2021年1月19日火曜日

20210119 ブログ記事の作成について思ったこと(物語・小説の卑近な効果?)

 ここ最近は、これまで作成してきました【架空の話】の今後の書き進め方について、迷いが生じ、そこから、これをスムーズに書き進めることが困難な状態にあると云えます。とはいえ、ブログ記事の作成はしておいた方が良いと思われることから、本日は、そのことを題材として書いてみようと思いました。

さて、この【架空の話】の書き進め方での迷いとは、以前にも書きましたが、その物語の中での完全な創作の程度についてであり、これまでは、自分なりにかつて得た経験を作中に散りばめて書き続けてきたつもりではありましたが、これはどうも、ウケを狙いに行きすぎますと、物語自体が不自然になってしまう傾向があるように思われるのです。

そして、それを避けつつ、なおも自身の経験を散りばめた物語を更に書き進めて行くことは、時として面倒に感じるものであると云え、自身としては、それが現在であるように思われるのです。

もっともそれは、全く文章が出てこないという状態ではなく、こうした、批評もしくは弁解じみた文章などであれば、特に問題なく書き進めることが出来るとは云えるのですが・・。

また、もう一つ、ここ最近思ったこととして「何らかの物語つまり小説を読んでいると、こうした散文様式のブログ記事は、書き進め易くなる」ということがありますが、その意味において、たしかにここ最近は小説は読んでいません。直近で読了した小説は、カレル・チャペックによる「白い病」か村上春樹による「羊をめぐる冒険」上下巻であり、これらを読んでいた時期は、あまり寒くはなっていない10月後半ということもあってか、割合マメにブログの更新も行っていたように見受けられます。

さて、そうしますと、現在もまた、この時に倣い「何か小説を・・」となるわけですが、ここで以前に購入し、未だ手を付けていなかった村上春樹著「ダンス・ダンス・ダンス」上巻が思い出されましたが、同時に他にも読み進めている著作がいくつかあるため、それらがある程度落ち着きましたら、速やかに、ブログ記事を作成する自身のためにも、この作品を読み進めていこうと考えています。

そうした意味において日常で、ある程度文章を作成する必要のある方、あるいは、そのようになることを望まれる方におかれましては、とりあえず、ご自身の好みや性格に合う小説を見つけ、それを味わうように読み進めていきますと、何と云いますか次第に「言霊」(Genius)に感染し、ご自身の文章の作成もし易くなっていくのではないかと思われますので、一度ご検討されてみては如何でしょうか。

また、そのように考えてみますと、小説とは、読む人によって効果は異なりますが、一種、表出・表現のための潤滑剤のようなものとも云えるのかもしれません。そしてまた、何であれ私が作成した文章から、そうしたことを感じて頂けましたら、それはそれで僥倖と云えます。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!





ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
tsurukiclinic2001@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!








2021年1月18日月曜日

20210118 【架空の話】作成の基底にある記憶について思ったこと

 おかげさまで昨日の投稿記事も比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

さて、これまで【架空の話】は63話まで作成しましたが、これは自身の経験に基づいてはいますが、表題の通り、あくまでも【架空の話】であり、いわば、自身の記憶を変換して作成した物語といえます。また、これに登場する「K医療専門職大学」も架空の大学ではあるのですが、今後、Kに限らず国内各地にて、こうした大学が設置されることを願っています。

我が国は戦後以来の人文社会科学系の高等教育におけるマスプロ教育を全面的に考え直す時期にきているのではないでしょうか。そしてまた、我が国の即物性・此岸的性質を良導するためにも、人体という実体が存在する医療分野へ、より多くの学生が進むような社会システムが望ましいのではないかと考えます。

さて、これまでに投稿した【架空の話】ですが、これは記事により閲覧者数に相違があり、割合早く閲覧者数が増加するものがあれば、なかなか閲覧者数が伸びないものもあります。こうした現象については自身も不思議に思い、それぞれの記事を、ある程度念入りに読んではみましたが有意な相違点は看取されませんでした。しかしまた、これは、今後の記事作成においても、いくらかは留意しておいた方が良いとも思われるところですが・・。

作成者からしてみますと「何故、同じ人物が作成した物語断片となる記事の閲覧者数が異なるのだろう?」といった感じになるのですが、その点が昨日の投稿記事にて述べた「表現と表出の違い」と、何らかの単純ではない関連性があるようにも思われるのです。

あるいは、こうしたことも、書き続けていきますと多少は明瞭化されていくものかどうか分かりませんが、しかし、当ブログのはじまりは、以前にも書きましたとおり、ほぼ同時期に周囲の方々に勧められたことであり、そしてまた、これまで、どうにか1450記事程度まで記事作成を継続出来ているのは、2012~2013の時期、どちらかと云えば良くない境遇にあり、ポケットに手を入れ、うつむきながら歩くことが常態となっていた当時の私の心にスイッチを入れてくださった何人かの西日本出自の女性達の存在があったからであると云えます。

とはいえ、何故、あの時期(2012秋~2013浅春)に集中して、そうした出来事が生じたのかは今もって分からずに不思議であり、あるいは、この時期のことを題材として、記憶に基づいて何かしらモノガタリでも作成してみますと、あらためて、何か新しいものが見えてくるのかもしれません・・。そして、その意味でも、これまでに作成した【架空の話】ではあっても、記憶に対して過度な脚色を行うことは、やはり避けておいた方が良いのかもしれません・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!




ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
tsurukiclinic2001@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!










2021年1月17日日曜日

20210117 1000記事への到達前後での記事作成について思ったこと

 おかげさまで昨日投稿分の「「 異郷の地に住むこと」について思ったこと」は、比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

また、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1457記事となりました。もちろん、これはキリの良い数値ではありませんが、同時にこのペースにて記事作成を継続しますと、来る2月には、どうにか1465記事まで到達することが出来る目算が立ちます。

そうしますと、現在目標としている1500記事まで、残り35記事となり、そして今後さらに2日に1回程度の更新頻度にて継続しますと、4月頃には、どうにか1500記事まで到達出来るようにも思われてきます。

さて、どこかのサイトにて「ブログは1000記事書いてからが勝負だ」と書かれていた記憶がありますが、自身の経験に基づいて考えてみても、この記述は全くの間違いではいないように思われます。

自身のブログ記事作成においても、1000記事以降で更に書き続けるのが、それ以前よりも苦しかったと云えます。それは「閲覧者数が変わらずに少ない」といった外的な理由であるよりも「内から湧いてくる力の減衰」と評して良いと考えます。

つまり、ある程度の目標(1000記事)の達成後は、否が応でもいくらかは「燃え尽き症候群」となるのか、さきの内からの力が減衰し、その上でも書き続けることは、以前と比べますと、いくらか苦痛であったと云えます。

しかし、それでも休みを挟みつつ書き続けますと、また記事作成の波のようなものに乗ることが出来、そこから100記事、200記事と更に積み重ねていくことが出来ました。また、そうした過程にて時折不図、気が付くことは、以前よりも記事の作成が速くなり、また、自然な文章が書けるようになってきていることであり、こうした感覚は、自身の文体の確立とも、いくらかは関連があるように思われますので、今後も注意して行きたいと考えています。

そして、今後1500記事程度まで作成しますと、現在よりも、もう少し「読める」文章を作成することが出来るのではないかと期待されるのです・・。

そういえば、先日、宮台真司著「サイファ覚醒せよ!」を読んでいたところ、文中に「表現と表出の違い」について書かれており、これは、継続的なブログ記事の投稿をしている自身からしますと、大変興味深いトピックであり、以前であれば一記事投稿しますと、それなりにスッキリとした感じがありましたが、さきに述べた1000記事到達以降しばらく経ってからは、記事投稿を行っても「スッキリ感」を感じない時も多々あり、それは書籍からの抜粋であるか、オリジナルの文章であるかの違いではなく、未だ自身の意識ではよく分からない内的なところに原因があるように思われます。

そしてまた、面白いことには「スッキリ感」があった記事の方が、決して多くの方々に読んで頂けているというわけでもなく、それは記事作成によるカタルシス(スッキリ感)が、その記事を読んで頂いた方々の数に直結はしないことであり、これは記事作成者側からしますと、理解できないため歯痒く思う半面、さらなる挑戦を惹起させるものであり、面白いと云えます。そして、このある種「混沌・カオス」を面白いと思える感覚に、次なる洗練や上達のためのカギが潜んでいるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!




ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
tsurukiclinic2001@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!








2021年1月16日土曜日

20210115「 異郷の地に住むこと」について思ったこと

元々私は関東地方の千葉県と東京都で育ち、また、そこにアイデンティティーを持っていますが、大学卒業後に就職した会社での初任地が札幌市であり、そこで2年間過ごすことになりました。札幌、北海道は、大変良い場所であったとは思いますが、私にとっては如何せん寒く、さらに冬季は日光が乏しいためか気分が沈むことが多かったという記憶があります。

また、その街並みも「縮小した東京」といった趣が強く、それまで首都圏しか知らず、それがベストであると堅く信じていた私にとっては価値観の変容を生じさせるほどの経験や刺激はなく、同時に、それを受容出来るような感覚もなかったのだと思います。

その後、希望勤務地の調査にて「東京」と書き続けた結果、次の赴任先は、南紀白浜になりました。それまで、修学旅行など以外で首都圏から最も西に離れたのは静岡県の伊東市にあった祖父母の家に滞在する時くらいであり、当時の私にとって、南紀白浜どころか西日本自体が、あまり良い表現ではありませんが「得体のしれない場所」であったと云えます。

しかし、嘆いていても始まりませんので赴任しますと、寒い北海道からの転勤であったためか、陽光がやけに眩しく感じられ、さらに、着任後わずか1カ月程度で白良浜にて海開きがされ、その何というか「南国ぶり」には大変驚かされました。くわえて、南紀白浜は空気も大変美味しく、温泉もあり、全身で大地の精気のようなものを感じることが出来たと記憶しています。

さらに、かねてより私が好んでいた歴史に関する遺跡なども多く、休日に自転車で近くの田辺市まで行く途中には、さまざまな興味を惹くものがありました。またこの当時、アマゾンを利用して書籍を購入することも覚え、そこで、それら遺跡についての記載があると思しき書籍を購入したり、あるいは文系師匠からの手紙に記載があった書籍などを購入して読んでいました。

この時期、英国の作家ロバート・グレーヴスを知り、その著作である「この私、クラウディス」は特に面白く感じ、休日の近くにある合川ダムへの釣行にも持参し、一人、ボートの上で読んでいました。現在思い返してみますと、これはいくらか贅沢な経験であったのかもしれません・・。また当時、釣れた魚を記録に残すため、初めてデジカメを購入しましたが、それは釣れた魚のみならず、釣行の際、キレイであると思った風景などの撮影にも用いていました。そして丁度この時期、定期購読していた「ナショナル・ジオグラフィック」日本版にてデジカメによる写真コンテストが開催されることを知り、撮影した風景写真の中で気に入っているもので応募したところ、佳作か何かで入選となり興奮した記憶があります。ちなみに当時、黒澤明監督の作品にもハマっており、とりわけ「蜘蛛巣城」を好んでおり、会社同僚にDVDソフトを貸したりしていましたが、その反応はあまり良くなかった記憶があります。おそらく、当時から少しズレていたのでしょう・・(笑)。

その他にも、この時期はさまざまな経験があり楽しかったと云えますが、南紀白浜に赴任して2年ほど経過した頃「私はこのままサラリーマンを続けていくのは困難であろう・・。」と思うに至り、大学院入試の情報を集め始めるようになりました。当時はまだ首都圏にある大学しか考えていませんでしたが、偶然、丁度この時期に東京へ転勤となり、一先ず実家に荷物を置かせてもらうことにしました。この頃、実家は自宅を改造して開業したばかりであり、荷物を置く場所がなくて難儀しましたが、他方で私が大学院に進んでも大丈夫そうであったことから、親戚の人文社会科学系教員や師匠に相談したところ「今から大学院に進むのであれば、これまでの経験を活かせるトコロが良い。」と云われ、検討したところ、南紀のことが想起され「これは私独自の経験と云えるだろう」と思い資料を集め、どうやら、そうしたことを深めることが出来そうな研究科が和歌山の大学にあることが分かり、教員に連絡を取ってみたところ、決してウェルカムといった感じではなかったものの「ふむ、やりたいのであったら指導できるかもしれない。」といった感じであり、とりあえず準備をして受験したところ、どうにか通った。これは、やはり南紀白浜での勤務経験があったからであると思われるが、同時に、その経験がなければ、そこを受験しようとは考えなかっただろう。その意味で、やはり「これまでの経験を活かせる」ことは出来たのではないかと思われる。

大学院という場所は初めての経験であり、当初は右も左も分からずに色々と面食らったが、同時に面白かったのは、そこでは、いくらか小難しいと思われる書籍を読んでいると、その書籍について話しかけてくる方々が、わずかながらではあれ、いることであり、それは一種、探りを入れてきたのだと思いますが、そうしたことが機縁となり、後日、議論や輪読会をしたり、さらには院生自主勉強会を定期的に開催するようにもなりました。これは大変面白く勉強になりました。以前にも当ブログにて書きましたが、あの時期は自身にとっては遅蒔きの青春であったのだと思います。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!




一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~

ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
tsurukiclinic2001@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!






2021年1月15日金曜日

20210114 筑摩書房刊 開高健著「開高健ベスト・エッセイ」pp.19-21より抜粋

筑摩書房刊 開高健著「開高健ベスト・エッセイ」pp.19-21より抜粋

ISBN-10 : 4480435123
ISBN-13 : 978-4480435125

ある土地のある時代の住民の気質をそれより以前にあった歴史の性質からして判断しようとするのは、それだけだと誤ちが多すぎるけれど、それでも、ある程度までは、たとえば一つの事物を植物ですか、動物ですかと、第一に規定する程度までは、正確であるように思われる。そこでこれを西鶴について考えてみようとすると、何よりもまず彼は大阪人だったということになる。

 現在の大阪人に”大阪人”の気風がどれだけ生きているかは別の問題になるが、西鶴の作風や生き方などに照らして、その特質をもし一語で答えろと無茶なことをいわれたら、私としては”才覚”だと答えておきたいことがある。それを現代風に”独創性”とか、または”アイデア”とか、いろいろ輻射した言葉を持ちだすことはできるが、彼自身が作品のなかでもっともしばしばたよりにしたのはこの言葉であった。大阪人は権力の影のしたで暮らすことができなかったので徒手空拳、ひたすた自身の創意と知力を工夫し、凝らし、飛躍させるよりほかに生きるすべがなかった。だから大阪人のなかには自分でもその衝動の根源がどこにあるのかわからないくらい深い衝動に駆られる傾向がある。

 在野精神、反骨、批評精神、痛酷な冷徹、自身それに徹しなければならないので他人がそれに徹することを許す寛容、精力、好奇心、発明欲、探検精神、官能の開発と洞察・・ふつう大阪人に見られるこうした要素を、西鶴の作品、作風、登場人物たちに読みとるのはやさしいことである。ごく卑近な例を一つとってみると、坂田三吉が初手に角頭の歩をついて敗北したということなどは、どうであろうか。そういう無謀をやれば負けると知りぬきながらもあえてやってのけてしまったのだが、そこにも”才覚”精神の一端を読みとることができる。これを叛逆のための叛逆、異端のための異端と見ることはやさしいけれど、それは結果から見た見方であって、衝動が発生したときの恐怖、苦悩、それをおしきる気魄のことを考えれば、容易なことではすまなくなってくる。いかなる手段を尽くしても勝とうとする男のことを”勝負師”というのならば坂田は勝負師ではなかった。

 勝てる実力が満々とあり、どうすれば勝てるかということがわかっていて、先の先まで読みぬいていながら、一挙にそれをひっくりかえしてしまい、あえて初心で未知に挑む行動に坂田はうってでたのである。恍惚と不安を背負ってたら、もろくも敗れ去っていった。”大阪人”にはいつもこのときの坂田三吉がどこかに棲みついて目を光らしていると見るべきである。安住し満足することを自身にけっして許そうとしない、ある容赦ない衝動が巣食っているのである。一度それが発動されたらさいご、あとはひたすら波にのって走り、自身を蕩尽して打倒してしまうほかない、そういう衝動である。文壇用語でこれを”破滅衝動”と呼ぶが、”破壊”と”創造”は一枚の楯の裏表にすぎない。これは石器時代からの定則である。いまさらどうこういってもしようがない。だから、そういう眼で”大阪人”を用心して観察しないことには、がめつい奴、ちゃっかり屋、計算家、ケチンボ、美食家、新物食い、軽薄、おしゃべり、指紋でべとべとによごれたレッテルをいくら読んだってはじまらないのである。

2021年1月13日水曜日

20210113【架空の話】・其の63

 口腔保健工学科への編入後は、これまで全く接することのなかった科目群の学習をすることになったわけだが、これはたしかに大変であり、また、以前と比べ、明らかに体に無理がきかなくなっていることが分かり、そこから、自然と毎日少しづつ勉強をする癖がつき始めたとも云える。

また入学直後に申請した奨学金は、どうにか一種にて採用されたが、それだけでは生活はままならず、こちらでも週に2日ほど夜勤の警備員のアルバイトに就いた。これは、市内の個人経営の病院であり、急患などの突発的な出来事がなければ、そこまで体力を消耗するものではなく、仮眠をとったり、机に向かって勉強をする時間もあった。

そこまで多く顔を合わせ、長く話す機会はなかったが、当直勤務のドクターや看護師さんの中には、私が机に向かい教科書、ノートを開いて勉強しているのを見て、それが解剖学といった彼等がかつて勉強した科目である場合は「分からないことはないかい?」と訊ねてきてくださったり、あるいは飲物やパンを差し入れしてくださる方もいた。

はじめのうちは、よく分からなかったが、少し経ってから、大分前の幼い頃に児童館か床屋で読んだ記憶がある松本零士による「男おいどん」というマンガをそこから何故だか思い出させた・・。

この夜警のアルバイトは医専大の卒業後もしばらく続け、その後進んだK大学大学院医歯学総合研究科にてTAやRA、そして母校での非常勤講師のアルバイトにも就き、また、実験のため深夜に研究室に行く必要性も生じてきたことから、辞めることにした。

そういえば、入学当初の頃は、人間には歯が何本あるかも知らず、また、それぞれの歯に固有の名称があることも知らなかったが、それを学ぶにつれて、それが概ねどの人種でも同様であり、また、その形態や機能などについても同様であることには何故だか興奮し、これまでの人文社会科学系にて学んできた内容とは、どうも異なる次元にあるものを学んでいるといった実感を持つに至った。

それは端的には、物理的な意味での普遍性であり、また、そうした性質(普遍性)があることにより、異なる言語で書かれた論文などの文献も、そこまで労せずに理解することが出来るのだと悟った。

つまり、医療分野の学問がすぐれているという根源には、人体という実質を伴う普遍的なものを対象としていることがあり、そこでの新たな知見は、たとえ全人類ではないにしても、より多くの人々に対して有効であると云えるのである。

その点、殆どの人文社会科学分野の学問は、こうは行かないと云える・・。しかしながら、それだからこそ、人文社会科学の学問には価値があるとも云えるのだが、その価値とは、さきの医療分野における普遍性から生じる価値とは異なるものであるのだ・・。

そしてまた、貨幣経済の基礎を成す価値の基準と相対的に見て、より親和性があると云えるのが「人体」という普遍性が基層にある医療分野のそれであり、多くの人々はそちらの方をより重要視することであろう・・。

くわえてそれは、概ね16世紀以降に西欧諸国が世界の覇権を握るに至るまでの歴史的背景にある主要な思想とも云えるのかもしれない・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!





一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~

ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
tsurukiclinic2001@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!












2021年1月11日月曜日

20210111【架空の話】・其の62

あとは教授とE先生を交えた雑談のようになり、とりあえず今回の研究室訪問の目的は達せられた。

この雑談はその後約1時間ほど続き、主に教授がご自身のことについて語ってくださった。どうやら元来話好きの性分であるらしく、さまざまな方面にハナシが飛んだが、さすがに長年、学生相手の講義をされてきたためか、そのハナシには惹き付ける何かがあるように感じられた。

ハナシによると、このS教授は、歯学部の教授でありながら歯科医師ではなく、背景となる学問分野は工学であり、専攻は窯業つまりセラミックスとのことであった。また、これはあとになって知ったことだが、この歯科理工学研究室とは、全ての歯科大学・歯学部にある、まさに歯科医学分野の研究室でありながら、その教員は歯科医師でないことが多く、ここ最近では多少事情が変わってきているとも聞くが、当時は半数程度がS教授のような工学分野出身者や、さきにご挨拶した先生のように歯科技工士を背景とする方もいた。

教授は、もともと関西圏にあるH県の都市Kのご出身であるが、高校卒業後は大学進学のため東海地方のA県の都市Nに行き、そこで大学院修士課程まで修了され、その後、著名な歯科医療総合メーカーであるG社に入社され東京配属となった。当時は景気も良く、各歯科大学・歯学部共に割合多く備品を購入されていたようで、電気炉や鋳造機など納入機器の操作説明担当者として、しばらく滞在した都心部にある某老舗歯科大学で、当時、歯科理工学教室主任教授であったK先生に気に入られ、G社から引き抜かれて、助手として勤務することになったとのことであった。

その後、歯科大学でも熱心に研究を続け、歯学博士の学位を取得され、さらに続けてNにある母校の大学にて工学の論文博士の学位も取得されたとのことであった。

こうした博士号を二つ取得されている方を世間ではダブル・ドクターと云うようであるが、私にとっては、このS教授が、初めて見るそうした方であり、あるいは、さきに感じた精悍さも、そこに由来しているのかもしれない・・。

そういえば、面談の終盤、不図、S教授が私に「君は、今の医専大を出て歯科技工士になれたら、次はどうするつもりなのかね?」と訊ねてきた。私は突然のことで「・・ええと、普通に就職活動をして条件の良い技工所か何処かに勤めたいと考えています・・。」と少々慌て気味にて返事をすると「・・・そうか、実はうちの教室の先生方もここ3・4年で続けて定年退職されて、そうしたら今、医専大にいるウチの教室OBの連中をこっちに教員として呼び戻したいと考えておるのだが、そうすると今度は医専大の方のポストが空いてしまうからのお・・。」と云われた。それを聞いて「ひょっとしたら医専大のポストに入れるかもしれない!」と少しだけ目が見開いたが、あまり気にしないような調子で「・・そうしますと、またS先生の教室OBにて医専大のポストを充当することになるのでしょうか?」と訊ねてみると、教授は少し黙ってから「・・うむ、しかし、このEが2年前に修了してから、ウチの研究室には正規の院生はおらんのだ・・。」と、E先生の方を少し見て云った。それを聞いた私もまた少し間をおいて「あの・・もし来年度、私が無事に医専大を卒業して歯科技工士になれましたら、そちらの研究室に院生として入ることは可能でしょうか?」と、おそるおそる訊ねてみると、教授は「うむ、まあ、それは無事に受ければ可能かもしれないな・・。しかし、それでウチに来てくれるのであれば、歯科理工学の学生実習なども上手く回せるようになるかもしれんぞ・・。」と少し回りくどいような返答をされた。

ともあれ、この最後の方のやりとりは、当時の私にとって、サッと未来に光明が見えた瞬間であったことから、強く印象に残っている。おそらく、あの時もまた、一つの人生の分岐点であったのだと思われる・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!




ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
tsurukiclinic2001@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!
鶴木クリニック医科・歯科
*歯科衛生士さん募集中*