2020年9月15日火曜日

20200915【架空の話】・其の40

ともあれ、その後しばらくして店を出たが、お会計の際に指導教員が「まあ、こんなことあまりありませんから。」と、ご馳走してくれた。そして「代わりに駅前の喫茶店のコーヒーは私がご馳走になりましょう。これが所謂「配分的正義」というものです。」と宣われた。

店から駅前の喫茶店は徒歩3、4分程度であり、このチェーン店の喫茶店は、安価ながらも比較的美味しいコーヒーが飲めると私は思っている。

冷たい風が吹く商店街を通り過ぎ、駅前の店内に入ってみると、混雑している様子はなく、我々は外からの寒い空気が届かないと思しき店内奥の方にある二人掛けの座席を目指した。隣の席にはイヤホンを挿しつつ勉強をしている学生と思しき若者が掛けていた。それぞれ荷物をおろし、コートを脱いだところで、私は「じゃあ、私が買ってきますので、先生は何を飲まれますか?」と訊ねると「うん、じゃあホット・コーヒーをお願いします。」とのことであり、私はそのまま財布を持って席を立ち、注文に向かった。

スムーズに注文を終え、1,2分の後には、カップに注がれたコーヒーをトレーに載せ座席に戻ってきた「先生はブラックで良かったですよね?」とトレーを置く前に、一応訊ねると「うん、ブラックが良いです。」と手短に返事をされた。

私の方には未ださきのカレーそばの余韻が舌に残っていたが、コーヒーを飲んでみると、どうしたものか、その余韻の感覚が若干強くなるように思われた。やはりカレーとコーヒーは相性が良いのだろう。

一方で指導教員は、さきほどの蕎麦屋さんとはうって変わって背筋を伸ばしつつコーヒーを飲み始めたが、すぐに「そういえば、この先K県に行くことなると思いますが、住む場所は決まりましたか?」と訊ねてきた。それに対し私は「ええ、実は今度の金曜日に住む場所を探しに行く予定です。向うでは住まい探しを手伝ってくれる友人がいるのです。」と返事をし、付け加えてBのことを話した。

「ああ、よく君と一緒にいる彼か、彼はK出身だったのですね・・。それは良かった。」そして、その後に指導教員はご自分が留学時に住まわれていた寮の話をされたが、どうも日本のそれとは勝手が違うように思われた。それでも異郷の地で何年にもわたり生活したのは大変であったとは思われたことから「それで、先生は向うに住んでいて一番何に困りましたか?」と訊ねてみると「やはり食べ物だろうね・・。今では分からないけれども、私がいた頃は、日本食のお店なんてほとんどなかったからね・・。でも、若いうちは、そうした経験をするのは大事なことではないかと思いますよ・・。それだからこそ、さっきのカレーそばの美味しさもより強く感じ取ることが出来るのだと思います。」とのことであった。

私といえば、これまで違う場所にて長く住んだ経験がないことから、その感覚はよく分からなかったが、たしかにそれは大事なことであるように感じられた・・。

そして「またそちら方面で学会などがあった時は、ご連絡しますので、比較的近い場所であって来れそうであれば来てください。」とのことであった。その後は卒業式や来年度から面倒を見ることになった新入院生のハナシになったが、21時頃には店を出て、それぞれ帰路についた。

帰宅してみると、既に両親は家におり、今日のことを訊ねられたため、カレー蕎麦のことを話すと「それは美味しそうだ・・。そこも今度行ってみよう。」とのことであった。私の両親はこうした外食の情報については、比較的好奇心旺盛であると云え、仲間内では情報通として通っているとのことであった・・。

さて、その後の家探しのためのK訪問までは、特筆すべきこともないと思われたが、じきに院を修了するため、アルバイトを辞めることになる古着屋を訪ね、あいさつした際には、店長から礼を云われ、餞別まで頂いてしまったことから、それで新たに店内の古着を購入しようとしたところ「いや、またこっちに来た時に良いモノが見つかったら、その時に買ってくれればいいから・・。」とこれまたやんわりと止められ、さらにK方面での古着事情を説明してくれた。店長は買付けのため度々外国に出向くのであるが、そこで同じ日本から来た同業者と話す機会があり、kでは大都市と云えるF市にある「大名」という地域に、そうした店が集まっているとのことであった。また、この「大名」の店では国内でも、かなりセンスの良いモノが集まっているとのことでった。とはいえ、ここは私が住むことになるKとは距離的に少し遠く、日帰りで行くのは困難そうに思われた・・。

そして「多分、向うはここよりも暑いので、アロハは少し攻め過ぎだと思うから、色味の落ち着いたレインスプーナーのボタンダウンのプルオーバーシャツか、渋めの色合のキューバ・シャツなんかを着ていると良いかもしれないね。」とのことであった。また、向うでもこうした話を普通に聞くことが出来るのだろうかと、少し不安になったが、とはいえ「他の場所に住むということは、そうしたことも全て含めてのことであり、若いうちは、そうしたことを経験しておいた方が良いのだろう・・」と、ここ最近、頭では考えるようになっていた・・。

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2020年9月13日日曜日

20200913【架空の話】・其の39

英国に長く留学していた指導教員が、そのカレーそばのレシピに驚くのは、おそらく、私よりも深い何かしらの感慨や、その基層にある経験があるのだろうと思われたが、とりあえずは楽しみに待つことにした。また、その時に不図、以前に読んだ吉村昭の「東京の下町」というエッセイが思い出されたが、そこにもたしかカレーそばの記述があった。

やがて、わずかではあるが、調理場の方からカレーの香りが感じられるようになると、指導教員はおもむろに「私も向うではカレーをよく食べましたが、あれはあれでとても美味しいものでした。」と話しをはじめた。それに対して私は「それは日本のカレーと比べてどのようなものでしたか?」と訊ねてみると「うん、日本みたいにお米にかけて食べることもありますけれど、そうではない、もっと本場のインドに近いものが多かったと思いますよ。あちらには歴史的な経緯から類推出来るようにインドから移り住んだ方々が結構いらっしゃいますからね・・。」とのことであった。ちなみに指導教員によると本場インドのカレーは我が国と同様、家庭料理ではあるものの、その用いるスパイスの種類・量が家々で独自とも云えるようなレシピが存在し、その点において英国のカレーの多くは、このスパイスについて、工業製品のように規格化したものと云えるとのことであった・・。また、この英国のカレーからの派生型と云える我が国のカレーは、スパイスについては、さらに規格化されたものと云え、また、そのおかげで広く社会に普及することが出来た。とのことであったが、この普及の過程において、在来の相性の良い料理と結合させるセンスについては、手放しで褒めるつもりはないが、何かしら優れたものがあるのではないかとのことであった。

ともあれ、そのような会話をしていると、さきほど来のカレーの香りが強く感じられ、そして期せずして、食欲も先ほどより亢進してきたように思われた。そうした状況にてお膳に乗せられたカレーそばが二つ調理場からこちらに運ばれてきた。器は多少ボッテリとした作りの黒色の丼ぶりであり、そこに盛り付けられたカレーそばの色は、これまで私が知るカレーに比べ若干色が薄く、ウコンのそれに近いように感じられた。そして、傍らの小皿には薄く輪切りにした長ネギが「ご自由にどうぞ」と云った感じで置かれていた。

指導教員は「さあ、来た来た・・食べようか。」と早速、割り箸に手を掛けて「いただきます。」と小さい声で独り言のように唱えてから食べ始めた。英国での生活の影響からか、研究室で紅茶やコーヒーを飲む時でも、指導教員は背筋を伸ばし、何やら自分の首を一番長く見せるような姿勢で飲んでいるようにも感じられたが、この蕎麦屋さんでは、そうしたスタイルなどすっかり忘れてしまったかのように、心持ち控えめではあるものの、音を立てて、まさしく日本人らしくそばを食べておられた。

また、その姿に私も安心し、いつも通りに目の前をカレーそばを食べたわけであるが、たしかに、ここのカレーそばは、これまで食べたそれとは微妙にカレー自体の香りが異なるように感じられ、またそれは紅茶などのように薫り高いと思われた。してみると、英国人の食物に対する嗜好の一つとして、こうした「鼻に抜ける薫りの良さ」があるのではないかと不図思われたが、しかし他方で、それが我が国独特の香りといえる出汁と、挽きぐるみに近い強いそばの香りとが混淆すると、これまた何とも上品にして土俗的とも云える味になるものだと、多少の驚きを禁じえなかった。

指導教員の方は、こちらに構うことなくカレーそばを味わっているようであり、私もそれに倣い、食べ終わるまでそのようにしたが、年齢によるものか、わずかに私の方が先に食べ終えた。そして、いつの間にか置かれていたグラスの冷水を飲んで、周囲を眺めていると、食べ終えたようであり、先方もグラスの水を一口飲み、ポケットから紺地のハンカチを取り出して額を拭った後「どうですか。なかなかの味だと思いませんか?」と訊ねて来た。「ええ、たしかに、これは今までのカレーそばとは少し違いますね。味はとても美味しいと思いました。たとえてみますと、カレーから感じる舶来っぽさと出汁による純和風の味わいが止揚されたもの、あるいは味のイースト・ミーツ・ウエストといったところでしょうか?」と思い付くままに答えると「ははは、そりゃ面白い。でも、分からなくもないですね。」と笑いながら返事をされてから、またグラスの水を一口飲まれた。

そしてまた、この時に不図思ったことは「こうした味覚を通じた嬉しい驚きを与えてくれるようなお店は、この先私が赴くK県にはあるのだろうか?」ということであり、そのように考えてみると、何やら少し空恐ろしく思えて来た・・。

ともあれ、その後しばらくして店を出たが、お会計の際に指導教員が「まあ、こんなことあまりありませんから。」と、ご馳走してくれた。そして「代わりに駅前の喫茶店のコーヒーは私がご馳走になりましょう。これが所謂「配分的正義」というものです。」と宣われた。

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2020年9月12日土曜日

20200911 前回の続き【昨今の閲覧者・インプレッション数の増加から】

以前にも書きましたが、おかげさまで、ここ最近、ツイッターと共有した当ブログ記事のインプレッションが増加し、そこから、何やら「圧力」のようなものを感じつつも、どうにか記事作成を続けているのが現状と云えます・・(苦笑)。

また、インプレッションの増加と同時に、ツイッターにおいては、かねてより自身が動画の共有などをさせて頂いてきた高名な研究者や、そのほかの著名な研究者の方々による、自身の共有記事に対する反応と思しきツイートが度々あったことからも、さきの「圧力」を更に感じ、多少緊張気味であると云えます・・(苦笑)。

この「自身の共有記事に対する反応」は、いつもの天動説的とも云える自意識過剰によるものではないかと訝しむ方々もいらっしゃると思われますが、しかしながら、こうした感覚とは、ある程度の期間、ブログ記事の投稿やSNSを継続していると、比較的明瞭に感じ取ることが出来るものであると私は考え、そして、その上でのさきの見解となります。

そして、こうしたことも加味しつつ、さらに記事作成を行っていくと、その後、自身のブログに、そして自身に、いかなる変化が生じるのかとは、多少の「圧力」は感じるものの、やはり興味深いものであると云え、歩を進めた方が良いのではないかと思われるのです・・(笑)。

無論、自身のブログは、毎回が面白いと云うわけではないことは(重々)承知しており、それらの中に多少なりとも見るべきものや面白いものが幾つか(もちろん、多ければ多い方が嬉しいですが)でもあれば良いと考えていますが、面白いもので、こうした自身の能動性によって続けられている活動は、それが他者から「この記事が面白い」や「こうした記事を作成した方が面白いと思う」などといった(具体的な)ご意見・ご指摘を頂くと、かえって「やる気」が削がれるような性質があるようで、それよりも、さきに述べたような「ある程度明瞭に感じ取れた反応」の方が良いのではないかと思われるのです。

その意味において、当ブログの現状はそこまで悪いものではなく、さきの「圧力」も推進力に変え、記事作成を行って行きたいところですが、ここ数日は、どうしたわけか記事の題材や着想が思いつかず、漫然とした状態が続いていると云えます・・。

そこから、一種の焦燥感なども多少は生じているのですが、であるからと云って、遮二無二記事作成を行うというのは、いかにも短絡的であると思われることから、こうした状態も、次の記事作成を行うスタンスに至るための準備期間と認識し、内容の巧拙などはあまり考えずに、出来るだけ記事更新を続けていれば良いのではないかと考えています。

また、それに関連して思うことは「今後、どの程度まで記事作成を行えば、記事作成を行っていなくとも、全く気にならなくなるのであろうか?」ということであり、現状におけるこうした感覚は、強いものではないものの、一種の「強迫観念」に近いものであるようにも思われるのです・・(苦笑)。

そこから、決して自身の精神衛生状態は、十全に健康とは云えませんが、他方で、そもそも、十全に満足している精神状態では、文章にて自身を顕す(著す)必要性を認めないと思われることから、自身の場合は、現在の精神状態に何かを「加上」していくことが重要であるのではないかと考えるのです。

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2020年9月9日水曜日

20200909 ブログ記事の作成をしていて思ったこと【昨今の閲覧者・インプレッション数の増加から】

気が付いてみると、総投稿記事数も1380に近くなり、この調子にて記事の更新を続けますと、来月の10月中には1400記事に到達することも出来るかもしれません。そして、更にその先、来年の春頃には、上手く行けば1500記事に到達する目途が立ってきます。

以前、まだ投稿記事数が1000記事に達していない頃「ブログは1000記事に到達してからが本番だ。」と何処かで見聞きしたことがありましたが、たしかに1000記事に到達していない頃と比べますと、何と云いますか、記事の作成における「圧」のようなものが異なるように思われます。とはいえ、それは、おそらく自身の内から生じてくるものであり、そうしたものに気を留めないように心掛ければ、あるいは以前のように、比較的楽(圧を感じないで)に記事作成が出来るようになるのかもしれません・・。

また、「圧」を感じてしまう要因として「閲覧者数」「インプレッション」もあると思われます。とはいえ、それらはなければないで記事作成の意欲が削がれるところでもあるのですが、これがある程度大きくなり、また「投稿した記事を読んで頂いている」と感じさせるようなツイートなどの反応を目にしますと、その後に作成する記事内容について(いらぬ)心配をしてしまうようになるのです・・(苦笑)。

それでも、こうした心配も、以前と比べますと気に留めなくなったとは云えますが、ここ最近の閲覧者・インプレッション数の増加により、また、その心配が惹起され、結果「圧」を感じている状態にあるのだと云えます・・。【閲覧者・インプレッション数の増加が良いことであるならば、それ(圧)に慣れることが出来るのであれば、慣れておいた方が良いと思われる。】

また、ブログ記事のネタについても、さきに述べた「圧」から、変に考えてしまい、以前のように素直に作成することが困難となる傾向があるように思われます。

他方、ブログ記事をも含め、こうした文章表現においては「陳腐さ・マンネリ感」が生じてしまうこと考慮しなければ、ある意味「どこまでも書き続ける」ことが出来るのではないかと私は考えています。多くの文章作成においては、大きく、具象や抽象といった視点と、題材選択の組合せにより為され、そして、それらを組合せたものを自身の文体にてまとめ・統合していくというわけですが、それら(視点・題材選択・文体による統合)の中で最も面倒であると思われることは「自身の文体による統合」の過程であると思われます・・。

たとえてみますと、加工した具材を鍋やパンの中に放り込んだだけでは料理は出来ず、それを煮たり焼いたりする「熱」と、それを調節・制御する「技術」が、現在の自身としては面倒に思われるところなのです・・。

それでも、当ブログ開始当初から比べますと、この「統合」する文体については、いくらかは向上したと思われるところではありますが、それでも、まだまだブレがあり、今後、発展の余地は少なからずあるように思われます。

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2020年9月7日月曜日

20200907 「瓜田に履を容れず、李下に冠を正さず」・・出雲で受けた職務質問から

ホテルロビーのラウンジでコーヒーを飲み終えて部屋に戻った。薄々は勘づいてはいましたが、ここにおられた方々は、その和装から大社の神職(社家)であったのだと思われます。

部屋に戻った私は、テレビを点けたままで荷物をまとめ、チェック・アウト時刻の10時には出発できるようにしていた。とはいえ、昨夜はあまり荷物を広げなかったことから、いつもより早く片付き、そして、敷いたままにしておいた布団に再び寝転がりながら、なおもテレビを観ていたが、特に関心を引くようなトピックがなかったことから「こうしていても仕方ない。」と思い、10時まで少し間があったが、荷物を持ち部屋を出た。

フロントにルーム・キーを返却して車に向かおうとホテルから外に出ると、既にして良い陽気で蒸し暑く、すぐに汗ばんでくる程であった。

車のドアを開けると、車内から昨日の運転時の空気が感じられ、現実に引き戻されるような感覚があった。私はまとめた荷物を助手席に置いて出発したが、思いのほかに出雲大社が近かったことから、しばらく周辺をドライブした後、参拝に向かおうとしばらく気ままにドライブをすることにした。

時刻は丁度10時頃であったが、既に人通りは多く、大社参道と云える神門通り(県道161号)は賑わいを見せていた。

しばらく車で周辺を走った後、あらためて、この通り沿いにあるコインパーキングに車を停め、そこからは徒歩移動することにした。すぐ近くには有名な女性歌手の御実家という老舗旅館があったが、さすがに、この旅館に入ってみる勇気はなかった・・(苦笑)。

ともあれ、そこからさらに神門通りを進むと、出雲大社に至るわけであるが、大社の敷地はかなり広く、本社殿に着くまでに、さまざまな摂社、出雲神話にまつわる場面の銅像などがあった。実際に行ってみて分かったことは、大社本殿は八雲山を背にして建てられていることであり、また私の刷り込み、思い込みであろうか、この八雲山から立ち上る雲の様子は一種独特であり、そこから素戔嗚尊が詠んだとされるあの日本最古の和歌が思い出された・・。

また、本殿周囲には、これまた多くの摂社が建ち並び、さながら神々の分譲地といった感であったが、またこうした景色を眺めていると「八百万の神」といった言葉も、我が国においては自然な響きを持つものであったのだろうと感じられた・・。

あるいは、ここには我が国の昔ながらの宗教観が具現化した様相が示されているのかもしれない・・。

そうして、出来るだけ多くの本殿を含む社殿、摂社にお参りをして、昼過ぎを迎えた頃には、人通りもさらに多くなり混みあってきたことから、来た道を戻り、神門通り沿いのコインパーキングにとめていた車に戻った。ちなみにこの帰り道にて、いくつかの土産物店などに立寄って、出雲型の勾玉を複数購入しておいた。

さて、再度車を走らせると、昼食を食べていないことに気が付き、県立中央病院の近くにあった某餃子チェーン店に入った。朝から食事をまともに摂っていなかったことから、ここでは比較的多く食べることが出来た。

昼食べ終え、少し休憩を入れてから車を走らせはじめて直ぐに、後方を走っていたパトカーから「そこの青の鹿児島ナンバーのプレオ停まってください。」とスピーカー越しに指示を受けた。「特に交通違反は行っていないつもりだが・・」と思いつつ車を路肩に寄せて停車した。パトカーから二人の警官が現れ、形式通り免許証や車検証の提示を求められ、そして「大分荷物があるようですが、どうしたのですか?」と訊ねてきた。私はそれに対し事情を説明していると「何か疑われているのかもしれない・・」と感じた。そして「それじゃあ、一応、その車に積んである荷物も見せてください。」と云われ「そうですか・・あまり大したものはありませんが・・」と、後部のトランクを開けて、積んである荷物を一つ一つ示し始めた。その時に不図思ったことはトランクに積んである青いプラバケツの中に実家から持って行ったレジン(プラスチック)製の実寸大スカルモデル(頭蓋模型)があることであり「これを目の前にいる警官に見せたら一体どのような反応をするのだろうか?」とさらに思い、ここで少し仰々しい態度で「ええと、こんなものもありますが・・」とスカルモデル(頭蓋模型)を二人の警官の目の前に示すと、一瞬明らか驚愕の表情となったが、こちらが落着いた調子で、これを持っている経緯を手短に話すと「・・ああ、そういう事情ですか、分かりました・・いえ、荷物を満載しているので、後方確認が難しいのではないかと思い、声を掛けさせて頂きましたが、大丈夫ですか?」と訊ねてきた。一応後方の荷物は隙間を設けるように積んでいることを説明し「ちょっと難しいですが、バックミラーをこうすれば、どうにか確認できます・・。」と説明した。この説明は実際のところそこまで明瞭なものではなかったと云えるが、少なくとも、これまでの説明で職務質問をされた原因と思われる「疑い」は晴れたようで、晴れて「では、残りの運転も気を付けてください。」と放免になった。そこで昂っていた私は「ええ、お仕事ご苦労さまです。どうもありがとうございます。残りの道も気を付けて行きましょう。」と(自身としては)鷹揚な調子で返事をした。

おそらく、これが以前の私であれば、もっと気弱な感じとなり、警官の方々に、さらなる疑いを増長させてしまったのではないかと思われるところですが、この時はスカルモデル(頭蓋模型)を用いたちょっとしたイタズラ心を持つ余裕があったほどと云えますので、まあ、以前よりも多少気が大きくなっていたのだと思われます・・(苦笑)。

しかしながら、実際に悪い事は行っていませんので、今となっては笑って済ませて頂ければと願うところです・・(笑)。

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2020年9月5日土曜日

20200905 丁度思い出した2013年この頃のこと

一昨日の投稿記事は、書籍からの抜粋引用ではありましたが、おかげさまで比較的多くの方々に読んで頂けたようです。これを読んで頂いた皆さまどうもありがとうございます。


また、本日の首都圏は、日中は気温も上がり、この時季らしい蒸し暑い1日となりましたが、夕刻から雨が降り始め、強弱を繰り返しつつ、現在にまで至っています。とはいえ、この降雨は九州方面ではさらに強いとのことです。九州地域に住んでいる皆さまにおかれましては、過日の大雨と現今の新型コロナウィルス感染症により、良い夏とは云えず、さらに今回の台風もまた、注意を要する状況であるとお察ししますが、出来るだけ被害が軽微であることを願っています。

そういえば、どこかにしまった手帳には記しているはずですが、私が2013年に鹿児島を発ったのは、丁度今頃でした。当時乗っていた空色のボロ車に、家財道具を載せるだけ載せて発ったその日に、どうしたわけか桜島が大規模な噴火を起こし、私の車は灰にまみれて九州を北上しました。夕刻頃に本州入りし、そこから日本海側のルートにてさらに東に進みました。目的は出雲大社に参拝するためでしたが、出雲市に着いたのは22時前頃であったと記憶しています。とはいえ宿泊所を決めていなかったことから、何件かのビジネスホテルで宿泊の可否を訊ねてみましたが、どこも満室とのことで断られてしまいました・・。

その後しばらく経って思うことは、灰らしきもので汚れ、荷物を満載した他府県ナンバーの軽自動車から降りて来たサンダルに短パン、Tシャツ姿の色黒で坊主頭の人に宿泊の可否を訊ねられても、あまり積極的に部屋をご提供したいとは思わないのが、通常に近い感覚であるのではないかということです・(苦笑)。

しかし、当時の私は、そうしたことを全く考えず(どうにか)学位を取得出来たということによって、語義通り、かつてない程に昂ってたのです・・(苦笑)。

たしかにここは、現在においては(少し)笑いを誘うところではあるのですが、しかし、そこに至るまでの経緯から考えてみますと「そうなっても仕方がない・・。」要素もまた、(少なからず)あったのではないかと、現在においても思われるところです・・。

そして、夜半過ぎにようやく出雲大社のごく近くにある旅館とも云えるビジネスホテルにて部屋を見つけ、6畳1間の和室に落ち着くことが出来た。部屋は新しくはなかったものの清潔であり、風呂やトイレもまた同様でした。丸1日、車を運転した疲れから、その日は少しだけPCを開いてメールチェックなどを行いましたが、その時、どうしたわけかフェイスブックにて友達申請が1件ありました。この方は以前の投稿記事にも出てきましたが、実習で受け持った学生さんの一人であり、また、2012年の暮れの週末、鹿児島中央駅駅前で恒例の散歩をしていると突然声をかけて来られた方でもありました。うまくコトバでは説明できませんが、声が特徴的であり、また一種、特徴的な眼差しを持っており、それは、これまでの関東や和歌山では、お目に掛かったことのない種類のものであったと云えます。

ともあれ、その時に不図思ったことは「あの2012年暮れ頃あたりから、私の精神は徐々に持ち直していったとも云えるから、あるいは若いながらも、この学生さんの「セヂ」は高いのかもしれない・・。」ということであり、そこで直ぐに承認させてもらいました・・。

翌朝、8時頃に目を覚まし部屋を出て階下のホテルロビーの食事・喫茶コーナーに行ってみると、白い着物に袴を穿いた和服姿の方々が何人か席に座り、新聞を読んだり、談話をしたりしていました。そうした中に突然、短パン、Tシャツ姿の坊主頭で若いとも云えない輩が現れたのは、やはり異様であり、私もコーヒーを飲みつつ、手にしていた文庫本を読んでいますと、和服姿の方々の一人から「失礼ですが、どちらから?」と聞かれた。そこで「鹿児島からです。」と答え、喫茶コーナーの外向き窓から見える私の灰まみれの鹿児島ナンバーの車を指さしました。すると「はあ、それは大変でしたね。それで今日はどうするのですか?」と、さらにと訊ねて来られた。私は「ええ、今日は大社に参拝してから、さらに東に進もうと考えています。」と返答すると「そうですか、それはよくおいでなさいました。道中お気をつけて。」と云われ、私はその方を含む和服姿の方々に軽くお辞儀をしてから読書に戻り、そしてコーヒーを飲み終え、部屋に戻った。薄々勘づいていましたが、この方々は、その和装から大社の神職(社家)であったのだと思われます。

しかし、自身としては、こうした経験ははじめてであったため強く印象に残ったのだと思われます。また、同日のその後に、当時の私が「昂っていた」状態を示すようなハナシがあるのですが、それはまた機会を見つけて、出来るだけ近日中に書いてみようと思います。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


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2020年9月3日木曜日

20200903 中央公論社刊 北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」pp.137-142

「それがし、伊藤一刀斎十八世の子孫でござる。」と、その人物は頭を下げた。眼光はケイケイとして、頬の肉はこけている。
「君は一体医学を学んだのでしょうね」と医局長が云った。「願書が揃ってないが」
「左様」と一刀斎は答えた。「すべてこれ独学でござる」
「しかし、それでは医師免許がおりないのでね」
「いや、それがし、すでに一刀流免許を授けられた者でござる」
「まあいいでしょう」と誰かが云った。「ところで君は、なんで神経科を志望するのです?」

「さればでござる」と一刀斎はキッと膝をのりだした。「武芸の道はこれ涯のないものと存ずる。それがしの父は、野球なるすぽおつを通じ、また女色の奥義を探りて、何物かを得んと努め申した。しかしこれは肉体のことでござる。それ人には肉体と霊がござる。それがし、ぜひとも人間の精神を究め、もって一刀流のかてごりいを広めんと発心せしは、今をさる5年前のことでござった」

「さようでござるか」と思わず医局長は云ってあかくなり、一座を見まわした。

「では訊くがね、君は一応精神医学を勉強されたのでしょうな」と助教授クラスが助け舟を出した。助教授は6名もいるし、講師に至ってはやたらゴロゴロしているのである。

「恥ずかしながら」と一刀斎は答えた。「くれぺりん教授、えい教授とか申さるる御仁の書物なども読み申した。しかし、それがしはむしろ独自なる分類体系を立てる者でござる」

一同、顔を見合わせた。

「では一刀斎君、分裂病というのを知ってるだろうね」

「なんと、ブンレツとおおせられるか?」

「そう、シゾフレニイです」

「なんと、シゾ・・・と申さるるか?」

「そう、つまりだね、昔は早発性痴呆なんて言葉もあったがね」

「ははあ、それはタバケ病のことでござる」

「タバケ病?」

「それがしの分類体系では、その病いはタバケ病と記し申した」

「そう勝手に記されては困るがね。どういう病気です?」

「さればでござる。これは一種神秘的な病いと申されようか。なにぶん頭が狂うのでござる」

「それはそうだが、もっと具体的に」

「しからば冒頭から述べ申そうか。タバケ病とは或る種のびいるすによって惹起さるる疾患と存ずる」

一同は顔を見合わせてざわついた。これではどうしようもないと考えたのである。

「では君、一刀斎君、これでいいですと医局長が気をきかして云った。「これから心理室にまわってテストを受けて下さい。結果はあとで知らせます。」

一刀斎が落ち着き払って退出すると、一同は更めて顔を見合わせた。

「これはちとムリですね」「いくら何でもね」などという意見と、「いや面白い」「少しは変り者を入れてもよかろう」「うっかり落第さして刀でも振りまわされたら」などという意見がしばらくザワザワと私語された。

「これは仕方ないから、雑学部にまわすんだね」と、ついにM総カントク教授が申された。「そう雑学部のサイトウ君にでも面接させて、なにか特技でもあって医局の役に立つものなら入局させてもよかろう」で、伊藤一刀斎合格か否かの件は、後に持ちこされることになった。


医局長は医局の長い廊下を歩いて行った。エレベーターで12階まで行き、また豪壮な廊下を歩き、とあるドアの前に立止まった。そこには「雑学部研究室」とあり、「主任、ソウキチ名誉助手」と札がかけられてあった。

ノックして室内に入ると、安楽椅子の上にソウキチ名誉助手が長々と寝そべっていた。彼は年齢から云えば当然講師くらいになっていなければならぬのだが、いかんせん、未だ嘗て何一つ論文を書いたことはなし、学会に顔を出したこともないので、致し方なしに医局では名誉助手という称号をあてがってゴロゴロさせておいたのである。

彼はあたかも「鉄腕アトム」というマンガ本を熟読しているところらしかった。

「何か用ですかね。医学以外のことなら何でも訊いていいですよ」

「実は今度マツ先生が火星のフォボス病院に行かれます。火星行きについて何か注意がありましたらと思いまして」

「あ、そう」とソウキチ名誉助手は天ちゃん(注・これは愛称であって、私は父から昭和天皇がいかにお優しい人柄であられたかを聞いて心の底から敬愛していた)のごとく言った。「僕が若い頃宇宙精神医学研究室というのを創ったが、みんなバカにしておった。創始者というものはすべて初めは理解されぬものだ」

「ははあ」と医局長は云った。「どんなことを研究されたので?」

「いやなに、ただ看板を出しただけだよ。誰か心理の女の子がこれをヒッパがして捨ててしまったから、それで終わりだ。フラチな女子じゃった」

「それはそれは」と医局長は云って頭を撫でた。「それからですね、今日の入局試験に奇怪なる人物が現れまして、どうしたものか御意見を聞きたいので」彼は一刀斎のことをこれこれしかじかと説明したのち、

「何しろシゾはヴィールスだと云うんですからねえ」

「なになに」とソウキチ名誉助手は身体を起こした。「そいつはまるで俺みたいなことを云うじゃないか」

「そうですか」

「そうですかじゃない。いいかね、マニーなんてものもヴィールスから起こる。まだ発表してないがね」

こいつは上手だわいと思ったので、医局長は沈黙した。ソウキチ名誉助手は委細かまわず、「今NA講師と俺とで研究している。マニーのヴィールスは葡萄の種子の中にいるのだ。そもそも山梨県にマニーが多いのはなぜか。シゾにしてもミッシュ・プシコーゼ(混合精神病)みたいなのが多いんだ。これは彼らが葡萄をタネごと食べるからだ。今葡萄のタネをすりつぶして分離中だ。君、なんでも着想が大切だよ、着想がね。何でも判ってみりゃカンタンなものだよ。ニッスル氏小体でもなんでもね」と彼は云ったが、その実ニッスル氏小体なぞというものは皆目御存知なかったのである。

「では一刀斎は入局させたほうが宜しいですか」

「むろん、むろんだとも。それにそんな面妖な人物は必ず何かの役に立つ。たとえば火星でマッつぁんが火星人にでもとっつかまったら、彼を送ればいいじゃないか。」

中央公論社刊 北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」
ISBN-10 : 4122056586ISBN-13 : 978-4122056589