pp.63-65より抜粋
ISBN-10 : 4121600134
ISBN-13 : 978-4121600134
「白米が白くなり過ぎた主な原因は、鮨米の誘惑であったように考えて居る人がある。しかし、米の飯はわれわれの理想の行止りであった故に、強いてこの上の奢りを企てようとすれば、それを白くでもして見る他はなかったろう。実際またよく磨がれた米の飯は美しいものであった。それが害だということに心つかぬ限り自然に白くなるには手本も要しなかったと思う。もっとも、鮓米だ酒造米だと称して、むやみに杵の数を多く当て始めた時代が、ちょうど房州砂が盛んに売れ、飯の白いのを賞玩する風習の起りであったことも事実だから、まるまる関係がなかったともいい切れない。いずれにせよ寿司が今日のようになったのは変遷であって、決して明治以前からの、今のとおりおものを食っていたのではないのである。
鮓の変遷だけは幸いにまだ各地の実例が伝わって居るために、単なる比較によって容易にその経路を窺うことができる。他の多くの食品においては、もはやこれほど忠実に以前の慣習を残して居る地方はないのである。鮓は「土佐日記」にすでに見えて居るごとく、最初はただ魚類を保存する方法の一つであった。単にその方法の最も巧妙にして、また贅沢なるものというに過ぎなかった。海川の獲物はしばしば豊富に過ぎて、一回の消費に剰る場合があった。これを遠くの人に販ごうという考えのなかったころから、貯えて他日の用に備えようとする念慮は起り易かった。その簡便なる方法には干魚があって、もとはこれ一つが運送に適していた。塩物は多分その臭味を防ぐために、次に発明せられた改良であったろうが、これも加減が覚えにくく、また概して元の味を割引しなければならなかった。鮓だけはひとりその発酵する力によって、別に新たなる風味、香気をつけ加えたのである。いわゆる鶚鮓の昔話が全国に流布して居るのを見ると、もとは偶然の発見に基づくものかも知れぬが、少なくとも飯をその保存に利用したのは考案の結果であった。現在はすでに地方の技術となり、あるいはただ二、三の旧家の口伝に属して、詳細を知ることもできぬが、最初は魚と殻類との自然の酸によって、久しきを経てようやく熟するを待ったことだけは明らかである。
それが醸造酢の外部からの供給によって、寿司の製法はここに一変した。早鮓という名前はまずこれに向かって与えられたかと思うが、後にいま一段と迅速なる作り方が現れたために、この分はもう古風になろうとして居る。現在の巻き鮓・握り鮓は、いわば米の飯の一種の食法であって、その趣向はむしろ握り飯の方に近いようである。これが簡便と新しい趣味とによって、全国を風靡したのは面白い事実であるが、少なくとも鮓の製法の改良とはいうことができなかった。鮓の要件は馴れるという点にあった。外から酢を注いで味をつけるようになってからも、これまであったものは漬けると称して、器を詰め込み押し石を載せ、何日かの日数を重ねて米と魚との変質するを待ったのである。それが普通の飯や膾とくらべて、どれだけの養分と消化力の相異があるかは、調べて見た人がまだいないというのみで、とにかく二者は食品としてはまったく別のものであった。民族の嗜好は永い間の習慣によって、容易に改めることができぬという説は、日本には必ずしも当てはまらぬことが多い。都市はむしろ新奇なる物の味を、次から次へと尋ねて行く傾向をもって居るが、ことに専門の飲食店が、これを日々の商品として取り扱うようになると、その変化が急速なようである。鮓は古い言葉だから、これこそは固有であろうと思っていると、もう知らぬ間に内容の方がちがってしまって、なまじいに元の名を相続したばかりに、かえって前に存したものを忘れさせて居る。衣食住の現在の仕来りの中には、これに似た例はまだいろいろある。」
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