2017年12月22日金曜日

20171221 継続的なブログ記事が為される背景とそこから思ったこと・・

昨日投稿分記事も思いのほか多くの方々(60以上)に読んで頂けました。また、以前にも述べたことではありますが、継続的にブログ記事を作成していますと、直近に投稿した記事と関連性があると思われる記事が読まれていることがしばしばあるのですが、それが誰により為されいるかは分かりませんが、その選択のセンスとは、概しておそらく記事の作成者より優れているのではないかと思われます・・(苦笑)。

また、そうした優れた(と思われる)反応が為されていることを認識することにより、記事作成に対してもまた一層身を入れることが出来るのではないかと思われます。

とはいえ、ブログ記事であれ、その作成とは面倒である時はなかなか面倒なものであり、イヤイヤ書き始め、最後までそうした心境のままにて書き終え、そしてどうにか『本日のノルマは終えた・・』といった心境に至り、どうにか落ち着くといった日も少なからずあるというのが実状と云えます。

それでも、そうした作成・投稿された記事であっても、それらが(自身としては)比較的多くの方々に読んで頂いていることを認識しますと、さきに述べたような心境とは案外とキレイに払拭され、再度その記事を読み直し、必要と思われる加筆修正が為されることになります・・(笑)。

それ故、自身の場合、このブログという一種の相互作用的な文章発信様式が、思いのほか適していたのではないかと思われるのです・・(笑)。

また、そうしたことから、今後たとえ900記事あるいは1000記事の投稿に到達した場合においても、それはどちらかというと自身の努力というよりも、さまざまな事情・状況が自身の性質に適していたことによるのではないかとも思われるのです。

そしておそらく我々とは、本来そのようにして自身の得意とするものを(ある程度長期的な視野にて)模索していくのが良いのではないかと思われるところですが、しかし一方で実際の人生・生活にて重要とされることとは、より実際に即したことであることから、さまざまな悩みなどが生じるのではないかと思われます・・。

また自身においてもまた、今現在、そうした悩みの中にあると認識しており、これはこれでなかなか(自身にとっては)深刻であると思うところではあるのですが、しかし、そうしたこともまた、文章として著してみますと、多少は、そして有意に気分が晴れるようであり、さらに加えて次に行うべきこと、企図する方向などもまた示されるようであり、そうしたことからも、こうした文章作成とは、表層においてはあくまでも面倒と思われるものの、それが習慣化することにより生じる効果とは、少なくとも現在の自身にとっては欠くことの出来ないものであるとも云えるのです。

また、我々がさまざまな勉強、研究を行う根本の意味とは、そういった行為そのものの中に何らかの深い・不可知な意味あいが認められてきたからではないかと思われるのですが、他方、昨今の御時世における傾向とは、どうもそうした意味あいのことを閑却し、多くの勉強・研究的要素自体を本質的に面倒なことであるとして外部化しようと試みているのではないかとも思われることが多々あるのですが、それもまた一つの反知性主義の顕れと認識しても良いものでしょうか・・?

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在までに列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った
諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。













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