2017年12月29日金曜日

20171229 Published by Springer Written by Carlos-Bergmann and Aisha-Stumpf Dental Ceramics: Microstructure, Properties and Degradation pp.15-16より抜粋引用

Published by Springer   Written by Carlos-Bergmann and Aisha-Stumpf
『Dental Ceramics: Microstructure, Properties and Degradation』
Chapter 3 
『Ceramic Materials for Prosthetic and Restoration Use』
ISBN:3642382231 

pp.15-16

『The first uses of ceramics as dental material date from the early XVⅢ century.
 Today, Ceramics are being used on a large scale as restorative materials in Dentistry. 
This includes materials for dental crown, prosthesis cementation and total and partial dentures. 
The increase in the use of ceramic restorations has virtually removed the use of metal restorations, since they do not meet the esthetic demands of patients.
Ceramic materials are best suited to replace metal, especially in erosive and corrosive environments.
Dental ceramics allow regular and diffuse transmission, as well as diffuse and specular reflectance of light, and therefore have the potential to reproduce the depth of translucency, depth of color, and texture of natural teeth. 
In addition, dental ceramics have a relative good resistance to degradation. 
The oral cavity is biologically compatible, and has a coefficient of thermal expansion that is similar to that of tooth structure.
The first dental ceramics had their use limited to the front teeth because of their low flexural strength. 
New technologies and manufacturing techniques have allowed the development of different ceramic systems for dental use with higher resistance, expanding the options available to dentists and allowing the manufacture of prostheses for posterior teeth.
Ceramics have been used to fabricate a wide variety of restorations including inlays, onlays, implant, crowns and fixed partial dentures on account of their biocompatibility, were resistance and better esthetics. Due to their better esthetics, in particular, patients have become more demanding regarding the appearance of their restorations.
The use of all-ceramic crowns has been questioned because of their lack of strength.
 Their counterparts, the metal-ceramic crowns, have been used successfully; the majority of all full-coverage restorations and fixed prostheses are fabricated from metal-ceramic systems that have a failure rate of only 1-3% over 5 years. 
Metal-ceramic systems (MSC) have come under scrutiny, however, because of (1)potential alloy corrosion leading to toxicity and allergy concerns; (2)esthetic problems such as lack of translucency, discoloration of some ceramics from silver in the alloy, and excessive value in the cervical third; (3)the amount of tooth reduction necessary, and associated tendency to overcountour the restoration; and (4)incompatibility between metal and ceramic, and the difficulty in establishing standard test for bond strength and thermal compatibility.
Fixed prosthodontic treatment, whether involving complete or partial coverage and natural tooth or dental implant abutments, commonly relies on indirect fabrication definitive prostheses in the dental laboratory. 
Historically, the necessity for provisional treatment has been primarily derived from this methodological process.
The importance of interim treatment, however, is more far-reaching than is portrayed by this procedural necessity and the requirements for satisfactory provisional restorations differ only slightly from the definitive treatment they precede. 
In the last few decades, ceramic materials for restorative. 
Dentistry have evolved significantly, and esthetic restorations, such as all-ceramic crowns and veneers, are routinely used in practice.
Different materials and production systems are available for all-ceramic dental restorations; a single layer ceramic that is attached to the tooth structure or a two-layered structure with a high-strength ceramic core material, which supports the more fragile veneering ceramic.
Some high strength materials are designed for computerized milling techniques (CAD/CAM) where the core structure is milled from the presintered block of an oxide ceramic. 
A relative recent dental ceramic is yttria-stabilized zirconium oxide polycrystals. 
These materials are manufactured from fine particles of ZrO2 and 3-5% Y2O3, which from a partly stabilized tetragonal structure at room temperature after heat treatment. 
Due to the optical opacity of these materials, they are covered with veneering ceramic, usually feldspathic types, with esthetic characteristics similar to the natural tooth substance.

The veneering process involves a firing procedure at high temperatures(750-900℃)and subsequent cooling of the restoration. 
This process is performed at least once, usually two to five times. 
It is not fully known what effect this thermal history has on the properties of the core ceramic. 
Patients have become more and more demanding regarding the esthetic and biocompatibility of their dental restorations, ceramic as material for inlays, onlays, crowns and bridges has become a main goal for scientific interest especially from the material point of view.』

2017年12月27日水曜日

20171227 ものごとの理解へと至る進め方とは・・

昨日の投稿記事もまた投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました(120以上)。

また、その内容にも関連することであると思われますが、時折どちらかというと理系方面への才能が長けていると思われる歯学分野の方々からの御意見にて『何故、君等文系と称する人々は現在のこの世界、国内のことも完全には理解していないのに、昔のことを分かったように話すことが出来るのかね?』といったことを聞くことがあります。

たしかに幾度にもわたる綿密な実験を通して、データを得てから一歩ずつ推論・論証していくといった過程による理系的な考え方・ものごとの進め方とは、まさしく科学的であると云えます。

しかし、それと同時に、ものごとの理解へと至る進め方とは、それのみではなく、さきに述べた理系的な考え方・ものごとの進め方とは、おそらく我が国においては早くとも18世紀後期以降からのものであり、それ以前の我が国においては、書かれた書物等の読解を通じて得る観念的な知見であったり、詩歌に拠って心情・情緒あるいはその思想などを表現するといった手法により知的作業が為されていたと云えます。

つまり多少の時代のブレはありますが、我が国における理系的な考え方・ものごとの進め方の流入と西洋文明の流入とは概ね軌を一にしていると云えます。

くわえて、その際に西洋的にして文系的な考え方・ものごとの進め方もまた、さまざまな哲学・思想として我が国に多く流入してきたのですが、そうしたものとは、他方において我が国が概ね独自で育んできたさまざまな文化・伝統といった歴史の生命と評し得るものに対しても、否応なく改変・解釈の変更を余儀なくさせるものであったとも云えます。

とはいえ、当時の多くの人々は、そうしたことをも致し方ないこととして概ね受容したと思われますが、同時に西洋化が国是とされ、同時にそれ以前の歴史文化が色濃く残る時代の社会にて活動した我が国の思想家・研究者にこそ古今を通じて偉大とも云える方々が多く見受けられるということには、なかなか興味深い何かがあるのではないかと思われます・・。

また、そのことからも、ものごとの理解へと至る進め方とは決して単線的なものではなく、さらには我が国が今後も独自の文化を持つ国であり続けるためには、やはりこうした文化・伝統を含む歴史全般を(具体的にしてある程度の知識を以て)視野に備えた考え方・ものごとの進め方とは、憎らしいと思われることも多いのかもしれませんが、やはり大事ではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

そして案外と、このポイントに何かしら別々の後世へと通じる大きな分水嶺があるのではないかと思われます。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに列島各地にて発生した地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸
地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。






20171226 作成したブログ記事に対しての反応から思ったこと・・

最近投稿した記事と関連性の深い内容を持つ、さらに以前に投稿した記事が読まれていることを発見しますと、多少複雑な感じを受けます。

これを一歩下がって考えてみますと、それは意識して為された行為であるかどうかも不明ではあるのですが、しかし、そうした反応とは無意識にて行うことは困難ではなかろうかとも思われますので、これらの反応とは意識して為されたものであると見做します。

そうしますと、冒頭にて述べた複雑な感じとなるわけですが、これは特に嫌悪感をおぼえるといった類いのものではなく『やるなぁ・・』といった一本取られたような感じに似ていると云えます。

くわえて、こうしたブログ記事への反応とは以前より度々あったことから、現在においては特に驚くことはありませんが、しかしそれを知覚した当初においてはそれなりに驚異もしくは脅威と感じていました・・(苦笑)。

また、正直に書きますと『こうした反応をある程度の速度にて為し得る能力・才能とは、あるいはこうしたブログ記事を作成する能力よりも優れたものではあるまいか?』とも思われるのです・・。

くわえて、これら反応を為し得ている背後にある論理とは、わたしがその意味・論理を知覚するまでは、ある意味無駄なものであるとも云えます。

そして、それら反応が誰により為されているかは不明ではありますが、反応の速度、的確さにバラつきのようなものを感じることはあるものの、概ねかなり気長な方(々)であり、且つ、どちらかと云うと人文社会科学系であるよりも理系的なセンスを強く感じさせられることが多いと云えます。

こうしたセンスもしくは才能に関しては、おそらく自身の内部にて乏しいため、そうしたセンス、才能を感じさせられますと現在でもやはり、それなりの驚きがあります。

しかし、これまでにブログ記事を作成している間にも、その反応の仕方の傾向とは多少は変化しており、多少憶測気味とはなりますが、当初に比べ、文系的な内容を述べた記事に対しての反応が的確、鋭くなってきたのではないかとも感じられるのです。

あるいはそれらは別の方によるものであるのかもしれませんが、しかし何れにせよ、こうした反応を認識しつつ記事を作成することはブログ記事作成における決して小さくないやりがいになると云い得ます。

さらに以前、しばらくブログ記事作成を休息すると述べておきながら、ここに新たに記事作成を行っている原因もまた少なからずここにあると云えます・・(笑)。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに日本列島各地にて起きた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った
諸地域のインフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。








2017年12月25日月曜日

20171224 知見・見解が組み立てられる過程・・実験、知覚的な経験、観察

おかげさまで昨日分の投稿記事は投稿翌日であるにもかかわらず多くの方々(85)に読んで頂けました。読んで頂いた皆さまどうもありがとうございます。

さて、今回の記事投稿により総投稿記事数が850に到達します。そして年内の記事投稿はこれにてひとまず止め、休息を取ろうと思います。

次に記事作成を再開するのは来年にしようと考えていますが、一方でこうしたことはあまり予め決め過ぎず、年内であろうとも、何かしら着想が浮かんだ、面白い文章を見つけた場合は、その都度記事作成を行おうとも思います・・(笑)。

ともあれ、どうにか以前から目標としていた年内の850記事へ到達したことは『喜ぶ』というよりも『安心した』といった感じであり、また現在作成している投稿記事においても緊張することはなく『さて、何を題材として記事を作成しようか?』といった感じにてPCに向かっています・・(苦笑)。

そういえば、昨日投稿分の記事とも関連するかもしれませんが、実験を伴う理系諸学問分野における知見とは、その根本において普遍性あるいは再現性が要求されます。

一方、人文社会科学分野におけるそれとは、無論、普遍性は重視されるものの、その再現性とは必ずしも担保し得ないことから、その学問的性質とは自然と理系学問分野のそれとは異なったものとなると云えます。

このことをもう少し考えてみますと理系学問分野においては、さまざまな指標が数値化され得ることが求められ、そして、それら数値の比較・検討などにより知見・見解が組み立てられていくと云えます。

一方、人文社会科学分野におけるそれ(比較・検討される指標)は、必ずしも数値化され得るものばかりではなく、あるいは多くの研究内容においては再現性もまた当初より望むべくもないことから、数値を以って表現される量的な情報よりも、質的とも評し得る知覚的な経験の情報により知見・見解が組み立てられる傾向が強いと云えます。

しかしながら、理系学問分野とは冒頭にも述べた通り、多くの場合、実験を伴うものであり、それにより数値化され得る量的な情報を入手することが出来ると云えます。

くわえて、ここがおそらく重要であると思われるのですが、この実験とは、単に数値化され得る量的な情報を入手する手段であるばかりでなく、人文社会科学分野における(質的とも評し得る)知覚的な経験の情報をも得る手段であるといった側面もまたあるのではないかと思われます。

また、その際に重要であるのが『観察』であると思われるのですが、実はこの『観察』の精度を洗練・向上させることこそが理系・文系問わず全ての学問研究においてより多くの努力が費やされるところではないかと思われます。

そして、おそらく多くの現象に対する『観察』とは、書籍文献の読解とも浅からぬ関連性があるのではないかと思われます。

それ故、あくまでも私見ではありますがSNSなどとは、ある種の便利さを我々に供給すると同時に、少なからず人間精神の発達を阻害するような要素があるのではないかとも思われるのです・・。

少なくとも国内における出版物全般とはSNSの使用が現今ほど広汎になる以前の方が優れていたのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った
諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。





2017年12月23日土曜日

20171223 20世紀は歯科精密鋳造:21世紀はCAD/CAM歯科技工の時代・・?

さきに述べた歯科医療分野にて多用されるロストワックス鋳造法に用いる鋳型材(埋没材)とは、当初は主に耐熱性のみが重視されていた。

その一方においてアメリカ合衆国のコールマンによる合金の鋳造収縮理論の発表および同フェンナーによる石英の高温結晶形であるクリストバライトが加熱により膨張する性質が発表された。

そして歯科補綴物の作成において、これら材料の性質(収縮・膨張)が互いに補完し合いワックス等の樹脂系材料により作成された鋳造体模型の寸法を変えることなく合金に移し替えることが企図された。

しかしながら、この鋳型材(埋没材)の加熱時における膨張のみでは合金の鋳造収縮を十分に補完することは困難であることから、順次鋳型材(埋没材)の膨張を試みる工夫が為され、硬化時膨張・水和膨張・吸水膨張といった更なる鋳型材膨張の発現もまた企図された。

こうした鋳造精度向上の工夫により、歯科精密鋳造とは徐々に理論・体系化され、くわえて新たな知見も随時追加され、歯科医療における精密な補綴物を得る技術・理論体系とは確立していった。

これらはほぼ全て20世紀代に為された進化発展であることから、歯科補綴物製作の視点にてこの世紀を概括すると『歯科精密鋳造確立の歴史』と評することも可能であると云える。

現在、歯科用合金を材料とする精密鋳造により製作された補綴物が口腔内にて広汎に装着されているが、その歴史的背景とは20世紀以降において急激な進化発展を遂げたものであり、それは、その他多くの(画期的効果を持つ)工業製品とも同様であることには、やはり何らかの大きな歴史の流れにおける有意な変化がこの時代の前後にあったのではないかと考えられる。

そして昨今、歯科用合金に多く用いられる貴金属の価格が上昇し続けていることから、その広汎な使用の継続とは疑問視され、何らかの代替技術・材料が求められているのであるが、そこで注目を集めているのが、さきにも少し触れたコンピューター技術の進化発展に伴い汎用化されつつあるCAD/CAM技術である。

そして、これを用い材料が比較的安価であり、今後もその材料の安定的供給が見込まれるコンポジットレジン、各種セラミックス材料などを用い各種歯科補綴物を製作するといった傾向が強くなってきている。

これを大きな歴史的視点にて捉えてみると、さきに述べたように20世紀とは歯科精密鋳造の時代であり、それに対して今世紀とはCAD/CAM技術による歯科補綴物製作の時代となるのではないかとも思われる・・。

ともあれ、そうすると既存の歯科技工が大きな変革を余儀なうされ、あるいはその業界全体のあり方自体もまた必然的に大きく変わっていかざるを得ないと云える。

歯科治療を受ける患者さん側からの視点であれば、何れであれ、より良い歯科医療を手頃な価格にて受けることが重要であることから、こうした歯科医療における技術体系の(大規模な)変化とは、あまり考慮すべきことではないのかもしれない。

しかし一方、それにより歯科医療を行う側に何らかの憂慮すべき不利益・不都合が恒常的に生じる事態が惹起されるのであれば、それは結果的に歯科医療そのものをジリ貧の状態とし、昨今、いくつかの業種において過労働がさまざまな事故に結び付く可能性が指摘されたことと類似するような事態が招来されるのではないかとも考えられる・・。

そして、それはやはり憂慮すべきことではないかと思われるのだが、さて如何であろうか?

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

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2017年12月22日金曜日

20171222 明治維新から日清・日露の役に至るまでの一視点

明治維新以降の我が国における文明化とは専ら西欧化のことであり、この西欧化とは、本来それとは異なった歴史文化を育んできた我が国からすれば、それまでの過去に対する訣別の意味合いが強かったと云える。

また、当時我が国にさまざまな学問・技術の指導の為来日していた外国人の記録を見ると、当時、西欧化の担い手として彼らから教育を受けていた多くの我が国の若者には、自らの歴史文化を恥じ、これを否定するといった側面があったと記されている。

ともあれ、その一方で当時の我が国とは、産業を興し国を富ませ、軍備を増強しなければ西欧列強の植民地となってしまう可能性も十分にあったことから、少なくとも、当時においては自身オリジナルの歴史文化の価値について論じる余地などはあまりなかったのではないかとも思われる。

如何せん当時は帝国主義真っ只中の国際情勢であり、また同時に我が国とは概ねコーカソイドにより構成される西欧列強諸国とは人種的に異なるモンゴロイドにより構成される国であった。

現今の国際社会においても人種問題とはなお多く耳にするが19世紀・20世紀初頭においては西欧列強の帝国主義を肯定・是認する社会進化論といった思想が最新の科学的知見として広く受け入れられていたことから、当時、西欧列強の中で我が国が味わったであろう苦痛・不合理とは現今の基準にて考えれば並大抵のものではなかったと思われる・・。

ともあれ、それでも我が国は独立を保持するため、西欧列強に伍して闘い続けなかればならなかった。

あるいは、当時はそれだけが独立国として生き残る有効な選択肢であったとも云える。

そして、当時の我が国とは正しく身命を賭して、こうした世界的風潮(西欧列強による帝国主義・世界規模の権益の伸長)と自身を同化させることにより戦ってきたことについては、もう少し世界的に評価されても良いのではないかと思われるところであるが、こうしたことは西欧諸国・アジア諸国双方にとって、あまり認めたくない、あるいは注視の必要がない歴史の一部分であるのかもしれない・・。

いや、モンゴロイドの国であるにも関わらず、西欧列強の帝国主義を真似して参加し、その末端のお先棒を担いだといった、あまり名誉ある扱いには値しない国とされているのではないだろうか・・。

また、さきにも少し触れたが明治維新以降、西欧的な文明化を国策とし、その実績をあげつつあった頃、隣国の中国(清王朝)、(李氏)朝鮮とは未だ旧態依然として低迷の状態にあり、それに対し我が国とは、その事態につけ入り、侵略政策を取ったと考えられやすいが、そうした見方とは当時の我が国を見誤っていると云える。

当時の我が国とは、現在における国際感覚とは異なり、未だ江戸期以来の文化伝統が色濃く残る社会でもあった。

その意味から当時、隣国の中国、朝鮮とは、古来からの文化的交流にて耳慣れた国々であり、それらに対して我が国が強く望んだことは一日も早く近代化の道を歩んでくれることであったが、こうしたことは少数の理解者、賛同者を得たものの、全体的な流れとはならず、その結果我が国は我が国で独自の道を歩むようになっていった・・。

また、当時の思想家・教育者である福沢諭吉が1885年に時事新報にて『脱亜論』を発表したが、それを述べた同じ人物が当時の(李氏)朝鮮における改革派勢力を支援していたことは一体どのような歴史的文脈に基づくものであるのかとは、なかなか興味深いことではないかと思われる。

ともあれ、その独自の道を歩んだ我が国の先にある山場が日清・日露の役であった・・。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

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20171221 継続的なブログ記事が為される背景とそこから思ったこと・・

昨日投稿分記事も思いのほか多くの方々(60以上)に読んで頂けました。また、以前にも述べたことではありますが、継続的にブログ記事を作成していますと、直近に投稿した記事と関連性があると思われる記事が読まれていることがしばしばあるのですが、それが誰により為されいるかは分かりませんが、その選択のセンスとは、概しておそらく記事の作成者より優れているのではないかと思われます・・(苦笑)。

また、そうした優れた(と思われる)反応が為されていることを認識することにより、記事作成に対してもまた一層身を入れることが出来るのではないかと思われます。

とはいえ、ブログ記事であれ、その作成とは面倒である時はなかなか面倒なものであり、イヤイヤ書き始め、最後までそうした心境のままにて書き終え、そしてどうにか『本日のノルマは終えた・・』といった心境に至り、どうにか落ち着くといった日も少なからずあるというのが実状と云えます。

それでも、そうした作成・投稿された記事であっても、それらが(自身としては)比較的多くの方々に読んで頂いていることを認識しますと、さきに述べたような心境とは案外とキレイに払拭され、再度その記事を読み直し、必要と思われる加筆修正が為されることになります・・(笑)。

それ故、自身の場合、このブログという一種の相互作用的な文章発信様式が、思いのほか適していたのではないかと思われるのです・・(笑)。

また、そうしたことから、今後たとえ900記事あるいは1000記事の投稿に到達した場合においても、それはどちらかというと自身の努力というよりも、さまざまな事情・状況が自身の性質に適していたことによるのではないかとも思われるのです。

そしておそらく我々とは、本来そのようにして自身の得意とするものを(ある程度長期的な視野にて)模索していくのが良いのではないかと思われるところですが、しかし一方で実際の人生・生活にて重要とされることとは、より実際に即したことであることから、さまざまな悩みなどが生じるのではないかと思われます・・。

また自身においてもまた、今現在、そうした悩みの中にあると認識しており、これはこれでなかなか(自身にとっては)深刻であると思うところではあるのですが、しかし、そうしたこともまた、文章として著してみますと、多少は、そして有意に気分が晴れるようであり、さらに加えて次に行うべきこと、企図する方向などもまた示されるようであり、そうしたことからも、こうした文章作成とは、表層においてはあくまでも面倒と思われるものの、それが習慣化することにより生じる効果とは、少なくとも現在の自身にとっては欠くことの出来ないものであるとも云えるのです。

また、我々がさまざまな勉強、研究を行う根本の意味とは、そういった行為そのものの中に何らかの深い・不可知な意味あいが認められてきたからではないかと思われるのですが、他方、昨今の御時世における傾向とは、どうもそうした意味あいのことを閑却し、多くの勉強・研究的要素自体を本質的に面倒なことであるとして外部化しようと試みているのではないかとも思われることが多々あるのですが、それもまた一つの反知性主義の顕れと認識しても良いものでしょうか・・?

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在までに列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った
諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。