2017年12月27日水曜日

20171227 ものごとの理解へと至る進め方とは・・

昨日の投稿記事もまた投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました(120以上)。

また、その内容にも関連することであると思われますが、時折どちらかというと理系方面への才能が長けていると思われる歯学分野の方々からの御意見にて『何故、君等文系と称する人々は現在のこの世界、国内のことも完全には理解していないのに、昔のことを分かったように話すことが出来るのかね?』といったことを聞くことがあります。

たしかに幾度にもわたる綿密な実験を通して、データを得てから一歩ずつ推論・論証していくといった過程による理系的な考え方・ものごとの進め方とは、まさしく科学的であると云えます。

しかし、それと同時に、ものごとの理解へと至る進め方とは、それのみではなく、さきに述べた理系的な考え方・ものごとの進め方とは、おそらく我が国においては早くとも18世紀後期以降からのものであり、それ以前の我が国においては、書かれた書物等の読解を通じて得る観念的な知見であったり、詩歌に拠って心情・情緒あるいはその思想などを表現するといった手法により知的作業が為されていたと云えます。

つまり多少の時代のブレはありますが、我が国における理系的な考え方・ものごとの進め方の流入と西洋文明の流入とは概ね軌を一にしていると云えます。

くわえて、その際に西洋的にして文系的な考え方・ものごとの進め方もまた、さまざまな哲学・思想として我が国に多く流入してきたのですが、そうしたものとは、他方において我が国が概ね独自で育んできたさまざまな文化・伝統といった歴史の生命と評し得るものに対しても、否応なく改変・解釈の変更を余儀なくさせるものであったとも云えます。

とはいえ、当時の多くの人々は、そうしたことをも致し方ないこととして概ね受容したと思われますが、同時に西洋化が国是とされ、同時にそれ以前の歴史文化が色濃く残る時代の社会にて活動した我が国の思想家・研究者にこそ古今を通じて偉大とも云える方々が多く見受けられるということには、なかなか興味深い何かがあるのではないかと思われます・・。

また、そのことからも、ものごとの理解へと至る進め方とは決して単線的なものではなく、さらには我が国が今後も独自の文化を持つ国であり続けるためには、やはりこうした文化・伝統を含む歴史全般を(具体的にしてある程度の知識を以て)視野に備えた考え方・ものごとの進め方とは、憎らしいと思われることも多いのかもしれませんが、やはり大事ではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

そして案外と、このポイントに何かしら別々の後世へと通じる大きな分水嶺があるのではないかと思われます。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに列島各地にて発生した地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸
地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。






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