2019年2月3日日曜日

20190203 「イノベーション」について思ったこと

おかげさまで昨日投稿分の記事は、投稿翌日の本日までに、かなり多くの方々に読んで頂けました。おそらく、この数は徳島在住以降最高であると云えます。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

さて、休日である本日も昨日(土曜日)同様、新たな記事の作成を考え、先週に引き続きP・F・ドラッカー著の『イノベーションと企業家精神』からの抜粋引用にて充てようと考えていましたが、さきに述べた昨日投稿記事の閲覧者数から、この考えを変更し、自身の文章にて記事作成を行うことにします。

昨今巷にて云われている「イノベーション」ですが、これは歴史上の出来事から考えてみますと、端的に理解出来るのは世界各地の「戦争」からであり、これは「イノベーションを行った側が勝利を収める」という法則によって概ね貫かれていると云えます。

それは技術・戦術あるいは双方に云えることであり、我々に馴染み深いものとして武田軍対織田・徳川連合軍の戦いである長篠の戦いが挙げられます。この戦いにより戦場での騎馬武者の有効性が鉄砲により否定され、以降の戦場においては、鉄砲を装備した徒歩兵力がより重要なものとされるようになりました。

こうした一種の相転移のような現象は世界的に見ても概ね普遍的なものであり、欧州においては我が国の関ケ原、大阪冬・夏の陣以後の30年戦争においても引き継がれ、さらには18世紀以降の欧州各地にて生じた諸戦役においても同様であり、こうした過程のなかで鉄砲をはじめとする銃器そしてそれを用いた戦術も勝つために否応なく洗練・向上されていきました。

さらに、こうした流れにくわえ、西欧において18世紀に蒸気機関が発明され、社会のさまざな方面に、この機関が応用・実装化されることにより、その後、19世紀以降の西欧列強による帝国主義時代の舞台設定がほぼ完成されるに至ります。

また、他方で「イノベーション」は技術のみならず、戦術そしてそのさらに下部構造にあたる社会においても同様に行われるものであり、これは18世紀末のフランス革命により、社会がそれまでの王侯貴族による統治から人民によるものへと変化を遂げたことにより、戦術を立案する軍隊においても大きな変化が生じ、これにより端的には、より個々の兵士の自主性・能動性が発揮されるようになったと云えます。そして、それまでの戦列歩兵による比較的単純な戦闘から、より複雑・機動的と云える散兵戦術が可能となりました。19世紀初頭、ナポレオン軍が欧州全土にてその強さを示すことが出来た背景には、こうした社会における「イノベーション」があったからであると云えます。また、これ(ナポレオン軍の強さ)に対する実感から著された著作が、さきにブログにて述べたクラウゼヴィッツによる「戦争論」と云えます。

とはいえ、この散兵戦術はフランス革命以前においても、個々の兵士の自主・能動性に依拠する独立戦争などの場合においては比較的多く見受けられ、現代史に区分される、さまざまなゲリラ戦術もまた、この系譜に連なるものと云えます。

さて、こうした流れから翻って我が国のことを考えてみますと、たしかに戦国織豊期における鉄砲の採用・普及は世界規模で見ても目を見張るものがあったと云えますが、その後、17世紀以降においては、こうした否応なく変化を遂げなければならないような歴史の流れには背を向け、鉄砲に対しても、その機能(連発性能・射撃精度など)の向上よりも、より緻密な象嵌や螺鈿細工を施す対象となっていったと評することが出来ます・・。そして、おそらく、こうした長い目で見ての我が国の行為態度とは、ある程度(現在に至るまで)普遍性を持っているのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?


今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
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前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に焦点を当てた勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

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20190202 昨今、日常的な記事作成を行わなくなって思ったこと・・

不思議なことであるのか、ここ最近、日常的にはブログの更新を行わなくなっても、これまでの記事更新の背景にあった義務感のようなものから生じる良信の呵責などは生じることはありませんでした。そこから、自身のとって、このブログ記事の更新はそこまで大きな意味を持たなくなっていたとも云えるのかもしれません。その一方で、現今の新たな記事作成に関しては、特に躊躇することもなく、どちらかと云えば自然に取り組みことが出来ています。また、同時に、こうした記事作成を行わない新たな日常から、何かが生じたのかと考えてみますと、これまた特に、そういったものを感じ取ることはありません・・。

また以前に、当ブログにて『煮物・カレーなどの調理にて、鍋の中の各種具材に汁の味が浸み込むのは、鍋を加熱している時よりも、加熱を止めた後からであり、そこから、当ブログ記事においても、それが日常的行為であることを止めた後に何らかの効果・変化のようなものを看取出来るのではないか?』と仮説めいて述べたことがありましたが、残念なことであるのか、ブログの日常的な更新を止めた後、今現在に至るまで、さきに述べた効果・変化のようなものを感じ取ることはありません・・(苦笑)。

あるいはそうしたことは、もう少し時間を要するものであるのかもしれませんが・・。しかし他方で、それに関連するのか分かりかねますが、ここ最近は仕事に関連するもの、しないものを含めて、いくつかの書籍を読んでいますが、それらの内容を、これまでよりもいくらか深く理解しつつ読むことが出来ているのではないかと感じることはあります。

書籍の読解においては概ね普遍的なことであると考えますが、読み手が、ある程度、その書籍分野での知識に通じていれば、そうではない分野の書籍の読解の際よりも、深く理解しつつ読み進めることが出来ると云えます。

そこで想起されることは、これまた、何度か当ブログにて述べてきたことですが、新たに接する分野をある程度まで理解する必要がある場合、とにかく、その分野に関する書籍を物理的に多く読み込むことが重要であるということです。

『学問に王道なし』とは、おそらく、こうした事情をも示すコトバであるものと考えます。また、こうした『読み込み』は、体力がある若い頃に行う方が身体【頭脳も含めて】に対する負担が少なく、また、その後の回復も早いように思われます。

さて、これらのことを鑑み、現在の自身を省みますと、今現在自身は新たな【これまでと異なる】分野の言語体系に接していると云え、くわえて、それは日常での言語の背景にある地域特有の文化・価値観においてもまた同様であり、当然のことながら、そうした状況は、そうでない、自身がかねてより慣れ親しんだ状況と比べ『圧』が加えられていると云えますが、これまでに自身は、そうした状況を何度か経験し、また、どうにかしてきたとも云えますので、以前と比べ、若さ故の柔軟さが損なわれてはいますが、努力して、どうにか対応することが出来るのではないかとも思われるのです・・。もちろん、全く楽観視はしていませんが・・。

しかし、そこで思うことは、どの地域であれ、その地域にて安定した地位を占めつつ、そして口先においては現在の国際社会・状況にて我が国が処すべき方向性などに賛意を示しつつも、その本音・真意においては自身地域だけ、他はどうでも良いといった考えを根底の正義・常識として据えて考えている方々が都市・地域を問わず思いのほかに多く、そして、そうした偏狭あるいは旧態依然とした価値観に安住しようとしているところに現在の我が国の苦境の本質的な原因があるのではないかということです・・。【幕末期の我が国にもそうした構造があったのではないかと推察されます・・。】

そして、これは思想・宗教、そして人文社会科学系学問全般を蔑ろにし、実体物に基づく自然科学系学問ばかりを『実学』として崇めてきたツケであるものと考えます。しかしながら、今現在に至っては、その思想・宗教、そして人文社会科学系学問とは、如何なるものであるのかさえも、世界中に多くのファンを持つという我が国が誇る文化であるマンガ・アニメ、あるいはヒロインとしてノイローゼでSM好きの悪女が多いような村上春樹の文学などが娯楽として読まれている現代の我々日本人にとっては、理解から遠いものになりつつあるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?



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2019年1月27日日曜日

20190127 P・F・ドラッカー著 小林 宏治監訳 上田 惇生・佐々木実智雄訳 ダイヤモンド社刊『イノベーションと企業家精神』pp.26-27より抜粋引用

P・F・ドラッカー著 小林 宏治監訳 上田 惇生・佐々木実智雄訳 ダイヤモンド社刊『イノベーションと企業家精神』pp.26-27より抜粋引用
ISBN-10: 4478370176
ISBN-13: 978-4478370179

『経営管理という名の社会学の技術が、経営管理者をはじめとする一般社会にはじめて提示されたのは、第二次世界大戦後、すなわち今から約40年前のことである。その後、経営管理は、一部の企業による試行錯誤的な実践から、一つの体系へと急速な発展をみせた。そしてこの40年間において、経営管理は、他のいかなる技術上の革新にもおとらないだけのインパクトを社会にもたらした。第二次世界知戦後、一つの例外もなく、あらゆる先進国が組織の社会となったのは、経営管理の発展にのみ帰すべきことではないのかもしれない。それは主たる原因でさえないのかもしれない。また今日、あらゆる先進国において、きわめて多数の人たち、とくに圧倒的多数の高等教育を受けた人たちが組織のなかで働くようになり、それら組織の長でさえ、ますます多くがオーナーよりも専門家としての経営管理者になっているとうことも、経営管理の発展にのみ帰すべきことではないのかもしれない。

しかし少なくとも、経営管理が一つの体系として出現していなかったならば、今日、先進国において見られるような社会、すなわち組織社会や従業員社会というものは、実現されなかったにちがいない。
もちろん今日にいたるとも、経営管理について学ぶべきことは無数にある。とくに知識労働者の管理については、未開拓の領域が多い。しかし、とにかく経営管理の基本は、すでにかなり明らかにされるにいたっている。わずか40年前、経営管理を実際に行っている大企業の経営者でさえ、自分たちが行っているものが経営管理であることを知らなかった頃には、経営管理とは一部の人たちに限られた密教であった。それが今は、まったく一般化された知識となるに至っている。
 しかし経営管理は、ごく最近に至るまで、多かれ少なかれ、企業だけのためのものと考えられてきた。しかも、企業のなかでも、大企業だけのためのものと受け取られてきた。

1970年代の初めにいたるも、全米経営管理協会(AMA)が社長向け経営管理コースについて中小企業の社長を案内しても、返って来る返事は「うちは経営管理は必要ない。あれは大企業のためのものだから」というものであった。1970年、あるいはつい最近ともいうべき1975にいたるも、アメリカの病院の経営者は、経営管理と名のつくものすべてに対して、拒絶の反応を示していた。「われわれは病院で会って企業ではない」というのが、彼らの決まり文句であった。大学では、今日にいたるも、教授たちがかつての病院と同じことを言っている。それでいながら、大学の無管理状態を嘆いているのである。
第二次世界大戦直後から1970年に至る長い期間というもの、進歩とは組織の大規模化を意味した。

 この25年間において、企業、労組、病院、学校、その他、あらゆる分野で見られた大組織志向の風潮には無数の原因がある。しかしそのうち最も大きなものは、大企業は経営管理の対象となりうるが、中小企業は管理の対象となりえないという思い込みであったといえる。この思い込みが、たとえば、アメリカにおける巨大な総合中学のブームをもたらしたのである。「教育は専門家による管理を必要とする。しかるに、管理は大組織においてのみ可能である」と決めつけられたのである。最近の10年ないしは15年の間に、この傾向がようやく逆転しはじめた。いまや、アメリカは脱工業化ではなく、脱大組織化を始めたといってよいであろう。』

*この末尾の太字部分からクラウゼヴィッツ著『戦争論』また、そこからインスパイア―されたとも云える石原莞爾による著作『最終戦争論』『戦争史大観』が思い起こされることは的外れであるのでしょうか・・?


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2019年1月26日土曜日

20190126 しばらく記事作成を止めて思ったこと【量から質への転換?】の必要性?

しばらくの間ブログ記事の更新を止めていましたが、そのためであるのか、ここ最近は読書が以前と比べ捗るようになったように思われます。

こうしたことは上手くコトバにて表現することが難しいですが、強いてたとえるならば、以前のブログ記事更新継続時における読書は通常の運動靴にて走っているような感覚であったのに対し、ここ最近の読書はスパイク靴を履き走っているといった感覚であると云えます。

あるいは、より端的には、読んでいる書籍の文章の意味合いが、かつてよりも深く入ってくるような感覚とも云えます。また、その理由を考えてみますと、ブログ記事更新を止めたことにより相対的にいくらか睡眠時間が伸びたことから生じたのではないかと思われました。

そこから今後1200記事までは継続しようと考えていますが、その後については、無理せずに続けることが出来そうであれば、さらに継続してみようと考えています。ともあれ、本日のような週末に関しては、比較的容易に記事作成が出来ると思われますので、こうした週末のみの記事更新にてブログを継続するのが妥当であるように思われます。

しかし『いつも人生の明るい方を見て行こう』というわけではありませんが、振り返ってみますと、これまでよく1100記事以上の記事を作成することが出来たとも思われます・・。また、それらは書籍からの抜粋引用を除いても1000記事程度にはなりますので、今後は再度、書籍からの抜粋引用を多くしてみるのも、有効な継続のための手法であるのかもしれません。くわえて、記事作成者としては大変残念なことではあるのですが、やはり全体的には書籍からの抜粋引用の記事が、より多くの方々に読んで頂けていますので、純粋に当ブログの有用性・インパクト向上の視点から考えてみますと、そちら(書籍からの抜粋引用)の方が良いのかもしれません・・(苦笑)。しかし、それでも忘れないで頂きたいのは、それら書籍からの抜粋引用をブログ記事として選択して提示しているのは、あくまでも当ブログの運営者であるということです・・(笑)。

さて、そうしたことを書いていますと『昨年2018年に投稿した記事にて、多くの方々に読んで頂いた記事はどのような記事であったか?』という疑問が生じ、それを調べてみますと、第一位は5月3日投稿分の『岩波書店刊 バートランド・ラッセル著 安藤 貞雄訳 『ラッセル教育論』pp.50‐52より抜粋引用』であり、書籍からの抜粋引用です。とはいえ、同時に、ここで述べられていることは現在の我が国社会について考える上においても有効な視点が含まれているようにも思われます・・。続いて第二位は4月5日投稿分の『
永遠回帰・シューシュポスの神話? 議論よりも上意下達が効率的と考える社会・・』であり、自身オリジナルの文章ではありますが、そこで取り上げているのは、いくつかの書籍に対しての意見であり、自身オリジナルの意見はその末尾程度のみであったと云えます・・。次いで第三位は7月22日投稿分の『1050記事 ブログ記事作成継続のエネルギー・熱源について【対話形式】』であり、これは主に自身の経験およびそれに基づいた対話の経験を対話形式にまとめたものであり、まさに自身オリジナルの文章であると云えます・・。また、その後4位以降も自身による記事が続くのですが、首位および次点が書籍からの抜粋引用あるいは、それに近いものであったことは、少し深読みしますと自身によるブログの文章がこの年、1000記事到達あたりにて息切れを起こしていたことを示しているようにも思われます・・。これは多少、主観に過ぎる勝手な考えであるのかもしれませんが、現状から考えてみますと、あながち的外れではないものと考えます。

そして、以上の経緯から今後は、より多くの方々に読んで頂けるような記事を書くことが出来るよう、記事の量産から、その質の向上に記事作成の主軸をシフトしていこうと思います。

そういえば、昨日新たに熊本周辺にて地震が発生したと聞きました。これによる大きな被害がなかったことを切に願います。

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2019年1月19日土曜日

20190118 しばらく記事作成を休止して思ったこと・・潮時?

しばらくブログ記事の更新を行わず、本日久しぶりに記事作成を行いますが、少し意外なことに書き始めるに際して感慨のようなものはありません・・。そこから思うことは、これまでに1100記事以上を概ね継続して作成してきましたが、あるいはこのあたりが記事作成を止める潮時であるかもしれないということです。

これまでは当ブログの継続のため睡眠時間をいくらか削ってきたとは思いますが、それはあまり気にすることではなく、それよりもむしろ当ブログの継続の方を気に留めて大事にしてきましたが、ここにきてそれが揺らいでいる、あるいは自然に減衰しつつあると云えます。しかし何故、それが今であるのか分かりませんが、ただ、ここ最近時折考えることは、自分自身についてです。おそらく私は自分の興味を持ったことに対しては、かなりのめり込む性分があると思われ、そしてそうした性質をどうにか満足させ、さらにそうした性質を出来るだけ良い方向に伸ばすためにさまざまなことを行ってきたと云えますが、これに関しては間違っていたとは思いません。しかし、そうして自身の興味の方向に進んできた先である現在から考えてみますと『果たしてこれで良かったのだろうか?』と思わないこともありません。くわえて、ある程度生きていますと、自分の能力からのさまざまな仕事・職務の向き不向きも大体は分かってくるものであり、また、そうした自分に対しての感覚は、若い頃のように『全力でぶつかって行けばどうにかなるだろう。』とは思い込むことが出来ない程に強いものであり、おそらく、一つにこうした感覚が年齢を重ねるに随い生じる面白くない、いや、物事を面白く感じさせなくする諦念の類であるように思われます。

しかしそれでも『明らかに自分に向いていないと感じさせることを続けることにより、
いくらかは得ることがあるかもしれない。』と少しでも考えないことには、その先にある何か新たな感覚をも見過ごしてしまうようにも思われることから、おそらく、今しばらくはこのブログ記事作成よりも、そうした考えを自身内部に常在化・深化させるように努力してみることが大事であると思われます。

しかし他方で、かねてより不図思うことがありましたが、おそらく私はマルチタスクが得意な人間ではなく、どちらかというとそれとは対極にあるとも云える標準的ではない発達を遂げてきた人間であるように思われるのです・・。これは自身周囲の血縁関係者を考えてみても、その得意・不得意の方面は異なりますが、まあ少なくとも間違いではないように思われます。ただ、自分の場合、その得意とする方面は(現在においては)生活を成り立たすためには必ずしも効率的には作用していないということになります(苦笑)。

こうした葛藤のようなものなどは、おそらく私程度の年齢になればキレイに忘れている方が好ましいのでしょうが、しかし、そうはいかないところが自分で思う自分の扱い難いところです。これまでに正式な診察を受けたことはありませんが、あるいは私には何らかの発達障害に近いような傾向があるのかもしれません・・。また、以前より私の周囲にいる方々はそうしたことを薄々気付いているようにも思われるのですが、それは少し考えすぎなのでしょうか・・(笑)。

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2019年1月14日月曜日

20190113 井筒俊彦著 慶應義塾大学出版会刊『読むと書く・井筒俊彦エッセイ集』pp.419‐421

『何が起こりつつあるのだろう。何が、一体、日常茶飯的なヨミ・カキを、こんな重大な学的主題に変貌させてしまったのか。いろいろな原因が挙げられるであろうが、とにかく、一番決定的なのは、ソシュール以後の記号学の急速な発展に伴って、書かれるコトバ(書記言語)の位置づけが根本的に変わってきたことだと思う。

一昔まえ、私が大学で教えられ、また自分で教えたりもした近代言語学では、コトバは第一義的には話しコトバであって、書記言語はせいぜい第二義的な、派生的な位置しか与えられていなかった。話されるコトバが先ずあって、それを文字に転写したものが書記言語。文字に書かれたコトバは、人が生きたコミュニケーションの場面で話すコトバの、いわば人為的な再現であり、きわめて不完全な代替形態にすぎない。とすれば、当然、およそこと言語に関するかぎり、すべての理論は話されるコトバの考察に基づかなくてはならない。と、これがつい最近まで言語学の第一原則であり、専門家のあいだでどこでも通用する常識だった。だが、構造主義の勃興以来、事情は急速に変わった。書記言語の価値づけが一変したからである。書かれるコトバは話されるコトバの土台の上にはじめて存立する派生物ではなくて、もともと書くことと喋ることは、言語使用のまったく違う二つの次元である。ということになってきたのだ。両方とも、窮極的には、言語(ラング)という同じ一つの記号コードに依拠するがゆえに、表面的には同一次元でのことのように見えるが、それはほんの見せかけだけのことで、両者の内実は根本的に違う。話しコトバの場合は、原則として、話者と聴者という二人の人間が現実の具体的場面にて面々相対してコトバを交わす。これに反して書きコトバでは、話しコトバでの聴者に相当する相手すなわち読者は書き手の想像理にのみ存在するのであって、書き手がものを書く現実の場面には居合わさない。相手不在のいわば独り芝居のようなもの。現実に相手がいるのといないのとでは、ひとしくコトバの顕現様式ではあっても、その顕現のレベルが違う。同じ一つの平面上で、一方が先、他方が後、というわけでは決してない。

 それどころか、ポスト・構造主義的思潮の先駆的位置を占めるジャック・デリダのごとき思想家となると、話しコトバと書き言葉の常識的先後関係をひっくりかえして、「根源書記」(アルシ・エクリチュール・archi-ecriture)という新概念まで作り出し、話しコトバは書きコトバとはまったく別の、独立した言語次元と見なされなければならないという点では、大抵の論者が一致している。こんな状況の下では、「読む」と「書く」とがかつてない重大な学問性を露呈しはじめたとしても、何も不思議はないだろう。もともと、「読む」と「書く」とは書記言語の基礎形態、というより、それのすべてなのであって、書記言語にたいする見方が根本的に変わってくれば、「書く」こと、「読む」ことに対する見方も、当然、根本的に変る。常識的に理解されたヨミ・カキの概念は、こうなればもはやものの役に立たない。』

『読むと書く・井筒俊彦エッセイ集』
井筒俊彦
ISBN-10: 4766416635
ISBN-13: 978-4766416633










2019年1月7日月曜日

20190107 先日の陸奥宗光著『古今浪人の勢力』に関連した記述の抜粋引用

おかげさまで昨日投稿分の記事は、ここ最近では珍しいほど多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さまどうもありがとうございます。また、その記事にて挙げた『競争的退行』というコトバは、かねてより組織内部での競争が盛んである我が国においては、国の全体的な勢力が退潮気味である現在では、より多く、一般的な現象としてさまざまな組織にて見出すことが出来るのではないかとも思われます。

また、先日抜粋引用した陸奥宗光著 中央公論社刊『蹇々録』収録 論説『古今浪人の勢力』もまた、多くの方々に読んで頂いていたことから、本日は、これに関連すると思しき記述を以下に抜粋引用してみようと思います。


『ちかごろよく取り上げられるようになりましたが、中江兆民の『三酔人経綸問答』という書物が明治二十年に出ております。そこには「洋学紳士」と「豪傑君」と「南海先生」という三人物が登場し、南海先生の家に集まって徹夜で飲みながら国家を論じます。彼等のイデオロギーはそれぞれ違い、しばしば全く正反対になります。結局大議論の末に明け方になって別れるというのが筋書きです。大ざっぱにいうと「洋学紳士」はラディカルな民主主義と、軍備全廃の絶対平和主義を代表し、「豪傑君」は洋学紳士に真向から反対して、権力政治の立場から大陸に対する軍事的進出の方向に進路を見出し、「南海先生」は二人の議論を調整しながらイギリス流の立憲政治と、穏和なナショナル・インタレストの結論に落ち着きます。結局、三人は立場を譲らぬまま別れるのですが、彼等の議論を通じて兆民は当時の日本が選択を迫られていた主要なイッシュ―の見事な鳥瞰図を描いております。が、私がこの書物をここで挙げたわけはそういう内容ではなくて、むしろこの書物の結尾にあります。「二客、竟に復た来らず。」或は云ふ、洋学紳士は去りて北米に遊び、豪傑の客は上海に遊べり、と。而して南海先生は依然として唯、酒を飲むのみ。」これが終わりであります。この結末は、恐らく兆民が意識して以上に近代日本の知識人がその後歩んだ道程を象徴しているように思うのです。つまり明治二十年頃には、まだこういうちがったイデオロギーの持主が集って徹夜で議論するような精神的空気が実際にあった。しかもこの三人の主人公はこの夜を最後として再び会うことがなかったというのです。ではこの三人の「その後」はどうなったのでしょうか。「洋学紳士」のその後のコースは一つは「末は博士か大臣か」と謡われた出世街道を歩んだ入々であり、もう一つはクリスチャンと社会主義者です。もちろん大多数は前者に属し、しかもその中には、明治初期には急進的自由主義者であった人も含まれます。さて、第二の「豪傑君」はその後、中国の上海に遊びます。洋学紳士と同じく海外に赴くわけですが、中国・東南アジア・インドなどに行くのは、洋学紳士の場合とちがって「洋行」とは通常いわれません。したがって、「豪傑君」の人生行路は当然「洋学紳士」と対蹠的であると推定できるでしょう。「上海」という豪傑君の行先は、維新後の一連の叛乱から自由民権運動の急進化の時代までひきつづいた国内の動乱状況に住みなれたために、不断の混沌(ケイオス)の渦中にしかl精神の慰めを覚えないような習性を身につけたーつまり古来の伝統的表現を用いれば「性、乱を好む」-行動的知識人がいわゆる「大陸浪人」に転身して行った過程を暗示しております。彼等は日本の国家および社会体制が急速に整備されて行く状況にうんざりし、幻滅したあげく、そのロマンティックな野望の舞台を中国大陸に求めたわけです。そこでは清朝の帝国の末期症状がまさに果て知れない混沌を惹起しておりました。この「大陸浪人」はのちのラディカルな右翼ナショナリストの原型ですが、明治時代において彼等に一律に「右翼」のレッテルをはるのは早すぎます。西欧帝国主義のアジア浸蝕にたいする彼等の悲憤の叫び、西欧の圧力にたいしてアジア諸国の連帯による抵抗を呼びかける彼らのファンファーレは、実にフランスおよびアメリカ革命の思想で武装していた自由民権運動の系譜のなかにもこだましていました。したがって、ある時期までの現実政治の配置のなかでは、「洋学紳士」と「豪傑君」とが、明治寡頭政府にたいする闘争において、お互いを意外に近い距離に見出した、ということも十分ありえたのです。そうして「洋学紳士」が制度的知識人と在野反対派に分裂してゆくのに対して、「豪傑君」→「大陸浪人」への系列も、やがて日本の挑戦および中国大陸への帝国主義的膨張とともに、一方では、政府・軍部の片腕あるいは下請けとして(密偵!)行動するグループと、他方ではアジア主義をラディカルに貫徹して異端の右翼という運命を辿る人々(たとえば大川周明・北一輝ら)との二方向に分裂しました。』

なかなか興味深い記述であると思われるのですが、さて如何でしょうか?

そして今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
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