはおかしいですね。つまり東京大学はそうだけれども、京都大学は違う方法でやる。数学が出来るやつは全部入れちゃうとか、数学ができなくても、おまえはこういう方面の才能が伸ばせるような席だけは与えてやるとかいうことがないでしょう。全部画一です。どういう民族をつくるつもりでそうするのか、よくわからない。いま、一番の秀才の集まるのは医学部だそうですね。医学進学コースは平均七〇点ぐらいとらなきゃ入れない。医者が重んぜられる社会は無目的社会といえませんか。医者になるというのは、生活の安定を望むというだけが目的の場合が多いから、それだけエネルギッシュな秀才少年たちの志としたら、どうしようもない。ところがいま優秀な少年の志がまさにそれでしょう。

江崎 全国画一の試験が実施できる国だということは、逆にいえばメリットの一つでしょう。日本は創造性をあまり必要としない国であってよいのかもしれません。金をため込むことが目的だったら、金をため込むこと自体に快感を感じればいいわけです。だけど金色夜叉みたいになってしまう・・・(笑)。

司馬 知能の限り傾けて金をためる。一種の復讐かな。(笑)

江崎 戦争に負けた復讐かもしれませんよ(笑)。日本は戦争に負けて、もうだめになるかもしれないと思われたのに、経済を復興させたうえ、経済進出を三十年かけて成し遂げた。その実績から言えば、日本人は今後もかなりの難問題でも、実行能力にものを言わせて何とか切り抜けるでしょう。しかしそのような行き方には限界がありますね。戦争という形ではカタストロフィーは起こらないでしょうけれども、抽象的な意味で日本沈没が起こる可能性はなきにしもあらずではないでしょうか。それはどういうことかといいますと、カタストロフィーに向かったときにブレーキをかける社会的な力が弱いということです。』

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年来より現在に至るまで日本列島各地において生じた、現在も継続し生じている、さまざまな大規模自然災害によって被害を被った地域の諸インフラの復旧および復興を祈念します。
~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5






2018年5月9日水曜日

20180509 記事作成の継続と精神・心情の様相の変化について『1000記事まで書くと・・』

ある程度の期間ブログ記事の作成を行ってきましたが、作成した記事の中でやはり出来、不出来はあり、一概には云えませんが、やはり多くの方々に継続して読んで頂いている記事はそれなりに面白く、何かしらの含蓄といったものがあるのではないかと思われます。

また、作成した本人が述べるのもおかしなハナシではありますが、あらためて多く読んで頂いている記事を読んでみますと『何故、当時の私はこうした文章を書くことが出来たのだろうか?』と思わせるものもいくらかはあるのです・・。

おそらく、そうした記事もまた、現在と同様、夜半に眠気を感じつつ作成されたものであると思われますが、そうした中で時折は多くの方々に読んで頂けた、あるいは後になって多少なりとも面白いと感じられる記事を作成出来たことは、以前に述べましたように、徐々に感興や高揚感を伴うものではなくなっていきましたが、同時にそこから生じていたと思われる記事作成に対しての能動性は変わることがなく、あるいは多少強化されて現在に至っているようにも思われます。

また、それとは別に、以前『ブログは1000記事まで作成すると何かが変わり、無限に書くことが出来るようになる』と聞いたことがあり、未だ1000記事には到達していませんが、このことは感覚的ではありますが以前より理解できます。当ブログ開設当初は『一体どこまで続けることが出来るのだろうか・・』と、かなり不可解な思いにて記事作成を行ってきましたが、面白いことに投稿記事が増加するにつれて、この不可解あるいは一種の自己不信のような感覚は減少し、一方で感興や高揚感といったものが生じ、そしてそこから更に投稿記事が増加することより、さきに述べたように、これらの感情が徐々に減衰していき、穏やかな記事作成への能動性が残ったと評すことが出来ると思われます。

そして、こうした精神・心情の様相の変化とは、いくら上手に文章にて描写し得たとしても、実際の変化の様相を体験・追体験することがなければ、それは片手落ちであり、あまり良くない意味にて観念的であるように思われます・・。その意味において、これまでブログ記事の作成という『文字を操る』という意味で観念的な作業を継続してきましたが、この体験が自身にもたらしたものを言語にて表現した断片がさきに述べた精神・心情の様相の変化であり、これは多少視点を変えてみますと鉱石から金属への精錬の過程にも通底する何かがあるようにも思われてきます・・(笑)。

また、どうしたわけか一昨日投稿分の記事はおかげさまでその後も閲覧者数は増加しています。こうした現象に間近で接しますと、どうも、こうしたことを考えてしまうようです。くわえて、今現在においても何故この記事が多くの方々に読んで頂けているのか、よく分かりません・・。あるいは、思いのほかに当ブログを読んで頂いている方々は若い世代が多いのかもしれません・・。

そして、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年前より現在に至るまでに日本列島にて発生した、現在も継続して発生している、さまざまな大規模自然災害により被災された、あるいは今現在も被災されている地域の諸インフラの回復そして復興を祈念します。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5








20180508 価値観の流れ、外見から肩書への変化?

本日つい先ほど、これまでの総閲覧者数が35万人に到達しました。そうしますと、概ね1ヶ月に10000人の方々に読んで頂いたことになり、さらにこれを1日にしてみますと、およそ300人の方々に読んで頂いたことになります。

また、最近の一日の閲覧者数は300~700人程度であり、これを均しますと凡そ1日500人ほどになります。しかしブログ開設当初(2015年6月)からの数か月は、まさに鳴かず飛ばずの状態であり、さらに、さまざまな嬉しくない出来事が重なり、落ち込んで、鬱屈しており正直なところ、この時期のことはあまり思い出したくありません・・(苦笑)。

他方、この辛い時期をどうにかやり過ごすことが出来たのは、このブログのお陰であるとも云え、ここで書籍からの抜粋引用や対話形式にて記事を作成し続けたことが、まさしく現在にまで繋がっている、否、繋げることが出来ているのです・・。

また、未だ目標としている1000記事には到達してはいませんが、このあたりまで来ましたら、この先の1000記事到達も一つの単なる通過点として、そこまで重きを置く必要がないようにも思われてきます・・。

それよりも少し投稿ペースを落としてでも、来月22日まで継続し、丸三年のブログ記事作成の継続の方を達成してみたく思われてきます。

さて、斯様にどうにか三年近くの記事作成を行ってきましたが、不思議なことに自身のことを『ブロガー』であると認識したことはありません。一般的にブロガーと称される方々は、より多くの方々に読まれている方々のことを指し、自身の場合、その前に『弱小』というコトバが付く程度のモノであり、そこから、どうも自身はこの名称・肩書?が相応しいようには思われないのです・・(苦笑)。

また、そのように書いておりますと、昨今はいくつかの報道などから『肩書』についての議論がよく聞かれるようですが、これは少し見方を変えてみますと、近年のPC・スマホなどの情報技術の進化発展、そして我々がそれらに習熟することにより、ヒトは外見と中身のギャップが大きい(外見が優れていてもそれは内面には必ずしも直結しない:多くの芸能人も総合的に判断すると我々一般人と大差ない)ということが、以前よりも確からしい見解となり、そこから外見の次に信じられるものとして『肩書』にシフトしつつあるのではないかと思われました・・。

とはいえ、こうした傾向自体は少し以前より存在していたと思われますが、ここ最近はどうもその傾向が更に強くなりつつあるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

また、ハナシは変わり、ここまで失念しておりましたが、昨日投稿分の記事が投稿翌日の時点においては過去最高の閲覧者数となりました・・。この記事を読んで頂いた皆さま、そして、この記事をここまで読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます!

ここ数年から現在に至るまでに日本列島各地にて生じた、現在も継続して生じている、さまざまな大規模自然災害により、被害を被った地域の諸インフラの復旧および復興を祈念します。

~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5






2018年5月7日月曜日

20180507 自意識の強さから生じる想像力による危なっかしさについて・・

本日の首都圏は朝から曇り気味の天候であり、そして夕刻より雨が降りはじめ、短時間ではありましたが、最近では珍しいほどに強く降ったのではないかと思われます。

また、昨日投稿分のブログ記事はGW中程ではありませんでしたが、比較的多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。そして、その中で取り上げていたコンラッド著『ロード・ジム』に関しては、現在若い方々こそ、興味深く読むことが出来るのではないかと思われました。

この著作から看取される、ある程度普遍的であると思われることは『自意識の強さと想像力はある程度随伴するのではないか?』ということであり、それは相対的に若い頃の方が強く、年齢をある程度重ね、さまざまな経験を経ることにより、角張った自意識の角が磨滅し、丸みを帯び、それに伴い想像力もまた徐々に減衰し、何と云いますか若い頃特有の『危なっかしさ』のようなものがなくなっていくのではないかと思われます・・。

その意味で、この『ロード・ジム』がまさに描いていることは『若い想像力がもたらす危なっかしさによる出来事とその帰結』であり、女性は分かりかねますが、多くの男性にとっては、何かしらのそうした時期・出来事(黒歴史というのだろうか?)があるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

しかしながら、であるからといって、こうしたいわば危険な時期・出来事は経験しない方が良いというわけでもなく、むしろ若い多感な時期にこそ、そうした経験を出来るだけ多く積んだ方(場数を踏む)が良いのではないかと思われるのです・・。

また、我が国を含む、ある程度西洋化された社会において、各種情報機器が進化発展し、さらに近視眼的とも云える合理主義あるいは科学偏重主義に拍車が掛かることにより、さきに述べた自意識による想像力がもたらす『危なっかしさ』そのものを避けるようになり、そして、その先にあるかも知れない相転移的な成長の可能性を一律に潰してしまうようにも思われます・・。

年齢層が高い施政者側からすれば、従順で扱いやすい若者世代の方が良いのかもしれませんが、しかし、そのようにして世代を重ねることにより、徐々に、その国民・民族自体の創造性・知的活力が損なわれていってしまうのではないかとも思われるのです・・。

そして、ここまで書いて想起されたことは、多少ニュアンスは異なるのかもしれませんが、概括においては、三島由紀夫、司馬遼太郎が最後まで危惧していたことではないかとも思われましたが、さて如何でしょうか?
(あるいは、さらに大きな視点で考えてみますとニーチェやオルテガなどの思想にも近い何かがあるのかもしれません・・)

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年以来、現在までに日本列島各地において発生した、現在も継続する、さまざまな大規模自然災害によって被害を被った、被っている地域での諸インフラの回復および復興を祈念します。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5












2018年5月6日日曜日

20180506 自身の行為に対し演繹・帰納両法にて考えてみると・・才能か根気か?

本日の首都圏は日中は比較的良い陽気でしたが、夕刻より風が強くなり、天気も曇ってきました。また、天気予報によると明日は雨時々曇りとのことであり、今後、天気は下り坂になって行くとのことです。

それはさておき、昨日作成の記事もまた、おかげさまで投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。くわえて、本日の記事作成・投稿により総投稿記事数が980に到達します。とはいえ、以前より引き続き、これに対しての感興や達成感といったものも、ほぼ皆無であり、またそれは、おそらく今後1000記事に到達することが出来たとしても同様ではあるまいかと思われます・・(苦笑)。

しかし他方、記事作成による感興・達成感を感じられなくとも、どうにかほぼ毎日の記事作成を継続出来ていることは、数年前の自身では明らかに為し得なかったことであると云えますので、あるいは感興・達成感といったものが記事・文章作成のための創造性・エネルギーに昇華・転化されるメカニズムらしきものが出来てきたようにも思われます。

そのように考えてみますと、何であれ安定した創造のためには、感興や達成感を感じる感受性およびそれをもたらす想像力よりも、何かしら作成することを継続することの方が重要であり、そして、その過程でさまざまな進化発展もしくは成熟が為されるのではないかと思えてきます・・(出鱈目は出たら芽になる?)。

さらに、そのように考えてみますと想起されるのはコンラッド著『ロード・ジム』という著作であり、この著作は、多感な若いうちに読むことにより何かしら得るものがあり、また、その後何処かで思い起こすこともあるように思われます・・。それ故、興味を持たれた方は御一読をおススメします。

概観してみますと、自身は感興・達成感に対して鈍感になること、そして読んでくださる方々がいらっしゃることにより、どうにか現在まで記事作成を継続することが出来ており、また同時に、時にはかなり面倒に思うこともありますが、それでも、どちらかと云えば自然に出来ていることから、おそらく自身には文章作成に関しては、決して天賦の才能があるわけではないですが、ただ、ある程度の期間、文章の作成を継続することが出来るといった根気らしきものは、あったのではないかと思われてきます。

また、それに対して他の表現を試みますと、三年近くの期間ほぼ毎日継続出来る程度には、文章作成に対して興味を持ち得るということであり、また『少なくとも嫌いではない』ということは云えるのかもしれません・・。

しかし、面白いことにこうした自身の性質についての言明らしきことを行っていますと『その主張は分かったとしても、その淵源はどこにあり、どのような経緯を辿り、その言明に至っているのか?』と考えるに至り、そうしますと、なかなかそれらしい考えといったものが不思議と出てこないものなのです・・(苦笑)。

おそらく、そうした構造・性質に演繹・帰納両法の違いの本質があるようにも思われますが、さて如何でしょう?

今回も、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年より現在までに日本列島において生じた、現在も継続して生じている、さまざまな大規模自然災害により、被害を被った地域の諸インフラの復旧および復興を祈念します。

~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5