2016年8月24日水曜日

20160824 久しぶりの対話形式

先日知人と電話にて話していた際のやりとりを先ず下に示します。

A「どうですか、最近は私のブログ記事を読んでいただいてますか?」

B「ええ、そこまでじっくりとは読んでおりませんが、一通り読ませて頂いていますよ。
それに時折はなかなか面白いと思わせる記事もありますしね・・。」

A「はあ、それはどうもありがとうございます。
それでBさんから見てどういった記事が面白いのですか?また、それに加えて、記事に書かれている内容の意味は通じておりますか・・?
いや、これは「私の文章の記述の仕方が分かりやすいのであろうか?」という疑問からお尋ねしているのですが・・(笑)。」

B「はあ、なるほど、そうですか・・。
先ず私から見て面白いと思う記事とはAさんらしく文系か理系かよく分からないAさん独特の世界観が述べられている記事が多いかもしれません・・(笑)。
また、記述されている内容に関しては、おそらく理解しているのではないかと思いますよ。」

A「ふうむ・・独特の世界観ですか・・そうしますと何だか私が余程の変わり者のようにも感じてきますが、こうしたことのその実際のところとは、なかなか分かりにくいものです・・(笑)。
それに私個人としては、そうした自覚とは、まったくありませんので・・。
それとBさんが私の書いた文章を理解されているというのは分かるのですが、しかしそれはBさんが実際の私のことを知っているからであると思うのですが・・。」

B「・・私がAさんのことを実際に知っているから、その書かれた文章を理解できるというのは、云われてみますと、なるほど・・たしかにあるのかもしれませんね・・(笑)。」

A「ええ、これまで私もブログ記事という形でいくらか散文らしきものを書いてきましたが、そのような上手く説明ができないような感覚、つまり(自身が)読んだ文章を著した人物のことを直接に見知っていることから、その文章を理解出来るといった自覚を持つという感覚とは、たしかにあると思います。
そして、その端的なものが手紙であり、またそれを文学的な創作の型としたものが、実際、架空の何れであれ書簡形式といったものではないでしょうか・・?」

B「ああ、なるほど、それはたしかに一理あるかもしれませんね・・。
そういえば、Aさんが学位取得後の一頃、やけに手紙、葉書を送ってくださる時期がありましたね・・(笑)。
そして、私としてはその時期にAさんが書かれた手紙、葉書と現在書かれているブログ記事とは、一本の線でつながりますね・・。」

A「・・ええ、何かしら精神の危機的状況に差し掛かる、追い詰められると、私はそのようなこと(手紙、葉書を書く)をする傾向があるのかもしれません・・(苦笑)。
もちろん、そうした状況だけではありませんが、そうした傾向はあると思います・・。
しかし、そうしますと、これまで作成してきた一連のブログ記事も、おそらく同様にその範疇に入り、あるいはそうした状況の産物であるともいえます・・(苦笑)。
しかし一方、現在記している一連のブログ記事とは、そうした状況の産物であるのと同時に、一時的にであるかもしれませんが、そうした状況から私を救ってくれるものでもあるのです・・。
まあ、これもまた多少不思議な感じがしないでもありませんが・・(笑)。
さらにまた、そうした状況がある程度継続することにより触発された「何かを書く」という行為が第二の天性のように自身に浸透そして定着するのではないかと思われます・・。
いや、これは未だ希望的観測の域を出ないハナシではありますが・・(笑)。」

B「・・ええ、たしかにそうしたことは、少なからずあると思います・・。
おそらく私もそれと似たような時期を過ごしてきましたから・・。
それでも、何でもそうであるように適切な分量というものがあると思いますのでAさんのブログ記事作成もそうしたことを多少は念頭に置いて作成するのもまた良いのではないでしょうか・・(笑)?」

A「たしかにそれは仰る通りであると思うところなのですが、しかし、何といいますか、その伸るか反るかの見極めが何においても大変難しいのではないかと思います・・。
ですから、とりあえず次のキリのいい目標である400記事に到達しましたら、また考えてみようと思います・・。
それでも、ここまでブログ記事を書いてきて思うことは、私は基本的に文章を書くことが好きなのではないかということです・・(笑)。」

B「はあ、なるほど、そうですか・・では、とりあえず、あまり無理をしない程度のペースを維持して400記事まで到達されるといいですね。」

A「ええ、ではあまり無理をしない程度に頑張ります(笑)。
また、ここまでブログ記事作成(文章を書くことが好きでいられた)を継続することが出来たのは、書かれた記事を読んでくださる皆様が(私にとっては少なからず)いるからであると思います・・。」

B「まあ、それはたしかにそうでしょうが、それでも、あまり気負わずに書かれた方が面白い記事が書けると思いますので、とりあえずは目標とされている400記事まで駆け抜けてください・・。」

A「はあ、どうもありがとうございます。
それと、今回のこの一連の会話も個人特定の要素を除いて、久しぶりに対話形式の記事とさせていただきます(笑)。」

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの早期の復旧と、その復興を祈念しております。










20160823 投稿記事397記事 ロールモデルの変遷 万世橋の銅像 

本日のブログ記事の投稿により、記事投稿総数が397となり、とりあえずの目標とする400記事まであともう一息といった状況になります。

そして実際にそうなってみないと分かりませんが400記事に到達しますと自身の内面において何かしら変化が生じるのでしょうか・・?
あるいは自身の外においてもまた、何かしら面白いことが生じるのでしょうか?
あるいはまた、双方共に生じるのでしょうか・・?

しかし、たとえ何かしらそうしたことが生じたとしても、それは自身にとって必ずしも良いとは言い切れないのかもしれません(長い目で見た場合をも含めて)・・。

それ故、今後、上に記したようなことはあまり念頭に置かず、ただ出来るだけ無心になり、もうしばらく記事作成を継続しようと思います・・。

とはいえ、ブログ記事作成におけるある程度大きな区切りに近づきますと、やはり多少なりとも、上のようなことを考えてしまうのが自然なのではないでしょうか・・・(苦笑)?(果たして本当か?)

また、不思議なことに、そうしたことを考えはじめますと、そちらの方に想念が奪われる、集中するためか、肝心のブログ記事の着想が思うように浮かんできません・・(苦笑)。

そして、現在記しているこの文章とは、一通りそうした想念に捉われた後「本日分のブログ記事は書籍からの抜粋にしようか・・。」とあきらめ半分に考え始めた頃「いや、それであれば、そうした現在の想念そのものをブログ記事として記せば良いのではないか?」と考えを改め、如上のような次第となっております(笑)。

とはいえ、ここまで記しますと、今度はそこから先の文章が思い浮かばず、一端キーボードから手を離し、ひとしきり何かしらの着想が浮かぶまでボーッとすることになります・・(苦笑)。

また、ここでジタバタして「何かしらの着想が浮かぶのではないか?」と考え、傍らにある書籍などに手を伸ばすことは往々にしてあまり良い策ではなく、逆にその書籍に飲まれてしまい、着想どころではなくなることが私の場合少なからずあるようです・・(苦笑)。

そして、このように文章の着想が浮かぶまでの経過を着想として扱い、それを記していますと、果たして如何なる着想が浮かぶのであろうかと考え、そのままを記しておりますと不図思い起こしたのは、昨日投稿したブログ記事への反応であり、これはまた私にとって新鮮なものであり、下に示す考えがそこから得られました・・。

昨日投稿したブログ記事最終部近くにて「我が国における(一つのそして代表的な)男性像のロールモデル、理想像とは近代の西郷隆盛で終息、終焉したのではないか?」といった意味のことを記しました。

しかし、もしかすると、それは太平洋戦争の敗戦(以降しばらく)まで万世橋のたもとに立っていた銅像のモデルもまたそうであったのかもしれません・・。

とはいえ、この戦後に撤去された銅像の周辺、つまり東京都千代田区には、他にも戦前からの銅像が比較的多く存在し、本日も大山巌、品川弥二郎の銅像の横を通りました・・。

では、なぜこの万世橋の銅像とは撤去されなければならなかったのでしょうか・・?

これには諸説あり、現在なおその確たる背景、真相とは見出されていないようです・・。

あるいはまたその背景、真相とは見出されると面倒な何かがあるのでしょうか・・?

とはいえ、おそらくそこには日本近現代史あるいは我が国国民性の暗部といったものが少なからず隠されているのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございました。

さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの早急な復旧そしてその後の地域、県全体の復興を祈念しております。




2016年8月22日月曜日

20160822 素戔嗚から菅原道真まで・・

昨日記した記事における「大魔神」とは、その造型モデルが古墳時代の埴輪であることは周知の通りであり、またそのことは以前、ブログ記事においても記したのではないかと思われます。

そしてその埴輪の起源について考えてみますと、それはつい先日投稿した記事「山椒・ミカン科・蜜柑・・」内にて記した垂仁天皇の御代であったとされております(日本書紀)。

日本書紀によると、それ以前の時代においては天皇崩御に際し人間が殉葬されていたとのこと(不思議なコトにその証拠はあまり発見されていない)ですが「それは野蛮である。」ということで、出雲に出自を持つ野見宿禰の言を取り入れ、人間の代わりに土製の人形(埴輪)を充てることにしました。

そして、これを機に野見宿禰は苗字(?)を野見から土師(はじ)に改めるように命じられ、またその一族が、さらに後代、菅原と苗字を改め、そこから学問の神様菅原道真が出ました・・。

ちなみにこの野見(土師)宿禰とは、それ(埴輪作成)以前より土器作成を司ってきた一族ではあるのですが、それと同時に我が国の相撲の祖であるとされております・・。

土器作成を司る相撲の祖とは、なかなか面白い組み合わせであると思われるかもしれませんが、これはその出自たる出雲族の祖とされる素戔嗚(すさのお)について考えてみますと意外と納得させられます・・。

といいますのは、素戔嗚(すさのお)は、高天原にて田の畔を破壊したり、溝を埋めたりといった土にまつわる悪行を行い、それら(他にもありますが)が原因で高天原を追放された後、出雲にて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したりと、いわば土いじり、格闘といった双方の要素を兼ね備えていると思われますので・・(笑)。

しかし、そこから時代がくだり、菅原道真までになりますと、古来より一族(野見、土師)が持つ(技術、力技的)要素が希釈され、専ら学問分野においてその名が知られるようになるというのは、なかなか示唆的なことではないかとも思われます・・(笑)。

とはいえ、菅原道真の学問分野における名声とは、一面において、さきの技術、力技的といった男性的な要素に対し、何かしらの変態、転移が生じることにより得られるのではなかろうか・・?とも考えさせられ、また、そのように考えてみますと、妙にハナシの筋は通るのです・・(笑)。

さらにまた、こうしたことを記しておりますと、このハナシの筋道とは、古代より現代に至るまで続く我が国の(一つのそして代表的な)男性像のロールモデル、理想像(?)を示しているのではなかろうか・・?とも考えさせられます・・。

そしてそれは時代精神の変化に伴い、それらが持つ原初的要素(技術、力技的)と洗練された要素(学問、詩歌)とのピークの変化(上下?)を示しながら光源氏、源義経そして最後は近代に至り西郷隆盛あたりで終息したのではないだろうか・・?と考えさせられますが、さて、如何でしょうか・・(笑)。

また、ここまで記しておりますと、不図、岩波書店刊・バートランド・ラッセル著「幸福論」の一節あるいは西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」というコトバを想起しました・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。






2016年8月21日日曜日

20160821 創造性と怪獣・大魔神

本日も特に日中は気温が上がり、蒸し暑い一日でした・・。
また、おかげさまで昨日もまたブログ記事の閲覧者数が1000人に到達しました。

さて、ここ最近の閲覧者の傾向にて多少面白いことは、当ブログとは、これまで主にアメリカ合衆国、日本から閲覧されている傾向がありました。そして、その傾向には大きな変化は見られないものの、ただ、それに加え、西欧からの閲覧者が以前に比べ徐々に増加してきたことです。

ここには如何なる原因が存在するのであるか判然としませんが、あるいは最近共有した動画サイトの動画が原因ではなかろうかとも思われます・・。

また、昨今は、投稿した記事数も今回の投稿にて390代の半ばに達し、400記事への到達も(これまでの道程からすれば)まあ、目前と評しても良い状況になるのではないかと思います・・。

とはいえ、今後もし無事に400記事に到達した場合、その次は一体どうするのでしょうか・・?


とはいえ、おそらく、その後も何かしら記事を書き続けるとは思われますが・・。また、それにくわえて行いたいことは、これまでに投稿した記事の加筆修正です。

これら既投稿記事の中には現在読んでみますと、不適切、言葉足らずとも思われる部分が少なからず見受けられますので、こうした作業とは(多少は)有意義なものであると思われます。

しかし、その際において問題であると思われることは、既存の投稿記事の状態をどうするかということであり、新たに加筆修正した記事に置き換えることが、もしかしたら自然であるのかもしれませんが、同時にそうしたことを(少なからず)行うと、目的は異なるのかもしれませんが、ジョージ・オーウェル著「1984年」での新聞記事作成および修正における記述を思い起こさせるため、どうもあまりいい気持がしません・・・(苦笑)。

そのため、もし既投稿記事の加筆修正を行った場合、オリジナルの記事はそのままにして、加筆修正が為された記事は(201****加筆修正分)と名付け、新たな記事として投稿するのが良いのではないかと考えております。

しかし、そうしますと、今度は「その方法を採ることにより、投稿記事数のより安直なカサ増しを狙っているのではなかろうか?」といった疑念もまた読んで頂いている方々に生じるのではないかと思われます(杞憂であるかもしれませんが)。

しかし、それ(既存記事の加筆修正)ばかりであれば、たしかに問題視される可能性もあると思われますが、それと並行し、新たな記事をも継続して作成するのであれば、そこまで問題視されることもないと考えます・・。

やはり自身としても、何かしら創造性の維持発展は図りたいと考えておりますので・・(笑)。

また「創造性」にて思い起こしましたが、最近は1950年代半ばに第一作が製作された我が国の代表的な怪獣映画の何度目かの改作が公開され話題になっているようですが、個人としては、あの怪獣よりもむしろ「大魔神」の改作を現代の我が国を舞台にして為された方が余程インパクトがあるのではないかと思いますが如何でしょうか・・?

これら怪獣、大魔神に共通する要素として、よく分からない強大な力を持つ何か過去のものが、何らかの契機により目覚め、それが(映画の)舞台となる時代、地域を蹂躙、大暴れするといったことが挙げられます。

一方、異なる要素として、怪獣は本来自然が生み出した「生物」であり、大魔神は古代の人為的な「意図」に基づいて製作された「もの」であることが挙げられます。

そして、もしかすると我々日本人とは、このような恐怖の対象となる存在を何らかの生物として具現化したがるといった特徴、指向性があるのかもしれません・・。(地震のなまず絵等々)

その場合、大魔神とは、元々人為的な製作物(おそらく観念的背景も強い)であるため、それが目覚め、暴れるためには、その起因となる出来事も、必然的にある程度限定された人為的、観念的なものとなるのではないかと思われます・・。

そして、そうであれば、そこから受けるインパクト、恐怖もより限定され、映画作品として観る立場からは一層、第三者的となり、あまり感情移入をする(怖がる)ことが出来ないものになってしまうのかもしれない・・。

また、それに加えて、我が国の戦後より、その傾向がより一層顕著となった自国の歴史(古代を含む)についての無関心といった要素もまた強く存在するのではないかとも考えさせられます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念します。」





20160820 下書きノートにて作成・・

A「本日は所用のため外出した先にて若干空き時間が出来たため、近くの喫茶店に入り久しぶりに本日分のブログ記事の下書きをノートに記すことにしました。

以前は概ね、このノートに下書きを記す方法にてブログ記事を作成しておりましたが、昨今は主に時間的な制限によりPCへの直接入力にて作成しております。

こうしたブログ記事の作成方法の変化により、記された記事の文体、内容に変化は生じるのでしょうか・・?

しかしながら、こうしたことは、ある程度継続してみないと判然としてこないのではないかと思われます。

そして、ある程度継続してみた結果として、その間(下書き・直接入力)に顕著、有意な差異が見受けられないであれば、それはそれで(私としては)新たな発見となり、少なくとも退屈なことではないものといえます・・(笑)。

しかし、その際において重要なことは、結果そのものではなく、そうした現象が判然とするまでの過程、経緯をどのように解釈、理解し、さらにそれを適切に表現することではないかと思われます。
このように記しておりますと、これは思いのほか重要なことではないかと思いはじめました・・(笑)。

また、私がこうしたことを考えるに至ったのは、本格的に実験というものに取り組んだ在鹿児島の頃でした。

一般的に実験を行うに際し、事前に、あるいは並行して類似、関連する他の実験について記された国内外諸文献(先行文献)をあたり、それらの実験、観察結果において、どのようにそこで生じた現象が解釈され、記述されているかを知ることが必須になります。

そして、それを自身の行った実験の過程、結果と比較検討するのですが、実際に実験の全過程を手掛けていますと、概ね、先行文献の解釈、記述に対し多少なりとも疑問が生じてきます。

それは、たとえ実験結果データが示す傾向が類似したものであったとしてもです。

そうしますと、次のステップ、つまり更なる検証の方向、方法が異なってきますので、これ(実験結果の解釈、記述)とは、大変重要な要素であるといえます。

また、次の方向性、更なるステップの方法の検討といったところでまさしく、実験、研究に従事する人のセンス、学識といった背景が顕現あるいは問われるのではないかと思われます・・。

その意味で私が行った実験とは、特にその方向、方法の検討、結果の解釈などにおいては、お師匠からの御意見を多く参考にさせて頂いたものであったため、その際に何といいますか(私としては)異次元的な学識の深さを感じさせられることが多々ありました・・(笑)。

また、それに関連して思い起こすことは、この師匠を含め、これまでに私が見知った物理、理工学系の(おそらく)突出しているであろう研究者の方々とは、概ね一般的な意味で決して(「かつての」をも含む)美男子(ばかり)というわけではなく、また体型も特にスリムといったわけではないのですが、ジブリ映画の「紅の豚」にて主人公が決闘前夜にランプの灯りで機関銃の弾丸を点検しているところを偶然見かけると、何だかカッコよく(豚が人間に)見えたというような感じ、あるいは根源的に、生物の雄(オス)としてカッコいいと感じさせる何かがあるのではないかと思われます・・。

しかしながら、こうしたことの実証とは(少なくとも現在においては)科学的に困難であることから、信ぴょう性がなく、うさん臭く思われがちですが、それでも個人の全体像に付随する「よくわからない何か」とは実際に存在するのではないかと思っております・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」





2016年8月20日土曜日

20160819 読書について・・【書籍 ラッセル著『幸福論』からの抜粋引用あり】

現在三度目の野上彌生子著の「迷路」(上巻)を読んでおります。そして、その記述から、また新たに色々と思う、考えさせられることが出てきます・・。

以前読んだ時においては特に気に留めなかった記述を今回の読書において興味ある箇所として見出すことは、おそらく皆様においても同様に少なくないと思われます。

しかし、同時に、そうしたことが「何故生じるのか?」とは、イマイチよく分かっていない、自覚していないのではないでしょうか・・?

表層的には「それを読んでいる時の自分の心持、感情が変わっているから生じるのであろう。」となるのでしょうが、ではなぜ、どのように自分の心持、感情とは変化するのでしょうか?

また、おそらく、このあたりをも自身の意識などで制御、操作が出来るようになれば、それはそれでスゴイことなのではないかと思われます・・。

また、そう(自身の心持、感情を意識などで制御、操作出来るように)なれば、このようなブログ記事などを継続的に作成することは、おそらく何の苦でもなくなるのかもしれません・・(笑)。

そして、このようなことを記しておりますと、不図、小林秀雄がどこかで述べていた「文章を書く際には間(ま)というものが極めて重要であり、その間(ま)に乗らないと決して文章というものは書けない。」といったことを思い起こしました・・。

なるほど、これはたしかに自身の体験、経験からもその通りであるかもしれません・・。

また、本日のブログ記事を書く際においても、なかなかまとまった着想が思い浮かばず、幾度か主題を変更した結果、上のようなものとなっているのです・・(苦笑)。

そして、その主題にて、この程度まで文章を書き続けることが出来れば、とりあえず自身としては、及第ではあるのですが、同時にそれが読んで頂いている方々(のより多く)にとって面白いものであるかどうかとは、極めて遺憾ながら、また別問題であるようです・・(苦笑)。

とはいえ、どのように才能豊かな著述家であろうと、その著作の最初から最後まで全編が面白いといったものは存在しないのではないかと思われます・・。

そして、もし、そのような著作が存在するとすれば、それは先ほど記した我々が持つ心持、感情の特徴から敷衍しますと、逆説的にあまり深みのない、面白くないものとなってしまうのではないでしょうか・・?

また、それに付随して、深みのある読書の面白さ、楽しさとは、一つに、そういったところに存するのではなかろうかとも思われますが、如何でしょうか?

また、ここから一気に卑近な事情にハナシを移しますと、はじめに記した主題によってここまでハナシをある程度拡張し、引張ることが出来れば、それは自身としては、及第以上ではなかろうかとも思われます・・(笑)。

さらに、ここまで記しておりますと、不図、以前読んだバートランド・ラッセル著岩波文庫刊「幸福論」の一節を思い起こしましたので、下に示します。
PP.68ー70
『偉大な本は、おしなべて退屈な部分を含んでいるし、古来、偉大な生涯は、おしなべて退屈な期間を含んでいた。
現代のアメリカの出版業者が、初めて持ち込まれた原稿として旧約聖書を目のあたりにした場合を想像してみるがいい。
たとえば、家系について彼がどんなコメントをするかを想像するのはむずかしくない。
「ねえあなた」と彼は言うだろう。「この章はぴりっとしていませんな。ほとんど説明もなしに、ただ固有名詞をずらずら並べたって読者の興味を引きつけることはできませんよ。確かにストーリーの冒頭は、スタイルもなかなか見事です。それで、私も初めはすこぶる好ましい印象を与えられたのでした。でも総じて、何もかも洗いざらい語りたいという気持ちが強すぎます。さわりの部分を選び出し、余計な箇所を省いてください。そして、適当な長さに縮まったら、もう一度原稿をお持ちください。」
こんなふうに現代の出版業者は言うだろう。
現代の読者がどれほど退屈を恐れているか承知しているからだ。彼はまた、孔子の古典や、コーランや、マルクスの「資本論」や、そのほかこれまでベストセラーになったすべての聖典についても、同様なことを言うだろう。
このことは、聖典のみにあてはまることではない。
最もすぐれた小説は、おしなべて退屈なくだりを含んでいる。
最初のページから最後のページまで才気がひらめいているような小説は、まずまちがいなく、偉大な本ではない。
偉人の生涯にしても、二、三の偉大な瞬間を除けば、興奮にみちたものではなかった。
ソクラテスも、おりふしは晩餐会を楽しんだし、また、あおいだ毒ニンジンが回りはじめたときも、自分の会話に深い満足をおぼえたにちがいない。
しかし生涯の大部分は、妻のクサンチッペとともに静かに暮らしたのだ。
そして、午後には健康のために散歩をし、もしかすると、途中で二、三の友と人会ったことだろう。カントは、一生涯、ケーニヒスベルクの町から十マイル以上離れたことは一度もなかった、といわれている。
ダーウィンは、世界一周したあと、その後の生涯をずっとわが家で過ごした。
マルクスは、いくつかの革命を起こしたあと、残りの日々を大英博物館で過ごすことに決めた。
総じてわかることは、静かな生活が偉大な人びとの特徴であり、彼らの快楽はそと目には刺激的なものではなかった、ということだ。
偉大な事業は、あまりにも注意を奪い、あまりにもむずかしいので、骨の折れるような娯楽をするためのエネルギーがほとんど残らないのである。例外は、休暇中に肉体的エネルギーを回復するのに役立つような娯楽で、その最もよい例は山登りであるかもしれない。』

さて、このあたりは如何にもバートランド・ラッセルらしい文章であると思われます・・。
また同時に、抜粋引用部前半からは、モンティ・パイソン調の笑いを誘われることから、こうしたことにおかしさを見出す精神とは英国特有のものであるのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本での大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。






2016年8月18日木曜日

20160818 閲覧されたブログ記事から・・

これまでに作成したブログ記事も390を越え、あと10記事の投稿に満たず、どうにか400記事に到達します。
また、以前は366記事(閏年であるため)を目標として定め記事作成を行ってきましたが、それに到達しますと、今度は、その次のキリのいい数として400記事を目標として定め、現在は、その(到達に近い)途中であるといえます。

また、最近は読んで頂いている記事も最近投稿のもののみならず、大分前(たかだか一年程度ではありますが・・)に投稿した記事がどうしたわけか多く読んで頂いていることがあり、こうした現象とは、もしかすると、そこに何かしら現在(さまざまなレヴェルにおける)との関連性の指摘が為されているのではないかとも考えさせられます・・・。

そして、そのようなことを頭のどこか片隅に置き、何かしら文章を記していると、どのようなメカニズムに因るものであるかわかりませんが、つい先日に投稿した「「山鹿灯篭まつり」から・・」のようなことが生じるのではないかと思われます・・(笑)。

とはいえ、このようなことは、決して語義通りの意味で「科学的」であるとは到底いえません・・。

しかし一方において、こうした現象もまた少なからず世の中に存在することは、大抵の方々が理解、納得していただけるのではないかとも思われます・・・。

このようなことは不思議といえば不思議ではあるのですが、同時にそこに偶然・必然いずれかのコトバであれ、それを以って(現象に対し)充たそうとすると「どうも違う・・」、「いや、それだけではない!」といった感じを受けてしまうのです・・(苦笑)。

あるいは、もしかすると、心のそのあたりの動きに「創造性」といったものが脈打っているのかもしれません・・(笑)。

しかし、このようなことを(ボンヤリと)考える(ことができる)ようになった時期とは、私の場合、そこまで古くはなく、昨日のブログ記事における鹿児島在住の頃(特に後半)であったと記憶しております・・。

この時期とは、現在になり考えてみますと、さきに記した「山鹿灯篭まつり」記事のようなことが(比較的)継続的に生じていた時期であり、そして、おそらくそのような(継続的な)現象を自我が感知するところから、一種の自意識の肥大化が生じ、その結果、何かしら精神に(良い悪いは抜きに)変化が生じるのではないかと思われます・・(笑)。

また、こうしたことを現在言語化を試みているということは、次に生じるそれに適切に応対する為であり、同時にそれを「望んでいる」ともいうことが出来ます・・(笑)。

つまりここで重要なことは「それ(自意識の肥大、精神の変化)に適切に応対するということが大事なのであり、それを望むということは、決して悪いことではないのではなかろうか?」ということです。

そしてそのように考えてみますと、反語的に在鹿児島時代の私とは「それ(自意識の肥大、精神の変化)に適切に対応出来ていなかったのではないだろうか・・?」と考えさせられるのです・・。

あるいは、そうしたこともまた、当時の私は薄々ながら感じ取っていたのではないかとも思われます。

そして、何れにせよ、どうにかそれ(自意識の肥大、精神の変化)に押し潰されず生きてこれたことに対し薩摩、鹿児島の風土そしてその地域社会そしてそこでお世話になった人々(鹿児島が地元でない人々をも含む)に対し、少なからず恩義を感じざるを得ないのかもしれません・・。

ともあれ、以降もまたしばらく記事を書き続けます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。