2021年2月7日日曜日

20210207 「ホンモノの興味」を知覚するための背景について

本日の首都圏での日中の気温は、この時季では珍しいほどにまで上昇したと聞きましたが、本日はほとんど外に出る機会がなかったため、それを体感することはありませんでした。

ともあれ、この先からは徐々に暖かくなる、所謂「三寒四温」であり、今しばらく寒さに負けず、目標到達に向けて書き続けていこうと思います。また、以前にも書いたことではありますが、1000記事に到達する前の900記事程投稿の頃と、1500記事まで残り30記事程である現在とを比較してみますと、明らかに現在の方が精神的に「辛い」と云えます。

その理由は、精確にはわかりませんが、自らを省みますと、それは、文章作成の様式あるいは文体と云って良いか分かりませんが、それが以前と比べ、明確化しているからであると思われます。

そうしますと、他の文章様式が、ブログ記事作成時の際に採り得る選択肢として考えられなくなり、ある意味「自分を追い込むようになる」と云えます。これが以前であれば、書籍からの抜粋引用や対話形式など、他の様式や文体を割合気軽に選択していたという記憶があるのですが、しかし他方で、こうした自然に「自分を追い込む」という状況もまた悪いことばかりでもなく、以前は、この作成様式にて書き続けることは困難であったと記憶していますので、現在どうにか書き続けることが出来ているということは、自身の文章作成能力が一段階進んだようにも感じられるのです。

とはいえ、この先どの程度まで書き続ければ、この新たな文体が自身に血肉化し、定着するのでしょうか・・?もとい、この自問については、これまで何度も繰り返してきましたので、その不毛さには既に慣れてはいますが、同時に、私はこの繰り返しの自問を通じ「文章を書けるようになってきた」という、ある種の「身体化された感覚」をも得ることが出来たと云えますので、たしかに、この自問は観念的には不毛であったとは云えますが、他方で、身体化された感覚の知覚という点において、この自問は、定型化された適切な探針であったのではないかと現在では思っています。

さて、おかげさまで一昨日投稿の「20210205 時代精神の背景にある歴史意識について思ったこと」も思いのほか多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。こちらの記事では「ホンモノの興味が大事である」といった主旨を述べましたが、一方で、これは個々人が自身の思う事を正直に表明・告白するといった文化習慣がないところでは、その延長上とも云える個人内面での率直な自問自答を行うことは困難となり、そこから、自身内面にて抱いている思いや考えに対しての知覚、つまり、自分自身が持つ考えを自分のコトバにて表明することも困難になり、そして自分自身の「ホンモノの興味」もまた感知することが難しくなり、そこから、自身内部にある「ホンモノの興味」を自我の無意識の領域に埋没させたままになってしまうのではないかと思われます・・。

このことは2015年頃の自身を鑑みますと、大変身につまされるものがあり、そして現在においても悩ましいものがあると云えます。また、冒頭でのブログ記事作成の進め方においても同様であり、やはりどのようなものであれ、文体の獲得のためにも「ホンモノの興味」を知覚できるための率直さ(言語≒意味の感覚)が重要であるのではないかと思われますが、さて、如何でしょう?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!







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2021年2月5日金曜日

20210205 時代精神の背景にある歴史意識について思ったこと

 おかげさまで、一昨日投稿の「時代精神を人工的に再現する様式としての映画作品について思ったこと」は思いのほかに多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

さて、ここでも以前からの続きにて「時代精神」や「地域性」について述べましたが、これらは、ある程度の期間、その対象となる時代や地域に向き合い続けないと、知覚することが困難な性質を持ち、さらに、これは運動神経などのように、個々人の性質による向き・不向きといったものが顕著にあるように思われます。

他方で、我々が学校で学ぶ履修科目の中には「時代精神」や「地域性」などについての学びとも云える日本史、世界史そして地理といった科目があります。しかしながら、そうした学ぶ機会がありながらも、我が国においては多くの場合「時代精神」や「地域性」についての能動的な学びまでには結びつかず、何やら実態を伴わない「お題目的なもの」になり下がっているように見受けられます。

そして、その理由とは端的に、社会において、それらについてのホンモノの興味を持っている人々が少ないからであると思われます。またさらに、そうした状況に多数派による同調圧力も加わり、その結果、さきに述べたような状況へと至るのではないかと思われます。

この状況を異言してみますと、社会の公的なレベルでの発言においては「歴史や地域独自の文化などは大変重要である。」としておきながら、それらを実際に公的な機関(私立・公立問わず教育機関)にて学ぶ際には、学習科目として扱われ、その習熟度は、テストによって判断されるようになります。そうしますと、本来、生きたものであると云える「時代精神」や「地域性」は、我々の精神には作用しなくなり、それらは単によく分からない観念やコトバの寄せ集めのように感じられていくのではないかと思われます。

そうした中、それらが履修科目であろうがなかろうがあまり関係なく、学ぼうとする方も、ごく少数ながらいるようであり、多くの場合、そうした方は、学生時代を過ぎた後でも、その自転運動を止めようとはしないように見受けられます。

他方で、そうしたごく少数の方々も含めた殆どの方々は、学生時代を過ぎますと「時代精神」や「地域性」とは決して近しいとは云えない、営利の世界に入って行きます。そして、その世界での実質的な正義とは「経済力」であり、それはそれで、たしかにとても重要ではありますが、しかし、そうした正義を調整あるいは相対化するものとして「時代精神」や「地域性」が本来は存在するはずであると云えるのですが、どうしたわけか、そうした思考段階での結び付き・融合は、殆ど生じることはなく、片方が他方をマウントし貶めていくというのが、必ずしも視野が広いとは云えない我々の持つ、変えがたく、そして悲しい性であるように思われます・・。

また、この中で「時代精神」とは、その背景もしくは基層に「歴史意識」が存在する感覚であると考えますが、この「歴史意識」については、以前、当ブログにて抜粋引用した文章に以下の記述があります。

「日本人に「歴史意識」が薄いというのが真理であるならば、他方で歴史観における強さをいうことは虚偽でなければならない。(あらかじめいえば、私はそのとおりだと考える。)」

ここでは日本人は歴史意識が希薄であり、それに代わり「擬歴史意識」があると述べています。この「擬」とは「まがい物」という意味であり、それは具体的には、本当の歴史について知り、そこから生じる意識という意味ではなく、たとえば「マンガ・アニメなどの架空世界におけるそれらしいもの」といった意味であるものと考えます。

つまり、我が国では、ホンモノの歴史意識の代わりに、こうした「擬歴史意識」が繁茂しているといった様相を呈しているではないかと思われます。

そして、その淵源について考えてみますと、おそらくは近代以前に遡り、あるいは「太平記」さらには「平家物語」の頃にまで至るのではないかとも思われますが、詳細については未だよく分かりません。

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2021年2月4日木曜日

20210203 時代精神を人工的に再現する様式としての映画作品について思ったこと

今回の記事投稿により、総投稿記事数が1470に到達します。そうしますと当面の目標としている1500記事への到達までは残り30記事となります。またさらに今後も、概ね2日に1記事のペースにて投稿を続けますと、2カ月程度にて達成出来る目算が立ち、来る4月中には、どうにか達成出来るのではないかと思われてきます。とはいえ、これまでと同様、必ずしも目算通りにコトが運ぶとは云えませんので、この先も、あまり意識せず肩の力を抜いて、今しばらく記事作成を続けていきたいと思います。これまで読んで頂きました皆様、どうもありがとうございます。また、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

さて、前々回、前回の投稿記事では「時代精神」また「地域性」について書きましたが、ハナシを更に具体的にしますと、これら「時代精神」や「地域性」を人工的に再現した典型的な表現様式が「映画」であると云えます。

また、特に過去の歴史に属する出来事を扱った映画作品においては、殆どの場合、作品の舞台となる時代当時の世界を再現していますが、その再現を精確に行うための職が「時代考証」と云えます。そしてまた、おそらく、この「時代考証」は、凝ろうと思えば、どこまでも凝ることが出来ることから「映画作品の舞台となる時代を高い再現性にて撮りたい」と監督・スタッフが意気込んで取り組んだ作品とは、観客として観ていても、自然と、その意気込みが伝わってくるように思われます。

その意味において、かつての大作ハリウッド映画などは、画面のデジタル加工技術があまり進化していなかったこともあり、膨大な数のスタッフと巨大なセットにて撮影しており、そこから、現在では存在しない歴史上の世界を創意工夫して、意欲的に再現したことが観て取れ、それはそれで圧巻の世界観と云えます。

他方で、撮影に用いるセットなどの大道具あるいは小道具による歴史の再現性と同様、用いる言語などを努力して当時の再現を試みた作品もあり、それもまた大変意欲的であり、当時の世界観を感じさせられると云えます。

そして、この映画作品での「時代考証」にもまた、世界規模での地域性があり、それは「歴史」が古くから学問として確立している地域においては、やはり、それなりの注意が払われているように見受けられます。その意味において我が国は、ある種独特であるように思われます。それはマンガ・アニメ文化による影響であるのか分かりませんが、おそらくは、太平洋戦争後の1945年から現在に至るまでの我が国の主要公開映画作品を、いくつかの要素にてカテゴライズしてみますと、そこから、何かしら特徴的とも云えるものが明らかになってくるのではないかと思われます。また、それを他の国での主要映画作品に対しても行い、それら特徴的なことがらの相違を比較検討してみるのも、それはそれで面白く、意義深いのではないかと思われましたが、さて如何でしょうか?

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2021年2月3日水曜日

20210202 昨日の続き「時代精神」について思ったこと

おかげさまで、直近投稿の「記事作成時の脱主体化(没頭)と「時代と繋がっている」というについて」は思いのほか多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

さて、この記事にて述べた「時代精神」ですが、それは、ある地域、ある時代において特徴的な諸要素を総合的にとらえたものと云えます。また、思うにそれは、論文のような硬質な文体では的確に表現することが困難なものとも云え、あるいは実際に、ある時代精神を認識することを試みる場合、その時代を扱った論文を読み込むよりも、同時代に著された物語、小説などを多く読み込むことによって、より的確に認識することが出来るのではないかと思われます。

そして、そうした経験がある程度蓄積しますと、自身内部に、その地域・時代において独特な雰囲気のようなものが醸成されてきます。この雰囲気とは他面において、その地域・時代を扱った文物を鑑賞・観察する際の評価基準ともなり得るものでもあり、それに基づき考えたことを基礎として、なおもその地域・時代について考えていきますと、その評価基準はさらに洗練され、そして、その地域・時代に実際には存在していないにも関わらず、観念的ではあるのですが、そのさまざまな様相を(的確に)知覚することが可能になるのだと思われます。

また、私見ではありますが、端的に、さまざまな歴史や地域を対象とする(ホンモノの)研究者とは、この独特な雰囲気・評価基準を我が物とされている方々を指すものと考えます。

そして、そうした方々について考えてみますと、自然と想起されるのか、以前、当ブログにて抜粋引用した小林秀雄氏による以下のコトバです。

「だから伝統というものをキャッチすることのむずかしいことは、いま決して伝統なんてものはなくなっちゃったからではないのだな。むしろ、伝統を経験している人々がいるか、ということに気が付くと、これが大事なんだな。
どこに捜すこともない。ただ、ふつうの書画好き、道具好きのなかにいるのですよ。
いわゆる書画骨董の世界というもののなかに、たいへん、なんというか時代錯誤的な、たいへん複雑な形で現に生きているのです。断っておきますが、時代錯誤的なものというのは、知的な評価なのです。審美的な評価ではない。
伝統が今日も生きているということが時代錯誤と見えるのは、傍観者の知的な目です。
好き者には、そんな目はない。伝統を内側から見ますから。そういう目に伝統の命が見えている。これは日に新たなはずのものなのです。
いったんこれを見てしまった人には、これは消そうといったって消えるものではない。そんな不自然なことができるものではない。」

特に最後の二行は自身の記憶に基づいてみましても「たしかにそうである。」と云えます。しかし、そうしたことに対し、あまり興味を持たない(所謂実務的な方面の)方々からしますと、あるいは「得体のしれない、おかしな野郎だ!」と思われ、さらには、現今のコロナ禍によって一層同調圧力が顕著になった我が国社会においては、排除される対象にもなり得ると云えます・・。

そして、考えがこのあたりにまできますと、今度はトーマス・マンによる「トニオ・クレーゲル」作中にて、主人公が久しぶりの帰郷での滞在中、手配中の詐欺師と間違われた件が思い出されるわけですが、こうしたある種、人文社会科学的な素養を持つ(少し変わった)方々に対する社会全般の態度が抑圧の方向に向かって行きますと、その社会とは、おそらく早晩衰亡に向かって行くと考えていましたが、昨今の隣国での事情を知るにつれ、それもまた単純には云い切れないということが分かりました。

ともあれ、そこで不図思ったことは、昨今の我が国においては、本当のこうした方々に代わり、よく分からない芸術家気取りのお笑い芸人の方々が(過分に)幅をきかせていることであり、そして、それを伝統に基づく審美的な視点から批判する言論勢力もまた乏しく、そこから見える実質とは、つまるところ、貨幣が流れるビジネスモデルに有利に参加出来ていれば、別に問題はないといったところであるように思われます・・(苦笑)。

しかし、そうした流路(ビジネスモデル)のなかで「消費されるもの」として作られた種々作品は徐々に劣化してゆき、そしてついには、さきに述べた「貨幣が流れるビジネスモデル」が、伝統に基づく審美的な視点などをあまり考慮されない消費者の方々にも透けてきてしまっているのが、ここ最近の状況といったところではないでしょうか?

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2021年2月1日月曜日

20210131 記事作成時の脱主体化(没頭)と「時代と繋がっている」というについて

 未だ【架空の話】の書き進め方について踏ん切りはつかず、これを書き進めることは出来ませんが、他方で、こうした散文形式の記事であれば、今現在、こうして特に問題なく作成出来ているのはなかなか面白いところです・・(苦笑)。

しかし、以前の2015年の頃は、こうした散文も作成が困難な状態であり、同時に「何か書かないとおかしくなっていまいそうだ!」といった強い焦燥感がありました。

現在考えてみますと、それは「病的」と云っても良い状態であり、思い出したくもない程度に苦しいものであったと記憶しています。そして、私のそうした状況を察しておられたのか、丁度この時期、何人かの方々にブログの作成を勧められました。

当初は「ブログなんて・・」と考えていましたが「同じ時期に互いに面識はないと思われる複数の方々から勧められることにも何かしら意味があるのかもしれない・・」と感じ、当ブログをはじめたのが2015年の6月でした。

そこから現在に至るまで5年8カ月ほど、どうにか続けてきましたが、その間に、こうした公表を前提とする散文は、どうにかスムーズに作成出来るようになったとは云えます。

当初は、それすら困難であったことから考えますと、今後もスランプの波が訪れるとは思われますが、それでも「自身としてはそれなりの進歩」であったと云えるのではないかと考えるところです。

また、以前に作成した、いくつかの記事を読んでみますと、それらは当時生じた出来事・事件などから着想を得て記事作成を行っていたことも看て取れ、そこには自身が作成したものであることから、ある種主体的とも云えて奇妙な感じもするのですが「時代精神」のようなものが感じ取れると云えます。

この「時代精神」は、これまで当ブログにて何度か取り上げたコトバではありますが丁度、昨日から読み始めました新書本の「はじめに」にて、このコトバが取り上げられており、また、その用い方が大変上手いと思われたことから、ここで不図、思い起こされた次第です。

ともあれ、このように自身がかつて作成した文章に「時代精神」を感じられるということは、異言しますと、そこで自身が外界の出来事に対し、何らかの意見を表明したため、そのように感じ取れるのだと云えます。

その理由は、もしも、それが自身内面での想念の記述に終始していたものであるのならば、過去の外界の出来事を想起させる要因には、相対的になり難いと云えるからです。

そして、そこに何と云いますか、こうした公表を前提とするブログなどの「意味」といったものがあるように思われるのです。

その意味とは、自身の外界に生じている何らかの大きな出来事を認識し、それについての自分なりの評価を文章にて著し、公表し続けることにより、少し劇的とも云える表現になりますが「自分が時代と繋がっている」といった感覚が生じるということです。

こうした感覚は、現在となっては、ほぼ所与に近くなってしまったと云えますが、思い返してみますと2016・2017年頃、暗中模索とも云える状態にて(寝落ちしそうになりながら)書き続けていた時期は、そうした感覚を得ることも少なかったと云えます。

その後、昨年あたりから、どうしたわけか、こうした感覚が徐々に生じてきたと記憶していますが、それは考えてみますと、ある種の「脱主体化」であるとも云えます。この感覚は文章作成時の没頭している際の感覚でもあるとも云えるため、ここ「公表を前提とした外界の出来事について述べた文章」には、更に深い(個別的であるのか普遍的であるのかも分からない)「何か」があるように思われますが、それをまた言語化するためにも、今しばらく記事作成を継続する必要があるのだと思われます・・。

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2021年1月29日金曜日

20210129 対話形式・独白形式・物語形式にて、これまでブログ記事を作成して思ったこと

 本日の首都圏は気温が上がらずに寒く、風の強い一日でした。他方で日照時間は以前と比べますと、いくらか長くなっていると感じられますので、春の到来まで、今しばらくといったところでしょうか・・。

私の方は依然として欝々としておりますが、おそらく、これは季節性のものであり、暖かくなってきますと徐々に気も晴れてくるものと思われます。また、こうした「気分」は自身が作成しているブログ記事にも影響があるようで、たとえば初夏の頃で活性が上がっている時などは、こうした文章の作成も捗ると云えます。

さて「文章の作成」と書きましたが、これまでに自身は当ブログ記事の作成に対話形式、独白形式、物語形式などを用いてきましたが、個人的な経験として云えることは、対話形式が最も書き易く、ついで独白形式、そして物語形式となることです。また、これは自身の記憶に対する抽象度の程度とも相関があり、はじめの対話形式は、記憶にある会話をほぼそのまま文章化したものであり、個人特定要素を除外あるいは変更しただけの私の記憶と云えます。次の独白形式は、それまでの記憶の蓄積と、さらに追加された新たな記憶(実体験・読書など)が化合、そして抽象化され文章となったものであり、さきの対話形式と比較しますと、多少抽象度が上がっていると云えます。そして最後の物語形式は、実際の記憶に基づいた物語の作成であるならば、さきの対話形式に近いものとして作成することも出来るのではないかと考えられますが、ある程度の期間にわたる記憶を対話形式の文体のみで書き進めることは困難であり、やはりそれは「物語」として書き進める方が良いと云えます。そうしますと、作者の生の記憶をそのまま物語とすることは、その記憶の種類にもよると思われますが、往々にしてそれは過分に生々しいものであるのだと云えます。

そこで、実際の記憶に概ね基づくものではあるものの、それに架空の要素を追加したり、変更を加えることにより、記憶は物語として変換・整理され、そして文語・口語の何れであれ、書き易く、またさらに二次的にも記憶され易くなるのではないかと思われます。

おそらくこの、記憶から物語化へのセンスは、人によって異なると思われますが、同時に地域や国によっても同様であり、様々な国、地域での神話や民話などの背景にも、そうした事情が関与していると思われます。さらに、そうした神話や民話を題材とした絵画や造形物などの二次創作物を起源として、新たな記憶そして物語が創造されていくのではないかと思われます。

そうした中、現在の私は、この実際の記憶から物語への変換のところで「果たしてこれで良いのだろうか・・」と悩んでおり、そこからは一種の「踏ん切り」のようなものが必要であると思われ、もう少し暖かくなってきましたら、その契機が訪れるのではないかと思われます。

しかし、不思議なものであり、このような通常のブログ記事であれ【架空の話】であれ、作成している時は没頭しているためであるのか、いわば脱主体化しており、端的にはこの状態にて【架空の話】の続きを作成出来れば良いということになるのですが、それが我が事ながら、なかなか難しいのです・・。

【人は真に創造的になっている時には決して自己を客観視出来るものではない。】たしか小林秀雄

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2021年1月28日木曜日

20210128 時代の先導者達は当初、必ずしも皆カッコいいわけではない・・

 つい先日、現在勤務医をされていて、かつて某大学歯学部某研究科の准教授をされていた先生(歯科医師)と話す機会があり、そこで「医科の中でも歯科はどうも国内に留まって視野か狭くなってしまいがちなんだよね・・。だからこそ、常に新しいものに挑戦した方が良いと思うのだが、何ていうかな、ある程度お金を稼げてしまうからか、それがなかなか難しいのだよね・・。」といった主旨のことを話されましたが、これは歯科医師の先生方については、少なくとも間違いではないと思われます。

そして本日の朝、かねてよりお世話になっている分野横断型で学究肌の先生(開業歯科医師)から「新しい動画を作成したから見てね。」という内容のメッセージが届いたため、早速視聴させて頂いたところ、その動画には、かねてより学会などを通じて面識があり、これまたお世話になっている先生(歯科医師・数年前まで某老舗歯科大学某講座講師)が登場され、歯科関連の新商品の説明をされていたことに吃驚しましたが、アカデミアでの活動の枠にとらわれず、現時点では決して正統とは云えないこうした活動を、おそらくは楽しみながら出来てしまう行動力や気力そして、それが出来る環境には頭が下がりますが、こうしたことが、冒頭の先生が仰っていた「常に新しいものに挑戦した方が良い・・」の実践的な具体例であるように思われました。

とはいえ、冒頭の先生と動画の両先生とは、直接の面識はないはずであるため偶然であると思われるのですが、であるからこそ、自身としてはより面白く感じられました・・。

おそらく、こうした挑戦的な活動は、歯科医療分野においても日々為されていると思われますが、そうした活動がより多く行われ、そして知ることが出来るのは、現時点では、やはりここ首都圏であると思われます。しかし同時に、こうしたブログや、さまざまなSNSなどの情報伝達手段の発達により、そうした活動はより、国内外各地に伝播し易くなり、そして相互作用もまた生じ易くなってきているのではないかと思われます。

その中で、自身がこれまでどうにか継続している当ブログは、小さな存在であるとは思いますが、それでも、そうした新たな次の時代への胎動とも云える活動をいくつかでも紹介出来、あるいは一つであっても未来を予見することが出来ましたら、何と云いますか、自身がこれまで述べてきました「歴史的文脈そして教養の重要性」を自らの活動によって証明することが出来たとも云えますので、それはそれでアカデミアでの正統な人文社会科学研究者の方々に対しても多少は顔向け出来るのではないかとも思われます・・。

今現在、未だコロナ禍の中にある我が国社会ではありますが、今後これが収束し、そして自身のブログ記事作成期間が丸6年となり、そして総投稿記事が1500記事に到達しましたら、また、西日本のアカデミアや歯科医療機関での新たな面白い挑戦的な活動を見学させて頂き、何かしら記事のようなものを作成出来ればと考えています・・。

しかし、そうした願望を持っている私ではありますが、今現在は以前にも書きました通り、欝々としており、必ずしも活気のある状態とは云えません・・。そして、ここまで書きますと、昨日投稿の記事内容が思い出されるのですが、その記事での主張は必ずしも間違っておらず、女性が有形無形の応援によって活力・活動をアクセレートさせる男性の種類の選択を誤りますと、さまざまな人災・天災が生じ、結果として、その地域・国は衰退に向かって行くとのだと云えますが、その観点から現在の我が国における様々な状況を考えてみますと、それは必ずしも「良い」とは云えないように思われるのですが、さて如何でしょうか?

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