2015年10月13日火曜日

小泉八雲著 平川祐弘編「日本の心」講談社刊pp.274-279より抜粋

高き屋に
登りて見れば
煙立つ 民の竈は
にぎはひにけり

                           仁徳天皇  

およそ三百年近く前のこと、イギリス東印度会社の船隊を率いて日本を訪れたジョン・セーリス船長は、大都市大阪について次のように書いた。

大阪は大変大きな町である。
城壁に囲まれたロンドンの市内と同じくらい広く、テムズ川ほどの川幅の川が流れ、高さのある立派な木造の橋がたくさんかかっている。
立派な家もあるが、その数は多くない。大阪は日本の主要な海港の一つである。素晴らしく大きく堅固な城郭も擁している。

十七世紀の大阪についてセーリス船長の述べたことは、ほとんどそのまま、現在の大阪にも当てはまる。
今日でも大阪は大都市であり、日本の主要な海港の一つであるし、西洋の見方による「立派な家」も建っている。
「テムズ川ほどの川幅の川」、すなわち淀川には、「立派な木造の橋」(今では鉄鋼や石でできた橋もあるが)がたくさんかかっている。
また秀吉が漢時代の要塞の造りにならって築いたという「素晴らしく大きく堅固な」大阪城もあって、今も軍事工学者の驚嘆の的になっている。
もっとも、高い櫓はなくなり、豪壮な本丸の御殿も一八六八年に焼失してしまったが―。

大阪は二千五百年余の歴史を持ち、日本でも最も古い都の一つに数えられる。
現在の名は、大きな川の高台という意味の「大江の坂」が縮められたもので、せいぜい十五世紀以降の呼び名と考えられている。
それ以前は難波(なにわ)とよばれていた。日本の存在がヨーロッパに知られる何世紀も前から、大阪はこの国の商業、経済の一大中心地であったし、それは今も変わっていないのである。
長い封建時代を通じて大阪の商人は、日本全国の大名諸侯にとっての銀行業者、貸し方の役目をしてきた。
諸侯のもとに納められた米を金銀に交換したり、軍資金を用立てたり―。
何マイルにもわたって立ち並ぶ大阪商人の耐火性の蔵の中には、全国の穀物、綿、絹などが蓄えられていたのである。
秀吉は大阪を軍事上の根拠地としたが、慎重で抜け目のない家康は、この町を恐れ、経済力のある富豪達の富を減らす必要があると考えた。

一八九六年現在の大阪は、広大な面積と約六十七万の人口を持っている。
広さと人口の上からは日本第二の都市とされるが、最近大隈伯がその演説でも述べたように、金融、工業、商業面では今でも東京を凌いでいるのである。
実際、堺、兵庫、神戸などは大阪の外港にすぎず、中でも神戸は近年めざましく発展を遂げて、横浜以上の港に成長しつつある。
大阪という町はすぐれて商才を持つ人間を日本全国から引き寄せる力があるので、神戸はいずれ外国貿易の第一港になるであろうと、日本人、外国人ともに確信を持って予言している。
現在のところ、大阪における輸出入取引きは、年間約一億二千万ドルで、国内の取引も莫大な額にのぼる。
誰もが買いたいと思うような品物は、ほとんどすべて大阪で作られているし、また、快適な暮らしを営んでいる家庭で、その家具、調度、備品に大阪の工業が全く寄与していないような住居は、日本国中探してもほとんど存在しないであろう。
これは恐らく、東京のできるずっと以前からのことと思われる。
「出船千艘、入船千艘」という繰り返しのある古い歌が残っているが、その歌のできた頃、港に入るのは平底の帆船ばかりであったに違いない。今日では、蒸気船も来れば、外洋航路用の様々の大型船も来る。
波止場に沿って人力車に乗って行くと、船のマストと煙突が、どこまでも果てしなく続いて行くのかと思われるほど、何マイルにもわたってずらりと並んだ光景を目にすることができるであろう。
もっとも、太平洋航路の定期船やヨーロッパからの郵便船などは、喫水が深すぎて入港できず、大阪向けの積み荷を神戸におろしているのだが、幾つかの汽船会社も擁している、この活気に満ちた都市大阪は、千六百万ドルの費用をかけての港の改修工事を現在計画中である。
人口二百万、年間の外国貿易高三億ドル以上―今後半世紀の間に大阪がそんな都市に成長することは、決して実現不可能な夢ではない。
大阪が大きな商業組合の中心であることは、今さら言うまでもないことである。
ここには四百以上の商事会社がある。紡績会社の本社もあり、その工場では、一日二十四時間のうち二十三時間をわずか一度の交替で操業し続け、一錘当りの製糸量は英国の工場の二倍、ボンベイの工場の三十から四十パーセント増しとなっている。

世界の大都市はその住民にそれぞれ独特の性格を与えるものと考えられているが、日本においても、大阪の人はほとんど一目見ればそれとわかると言われている。
私が思うに、首都東京の人の性格は大阪人に比べて特徴が際立っていないようだ。
それはちょうど、アメリカでもニューヨークやボストンの人よりシカゴの人の方が見分けやすいのに似ている。
大阪の人間は呑込みが早く、エネルギッシュで、時勢に決して遅れを取らぬ、あるいは流行の少し先を行く雰囲気さえ漂わせているが、これは商工業界での相互競争の結果と見て良い。
何しろ商売上の経験にかけては、大阪の商工業人は首都東京の競争相手よりはるかに長い伝統を受継いでいるのである。
得意店回りの外交員としての大阪人の優秀さに定評がある理由の一つは、おそらくここに存在するのであろう。
彼らは近代的な日本人で、幾つかのタイプが目につく。
例えば汽車や汽船などでの旅行中に、一緒に少し話をした後でもなお、どこの国の人なのか決めかねるような、一人の紳士と偶然知り合いになることがあるかもしれない。
その紳士はきわめて趣味の良い、上質で最新の洋服を着こなし、英語、フランス語、ドイツ語のいずれを用いても同じように立派に話ができる。
礼儀作法も申し分ないが、それと同時に、どんな人物を前にしても相手に順応する能力を備えているだろう。
ヨーロッパも知っているし、こちらが訪ねたことのあるような極東の各地については勿論のこと、名前さえ聞いたこともないような土地についても驚くほどの情報を提供してくれる。
また日本に関してならば、この紳士は各地方の特産物に詳しく、その由来や他と比較しての長所まですべて心得ているのだ。
顔立ちも感じが良い。
鼻筋が通り、場合によっては幾らか鷲鼻で、口元は豊かな黒の口ひげにおおわれており、この顔の持ち主が東洋人であることを思い出させるのは、わずかに瞼のみである。
―と、大体以上に述べたような人物が、大阪の販売外交員一八九六年型とでも言うべき一タイプであり、日本の平均的小役人とは王子と家来ほどの差が見られる。
この同じ人物にもし大阪で出会ったとしたら、恐らく彼は和服を、それを高尚な趣味がなくてはできないような洗練された様子で着こなしているに違いない。
その姿は、日本人と言うよりも、むしろ変装したスペイン人かイタリア人のように見えるのである。

生産、流通の中心地として知られる大阪のことであるから、きっと日本の都市の中でも最も近代的で、日本的特色の最も少ない都市であろうと想像される向きもあろうが、事実は全く反対である。
日本の大都市で大阪ほど洋服姿の少ない都市は稀だし、大阪ほど人々の着物が魅力的で町並みの美しいところはない。

大阪は流行を生む所と考えられている。
そして現在の流行では、様々の色が用いられるという好ましい傾向が見られる。
私が初めて日本に来た頃、男性の服装は濃い色、中でも紺色が主流であったので、男性が集まるとそこには大抵この色の集団が出来上がったものだった。

日本の心

日本の心

  • ISBN-10: 4061589385
  • ISBN-13: 978-4061589384


  • 小泉八雲

    平川祐弘

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