2017年12月22日金曜日

20171222 明治維新から日清・日露の役に至るまでの一視点

明治維新以降の我が国における文明化とは専ら西欧化のことであり、この西欧化とは、本来それとは異なった歴史文化を育んできた我が国からすれば、それまでの過去に対する訣別の意味合いが強かったと云える。

また、当時我が国にさまざまな学問・技術の指導の為来日していた外国人の記録を見ると、当時、西欧化の担い手として彼らから教育を受けていた多くの我が国の若者には、自らの歴史文化を恥じ、これを否定するといった側面があったと記されている。

ともあれ、その一方で当時の我が国とは、産業を興し国を富ませ、軍備を増強しなければ西欧列強の植民地となってしまう可能性も十分にあったことから、少なくとも、当時においては自身オリジナルの歴史文化の価値について論じる余地などはあまりなかったのではないかとも思われる。

如何せん当時は帝国主義真っ只中の国際情勢であり、また同時に我が国とは概ねコーカソイドにより構成される西欧列強諸国とは人種的に異なるモンゴロイドにより構成される国であった。

現今の国際社会においても人種問題とはなお多く耳にするが19世紀・20世紀初頭においては西欧列強の帝国主義を肯定・是認する社会進化論といった思想が最新の科学的知見として広く受け入れられていたことから、当時、西欧列強の中で我が国が味わったであろう苦痛・不合理とは現今の基準にて考えれば並大抵のものではなかったと思われる・・。

ともあれ、それでも我が国は独立を保持するため、西欧列強に伍して闘い続けなかればならなかった。

あるいは、当時はそれだけが独立国として生き残る有効な選択肢であったとも云える。

そして、当時の我が国とは正しく身命を賭して、こうした世界的風潮(西欧列強による帝国主義・世界規模の権益の伸長)と自身を同化させることにより戦ってきたことについては、もう少し世界的に評価されても良いのではないかと思われるところであるが、こうしたことは西欧諸国・アジア諸国双方にとって、あまり認めたくない、あるいは注視の必要がない歴史の一部分であるのかもしれない・・。

いや、モンゴロイドの国であるにも関わらず、西欧列強の帝国主義を真似して参加し、その末端のお先棒を担いだといった、あまり名誉ある扱いには値しない国とされているのではないだろうか・・。

また、さきにも少し触れたが明治維新以降、西欧的な文明化を国策とし、その実績をあげつつあった頃、隣国の中国(清王朝)、(李氏)朝鮮とは未だ旧態依然として低迷の状態にあり、それに対し我が国とは、その事態につけ入り、侵略政策を取ったと考えられやすいが、そうした見方とは当時の我が国を見誤っていると云える。

当時の我が国とは、現在における国際感覚とは異なり、未だ江戸期以来の文化伝統が色濃く残る社会でもあった。

その意味から当時、隣国の中国、朝鮮とは、古来からの文化的交流にて耳慣れた国々であり、それらに対して我が国が強く望んだことは一日も早く近代化の道を歩んでくれることであったが、こうしたことは少数の理解者、賛同者を得たものの、全体的な流れとはならず、その結果我が国は我が国で独自の道を歩むようになっていった・・。

また、当時の思想家・教育者である福沢諭吉が1885年に時事新報にて『脱亜論』を発表したが、それを述べた同じ人物が当時の(李氏)朝鮮における改革派勢力を支援していたことは一体どのような歴史的文脈に基づくものであるのかとは、なかなか興味深いことではないかと思われる。

ともあれ、その独自の道を歩んだ我が国の先にある山場が日清・日露の役であった・・。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った
諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。























0 件のコメント:

コメントを投稿