2021年7月13日火曜日

20210713 どうにか継続しているブログの背景にあるものについて

 直近2日間は、2記事ずつ投稿したことから総投稿記事数は今現在1576に至り、あと24記事の投稿にて目標の1600記事に到達します。そして、これも毎日2記事ずつの投稿にて進めると、12日間、つまり、今月内での達成も見込まれるわけですが、おそらく実際のところは、そこまでハナシは上手く運ばずに、かなり良く進んだとして、今月内ギリギリの到達になることが見込まれます。

さて、これまでに何度か書いたことではありますが、私は首都圏を出自としていますが、地方での生活が比較的長く、人生の三分の一程度は地方に住んでいたと云えます。また、これが新卒での就職以降となりますと、さらにその割合は高くなり、半分以上は地方での生活であったと云えます。

また新卒当初は首都圏にて勤務したいと強く望んでいましたが、現在考えてみますと、これは贅沢な望みで、実家からは出たいが首都圏(東京都心部)にて勤めたいといったもので、当時は、ともかく実家から出たかったのだと記憶しています。

その理由は、端的には、実家での居心地があまり良くなかったからであると云えます。当時は特に大げさな表現ではなく、暴力沙汰と云える家庭内でのケンカが多くありました。これは他の兄弟においても概ね同様であったと云えますが、その中で最も多くケンカをしていたのは、おそらく私であったと云えます。そして、それらの原因については、半分程度は私にあったと云えますが、残りの半分については挑発によって生じたものであったと云い得ます。

また、当時の私の実家の様子をご存じである方々は、おそらく、そうした(ケンカの)情景も思い出されるのではないかと推察されますが、それでも見方を変えてみますと、当時の私は「何か」を渇望していたのだと思われるのです。

その「何か」とは「周囲に負けない知性」のようなものであったと思われます。それ故、さらに大学院への進学を望んでいたのだとも云えますが、これは周囲の方々との相談により、諦めないにしても、一先ず先延ばしすることになり、そして、そこから当初は望んでいなかった地方での生活が始めったわけですが、現在考えてみますと、これが自身にとってかなり良かったと思われるのです。そのため、当時相談させて頂いた周囲の方々には、それなりに先見の明があったものと私は考えています。

つまり、新卒当時、そのまま当初の希望通りに首都圏の大学院に進んでいたらならば、収入や経済的状況は別として、さまざまな地域のホンモノの文化風土などを知ることなく年齢を重ねて現在に至ったものと思われますが、現在作成している一連のブログ記事とは、以前にも書きましたが、地方での生活の記憶・経験があるからこそ、今に至るまで、どうにか書き続けることが出来ているのだと云えます。

そして、こうした経験を何やら無駄、コスパの悪いものと考えたがる、いわば「経済合理性」一辺倒の社会とは、やはり何かが不自然であり、このままでは「失われた30年」より継続している社会全体の衰退を止めることは出来ないものと考えます。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 



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ISBN978-4-263-46420-5

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2021年7月12日月曜日

20210712 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」 pp.78-79より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」
pp.78-79より抜粋
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

今日ではオンデマンドのサービスが充実してきたので、無数の作品が提供されている。意見をもとめるのは大仕事になりかねない。あなた自身はSFスリラーが好きだけれど、ジャックはロマンティック・コメディーが好みで、ジルが芸術的なフランス映画に一票を投じる。けっきょく妥協して冴えないB級映画を選び、みんながっかりする羽目になりかねない。

 こんなとき、アルゴリズムがあれば役に立つ。それぞれが、これまで観た映画のうちでどれが本当に気に入ったかを告げれば、そのアルゴリズムは自らの厖大なデータベースに基づいて、全員を満足させるのに打ってつけの作品を見つけることができる。あいにく、そのようなお粗末なアルゴリズムは簡単に欺かれてしまう。周知のとおり、人々の真の好みを判断する上では、自己申告は当てにならないのが最大の理由だ。私たちは大勢の人がある映画を傑作だと褒め称えるのを耳にして、絶対に見逃すわけにはいかないと映画館に出かけたものの、途中で飽きて眠ってしまったときにさえ、美的感覚に欠けていると思われたくないので、すばらしい経験だったと会う人ごとに言うものだ。

 ところがそのような問題は、怪しげな自己申告に頼る代わりに、私たちが実際に映画を観ているときにアルゴリズムがリアルタイムでデータを集めるのを許せば解決できる。第一に、アルゴリズムは私たちがどの映画を最後まで観て、どれを途中までしか観なかったかをモニター出来る。アルゴリズムは、私たちが「風と共に去りぬ」こそ史上最高傑作だと誰彼かまわず言ったとしても、最初の30分で観るのをやめてしまい、アトランタが焼ける場面は本当は目にしなかったことを知っている。

 とはいえ、アルゴリズムはそれよりもずっと深いところまで探れる。技術者たちは現在、目や顔の筋肉の動きに基づいて人間の情動を検知できるソフトウェアを開発している。テレビに高性能のカメラを搭載すれば、そうしたソフトウェアは私たちがどの場面で笑い、どの場面で悲しみ、どの場面で退屈したかを知ることができる。次に、アルゴリズムをバイオメトリックセンサーに接続すれば、アルゴリズムはそれぞれの場面が心拍や血圧や脳活動にどう影響したかを知ることが出来る。たとえば私たちがタランティーノの「パルプ・フィクション」を観ているときに、男性間の性的暴行の場面でほんのかすかな興奮を覚えたことや、ヴィンセントが誤ってマーヴィンの頭部を撃ってしまう場面ではやましそうに笑ったこと、ビッグ・カフナ・バーガーについてのジョークがわからなかったのに、間抜けに思われたくなかったので笑ったことに、アルゴリズムは気づくかもしれない。私たちは無理やり笑うときには、何かが本当に面白くて笑うときとは違う脳海路や筋肉を使う。人間はたいていその違いが感知できない。だがバイオメトリックセンサーならできるだろう。


20210712 新たな記事作成ペースを設定して思ったこと・・1600記事への到達について

昨日はオリジナルの記事と、書籍からの引用記事の二つを投稿しました。これにより総投稿記事は1574に至り、また、本日の記事投稿によって1575記事となります。そして、どうにか来月の前半迄には当面の目標としている1600記事まで到達出来ればと思います。

そしてまた、本日についても当記事を作成した後に書籍からの引用記事を作成しようと考えています。昨日の投稿記事にて述べました通り、引用したい書籍の記述は少なからずありますが、そればかりをしばらく続けていますと、自身の作成する文章に対しての感覚が多少鈍り、自身による記事作成が若干面倒に感じられてくるのです・・。そのため、昨日はオリジナル記事を先に作成、投稿した後に、書籍からの引用による記事を作成、投稿したわけですが、これはこれで、そこまで面倒とは感じられなかったことから、今後しばらく、体力が許す程度まで、この作成手法にて続けてみようと思っています。

また、上記の記事投稿頻度にて今後しばらく続けますと、あるいは今月中に1600記事に到達することも視野に入ってきますので、冒頭にて述べた思いとは異なってきますが、これも一つの挑戦と考えることにします。

しばし先のハナシにはなりますが、今後、もしも首尾よく1600記事に到達出来ましたら「次はどうしようか?」と考えてみますと、未だその明確なビジョンは明確はなく「とりあえず1590記事を過ぎたあたりで、何か考えが浮かんでくるのではないか?」と願っているところですが、何れにしましても、到達出来ましたら、またしばらく記事作成を休息しようかと考えています。かつて1000記事に到達した時と現在の状態とを比較しますと、明らかに記事作成への勢いは減衰していると云え、かつては勢いで作成していた記事を現在は手法にて作成しているといった感があるのです・・。

これ自体、良いことであるのか分かりませんが、ともあれ、かつての自分では出来なかったことであるとは云えますので、今後の何かに資することもあるように思われるのです。そして、もう一つ、先日の投稿記事にて書いた「野心」についてですが、こちらも後日、1600記事に到達出来ましたら、あらためて考えてみようと思います。他方で「今更野心をと云われても・・」という思いもありますが、私としては、これまでの経緯から考え、(おかしいであろう)自分の性質に合った環境を見出したといった実感は全くありませんので、出来れば、当ブログを通じ、そうしたものを探り当てていくことが出来ればとも考えているところです。環境も時期により多少変わりましたがそれでも6年以上にわたりブログ記事の作成を続けるのは、やはり多少はおかしい、変わっている性質を持っているとも云えるようですので、その行為を続ける先にこそ、自分の性質に合った環境といったものがあるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2021年7月11日日曜日

20210711 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.200-202

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」
pp.200-202より抜粋
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

従来の人種差別は、生物学の理論にしっかりと根差していた。1890年代や1930年代には、イギリスやオーストラリアやアメリカのような国では、アフリカ人や中国人は何らかの遺伝性の生物学的特性のせいで、知能や進取の気性や道徳の面でヨーロッパ人よりも生まれつき劣っていると広く信じられていた。問題は血統にあった。そのような見方は、政治的に尊ばれ、科学的にも広く支持されていた。今日ではそれとは対照的だ。そのような差別的な主張をする人が相変わらず多いとはいえ、人種差別は科学的な支持をすべて失い、政治的にも真っ当だとはほとんど思われなくなったーただし、文化の観点から言換えた場合には別だが。黒人は標準以下の遺伝子を持っているから罪を犯しがちだ、などと言うのはもう時代後れで、彼らは機能不全のサブカルチャーの出身だから罪を犯しがちなのだ、と言うのがとてもはやっている。

 たとえばアメリカでは、差別的な政策を公然と支持し、しばしばアフリカ系アメリカ人やラテンアメリカ系住民やイスラム教徒を侮辱するような発言をする政党や指導者が見られるが、彼らのDNAに何か問題があるとは、まず言わない。問題は彼らの文化にあるという。たとえば、トランプ大統領がハイチやエルサルバドルやアフリカ諸国の一部を「肥溜めのような国々」と呼んだとき、彼は明らかに、これらの国々の人の遺伝子構造ではなく文化についての意見を国民に提供しているのだ。トランプは別の折に、メキシコからアメリカにやって来た移民について、「メキシコが同国の人を送り込むときには、ベストの人は送り込んでこない。たっぷり問題を抱えた人々を送り込むから、彼らはそうした問題を持ってくる。彼らは麻薬も持ってくれば、犯罪も持ってくる。彼らは性的暴行者だが、まあ、なかには善良な人もいるんだろう」。これはひどく侮辱的な主張だが、生物学的ではなく、社会学的に侮辱的な主張だ。トランプは、メキシコ人の血統が善良さへの障害だとは言っていない。ただ、善良なメキシコ人はリオグランデ[訳注テキサス州とメキシコとの境を流れる川]の南側にとどまる傾向にあると言っているのだ。

 人間の体(ラテンアメリカ系住民の体、アフリカ人の体、中国人の体)が依然として議論の中心にある。肌の色は重要だ。肌にメラニン色素がたくさんある人がニューヨークの通りを歩いていれば、どちらに向っていようと、警察は特別に疑い深い目で眺めるかもしれない。だが、トランプ大統領とオバマ前大統領のどちらに属する人も、肌の色の重要性を文化や歴史の観点から説明するだろう。警察が濃い肌の色を疑わしい目で見るのは、生物学的な理由からではなく、歴史のせいなのだ。たぶんオバマの陣営は、警察の偏見は奴隷制度のような歴史的犯罪の不幸な遺産だと説明し、一方、トランプの陣営は、黒人の犯罪は白人の自由主義者と黒人のコミュニティが犯した歴史的な過ちの不幸な遺産と説明するだろう。いずれにしても、仮にあなたが、じつはアメリカの歴史について何も知らないデリーからの観光客だったとしても、その歴史の結果に対処せざるをえないだろう。

 生物学から文化への移り変わりは、専門用語の無意味な変更にすぎないわけではない。それは、良いものも悪いものも含め、広く影響の及ぶ実際的な結果を伴う、根本的な変化だ。まず、文化は生物学よりも順応性がある。つまり、一方では今日の文化差別主義者は従来の人種差別主義者よりも寛容かもしれない。「他の人々」が私たちの文化を採用しさえすれば、対等の人間として受け容れる、というわけだ。その一方で、同化するようにという、はるかに強い圧力を「他の人々」にかける結果や、もし同化できなければ彼らに対して、はるかに厳しい批判を浴びせるという結果にもなりうる。


20210711 昨日投稿記事の閲覧者数から、今後の記事投稿頻度について思ったこと

おかげさまで昨日投稿の記事も、投稿翌日としては多くの方々に読んで頂けました。 読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。そして本日については一昨日と同様、書籍からの引用を以て記事に充てようと考えていましたが、さきに述べたように、昨日投稿の自身オリジナルの記事が、多くの方々に読んで頂いていたことから、ここで記事作成の良い流れを作りたいと思い、本日についてもオリジナルでの記事作成を試みることにした次第です。そして、もしも、投稿記事も昨日と同様に多くの方々に読んで頂けましたら「二度あることは三度ある」ということになるのではないかとも思われるのです・・(笑)。

さて、昨年のこの時季と同様、今年も国内各地が大雨に見舞われていますが、特に九州、中国、四国地域においては、この度の大雨による被害が出来るだけ軽微であること、また、被災された方々の日常生活の速やかな復旧を願っております。

そういえば、ここ最近はあまり言及しませんでしたが、昨日の記事投稿によって総投稿時数が1572に到達していました。そして今後、当記事を含めて28記事の投稿により、当面の目標と定めている1600記事に到達しますが、これは早くとも来月初旬・前半頃になることが予測されます。あるいは、少しでも早く到達するため、1日に複数の記事投稿、たとえばオリジナルの記事と、書籍から引用記事を投稿することも検討しており、また引用したい書籍の方については、栞を挟んだものが10冊以上は、当ブログを作成しているPCの横に積んであります・・(苦笑)。

とはいえ、この書籍からの引用記事もまた、ブログ開始当初の頃と比べますと、何やら変に考えるようになったのか、躊躇なく作成することが困難になってきました。それは自身の運営しているブログに対する慎重さ、配慮であるのかもしれませんが、あるいは単なる怠け心によるものであるのかもしれません・・(苦笑)。しかし他方で、丁度1年程前の2020年7月12日に1340記事へ到達したとのことでしたので、そこから現在に至るまでの1年間365日程で、新規に230記事を投稿したことになります。そして、その間、10日のうち6日は新たな記事投稿を行ってきたことになります。とはいえ、これも、それまでの投稿頻度と比較しますと決して高い頻度ではありませんが、どうにか有意に記事数は増加しているとは云えますので、この調子を維持するか、あるいは、少しだけ投稿頻度を上げる努力をして、出来るだけ早期にて1600記事に到達してみたいと考えています。

そして、こうした目標もまた実際にブログ記事として表明しますと、実行せざるを得なくなりますので、それはそれで意味はあると云えるのかもしれません・・。

それ故、今回の記事はこの程度として、この後すぐに、新たな書籍からの引用記事の作成に取り掛かろうと思います。

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2021年7月10日土曜日

20210710 昨日投稿の引用記事の閲覧具合から思ったこと「国家の背景」

まずはじめに、このたびの大雨により、被害を被った九州・中国・四国各地域での被害が出来るだけ少なく、そしてまた同地域での各種生活インフラの出来るだけ早期の復旧を祈念いたします。

さて、昨日投稿の書籍からの引用記事は、タイムリーであったためか、思いのほか多くの方々に読んで頂けました。日頃あまり耳にする機会のない国であっても、その国家元首が国外から侵入してきた武装グループにより自宅にて殺害されるということは、現代においても驚くべきことであり、その背景についてもう少し知りたいと思うことは特に不自然ではないと考えます。

その意味において、海外の動画も気軽に視聴できる動画サイトとは、やはり、便利なものであり、20年ほど前と比べますと隔世の感があると云えます。ともあれ、そうしたことから、さきに述べたハイチの歴史的背景概要も割と気軽に知ることが出来るのですが、それと昨日の引用書籍の記述を加味して考えてみますと、ある程度の期間、植民地であった国や地域などは、その後、困難な歴史上の途を歩むことが多いのではないかと思われました。

さらにもう少し具体的に考えてみますと、それは植民地時代の宗主国の統治の仕方などからも少なからぬ影響を受けるのではないかと思われます。そして、そうした視座から考えますと、このカリブ海に浮かぶエスパニョーラ島の西部を領有するハイチ共和国は、当地に入植したフランス人によって奴隷としてアフリカ大陸から連れてこられた黒人達が18世紀末頃に反乱を起こし、19世紀初頭にはラテン・アメリカ、カリブ海地域にて初めて設立された黒人主権による独立国となった歴史があるのですが、独立後は、周囲の白人統治の国家、植民地国との不仲、国内政治の不安定などから、国家運営は上手く行かず、20世紀初頭、アメリカ合衆国による数十年にわたる統治の後、現地人元首による統治が行われたが、その統治は決して民主的とは云えないものであり、その後、更に政治は腐敗し、世襲二代目の元首が国内の反発から国外へ逃亡し、新たな元首が立てられたが、そこからの政治も、かねてよりの政情の不安定を緩和するものではなく、そして昨今の事件に至ったといったといった粗い経緯があります。

こうした歴史の概要を眺めてみますと、今更ながら、白人による植民地が当り前であった時代に、先ずは、その地の先住民を根こそぎにされて、さらに、奴隷として連れて来られた人々に対しての長年にわたる搾取(それ以外何と表現すればよいのでしょうか?)が行われ、そしてこうした数世代にわたる搾取によって精神的にも疲弊した人々を国民として多く抱えた国が、現在において上手く運営されることは、やはり極めて困難ではないかと思われるのです・・。

そして、ここまで書いていて、先日読了しました松本仁一著「カラシニコフ」Ⅰ内の記述が思い出されましたので、以下に引用します。

pp.168-170

『フォーサイスのいう「失敗した国家」とは、国づくりができていない国、政府に国家建設の意思がなく、統治の機能が働いていない国のことだ。彼はソマリアを例にあげた。

「われわれヨーロッパ人が、アフリカ地図の上に勝手に線を引いただけなのだ。「ここはエチオピアでもないし、ケニアでもない。ソマリアとでも呼ぶか。そう、首都はモガディシオがいいだろう」といった調子でね」

国境線は西欧植民地勢力の力関係で決まった。住んでいる人々には意味のないものだった。1960年、植民地勢力はソマリアから引き揚げる。しかし、英領、イタリア領時代の国境線はそのまま残ってしまった。

意味のない線の中で、一つの国の国民であるという意識を持ったり、自分たちの国をつくらなければならないという意欲を持ったりすることは難しいことだった。人々は国家や政府に無関心になる。それをいいことに、新しい指導者は暴力で人々を抑圧し、利権をむさぼった。ソマリアのバーレ元大統領、赤道ギニアのマシアス元大統領、ヌゲマ現大統領・・・。

銃を手にしたものが、利権の集中する首都とその周辺を支配する。統治が国のすみずみまで行き渡ることはない。

「独立後ソマリアにあったのは部族や軍閥だけだった。そのうちのひとつが国と呼ばれ、国連で議席を持った。実際にはそこに国家などないにもかかわらず。」

小説「戦争の犬たち」のテーマのひとつが「失敗した国家はわずかな武力でかんたんに崩壊する」ということであるなら、大統領官邸を奪い取ればそれで十分だったわけだ。「失敗した国家」のほとんどでは武力のみに支えられた独裁支配が続き、政府に国づくりの意欲がない。利権争いや少数派の不満から、紛争が頻発する。社会はますます安全でなくなり、住民は生命の危険にさらされることになる。』

さて、アフリカとカリブ海の島といった地域の相違はありますが、その一方で相通じる部分もまた、あるのではないかと思われます。そしてまた、そこから近現代の我が国の経緯を考えてみますと、どういったものが見えてくるのでしょうか・・。

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2021年7月9日金曜日

20210709 慶應義塾大学出版会刊 ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン 編著 小坂恵理 訳 「歴史は実験できるのか」pp.129-131より抜粋

慶應義塾大学出版会刊 ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン 編著 小坂恵理 訳

「歴史は実験できるのか」pp.129-131より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4766425197
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4766425192

 本章で紹介するハイチとドミニカ共和国の比較は、境界に関する自然実験という学問分野に該当する。

ひとつの景観のなかに境界が任意に引かれたり取り除かれたりすると(すなわち自然環境とは無関係に境界が設定されると)、どんな結果がもたらされるのかを研究するうえで、人間によってつくられた制度が歴史にどんな影響をおよぼすのか確認していく、この「実験」ではまず、何もなかったところに境界が引かれたことによる影響について調査する。

かつては似通っていた二つの社会が次第に分岐してゆくプロセスが対象で、たとえば1945年は東ドイツと西ドイツが、同じく1945年には北朝鮮と韓国が、1991年にはバルト三国とロシアが国境線によって分断された。一方、これとは正反対のアプローチもあり、その場合には境界が取り除かれた影響を調査する。1989年の東西ドイツの再統合、近年ではスロベニアの欧州連合参加がこれに該当する。このような比較を行えば、制度や歴史の違いがもたらす影響が浮き彫りにされる。地理的に同じ場所で境界が創造または取り除かれた前後の時期を比較すれば、あるいは境界を接する似通った二つの地域の歩みを同時に比較すれば、制度や歴史以外の変数影響を排除することも可能だ。

 ハイチはアメリカ全域で最も貧しく、世界の最貧国のひとつに数えられる。森林の99%が切り払われ、土壌侵食が深刻化している。水、電気、下水処理、教育など最も基本的なサービスさえ、政府はほとんどの国民に提供することができない。これとは対照的に、ドミニカ共和国は未だに途上国だが、一人当たりの平均収入はハイチの6倍に達し、森林の28%が保存され、自然保護に関する包括的なシステムが、新世界のなかで最も充実している。アボガドの輸出量は世界第3位で、ペドロ・マルティネスやサミー・ソーサなど、野球の名選手を輩出している。そして民主主義が機能しており、最近の選挙では現職大統領が破れ、平和裏に引退している。これに対しハイチは、人口はドミニカ共和国とほぼ等しいが、雇用労働者の人数は5分の1、車やトラックの保有台数は5分の1、舗装道路の距離数は6分の1、高等教育を受けた国民の人数は7分の1、医者の人数は8分の1、石油の年間輸入・消費量は11分の1、一人当たり医療費は17分の1、発電量は24分の1、年間輸出量は27分の1、テレビの保有台数は33分の1にすぎない。さらに、ハイチの人口密度はドミニカ共和国より72%高く、乳児死亡率は2.5倍、5歳未満の栄養失調の子供の人数は5倍、マラリアの症例は7倍、エイズの症例は11倍にもおよぶ。

 しかし、二つの国は同じ島を共有している。植民地時代には、サンドミニクというフランス語名で知られていたイスパニョーラ島の西側は、アメリカ全域、いや世界のなかでも群を抜いて豊かな場所で、フランスの海外投資の三分の二がつぎ込まれた。その事実を考えると、現代のハイチの悲惨な状況にはなおさら驚かされる。イスパニョーラ島の西側では、長年にわたる独立戦争の影響で経済や社会が疲弊して、人口が減少したものの、かつてはドミニカ共和国よりもはるかに豊かで強力だった。1822年から1844年にかけて、ハイチはドミニカ共和国を征服・併合している。ところが20世紀の最初の数十年で、ドミニカの経済はハイチを追い抜いた。突然発生した富の逆転現象をどのように説明すればよいのか。