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2022年8月11日木曜日

20220810 中央公論新社刊 高田里恵子著 「学歴・階級・軍隊―高学歴兵士たちの憂鬱な日常」 (中公新書) pp.28-29より抜粋

中央公論新社刊 高田里恵子著 「学歴・階級・軍隊―高学歴兵士たちの憂鬱な日常」 (中公新書)
pp.28-29より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121019555
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121019554

 社会学者の内藤朝雄は「いじめの社会理論」のなかで「中間集団全体主義」という考え方を提出している。要するに、学校や町内会などの中間的共同体が個人に参加や献身を強制するというかたちのファシズムなのだが、いまは、興味深いこの概念そのものではなく、内藤が概念を説明するさいに持ち出す物に注目したい。この例の二つともが、先ほどから問題にしているリベラルなインテリ層が戦争末期に下士官タイプの人間にいじめられるというものなのだ。

 まず一つは、「女たちの太平洋戦争」と題された「朝日新聞」(1991年12月2日付)の読者投稿欄に載った一文で、「父が英字新聞を読んでいたり、娘二人がミッション系の私立学校に通っていること」で憎しみの標的となり、産後まもない母が防火演習に狩りだされ、商店のおじさんや在郷軍人に追いまわされ、ついには死んでしまったことを嘆く文章である。「ニコニコ愛想いいお店のおじさんを見ても「いつ、あのころのように変わるか知れない」と、いまだに心を開くことが出来ません」。

 もう一つは、著名な精神医学者中井久夫(1934年生まれ)の「いじめの政治学」からのエピソードで、国民学校生の中井少年が大日本少年団のリーダーである上級生にいじめぬかれるという内容である。だが、その上級生も戦争が終わり大日本少年団も解散されると「別人のように卑屈な人間に生まれ変わった」と中井は報告している。



2022年6月6日月曜日

20220606 早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」1暁のZ作戦 pp.136‐138より抜粋

早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」1暁のZ作戦 pp.136‐138より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4150504342
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150504342

日本人の内部には、形而上学的な直観と動物的・本能的衝動とが隣合って存在している。だからこそ、思想が獣化され、獣性が思想化されたのである。過激分子が決行した暗殺その他の流血事件は、理想主義によって動機づけられたのである。そして、結局東洋人のための東洋をまもるべく中国へ渡った兵士たちは、南京で、多数の東洋人仲間を殺してしまったのである。

 日本人の思惟方法では、超越的なものと経験的なものー菊と刀ーの間に、何の緩衝地帯も置こうとしない。彼らは宗教的であったが、西欧的な罪の概念はなかった。同情心はあっても、人間性に欠けていた。閥による結びつきはあるが、人間としての交わりは希薄であった。強固な家族制度を持つが、個人はその中に埋没していた。ひとことで言えば、日本人は偉大でしかも精力的な民族であり、しばしば相対立する力にかりたてられ、相対立する方向に同時に進もうとする人々であった。

 そのうえ、些細な点でも、東西間には多くの相違があり、これが不必要な軋轢を助長する結果となった。西洋人が「この道は、東京へ行く道ではありませんね」と尋ねたとする。日本人はきっと「はい」と答えるだろう。ところが、その「はい」という意味は「あなたのおっしゃる言葉がそのまま正しいのです。その道は東京へ通じるではありません」ということである。日本人は、西洋人に対してただ相手の感情をそこなうまうとして、あるいは面倒な事態を避けるために、相づちを打ったり、また自分が知らないことが言えないで、ついまちがったことを教えたりするようなことをするので、誤解を生む結果となった。

 ほとんどの西洋人にとって、日本人は全く不可解な民族であった。道具の使用法一つを見てもすべて違っていた。しゃがみこんで鉄床を打ち、鋸や鉋は押さずに引いて使う。家を建てるときはまず屋根をふく。鍵をあけるには左に回す。これは方向が違うのである。日本人がする事なす事はすべて西洋人と逆である。動詞は最後にもってきて話すし、読み方も逆である。書き方も逆である。椅子に掛けずに直接床にすわる。魚は生で食べ、まだ動いている海老を生きたまま食卓に供する。身辺の最も悲しいでき事さえも笑いながら話すのである。いっちょうらの服を着たまま泥の中に落ち込んでも、白い歯を見せながら立ち上がる。わざとまちがったさしずをしておいて、自分の考えを相手にわからせる。回りくどい遠回しな態度でそばの者を押しのける。ある男を暗殺した後で、その召使いに家の中を汚したことについて詫びを言ったりする。

 西洋人たちが気づかなかった点は、日本人が近代性と西欧の流儀を付焼刃的に見にまとってはいるものの、その衣の下は依然として「東洋人」だったこと、そして封建制度から帝国主義への急速な移行があまりにも激しく進んでしまったため、西洋的な価値観ではなく、もっぱら西洋的方法に関心があった日本の指導者たちは、自由主義や人道主義を根づかせるだけの時間的余裕も気持も持つひまがなかったということだった。

2022年4月6日水曜日

20220405 株式会社講談社刊 谷川健一著「魔の系譜」 pp.215-217より抜粋

株式会社講談社刊 谷川健一著「魔の系譜」
pp.215-217より抜粋
ISBN-10: 4061586610
ISBN-13: 978-4061586611

ここで私が思い出すのは、戦時下の東京で「蛇屋の娘がかどわかされた」という噂がひろがったことである。物資が欠乏し人心の荒廃した戦争末期の首都で、このように説教本に出てくるような陰惨なデマが横行したことは、作為したものであれ、自然発生的であれ、深い意味をもつと考えられる。
 それは期せずして、ささくれ立った人間の心をいっそう逆なでするようなパニック状態を、日本人の意識の深層につくり出したものにほかならなかった。疑心暗鬼の生み出す恐怖やスパイ呼ばわりされる不安、おそらくそれは憑きもの筋の恐怖とは無縁ではないのだ。
 トウビョウ(蛇神)すじとか犬神すじと呼ばれるときの、傷あとに塩をすりこむような恐怖は貧しさが慢性化している山村や漁村の荒涼とした風景をぬきに考えられるものではない。そこでは貧しさが共同体をつくって豊かさをはじき出そうと、執念をかけるのである。犬神すじや蛇神すじは、山陰や土佐などの僻地に多くみられる現象で、物質の貧しさとふかくからみ合っている。
 しかし、貧しさが豊かさを恐怖する例は現代の企業や組合や政党にもみられないことはない。そこでは貧しさー精神の貧しさが、豊かさをはじき出そうと全力をあげる。精神の貧しさのつくった共同体が組織の名で呼ばれる。無能力な者が能力のあるものを恐怖し、あらゆる卑小な陰謀をもちいて団結する。豊かさへの恐怖、それが現代の犬神すじを成立させる。
 奈良時代から今日にいたるまで「良民」の「良」には何の意味もない。それは貧しさの代名詞でしかなく、一種の虚辞である。良民証とは貧しいものが、その貧しさを逆手にとって共同体を形成し、豊かなものを仲間に入れないための検閲証明書である。
 「良」が消極的な意味しかもたないことは、私の独断ではない。日本人の伝統意識のなかでは「悪」は積極的な意味をもつのである。「悪」の伝統意識が日本の近代文学のなかでは衰弱していることを、「不幸な芸術」で指摘したのは柳田国男であった。
 今日、異端や狂気が復権を求めているのは、そうしたこととつながりがあると私はおもう。
すなわち異端や狂気は一見、先端的思想にみえるけれども、その実は伝統的意識の回復をめざすものにほかならない。それは良民から排除される恐怖、差別者が被差別者を恐怖することへの恐怖を克服する思想運動である。現代の企業、組合、政党などの良民意識と組織へのしがみつきが産み出す「犬神すじ」の差別思想・・・それを打ち破るものとして、私たちは夢野久作の「犬神博士」一冊もっている。