2016年1月17日日曜日

20160117 ホラー映画の怖さについて

A「先日久しぶりに市川崑監督で渥美清主演の「八つ墓村」の動画を少し観たのですが、ああした映画の舞台背景とは、私が幼い頃に見た風景、景色に近いものであり、何となく入り込めるのですが、一方最近の邦画などでは、どうもそれが難しいような気がします・・。
単純に時代が変り、風景の構成要素も変ったのだと思いますが、どうもこうした感覚をおぼえると自分の年齢、年代などを意識してしまいますね・・まだ、そんな年ではないはずなのですが(苦笑)。」

B「ええ、ああいった映画でも自分が実際に経験したものに近いと、その風景の空気の香りなど色々な要素が想像できて、そこから映画の内容に入り込み易くなりますよね・・。
私もその作品は幼い頃に観ましたが、当時の私にとっては、ほとんどホラー映画でしたね(笑)。」

A「それは私も同じ経験を持っております。
しかし、そういわれますと邦画のホラーは、洋画のそれに比べ、まだ面白いというか怖いと感じるものが多いような気がします。
そうしますと、恐怖という感情とは、もしかしたら、文化の東西で違い、そのことから我々はやはり日本人であることを自覚するのかもしれませんね・・。
ちなみに私が邦画で「これは怖い」と感じたのは前世紀末に制作された「女優霊」という映画でしたが、これは今観ても多分かなり怖いと感じると思います・・。
洋画でしたら、スティーブン・キング原作でスタンリー・キューブリック監督の「シャイニング」という作品が怖かったですが、この怖さはどちらかというと邦画のそれに近いのではないかと思います。
加えて、この映画作品に描かれる周囲の環境により主人公が徐々に狂気に陥っていく過程とは、シェイクスピアの「マクベス」にも通じる要素があるのではないかと思います・・。
また、そのように考えますと、この「マクベス」を原作とした黒澤明監督の「蜘蛛巣城」も時代劇ではありますが、同時に一種のホラー映画としても見ることができるのではないかと思います。」

B「・・ううむ、たしかにホラー映画に関しては私もまだ邦画の方を支持しますね。
その「女優霊」はまだ観たことがありませんが、たしか「リング」と同じ監督で、その出世作といわれるものではなかったですか?
また、映画「シャイニング」と「マクベス」あるいは「蜘蛛巣城」の間における恐怖の質の類似性とはなかなか面白い指摘ですね・・。
それらは実際誰にでも生じる可能性があるという意味で説得力があり、また、どれも物語冒頭においては主人公は謹厳実直、真面目なキャラクターとして描かれているのですが、それが徐々に狂気に陥ってゆく過程、そしてその先にある悲劇がこれらに描かれる恐怖の本質なのではないでしょうか?
しかし、そう考えてみますと、こうした悲劇性および恐怖の質とは、文化の東西を問わず古代神話の時代から受け継がれているものではないかなあ・・?」

A「・・・たしかにそうですね。
では、これらの恐怖の本質とは案外普遍性があるのかもしれませんね・・。
そうしますと、我々が感じる恐怖の感情における東西文化の相違とは、気のせいであるのかもしれません・・。
いや、しかしホラー映画におけるそれを考えてみますと、やはり邦画、洋画間に何かしら違いがあるのではないかとも思えますが・・。」

B「ううん、それは全般的に恐怖を感じさせる要素が観客にとって明示的であるか暗示的であるかといった違いではないでしょうかね・・?
邦画ホラーにおいては心霊、幽霊などの存在は暗示的であることが多く、それに対し洋画ホラーにおいてはジョーズや様々なモンスターと同様、その存在が明示的というか具体的存在が強調されるものが多いのではないかな。」

A「・・なるほど、そしてそう考えますと前に示した「シャイニング」、「マクベス」そして「蜘蛛巣城」における恐怖の質とは概ね暗示的であり、その意味において日本の伝統的な怪談に近い要素があるのかもしれません。
しかし一方において、そういった暗示的な恐怖とは、少なくとも洋画ホラーにおいては、主流ではなく、あるいは多く見受けることが出来ず、逆に邦画ホラーにおいては、概ね主流であるといっても良いということになるのでしょうか?」

A「・・たしかにそうであるかもしれないね。
そして、そう考えるとたしかにホラー映画のおける東西文化の相違はあるのかもしれませんね。
具体的には、日本のそれは何というか、より運命的、不可避なものであり、それに対し欧米のそれはまだ選択の余地、冒険的な要素があり、時にはハッピーエンドになることもあるけれど、そういったことがあるのではないかな?
そのように考えると、映画におけるホラー、恐怖の定義自体が多分、若干東西文化で違うのではないかと思えますね・・。」

B「そうしますと、邦画ホラーとは意識、無意識を問わず、伝統的な怪談からの系譜を引くものであり、それに対し洋画ホラーの系譜とは、少なくとも我々のそれとは当然ながら異なり、そうではあるものの時には類似したような恐怖を持つ作品もある。
といったところでしょうかね?」

A「ええ、とりあえずそんなところではないでしょうか。
また、そう考えると洋画ホラーの根底に流れる諸文化およびその構成要素の比率、特徴などを検討してみるのもなかなか面白い研究であるかもかもしれませんね(笑)。」

B「多分、その専門家は既にいるとは思いますが、たしかにそれは面白そうですね・・。
今の私にはその任は多少重いですが、今後必要性が生じたらやってみたいとも思いますね・・。
また、その際にここでAさんとの会話の検証をまた行うことが出来るとも思います。」

A「そうですね、まあ機会があったら是非やってみてください。
そうしたらまた、そのネタで話してみましょう。」

また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。

20160116

A「ここ最近また寒い日が続いていますが、どうですか求職活動などは順調にいっていますか?
あとブログは継続されているようですが、何か面白いネタになりそうなことはありましたか?」

B「求職活動は相変わらずです・・色々と動いて、またオファーなども時折ですが、いただいております。
また、最近はつい先日はブログでも書きましたが、何かを書く仕事に就いてみたいと考えております。
まあ、この先どうなるかわかりませんが・・。」

A「はあ、そうですか・・。
そういえばBさんのブログはたしかにBさんらしい文体で書かれているとは思いますよ、内容の面白さなどに関してはブレがあるとは思いますが・・。」

B「・・私のブログには私らしい個性を持った文体を感じることができますか?
いえ、丁度最近そのことを不図自分で考えましたので、それは多少気になります・・。
それで私の文体の特徴とは、一体どのようなものでしょうか?
別にどのような表現でも構いませんので、今後の参考のブログいや文章作成のためにお教えいただけますでしょうか?」

A「・・うーん、そういわれますと多少難しいですが、何といいますか、私の主観ではありますが、どうも民俗学っぽいような感じを受けますね・・。」

B「・・はあ、民俗学ですか・・それはどうも漠然としていますね・・。
ともあれ、特に問題があるというわけでもなさそうですので、どうもありがとうございます、参考になりました(笑)。
そして今後機会があれば、もう少し何かを意識して文章、文体を練ってみようと思います。
具体的には、もう少し断言調などを入れた方が良いのでしょうか?」

A「それは私にはわかりませんし、Bさんの好きなようにするのが一番良いのではないかと思います。
そして私が先ほどお伝えしたのはあくまでも感想であり、その後の示唆を含めたつもりはありません。
私としてはいずれにせよブログを読み「ああBさんは元気なんだな」と思うことの方が多いですから・・(笑)。
しかしだからといって、別にブログがつまらないというわけでもないですので、まあ、とりあえず今の調子で書き続ければ良いのではないかと思います・・。」

B「はあ、そんなものですか・・。
あと、そういえばブログの一日の閲覧者数はこのところあまり変化はありませんが、投稿した対話形式のブログの中でも閲覧者数が伸びているものと、そうでないものがあります・・。
それで先日、これらの間にはどのような相違があるのかと思い、双方を比べて読んでみたのですが、どうもイマイチその違いがわかりませんでした・・(笑)。
ちなみに普段私は一度投稿したブログはあまり読まないようにしていますが、何度か読み返してみるとその原因が何かわかるのでしょうか?」

A「・・うーんBさんが投稿する以前に、どの程度文章の推敲、見直し、加筆訂正をしているのかわかりませんが、細かい間違いなどを除き、内容に関しては特に大きな間違いはないと思いますが・・。
また、私個人としてもBさんが書いた対話形式ブログの間に閲覧者数に関与するような大きな違いはないように思えますけれども・・。
しかしBさんのことを直接知らない方々がそれらを読んでみると、また受ける感じも変ってくるのかもしれませんね(笑)。」

B「それでしたら閲覧者は海外からも割合多いようですので、そこでの視点、好みがもしかしたら影響しているのかもしれません・・。
しかし、そうであるとすれば、ほぼ日本語で書いている一連の投稿の良し悪しをどのように判断しているのかは多少気になるところですね・・。」

A「・・なるほど、それでしたら単純に彼等にとって読みやすいとかそういった要素が影響しているのかもしれませんね(笑)。」

B「はあ、そんなものでしょうかね・・?
ところで私の書いた文章とは読みやすいのでしょうか?
これまでの一連の文章、文体もつまるところ偶然の産物なのですが、これで良いのでしょうか・・?」

A「ええ、それは特に問題ないと思いますよ、また内容に関しても今のところ特に問題ないと思いますが・・。
しかし、それにしてもたしかに外国の方々はBさんのブログをどのように読んでいるのでしょうかね?
また以前たしかブログで書かれていましたがマッキントッシュユーザーの閲覧者が多いというのも、どのような理由によるものなのでしょうかね・・?」

B「ええ、それもこれまでに大きな変化はありません。
今後書き続けてゆくと何か分かるのでしょうかね?
また、それに加えて、どのように読まれているのかも多少気になるところです。」

A「・・あまりそういうことを強く気にし出すと、またスムーズに文章を書くことができなくなるのではないですか(笑)?」

B「あ、そうでしたね・・何だかこういうのは世阿弥の「風姿花伝」の「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず。」みたいですね(笑)。」

A「ええ、まあそんなところですが、同時に同著者でしたら「初心忘るべからず。」も現在のBさんにとってはなかなか示唆的なのではないでしょうか(笑)?」

B「はあ、なるほど・・たしかにいわれてみますとその通りですね(笑)。
まあ、とりあえず現在はあまりそういった数やデータに惑わされずに書き続けることが大事なのでしょう・・。
それで、この会話も面白かったので、個人特定の要素を除きブログのネタにしようと思いますが、問題ないですか?」

A「・・そうですね、特に問題ありませんよ。」

村上兵衛著「国破レテ」失われた昭和史 二玄社刊pp.397-400より抜粋20160116

欧米と日本とのあいだに介在する有力な誤解の原因の一つは、第二次世界大戦およびそれに至る現代史の認識のちがいである。そしてその誤解のすべてを除くことは困難であるにしても、なんとか共通の理解に達する素材を提供することはできないだろうか・・?
日本の歴史についての研究は、海外でもひじょうに進みつつある。

とりわけアメリカの日本歴史研究者の業績には、近年、目を洗われるものがあり、第二次大戦後の時期については、その視野は広く公正で啓発されるところが多い。
しかし残念ながら、その研究はなお専門の分野にとどまっていて、もっとも近い過去であるあの戦争の前後の時代を、ひとつの通史として叙述するまでには成熟していない。
ひるがえって日本の歴史学者、そしてその筆になる通史に目を通すと、事情は最悪とさえいえる。私は、「まえがき」」でも触れたように、これまで刊行された日本の現代史に関する書物の熱心な読者であるが、どういうわけかそれらには、世界のなかで日本および日本人だけが悪かった・・・という読後感を、読者に抱かせるように書かれている。
どういうわけか・・・?いや、その理由は明らかである。
連合軍は武力によって日本を打ち負かしたのち、さらに日本人の精神的武装を打ち壊すことにつとめ、そして見事に成功した。
いわゆる、戦争裁判、とりわけ「極東軍事裁判」とその報道とは、日本人の誇りを打ちのめすには充分であった。
あの戦争は日本の軍閥とその支持者たちの共同謀議によって、着々と進められたものとされ、連合国のいっさいの過誤や罪は問われることがなかった。
そしてもっとも不幸なことは、この「極東軍事裁判史観」とでもいうべきものを、日本のいわゆる進歩的な歴史学者、社会学者の多くが、双手を挙げて迎え容れた、という事実である。さらに、この「史観」に唯物史観―というより社会主義は正義であり、無謬であり、ゆえにつねに勝利する―という思想が輪をかけた。じじつ中国大陸においては、当時、紅軍が駸々と勝利を収めつつあった。
日本人は、このような「勝てば官軍」思想には、じつに脆い。
昨日の源氏の白旗は、たちまち今日の平家の赤旗に取ってかわられる。
だから、たとえば朝鮮戦争がはじまったとき、世界は共産党軍の侵攻を知っていたが、この国ではそれをいい出す者は「非国民」扱いされた。
また、日本が占領下を脱し、ふたたび国際社会に復帰するにあたって、「全面講和(ソ連との講和)」の思想に与しなりものは軍国主義者であるかのような議論が、この国では風靡した。その結果として日本の通史をひもとくと、戦後においてさえ日本政府(権力)の政治的選択はつねにアヤマリで、「逆コース」「復古調」「右傾化」として指弾される。
そして「全面講和論」にはじまって「基地反対闘争」「勤評闘争」「安保闘争」と、良心的な文化人と、弾圧されても屈しない英雄的な人民のモノガタリ―その描写は、日本の戦前や徳川時代とどこが変ったのかと目を疑わせるほどである―がどこまでもつづく。
私は、それらの思想や運動のすべてがムダだったとは思っていないし、それらの教訓が政治に組み入れられていった結果が、今日まで日本の平和や繁栄の一部を支えてきた事実を否定するものではない。
しかし、それのみが日本の歴史であったとするのは、大きな危険をともなう・・。

(中略)

日本人は、戦争にむかう道程においても、世界を見る視野に乏しく、その単純で脆い民族性の欠陥を露呈した。しかしその欠陥は敗戦によって少しでも修正されただろうか?
敗戦は、むしろこの民族の弱点を拡大したようにさえ思われる。ひとつには、この民族が敗戦という経験にまったく馴れていなかったからだろう。それまでの皇国史観が消し去られたのち、日本では連合国の視点から、あるいはソ連ないし新中国という正義の視点から歴史と人間とを断裁する―という単純な転換がおこなわれた。
いや、そういい切ってしまっては、それも単純に過ぎるかも知れない。
時代を経るにつれて、歴史の叙述にはいくらか修正もおこなわれ、また論証も精緻になった。
・・・しかし基本的に、日本および日本人についての矮小化、ことさらな無視、卑屈さはあいかわらずつづいている、というのが私の見解である。

「国破レテ-失われた昭和史」
ISBN-10: 4544053013
ISBN-13: 978-4544053012
村上兵衛






         
      

     


                                                                                                                 


2016年1月15日金曜日

20160115 性格、性質の根源および教育などについて

A「最近求職活動の方は順調ですか?」


B「ええ、まあボチボチ動きはあるのですが、まだ口外できる程のものではありません・・しかし以前よりも何故だか少し進展しやすくなってきたような感じを受けるのですが、これは景気の為でしょうかね?」


A「・・それはよくわかりませんが、比較的順調に進んでいるのでしたら良いと思います。
あと他に何か変ったことなどはありましたか?」


B「・・そうですね、これまで何度か学位など持っていなければ良かったと求職活動を通じて思いましたが、それは今考えてみますと、もしかしたらブラック企業避けの意味はあったのではないかとも思います・・(苦笑)。
ですから、これはこれで良かったのかもしれません・・未だその判断をくだすことは難しいですが・・。
ともあれ、文系、理系何れであれ、学位とは、あれば、あった方が良いのかもしれません・・。
まあ、私の場合かなり特殊ではありますが・・(苦笑)。
それと、つい先日、履歴書を手書きで書き、出来上がったものを見てみますと、我ながらその悪筆ぶりに多少辟易としたのですが、このことから、手書きの文字は上手い方が良いとは思いますが、しかし一方において、悪筆であることを常識的でないと見るような傾向があるとすれば、それは迷信に類する偏見であるのではないかとも思うのですが・・。
そのことを自身に即していいますと、私は自然な悪筆を生む左利き(笑)であり、且つ周囲にいうとあまり良い顔をされない血液型の代表であるB型でもあるのです・・。
この二つの要素が重なると変っていると思われるのが通例であり、このことに関しては私自身一時期多少深刻に悩んだこともあります・・(苦笑)。
しかし、私の師匠の御一人もこの二つの要素を兼ね備える方であり、また、そのことを周囲に誇り「左利きのB型は天才肌である。」と仰っていて、そこから単純に勇気を与えられ、その後益々この師匠を師事することにしました(笑)。」


A「・・ううむ、私もたしかに手書きの文字はあまり自信がなく、むしろ逆に積極的に下手な方であると思いますが(笑)、それでもそこから何かしらの実害をこうむったような経験は無いような気がしますが・・。
また、その「左利きのB型は天才肌」というのは本当なのですか?」


B「その点は私自身検証したことはないので、何ともいえませんが、ただ、その師匠はやはり様々な意味で突出している才能を持っておられるのではないかと感じさせることが多くありました・・。
具体例は個人特定になるかもしれませんので言いかねますが・・。
また、私に関していえば、おそらく才能、知能の明暗が割合はっきりしているのではないかと思います・・。
ですから就く仕事に関しては、かなりシビアに選択しなければならないのではないかと思います・・。
これを「わがまま」といわれたらそれまでなのですが、一方誰でも自信を持って自身の仕事をしたいと思うことは自然であると思いますので、それは何といわれようとも、単なる干渉の域を出ないのではないかと思いますが・・。
ともあれ、私の場合、具体的には何故だか学校の成績とは関係なく歴史、社会は変らずに好きでした・・また途中から現代文なども好きになって行きました・・。
ですから徐々に好きになってゆく科目が増えていったような気がしますね・・。
そして、その核となったものが私の場合やはり歴史、社会であったのではないかと思います・・。
また、その原因とは構造主義的に考えれば周囲の環境であり、具体的には、そういった知識、世界観を面白く話してくださる方々が多かったからではないかと思います・・。
その意味において、さきの師匠もAさんも同様に私に対し、かなり大きな影響を与えてくださったのではないかと思います・・。
しかし同時に私の場合、一つの研究分野における圧倒的な知識およびその自覚といったものがなく、それが私の強みであり同時に弱みではないかと思っています・・。」


A「ふーん、そんなものですかねえ・・。
まあ、それでもたしかにBさんはこれまでに幾つかの学問分野を横断してきたことから、周囲には様々な分野の方々がいると思うので、そこからBさんのようになるのはもしかしたら自然であるのかもしれませんね・・。」


B「ええ、それに加えて私個人の自覚、知覚として修士院生の頃に様々な専攻の院生達が集まり、色々と議論した経験がその後大きな影響を与えたのではないかと思います・・。
そして、その経験がなければ、先ほどの左利きのB型の師匠に巡りあうことも出来なかったと思いますし、また様々な貴重な経験を得ることもできなかったのではないかと思います・・。
ですから私からすれば、修士院生時のこの議論の経験とは、決して意図された作為的なものでなく、自然な流れでそうなったと思うのですが、実はそれが大変良かったのではないかと思うのです・・。
そして、この個人的経験を踏まえ、思うことは、現在の特に地方国公立大学に対する文系不要論的な圧力により、各々地方に根差し成長を遂げてきた大らかな、自由度の高い知性の発展を促すメカニズム、仕組みが大幅に阻害、封殺されてしてしまうのではないかという危惧です・・。
そして実はこのメカニズム、仕組みこそが戦前からの各地の文化に根差した旧制高校、大学予科、旧制高等専門学校そしてその後継の高等教育機関が有していた良質な文化の真髄ではないかと思うのです・・。
しかしながら、たしかにこうした意見は単なるアナクロニズム、センチメンタリズムに基づくものであると考えられるかもしれません、ただ、こうした意見を云わせる程に現在の特に文系の高等教育機関を巡る状況は変転しつつあるのではないかと思うのです・・。」


A「・・・たしかに現在の高等教育機関の特に文系分野における状況は芳しくないでしょう・・。
そしてそれに対し唯々諾々と従わなくてはいけないことに憤りに近いものをおぼえることもあります・・。
しかし、私はこうした状況とは、たとえ少子高齢化が進行するとしても、そんなに長く続くものではないのではないと考えます。
各々の高等教育機関が本当にその地域の文化に根差したものであるならば・・。」


B「ええ、結局それも各々組織が立地する地域の日常的な文化との係わり合いが分水嶺、分岐点になるのだと思います・・。
ともあれ、これは決して楽観視はできないと思いますが・・。」

20160114 反知性主義・・?

A「最近首都圏は冷えますが、元気でやっていますか?」


B「ええまあ、お陰様でどうにかやっています。

それにしてもどうも最近ブログのネタがまた浮ばなくなってきてしまいました・・。
特にスランプで落ち込んでいるというわけではないのですが、ただ何となくネタが浮ばず、筆が進まずに「こういう状態もあるのだな。」といったところです。」


A「それでしたら、そういう状態をまたブログで正直に書けば良いのではないでしょうか?
そしてそれを書いているうちに、また何か面白いネタが浮んでくるのではないでしょうか?
しかし、それはそうと求職活動の方はその後何か進展はありましたか?」


B「そちらの方は多少動いてはいますが、相変わらず予断を許さない状況で、また何か進展がありましたら御連絡します。

A「はあ、そうですか・・
私個人としてはBさんみたいな人がもっといてもいいとは思いますよ(笑)。
というのは、現代の全学問分野での特徴の一つとはBさんみたいな学問的な意味での両生類(笑)みたいな人が極端に少ないことではないかと思うからです・・。
こうした変な人がアカデミアに少しはいないと面白くないですからね(笑)。」


B「・・ううむ、たしかに私はキワモノですから、そうした立ち位置をいただくことが出来ればそれこそ水を得た両生類あるいは雨を得た河童のようになることが出来るのではないかと思います(笑)。
しかし、そう考えてみますと、明治から昭和前半あたりまではそういった人が案外多くいたのではないかとも思いますが・・。
そうすると何だか丸山真男のタコツボ文化の話を思い出してしまいますね。」


A「まあ元が同一であっても学問分野の専門化が進展した結果、それら分野がササラ状になっていったのでしょうが、今度はそれらササラの要素を何らかの枠組みを用いて統合出来るような人が出て来れば良いのですが・・。
そういう人があまり出て来ないのが現状なのでしょうね。」


B「・・たしかに統合は難しいとは思いますがニッチとしての理系、文系の間に立ち位置を見出すことは不可能ではないと思います。
一方、現在為されている高等教育への施策の方向を考えてみますと専門性での研究教育を重視しているように思えますから、これは難しいのではないかなとも思いますが・・(苦笑)。
しかし、それでも高等教育の本質的理解には、そうした文系、理系を見渡せる複眼的な視野が必要不可欠であるとは思いますので、いずれ何らかの形でそのぶり返しは生じるのではないかと思いますが・・。」


A「ええ、現在特に地方国公立大学などでは文系不要論的な圧力が強いようですからね・・しかし、おっしゃる通り、こういった動きとはそこまで長く続くものではないと思います。
こうした傾向とは、いってみれば俗論との結託による文化大革命、ポル・ポト派による大虐殺などと、その根源的な心情における動機においては大差無いとも見てとれますからね・・そして、そういったものは大抵どこかで反作用が生じるのではないかと思います。
ただ、その反作用がどのような形で生じるかについては予測がつきませんが。」


B「ええ、その御意見については同感です。
しかし一方、こうした意見とは、私の場合「そこまでして自分の立場を正当化するのか?」ともとられかねないので、あまり口に出してはいえないですがね(苦笑)。
そうしたことからブログなどでそういった考えを述べることが出来るのは案外便利ではないかとも思います。
しかし、そうするとまた嬉しからぬ反作用が別件逮捕的に生じる可能性があるところが我が国のウェッティーなところではないかと思います。
ともあれ、こうした危惧も畢竟、自意識過剰の所産ではあると思いますが・・(苦笑)。」


A「・・何だかトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」を彷彿とさせるような意見だけれども、我々は芸術家ではないからね・・。
それでも、そうした社会多数派の同調圧力を成分的基礎とする、場合によっては相手を死に追いやっても省みないような試練を投げかけるメカニズムとは一体どのような内部構造をしているのだろうかね?
また、そうしたものが目には見えないものの厳然と存在していることを認めながら、一方において道徳やら倫理を説くのはどうもナンセンスなような気がしなくもないですね(苦笑)。」


B「ええ、そうした二面性とは、自分が強者であると思っている方々には手放しがたい魅力を持っているというか、一種の力の源泉なのではないでしょうか?
ですから、そういった方々にこそ、そうですねカミュの「転落」あたりを読んでいただければ良いのではないかと思いますが・・まあ難しいですね(苦笑)。」


A「科学技術の進化発展と経済的繁栄が密接に結びついていた頃は日本人の宗教的制約が少ないことは有利に作用していたのかもしれませんが、現在のような社会状況においてそうしたことは逆に悪く作用するのではないかと思います・・。
こうなると特に都市部においては相互不信を基調とする個人主義の社会を招来し、その将来とは暗澹たるものになってしまうのではないかと思います・・。」(時計仕掛けのオレンジ)


B「ええ、そうした社会にならないためにこそ、一見経済的有用性を見出せないような文系学問分野の存在価値があるのではないでしょうか・・?
そういった学問分野に対し即物的判断をくだし、乱暴にことを収めようとすることは、さきにAさんがおっしゃったように歴史上多く見られるのですが、どうやら我が国もまた同じ轍を踏みそうな感じがしますね・・杞憂であれば本当に良いのですが。」

2016年1月13日水曜日

中井久夫著「徴候・記憶・外傷」みすず書房刊pp.180-184より抜粋20160113

科学を定義し、その限界を画定しようとする動きは、古くからあった。しかし特に科学哲学としては、前世紀初頭のオーストリアの物理学者マッハに始まり、これを始祖とする1920年代のウィーン学団の形成とともに具体的な形をとる。
1930年代に入って、頭目シュリックの殺害、ついでナチスの台頭とともに、学団員の多くはアメリカに亡命してシカゴ大学に移り、ウィーン=シカゴ学団を形成した。また英国には、伝統的な実証主義の上に立って論理実証主義(ポパー、エイヤーら)が哲学の基調となった。
彼らの議論の細部には立入らないが、科学の定義、その限界の画定は、最初思ったほど容易なものでないことが次第に明らかとなっていった。定義を狭く取ると明らかに科学として通用しているものが除外され、広く取ると、その定義では占星術も入るのではないか、という揶揄が巻き起こったりする。
19世紀と20世紀の、この領域におけるもっとも大きな相違は、19世紀では数学を科学に算えていたのに対して、20世紀になって数学は科学ではないと確定したことである。
19世紀においては、遠くを見通す力のあった偉大なアンリ・ポアンカレでさえ、帰納的数学というものを考えていた。
そうではないという考えはバートランド・ラッセルに負うところが大きい。
たしかに2×2を何度やってみても、その答え4がいっそう確実になるわけではない。しかし科学では20回の観察(実験)結果がすべてポジティヴであっても、それは21回目の観察(実験)結果もプジティヴであることを全然保証せず、期待が裏切られることがある。
観察(実験)は有限回しかできないから、繰り返しによって結果の確実性が増すけれどもその増し方は減少する(√nの法則)。そして、科学は数学が持っているような絶対的確実性には決して到達しえない。

この発見が驚くほど遅れたのは、科学は、数学的表現ができる領域で長足の進歩を遂げたからであり、実際、物理学をモデルとして科学は、数式化、数量化を目指す。数式化、数量化された結果は美しく、そうでない結果はダサい。科学を導く隠れた糸に美学がある。かつてハイゼンベルグが宇宙方程式(すべての素粒子を記述する微分方程式を生みだす一つの微分方程式というふうに聞いている)を提出した時、その式は美しさが欠けていたために、こんなものが宇宙の基本的方程式であるとは考えられないと、物理学者たちが言っていたのを記憶する。実際、今日、この野心的な方程式を語る人はいない。

もう一つ、科学的数量化が意味を持つためには質が同一でなければならない。

質の異なるものを一つの尺度に収めることは原則的には科学でない。
だから、英語と数学と理科と国語との点数を合算する入試成績は便宜的なもので、科学でない。同じ理由で知能指数も質の異なるものを加え合わせている点で科学といえるかどうか、ぎりぎりのところである。
もっとも、こうなると、多くの心理テストも怪しくなる。質的に異なるものの合算だからである。
「人格」概念もそういうものである。
その科学性に疑わしさが残るゆえんである。性格(人格)分類がほとんどすべて4-8種であるのは7プラスマイナス2以上のチャンクスはこなせないというミラーの法則による可能性がある。つまり「脳の都合」である。精神医学分類にもそういうことがありはしないか。
レオンハルトの分類病36種は、アストルップによる通時的安定性の証明にもかかわらず使いこなせる人がごく少数であった。
 私は、科学は一つのネットワークを成していて、ある命題が科学に属するかどうかということは、このネットワークに属するかどうかで決まると考えている。それは、ポール・ディージングという科学哲学者の考えから出発している。

彼は、科学の方法論を四つにわけて、どれも他に優先するものではないとした。私は、彼の四つの方法が相互にからみあっているということを付け加える。その四つの方法論とは①モデルづくり、②実験、③統計、④事例研究である。
②の実験は科学の王であるという固定観念があって、クロード・ベルナールの「実験医学序説」の影響が大きいわが国では特にそうであるが、実験とは条件をできるだけ簡略化して、数え上げられる範囲の僅かな変数だけで規定される場がつくれる時にだけ可能である。実験の場はそれだけ「現実離れ」している。ウィスター・ラットについて正しいことは他のラットにも妥当するとは限らない。

まして人間についてをや。それは「示唆」するだけである。

場合によっては、この簡略化が大きな偏りのもととなる。

したがって、わが国のある大学では動物小屋の新築によって、実験動物の発症が変化(格段に減少)した時、この環境の変化は因子を特定付けられず、まして数量化できないとして、重要な結果であるのに、科学的に解明しようとさえ試みられなかったときく。

このような「コントロールしえない要因による変動」の例は他にも少なくない。

③の統計的方法は、ランダム・サンプリングや二重盲検法やマッチングを使って対象を(近似的に)等質化したと仮定するところに成り立っている。

その極限は、デンマークのストレームグレンが統合失調症の養子双生児法で行ったような全員調査であるが(国民背番号制がこれを可能にしたという。ちょっと怖い話である。)ところがこうなると、④の事例研究に近づく。
①のモデルづくりには事実にもとづき個別性が強い意識的な実験モデルから始って、しばしば美学(あるいはそのくつがえし)に導かれる対極的モデル(たとえば「セントラル・ドグマ」から、個人の意識を超えたパラダイム(トーマス・クーンの意味の)まであるが、これらのモデルの導きなくして科学の門を叩いた者は遠くまで歩めない。いや、多くの科学者はモデルの魅力にひかれて科学者となる。
このように、これらの方法は相互浸透的で、全体として一つのネットワークを作っている。たとえばモデルはしばしばある事例、統計、実験結果からヒントを得る。逆も真である。
ここで④の事例研究が確固たる方法論の一つに挙げられていることに首をひねる向きもあるだろう。これは「一つだけしか存在しないものに対する科学はありうるか」という問題に置き換えればわかりやすかろう。火星の研究者、エヴェレストの研究者、宇宙の研究者はみなこの命題に賛成するだろう。精神医学や臨床心理学の一つの事例もエヴェレストに比すべき複雑さとむつかしさを持っていはしないか。
事例研究から出発する方法論にも、実験や統計もあるかもしれないが(たとえば外惑星、ヒマラヤ山脈、さらには惑星、隆起山脈に共通な性質)、ここでは比較と重ね合わせという、質のレベルの方法も重要である。
実際には地理学の基礎的方法はこちらである。
そこからモデルづくりに進む。地質学でもそうであろう。この「事例の組み合わせ」は、臨床心理学における方法にも通じるものがある。
最後に科学とは、その方法を、徹底的に対象化したモノに対して適用するものである。
実際、科学と、これから挙げるものを区別する一つは、徹底的対象化ができるか否かである。も
っとも、科学も観測主体でなく対象から引き出されて生まれ発展してきたというアフォーダンス的な考え方も可能である。
すなわち、ふつうそう考えられているように科学とは徹底的能動者である観測主体と徹底的受動者である観測対象との関係であるとみることもできるが、これは後から整理してつくられた、いわば後知恵であり、反対に観測主体は観測対象に導かれ「教えられて」はじめて何ごとかなしうると考えることもできる。
実際の科学体験はむしろ後者ではないだろうか。
私はアフォーダンスという理論にくわしくないが、科学でさえも、対象が差し出す(アフォードする)情報によって導かれ、作られるものであるという考えがありうると思う。ちなみにアフォーダンスという考え方は、失明者が自己世界を創りだしてゆく過程をよく理解させてくれる。(統合失調症の作業療法の理解にも使われている)。精神医学、臨床心理学の科学的部分はなおさら対象が差し出すものに依拠して成り立っているのではないだろうか。
私が科学について語ったのは、まず私の科学理解を述べなければ「精神療法は化学か」と言っても、読者に何も実質的なことをコミュニケートしたことにならないからである(もっとも、科学について全く別の考えを持っておられても以下の議論は意味がないわけではないと私は思う)。
この論文で私がいいたいことは、精神療法は科学でないが、それは精神医学が科学でなく、いや医学(近代医学)が科学でないのと同等の意味においてであるということである。

 ISBN-10: 462207074X
 ISBN-13: 978-4622070740