2022年4月23日土曜日

20220423 株式会社プレジデント社刊 ボリス・ジョンソン 著 石塚雅彦・小林恭子 訳 「チャーチル・ファクター」pp.346-350より抜粋

株式会社プレジデント社刊 ボリス・ジョンソン 著 石塚雅彦・小林恭子 訳 「チャーチル・ファクター」pp.346-350より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4833421674
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4833421676

彼はまた、ホワイトハウスを電話に出させるためにあらゆるチャンスを利用した。アメリカのジャーナリストと交流し、彼らを首相別邸のチェッカーズに招くようになった。

 アメリカではラジオの聴取者が増える一方だったので、彼は臆面もなくアメリカの聴衆に向けて演説を行うようになった。有名な1940年6月4日には次のように直接的な訴えで演説を終えている
。

 ヨーロッパの大部分、伝統ある国の多くがゲシュタポなどナチス支配の嫌悪すべき組織の手に落ちました。あるいは落ちんとしています。しかし私たちは萎れてはなりません。負けてはなりません。最後まで戦い抜きます。私たちはフランスで闘います。海上で、洋上で戦います。高まる信念と強靭さをもって空中で戦います。海辺で戦います。上陸地で戦います。野で戦い、街路で戦います。丘で戦います。けっして屈服しません。そしてもしも、私は一瞬たちともそうなるとは信じませんが、イギリス全土、あるいは大部分が服従を強いられたり、飢えたりしたならば、イギリス艦隊によって武装され、護られた海のかなたのわれわれの帝国が闘争を続けるでしょう。神のお導きにより、新世界が全力で旧世界を救い、解放するために足を踏み出してくれるまで。

 神に祈っている点に注目していただきたい。今でもそうだが、神は当時のアメリカ政治においてイギリスよりもかなり大きな役割を果たしていたのである。彼は7月のオラン演説のクライマックスと同じ方式を使った。自分の行動についての判断を「アメリカ合衆国に」委ねたのである。

 ゆっくりとではあるが、チャーチルの試みは成果を出しつつあった。しかしそれは困難な道のりであり、対価も大きかった。第一に、駆逐艦と基地の取引があった。イギリスは50隻の退役駆逐艦と引き換えにトリニダード、バミューダ、そしてニューファウンドランドの基地をアメリカに引き渡したのだ。古いバスタブのような駆逐艦は浮かせるのも一苦労で、1940年末までに使用可能になったのはわずか9隻だった。

 次にアメリカは何がしかの武器を売ることに同意した。しかし中立法に基づき、イギリスは即座の現金払いを要求された。1941年3月、アメリカの巡洋艦がイギリスの最後のなけなしの金塊50トンを受け取るためにケープタウンに派遣された。借金のかたに薄型テレビを押収する管財人のようなものだった。アメリカにあったイギリス企業は最安値で売却された。イギリスが自分たちは実質破産しているのだと抗議し始めると、アメリカ政府はイギリスの真の支払い能力を調べにかかった。まるで年老いた生活保護費の受給者が財産隠しをしていると咎める社会保障局のようだった。

 将来の支払いを見込んで続けられた武器貸与については、チャーチルは「史上最も高潔な行為」と表向きは言っていたかもしれない。しかし内輪では、イギリスはアメリカに皮をむかれ、骨まで鞭うたれていると言っていた。武器貸与の条件として、アメリカはイギリスの海上貿易に干渉することを言い張り、イギリスが大いに必要としていたコンビーフをアルゼンチンから輸入することを停止させた。

 武器貸与法は、終戦後もイギリスが自国の商業航空政策を運用する権利を妨げ続けた。この損得抜きの高潔なはずのアメリカ政府の行為に対して、イギリスはなんと2006年12月31日にやっと支払いを終えた。その日、当時財務省の経済担当副大臣だったエド・ボールズ氏が8330万ドル、4250万ポンド相当の最後の小切手とアメリカ財務省に対する感謝の手紙を書いた。戦時債務の支払いに関して、これほどまでに卑屈な几帳面さを示した国がほかにあっただろうか。

 アメリカは第二次世界大戦の初期の段階でイギリスが大量の現金を吸い上げ、その流動性のおかげで最終的に大不況から脱出でいたのだという見方もある。アメリカの戦争マシーンを始動するクランクの役割を果たしたのはイギリスの金だった。ところが、アメリカにとって申し分ない条件だったにもかかわらず、1941年の初め頃、アメリカの政治家の多くは、この合意はイギリスにとって寛大過ぎると考えた。結局、法案は下院で260対165の票決で可決されたが、イギリスに法外な金額で救命胴衣をくれてやることを拒否したこれら165人の議員たちは一体何を考えていたのだろうか。彼らは旧世界が沈むのを見たかったのだろうか。実際、そういうことを一瞬考えた者もいただろう。

 チャーチルはその手のアメリカ人たちを味方に引き入れなければならなかった。ところがその年の終わりには、これら同じアメリカの国会議員たちをチャーチルは手なずけていた。1941年12月のクリスマスの翌日、彼らは議場を埋め尽くした。チャーチルが演説をするために立ち上がる前から、全上院議員、下院議員が歓呼の声を上げてやまなかった。何が彼らの気持ちを変えたのだろうか。

 そう、パールハーバーでちょっとしたことが起きたのである。日本による奇襲があったのだ。その数日後、ヒトラーがアメリカに宣戦を布告するという常軌を逸した決定をした。これらのことがようやくアメリカの議員たちをしてイギリスと一体感を持つに至らせるのに役立ったのかもしれない。

20220422 歴史の通説が相転移的に変わるような出来事があることについて

おかげさまで昨日の投稿記事の閲覧者数は思いのほかに伸びていました。こちらを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、後になり、当記事を読み返してみますと、即興にて作成し、主題も途中で変わっていたりはするのですが、そこで述べていた自意識の相・層に流れている、あるコトバの流れを文章化することが重要との趣旨については、少なくとも間違いではないように思われます。

また、この意識の中でのコトバの流れには、いくつかの相・層があり、当ブログのような公表を前提とする文章なども、いわば、そうした相・層に流れている一つであると云え、そして、それを文章化してブログ記事とすることが、多くの場合、面倒に感じるところであるのですが、ここを何と云いますか、記事のクオリティーよりも、とりあえず作成することに重点を置いて作成してみますと、如上のような書き出しとなります。

しかし、実際斯様に記事作成を始めてみますと、これまでに逡巡しながら作成した諸記事と比べても、あまり大きな差異を感じることはありませんので、今後しばらくの間、出来る限り拙速を許容するスタンスにて進めてみようと思います。

さて、昨日の投稿記事にて述べた、現在読み進めている著作ですが、その後も少し進み、銅矛、銅鐸そして銅剣、銅戈などの青銅器について述べた章へと至りましたが、このあたりの記述からは、既知の知見が更新されて、興味深く読み進めていますが、それでも、当著作が刊行された2020年初旬(執筆されたのはさらに以前)においても、この西日本を主とした、これら各種青銅製祭器の出土分布の様相については、かねてより私が知るものから、あまり大きな変化はないようでした。

この我が国における各種青銅器の出土状況は、記紀などにある記述との関連性などが考察されて、ヤマト朝廷成立以前の社会の様子について検討されることが多くあり、とりわけ「古事記」にある出雲神話について、かつて「出雲」という地域は、大変に強く、近畿のヤマト朝廷とも(西日本での)覇権を争っていたとされるが、かつての、この地域の強大さを示す遺物、遺跡等があまり見出されなかったことから、それはあくまでも神話だけのハナシ、設定であるとも考えられていましたが、それが1984年の出雲市での荒神谷遺跡(国内最大規模、358本の銅剣、6個の銅鐸、16本の銅矛が出土)そして1996年、同県雲南市にて加茂岩倉遺跡(一箇所からの出土としては最多である39個の銅鐸が出土)が発見されたことにより、我が国が地域毎にて独特の青銅製祭器を盛んに用いていた弥生時代中期以降における、出雲地域の重要性、そしてまた「古事記」記載内容への、ある種、史実への妥当性が検証されたことになりました。

つまり、この島根県の2遺跡の発見により、弥生時代末期の我が国社会の様相への認識が大きく変わったと云えるのですが、出土された遺物等に基づき研究される考古学などの分野では、おそらく、この2遺跡の発見といった、いわば「大事件」が生じると、それまでの学問上の通説が大きく変わるということがあるようです。

以前、私がこの出来事を森浩一氏の著作を通じて知ってから、これら遺跡の発見以前に書かれた、本邦青銅製祭器の出土状況および、当時の社会様相についてを扱った書籍を図書館であたってみたところ、いくつかの書きぶりのパターンがあり、そのなかには「古事記」では出雲についての記述が多くあるものの、実際の出雲地域の重要性については疑問視する見解も複数ありましたが、他方で、当ブログにて以前に引用記事とした金関丈夫氏による我が国の青銅器文化について述べた記述は、和歌山のメッサオークワ ガーデンパーク内の書店での立ち読みの際に見つけ「おお!この2遺跡の発見以前に、このような、その後にも通用する見解を述べていた方がいたのか・・。」と、いたく感心した記憶があります。

ちなみに和歌山で思い出し、また以前に当ブログにて述べましたが、前述の銅鐸39個が出土した加茂岩倉遺跡にて出土した四つの銅鐸と、和歌山市のJR和歌山駅東口近くの太田黒田遺跡にて出土した銅鐸は、同一の鋳型にて作成されたものであることが分かっており、それらの関係性や来歴が気になるところですが、こうしたことは、未だ文字の使用が一般的ではなかった時代のことであることから、突飛な仮説や憶測に結び付きやすい易いと思われがちですが、実際の出土遺物に基づいた研究によって、こうしたことが明らかになることは、やはり、それなりに面白く、興味深いことであるように思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


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2022年4月22日金曜日

20220421 ブログ記事作成に際して意識化(文章化)される相・層について

現在の総投稿記事数が1761記事であることから、今月4月内で、出来るだけ1770記事に近づけることを今月の目標として、今後しばらく進めていこうと思います。さて、相変わらず、就寝前や移動時にて、いくつかの書籍を読み進めていますが、今回は、かなり久しぶりに我が国の古代史を主題とした著作を読んでいます。久しぶりに読む分野の著作は当初、その文中に出て来る独特のコトバに慣れず、しばらく、読み進めるのに苦労をしますが、しばらく読み進めていると、徐々にそうしたコトバにも慣れて、スムーズに読み進めることが出来るようになりますが、しかし同時に、著作を読み進める集中力のようなものが、以前ほど続かなくなってきたようにも思われます。そのため、その他の著作も併読しているわけですが、こちらは、さきの古代史の著作と比べると、和訳された著作ではあるものの相対的に読み易いと云え、また、そこに書かれている記述には、しばしば、現在、東欧にて続いている戦争にも関連性があるのではないかと思われるものがあり、こちらはこちらで大変興味深いと云えます。

ともあれ、今回は上述のような独白形式にて記事作成を進めてきましたが、こうして作成する文章には、ある種の相・層のようなものにあるようで、たとえば、昨今であれば、日中の移動中にて考えていたことは、そのまま文章化して、当ブログの記事となることはありません。以前であれば、ブログのネタ帳のようなものを持ち歩いており、何か(自分なりに)面白いことが思い浮かぶと、それを書き付けて、それを後に見直してから、夜半に、当ブログの記事作成を行ってきましたが、それは当初から約2年間ほど続いて、そこから後は基本的にネタ帳などを見ないで記事作成を行うようになりましたが、あるいは、さきに述べた文章の相・層に速やかに至るためには、このネタ帳のようなものは有益であったのではないかと、考えることが度々あり、これは、今後のさらなる効率的な記事作成のためにも、あらためて検討してみようと思います。

さて、このように、これまで1700以上のブログ記事を作成・投稿してはきましたが、こうした記事作成に関する試行錯誤や右往左往は今なお続いており、また、自分の文体を確立したといった実感は全くありません。7年近く継続していても、こうした様子ですので、計画的な記事作成を行っていれば、もっと早期に自身の文体を確立出来たとも云えるのかもしれません・・。しかし、こうした、外から訪れる、いわば相転移のような大きな経験に関しては、あまり人為的に急かすような性質ではないように思われるのです。しかし、未だ経験していませんので分かりませんが、文体の確立といった経験は、感知できるような性質を持っているのでしょうか。あるいは、感知出来ない性質のものであるならば、何故「文体の確立や獲得」といったコトバが生まれたのでしょうか・・。

といった様子で、当ブログのことを考えている相・層もあり、それを意識化しますと、上記のような文章になりますが、それと同時に、他の相・層にあると云える、さきに挙げた、現在読み進めている我が国の古代史に関しての著作は、その題名から、当初、主に古墳時代を扱った書籍であると思われたのですが、実際読み進めてみますと、その前段階と云える主に弥生時代に列島内に広がった水稲耕作社会についての記述部分が思いのほかに長く、120頁を過ぎた今なお、その部分を読み進めています・・。しかし、面白いもので、こうした記述を読んでいますと、また徐々に、以前に知っていた、その分野での知識が、記憶のなかで生気を持ち始め、そして、読み進めている文章の記述と、思い出された当該分野での知見による、すり合わせ、検証のようなことが為され、加上され、新たに編集された知見となったり、あるいは初めて読む知見であることから、とりあえず保留して、憶えておくようにしますが、しかし、こちらの記述を読んでいて面白いと思ったことは、ある遺跡名などが出てきますと、それが以前に読んだ著作に記されていて既知である場合は、自然、その遺跡の概要、特徴が思い出されるのですが、その想起された概要や特徴は、概ね合致しているか、あるいは間違っていないのです・・。

しかし、そうした遺跡に関しての情報は、常時意識にあるわけではありません。しかし同時にそれ等情報は、私の記憶の中にあったと云えるのです・・。

そして、そうした書籍を読み進めて出て来たコトバから、それに対応する以前に知った情報を記憶の中から検索して意識上にあげるという行為を継続して行きますと、その行為を通じた中で、ある種のパターン認識のようなものがあるのではないかとも思われてくるのですが、こうしたことに関しては、何かしら手技を伴う実験とも似た要素があるのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
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2022年4月19日火曜日

20220419 株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著【中東大混迷を解く】「シーア派とスンニ派」pp.37‐39より抜粋

株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著【中東大混迷を解く】「シーア派とスンニ派」pp.37‐39より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4106038250
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106038259

英語圏の書籍出版の状況を見ていると、何か顕著な現象が起きた時の「初動」だけであれば、日本の方がかなり早いことが多い。つまり、戦争とか革命といった大変動が起きた時に、日本で最短で三カ月もすれば、その問題に関する専門家(あるいは専門家を称する人)たちを焚きつけて、どうにかこうにか、分析したり、解説したり、背景を説明したりする本が市場に出てくる。もちろんそれらは玉石混淆である。その対象を以前かた見ていた著者が、ちょうどその問題について論文を書いていたりする場合、それを元にした本を出せば、それなりの水準になることがある。しかし自薦・自称の「専門家」による急ごしらえの本は、多くの場合は、長くはもたない、ほんの数カ月で賞味期限が切れてしまう程度の深みと正確さのものとなる。

 それに対して、英語圏では、専門家の本はそう簡単に出ない。ある問題について、行き届いた専門書が出るには、通常は、ほぼ十年はかかるものである。つまり、例えば、1989年に冷戦構造が崩壊するという予想外の大事件が生じた。これを受けて、ねぜこの年に冷戦が崩壊したのか、そこから翻って冷戦という事象は何だったのか、という課題について、英語圏で専門的な本が出てくるのは、1990年代も末になってから、あるいは2000年を過ぎてからが本番、ということになる。当然、専門的な本が出る頃には、冷戦崩壊という事象はとっくに過去のものとなっており、人々の一般的な関心は薄れてしまっている。しかし、世間の関心の浮き沈みとはほとんど無関係に、大学世界の内部で営々と研究が積み重ねられ、毎年の学会で議論され、部分的に論文として発表され、学術出版社でまずは著者と出版契約が結ばれ、原稿が出てから別の専門家の目に触れさせて、幾度もの改稿を経て、ようやく完成し、市場に出る、そこまでの時間と手順を経て世に出た本は、そう簡単には古くならない。英語圏の学術書の信頼性は、そこまで時間をかけることのできる制度が整っており、それを許容する社会があるからである。学術書が、世間・読者の「消費者」としての関心という、いわば「需要」にはあまり左右されず、書き手とその背後にある大学を中心とした学術共同体の「供給」の論理にもっぱら従って生産されているから、そも言うことができよう。ただしこれには当然弊害もある。既に述べたように、専門的・学術的な本が出た時には、対象となる事件や事象は遠い昔となっており、今まさに人々が関心を持っている問題には、即座に専門的な書物が提供されないことがある。

 日本のように、商業出版社が学術的な出版の一部分をかなり積極的に担い、しばしば編集者が読者の需要を察知して、それを専門家に依頼し、いわば「需要」に引っ張られて多くの学術的な著作が刊行される。というのは、諸外国を見渡してもそれほど多くの類例を見ない。それによって、何か大きな事件を起きた時に、「初動」はかなり早い。編集者が注目の分野に目配りを利かせて、専門家にあらかじめ原稿を依頼していた時などは、世界的に見ても早期に、高水準の専門的著作が世に出ることがある。当然これにも弊害はあり、専門家が世間の関心に合わせて急いで著作を書き上げなければならず、話題になると繰り返し同じようなテーマで本を書き続けなければならないため、一冊一冊の水準が十分に高くならず、深みも足りないものとなりかねない。

 このように、少し脱線して、英語圏の学術的・専門的な著作の出版を、日本の場合と対比させてきたのだが、この英語圏の学術出版にも、近年に変化が見られる。英語圏の学術書・専門書でも、やや日本型に近い、即応性の高いタイプの本が出るようになっているのである。

20220418 1760記事に至り思ったこと(これまでの継続の背景にあるもの)

おかげさまで、 今回の記事投稿により、総投稿記事数が1760に到達します。これまで読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。さて、さきほど、直近いくつかの既投稿記事を眺めていたところ、書籍からの抜粋および【架空の話】以外の独白形式のものの多くは、そのままではありますが、自らの思いを述べるといったものであり、外に広がるようなものではないと思われるところですが、昨日の記事投稿から、わずかに気が晴れたように感じられたことから、たとえ、こうした内向的な文章の記事で、あまり多くの方々に読んで頂けなくとも、作成している私にとって何かしらの良い効果があるのであれば、読む、読まないは、目にされた方々が随意に判断されることであるから、とりあえず私にとっては意味や価値があるのではないかと思われました・・。

しかし、ここまで文章を作成していて、当ブログにとって、より重要なことを思い出しました・・。それは、ここ直近2年間は、当ブロガーとツイッターにて連携投稿することが多く、それ以前の(当ブログの)ことを忘れていましたが、連携以前では、決して少なくはない方々に、私の作成したブログ記事が読まれるという感覚がほぼ皆無であったために、かえって、あまり緊張することなく、自然な状態にてブログ記事を作成出来ていましたが、ツイッターとの連携以降、閲覧者数が増加し、また、時々は、それらに対して、何らかの反応もあったことから、さきの「緊張することなく」に変化が生じ、より人に読まれることを意識した文章作成をする必要性が生じてきました。これは、それ以前の緊張せずに記事を作成していた時期と比べてみますと、やはり、多少、記事作成に苦労するようになったと云え、連携以前での記事作成にあぶらが乗っていた時期(2017~2018前半)に作成した記事と比べますと、何だか文章全体がぎこちないよう思われるのです・・。

そう、少なくとも、私にとって記事作成時の緊張感とは、今現在、あまり良いものではありませんが、しかし、当ブログ開始の頃から、このブロガーとツイッターとの連携が為された環境であった場合、さきに述べた緊張感から、あるいは継続的なブログ記事の作成も困難になっていたのではないかと思われるのです・・。

そして、そのように考えてみますと、現時点においても、2年前から始めたツイッターとブロガーの連携により生じた緊張感が尾を引いていると云えますが、しかし同時に、当ブログをこれまでに(どうにか)続けることが出来た、一つの要因とは、開始から数年の期間、あまり外からの反応に右往左往することなく、記事作成と投稿という、自分の発信活動に集中出来たからであると云えます。そして、それをしばらく継続した後で、ツイッターとの連携が為されるようになると(ネット上での)他者からの視線によって緊張を感じつつも、現在の当ブログのように、どうにか続けることは出来ているのだと思われます。

つまり、今現在、多少の苦労をしつつも、ともかく、続けることが出来ているのは、普段、あまり意識することはありませんが、これまでに当ブログが(あまり意識されることなく)経て来た、さまざまな(後知恵では良かったとされる)過程の順番があったからであると云えます。

そして、そのように考えが至りますと、今度は、そうしたことは、自らの辿ってきた過程においても云えるのではないかと思われてきますが、こうしたことについては、これまでに当ブログにて度々述べて来たことではありますが、また、ここで、もう少し考え直してみようと思います。

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2022年4月17日日曜日

20220417 1800記事を目指しつつ思ったこと、鬱状態と離人感克服のためのブログ記事作成?

当記事を含めて、あと2記事の投稿により、総投稿記事数が1760に到達します。そうしますと、当ブログ開始から丸7年となる、来る6月22日までの、およそ60数日の間に、残り40記事を投稿することにより、丸7年間で1800記事を投稿したことになりますので、これを均しますと。10日のうち、丁度7日ほどは、新規の記事投稿を行ってきたことになります。これは当初、1000記事に至るまでの、(ほぼ)毎日1記事投稿していた時期と比べますと、若干頻度が下がったとは云えますが、それでも、この程度の期間、継続することが出来たのであれば、自らへの評価としては「まあ、悪くはない」と云えるのではないかと思われます・・。

また、この程度(1760記事)まで、どうにか至りますと、1800記事への到達も、これまでよりも多少、現実味を帯びてきますが、しかしながら、未だ先は長く、そして首尾よく6月22日までに(1800記事に)到達するためにも、今しばらくの期間、こうした記事作成を続ける必要性があることは、やはり、いくらか気を重くさせます・・。

しかしながら、この記事作成に際しての「気が重くなる」現象自体は、かなり以前からあり、それが顕著に強くなったのは、以前にも述べましたが、1000記事到達以降しばらく経ってからであり、また、この「気の重さ」に乗じて、しばらく記事を作成しないでいると、更に気が重くなり、記事作成が辛くなることから、昨今であれば、当ブログの安定した継続のためにも、おそらくは5日程度も、当ブログを休止することは出来ないだろうと思われます・・(苦笑)。

そこで、今回目標としている1800記事に到達することが出来ましたら、今度こそは、しばらくの期間、当ブログでの記事作成どころか、ツイッターなどのSNS全般からも離れてみたいと考えています。あるいは私の場合、休息や整理期間を充分設けずに、次の行動に移ってしまっていることが、度々あるのではないかとも思われます。

私にとってのそれは、2013年9月での学位取得から、アルバイトをしながら求職活動を続け、何度か(かつての)専攻分野での求人もいくつかありましたが、その分野では採用されることはなく、そのまま、とにかく応募し続け、そして、どうにか採用して頂いた職も、私にとっては(おそらくはもったいなくも)あまり熱心に打ち込むことが出来るものではなく、そこから、以前にはあった「情熱」のようなものが明らかに減衰していることが判然としました。以前の私は、どちらかと云えば活発に動く方ではあったのですが、この2013年からの求職活動の時期から、あるいは、以前の投稿記事にて述べた、継続する軽い鬱状態がまた強くなり、さらに「燃え尽き症候群」といった状態もあり、色々と動いてはいるものの、それらの意味を、あまり実感として理解することが出来なくなっており、端的には「離人感」と称するものであると思われますが、これは、2010年に師匠が去られた後から。自分なりに(ある程度)培ってきたと考えていた歯科生体材料学分野での知識・知見や技術などが、あまり世間で求められるものではないことを知った時に感じる、ある種の絶望感に近い感覚が発端にあり、こうした感覚が未だ現在、自分に根付いているからこそ「離人感」をおぼえ、そしてまた、それをどうにか健全なカタチで克服するためにも、当ブログを続けているのだとも云えるかもしれません・・。

また、おそらく、以前、私にブログ作成を勧めてくださった方々は、上述のことの半分以上は、傍目で見ていて、気が付かれていたのではないかとも思われます・・。

ともあれ、この継続する鬱状態や離人感の健全な克服のために作成している当ブログではありますが、その起点にあるものは、以前に経験した、あまり一般的ではない出来事であり、また、その結果として、現在、こうした、あまり(以前の専攻分野である)歯科生体材料学とは、あまり内容的には関係がないブログを作成していることは、捉え様にもよりますが、私としては、全く意味がないことではないようにも思われるのですが、さて、如何でしょうか?

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2022年4月15日金曜日

20220415 欝々とした気分が続く中でも当ブログを続ける理由・・

これまで7日間連続で記事投稿をしてことが分かり、昨日は記事作成を止めて、先日から読み始めた書籍の続きを読み進めましたが、出て来る単語や、その意味合い、そして、その背景にある、世界観のようなものが、これまで、しばらく読んだものと異なるためか、読み進めるのに多少の苦労がありますが、こちらもまた、しばらく読み進めて行きますと、徐々に感覚を取り戻していくのではないかと思われます。

さて、この新たに読み進めている書籍は、我が国の古代を扱ったものであり、この分野の著作は、以前、自分なりに盛んに読んでいた時期がありましたが、関東に戻ってからは、ありませんでした。また、こちらの分野は、目にした遺跡や古墳などといった、実際に存在するもの、そして、その時の状況とも結び付いて記憶していることが多く、読み進める中で、書かれた地名や状況から、そうした記憶が想起されることも度々あります・・。

そのため、少し暖かくなってきますと、こうした状況の記憶が想起され易くなると云えるのですが、そうであっても、2020年来からのコロナ禍により、あまり遠方への外出が躊躇われますと、ある種の諦念が強くなり、そうした(遠出する)希望自体も徐々に減衰してゆき、そしてまた、その分野での、これまでに培った知識や知見なども、引き出し難くなっていくのではないかと思われるのです。つまり、端的には、興味が減衰すると忘れてしまうということだと思われますが、こちらは、私の場合、去る2009年以来、概ね継続していると云え、あるいは、こうしたブログのような発散もしくは発信活動を続けていなければ、それらの記憶は失われてしまい、そしてまた、より精神的に困難な状況に至っていたのではないかとも思われます。

つまり、2009年末頃から続いていると思われる欝々とした気分、デプレッションは、時に上下に波形を示しつつも、概ね、その調子を保持したまま、現在にまで至っているということになりますが、こうした継続する軽い鬱気味のような状態を、根本的になおすためには、どのようにすれば良いのかと考えることも度々ありますが、それはやはり、ありきたりではありますが、当ブログを続けてみることではないかと私には思われるのです・・。

これまで、当ブログにて、さまざまことを書き散らかしてきましたが、ここ最近では、初期の頃の、何と云いますか、洗練はされていないものの、自分なりの根源的な発信の型がある文章を作成することが困難になってきたと感じられます。しかし、その代わりに、そうした発想を内部に畳み込んだような文章が作成出来るようになってきたようも思われることから、単純に自分の文章に対する読み方が変わっただけであるのかもしれませんが、あるいは、多少の文章作成技術の向上などもあるのかもしれません・・。

また、先日の投稿記事にて述べましたが、読んで頂いていた記事から、私が、さらに別の記憶が想起されるということがあることにより、1000記事以降については、当ブログを続けることが出来ているとも云えますが、今後また、もうしばらくこれを続けてみますと、また別の、何と云いますか「相転移」のような現象が生じるのではないかとも思われるのです・・。しかし、こういった変化といったものは、主体として気が付くことは出来るものなのでしょうか・・?

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