12月に入りしばらく経ち、ここ徳島でも「寒い」と感じる日が多くなってきました。こうした日はやはり、あまり遠出せずに、屋内で読書などをしている方がしっくりきます。
さて、以前投稿のブログにて書きましたが、現在もまた、いくつかの書籍を読み進めており、その中の一つである岩波書店刊 岡義武著「明治政治史」下巻は、二百頁過ぎ、全体の半分程度まで読み進みました。おそらく、この調子にて読み進めますと、年内には読了に至ることも出来るかもしれません。また、当著作を読んでいますと、これまでに読んだ、同時代を扱った著作をあらためて読んでみたくなってきますが、こうした思いを読み手に生じさせる史書は、やはり優れた著作であると思われます。くわえて、これまで当著作を読み進めていて大変面白かったことは、自身が六年前の二〇一三年に、フェイスブック上にて陸奥宗光著「蹇蹇録」内の記述を抜粋引用したことがありましたが、そのまさに抜粋引用部とほぼ同じ箇所が当著作においても記されていたことです・・。
こうしたことは、やはり偶然の一種であるとは思われますが、それでも自身が当時の国内情勢を知るために適切であると考え、抜粋引用した箇所が、史書においても引用されていたことは、自身が、そうした目利きが出来ていたのではないかと、多少嬉しくなります(笑)。
とはいえ、休日などに書店に行きますと、多くの新刊書籍が並び、それら著作の題名を眺めていますと「教養が身に付く~」「これを読めば大人の教養が身に付く」といったものが比較的多く見受けられますが、おそらく、少なくとも人文社会科学系の教養といったものは、自然科学系の合理性に基づく思考とは、何かしら異なる性質を持っているのではないかと思われるのです・・。
つまり、人文社会科学系の教養といったものは、一般的に、職業上必要不可欠な知識体系とされないことが多いことから、必要に迫られたものでなく、より、その人が持つ素の性質によって、どこまで取り組んできたかが理解され、それが、何と云いますか、その人が持つ「文化」あるいは「味」のようなものと認識されるのではないでしょうか・・。
それ故「教養を身に付ける」といった言語表現自体に対しても、多少違和感を覚えてしまいます・・。おそらく、教養といったものは意識して身に付けるようなものでなく、あくまでも自然と(知らぬ間に)身に付いていたものが本当ではないでしょうか・・。
そして、こうした「教養」に対する一般的な認識もまた、以前、ブログにて書いた「明治期の意識的なそして急速な西欧化」に連なる、あるいは関連があるのではないかとも思われるのです・・。
おそらく、こうした、いわば演繹的な思考が多く為される社会、あるいは異言しますと、先ず、何らかの大前提が設定され、そこから個々要素の判断を行っていくといった思考の流れが主である社会、そして、そうした社会にある組織全般は、概ね速やかに硬直化していくといった傾向があるように思われます・・。
そして、そうした社会・諸組織の速やかな硬直化を和らげるためにも、個々人の能動性に基づいた自然な姿の教養の意味・価値といったものがあるように思われるのですが、これは、我が国社会全般においては「個々人の自然な能動性にはあまり価値がないとされ」また「実学に分類することが出来ないことから、人文社会科学系学問はあまり価値がない」とされ、軽視され、そして、現在の社会になっているように思われます・・。
また、その意味で夏目漱石による「現代日本の開化」などは今なお、大変興味深い著作であると考えます・・。
2019年12月8日日曜日
2019年11月30日土曜日
20191129 「三酔人経綸問答」作中 豪傑君と初期国粋主義者について・・
先日から読み進めていた石光真人編 石光真清著「石光真清の手記」最終第四巻「誰のために」を一昨日読了しました。また、一連の当著作と、ほぼ同時期から読み進めている岡義武著「明治政治史」上下巻は、昨日から下巻に至り、現在これを読み進めています。そして、これら著作を同時に並行して読むことは、自身の感覚としては効率的な理解を深めるものであると云え、さらに並行して読み、以前に読了した、同著者による「近代日本の政治家」、平井晩村編 岡本柳之助著の「風雲回顧録」そして橋川文三著「幕末明治人物誌」なども大変興味深い著作と云えます。
また、以前にも取り上げたことですが、これら著作にて取り上げられている、さまざまな人物を、それぞれの特徴的なエピソードから、中江兆民著「三酔人経綸問答」にて描かれているモデル(南海先生・洋学紳士・豪傑君)に当て嵌めてみようと試みますと、おそらく概括的には為されると思われますが、やはり、それぞれの細部については不十分であるように思われます。
その中で、現代において特に評価が困難であるのが、明治期から太平洋戦争期に至るまで、さまざまな分野に対して影響力を保持していた頭山満であると思われます。頭山満は我が国近現代の国粋・国家主義の始祖的な存在とされており、また、西南戦争後から1945年の敗戦までは各界に影響力を行使する黒幕・フィクサー的存在として、そして戦後以降は、社会から忌諱される暴力をも辞さない右翼組織の総元締めといった一般的な認識であると思われます。
こうした存在は、さきの中江兆民著「三酔人経綸問答」での分類にしたがいますと、当然の如く「豪傑君」に分類されると思われますが、しかし、その行ってきた事績、交友関係などから、そのキャラクターを多少仔細に考えてみますと、そこまで単純化(簡単な分類)は出来ないのではないかと思われてくるのです・・。
より精確に述べるならば、頭山満を含む我が国の初期国粋主義者達の多くは、西南戦争にて敗北した西郷隆盛をはじめとする、古来から続く所謂、我が国の戦士階級(侍・武士)勢力の後裔と評し得るものと考えます・・。
そして、おそらく、この認識(豪傑君をモデルとする初期国粋主義者達への)こそが評価の分岐点であると思われ、以前も当ブログにて何度か取り上げている丸山眞男と、その弟子にあたる橋川文三では、その点において認識の仕方が少なからず異なっていると云えます。
その原因は、おそらく、端的には両者の研究スタイルや人生経路の違いなどがあると思われますが、この点については、また後日、それぞれ著作からの抜粋引用を以て提示し、そして何かしら意見を述べようと思います。
また、ここが現在、貨幣、経済的指標以外の明確な価値観といったものがなく、混迷しているとも評し得る我が国において、意外と重要なことであるように思われるのですが、さて如何でしょうか。
今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設
また、以前にも取り上げたことですが、これら著作にて取り上げられている、さまざまな人物を、それぞれの特徴的なエピソードから、中江兆民著「三酔人経綸問答」にて描かれているモデル(南海先生・洋学紳士・豪傑君)に当て嵌めてみようと試みますと、おそらく概括的には為されると思われますが、やはり、それぞれの細部については不十分であるように思われます。
その中で、現代において特に評価が困難であるのが、明治期から太平洋戦争期に至るまで、さまざまな分野に対して影響力を保持していた頭山満であると思われます。頭山満は我が国近現代の国粋・国家主義の始祖的な存在とされており、また、西南戦争後から1945年の敗戦までは各界に影響力を行使する黒幕・フィクサー的存在として、そして戦後以降は、社会から忌諱される暴力をも辞さない右翼組織の総元締めといった一般的な認識であると思われます。
こうした存在は、さきの中江兆民著「三酔人経綸問答」での分類にしたがいますと、当然の如く「豪傑君」に分類されると思われますが、しかし、その行ってきた事績、交友関係などから、そのキャラクターを多少仔細に考えてみますと、そこまで単純化(簡単な分類)は出来ないのではないかと思われてくるのです・・。
より精確に述べるならば、頭山満を含む我が国の初期国粋主義者達の多くは、西南戦争にて敗北した西郷隆盛をはじめとする、古来から続く所謂、我が国の戦士階級(侍・武士)勢力の後裔と評し得るものと考えます・・。
そして、おそらく、この認識(豪傑君をモデルとする初期国粋主義者達への)こそが評価の分岐点であると思われ、以前も当ブログにて何度か取り上げている丸山眞男と、その弟子にあたる橋川文三では、その点において認識の仕方が少なからず異なっていると云えます。
その原因は、おそらく、端的には両者の研究スタイルや人生経路の違いなどがあると思われますが、この点については、また後日、それぞれ著作からの抜粋引用を以て提示し、そして何かしら意見を述べようと思います。
また、ここが現在、貨幣、経済的指標以外の明確な価値観といったものがなく、混迷しているとも評し得る我が国において、意外と重要なことであるように思われるのですが、さて如何でしょうか。
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ISBN978-4-263-46420-5
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歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
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2019年11月25日月曜日
20191124 歴史の転換期、社会の変革期と「貴種流離譚」について
先日来から読み進めている石光真人編 石光真清著「石光真清の手記」は、最終巻の第四巻「誰のために」の後半に至り、おそらくここ数日で読了すると思われます。
当著作は歴史資料としても優れ、且つ、ノンフィクション作品としても大変興味深いと云えます。また、当著作を読みますと、山田風太郎による多くの著名人物がチョイ役として登場する開化もの作品が小説としてでなく、実際の物語としても成立し得るものであることを痛感します。
おそらく、著者である石光真清氏は、そうしたことをあまり意識することなく、幼い頃から自分が経験してきた出来事を叙述したものと思われますが、期せずしてか、それは明治維新後から太平洋戦争前の昭和期の歴史をさまざまな現場から描いたものになり、結果として、重要にして興味深い資料、ノンフィクション作品になったと云えます。
これと類似した主題の著作としてロバート・グレーヴスによる「アラビアのロレンス」そして同著者による「さらば古きものよ」などが挙げられると思われますが、当著作は、著者(石光真清氏)の性質からか、あまり飾り立てない率直な文章によって書かれ、また、そうしたことから、かえって期せずして心を打たれるといったことが度々ありました・・。
当著者は、必ずしも世間的な尺度での成功者とは云えませんが、同時に、現在においても九州地域にてしばしば見受けられる、情に厚く、女性に弱く、誇り高く、勇猛果敢でありながらも、あまり器用に世間を渡ることを欲しようとはしない、おそらく本物の熊襲や隼人の末裔であろうと思われる、あるタイプの方々を想起させられます・・。
さらに他の視点にて、当著作および前述した類似する主題の著作について考えてみますと、それは「貴種流離譚」と評することが出来るのではないかと思われました。
素戔嗚尊、日本武尊、オイディプスから源平合戦譚そして、近現代における世界各地の革命に至るまで、歴史が大きく動き、それに伴い社会も大きく変化しようとする時代には、特に、こうした「貴種流離譚」に分類される事象が多く見出されるようになるのではないかと考えます。
そして、そうした視座から国や地域の歴史を眺めてみますと、それぞれの国、地域における古来からの祖形男性像といったものが理解できるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか・・(笑)。
今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

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当著作は歴史資料としても優れ、且つ、ノンフィクション作品としても大変興味深いと云えます。また、当著作を読みますと、山田風太郎による多くの著名人物がチョイ役として登場する開化もの作品が小説としてでなく、実際の物語としても成立し得るものであることを痛感します。
おそらく、著者である石光真清氏は、そうしたことをあまり意識することなく、幼い頃から自分が経験してきた出来事を叙述したものと思われますが、期せずしてか、それは明治維新後から太平洋戦争前の昭和期の歴史をさまざまな現場から描いたものになり、結果として、重要にして興味深い資料、ノンフィクション作品になったと云えます。
これと類似した主題の著作としてロバート・グレーヴスによる「アラビアのロレンス」そして同著者による「さらば古きものよ」などが挙げられると思われますが、当著作は、著者(石光真清氏)の性質からか、あまり飾り立てない率直な文章によって書かれ、また、そうしたことから、かえって期せずして心を打たれるといったことが度々ありました・・。
当著者は、必ずしも世間的な尺度での成功者とは云えませんが、同時に、現在においても九州地域にてしばしば見受けられる、情に厚く、女性に弱く、誇り高く、勇猛果敢でありながらも、あまり器用に世間を渡ることを欲しようとはしない、おそらく本物の熊襲や隼人の末裔であろうと思われる、あるタイプの方々を想起させられます・・。
さらに他の視点にて、当著作および前述した類似する主題の著作について考えてみますと、それは「貴種流離譚」と評することが出来るのではないかと思われました。
素戔嗚尊、日本武尊、オイディプスから源平合戦譚そして、近現代における世界各地の革命に至るまで、歴史が大きく動き、それに伴い社会も大きく変化しようとする時代には、特に、こうした「貴種流離譚」に分類される事象が多く見出されるようになるのではないかと考えます。
そして、そうした視座から国や地域の歴史を眺めてみますと、それぞれの国、地域における古来からの祖形男性像といったものが理解できるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか・・(笑)。
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2019年10月27日日曜日
20191026 奈良と和歌山での出来事から・・
先日投稿の「角を矯めて牛を殺すよりは・・と同調圧力?」もコピペ先のアメーバブログにおいて割合多く読んで頂けていました。これを読んでくださった皆様どうもありがとうございます。
さて、今月初旬は奈良市での開催であったデジタル歯科学会、そしてその翌日は、和歌山市にて開催された恒例の勉強会に参加させて頂きました。
徳島市から奈良市への経路としてすぐに思い付くのは、高速バスにて「なんば」まで出て、そこから近鉄大阪難波駅から同奈良駅へと至る経路であり、先日の奈良訪問も、このルートにて行きました。
とはいえ、奈良への訪問の機会自体が乏しいことから、下車後しばらく駅周辺を所在なさげに徘徊したのち、近くの喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら一休みしていますと、それなりに落ち着いてくるものです・・(笑)。
しばらくの後、店を出て学会会場である市内フォーラムに向かい歩き出してからすぐに、小西さくら通り商店街かどにて「おおい、オマエそこで何やっとる!?」と懐かしい声が聞こえました。そちらの方を見ますと背広を着てネクタイを締めた師匠が立っていました。「ああ、先生どうもお久しぶりでございます!」と近寄って挨拶をさせて頂き、歩き話をしながら学会場に向かいました。
この時、師匠とは特に時間を示し合わせてはいませんでしたので、これは偶然と云えます。
ともあれ、その日はいくつかの所用を済ませ、師匠を宿泊先のJR奈良駅近くのホテルまでお送りしたのち、今度はJR大和路線にて新今宮まで行き、そこで南海本線に乗り換えて和歌山市駅に向かいました。南海和歌山市駅に到着したのは23時頃であったと記憶しています。そして、そこからしばらく歩いて和歌山訪問時によく宿泊させて頂いているホテルに到着しました。
その翌日は、さきに述べました通り、午後から市内にて勉強会が開催される予定となっていました。翌朝はホテルのレンタル自転車に乗り周囲を巡り、和歌山訪問時には概ね足を運んでいる刺田比古神社にも参拝し、そして昼食を摂るべく、以前から(よく)通わせてもらっている中華そば屋に向かい、開店前10分頃に到着しました。すると、そこでは見慣れたことではありましたが、既に数組のお客さんが、店の前で並んでいました・・(笑)。
その後開店し、店内に入り席に着き、注文を通してから少し落ち着いてきますと、向こうの離れた席から「**さん!」と声が聞こえましたので、そちらを見ますと、この勉強会の常連参加メンバーであり、且つ院の先輩である方がいました。おもむろに、先輩は店の方に席を変える旨を伝え、了解を得てから持参のカバンとグラスを持ってこちらの席に移ってこられました。
「いやあ、**さんと、ここで会うとは思いませんでした!」
「ええ、こちらもです。まあ、しかしここの中華そばは美味しいですからねえ・・(笑)。それで先輩は今日は何を注文されたのですか?」
「私は今回はセットを注文しました。」
「おお、そうですか、それも偶然ですね。私もセットを注文しましたが、麺カタの辛めでお願いしました。」
「ほおお、そんな注文も出来るのですか!」
「ええ・・いやあ、それにしても偶然ですねえ・・(笑)。」
「そうですねえ・・本当にビックリです(笑)。」
和歌山では以上のようなやりとりがありました・・(笑)。
これもまた、事前に示し合せたわけではありませんので偶然であると云えます。
さて、こうした奈良と和歌山、2日間にて生じた偶然の出来事は、自身にとってはなかなか印象的ではありましたが、そうしたことが重なることには、何かしら意味すること、示唆するものなどはあるのでしょうか(笑)。
さて、今月初旬は奈良市での開催であったデジタル歯科学会、そしてその翌日は、和歌山市にて開催された恒例の勉強会に参加させて頂きました。
徳島市から奈良市への経路としてすぐに思い付くのは、高速バスにて「なんば」まで出て、そこから近鉄大阪難波駅から同奈良駅へと至る経路であり、先日の奈良訪問も、このルートにて行きました。
とはいえ、奈良への訪問の機会自体が乏しいことから、下車後しばらく駅周辺を所在なさげに徘徊したのち、近くの喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら一休みしていますと、それなりに落ち着いてくるものです・・(笑)。
しばらくの後、店を出て学会会場である市内フォーラムに向かい歩き出してからすぐに、小西さくら通り商店街かどにて「おおい、オマエそこで何やっとる!?」と懐かしい声が聞こえました。そちらの方を見ますと背広を着てネクタイを締めた師匠が立っていました。「ああ、先生どうもお久しぶりでございます!」と近寄って挨拶をさせて頂き、歩き話をしながら学会場に向かいました。
この時、師匠とは特に時間を示し合わせてはいませんでしたので、これは偶然と云えます。
ともあれ、その日はいくつかの所用を済ませ、師匠を宿泊先のJR奈良駅近くのホテルまでお送りしたのち、今度はJR大和路線にて新今宮まで行き、そこで南海本線に乗り換えて和歌山市駅に向かいました。南海和歌山市駅に到着したのは23時頃であったと記憶しています。そして、そこからしばらく歩いて和歌山訪問時によく宿泊させて頂いているホテルに到着しました。
その翌日は、さきに述べました通り、午後から市内にて勉強会が開催される予定となっていました。翌朝はホテルのレンタル自転車に乗り周囲を巡り、和歌山訪問時には概ね足を運んでいる刺田比古神社にも参拝し、そして昼食を摂るべく、以前から(よく)通わせてもらっている中華そば屋に向かい、開店前10分頃に到着しました。すると、そこでは見慣れたことではありましたが、既に数組のお客さんが、店の前で並んでいました・・(笑)。
その後開店し、店内に入り席に着き、注文を通してから少し落ち着いてきますと、向こうの離れた席から「**さん!」と声が聞こえましたので、そちらを見ますと、この勉強会の常連参加メンバーであり、且つ院の先輩である方がいました。おもむろに、先輩は店の方に席を変える旨を伝え、了解を得てから持参のカバンとグラスを持ってこちらの席に移ってこられました。
「いやあ、**さんと、ここで会うとは思いませんでした!」
「ええ、こちらもです。まあ、しかしここの中華そばは美味しいですからねえ・・(笑)。それで先輩は今日は何を注文されたのですか?」
「私は今回はセットを注文しました。」
「おお、そうですか、それも偶然ですね。私もセットを注文しましたが、麺カタの辛めでお願いしました。」
「ほおお、そんな注文も出来るのですか!」
「ええ・・いやあ、それにしても偶然ですねえ・・(笑)。」
「そうですねえ・・本当にビックリです(笑)。」
和歌山では以上のようなやりとりがありました・・(笑)。
これもまた、事前に示し合せたわけではありませんので偶然であると云えます。
さて、こうした奈良と和歌山、2日間にて生じた偶然の出来事は、自身にとってはなかなか印象的ではありましたが、そうしたことが重なることには、何かしら意味すること、示唆するものなどはあるのでしょうか(笑)。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2019年10月22日火曜日
角を矯めて牛を殺すよりは・・と同調圧力?【20191022】
まず初めに、先日の台風19号による被害から未だ復旧していない諸地域の速やかな復旧を祈念いたします。
さて、おかげさまで去る10月13日投稿分の『鹿児島での出来事について(変性意識?)』がコピペ先のアメーバブログにおいてランクインしました。これを読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。
さて、おかげさまで去る10月13日投稿分の『鹿児島での出来事について(変性意識?)』がコピペ先のアメーバブログにおいてランクインしました。これを読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。
この『鹿児島での出来事について(変性意識?)』のような、いわば自身の経験を述べた記事がランクインすることは、記事作成者としては、たとえば書籍からの抜粋引用部を記事としたものがランクインすることと比較して、やはり相対的に嬉しく、そしてまた事後の記事作成の意欲にも繋がってくると云えます。
その一方で、ここ最近もまた、いくつか書籍を読んでおり、それら著作内記述も大変興味深と思われることから、現在のような記事作成に際しては、自身の文章あるいは書籍からの抜粋引用何れかで行くのかについて、多少考えてしまいます・・(苦笑)。
最近読み進めているいくつかの著作もまた、歴史を扱ったものであり、そのうちの一つである我が国の近現代を扱った著作は比較的硬質な文体の、どちらかといえば専門書に類するものであると云えますが、この著作はこれまでに読んだ我が国近現代を扱った著作のなかでも、内容的に大変興味深く、また、その著された年代を感じされることが少ないことから優れた著作であると云い得ます。
これまでに私はある程度、さまざまな歴史についての著作を読んできたと考えますが、そのはじまりについてはあまり精確に遡ることは出来なく、少なくとも、文字を知る前の段階から、家にあった写真やイラストが割合多く載った分かりやすい歴史についての書籍を好んで読んでいた(ページを捲っていた)記憶は残っています。
その後、小学生になりますと「マンガ日本の歴史」や「マンガ世界の歴史」といった本を毎日飽きもせずにランドセルに詰めては通学電車内で読んでいました・・。さらには小学校の卒業アルバムに載せた自分のキャッチフレーズには「歩く歴史書」と書いていました・・(苦笑)。
そして、そうしたことを思い起こしてみますと、よくもこの年齢に至るまで、多少断続的であった時期はあるものの、継続して、この分野の書籍を読み続けてきたものであると、我が事ながら多少自分の「頑固さ」を不憫にも思います・・。
また、こうした長年にわたり継続している所謂、比較的強い性質とは、一般的に他面において影の部分も強く・濃く形成するものであり、おそらく自身は、出来ることと出来ないことの差が激しい、あるいは端的に「つじつまが合わない」といったような性質を有しているのではないかと思われます・・(苦笑)。
この性質については、幼少期からボンヤリと思い続け、現在に至り割合明確に思うことは「私は自分のこの性質に合った仕事に就かないとダメだ・・。」であり、また他方で「自身のこの性質(歴史好き)は必ずしも捨てたものではない・・。」といった経験に基づく信念のようなものもいくらかか明瞭化してきたと云えます・・。
小学生の頃から、歴史に関して、本当の興味・関心に基づいて話すことが出来る相手がいなく、中学校では、かなり変わった学生が多い学校に進んだことから、多少その芽は伸びて、そしてその先の高等学校では、かなり自由な校風ではあったものの、自身の歴史に関する興味・関心は、周囲の多くの学生と違うことにより多少浮いてしまい、無理に合わせようとして、より浮いてしまうといったことがあったように記憶しています・・。
こうした状況は大学においても同様でしたが、この時期は運動部に所属していたことから、書籍を好んで読むといったことはありませんでした・・。そして、部活を引退する少し以前、文系師匠と出会い、この時「世の中には私より強烈な方もいるのだなあ・・。」と感心を通り越して感激した記憶があります・・(笑)。
若い時期のこうした出会いは、なかなか重要なものであり、その後も社会において、こうした人物に出会うことなく過ごしていますと、物足りなくなり、そしていよいよ自分がオカシイのではないかと思うようになり「やはり自分は人文社会科学系の大学院に進むべきだ・・」と考えるようになり、周囲と相談し、ある程度の貯金をした後に会社を辞めて試験に備えました。
おそらく、ここまでは、どのようなルートであれ、自身の性質を鑑みるに概ね同じようなルートを辿ったのではないかと思われます。しかし、ここで自身が特筆すべきと考えることは、首都圏のそれまでの自身が慣れ親しんだ文化圏の大学院に進まず、自身がかつて職務にて在住した近畿地方辺縁といえる場所の大学院に進もうとしたことです・・。
それは「それまでの自分は、歴史を知っているつもりになっていたが、実のところ自分の国の古くから続く文化の積層、そしてその表層における現出とも云える、さまざまな民俗文化については、ほぼ何も知らなかった・・。」といった一種の強い敗北感・挫折感のようなものが根底にあったからであると云えます・・。
私のヨーロッパ文化専攻への希望が地域学専攻へと変化した背景にはそうした事情があります。しかし、それが果たして良かったのかどうかは、今以て明確には分かりませんが、結局のところ進んだ近畿地方辺縁の大学院での院生生活や、周囲の方々、そして何より、そこでの読書量などを思い返してみますと、比較的良かったのではないかと思われます・・。
そして、そこでの院生生活を終える頃の私は、完全に、そして不可逆的に現在の私の原型になっていたと云えます・・(苦笑)。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。
上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
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2019年10月20日日曜日
法政大学出版局刊 ジャン・カナヴァジョ著 円子千代訳「セルバンテス」pp.73-75
「われわれが病床においてきたあの火縄銃士はその後どのように行動したのであろうか。彼の戦友の証言は明快である。彼は高熱にもかかわらず戦闘開始の前に甲板に現れた。そして艦長や友人が、彼は病気で戦える状態でないのだから床につくようにとすすめたのに対して、彼は叫んだ。
「中甲板に避難してわが身の健康をいたわるよりは、神と王のためにたたかって死ぬ方がよい(・・・)こうして彼は艦長が命じた大型ボートにおいて勇敢な兵士として戦った(・・・)」
船首に位置するランチは、接近戦においてとりわけ危険にさらされた戦場になる。セルバンテスの勇気には疑いの余地はない。中央の神聖同盟戦闘艦隊が風を利して攻勢に転じたときも、彼は持ち場を離脱しなかった。ドン・ホアンのガレー船は舳先の衝角を取り払い、より直線的で有効な砲弾発射を可能にすると、敵陣に突入した。それ以後陣形を整えた総体的戦術はすべて不可能になった。戦闘はいまや三時間にわたる六万人の兵士の大がかりな肉弾戦と化した。一人の目撃者によれば、「この時点で戦闘は血まみれの恐るべき様相を呈した。海も砲火も一体と化していた。」相次ぐ壮絶な撃突の刻をきざみながら、ドン・ホアンのガレー戦はかろうじてトルコ兵の攻撃から逃れたーこの攻撃を受けていたら、この船は恐るべき殺戮の場となっていたであろう。
われわれの主人公はなんらかの接舷攻撃に参加したのであろうか。彼は、ドン・キホーテが語るあの兵士、二尺の空間に立ち、襲撃中の船首からいまにも海中にとびこもうとしているあの兵士の不安を感じたのであろうか、あの兵士には敵をさけるのに、血で染まった海へのダイヴィング以外の手は残されていなかった。ラ・マルケサ号の損害ー艦長自身も含めて四十名の死者、百二十名以上の負傷者ーから判断してみると、この船はトルコの反覆攻撃にむしろよく耐えたようにみえる。セルバンテスが、のちに栄光の美しい肩書とみなす三発の銃弾を受けたのはこのときである。最初の二発は彼の胸をうった、と戦友の一人が後に述べている。三発目の銃弾が左手を傷つけた。彼はのちに語るだろう、この傷は醜くみえるかもしれないが、しかし、
「彼は美しいと思う、なぜなら彼はこの傷を過去の諸世紀が見てきた、そして未来の世紀がけっして見ることをのぞみえないようなもっとも記念すべきかつもっとも高貴な機会に受けたからである。なおかつ祝福された記憶に鮮やかな、かの雄将カール大帝のご子息の勝ち誇る指揮のもとで戦いながら受けた傷なのである。」
そして彼は晩年にいっそう誇らしげに語っている。
「仮に誰かが今日私のために一つの奇跡を起こしてやろうと提案するとしても、私はあの驚異的な事件に参加せずに、私の傷も癒えた状態にあることよりは、あの事件に参加する方を選ぶだろう。」
こうして、スペイン歩兵隊の優勢のおかげで、戦況が神聖同盟への有利に傾きかかったまさにそのときに、マンコ・デ・レパント(レパントの隻腕兵)が生まれたのである。石弓の矢で傷つき、捕虜によって斧で首を斬られたアリ・パシャの死は戦況の転回点を記したようにみえる。激戦のさなかに、ウルジュ・アリーのバーバリー海賊カレー船が敗走に転じ、ついてトルコ船内の一万のキリスト教徒漕刑奴隷の蜂起がオスマントルコの敗戦に拍車をかけた。午後四時、敗れた敵は潰滅した。勝者は略奪にとりかかった。それは夜までつづいた。戦果はオスマン艦隊にとって過酷なものであった。百十隻の船が破壊されるか流失した。百三十隻が拿捕され、一万五千人近い奴隷が解放された。しかし同盟軍の側でも、勝利の代償は少なくなかった。一万二千人が戦死し、また負傷の結果死亡した。戦死者のなかにはセルバンテスが含まれなかったのは、われわれにとって幸運であった。」
ISBN-10: 4588006894
ISBN-13: 978-4588006890
セルバンテス (叢書・ウニベルシタス)
「中甲板に避難してわが身の健康をいたわるよりは、神と王のためにたたかって死ぬ方がよい(・・・)こうして彼は艦長が命じた大型ボートにおいて勇敢な兵士として戦った(・・・)」
船首に位置するランチは、接近戦においてとりわけ危険にさらされた戦場になる。セルバンテスの勇気には疑いの余地はない。中央の神聖同盟戦闘艦隊が風を利して攻勢に転じたときも、彼は持ち場を離脱しなかった。ドン・ホアンのガレー船は舳先の衝角を取り払い、より直線的で有効な砲弾発射を可能にすると、敵陣に突入した。それ以後陣形を整えた総体的戦術はすべて不可能になった。戦闘はいまや三時間にわたる六万人の兵士の大がかりな肉弾戦と化した。一人の目撃者によれば、「この時点で戦闘は血まみれの恐るべき様相を呈した。海も砲火も一体と化していた。」相次ぐ壮絶な撃突の刻をきざみながら、ドン・ホアンのガレー戦はかろうじてトルコ兵の攻撃から逃れたーこの攻撃を受けていたら、この船は恐るべき殺戮の場となっていたであろう。
われわれの主人公はなんらかの接舷攻撃に参加したのであろうか。彼は、ドン・キホーテが語るあの兵士、二尺の空間に立ち、襲撃中の船首からいまにも海中にとびこもうとしているあの兵士の不安を感じたのであろうか、あの兵士には敵をさけるのに、血で染まった海へのダイヴィング以外の手は残されていなかった。ラ・マルケサ号の損害ー艦長自身も含めて四十名の死者、百二十名以上の負傷者ーから判断してみると、この船はトルコの反覆攻撃にむしろよく耐えたようにみえる。セルバンテスが、のちに栄光の美しい肩書とみなす三発の銃弾を受けたのはこのときである。最初の二発は彼の胸をうった、と戦友の一人が後に述べている。三発目の銃弾が左手を傷つけた。彼はのちに語るだろう、この傷は醜くみえるかもしれないが、しかし、
「彼は美しいと思う、なぜなら彼はこの傷を過去の諸世紀が見てきた、そして未来の世紀がけっして見ることをのぞみえないようなもっとも記念すべきかつもっとも高貴な機会に受けたからである。なおかつ祝福された記憶に鮮やかな、かの雄将カール大帝のご子息の勝ち誇る指揮のもとで戦いながら受けた傷なのである。」
そして彼は晩年にいっそう誇らしげに語っている。
「仮に誰かが今日私のために一つの奇跡を起こしてやろうと提案するとしても、私はあの驚異的な事件に参加せずに、私の傷も癒えた状態にあることよりは、あの事件に参加する方を選ぶだろう。」
こうして、スペイン歩兵隊の優勢のおかげで、戦況が神聖同盟への有利に傾きかかったまさにそのときに、マンコ・デ・レパント(レパントの隻腕兵)が生まれたのである。石弓の矢で傷つき、捕虜によって斧で首を斬られたアリ・パシャの死は戦況の転回点を記したようにみえる。激戦のさなかに、ウルジュ・アリーのバーバリー海賊カレー船が敗走に転じ、ついてトルコ船内の一万のキリスト教徒漕刑奴隷の蜂起がオスマントルコの敗戦に拍車をかけた。午後四時、敗れた敵は潰滅した。勝者は略奪にとりかかった。それは夜までつづいた。戦果はオスマン艦隊にとって過酷なものであった。百十隻の船が破壊されるか流失した。百三十隻が拿捕され、一万五千人近い奴隷が解放された。しかし同盟軍の側でも、勝利の代償は少なくなかった。一万二千人が戦死し、また負傷の結果死亡した。戦死者のなかにはセルバンテスが含まれなかったのは、われわれにとって幸運であった。」
ISBN-10: 4588006894
ISBN-13: 978-4588006890
セルバンテス (叢書・ウニベルシタス)
2019年10月13日日曜日
鹿児島での出来事について(変性意識?)【20191013】
はじめに今回の台風19号による列島各地の被害が小さく、そして被災された方々の日常生活が速やかに復旧されることを祈念いたします。
ここ徳島では、風雨の強い日が昨日12日迄に数日間続き、鉄道・航空などの運行に影響が生じましたが、東日本ほどの大きな影響、被害はなかったと思われます。
さて、本日は休日であることから新たにブログ記事を作成しようと、ここ数日間での記事毎の閲覧者数を確認したところ、去る9月15日投稿分の「自身のことについて(2007~2013年)」が最も多く読んで頂いていました。そして、この記事をあらためて読んでみますと、その後の投稿記事において鹿児島在住時の出来事を主題とする旨を述べていましたので、今回は、それを題材として記事を作成します。
以前の投稿記事にて述べましたが、私は2009年から2013年の歯科理工学実習に携わり、また2009年から2011年は主に実習補助として参加させて頂きました。その間、事情により2010年暮れ頃から2011年の期間に研究室スタッフが急激に減少したことにより、翌2012年の実習では、私がいくつかの実習項目を担当させて頂くことになりました。
とはいえ、2009年からほぼ同様の項目を実習補助の立場であれ現場にて関与させて頂いていた経験から、また、それら項目の担当であった准教授の先生が実習要領を私に(親切に)教えてくださっていたことから、実習担当をさせて頂くことに対しての恐れは、あまりありませんでした。
ただ、実習要領を教えてくださった先生が以前から仰っていた「鋳造や鑞付け実習は、高温の炎を扱い、また多くの学生さんは、おそらく、そうしたものを扱うことが初めてであろうから、とにかく火に関係する事故が生じないように注意しなければならない。」に関しては身の引き締まる思いであったことは記憶しています・・。
これは今でも出来るか不明ではありますが、実習項目概要を説明し、班員全員の試料作製を見届け、そして、それら試料を用いて所定項目の測定を行い、測定結果の講評を行い、レポート作成のための要点(これは班毎にそれぞれ傾向のようなものがあり、そこに(出来れば教科書記述に依拠した)理論的背景を肉付けした説明・仮説のようなものを提示する。)を説明するのは、身を入れて行うと想像以上に消耗するものであり、特に高温の炎を扱うバーナー・遠心鋳造機が設置されたストーン・テーブル周辺での実習工程では、機器から生じる熱気も相まって、汗をかきかき、学生さんの手元と同時に全体の様子も把握していなければならなず自身としてはそれなりに大変なものでした・・(苦笑)。
また、実習工程においては、必要以上に学生さんの手助けを行わないことが重要であり、他方で所望項目の測定に供することが可能な程度の試料を(出来るだけ)人数分作製することは、時として矛盾する要求ともなり、熱気が包む実習現場にて突如考えさせられるといったことがしばしばありました・・。
そして、そうした状況の時、私は一体どのような表情をして対応していたのでしょうか・・。面白いことに、いや、残念なことであるのか、そうした状況での自身の行動・言動については、濃淡はあるものの比較的記憶していると思われますが、肝心のそれを行わせた・言わせた精神状態については、現在において再現(追体験)することは困難であるように思われるのです・・(苦笑)。おそらく、心のギアが異なったところに入っているか、あるいは変性意識のような状態になっていたのではないかと思われます・・(笑)。
ともあれ、そうした状態で、鑞付け実習でのハイライトと云える、バーナーで鑞を液相状態にして、それを母材間隙に流し込む工程を見ていますと、バーナーの炎の状態、そしてその当て方が、極めて重要であることから、緊張しないように少し離れて学生さんが持つバーナーの炎の行方を注視しつつ、時折、意見や助言をして、また周囲の気配を察知し、さらに、時には工程についての質問を受けるようなことをしていますと、自然、若干前のめりのいかり肩になり、表情も多少厳しくなっていたのではないかと思われます・・。
そして、おそらく出席番号から考えて、最初の班での鑞付け実習での、まさにハイライトの際、ある男子学生さんが予想外の慌て方をしたのは、大変印象的であり、また、学生さんの手元のバーナーを注視している際、突如横から「何でそんな目をしているの?」と、ある女子学生さんに言われたことがありました。少し驚いて横を見ますと、その学生さんは手を後ろに組んで、本気でない反復横跳びのように、ぴょんと少し横に跳んで、いたずらっぽい笑顔をしていました・・。
後の方の出来事は、突然の予期せぬ質問であったことから、その場では、はっきり返答することなく、工程が一段落してから、柳田國男や谷川健一の著作にあった鍛冶屋と「目かんち」(古俗語で視覚に障害がある方々)との関係性、さらに古代ギリシャ神話における鍛冶神であるキュクロプス(サイクロプス)も隻眼であったことに共通する溶湯(液相)状態の金属を扱う行為の中で、ある程度普遍的と思われる反応(目を細くする・片目ずつ細くして目の疲労を抑える)をそれらしく述べて、その時の自身の目つきの説明に充てたことを記憶しています・・(苦笑)。
他にも、どうしたわけか、2012年の実習から、最初の班にはじまり、これに類するような出来事がしばしば生じ、またそれらを経る毎に、自身の精神状態も徐々に良くなっていったものと記憶しています。そして、それら出来事と自身の精神状態に、何らかの相関関係があるのか、ないのかについては、科学的な説明・立証は困難であるかもしれませんが、自身は(何かしら)あるのではないかと考えています・・。
そして、その媒介となったものは、これまた谷川健一等の著作にて述べられている地域特有の「セヂ」のようなものではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?
ここ徳島では、風雨の強い日が昨日12日迄に数日間続き、鉄道・航空などの運行に影響が生じましたが、東日本ほどの大きな影響、被害はなかったと思われます。
さて、本日は休日であることから新たにブログ記事を作成しようと、ここ数日間での記事毎の閲覧者数を確認したところ、去る9月15日投稿分の「自身のことについて(2007~2013年)」が最も多く読んで頂いていました。そして、この記事をあらためて読んでみますと、その後の投稿記事において鹿児島在住時の出来事を主題とする旨を述べていましたので、今回は、それを題材として記事を作成します。
以前の投稿記事にて述べましたが、私は2009年から2013年の歯科理工学実習に携わり、また2009年から2011年は主に実習補助として参加させて頂きました。その間、事情により2010年暮れ頃から2011年の期間に研究室スタッフが急激に減少したことにより、翌2012年の実習では、私がいくつかの実習項目を担当させて頂くことになりました。
とはいえ、2009年からほぼ同様の項目を実習補助の立場であれ現場にて関与させて頂いていた経験から、また、それら項目の担当であった准教授の先生が実習要領を私に(親切に)教えてくださっていたことから、実習担当をさせて頂くことに対しての恐れは、あまりありませんでした。
ただ、実習要領を教えてくださった先生が以前から仰っていた「鋳造や鑞付け実習は、高温の炎を扱い、また多くの学生さんは、おそらく、そうしたものを扱うことが初めてであろうから、とにかく火に関係する事故が生じないように注意しなければならない。」に関しては身の引き締まる思いであったことは記憶しています・・。
これは今でも出来るか不明ではありますが、実習項目概要を説明し、班員全員の試料作製を見届け、そして、それら試料を用いて所定項目の測定を行い、測定結果の講評を行い、レポート作成のための要点(これは班毎にそれぞれ傾向のようなものがあり、そこに(出来れば教科書記述に依拠した)理論的背景を肉付けした説明・仮説のようなものを提示する。)を説明するのは、身を入れて行うと想像以上に消耗するものであり、特に高温の炎を扱うバーナー・遠心鋳造機が設置されたストーン・テーブル周辺での実習工程では、機器から生じる熱気も相まって、汗をかきかき、学生さんの手元と同時に全体の様子も把握していなければならなず自身としてはそれなりに大変なものでした・・(苦笑)。
また、実習工程においては、必要以上に学生さんの手助けを行わないことが重要であり、他方で所望項目の測定に供することが可能な程度の試料を(出来るだけ)人数分作製することは、時として矛盾する要求ともなり、熱気が包む実習現場にて突如考えさせられるといったことがしばしばありました・・。
そして、そうした状況の時、私は一体どのような表情をして対応していたのでしょうか・・。面白いことに、いや、残念なことであるのか、そうした状況での自身の行動・言動については、濃淡はあるものの比較的記憶していると思われますが、肝心のそれを行わせた・言わせた精神状態については、現在において再現(追体験)することは困難であるように思われるのです・・(苦笑)。おそらく、心のギアが異なったところに入っているか、あるいは変性意識のような状態になっていたのではないかと思われます・・(笑)。
ともあれ、そうした状態で、鑞付け実習でのハイライトと云える、バーナーで鑞を液相状態にして、それを母材間隙に流し込む工程を見ていますと、バーナーの炎の状態、そしてその当て方が、極めて重要であることから、緊張しないように少し離れて学生さんが持つバーナーの炎の行方を注視しつつ、時折、意見や助言をして、また周囲の気配を察知し、さらに、時には工程についての質問を受けるようなことをしていますと、自然、若干前のめりのいかり肩になり、表情も多少厳しくなっていたのではないかと思われます・・。
そして、おそらく出席番号から考えて、最初の班での鑞付け実習での、まさにハイライトの際、ある男子学生さんが予想外の慌て方をしたのは、大変印象的であり、また、学生さんの手元のバーナーを注視している際、突如横から「何でそんな目をしているの?」と、ある女子学生さんに言われたことがありました。少し驚いて横を見ますと、その学生さんは手を後ろに組んで、本気でない反復横跳びのように、ぴょんと少し横に跳んで、いたずらっぽい笑顔をしていました・・。
後の方の出来事は、突然の予期せぬ質問であったことから、その場では、はっきり返答することなく、工程が一段落してから、柳田國男や谷川健一の著作にあった鍛冶屋と「目かんち」(古俗語で視覚に障害がある方々)との関係性、さらに古代ギリシャ神話における鍛冶神であるキュクロプス(サイクロプス)も隻眼であったことに共通する溶湯(液相)状態の金属を扱う行為の中で、ある程度普遍的と思われる反応(目を細くする・片目ずつ細くして目の疲労を抑える)をそれらしく述べて、その時の自身の目つきの説明に充てたことを記憶しています・・(苦笑)。
他にも、どうしたわけか、2012年の実習から、最初の班にはじまり、これに類するような出来事がしばしば生じ、またそれらを経る毎に、自身の精神状態も徐々に良くなっていったものと記憶しています。そして、それら出来事と自身の精神状態に、何らかの相関関係があるのか、ないのかについては、科学的な説明・立証は困難であるかもしれませんが、自身は(何かしら)あるのではないかと考えています・・。
そして、その媒介となったものは、これまた谷川健一等の著作にて述べられている地域特有の「セヂ」のようなものではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

日本福祉大学
オープンキャンパス
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祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。
上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
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conrad19762013@gmail.com
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