2022年8月19日金曜日

20220818 1830記事に到達して思ったこと、およびその他

昨日の投稿記事によって、総投稿記事数が1830に到達しました。そうしますと、当記事を併せて70記事の新規投稿により1900記事に到達することになりますが、現在のところ、そうした実感は皆無であり、また、昨日の投稿記事にても述べましたが、現在読み進めている数冊の太平洋戦争について扱った書籍にて描かれている戦況が敗色濃く、悲惨とも云える状況になってきますと、読んでいて何だか疲れ、いたたまれなくなる感覚があり、こうした感覚は私の場合、年々強くなっているようにも感じられます・・。

とはいえ、折角、そのうちの一つは全五巻のうち四巻目はじめ100頁ほどまで至りましたので、この先も読了を目指し、引き続き読み進めていこうと思います。そういえば、ここ最近は、さきに述べた著作のみならず、他の書籍なども購入してしまいましたが、それらについては現在、積読状態になっています・・(苦笑)。斯様に書籍が溜まっていくことは、私の経験上あまりよくないと思われることから、長丁場にはなるでしょうが、忘れないように、一つ一つ読み、自分なりに消化していきたいと考えています。

また、この溜まっている書籍の読書を当ブログにも活用し、書籍からの引用記事をさらに増やしても良いのではないかとも考えましたが、それら書籍の記述に何らかの興味深い点があれば、随時作成しますが、そうしたことは、予め強く目的意識や方向性を持って行うようになりますと、後になり(どうにか)2000記事まで達した頃に後悔するおそれもあることから、やはり、基本的は自らの作成記事を優先するスタンスを保持する方が良いのではないかと思われます。

そういえば先日、これまで10年以上穿いたエンジニアード・ガーメンツというブランドのジーンズの股の部分が、ついに破れてしまいました。またこれはリペアして穿き続けようと考えていますが、同時に新たなジーンズを購入する良い機会であると考え、アメ横に行ったところ、ブッシュパンツという型のデニム地のパンツを見つけました。これはなかなか良いと思われ、また同時に、これまでに穿く機会がなかったことから、今度はブッシュパンツにて探してみようと思います。

また、来月、所用のため関西方面に訪れる予定になりましたが、ここ最近は西日本に出向く機会がなかったことから、これは現在から既に楽しみであり、あるいはもっと西の方にも機会を見つけて訪問したいと願っています。以前の投稿記事にて述べた「今年(2022年)は、西日本にある四年制大学の口腔保健学科に訪問し、取材を行って記事を作成したいと思っている」については、今現在、それと全く同様ではないものの、他方で、それにもつながる文章の作成にて、わずかではありますが、対価を頂くことも出来ていることから、引続き、あくまでも自分なりにではありますが、良い意味での影響を及ぼすことが出来る記事、文章を作成していきたいと考えています。

あるいは、こうしたことを述べたついでに、もう少し大きな希望を述べさせて頂きますと、いずれ、出来るだけ近いうちに、西日本にある、出来れば複数のコメディカル・パラデンタル職種養成学科にて、また教養科目の講義をしてみたいと考えています。費用は、往復の交通費、宿泊費そして、いくらかの報酬を頂ければ十分ですので、そういった大学さまがありましたら、どちらの経由でも結構ですので、是非、お声掛け頂ければと思います・・。

しかし、ここで考えて頂きたいのですが、そちらの医療系大学さまの学生さんの中で、学科全体のうちのわずかな人数であっても、文学などに興味を持たれる方が出てきますと、それは後々になり、大学さまにとっても良い効果を齎すのではないかと思われるのです。未だそうしたことが重要視されるような傾向は見受けることは出来ませんが、私としては、こうした、将来就く職業に直結しているとも云える医歯薬系各学科においてこそ、精神的な意味で支柱となる、内発性を育てる(楽しみ方の)訓練も必要ではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

そのためにも、私は自分のフッキング能力をまた上げていきたいと思います・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

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2022年8月18日木曜日

20220817 即物的な興味からはじまる変化について

先日投稿の記事にて述べたことではありますが、現在、数冊の太平洋戦争に関する書籍を併読しています。そして、それぞれ敗色が濃くなりつつある戦局の描写へと至りますと、この当時を描いたさまざまな様式の作品が大抵そうであるように、読み進めるにつれて、徐々に気分が重くなってきます。

そして、さらに読み進めることを困難にします。そうした事情から、昨日は太平洋戦争とはあまり関係がない著作を気に留めず手に取り、読んでみますと、次第に興に乗ってきて、そして「やはり、この気分の重さは書籍全般に由来するものではなく、太平洋戦争での、丁度この頃を扱った書籍が気分を重くさせるのだな・・。」と思うに至り、さらに、それを確かめるために、他分野の書籍を何冊か手に取り頁を広げてみますと、総じて、やはり何かしら興味深く感じられることがあります。そこでまた「この気分の重さは、この時代の作品限定なのだな・・」と、あらためて思うことになります。しかしながら、であるからと云って、気分を暗く、そして重くする、この時代のことを無視することは、あるいは、意識・無意識を問わず形骸化させることは、出来るだけ避けた方が良いのではないかと思われるのです・・。

その理由は、この時代、そしてその前後に、近代以降での我が国の好ましくない、さまざまな性質が凝縮されていると思われるからです。そして、それら性質を、実感をもって認識するためには、その当時の我が国の社会、そして国際社会、また、その背景となる抽象的な時代精神といったものを、書籍のみならず、他の手段などを用いて、積極的に多く触れる経験が重要であるように思われるのです。

しかし、ここまで述べて、自身の記憶を振り返ってみますと、何故か私は幼い頃より、この時代を好んでいましたが、それは「時代」と云うよりも、飛行機、戦車そして軍艦といった、当時、各国が用いていた兵器全般に興味を持っていたと表現する方が適切であったと云えます。そして、こうした実体のある兵器への興味を足掛かりとして、やがて、それらについての知見が蓄積し、抽象化されていきますと、漠然としたものではあるのでしょうが、さきの国や時代などについての見解も、多少は考えられていたように思われます。

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2022年8月16日火曜日

20220816 中央公論新社刊 中公クラシックス 柳田国男著「明治大正史」世相篇 pp.63-65より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス 柳田国男著「明治大正史」世相篇
pp.63-65より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121600134
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121600134

 「白米が白くなり過ぎた主な原因は、鮨米の誘惑であったように考えて居る人がある。しかし、米の飯はわれわれの理想の行止りであった故に、強いてこの上の奢りを企てようとすれば、それを白くでもして見る他はなかったろう。実際またよく磨がれた米の飯は美しいものであった。それが害だということに心つかぬ限り自然に白くなるには手本も要しなかったと思う。もっとも、鮓米だ酒造米だと称して、むやみに杵の数を多く当て始めた時代が、ちょうど房州砂が盛んに売れ、飯の白いのを賞玩する風習の起りであったことも事実だから、まるまる関係がなかったともいい切れない。いずれにせよ寿司が今日のようになったのは変遷であって、決して明治以前からの、今のとおりおものを食っていたのではないのである。

 鮓の変遷だけは幸いにまだ各地の実例が伝わって居るために、単なる比較によって容易にその経路を窺うことができる。他の多くの食品においては、もはやこれほど忠実に以前の慣習を残して居る地方はないのである。鮓は「土佐日記」にすでに見えて居るごとく、最初はただ魚類を保存する方法の一つであった。単にその方法の最も巧妙にして、また贅沢なるものというに過ぎなかった。海川の獲物はしばしば豊富に過ぎて、一回の消費に剰る場合があった。これを遠くの人に販ごうという考えのなかったころから、貯えて他日の用に備えようとする念慮は起り易かった。その簡便なる方法には干魚があって、もとはこれ一つが運送に適していた。塩物は多分その臭味を防ぐために、次に発明せられた改良であったろうが、これも加減が覚えにくく、また概して元の味を割引しなければならなかった。鮓だけはひとりその発酵する力によって、別に新たなる風味、香気をつけ加えたのである。いわゆる鶚鮓の昔話が全国に流布して居るのを見ると、もとは偶然の発見に基づくものかも知れぬが、少なくとも飯をその保存に利用したのは考案の結果であった。現在はすでに地方の技術となり、あるいはただ二、三の旧家の口伝に属して、詳細を知ることもできぬが、最初は魚と殻類との自然の酸によって、久しきを経てようやく熟するを待ったことだけは明らかである。

 それが醸造酢の外部からの供給によって、寿司の製法はここに一変した。早鮓という名前はまずこれに向かって与えられたかと思うが、後にいま一段と迅速なる作り方が現れたために、この分はもう古風になろうとして居る。現在の巻き鮓・握り鮓は、いわば米の飯の一種の食法であって、その趣向はむしろ握り飯の方に近いようである。これが簡便と新しい趣味とによって、全国を風靡したのは面白い事実であるが、少なくとも鮓の製法の改良とはいうことができなかった。鮓の要件は馴れるという点にあった。外から酢を注いで味をつけるようになってからも、これまであったものは漬けると称して、器を詰め込み押し石を載せ、何日かの日数を重ねて米と魚との変質するを待ったのである。それが普通の飯や膾とくらべて、どれだけの養分と消化力の相異があるかは、調べて見た人がまだいないというのみで、とにかく二者は食品としてはまったく別のものであった。民族の嗜好は永い間の習慣によって、容易に改めることができぬという説は、日本には必ずしも当てはまらぬことが多い。都市はむしろ新奇なる物の味を、次から次へと尋ねて行く傾向をもって居るが、ことに専門の飲食店が、これを日々の商品として取り扱うようになると、その変化が急速なようである。鮓は古い言葉だから、これこそは固有であろうと思っていると、もう知らぬ間に内容の方がちがってしまって、なまじいに元の名を相続したばかりに、かえって前に存したものを忘れさせて居る。衣食住の現在の仕来りの中には、これに似た例はまだいろいろある。」

2022年8月15日月曜日

20220814 読んでいて落込んでしまう著作を敢えて読む意味・・

ここ最近は天候も不順でしたが、やはり夏は夏であり暑いもので、私の方は少し夏バテ気味であるのかもしれません・・。また同時に、先月から購入した数冊の書籍も、思いのほかに頁が進まず、こちらも少し難儀していると云えます・・。

これら書籍は、以前から読み進めてきた小説の続きや新書であり、読み進めていて、それぞれ興味深いとは思うのですが、その記述されている時代は、共通して、太平洋戦争で我が国が敗勢を呈してきた頃であり「玉砕」や「自決」といった言葉が読み進める頁の所々に出てきます。これまでに何度が読んだ、自らの太平洋戦争での経験に基づいて書かれた大岡昇平による「俘虜記」では、相対的に多くの記述が、捕虜収容所での描写に充てられており、これもこれで現在の我が国社会にも通底すると思しき様相が散見されて、そこから、決して嬉しくはない、ある種の普遍性に辟易として、それなりに落ち込むのですが、現在読み進めている著作の一つでは、当時、戦地にて従軍していた米軍将兵の体験からの口語的な記述や、同じく日本軍将兵、民間人の方々の記憶に基づいた記述、そして南太平洋、欧州戦線といった主要な戦場を含めた第二次世界大戦全体の状況についての記述もあり、読んでいますと、あらためて、太平洋戦争における戦況の推移といったものが明確に理解できたように思われます。とはいえ、こうしたことは、おそらく現時点では、口頭・口語での説明が精一杯であり、それをさらに、自分の言葉・文章として記述出来るようになるためには、今しばらく読む期間を要するのではないかと思われます。

ともあれ、さきに述べた記述スタイルは、文学的な価値はともかくとして、当時の歴史的な経緯をより深く理解するためには、有効であると私は考えます。あるいは、それは「統合化」された歴史記述と云っても良いのかもしれません。また、こうした一連の複数の視座に基づいた歴史記述からは、その編集などの仕方により、著者自身の考えも、読んでいますと、ある程度理解出来るのではないかと思われますが、それが「よりこの歴史の流れについて詳述したい」あるいは「未だ明らかになっていない歴史の部分を明確にしたい」といった、著者自身の探求心に基づいている場合であれば、読者の多くは幾分容易に、その記述の流れに乗れるのではないかと思われるのです。そう、おそらく言葉そして文章も、本来は生き物であり、読んでみますと、半ば無意識にではあれ、その背後にある何かを感じ取っているのかもしれません・・。

そして、それを踏まえて現在読み進めている、いくつかの太平洋戦争について扱った書籍の背後にあるものは、おそらく、総じて重く、深刻であると感じられ、落込むのですが、かと云って、それらを読まずにいた方が、我が国社会の基層に埋め込まれているとも云える(かなり)醜悪な性質を知らずに済ますことが出来ることから、読まないでいた方が幸せであったと思うことは出来ません。しかしながら、そこから現在の我が国社会の状況を眺めてみますと、歴史に少しだけ似せた、紛いもの・偽史の類を背景とする各種コンテンツが氾濫し、また、それらが、多くの国民からの支持を得ていることにより、何と云いますか、実際の歴史もそれらの中で相対化されてしまい、そして、歴史が本来持っていた固有の力が減衰あるいはまた喪失してしまうのではないかと思われるのです・・。しかし、そのように考えてみますと、おそらく我が国では、敗戦以降から現在に至るまで、消費されるコンテンツと、実際の歴史を背景とする文化事物との「相違」を、敢えて明らかにせず、さらには周知されないようにしてきたのではないかとも思われます・・。

このことは、以前投稿の引用記事に述べられていた密教と顕教との関係性を思い出させますが、あるいはそうした現象とは、我が国の近代以前の歴史においても、幾たびかあったのかもしれません・・。

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2022年8月14日日曜日

20220813 意欲の減衰に伴い、あまり労せずに記事作成が出来るようになったでしょうか?

ここ2日間ほど、ブログの新規投稿を行いませんでした。また同時に、さきほど気が付きましたが、これまでの総投稿記事数が、直近までで1826となっていました。これにより、先日1800記事から始めて、現在目標としている1900記事までの路程の4分の1を過ぎたことになりましたが、これまでと同様、そうした実感は全くなく「では、次は1830かな・・」と、次の手近な目標を設定し、それをボンヤリと記憶しておくといった程度です。

そしてまた、しばらく記事作成を続けて行きますと、あるいは年内に、当面の目標としている1900記事まで到達することも可能ではないかとも思われます・・。しかし、それが今後どうにか達成出来たとしましても、1900記事で、これまで継続したブログ記事の作成を止めるというのは端的に、キリが良くないように思われることから、おそらく2000記事までは継続しなければいけないことになると思われます。

現時点では、2000記事への到達は全く実感が湧きませんが、しかし、2000記事まで継続することが出来れば、その後、未練なく記事作成を止めることが出来るのではないかとも思われます。ともあれ、如上のように、既に現在においても、あまり記事作成に対しては積極的でなくそれは「作成しておかないと気分が悪いな・・」という程度の能動性であり、これまでに何度か述べる機会がありましたが、1000記事到達以前(2018年5月以前)の頃と比較しますと、明らかに減衰していると云えます。あるいは、このまま継続していますと、また新たに内面での構えが変化して、再び意欲が湧いてくるのかもしれませんが、それはあまり期待はせずに、むしろ、これまで(どうにか)続けることが出来たことの方に意識を向けて行きたいと思います。また、そのように考えてみますと、当ブログは、これまでの私が継続的に行ってきた行為の中で、かなり長期間続いている部類に入るものと云えます。あるいは、いつの間にか、その継続の中で、当ブログこそが「まったく大したものではない」のカッコつきではありますが、私を代表するものになっていたのかもしれません・・。

しかし、そうしますと、たとえ2000記事を超えても、また当ブログを継続することになるのかもしれません・・。そして、それらには何かしらの意味はあるのでしょうか?

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2022年8月11日木曜日

20220810 中央公論新社刊 高田里恵子著 「学歴・階級・軍隊―高学歴兵士たちの憂鬱な日常」 (中公新書) pp.28-29より抜粋

中央公論新社刊 高田里恵子著 「学歴・階級・軍隊―高学歴兵士たちの憂鬱な日常」 (中公新書)
pp.28-29より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121019555
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121019554

 社会学者の内藤朝雄は「いじめの社会理論」のなかで「中間集団全体主義」という考え方を提出している。要するに、学校や町内会などの中間的共同体が個人に参加や献身を強制するというかたちのファシズムなのだが、いまは、興味深いこの概念そのものではなく、内藤が概念を説明するさいに持ち出す物に注目したい。この例の二つともが、先ほどから問題にしているリベラルなインテリ層が戦争末期に下士官タイプの人間にいじめられるというものなのだ。

 まず一つは、「女たちの太平洋戦争」と題された「朝日新聞」(1991年12月2日付)の読者投稿欄に載った一文で、「父が英字新聞を読んでいたり、娘二人がミッション系の私立学校に通っていること」で憎しみの標的となり、産後まもない母が防火演習に狩りだされ、商店のおじさんや在郷軍人に追いまわされ、ついには死んでしまったことを嘆く文章である。「ニコニコ愛想いいお店のおじさんを見ても「いつ、あのころのように変わるか知れない」と、いまだに心を開くことが出来ません」。

 もう一つは、著名な精神医学者中井久夫(1934年生まれ)の「いじめの政治学」からのエピソードで、国民学校生の中井少年が大日本少年団のリーダーである上級生にいじめぬかれるという内容である。だが、その上級生も戦争が終わり大日本少年団も解散されると「別人のように卑屈な人間に生まれ変わった」と中井は報告している。



2022年8月10日水曜日

20220809 早口での、ある程度専門的な会話のさ中に思ったこと

先日、所用にて都内に出向いた際に無料のPCR検査を受け、その結果は陰性でしたが、その後また、電車やバスや徒歩で移動をしていますと何だか不安になってきます。夏季に入り、昨年と同様に、また感染者数が増大しましたが、その程度は、昨年と比べて大きいながらも、他方で、電車やバスなどの車内、あるいは街の雑踏も、既に感染以前とあまり変わらない様相を呈していると見えることから、やはり感染のリスクは、昨年と比べて高くなっているのではないかと思われます。

そして、それに加えて去る2月末からの東欧での戦争、そして昨今の東アジア情勢も、きな臭くなってきました。これがとりあえず無事に過ぎ去っていくことを願っていますが、しかし、もう少し長期での東アジアを考えてみますと、いずれにせよ、これまで蓄積してきた応力そして緊張は、どこかで解放を要するものと思われますが、それが流血を伴わずに、時間をかけて緩徐的に為されるか、あるいは戦争と云うカタチで一気に、そして暴力的に為されるかは分かりませんが、しかし、いずれにせよ、現在の世界情勢は、おそらく、戦後以来もっとも不穏な状況にあるのではないかと思われます。

しかしまた、こうした状況のなか(否応なく)同時代人として生きていることにより、これまで書籍や映画などを介して、ある程度の知見を得て理解したと思っていた歴史の流れや、その出来事などに対して、また新たな関心を持つ機会を与えられたようにも思われます。そして、そのおかげで、これまで縁遠かった分野のことについても知ることが出来ました。おそらく、そうした行為をしばらく続けていますと、また新たに、口語・口頭であれば、概要の説明程度は(どうにか)出来るようになるのではないかとも思われます・・。

とはいえ、そうしますと私の場合、その関心を持つに至ったきっかけはそれぞれ違いますが、その構造自体については、おそらく幼い頃からあまり変わっていないように思われます。そして、それがそれぞれの学校での教科と被るものであれば、特異的に良い成績を修めることもありましたが、そうしたことはあまり多くはありませんでした・・。

また、これは先日、文系の師匠との会話から不図思ったことですが、こちらの師匠はお目に掛かった当初から若干早口であり、また、あぶらが乗ってきますと、さらに早口になるのですが、ともあれ、そこで話されている内容は、ある程度専門的なことであると思われますが概ね理解出来ていました。さらに、その途中で「先生、その話されていた短編小説ですが、大変興味深く、おそらく今後どこか読ませて頂きますが、この作品の元ネタになった作品は、おそらく「****」の「***」であると思うのですが、これについてはどう思われますか?」といったことを質問をさせて頂いたりしました。また、その具体的な内容につきましては、また後日、あらためてブログ記事として作成したいと思いますが、ともあれ、さきのような、遅々としたものではあれ、内発的な興味によって始まった活動・行為によって内面化された知見や記憶とは、おそらく多くの場合、こうした当初から計画されたものでない、偶然のなりゆきでの会話のさ中においても、関連すると思しき知見や記憶が適宜、立ち上がってくるのではないかと思われるのです・・。

そして、こうした感覚は、おそらく母語ではない、他の言語を内発的な意志で(ある程度の期間)扱う経験を経ることによって得ることが出来るのではないかと思われますが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?

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